碍子の取替 と ジャンパ線取外し 送電線取替工事 [送電線]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
前々記事で送電線のスペーサーの取外し工事を紹介しました。
その次の作業が下記の取替手順の中の③の「ジャンパ線取外し と 碍子の取替」です。本記事では赤色文字の③~⑥を紹介したいと思います。赤色文字以外の着色文字をクリックすると、その記事を表示いたします。
送電線取替工事手順
① スパイラルロッドの取外し
② 4導体用スペーサーの取外し
③ ジャンパ線取外し & 碍子の取替
④ 滑車の取付
⑤ 2本送電線の連続化
⑥ 吊り下げ金具の取付
⑦ 4本の送電線の内2本の新旧交換
⑧ 2本送電線の連続化 ⑤と同じ
⑨ 滑車への送電線かけ換え ⑥と同じ
⑩ 4本の送電線の内2本の新旧交換
⑪ 吊り下げ金具の取外し
⑫ 碍子に送電線取り付け
⑬ 滑車の取外し
⑭ 4導体用スペーサーの取付
⑮ スパイラルロッドの取付
⑯ 点検(スパイラルロッドとスペーサー)
⑰ ジャンパ線の設置(プレハブジャンパ)
他の送電線に関する記事
〇 架空地線交換工事
〇 取替工事期間中の春一番
〇 中国の送電線
碍子(がいし)もジャンパ線も鉄塔に付属しているものです。つまり今回の作業は鉄塔および鉄塔近くの送電線での作業になります。
送電線用鉄塔には大別して耐張型鉄塔と懸垂型鉄塔があります。 耐張型鉄塔は電線の張力を鉄塔で受けるために、碍子(ガイシ)が水平に取り付けられています。一方、懸垂型鉄塔は重力と風の水平力を鉄塔で受けるタイプで、碍子はV型に取り付けられて送電線を吊り下げています。
耐張型鉄塔(左)では送電線は一旦切断されているので電気の通り道となるジャンパ線が碍子の下にぶら下っています。懸垂型鉄塔(右)では単に送電線を吊り下げているだけでジャンパ線はありません。そのような構造の違いがあることから送電線の取替工事では耐張型鉄塔の工事は複雑なのに対して、懸垂型鉄塔の工事はシンプルです。先ずは懸垂型鉄塔での工事から紹介していきたいと思います。
耐張型鉄塔 24鉄塔 25鉄塔 28鉄塔 30鉄塔 31鉄塔 32鉄塔
懸垂型鉄塔 26鉄塔 27鉄塔 29鉄塔
耐張型鉄塔(水平碍子) 懸垂型鉄塔(V型碍子)
こちらはスパイラルロッドやスペーサーの取外し工事の写真を撮った2日後の写真です。鉄塔の右の一番上(上段)のV型碍子の取替工事が始まっています。
同じ鉄塔の下から撮った写真です。中段にも2名の作業員の方が作業をしていることが分かりました。上段の送電線はすでに碍子と送電線が離れていました。
こちらは上の写真の翌日に撮った2段目です。碍子は送電線から外され垂直になった状態でした。この写真を冒頭に使わさせてもらいました。左側が古い碍子ですが、右側はすでに新しい碍子が吊り下げられていました。古い碍子の端にはアークホーン(ループ状の金属)が付いているので新しい碍子と区別が出来ます。新しい碍子のアークホーンは全てが完成してから最後に取り付けられるようです。新旧の送電線を接続して4.1km引張って入れ替えるための滑車が、すでに4つ配置されています。
上段の送電線はすでに新しい碍子がV型に設置され送電線の交換用の滑車も取り付けられていました。
上の写真の11分後には中段の古い碍子の方は地上に下されて、下段の工事も進んでいました。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するので、上段、中段、下段の工事の状況がよく分かると思います。
下段部分を拡大いたしました。3本の碍子を見ることが出来ます。垂直に持ち上げられているのは古い碍子です。V型の左側が新しい碍子で、右側が古い碍子です。右側も新しい碍子に取り換えて滑車を取り付けると、新旧の送電線の入れ替え工事の準備工事は完了です。
送電線の上に立って作業をしているところを拡大いたしました。
ここからは耐張型鉄塔の碍子の取替工事を紹介します。こちらの写真は工事前の碍子とジャンパ線です。3本の碍子で送電線の張力を鉄塔に伝えていのす。碍子の下にぶら下っている4本の電線がジャンパ線です。1本の碍子は10個ごとに黒い碍子が入れられています。つまり1本の碍子気35個の碍子で作られていることが分かります。この35個の碍子て50万ボルト(500KV)の電圧をぜつえんしているのです。上のV型の懸垂型鉄塔の碍子も数えていただくと分かると思いますが35個です。
同じタイプの碍子(ガイシ)の図をネットから転用させていただきました。これは 500kV 3連耐張装置(210kN懸垂がいし)と呼ばれるタイプです。この図でも1本35個の碍子で構成されています。
この鉄塔では一番下である下段から工事が始まりました。始まったのは上の懸垂型鉄塔の工事の2日目でした。この時の時間は9時42分でした。
55分後に分かりましたが、この作業の主に目的はジャンパ線の取外しでした。
作業場所の拡大した写真を紹介します。
次に写真を取りに来た時にはジャンパ線はすでに外されていました。この時の時間は10時37分なので最初に工事の写真を撮ってから55分後でした。9時から作業が始まったとすると開始から1時間37分以下で取り外されたことになります。結構早いです。
上の段の工事も若干の時間差がありましたが並行して行われて3段のジャンパ線取外しは1日で終了いたしました。写真は中段で、時間は上の写真と同じ10時37分です。
下段の碍子の取外し工事です。この写真は15時51分に撮ったものです。
少し広い範囲の写真です。上の段はすでに新しい碍子に替わっていました。古い碍子は3本でしたが新しい碍子は2本でした。
右側が古い碍子で、左側が3本であることが分かってもらえると思います。左側の上の2段はすでに2本タイプの新しい碍子に交換されています。3本から2本になったのは51年間(=2017年-1966年)の間に強度が上がったか、信頼性が上がったのではないかと思われます。
3段共に新しい碍子に交換できました。上の写真の9日後の写真です。その間に他の鉄塔の工事も行ったのだと思います。
これが新しい2本タイプの碍子です。まだ作業は終わっていません。新旧の送電線を入れ替えるための準備工事が残っているのです。古い送電線をワイヤーでつないで4.1kmの範囲を1本にする工事があるのです。
最初に滑車を取り付けます。懸垂型鉄塔では1ケ所に4個の滑車を取り付けていますが、耐張型鉄塔では1ケ所に取り付ける滑車は2個なのです。耐張型鉄塔の両側の送電線は交換時でも2本は張力をかけておく必要があるので、2本は滑車に乗せて、2本は碍子につないでおく必要があるのです。
つまり4本を一緒に滑車に乗せることが出来ないので2個だけなのです。
滑車が取り付けられた部分を拡大いたしました。まだワイヤーや電線は滑車には通されていません。
次の作業の写真を紹介します。右と左で別の目的の作業をしています。左側は送電線の内2本にワイヤーをつなぎ4.1㎞を1本の送電線にする作業です。最初に説明した全体の作業手順の中の⑤の「2本送電線の連続化」です。
その接続部分です。取り付けたり外したりが容易なようなジョイントになっているようです。
右側の作業は吊り下げ金具を通しているのです。4本の送電線の内2本ずつ入れ替えますが入れ替えのために移動する送電線を碍子につないだ送電線で吊り下げるための金具を取り付けているのです。これが⑥の「吊り下げ金具の取付」です。ロープが1本張ってありますが、新旧の電線の交換作業の直前に、このロープを隣の鉄塔から引張って吊り金具を配置するのだと思います。
これが吊り下げ金具です。この吊り金具が鉄塔間の約400mに均等に配置されます。この鉄塔の隣りの鉄塔までの距離は413mです。全てロープでつながっていて終わった後に手繰り寄せることで全て回収できる仕組みです。
配置された吊り金具です。ただし、この時ではなく新旧の電線の交換作業の直前に配置されました。金具の上側の送電線は耐張型鉄塔の碍子に固定されていて、下側が連続化された送電線で滑車に通されています。
交換する電線2本が滑車に通されました。
これが完成したした状態です。
右側だけを拡大いたしました。この写真はクリックすると特別に大きく拡大(幅で5.2倍に拡大)いたします。
赤い部分がワイヤー(左)と送電線(右)の接続部分です。これで4.1㎞が1本でつながりました。接続部分が滑車などに引っかからないようにスムーズな形状なっています。
一番下の段(下段)を工事中に真下から撮った写真です。上段と同じ工事の状態で17日後なので送電線の新旧入れ替え工事を含めて1段あたり平均で8.5日と計算されます。本写真はクリックすると幅で4.5倍に拡大いたします。
完成した状態を下から見ました。V型碍子の懸垂型鉄塔では3段共に滑車を4個づつ計12個を取り付けますが、この 耐張型鉄塔では一番上の段(上段)に2個だけつけています。この後、2本の送電線を左から右に引っ張って古い送電線を新しい送電線に取り換えます。さらに2本を取り換えると、次に中断の作業を行い、最後に下段の作業を行います。左側の3段が全て終了すると、今度は右側の取替工事が行われます。本写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
電線の詳しい取り換え方法はこちらです。→ポチッ
So-netブログの障害確認 と 問い合わせ画面のURL [SNS]
私の場合、2017年10月22日23時10分から10月23日午後未明までSo-netブログが見れなかったり、管理画面が出せなくなる現象がありました。
今後は慌てないために「So-netブログの障害確認」や「 問い合わせ」の画面が、すぐに出せるようにURLをブログ内に記載しておくことにいたしました。ただし、So-net自体の障害の内容によっては下記のURLをクリックしても表示されない場合があります。本記事は主に自分用です。
・So-netブログ問い合わせ:
https://www.so-net.ne.jp/blog/qa/
・So-netブロク障害情報:
http://www.so-net.ne.jp/emerge/tr/blog.html
・So-net関連の障害情報:
http://www.so-net.ne.jp/emerge/flash/flash.html
問い合わせの種類は次のように分類されていました。
利用方法について
不具合について
サーバー障害について
利用規約違反について
ご意見・ご要望
その他
先日の障害のSo-netブログの障害情報での記載内容です。障害内容の欄の内容は対応中の復旧前の表示にしておりますので現在とは違います。
2017年10月24日17時45分時点
So-net ブログ の障害情報
障害・メンテナンス 現在の状況はこちら
該当のお客様にはご迷惑をおかけしております。 更新:2017/10/24
これまでの障害情報
ご迷惑をおかけいたしますことを深くお詫び申し上げます。
日時 状態 障害内容 2017/10/22
12:15~
2017/10/23
15:00 復旧So-netブログサービス利用障害
内容:
So-netブログで障害が発生しております。
サーバー負荷により閲覧や管理ツールへのアクセスが不安定な状況です。
対象サービス:
So-netブログサービス
影響範囲:
対象サービスをご利用の一部のお客さま
画面のハードコピーも残しておきます。下記は幅を縮めるために編集していますが、クリックすると画面通りのハードコピーを表示します。
What's new?にも掲載されました。→ ポチッ
スペーサー取り外し工事の写真 4導体送電線 [送電線]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
日本初の50万ボルト送電線(500KV送電線)として1966年に設置された房総線の電線の取替工事が ~ の4.1kmの範囲で2016年12月中旬から2017年3月23日まで行われました。地図上ののアイコンをクリックすると工事の範囲がさらに分かりやすくなると思います。のアイコンを数回クリックと今回の工事の場所と房総線の位置が分かってくると思います。
赤白塗装の鉄塔
シルバー塗装の鉄塔
送電線交換・始点鉄塔 24鉄塔
送電線交換・終点鉄塔 32鉄塔
取替工事の手順は概ね次の通りで、今までに赤色以外の着色文字の部分に関して紹介させていただきました。送電線の取替工事に関する記事は現時点で6つになっています。今後、着色されていない作業に関しても全て紹介して送電線取替工事の報告を完遂されたいと思っています。写真を撮っている時は作業手順のことは頭に入っていないのですべての作業の写真が撮られているかどうかは現時点では分かりませんが撮った沢山の写真の中から探し出していきたいと思っております。今回は②の「4導体用スペーサーの取外し」ですが、スペーサーの取外しは短期間で終わってしまうことと、丁度その時に関西に出かけていたので写真が見つけられるかどうかが最大の難関でした。
赤色以外の着色文字をクリックするとその作業の記事を表示します。
送電線取替工事手順
① スパイラルロッドの取外し
② 4導体用スペーサーの取外し
③ ジャンパ線取外し & 碍子の取替
④ 滑車の取付
⑤ 2本送電線の連続化
⑥ 吊り下げ金具の取付
⑦ 4本の送電線の内2本の新旧交換
⑧ 2本送電線の連続化 ⑤と同じ
⑨ 滑車への送電線かけ換え ⑥と同じ
⑩ 4本の送電線の内2本の新旧交換
⑪ 吊り下げ金具の取外し
⑫ 碍子に送電線取り付け
⑬ 滑車の取外し
⑭ 4導体用スペーサーの取付
⑮ スパイラルロッドの取付
⑯ 点検(スパイラルロッドとスペーサー)
⑰ ジャンパ線の設置(プレハブジャンパ)
探した結果、冒頭の地図の中の27鉄塔の傍で撮った中に、初期の段階にスペーサーの取外しに関わる写真が数枚ありました。送電線自体の取替工事であることも知らなかったので、この作業がスペースーの取外しに関わる作業であることも知りませんでした。鉄塔よりも左側(西側)の作業ですが、西側の作業が終わるころには送電線の取替工事であることも工事の手順も判っていたので、鉄塔の東側の工事の時に工事の手順通りに獲るつもりでした。ところが残念ながら東側の工事の初期の段階は関西に行っていて撮れなかったのです。こちらの写真の左側の3段の内、一番下(下段)はすでにスペーサーは取り外されています。写っている鉄塔はこのあたりでは最も高さのある121mの27鉄塔です。
上段の方のところにスペースーらしきものがぶら下っています。
中段の方の網の中に取り外された沢山のスペーサーが入っていることから、中段でスペーサーを外す作業が行われているものと思われます。
上の写真はクリックする拡大いたしますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
これが、偶然に撮れていたタイトルのスペーサー取り外し工事の写真です。この写真だと取り外されたスペーサーが網に入っていることがよく分かっていただけると思います。
四導体送電線用のスペーサーの写真をを紹介します。下の写真の左側が古い写真です。右側が2017年に取り付けられた四導体送電線用のスペーサーです。まったく同じ構造と思われます。左の古いスペーサーが房総線が建設された1966年当初のままだとすると51年前に、現在使われているものと同じ構造のスペーサーが開発されていたことになり当時の技術レベルの高さを知ったことになります。
上段の作業も気になるのでレンズのズームの焦点距離を400mmで撮っても高さ100mだと、この大きさでした。
上の写真から切り取りました。古いスペーサーなので取り外されたスペーサーだとわかりました。この写真で作業をされている方の進行方向の送電線にリング状のものが付いているのに気が付きました。
さらに拡大しました。後方側はリングが取り外されています。この場所ではスパイラルロッドではなくリングが付けられていて、作業の方は、そのリングを取り外しているのだと分かりました。網の中にはスペーサーは入れられていないことからぶら下っているスペーサーは入っていないためにリングを取り外すために一時的にスペーサーを取り外している可能性が高いと感じました。
この場所は住宅地は遠く離れた場所であることから、このリングは冬の積雪による被害を防ぐために右の写真のような「難着雪リング」ではないかと感じました。僅か4.1kmの間ですがスパイラルロッドやリングなど、いろんな方式を使い分けているようでした。ただし、今回の送電線の取替工事で、この場所もスパイラルロッド方式になりました。
右の写真は、まったく同じ場所のスパイラルロッドを取り付けている写真です。
その同じ場所とは26鉄塔と27鉄塔の間で、西側の最上段です。
下の写真のスペーサーと難着雪リングを取り外していたのが2016年12月16日で、右の写真のスパイラルロッドを取り付けていたのが2017年1月14日でした。
スペーサーの取外し工事の写真が撮れたのは一番手前の鉄塔と真中の鉄塔の間です。一番手前の鉄塔が27鉄塔(121m)で、真中が26鉄塔(106m)で、一番奥が25鉄塔(87m)です。この写真は、左側の3段共にスペーサーが外されて、送電線交換のための滑車が取り付けられている状態です。右側の3段の送電線は、まだ古いままです。
追伸
本記事を掲載した2017年10月22日23時10分直後から10月23日午後未明までSo-netブログの、niceやコメントを含めた管理作業が出来なくなりました。
本画面の確認が出来たのは10月23日3時30分でした。それ以前はブログ自体も見ることが出来ませんでした。
So-netブロク問い合わせURL:https://www.so-net.ne.jp/blog/qa/
今回はシステムメンテナンスであることが表示されない時間も長く続きました。10月23日13時頃はまだ復旧しておらず、正常になったことに気が付いたのは10月23日15時30分頃でした。驚いたことに http://blog.so-net.ne.jp/ さえも表示されない状態でした。
今回に関係しそうな障害をSo-netブログの障害情報で確認すると次のように発表されていました。ただし障害内容の欄の内容は対応中の復旧前の表示です。
2017年10月24日17時45分時点
So-net ブログ の障害情報
障害・メンテナンス 現在の状況はこちら
該当のお客様にはご迷惑をおかけしております。 更新:2017/10/24
これまでの障害情報
ご迷惑をおかけいたしますことを深くお詫び申し上げます。
日時 状態 障害内容 2017/10/22
12:15~
2017/10/23
15:00 復旧So-netブログサービス利用障害
内容:
So-netブログで障害が発生しております。
サーバー負荷により閲覧や管理ツールへのアクセスが不安定な状況です。
対象サービス:
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「わりした」を使った2回目のすき焼き [料理]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
昨日、2017年10月20日の夕食はすき焼きにいたしました。我家のすき焼きは醤油と砂糖だけで味付けをするすき焼きを子供のころから続けてきました。ところが2017年4月7日に門前仲町のすき焼き屋さんでの食べ方が気に入って我家でも同じ作り方をやってみたかったのです。
そのお店では割り下(わりした)を使っていましたが、割り下を使うことが気に入ったのではなくて、ぶつ切りのネギを焼いた油で肉を焼くことでした。そして焼けた肉とぶつ切りのネギを最初に食べる食べ方が気に入ってしまったのです。この食べ方には割り下が必須だったからです。
その時の記事はこちらです。→ポチッ
ネギの白い部分は垂直にぶつ切りにし青い部分は斜め切りにいたしました。ネギ以外はシメジと糸こんにゃく(しらたき)を用意いたしました。
さらに春菊も用意いたしました。
こちらは、今回使ったお肉です。高級なお肉ではありませんが見るからに美味しそうなお肉でした。ちゃんと牛脂もついていました。実は今回の作り方では、この牛脂が美味しさの決め手になるのです。
最初に牛脂を投入します。
その牛脂でぶつ切りのネギを焼きます。
少しネギが焼けたところで肉を焼き始めました。ネギの香りが移った油で肉が焼けると同時に牛脂と肉汁がネギにしみ込むのです。これで白ネギも肉も美味しくなるのです。
肉が少し焼けたところで市販の割り下を入れます。
この日に買ってきた地元の卵です。野菜の直売所に毎日入荷されている新鮮な卵です。
その新鮮な卵で肉とネギだけをいただきます。肉も美味しいのだけれども、白ネギが絶妙の美味しさになるのです。中が熱々の美味しさは格別なのです。それが気に入って、今回の焼き方にいたしました。
上の写真はクリックすると拡大いたしますが、クリックの面倒な方のために拡大いたしました。大げさないいかたですが、長い人生の中ですき焼きの白ネギの美味しさを初めて知った気がしました。この食べ方の場合では、白ネギがしんなりする前の硬さが残った状態で食べることをお薦めします。是非とも、いろいろと試してみてください。
肉とネギの味を楽しんだところで他の具材を鍋に投入いたしました。
もちろんビールは欠かせません。
美味しくいただきました。
今回のお肉は、近隣で買えるお肉の中では、安定的に最安値で買えるお店のお肉でした。お肉の値段は450gが598円なので100gが133円です。食べる前は少し心配しましたが、食べてみた結果として安いけれども上のランクと比べても味は十分に美味しいかったのです。ちなみに肉は米国産でした。
実はこのお肉を炒めた焼き肉が、我家のワンコ(名前:むさし 17歳6ケ月)の食事なのです。17歳に近づいたころから食欲が落ちてきて、今はいろんなものを食べさせています。その中で最も沢山食べさせているのが、このお肉を炒めたもので、最近では7日に2~4回のペースです。
2017年5~6月頃のワンコの食事のランキングは、①牛肉の油炒め、②青魚の焼魚、③錦糸卵、④ 合挽ミンチ炒め、⑤鶏肉ゆで、⑥牛乳、⑦モアソフト(ドックフード)、⑧チキンジャーキー(市販品)、⑨カツオブシ、⑩ ママボーロ、⑪ソラマメでした。この順番は刻々と変わっていきました。
最近では、①牛肉の油炒め、②牛肉ミンチ炒め、③モアソフト、④チキンジャーキー、⑤鶏肉ゆで、⑥バームクーヘン、⑦青魚の焼魚、⑦牛乳、⑧子供用粉ミルク、⑨ビスケット類、⑩缶詰のドックフードです。一時期はバームクーヘンが一番(9個/日)の時もあり、ある時は右の写真のミレービスケットが一番の時もあるほど変化しますが牛肉だけは安定しています。そのために牛肉の薄切りと牛肉のミンチを1週間に両方で計7パック(計:約3kg)ほど買っています。念のためベビーフードも買ってあります。
最近は、すき焼き用の割り下をつかうなど味を濃くしています。今回の場合は鍋に残った汁を活用いたしました。我々と同じ味わいにすると最も食欲が出るようです。⑧に粉ミルクが入っているのは、固形物を食べない時は牛乳を飲ませているのですが200cc/日までは問題はありませんが、さらに沢山飲ませると経験的に問題なので、牛乳は200cc/日までにしてそれ以上は粉ミルクにしているのです。牛肉の薄切りや牛肉のミンチを炒めた時に出る油は経験的に体に負担となるため捨てています。
昨日は、朝に牛肉のミンチを炒めたものを約200g食べたにもかかわらず、我々の夕食後にも、写真の肉を炒めたものにすき焼きのタレの残りを混ぜたものを300g食べてくれました。朝と合わせて2日分以上のカロリーを摂取したことになります。
我家のすき焼きで初めて「わりした」を使った記念すべき日は2017年9月30日でした。その時の写真をいくつか紹介します。こちらの肉も高級ではありませんが、中級の下というところです。
この時は、白ネギをぶつ切りにすることを伝え忘れていて従来のすき焼きと同じように斜め切りで作りました。両方の切り方をしてみて、今回のすき焼きの食べ方の場合は、白ネギはぶつ切りにする方が格段に美味しいことが分かったのです。そのために1回目の時は記事にしなくて、ぶつ切りにした2回目で掲載いたしました。つまり冒頭の写真が家で食べるすき焼きにおいて、生涯2度目の割り下を使ったすき焼きで、この写真が生涯初めての割り下を使ったすき焼きでした。
やっぱり新鮮な卵でいただきました。
この時は焼き豆腐も入れました。後半はどちらも同じ味になります。ぶつ切りの白ネギは最初に食べるときに違いが大きく出ることが分かりました。
この碑は日本酒にいたしました。白ワインもいただきました。
新千歳空港で買った唯一のお土産 焼きたてチーズタルト [土産]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
空港でお土産を買う時間を最小限にするために千歳市ま町のお店でお土産を事前買いました。そんな中で空港で買ったのが上の写真のKINOTOYAの「焼きたてチーズタルト」でした。目の前で焼かれており10人程度の人が並んでいましたが、時間はたっぷりあったので私も並んで買いました。
プレーンタイプとブルーベリージャムが入ったタイプがありそれぞれ3個つづで6個入りを注文しましたが、残念ながらブルーベリー入りはまだ焼けていなかったのでプレーンタイプ6個入りにいたしました。
右の写真はネットから転用させていただいた今回と同じ箱ですが、家に持ち帰るまでに一部の表面が剥げるダメージを受けて上の写真のようになってしまいました。おそらく飛行機の上の棚に入れた時に横向きとなりダメージを受けたのだと思います。写真は6個の中で一番いい状態です。せっかくの焼きたてなので、家に着いてすぐにいただくことにいたしました。
娘が海外旅行で買ってきてくれた金魚のティーバッグ(Tea bag)のお茶でいただくことにいたしました。全部で12パックありましたが、これが最後のティーバッグでした。
お茶と一緒に撮ったチーズタルトの写真も紹介します。
これがチーズタルトの断面です。新千歳空港の中でもトップクラスの人気のスイートだそうです。焼きたての香ばしさを感じてもらえると思います。
お土産の「焼きたてチーズタルト」を買ったお店は、先日紹介した記事の中のソフトクリームを買ったお店でもあるのです。右の写真が食べたソフトクリームです。こちらのお店のソフトクリームも人気だと聞きました。お店を紹介いたします。右下の小さな店舗の写真はネットから転用させていただきました。
店名 きのとや KINOTOYA
場所 新千歳空港ターミナルビル センタープラザ2階
電話 0123-29-6161
営業 8:00~20:00
フロアー全体のマップです。クリックすると今回のお店「きのとや」を含めて沢山のお店の位置が分かると思います。morimotoは前記事と前々記事で紹介したお店(本店)の空港内の販売店です。
Googleストリートビューです。今と雰囲気が違います。2013年9月に撮影されたものだそうです。この時も「焼きたてチーズタルト」は売られていますが、雰囲気はソフトクリームの一色でした。そのことから2013年9月以降に「焼きたてチーズタルト」がヒットしたものと思われます。画面内のB1 1F 2F 3F 4Fをクリックすると地下1階から4階までの建物の中を見ることが出来ます。地下1階(B1)はJR新千歳空港駅の改札口です。
Googleのストリートビューは、いつかは更新されてしまうので2013年9月時点の画面のハードコピーを保管しておきます。クリックして拡大すると画面の右下の Date de I'image : sept. 2013 の文字を確認出来ると思います。右の写真が現時点です。
もともとチーズタルトは冷蔵で販売されていましたが、2012年から店頭で焼くことを初めて爆発的に売れるようになったそうです。その時の店長(きのとやオーナーの長男 2012年2月きのとや入社)は2013年4月に独立して裏原宿にて焼きたてチーズタルトの会社BAKEを創業したそうです。それによって全国および海外展開の方向に進んだようです。大手商社に勤めていた経験が活かされたのかもしれません。
最後に拡大したチーズタルトの写真を掲載いたします。本写真をクリックすると特別に大きく拡大いたします。是非ともクリックしてみてください。
この写真も4秒→2秒→2秒で画面が切り替わるようにいたしました。
千歳市内のバン屋さんで買った北海道のお土産 [土産]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
前記事で北海道旅行で買ったどら焼きを紹介しましたが、同じお店morimotで上のスイーツもお土産として買いました。朝食用のパンを買ったお店ですが、空港でお土産を買う時間を短くするために出来る限り買いました。写真はトマトのゼリーとメロンのゼリーとジャガイモのスイーツです。
こちらがトマトのゼリーとメロンのゼリーです。
実はトマトゼリーは10年前にも北海道で買ったので、その美味しさが懐かしくて買いました。
トマトゼリーは甘酸っぱい味わいで、サクッとした食感は昔食べたトマトゼリーと似ていました。スイーツには酸味が大切なことを教えてくれました。
北海道と言えばジャガイモです。スイーツの名前は「愛でたい・じゃがいも」でした。「めでたい・じゃがいも」と読むそうです。北海道らしい上に、ほろほろほどける新感覚のスイーツと書かれていたので買いました。
確かに新しい食感でパイ生地の様なスイートポテトで美味しくいただきました。ジャガイモらしさも残っていました。
こちらは私が買ったまではなく長男家族が私のために買ってくれていた人気のスイーツです。こちらも偶然ですがmorimotoでした。新しいスイーツだと思ったら1978年から約40年続いているロングセラーのスイーツでした。
名前は「北のちいさなケーキ」で、ハスカップジュエリー2種類とチェリージュエリー1種類の計3種類が入っていました。
右のチェリージュエリー(Cherry Jewelry)には余市郡仁木町特産のサクランボのジャムが入っていました。実は北海道はサクランボの全国2位の生産地なのです。今回の旅行でサクランボ狩りをしたのは同じ余市郡の余市町でした。仁木町は余市町とは隣りの町でした。
左のハスカップジュエリー(Haskapp Jewelry)には北海道特産ま果実ハスカップ(Haskap berry)のジャムが入っていました。ハスカップはスイカズラ科スイカズラ属の落葉低木で、和名はクロミノウグイスカグラ(黒実鶯神楽)と長い名前が付いた珍しい果実です。特に酸味が効いたハスカップジュエリーが人気があるようです。ハスカップの分類を紹介します。北海道内では主に勇払原野(ゆうふつげんや)に自生していて、本州以南では高山植物に分類されるそうです。ハスカップの名はアイヌ語ハシカプ(has-ka-o-p)に由来するそうです。右のハスカップの写真はWikipediaから転用させていただきました。
界:植物界 Plantae
門:被子植物 Angiosperms
綱:真正双子葉類 Eudicots
:キク類 Asterids
:キキョウ類 Campanulids
目:マツムシソウ目 Dipsacales
科:スイカズラ科 Caprifoliaceae
属:スイカズラ属 Lonicera
種:ケヨノミ Lonicera caerulea
変種:ハスカップ Lonicera caerulea var. emphyllocalyx
和名:ハスカップ クロミノウグイスカグラ(黒実鶯神楽)
英名 Haskap berry Haskap Lonicera caerulea Honeyberry
Blue-berried honeysuckle Sweetberry honeysuckle
Edible blue Honeysuckle
ハスカップジュエリーのCM動画です。 別の動画 → 演奏編 妖精の森
英語のサイトでハスカップは下記枠内のように日本語名と書かれていました。さらにThe Haskap Canada Association(ハスカップ・カナダ協会)まであるそうです。アイヌ語を起源とするHaskap(ハスカップ)の呼び方が海外でも使われているのは嬉しいことです。
What is Haskap?
Haskap is the Japanese name for Lonicera
caerulea(Edible blue Honeysuckle).
The Haskap Canada Association
HASKAP is the Japanese name for Lonicera caerulea. It has also been known as ‘Blue Honeysuckle’, ‘Honeyberry’, ‘Edible Honeysuckle’ and ‘Sweet Berry Honeysuckle’. When translated into English, it is sometimes spelled as Hascap, Haskaap and Hasukappu.
始めてトマトゼリーを知ったのは10年前の2007年5月13日でした。その時の写真が下の3枚です。北海道旅行の帰りに新千歳空港で見つけて珍しくて買いました。今は沢山のメーカーがトマトゼリーを出していますが、驚いたことに製造メーカーは今回と同じmorimotoでした。その時のネーミング「太陽いっぱいの真っ赤なゼリー」が今でも使われていました。10年前、トマトゼリーとして一番有名なのが「もりもと」だったようです。
10年前に買ったのはカップタイプでした。今も同じものが売られていましたが、その時はこのカップタイプだけだったと思います。
10年前の旅行先は洞爺湖周辺でした。その時の記事が下記です。着色文字をクリックすると記事を表示します。写真をクリックすると拡大します。
サッポロビール園
突然噴火した西山火口群
洞爺湖名物 石焼玉子
この花は ?
窓からの景色 洞爺湖
洞爺湖の花火
北海道の桜
麦畑の中に突然出来た山 昭和新山
ザ・ウィンザーホテル洞爺
10年が経っており同時に食べていないので正確な味の違いは分かりませんが、同じようにな食感で味わいも同じ感じでした。
沢山の種類のどら焼 [土産]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
北海道旅行で長男の家に泊めてもらった翌朝に、朝食用のパンを皆で買いに行きました。パンを買ったお店morimotoには焼きたてパンだけでなくお土産用のスイーツも沢山売られていました。
そのスイーツの中で気になったのが沢山の種類のどら焼でした。そこですべての種類を1つづ買いました。買ったのは7種類で次の通りです。
左の4枚の写真は長男家族との1日限定15食の赤バフンウニ丼を目的にした北海道旅行の写真です。
C どら焼き きたろまん
M どら焼き 小豆
C どら焼き 大納言小豆
C どら焼き とら豆
M どら焼き 白まめ
C どら焼き 大正金時
C どら焼き 光黒大豆
M:morimotoオリジナル C:ホクレンとのコラボ
先ずは「どら焼き 白まめ」と「どら焼き きたろまん」です。「どら焼き きたろまん」の方はホクレンとのコラボのスイーツのようでした。調べた結果、共同で発売されたのは2015年6月15日でした。発売された6月16日は和菓子の日だそうです。ホクレンの正式名はホクレン農業協同組合連合会で、北海道の農協の連合会です。
見た目は「 白まめ」も「きたろまん」も変わりませんでした。2枚のカステラ風の生地で挟む方式は1914年創業の上野の和菓子屋「うさぎや」にて考案されて全国に広まったとされています。
断面を見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)です。上が「きたろまん」で下が「 白まめ」ですが、かなり美味しかったです。美味しさの秘密は豆の形をしっかり残した餡にあることがすぐに分かりました。豆の味が美味しく感じられました。「白まめ」の餡に使われているのは白いんげん豆の一種の大手亡豆(おおてぼうまめ)です。
次に食べたのは「どら焼き 大正金時」と「どら焼き とら豆」でした。こちらは両方ともホクレンとのコラボのどら焼きでした。
さっそく断面を紹介します。こちらも形のしっかり豆が沢山入っていまし。こちらも両方ともに美味しかったです。
どら焼きはドラえもんの大好物としても知られいます。ただしドラえもんの名前の起源はドラ焼きではなくドラ猫だそうです。
こちらが光黒大豆(ひかりくろだいず)です。見た目でも豆がしっかり確認できる見事などら焼きでした。こちらもホクレンとのコラボのスイーツです。これで5種類のどら焼きを紹介しましたが、残りの「どら焼き 小豆」と「どら焼き 大納言小豆」は娘が持って帰ったので紹介出来ませんでした。右の写真は餡の雰囲気を感じてもらいたくてネットから転用させていただきました。
ネット上の残りのコラボどら焼き4種類の写真も紹介します。
左上から大納言小豆、きたろまん、大正金時、とら豆です。
どら焼き(銅鑼焼き)の名前の由来は諸説がありますが、形が打楽器の一種の右の写真の銅鑼(どら)に似ていることが最も有力だそうです。そのほかの説も銅鑼で焼くなど、銅鑼に関係していることが多いそうです。地域や商品名によっては三笠焼き、三笠、三笠山(文明堂)とも呼ばれています。
どら焼きを買った「もりもと本店」を紹介します。千歳の町に用事がない限り、ここまでお土産を買いに行くのは大変ですが、千歳空港にもお店はあるようです。着色文字をクリックすると記事を紹介します。
もりもと本店 焼きたてパンと土産
住所 北海道千歳市千代田町4-12-1
最寄 JR千歳駅 徒歩490m
電話 0123-23-4181
営業 8:00~19:30
定休 無休
創業 1949年10月
味の一平 味噌ラーメン
うおはん 夕食用の食材の調達
新千歳空港 ランチとアイスクリーム
━━ JR北海道 長都駅→新千歳空港駅
ガスコンロを買い替えました。 [日々]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2017年10月9日にビルトインのガスコンロを取り換えました。先日洗濯機を取り換えた時のように壊れたわけではなく、問題もなく使えていたのですが、火災などのリスクを下げるために交換することにいたしました。上の写真が1993年8月7日から24年間使ってきたガスコンロです。コンロの下はガスオーブンです。交換することを決めたきっかけは鍋の空焚きでした。鍋が少し黒くなっただけで支障はなくその後も空焚きすることはありませんでしたが、もし油の入った鍋の火を消し忘れることがあったらと考えると、やはりリスク回避のために取り換えることにいたしました。ガスオーブンは温度コントロールやタイマーが付いているため安全上に問題ないと考えて、ガスコンロのみ交換することにいたしました。下記の既存の型番をお店に伝えて、見積をしてもらいネットなどと総合的に比較して、見積をしてもらったお店に注文いたしました。
交換前の既存設備
ガスコンロ Rinnai RBG-30B → 買い換え
ガスオーブン Rinnai RBR-50CD → そのまま使用
こちらが既存のコンロの上面です。このころの安全装置と言えば火が消えた時にガスが止まる程度です。
最近は交換する場合に電気にする人が多く、選択しては電気もあり得ました。実家は電気なので電磁コンロもよく使いましたが、使える鍋に制約が多い上に、ガスを使い慣れていると料理の種類によっては使いにくいこともよくありました。特に我家は底が丸い中華鍋をよく使うのですが、そこが丸い鍋は電磁コンロでは使えないことが選定の決め手となりました。
火を使うという点だけはガスはさけられないことですが、それ以外の安全装置はそん色ない感じでした。
取付工事は2017年10月9日の9時からでした。先ずは既存のガスコンロを取り外しました。ガス器具や家電などで、壊れていないのに買え換えるのは初めてで、忍びない気持ちになりましたが安全には代えられないと割り切りました。
新しいガスコンロをはめ込みました。ガスオーブンが下にあるため接続キット(RBO-DK-100SKN 定価:7400円/購入:5920円)の取付が必要でした。
全て取付完了いたしました。単体設置タイプとオーブン設置タイプの違いは後ろの排気口の大きさです。オーブン設置タイプの排気口は横幅が長いのです。取替工事にジョイフル本田さんを利用させていただいたのは2015年10月18日のガス給湯器の交換以来でした。
機種 Rinnai DELICIA(デリシア) オーブン設置タイプ
型番 RHS31W22E3RC-STW
購入 ジョイフル本田リフォーム 八千代店
工事 ジョイフル本田リフォーム 八千代店
最近のコンロのトップ・プレートはガラスです。この機種にはドイツ・ショット社製の耐熱セラミックガラスが採用されていました。このトップ・プレートの幅は60cmと75cmがあります。75cmはお洒落なのですが、我家ではコンロ以外の作業スペースが減ってしまう方が痛手なので60cm幅を選定いたしました。ちなみに60cmでも75cmでもバーナーの配置寸法は同じです。
上の角度から撮ってトップ・プレートです。トッププレートの色はホワイトドットゴールドです。コンロのガス消費量は次の通りです。昔は左右の火力は違っていましたが今は左右ともに強力バーナーとなっています。強力バーナーは旧コンロの方がガスの消費量は高いけれども右の写真の旧強力バーナーに比べて、新しいコンロのバーナーはコンパクトになっていることから熱効率は高く実際の火力が劣ることはないと思われます。
新コンロ 旧コンロ
手前左 4.20KW 3.72KW
手前右 4.20KW 4.77KW
奥 1.27KW 1.28KW
コントロールパネルを開けた状態です。これでいろんな設定を行えます。こちらの写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
コンロの部分です。真ん中の棒状のものには「鍋なし検知機能」と「温度センサー」が付いています。その「鍋なし検知機能」によって手のそて口への引火を防ぐために手前の2つのコンロは鍋が置かれていないと点火しないようになっていました。温度センサーは温度コントロールするだけでなく安全のためのいろんな消化機能につかわれていました。
重なっていることもありますが安全に関わる機能をまとめると次の通りです。これらは特別な機能ではなく最近のガスコンロでは、ほとんどについている機能のようです。
コンロ消し忘れ消火機能 調理油過熱防止装置
中火点火機能 立消え安全装置
空焚き消火機能 焦げつき消火機能
鍋なし点火防止機能 着衣着火防止機能
高温消火機能 地震停止機能
グリル消し忘れ消火機能 点火ロック機能
点火確認表示 音声ガイド機能
こちらが奥の小バーナーです。手前の大きなバーナーは着衣着火防止のため鍋がないと1分で消火されてしまうのですが、この小バーナーだけは鍋がない状態で使うことが出来るので銀杏を焼いたりゴマを焙ったり出来ます。ただしアミを炎に近づけると温度センサーが働いて炎を小さくしたり消火してしまうので、かなり離して焙る必要があるために時間を要しました。
新しいコンロの最初の夕食の料理風景です。左側でジャガイモを料理して、右でホワイトソースを作っています。
古いコンロの火は外側に広がっていましたが、新しいコンロは中央に集中していることから熱効率がよさそうです。古いコンロは鍋の外側が強く過熱される傾向がありましたが、それも改善されているようでした。小さな鍋でも安心して火力を強く出来るようになりました。
出来上がったのは海老グラタンでした。新しいコンロにビールで乾杯いたしました。
最初に料理したのは当日の昼食でした。中華鍋で焼きそばを作りました。新しいコンロで唯一、気を使うのが鍋やフライパンを持ち上げることです。「鍋なし検知機能」によって鍋が離れると、先ずは弱火になり、1分以内に鍋がゴトクに戻らなければ火が消えるようになっているからです。ただし料理をしながら1分以上も鍋をゴトクから離すことはないと思われるので問題はなさそうです。
焼きそばを作っているところの写真です。
新しいガスコンロで作ったソース焼きそばです。豚肉がなかったので竹輪を使いました。ふりかけているのは四万十川の青のりです。野菜はキャベツ以外にニンジンとタマネギとシイタケを入れています。
こちらがグリルです。昔のグリルの火は上面だけでしたが、最近のグリル両面焼きのため、魚などをひっくり返す必要がないのです。これは新しいコンロを買った理由の一つでもあります。水が必要なくなったのもうれしいことです。少し燃料を使いますが、庫内で発生した煙やにおいをアフターバーナーで、においを99%、煙を81%焼き切るそうです。カタログにはスモークオフ機能と書かれていました。
新コンロ 旧コンロ
グリル部 1.89KW 1.92KW
アフターバーナー 0.63KW
今回の機種には付属品としてココットが付いていました。焼魚も出来るようなので、これで料理をするとグリル内の汚れも少なくて済みそうです。先ずは魚をココットと網の両方で焼いて比べて今後の料理方法を決めたいと思います。カタログの説明によると庫内の油汚れは99.9%カットだそうです。
ガスコンロを取り換えた翌日の夕食は秋刀魚の塩焼きにいたしました。グリルの庫内を汚したくなかったのでココットで焼くことにいたしました。グリルのオートメニューでココットを選択して、さらに焼魚を選んで焼きました。
焼き時間は17分と表示されて焼き始めまりココットで焼いていることを示すランプが付きました。17分は秋刀魚2匹を前提としていますが今回は4匹だったので、焼き具合を見て8分を追加いたしました。
ココットの中に焼けた秋刀魚が入っていることが分かると思います。この方法だと庫内はほとんど汚れないのです。
ココットの蓋を取りました。これが計25分焼いた状態です。焼き色はオーブンで焼いたような感じでした。見た目は網で焼いた方がいいと思いますが、汚れがないのでこれからも焼魚は網ではなくココットで焼いてしまうのではないかと感じました。ココットが付属しているのは汚れ防止が大きな目的の一つだと感じました。明日は鶏のモモ肉を焼く予定です。家内はハンバーグもココットで試してみるつもりだと言っていました。
一人当たり2匹を食べました。焼き色は強い焦げ目はありませんが、中までしっかり焼けて美味しかったです。これなら焼魚の見かけよりもグリルが汚れない方を優先しそうです。
もちろんビールをいただきました。
小松菜の煮びたしですが、熱効率が高く火力が強いためかシャキットした感じに仕上がりました。
鍋に伝わる火力に関して電磁コンロ(IHクッキングヒーター)とガスコンロを比較してみました。消費熱量はガスコンロが大きいけれども鍋に伝わる効率を考慮すれば、料理の火力には大きな差は無いようです。
ガスコンロは鍋の直径や底の形状に加えて火の大きさが鍋に伝わる効率に大きく影響します。今回のガスコンロのバーナーの径が小さくなったのは効率を上げるためだと感じました。
参考に発電のために燃料を使うとした場合の必要資源熱量を計算しました。
太陽光発電や風力発電や水力発電などの再生可能エネルギーのみで考えれば電磁コンロの必要資源熱量は0KWとなりますが、現在の日本の火力発電所(LNG+石油+石炭+原子力)からの電気供給割合は85.7%(2015年度)なので、発電x送電平均効率を42%と仮定して計算すると電磁コンロの必要資源熱量は6.12KW(=3.00÷0.42x0.857)となります。
消費熱量 熱効率 鍋に伝わる火力 必要資源熱量(参考)
電磁コンロ 3.00KW 80~90% 2.40~2.70KW 6.12KW
ガスコンロ 4.20KW 50~80% 2.10~3.36KW 4.20KW
3日目の夕食はココットを使って鶏のモモ肉を焼きました。味付は胡椒と塩だけです。
ココットの「とりもも焼」を選定いたしました。かなり大きな肉でした。
前日と同じようにオートで焼いた後に8分追加で焼きました。油はきっちりと、とれていました。
出来栄えはガスオーブンで焼いたのと遜色なかったです。皮は薄くパリパリの状態に焼けていました。
やはりビールを飲みたくなります。
北海道産のジャガイモを一箱(2.5kg)を298円で買ってきたので、そのジャガイモのスープも作ってもらいました。これ以外に山盛りサラダも出てきましたが、もも肉が大きかったので3品だけで十分なりょうがありました。じやがいもスープは、おかわりをいたしました。
3つの鍋を置いた状態も紹介します。この大・中・小は長年使ってきた鍋です。これらの鍋と蓋には共通の着脱可能な取手が付属しています。
今回の型番のカタログ内の写真です。カタログ名は次の通りです。クリックすると今回の型番が掲載されていた37ページ全体を表示します。
ビルトインシリーズ
総合カタログ 2017 Ⅲ
取替用タイプ
トップ・プレートの右上に貼られていた注意書きのシールが気になっていたので剥がしました。クリックすると特別に大きく拡大いたします。
ガラスのトップ・プレートに刻まれた文字を撮りました。
左にSCHOTT SCHOTT、右にCB185と刻まれていました。メーカーの説明によるとSCHOTT社のCERANの特徴は下記の通りです。
熱膨張率がほどんどゼロ
高温時の安定性と耐久性
高い機械的強度
750℃まで耐えうる耐熱衝撃性
周辺部がそれほど熱くならない低熱伝導性
最適のIR(赤外線)透過性
初めて「ちゃっかりPlus」を使ってみました。 ジェットスター [機内 CY]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
先日行った北海道・積丹の赤ばふんうにツアーの帰りはLCCのジェットスターを使いました。帰りの便に関してはお土産を買って帰ることから機内持ち込み手荷物の重量制限7kg以内に荷物の重量を入れるのは難しい上にフライトの変更がありうることから、その2つの条件を満たすオプショ「ちゃっかりPlus」を使ってみました。上の搭乗券の赤枠で囲っているStarter Plusが「ちゃっかりPlus」であることを示しています。ただし往の成田→千歳はオプションなしの最低料金のフライトにいたしました。
オプション料金は+2000円ですが、預ける荷物が10kgとフライト変更1回が無料になるのです。実際にフライトを変更することになったので今回の選択は大正解でした。普通は日時変更のためには3240円が必要です。
×でも*は追加料金で可
項目 | 最低料金 | フレックス | ちゃっかり | しっかり | |
Biz | Plus | Max | |||
追加料金 | +2000円 | +2000円 | +9100円 | ||
座席指定 * | × | 〇 | △ | ◎ | |
機内持込手荷物 | 7kg | 10kg | 7kg | 7kg | |
受託手荷物 * | × | × | 10kg | 30kg | |
JALマイル取得 | × | × | 〇 | 〇 | |
食事 | × | × | × | × | |
出発地・到着地変更 | × | 〇 | × | 〇 | |
日時変更手数料なし | × | 〇 | 〇 | 〇 | |
払戻し | × | 〇 | × | 〇 | |
機内飲み物500円 * | × | × | 〇 | 〇 | |
欠航・運休の見舞金 | × | × | 〇 | 〇 |
運賃 5190円 5190円
空港使用料など 380円 380円
ちゃっかりPlus 2000円 0円
ガード費用 500円 500円
合計 8070円 6070円 消費税込み
LCCで荷物を預けるのも初めてでした。自動チェックイン機で搭乗券を発券すると下記の荷物タグが出てきます。このタグと荷物を荷物受託カウンターに持って行くと手続きをしてくれました。単独で 受託手荷物 を事前に申し込む場合は最低が15kgなのです。お土産を持って帰るだけなので「ちゃっかりPlus」の10kgの選定は丁度良い感じでした。
15kg:1200円 20kg:1400円 25kg:1700円
30kg:2200円 35kg:2500円 40kg:2800円
新千歳空港ではジェットスター専用の出発口(Fゲート)になっていて安全検査の前に機内手荷物の重量チェックがありました。重量が7㎏を越えていると荷物を預けて料金を徴収されるところでした。今回は「ちゃっかりPlus」にしていてよかったです。
ジェットスターのカウンターと専用出発口と19番搭乗口の位置関係が分かるマップです。クリックすると建物全体のマップを表示します。
こちらが19番搭乗口です。
搭乗して窓の外を見るとLCCの飛行機が2機ほど見えました。手前がスカイマーク(SKY)で、奥がフジドリームエアラインズ(FDA)です。FDAは所有している11機の機体の塗装色が全て違うのが特徴です。
1号機からドリームレッド、ライトブルー、ピンク、グリーン、オレンジ、パープル、イエロー、ティーグリーン、ゴールド、シルバー、グリーン、です。右の写真の機体はオレンジ色だったので5号機です。
新千歳空港の離陸を動画で紹介します。離陸寸前から水平飛行になるまでの動画です。
LCCでは飲み物類は有料ですが、「ちゃっかりPlus」では500円の飲み物に関しては無料で出てくるので温かい日本茶を頼むと、下の写真のようにお湯とティーパックが出されました。
結構美味しいお茶でした。
窓の景色を見ながらゆっくりとフライトを楽しみました。
成田空港に近づくと霞ヶ浦が見えてきました。
着陸時の動画も紹介します。
オリジナルは着陸11分14秒前から撮った動画ですが、着陸寸前からに編集しております。機内放送が始まるのは頭から56秒後です。
オリジナルの動画(全14分22秒)→ポチッ
素焼きのガーリックセラー(Garlic Cellar) 高田焼 [話題]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
前記事ででステーキに関して記載しましたが、ステーキにはニンニクは必須ですね。
我家ではスライスしたニンニクを牛脂で焼いて、こんがりと焼けたところで、焼け具合に応じで一枚一枚取り出します。残った油でステーキを焼きます。
ステーキや餃子などにニンニクを使いますが、1個全て使い切ることはないので、どうしても残ります。その結果、干からびてカラカラになったり、置いた場所が分からなくなって無駄にしてしまうことがよくありました。最近は国産ニンニクも高価になったので無駄にするともったいないことです。
そこで家内が買ってきたのが下の写真のニンニク専用の容器、つまりニンニクストッカーです。検索してみると我々が買った小型は穴なしで、大型のものは右の写真のように穴があけらていました。
外形 ø80mm × H98mm
内寸 ø73mm × H73mm
容量 300cc
重量 272g
材質 素焼き陶器
製造 日本
書かれている文字が読めるように拡大いたしました。書かれている文字から調べてみると高田焼(美濃焼)のガーリックセラーでした。TERRACOTT(テラコッタ)は素焼きを表しています。GARLIC以外にSUGARやCOFFEEやSALTやTEAも売られていました。GARLICに関してはガーリックセラー(Garlic Cellar)と呼ばれていますが他は単にテラコッタ キャニスターと書かれていることから内面に釉薬でガラス質なっていて防湿機能があるのに対して、ニンニクに関しては素焼きの特徴を活かした保存容器であるようです。一番下に TAKATA MINO と書かれていることから岐阜県多治見市高田町周辺で作られている高田焼と思われます。窯元はCHUŌ POTTERYの文字から山丈・中央製陶有限会社のようです。高田焼(たかた焼)は美濃焼の一種だそうで高田陶磁器工業協同組合で生産される炻器土を原料としているそうです。高田焼の陶祖「加藤与左衛門景直公」が1616年に高田に窯を築いてから2017年で401年になるそうです。
TABLE WARE
TERRACOTTA GOODS
GARLIC
I deal for use everywhere
MADE BY
CHUŌ POTTERY
TAKATA MINO JAPAN
TERRACOTTA GOODS
GARLIC
I deal for use everywhere
MADE BY
CHUŌ POTTERY
TAKATA MINO JAPAN
下の写真のようにニンニクの欠片を入れておきます。素焼きで出来ているので適度な通気性と湿度が保たれるのだと思います。
ガーリックセラー(Garlic Cellar)と言っても、ワイン貯蔵室を示すワインセラー(wine Cellar)のように大げさなものではなく単なる入れ物です。我々の感覚では、和製英語のガーリックストッカー(Garlic Stocker)ですが、英国の会社はGarlic Cellarと呼んでいました。
このような素焼きの容器のオリジナルは英国のHenry Watson's Potteries Ltd.などによって作られていました。その会社では下記のように使い分けられていましたがセラー(Cellar)が使われていたのはニンニク(Garlic)だけでした。
紅茶 Tea Storage Jar Tea caniste
コーヒー Coffee Storage Jar Coffee caniste
砂糖 Sugar Storage Jar Sugar caniste
パン Bread Crock
道具 Utensil Jar
ニンニク Garlic Cellar
ビスケット Biscuit Jar
玉葱 Onion Keeper
マーマレード Marmalade jar
からし Mustard Pot
蜂蜜 Honey Jar
ハーブ・スパイス Herb/Spice Jar
高田焼(たかた焼)の窯元が多くある岐阜県多治見市高田町の場所を紹介します。地図内のプラスのアイコン( )を6回クリックすると高田町の境界線が分かると思います。隣の小名田町にも高田焼の窯元があります。
安いステーキ肉を美味しく食べる方法を試してみました。 [肉]
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ゴルフ仲間の人たちとの飲み会の時に安いステーキ肉を美味しく食べる方法を教えてもらったので、その方法を試してみることにいたしました。試してみて焼いたのが上のステーキです。
こちらが、今回使った米国産の100gが198円のステーキ肉です。先日、実家に帰った時にステーキにしたお肉の約10分の1なのでステーキ肉としては安いことは間違いないと思います。今回はその時に食べたステーキと比較するために分厚い肉を選定いたしました。
美味しくする方法はステーキ肉を油とタマネギに付け込んで1日寝かすことでした。先ずは油を入れました。叩いたりせずにそのまま付け込みました。使った油は普通のナタネ油です。銘柄は「さらさらキャノーラ油」でコレステロールはゼロだそうです。8.6%のオメガ-3系脂肪酸が含まれた油です。この時10月3日10時50分でした。
そしてタマネギを乗せました。効果に関しては聞いていなかったのでネットで調べてみると、すりおろした玉ねぎに肉を漬け込むと柔らかくなるとと書かれていたので柔らかくする効果がありそうです。油に関する記述でも油に漬け込むと、しっとり焼きあがると書かれていました。油に漬け込む方法はプロでもさいようしている方がいると書かれていました。
こちらが約24時間寝かした状態です。この状態からさらに約7時間40分寝かしました。
先ずは牛脂でスライスしたニンニクを焼きました。この時10月4日18時30分だったのでステーキ肉は31時間40分ほど寝かしたことになります。
ニンニクの香りが写った油でステーキ肉を焼きました。タマネギが写っていますがステーキ肉を焼くときは入れていませんでした。タマネキをそのまま捨ててしまうのはもったいないのでステーキが焼きあがる寸前にタマネギもステーキの隙間で焼きました。
ステーキが焼きあがったところでソースを手早くすくりました。ソースと言っても残った肉汁にウスターソースと赤ワインを入れて煮詰めるだけです。
こちらが出来上がステーキです。ソースは煮詰め方がすこし少なかったようです。事前に焼いたニンニクはステーキの上に乗せました。
上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。コリックするとさらに拡大いたします。
この日はソースに使った残りの赤ワインにいたしました。こちらも安いチリ産のワインですが意外と美味しかったです。
ポテトサラダ以外に生野菜のサラダも用意してもらえました。サラダが入っている器は私専用の笠間焼のサラダボールです。私がいつも沢山サラダを食べるのでいつの間にか私専用になってしまいました。笠間焼は江戸時代中期の安永年間(1770年代)に箱田村の名主久野半右衛門道延が、近江信楽の陶工長右衛門を招聘して窯を築き陶器を焼いたのが起こりとされています。のちに笠間藩主の仕法窯として保護され、甕・摺り鉢などの日用雑器が作られた陶器で、現在の茨城県笠間市周辺に約300人の陶芸作家や窯元があります。
中がピンク色で焼け具合も丁度良かったです。先日、宝塚の実家で食べた山垣畜産の特上ヘレ肉(ヒレ肉)のスーテーキには及びませんでしたが、確かに安いステーキ肉とは思えない美味しさになっていました。味のレベルを表現するならば「チェーン系列のレストランのステーキよりも美味しい場合もありうる」と言えばわかりやすいと思います。ただし、同じ肉を普通に焼いたステーキとは比べていないので、どれほどの違いなのか気になりました。
この次は油とタマネギに付け込んで寝かした肉と、そのまま焼いた肉を同時に焼いて比較したいと思います。
特上ヘレ肉のスーテーキの記事→ポチッ1 ポチッ2 ポチッ3
タグ:肉
もうミカンが出てくる季節になりました。 [話題]
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果物を買いにスーパーに行くと露地物の早生のミカンが並んでいたので、その中から2種類を買ってきました。2種類を買ってきたのは、まだまだ甘いミカンが少ないと思い、味を比べてみるためでした。左が静岡産のみかんで右が宮崎産のみかんです。宮崎産は日南1号という品種でした。いずれも今の時期に出てきていることから極早生温州に分類されるのだと思います。
極早生温州 9月~10月頃
宮本早生 日南1号 日南の姫 岩崎早生 崎久保早生 上野早生
ゆら早生 紀のゆらら
早生温州 10月~12月
青江早生 宮川早生 興津早生 田口早生 木村早生
中生温州 11月~12月頃
藤中温州 南柑20号 愛媛中生 向山温州 きゅうき 久能温州
瀬戸温州 盛田温州
普通温州 11月下旬~12月 遅い品種は晩生温州
青島温州 十万温州 大津四号 今村温州 紀の国温州 寿太郎温州
2016年度の日本のミカン収穫量の割合は次の通りです。中生温州は、早生温州と普通温州に含めて集計されているようです。
ハウス 21,100トン 2.62%
極早生温州 126,100トン 15.66%
早生温州 309,000トン 38.38%
普通温州 348,900トン 43.34%
合計 805,100トン
単にミカンと呼ぶことが多いのですが品種的には温州ミカン(ウンシュウミカン)です。温州ミカンの名前は中国浙江省の温州に由来していますが、単に中国浙江省の温州が柑橘類の名産地であったことにあやかって日本でつけられた名前です。 室町時代末期には温州橘と呼ばれ、江戸時代には温州蜜柑(うんしゅうみかん)や唐蜜柑と呼ばれたそうです。ただし原産地は中国浙江省の温州ではなく日本の不知火海沿岸が原産と推定されているそうです。鹿児島県出水郡長島町と書かれている記事もありました。英名のSatsumaやMikanからも日本を代表する柑橘類(ミカン属)であることを示しています。ちなみにオレンジやグレープフルーツや伊予柑やハッサクや柚子もミカン属(種の一つ上)です。金柑(キンカン)はミカン科キンカン属です。テレビを見ながら手で剥いて食べられることから、アメリカやカナダやオーストラリアではTV orangeの愛称があるそうです。
界 植物界 Plantae
門 被子植物門 Magnoliophyta
綱 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目 ムクロジ目 Sapindales
科 ミカン科 Rutaceae
属 ミカン属 Citrus
種 ウンシュウミカン Citrus unshiu
和名 温州蜜柑 温州みかん みかん
英名 Satsuma Mikan Citrus unshiu
2017年10月3日に同時に食べてみた結果は、宮崎産の日南1号の方があきらかに甘かったです。ただし果物の味は同じ場所や条件で大きく違うので、味の比較は一例に過ぎないと考えください。
日南一号は興津早生の枝変わりとして1978年に宮崎県日南市の野田明夫によって発見され、1989年に品種登録されたそうです。比較的樹勢が強く、じょうのう膜が軟らかいそうです。栽培が容易で糖度、酸度ともに安定しているため栽培が広がり、現在では極早生温州の中心品種となっているとのことでした。値段も静岡産が398円に対して日南一号は298円とお得でした。
断面も紹介します。左が静岡産で右が日南1号です。静岡産は皮は薄かったけれども、日南1号の方が甘かったです。
全国の2016年度の温州みかん収穫量のランキングは次の通りです。全国平均収穫量の19.4トン/haは1.94kg/㎡に相当します。地域によって収穫率は11.40トン/ha~23.83トン/haと、大きな差が見られます。
収穫量 面積 収穫率
1位 和歌山県 161,100トン(20.01%) 7,160ha 22.50トン/ha
2位 愛媛県 127,800トン(15.87%) 5,890ha 21.70トン/ha
3位 静岡県 121,300トン(15.07%) 5,260ha 23.06トン/ha
4位 熊本県 84,000トン(10.43%) 4,020ha 20.90トン/ha
5位 長崎県 50,200トン( 6.34%) 3,080ha 16.30トン/ha
6位 佐賀県 45,800トン( 5.69%) 2,370ha 19.32トン/ha
7位 愛知県 30,500トン( 3.79%) 1,280ha 23.83トン/ha
8位 広島県 24,100トン( 2.99%) 1,990ha 12.11トン/ha
9位 福岡県 20,300トン( 2.52%) 1,300ha 15.62トン/ha
10位 神奈川県 20,000トン( 2.48%) 1,190ha 16.81トン/ha
11位 三重県 19,800トン( 2.46%) 1,170ha 16.92トン/ha
12位 大分県 14,200トン( 1.76%) 722ha 19.67トン/ha
13位 大阪府 13,400トン( 1.66%) 720ha 18.61トン/ha
14位 香川県 13,000トン( 1.61%) 1,120ha 11.61トン/ha
15位 徳島県 12,900トン( 1.60%) 825ha 15.64トン/ha
16位 鹿児島県 10,900トン( 1.35%) 926ha 11.77トン/ha
17位 宮崎県 10,100トン( 1.25%) 651ha 15.51トン/ha
18位 山口県 8,180トン( 1.02%) 730ha 11.21トン/ha
19位 高知県 7,030トン( 0.87%) 338ha 20.80トン/ha
20位 兵庫県 2,030トン( 0.25%) 168ha 12.08トン/ha
21位 千葉県 1,140トン( 0.14%) 100ha 11.40トン/ha
その他 7,320トン( 0.91%) 490ha 14.94トン/ha
全国合計 805,100トン 41,500ha 19.40トン/ha
旅爺さんさんのコメントを参考に洗った後に8つに切って皮ごと食べてみました。皮が気になったので1つだけ皮ごと食べて、残りは皮を剥いて食べてしまいました。実に対して皮がもう少し薄いと全て皮ごと食べれたと思います。
セーヌ川クルーズ その3 [セーヌ川]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
今回の記事は8日間のフランス旅行の最後の記事(103番目)です。旅行自体でも下記のように最後に楽しんだのがセーヌ川クルーズでした。本記事の末尾に書いていますが、最初の記事から1年4ケ月間に書いた387の記事の中の26.6%にあたる103の記事が本フランス旅行に関するものでした。
上の写真は現在世界最高齢の117歳の喜界島(鹿児島県大島郡喜界町)の田島ナビさん(明治33年8月4日生まれ)と同じ1900年に誕生した鋼鉄製のドゥビリ橋と1889年に誕生した錬鉄製のエッフェル塔です。両方ともに1900年のパリ万博のために作られました。喜界島と言えばこちらの記事です。→ポチッ
1日目 JL415 到着 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
2日目 モンサンミッシェル オンフルール
3日目 モンサンミッシェル
4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
5日目 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
6日目 ロワールの城めぐり
7日目 オルセー美術館 サント・シャペル コンシェルジュリー 8日目 成田空港16時30分到着 17時50分帰宅
本記事では②その2の続きを紹介します。クルーズ乗降場( )を通り過ぎて下流側(西方向)に行き、クルーズ乗降場に戻ってくるまでです。ここの景色の中でで、エッフェル塔が重要な役目を果たしていました。
━━ セーヌ川クルーズ
セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
A~Y くぐった橋 潜った回数:36回(25橋)
ABCDEFGHIJKLMN OPQRSTUGFEDCBA VWXYYXWV
① その1 乗場から東方向の折り返し点まで ABCDEFGHIJKLMN
② その2 東折り返し点から乗場付近まで OPQRSTUGFEDCBA
③ その3 乗場付近から西方向 VWXYYXWV
④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。 J K P R
この出発地点から一旦は東の上流方向に行き、戻ってきたところがこの写真です。ここには入港せずにそのまま行き過ぎて西の下流方向に向かいました。停泊しているクルーズ船は185席のディナー船 Le Jean-Sébastien Moucheです。クリックして拡大するとテーブルが並んでいるのが分かると思います。
出発点を通り過ぎで下流側で最初に出会えた橋がアルマ橋(Le Pont de l'Alma)です。現在の橋は再建されたもので前身の橋は1854年から1856年にかけてガリエルの指揮の下で建設された3径間石造アーチ橋で、クリミア戦争のアルマの戦いにちなんで命名されたそうです。
橋名 アルマ橋(Le Pont de l'Alma)
形式 桁橋
材料 鋼鉄
全長 141m
幅 42m
建設 1970年~1974年
写真に写っているエッフェル塔はアルマ橋を含めて3つ先のイエナ橋のところにあります。ダイアナ妃が1997年に交通事故で亡くなったのはアルマ橋の右岸の地下トンネルの中です。3D航空写真→ポチッ1 トンネル内→ポチッ2
船の形は違いますが我々の船と同じ会社のクルーズ船とすれ違いました。クリックすると船首にBATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)の文字が読み取れると思います。バトー・ムーシュ社が所有しているクルーズ船のリストを紹介します。写真の船はLa Galioteで、我々の船はL'espoirと思われます。
遊覧船 | 屋外 | 屋内 | 合計 | |
L'espoir La Galére | 416席 | 286席 | 702席 | |
Le Coche d’eau | 699席 | 137席 | 836席 | |
La Galiote | 616席 | 227席 | 843席 | |
L’Hirondelle | 512席 | 624席 | 1136席 | |
Le Mulet Coureau | 726席 | 120席 | 846席 | |
La Flûte | 660席 | 256席 | 916席 | |
ディナー船 | 食事 | カクテル | 貸切 | |
Le Zouave de l’Alma | 140席 | 240席 | 可 | |
La Patache | 300席 | 400席 | 可 | |
Le Jean-Bruel | 300席 | 320席 | 可 | |
Le Jean-Sébastien Mouche | 185席 | |||
La Gabarre | 500席 | 600席 | 可 |
こちらが我々が乗ったL'espoir(レスポワール)です。レスポワールはBateaux Mouches社を代表する船だそうです。この船の写真はBateaux Mouches社のホームページおよびWikimediaから転用させていただきました。
たしかにWikipediaに掲載されていることからもBateaux Mouches社の代表クルーズ船だと感じました。写真はいずれも右方向が進行方向で、我々は進行方向の2階の最前列の席に座りました。
Bateaux Mouches社(Compagnie des Bateaux-Mouches)は1949年にジャン・ブリュエルによって設立されたそうです。設立時は下の写真の1900年のパリ万博当時の蒸気船が1隻あるだけだったそうです。現在は15隻を所有しているとのことでした。
この写真にはBateau-mouche sur la Seine vers 1900.と書かれていました。意味は「1900年頃のセーヌ川のバトー・ムーシュ」です。
19世紀後半のセーヌ川の蒸気船による観光の風景も紹介します。船だけでなく風景も違うので歴史を感じます。道路は車ではなく馬車が走っています。
いろんな形のクルーズ船を見かけました。
少し小型のクルーズ船も沢山走っていました。
アルマ橋をくぐる雰囲気を味わってください。私の座った位置から撮った写真です。
次の橋はドゥビリ橋です。この橋は1900年の万国博覧会のために一時的な橋として架けられました。そのために常に消滅の危機にありましたが1966年に歴史的建造物に指定され、今も使われるようになったそうです。
橋名 ドゥビリ橋(Passerelle Debilly)
形式 アーチ橋
材料 鋼鉄
全長 125m
幅 8m
建設 1899年~1900年
このあたりに来るとどこからでもエッフェル塔を見ることが出来ます。
橋をくぐる寸前の写真です。両方ともに鉄骨で出来ていることを感じさせられます。本写真を冒頭の写真にさせていただきました。
橋を潜るとエッフェル塔が大きく見えてきます。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
エッフェル塔(La tour Eiffel)の名前は、塔の設計及び建設者であるギュスターヴ・エッフェルに由来するそうです。
建設 1887年1月28日(起工式)~1889年3月30日(竣工)
高さ 324m(1,063 ft) アンテナ設置前は312.3m
材料 錬鉄
工費 650万フラン
エッフェル塔の先端部分です。左側の写真をクリックすると特別に大きく拡大いたします。
ドゥビリ橋の次はイエナ橋(Pont d'Iéna)です。エッフェル塔に最も近い橋です。イエナ橋を渡る道は真直ぐにエフェル塔の下をくぐってのびています。架けられた当初の橋の幅は19mでしたが1937年のパリ万国博覧会に合わせて35mに拡張されました。
橋名 イエナ橋(Pont d'Iéna)
形式 アーチ橋
材料 石
全長 155m
幅 35m
建設 1808年~1814年
初めてパリに来た時にイエナ橋とエッフェル塔の位置関係が分かりやすい写真を撮っていました。エッフェル塔の手前がイエナ橋です。その時の記事のタイトルは「エッフェル塔の下でのアクロバット走行」でした。→ポチッ
フランスはヨーロッパの中でも訪れたのが一番遅かった国ですが、それでも今回の訪問が8回目となりました。
台湾 1988年 37回 初めて行った国
ドイツ 1992年 10回 2番目に行った国
アメリカ 1992年 18回 3番目に行った国
インド 1992年 13回 4番目に行った国
中国 1994年 103回 6番目に行った国 最多訪問国
ベトナム 1998年 16回 8番目に行った国
韓国 2000年 16回 12番目に行った国
フランス 2005年 8回 17番目に行った国
ウクライナ 2011年 1回 30番目に行った国
イエナ橋をくぐっている写真です。次の橋は特殊な構造のビラケム橋です。沢山の船が行き来していました。
イエナ橋を潜ってすぐに撮ったイエナ橋とエッフェル塔の写真です。この写真でもイエナ橋のすぐそばにエッフェル塔が建っていることが分かってもらえると思います。3Dでエッフェル塔とイエナ橋の関係を示します。→ポチッ
ビラケム橋は2階建て橋です。1階が歩行者と自動車用で、2階には鉄道が通っています。鉄道はメトロ6号線です。この橋は建設当初はパッシー橋(Pont de Passy)と呼ばれていましたが、第二次世界大戦でエジプトでのビル・アケムの戦い(1942年~1943年)を記念してビラケム橋に改名されたそうです。
橋名 ビラケム橋(Le Pont de Bir-Hakeim)
形式 アーチ橋
材料 鋼鉄
全長 237m
幅 24.7m(下層) 7.3m(上層)
建設 1903年~1905年
ちょうど電車が通るところに出会えました。この写真もクリックすると特別に拡大するように設定いたしました。ビラケム橋は映画にも登場します。
1960年 地下鉄のザジ
1972年 ラストタンゴ・イン・パリ
2010年 のだめカンタービレ最終楽章後編
2010年 インセプション
振り返った景色です。ビラケム橋の上を走る電車から見えるエッフェル塔はすばらしいと想像して今います。
さすが地下鉄です。また電車が通る写真を撮ることが出来ました。こちらもクリックすると特別にかくだいいたします。
驚いたことに日本企業のCM映像にも登場するほど有名な橋だったのです。
花王 ラビナス
明治製菓 Fran
鉄骨の足の部分は見事な鋳造の像で飾られていました。
あまりにも見事なので拡大いたしました。
橋をくぐるる写真です。頭の上のむき出しの鉄骨が印象的でした。
この場所でUターンしました。我々の船が減速したので前を走っている船と離れました。遠くに見える橋はルエル橋(Pont Rouelle)です。ルエル橋は潜ることはありませんでしたが、詳細を記載いたします。ルエル橋は「白鳥の島」の白鳥の遊歩道(白鳥の小径)を跨ぎ左岸15区と右岸16区を結んでいる鉄道橋です。橋上を通っているのはRERのC線です。
右の写真はWikipediaに掲載されていた航空写真で一番下がビラケム橋で、その上がルエル橋です。
橋名 ルエル橋(Pont Rouelle)
形式 桁橋・アーチ橋
材料 鋼鉄
全長 173m
幅 20m
運用 1900年
船が回転(Uターン)している途中の写真です。船が横に向いてきているのが分かってもらえると思います。
完全に方向転換いたしました。これからビラケム橋を潜って(くぐって)出発場所に戻ります。
下流側の鋳造の像は上で紹介した上流側の像とは違っていましたが、こちらも見事でした。
鉄骨にはいろんな飾りが取り付けられていました。リベットが使われている鉄骨は美しく感じてしまいます。
ビラケム橋を潜っているところです。
下流側から見たイエナ橋です。
イエナ橋の横のクルーズ船の乗降場です。この辺りは不思議とクルーズ船の乗降場が沢山ありました。沢山のクルーズ船を見かけたの理由が分かりました。橋の隅に柱が建てられていて彫像が置かれているのが分かってもらえると思います。上流からは気が付きませんでした。
彫像を拡大しました。橋の完成から39年後の1853年に橋の四隅に4体の彫像が設置されたそうです。一般的に上流から見て右を右岸、左を左岸と呼ぶので、下流から撮った下の写真は左岸の彫像ということになります。つまりアラブの戦士とギリシャの戦士です。
右岸 ガリアの戦士 アントワーヌ・プレオー作
ローマの戦士 ルイ・ドーマ作
左岸 アラブの戦士 ジャン-ジャケ・フーシュレ作
ギリシャの戦士 フランソワ・デヴォー作
私が初めてパリに来た時に撮った写真の中にイエナ橋の4つの彫像が写っていました。写真の左方向がセーヌ川の上流なので手前側が右岸の彫像(ガリアの戦士とローマの戦士)になり、奥側が左岸の彫像(アラブの戦士とギリシャの戦士)になります。この写真は2005年12月3日に撮りました。
ジャン=フランソワ・ムーレが制作した皇帝の鷲(わし)の紋章も下流からだとはっきりわかりました。上流からだと逆光だったのです。
鷲の紋章をさらに拡大いたしました。
イエナ橋を下流側からくぐっている写真です。
イエナ橋をくぐるとドゥビリ橋が見えてきました。
ドゥビリ橋の周辺にもクルーズ船の乗降場が沢山ありました。
橋をくぐる寸前の写真です。橋の下からは次のアルマ橋が見えました。
左側には立派な建物が建っていました。おそらく住宅用に使われているものと思います。
アルマ橋の橋桁の下を通して我々のクルーズ船の乗降場が見えます。
アルマ橋を挟んでモーターゴムボートが高速で走り回っていました。これも観光用なのだと思います。Bateaux-Mouchesの乗降場にクルーズ船のLe Mulet Coureau、La Gabarre、Le Coche d’eau、Le Jean-Sébastien Moucheと、もう1船の5船が停泊していました。
アルマ橋を潜っている写真ですが我々の乗降場がはっきりと見えています。
乗降場に近づきました。
下りる準備で降り口に人が集まってきました。
これから出発する船には生徒たちが沢山乗っていました。先生らしい人も見られるので学校の行事で来ているのだと思います。
下り場に近づきました。
船から降りている人たちです。
沢山のバスが駐車していました。我々はホテルに戻るために地下鉄の駅を目指しました。
ホテルの近くオペラ地区に戻ってきました。この時17時7分でした。フライト時間(21時55分) まで4時間48分ありましたが、朝にホテルをチェックアウトした時にホテルに預けていた荷物をピックアップして、すぐにリムジンバスで空港に向かいました。
帰国のフライトはJL416でした。
空港ではたっぷり時間があったのでラウンジでワインを飲みながらゆっくりすごしました。
当日21:55 シャルルドゴール空港出発
翌日16:30 成田空港到着
フランス旅行の記事は、本記事をもって終了いたします。8日間の旅行でしたが下記のように103の記事を書くことが出来ました。私にとって新鮮なことが多かったからだと思います。別の記事を書きながらのため103の記事を書き終えるのに1年4ケ月を要しました。フランス旅行の最初の記事を書いてから387の記事を掲載したことから26.6%(=103÷387)がフランス旅行の記事だったわけです。時間はかかりましたが1週間旅をすれば約100の記事が書けることが証明されました。着色文字をクリックすると、その記事群を表示します。
区分 記事数
モンサンミッシェル 21
オンフルール 3
ロワール城めぐり 13
ルーブル美術館 9
ヴェルサイユ宮殿 19
オルセー美術館 7
セーヌ川クルーズ 4
パリのレストラン 8
その他のパリの記事 12
フライト 行き 帰り 3
土産 その他 4
合計 103
セーヌ川クルーズ その2 [セーヌ川]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
━━ セーヌ川クルーズ
セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
泊まったホテル
A~Y くぐった橋
フランス旅行の最終日(7日目)の最後の観光は、BATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)でのセーヌ川クルーズでした。そのセーヌ川クルーズを4つ分けて紹介しておりますが、すでに①その1と④特別編は掲載させていただきました。今回の②その2では上の地図の右端(上流側)から乗場の位置( )まで戻ってくるルートの景色を紹介したいと思います。
① その1 乗場から東方向の折り返し点まで ABCDEFGHIJKLMN
② その2 東折り返し点から乗場付近まで OPQRSTUGFEDCBA
③ その3 乗場付近から西方向 VWXYYXWV
④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。 J K P R
この場所でクルーズ船がUターンいたしました。見えている橋は①その1の記事の最後に紹介したオステルリッツ橋です。
橋名 オステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)
形式 アーチ橋
材料 煉瓦
全長 173.8m
幅 30m
建設 1801年~1805年 1854年 1884年~1885年
こちらUターンした後の写真です。川が左右に分かれているように見えますが、セーヌ川の真ん中に中州があるためです。見えている中州の名前はサン=ルイ島です。その奥にシテ島があります。左右に形の違う橋がありますが、両方ともにシュリー橋でです。2つの橋はつながっいて一つの橋になっています。左側のシュリー橋をくぐってきて、右側のシュリー橋をくぐって戻りました。
こちらがくぐってきた左側のシュリー橋で、ノートルダム寺院(大聖堂)が見えます。
ここから右側のシュリー橋に向かいます。
こちらが戻るときにくぐったシュリー橋です。石の橋と鋳鉄製の橋の組み合わせでした。
橋名 シュリー橋(Pont de Sully)
形式 アーチ橋
材料 鋳鉄 石
全長 256m
幅 20m
建設 1874年~1876年
シュリー橋をくぐるっているところの橋です。左側にサン=ルイ島の護岸が見えてきました。
左にサン=ルイ島を見ながら曲がっていく石の橋が見えてきました。緑に囲まれた素敵な景色に出会いました。石の橋は382年前に作られたマリー橋(Pont Marie)です。サン=ルイ島の開発のために作られた橋で、開発を手がけたクリストフ・マリーにちなんで名前が付けられました。その時代の一大事業だったのだと思います。ポンヌフ(410年前建設)と並ぶ古い橋であることから1887年2月10日に歴史的記念建造物に指定されたそうです。
橋名 マリー橋(Pont Marie)
形式 アーチ橋
材料 石
全長 92m
幅 22m
建設 1614年~1635年
こちらのマリー橋は④特別編で紹介した笑顔で手を振ってもらえた橋の一つなのです。
近づくと沢山の人が手を振ってくれました。
恒例のマリー橋をくぐる写真を紹介します。次のルイ・フィリップ橋(Pont Louis-Philippe)が見えています。
ルイ・フィリップ橋も中州のサン・ルイ島を結ぶ橋です。この橋は再建された橋でオリジナルの橋は1833年に建設され、オルレアン朝のフランス国王であったルイ・フィリップが王座につくことになった「栄光の三日間」を祝うために、自ら名付けたそうです。その橋は1848年の2月革命で焼失し、新しく再建されたのが今の橋で、当初は改革橋と呼ばれていたそうです。
橋名 ルイ・フィリップ橋(Pont Louis-Philippe)
形式 アーチ橋
材料 石
全長 100m
幅 15.2m
建設 1860年~1862年
橋脚は4mの太さがあるそうです。橋脚に取り付けられている飾りはバラの丸い金属版を石製の木の枝が取り囲む装飾です。
装飾の部分を拡大いたしました。
ルイ・フィリップ橋をくぐる写真も掲載させていただきました。橋の下から次のアルコル橋が見えます。
サン=ルイ島のエリアからシテ島のエリアに入るとノートルダム寺院の尖塔がビルの上に見えます。
見えているのはアルコル橋(Pont d'Arcole)です。この橋が出来るまでの鉄の橋は鋳鉄が使われていましたが、初めて錬鉄が使われた橋でもありました。錬鉄が使われたこともあり橋脚のない構造が採用されたようです。
橋名 アルコル橋(Pont d'Arcole)
形式 アーチ橋
材料 錬鉄
全長 80m
建設 1854年~1856年
左側はシテ島ですが、パリの中心と結われるだけあって見事な建物が並んでいました。塔のある建物が建設当社はシテ城(王宮)でのちに監獄として使われてコンシェルジュリーです。その手前の立派な建物はGoogle地図では総合病院と書かれていました。その建物はホテルとなっているようです。
アルコル橋も手を振る人たちに出会えた橋でした。
アルコル橋をくぐる雰囲気も紹介します。次の橋はノートルダム橋です。
現在の橋は103年前の1914年に建設されたものですが、400年前後の橋があるパリの中ではアルコル橋は新しい方なのかもしれません。ところがノートルダム橋の場所はパリで最初に橋が架けられたところだそうです。その年代ははっきり判りませんでしたが橋の名前はグラン・ポン(大きな橋)とよばれていたそうです。その次に架けられた板橋は1131年前の886年であることが分かっていることから1131年を超える歴史的な橋の橋であることが分かりました。最初にノートルダム橋の名前が付いた橋が建設されたのは1443年だそうです。現在の橋の鋼鉄製の中央部分の支間長は60mです。左はまだして島で、塔のある建物がコンシェルジュリー(Conciergerie)で、その手前のドームのある建物がGreffe du Tribunal de commerce de Parisです。
橋名 ノートルダム橋(Pont Notre-Dame)
形式 アーチ橋
材料 鋼鉄・石
全長 105m
幅 16m
建設 1910年~1914年
橋に近づいてからは全体が撮れなかったので中央部分の写真を掲載しました。上の写真と合わせて全体を想像してみてください。
橋をくぐる写真を紹介します。次のシャンジュ橋の全景が撮れているのはこの写真になります。
シャンジュ橋を紹介します。シャンジュ橋と言えばコンシェルジュリーです。初代の橋は9世紀に建設されて、橋の上に彫金師、両替商が店を構えていたためシャンジュ橋と呼ばれるようになったそうです。
橋名 シャンジュ橋(Pont au Change)
形式 アーチ橋
材料 石
全長 103m
幅 30m
建設 1858年~1860年
100年前の1900年前後のセーヌ川の観光船の写真をネットから転用させていただきました。橋脚の装飾とアーチの形からシャンジュ橋と思われます。
Googleマップのストリートビューで上の約100年前の写真がシャンジュ橋であることを確認してみました。建物の形などから写真の橋がシャンジュ橋で、コンシェルジュリーのあたりから撮ったものであることが分かりました。
こちらがシャンジュ橋をくぐるときの写真です。
橋を抜けるとコンシェルジュリーが大きく見えてきました。
シテ島の横で最後の橋のポンヌフです。①その1の記事でシテ島の反対側のポンヌフを紹介しましたが、島を跨いだ1本の橋です。今から410年前に造られたパリで現存する最古の橋でもあります。この橋をがシテ島の最後の橋なので、この橋をくぐった後はその1で紹介したルートと同じところを反対方向に走ることになります。
ポンヌフのくくる寸前の写真です。
比してこちらがポンヌフているところの写真です。
ここからは①その1で通った橋です。見えている橋は手前から、ポンデザール(Pont des Arts)、カルーゼル橋(Pont du Carrousel)、ロワイヤル橋(Pont Royal)です。ロワイヤル橋の奥に見えている大きな建物はオルセー美術館です。
遠くにエッフェル塔が見える景色はパリを感じさせてくれます。
ポンデザール(Pont des Arts)に近づいてきました。バックの建物群は絵になります。
ポンデザールをくぐる写真です。
ポンデザールをくぐると次の橋が見えてきます。手前がカルーゼル橋(Pont du Carrousel)で奥の橋がロワイヤル橋(Pont Royal)です。
その1では下流側からくぐる写真を紹介しましたが、ここではカルーゼル橋を上流側からくぐる写真も紹介します。先に見えているのはロワイヤル橋(Pont Royal)です。
オルセー美術館をバックにしたロワイヤル橋(Pont Royal)です。①その1では右側にオルセー美術館が見えましたが、帰りは左に見ることが出来ます。
ロワイヤル橋をくぐるているところです。レオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)が見えます。
1900年のパリ万博万国博覧会の会場でもあったガラス張りのグラン・パレ(Grand Palais)をバックにしたレオポール・セダール・サンゴール橋です。その奥の橋はコンコルド橋(Pont de la Concorde)です。
レオポール・セダール・サンゴール橋は沢山の南京錠が取り付けられていることでも有名です。
レオポール・セダール・サンゴール橋をくぐった後の景色です。グラン・パレ(Grand Palais)も大きく見えてくるようになりました。
こちらがコンコルド橋(Pont de la Concorde)です。
コンコルド橋をくぐるとアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)が見えてきます。
エッフェル塔をバックにしたアレクサンドル3世橋です。
金色の像が乗った高さ17mの柱とセーヌ川の妖精(Les Nymphes de la Seine)と呼ばれている装飾の中間にエッフェルト塔が来た瞬間の写真です。
次のアンヴァリッド橋(Pont des Invalides)です。上流側から見ているので橋脚の部分の彫刻は「陸の勝利」です。下流側の彫刻「海の勝利」は①その1で紹介いたしました。
約100年前のアンヴァリッド橋も紹介します。
こちらが陸の勝利と呼ばれている彫刻です。クリックすると露出調整をした写真を表示します。
今回の記事での橋をくぐる最後の写真です。右に出発地点のバトー・ムーシュ乗降場が見えます。
潜っている橋はもちろんアンヴァリッド橋(Pont des Invalides)です。
出発地点に近づいてきました。
クルーズ船の出発地点ですが通り過ぎます。
この続きは、③その3で紹介します。