2008年サミットで話題になった ザ・ウィンザーホテル洞爺 [洞爺湖]
上の写真は2008年7月7日~7月9日の北海道洞爺湖サミットの会場となったザ・ウィンザーホテル洞爺です。現在のホテルの正式名はザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ (The Windsor Hotel TOYA Resort & Spa) です。前記事の「麦畑の中に突然出来た山 昭和新山」の中の地図でそのザ・ウィンザーホテルを紹介したのを機会に、そのホテルを紹介したいと思います。この時は、生憎(あいにく)の霧できれいな写真は撮りませんでしたが、雰囲気は伝えられると思います。写真は関係の深い外国の会社の人たちと一緒に1泊2日の北海道ツアーに来た時の写真です。我々は温泉が目的だったので洞爺湖温泉の湖畔の洞爺観光ホテルに泊まりましたが、ウィンザーホテルは一見の価値があると聞いたので、翌日に1泊2日のためにチャーターしたバスに乗って見に来ました。チャーターしたバスだからこそ、自由に行き先が決められたのでした。
偶然ですが、我々の飛行機が新千歳空港に着いた日には政府専用機が停まっていました。政府専用機の保管場所は千歳の自衛隊の基地だそうです。
空港にはポケモンジェットも停まっていました。
千歳空港に着き、チャーターしたバスで、最初に向かったのがサッポロービール園でした。こちらで沢山のビールを飲みながらジンギスカンをいただきました。人数は右の写真をクリックして皿を数えると判るように11名でした。
北海道に来たのは雪景色を見るのも目的の一つでした。私も記念写真を撮りました。一緒に旅行もしたこともあり、今でもつきあっており、その人たちの会社との合弁会社の発展にもつながりました。
その後に蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山が見える景色を楽しんだ後に洞爺湖に向かいました。
洞爺湖に到着した日は西山火口群などを見学して洞爺サンパレスに泊まりました。正式名は「洞爺サンパレスリゾート&スパ(Toya SunPalace Resort & Spa)」
その日の夕食は日本酒で宴会でした。
こちらは我々が泊まった洞爺湖の湖畔の洞爺サンパレスリゾート&スパ(Toya SunPalace Resort & Spa)のロビーからの早朝の景色です。目の前の洞爺湖は幻想的でした。
朝食の後に洞爺サンパレスを出発して、最初に昭和新山に向かいました。
昭和新山を見学した後にザ・ウィンザーホテル洞爺に向かいました。登っている途中のバスからの景色です。ホテルに近づいて驚いたことに、道に沢山のバスが並んでいたので我々のバスはホテルに近づけませんでした。したがって小雨の中をバスを降りて歩いてホテルまで行きました。人数は11名でしたが大型バスをチャーターしていたのでした。
こちらがホテルの玄関前です。中央が車寄せです。
こちらが車寄せの内部ですが、大型バスがUターン出来そうな広さに驚かされました。広いスペースには沢山のバスが入れるように作られていました。あまりにも沢山のバスが道路に停まっていたので、我々と同じように見学の人が多いのかと思いましたが、実はこのホテルに、1組だけで384人の団体の観光客の人が泊まっておられて、その人たちを迎えに来ていたバスの一団でした。驚く限りの光景でした。
韓国の団体の人はmetlifeと言う会社の社員旅行(または契約者旅行)だったのです。参考ですがmetlife(メットライフ)は1863年に設立したアメリカの生命保険会社で世界展開をしている会社です。最近、日本でもよく名前を聞きます。
我々がホテルに到着したのは9時14分でした。確かにホテルの中は韓国の人でいっぱいでした。サミットが洞爺湖で行われたことでアジアの各国の人に洞爺湖が注目を集めているようです。ネットの宿泊設備サイトであるトリップアドバイザーにおいて、サミットの翌年の2009年に日本国内1位になるなど、このホテルも注目を集めているのかもしれません。
右下のような、韓国の384人の団体の人のチェックアウト(체크아웃)などが書かれた出発スケジュールが張り出されていました。
3つのグループに分かれていました。他のお客さんの対応もあり、朝食やチェックアウト時間を考えるこのような計画になるのかもしれません。
チェックアウト 7:00 8:00 9:00
出発 8:00 9:30 10:00
洞爺湖から見たザ・ウィンザーホテル洞爺です。ホテルは標高624.8mのポロモイ山の山頂に建っています。洞爺湖の湖面海抜84mなので湖面との標高差は約541mになります。このホテルは倒産から見事にトップホテルに再生したことでも有名です。写真をクリックすると湖に写るホテルの景観を表示します。
名前 ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ
英名 The Windsor Hotel TOYA Resort & Spa
住所 北海道虻田郡洞爺湖町清水336
電話 0142-73-1111
前身 ホテルエイペックス洞爺 1993年 開業 総工費 665億円
沿革 ザ・ウィンザーホテル洞爺 1997年 名前変更 1998年自己破産
売却 セコム傘下の会社が60億円で購入(2000年) エイペックス→セコム
投資 200億円を投じて改修(2001年)
開業 2002年6月1日(セコム傘下) 2014年 セコム→明治海運(現所有者)
階数 地下1階~地上11階 部屋:336室
延床 63,806 m² 敷地:28,474 m²
ロビーの、こちらの窓からは洞爺湖全体が見えます。この日は霧で霞んでいました。このあたりは昭和新山や有珠山や西山火口など水蒸気を上げている火山が沢山あるところでも有名です。天気が良ければ遠くには羊蹄山もきれいに見えるそうです。
その窓の標高625mからの洞爺湖の景色です。残念ながら霞んでいます。天気がよければすばらしかったと思います。有珠山山頂まで長時間歩けば733mから景色を見ることはできますが、洞爺湖を見下ろせる中で気楽に行ける場所としては一番高いと言えます。
625m ザ・ウィンザーホテル洞爺 1階
665m ザ・ウィンザーホテル洞爺 11階 標高は建物高さ50mからの推測
540m 有珠山ロープウェイ 山頂駅
573m 有珠火口原展望台 山頂駅から徒歩0.3km(10分)
531m 有珠山外輪山展望台 山頂駅から徒歩1.6km(47分)
733m 有珠山山頂(大有珠) 本格的登山
反対側からは太平洋に面した内浦湾が見えるはずですが、霧でなにも見えませんでした。こちらのホテルはレストランが充実していることで有名なようです。ミシュラン3つ星(最高ランク)レストランのMichel Brasの世界初の支店のミシェル・ブラス・トーヤ・ジャポンなど、確かにレベルの高いレストランが多数ありました。飲食店は12店もあるそうです。
フランス料理 ミシェル・ブラス・トーヤ・ジャポン
洋菓子 パティスリー&ショコラティエ「ミシェル・ブラン」
鉄板焼き アウト・オブ・アフリカ
ホテルダイニング ギリガンズアイランド
ピッツェリア ラ・ロカンダ・デル・ピットーレ
日本料理 あらし山・吉兆
鮨処 祥庵・こげ津
中華料理 チャイニーズキュイジーヌ「ラ・ヴート」
蕎麦処 端渓
ロビーラウンジ カフェゼット
バー ポロ バー
ブーランジュリー ウィンザー
ザ・ウィンザーホテル洞爺の場所を紹介します。空色マーク( )の場所です。
The Windsor Hotel 2008年 洞爺湖サミット開催場所
洞爺サンパレス(泊まったホテルの部屋の位置にプロット)
昭和新山
明治新山(四十三山) 有珠山 有珠新山 西山火口群
― 国道230号線(洞爺国道)からザ・ウィンザーホテル洞爺への登り道
話題のホテルを見学した後は昼食場所に向かいました。北海道は、ちょうど桜の季節でした。
北海道の景色見ながらバスで移動いたしました。
北海道のお土産を買うのも目的だったので空港近くのドライブインの道産市場で蟹づくしの昼食を食べました。タラバ蟹は一人に半身(1肩)なのでたっぷりありました。さらに、みそ汁にもタラバが1脚入っていました。食事の後、新千歳空港に行き、東京に戻りました。
北海道ツアーのお土産に、大きな毛蟹を2匹と
トマトのゼリーを買って帰りました。morimotoの太陽いっぱいの真っ赤なゼリー(FRUIT TOMATO JELLY)です。
今回の記事で紹介した場所が入るような縮尺にした地図です。
最後にザ・ウィンザーホテル洞爺を航空写真で紹介します。
今回の記事で使用したGoogleの3枚の画像である地形図と地図と航空写真は同じもので、表示方法(形式、中心座標、縮尺)を変えただけです。
麦畑の中に突然出来た山 昭和新山 ミマツダイヤグラム画像を追加しました。 [洞爺湖]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
本記事は2013年9月9日に掲載した過去記事ですが、今でもアクセスされています。昭和新山で検索すると100番以内でに出てくるので、文章記述のみで紹介していたミマツダイヤグラム(Mimatsu Diagram)の画像を追加などしてブラシュアップいたしました。ミマツダイヤグラムは1943年12月28日の活動開始から406.9mの昭和新山が誕生した1945年9月まで約600日間の過程をハンドトレスの手法で記録して一枚にまとめた「新山隆起図」です。ミマツダイヤグラムをアニメーションにした右上の画像は小さいけれども下に大きな画像で紹介しています。
洞爺湖には有珠山や昭和新山があります。さらに西山火口など水蒸気を上げている場所が100ケ所以上あるそうです。その中で迫力があるのが昭和新山です。昭和新山は1943年12月から1945年9月までの2年間に17回の活発な火山活動で畑の中から出来た山(溶岩ドーム)だそうです。標高398mです。
噴煙が上がっている部分を拡大いたしました。クリックすると噴煙が出ている部分の全景を表示します。
別の角度からの昭和新山です。
噴火当時は太平洋戦争中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかったそうです。有珠郡壮瞥町の壮瞥郵便局長であった三松正夫(みまつ まさお)は、その成長の詳細な観察記録を作製しました。これは後年、ミマツダイヤグラムと名付けられ、貴重な資料となったのでした。また、三松さんは世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、民家から山になってしまった土地の買い取りを行いました。このため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地内にある火山です。1951年(昭和26年)、国の天然記念物に指定され、1957年(昭和32年)には特別天然記念物に指定されました。
昭和新山を見つめるように三松正夫の銅像が立っていました。三松正夫(1888年7月9日~1977年12月8日)は、1910年(明治43年)の明治新山(四十三山)が噴火・誕生したした22歳の時に、現地調査に訪れた火山学者・大森房吉の案内役を務めました。それをきっかけに、火山学への造詣を深めることになりました。
三松正夫が55歳の1943年(昭和18年)には有珠山麓の麦畑から突如として活動を開始した昭和新山の定点観測を続けました。その手法は地震の回数を皿に置いた豆で記録、台に顎を乗せ視点を固定し、水平に張った糸で日々の形状の変化を計測するという独創的なハンドトレスの手法で作成されたそうです。 その図か、すでに説明させてもらった世界でも貴重なミマツダイヤグラムとよばれている火山活動記録なのです。 その後、荒廃から守るために1946年(昭和21年)に私財を投じて昭和新山を土地ごと購入し天然記念物への申請などの保護に努めたアマチュア火山研究家です。1977年(昭和52年)生涯3度目となる有珠山噴火を目の当たりにしながら89年の生涯を終えた方でもあるのです。右の写真(Wikimediaから拝借)は1993年12月に建てられた三松正夫記念館です。
道路を挟んで有珠山もそびえています。有珠山にはロープウェイが登っていました。
洞爺湖の対岸からの写真も紹介します。有珠山や西山火口群との関係が判ってもらえると思います。一枚では全体が撮れなかったので2枚の写真を合成しました。クリックすると大きな写真を表示するので昭和新山や西山火口群がよくわかると思います。2枚を撮影した位置は少し違うので下の草の色は違います。
噴火活動の推移とミマツダイアグラムを紹介します。
--- 噴火活動の推移 ---
1943年12月28日 午後7時、壮瞥町周辺で最初の有感地震1944年01月04日 フカバ集落の湧水の温度が20℃から43℃に上昇
1944年01月05日 洞爺湖に巨大な渦巻きが発生 レールの隆起で胆振線が不通
1944年2月~5月 フカバ集落、柳原集落、東九万坪、西九万坪一帯で隆起活動
柳原では前年比で31mも隆起
1944年06月21日 壮瞥川が、川底の隆起によって氾濫
1944年06月23日 午前8時15分、東九万坪台地より第1次大噴火 第1火口形成
1944年06月27日 午前6時、第2次大噴火 第2火口形成
1944年07月02日 午前0時ころ、第3次大噴火 第3火口形成
1944年07月03日 午前8時30分、第4次大噴火 室蘭、登別方面に降灰
1944年07月11日 午前10時40分、第5次大噴火 強風で噴煙が洞爺湖畔を襲う
1944年07月13日 午後6時10分、第6次大噴火 第4火口形成
1944年07月15日 午後9時、第7次大噴火
1944年07月24日 午前5時、第8次大噴火
1944年07月25日 午前5時10分、第9次大噴火
1944年07月29日 午後2時20分、第10次大噴火 亜硫酸ガス噴出で山林が荒廃
1944年08月01日 午後11時55分、第11次大噴火 室蘭方面に降灰
1944年08月04日 午後10時、第12次大噴火
1944年08月20日 午前6時、中噴火。第5火口形成
1944年08月26日 午後2時20分、第13次大噴火 幼児1名が火山灰で窒息死
1944年09月08日 午後4時15分、第14次大噴火 火山弾で5戸全半焼
1944年09月16日 中爆発。第6火口形成
1944年10月01日 午前0時30分、第15次大噴火 第7火口形成
1944年10月16日 午後7時50分、第16次大噴火
1944年10月30日 午後9時30分、第17次大噴火 降灰を伴う噴火は収束
1944年12月 このころ、溶岩ドームの推上が始まる
1945年01月10日 溶岩ドームの高さ、地表より10~20m
1945年02月11日 溶岩ドームは高さ40~50mに成長
1945年02月26日 溶岩ドーム主塔の脇に、副塔が確認される
1945年05月 主塔の高さ85mに達する
1945年08月15日 太平洋戦争終戦(参考)
1945年09月20日 全活動停止。溶岩ドーム主塔の高さ175m 標高398m
ミマツダイヤグラム(Mimatsu Diagram)をアニメーションGIFで紹介します。1日を0.01秒で表示しています。つまり実際の864万倍速(=3600×24÷0.01)で表示させていることになります。線の間隔が広いところは起伏が大きいことを示しています。
下記の絵のように目線が一定になるように顎を載せる台を固定し,水平にテグス糸(━━)を張って基準としたそうです。詳しい説明はこちらです。→ポチッ
こちらは噴火活動中の1944年10月の国土交通省の国土画像情報の航空写真です。戦時下ですが航空写真を撮っていたようです。
噴火活動中および活動停止直後の昭和新山の写真です。高い位置からの写真は有珠山から撮ったものです。断面構造図の中のデイサイトは内部から上がってきた粘性高いマグマ(デイサイト質マグマ)が冷えて固まった火成岩です。デイサイトもいろんな種類がありますが、昭和新山のデイサイトは石英安山岩だそうです。右下の断面構造図はクリックすると拡大します。
1944年7月11日 1944年9月20日
1946年(活動停止直後) 昭和新山断面構造図
昭和新山に来たのは2回目でしたが、こちらは初めて1979年に北海道旅行に行ったときの昭和新山の写真です。初めて昭和新山に来てから38年が経ちました。
周辺地域の地形図で昭和新山の場所を紹介いたします。
昭和新山
明治新山(四十三山) 有珠山 有珠新山 西山火口群
洞爺湖温泉
The Windsor Hotel 2008年 洞爺湖サミット開催場所
2017年4月11日 閲覧数 6,858 nice 106 CMT 22
北海道の桜 [洞爺湖]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
上の写真は以前に北海道に行ったとき撮った北海道の5月13日の桜です。北海道の洞爺湖に一泊で行ったときに撮りました。この時、北海道の桜は満開でした。洞爺湖温泉と言えば16年前の噴火を思い出します。2000年3月31日13時07分に有珠山西側西山山麓殻で噴火しました。
洞爺湖湖畔の桜です。夜は花火もやっていました。
展望台から撮った洞爺湖の写真にも桜が写っていました。
洞爺湖の花火 [洞爺湖]
窓からの景色 洞爺湖 [洞爺湖]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
洞爺湖温泉のホテル(洞爺サンパレス)の窓からの景色です。前日の花火はこの窓からの写真です。洞爺湖温泉は13年前の噴火が有名ですね。
湖畔からの朝の景色です。北方向を撮っています。羊蹄山(エゾ富士)の右側(東方向)から太陽が少しあたっています。この日は我々のところには太陽の日は一度もあたりませんでした。洞爺湖では2008年にサミットが開かれたこともあり外人の人も沢山こられていました。
上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックの面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
洞爺湖がよく見える展望台にバスを停めてもらい撮らしてもらった景色です。残念ながら曇りでした。衛星写真で昭和新山の東側の200mの台地の端と弁天島の右端を通る赤色ラインから展望台の名前はサイロ展望台と判りました。湖に浮かぶ4つの島は中島(ポロシリ)、観音島(カムイチセモシリ)、弁天島(トプモシリ)、饅頭島(ポンモシリ)です。
上の写真と同じサイロ展望台からの写真です。2枚の写真で、やっと洞爺湖の全景が判りました。洞爺湖温泉の場所もわかってもらえると思います。上の写真は、こちらの左側の部分に相当します。
この時は桜も咲いていました。時期は5月13日でした。
こちらは1979年に北海道旅行に行ったときの洞爺湖の写真です。この時は一眼レフと二眼レフのカメラを持って行きました。
大観望と呼ばれる展望台から撮った5枚の写真をつないでパノラマ写真を作りました。初めて北海道に行ってから34年がたったわけです。自然は変わりませんが、この中には2000年に噴火した西山火口群はありません。クリックすると拡大します。この写真は是非ともクリックしてもらいたいです。
衛星写真で洞爺湖を紹介します。典型的なカルデラ湖であることが判ってもらえると思います。
島の位置や有珠山と昭和新山の位置関係から衛星写真内の青色マーク( )の付近に1979年に洞爺湖を撮影した大観望があったと思われます。Google地図で見る限り今は大観望は無いと思われます。空色マーク( )は、今回、洞爺湖を撮影したサイロ展望台です。
位置を特定するのにGoogle地図に登録された写真も参考になりました。
緑色マーク( )が洞爺湖温泉の泊まったホテルの位置です。黄色のラインは泊まったホテル(洞爺サンパレス)から見た羊蹄山(エゾ富士)の方向です。
より大きな地図で洞爺湖 を表示
1979年に撮影した展望台の位置と今回撮影した展望台の位置を特定出来た位置関係を紹介します。上の航空写真の赤のラインで確定しました。今回撮影 大観望から1979年撮影
この花は ? [洞爺湖]
洞爺湖のすぐそばの昭和新山で咲いていた花です。
つつじ科の植物であることは間違いありませんが名前はわかりません。葉っぱの感じや花がまとまっているところは石楠花(しゃくなげ)に似ています。石楠花と言えば黄龍の標高3230mで咲いていた純白の石楠花を思い出します。写真はクリックすると拡大します。
洞爺湖名物 石焼玉子 [洞爺湖]
お土産屋さんでひと際、目を引いたのが上の石焼玉子!
場所は洞爺湖温泉のすぐそばにある西山火口です。ここは7年前の噴火当時のままになっている場所でした。
石焼玉子は人気みたいです。追加の窯にも沢山玉子が並べられていました。
石焼玉子があれば当然、石焼芋(さつまいも & じゃがいも)もありました。石焼玉子に比べて石焼芋はさびしいです。売れたからないのかな。
13年前に突然噴火 洞爺湖温泉 [洞爺湖]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
箱根火山や阿蘇山を紹介したので、洞爺湖温泉の傍の火口群を紹介します。
ここは洞爺湖のそばの西山火口群と呼ばれている場所です。火山の火口が突然に噴火することがありますが、火口もなく人が普通に暮らしている場所が突然噴火したのがこの場所なのです。今から13年前のことですがテレビで中継されていたことや洞爺湖温泉が閉鎖ことは今でも克明に記憶に残っています。ここは昭和新山や有珠山の近くでもあります。
見学の日の晩に復活した洞爺湖温泉に泊まりました。噴火の時はテレビに釘付けだったことを覚えていますが、旅館街の傍で噴火が起きたことに改めて驚かされました。
火口です。ここにも家の残骸がありました。犠牲者のことが気になってネット で調べると、事前の避難によって犠牲者が0だったそうです。本当に良かったです。見学も気持ちよく出来ます。
枠内がネットでの記載内容です。
2000年3月末火山性地震急増、この時点までは観光宿泊客はまだ温泉に宿泊中。伊達市、虻田町、壮瞥町、豊浦町で災害対策本部設置。28日住民の自主避難開始。翌29日避難勧告発表、2114人犠牲者なし。一週間以内に噴火すると北大有珠火山観測所の岡田教授が断言し、避難活動が慌しくなる。この時点での記録として有感地震数628回
2000年3月31日午後1時07分有珠山西側西山山麓殻噴火。噴煙は高度3200メートルに達する。岡田教授の高度な予測と虻田町の対策のよさで犠牲者はなし。
枯れた木が当時の噴火のすごさを伝えてくらました。
火口から上がる水蒸気は迫力がありました。
断層で道路もずたずたになりました。
いたるところから水蒸気が上がっていました。 倒れた電柱や標識も印象的でした。
傾いた家や車が昔のままに残されています。
右上の町が洞爺湖の湖畔にある洞爺湖温泉です。緑色マークが泊まったホテルです。航空写真の下半分に2000年に突然に出現した西山火口群と呼ばれる沢山の火口が見れます。左下の赤マークあたりの火口群を散策して撮った写真を掲載させていただきました。詳しい位置はアジア航測株式会社の資料に記載されています。→ 地図-1 地図-2
洞爺湖の対岸のサイロ展望台からの写真を紹介します。
湖がカルデラ湖である洞爺湖です。赤色マークが今回紹介の西山火口群で緑色マークが洞爺湖温泉です。黄色の4つのマークが有珠山と明治新山(四十三山)と昭和新山と有珠新山です。昭和新山は半年前から有感地震などの予兆はありましたが1944年6月23日に平地が突然に噴火が開始して1945年9月20日に噴火が停止するまでの1年3ケ月で出来た新しい山です。有珠山が形成されたのは約2万年前と考えられていますが20世紀の100年間だけで4度もの噴火活動が観測されたことでも有名な火山で西山火口群の噴火は有珠山の噴火の一つとして数えられています。昭和新山も有珠山の側火山と数えられています。明治新山も有珠山の1910年の噴火活動によって形成された側火山です。有珠新山もの1977年-1978年の噴火で出来た側火山です。
より大きな地図で 洞爺湖 を表示
,ネットから拝借した2000年4月23日午前9時から11時の監視ヘリコプターからの写真を紹介します。写真はクリックすると拡大します。上の噴火時の6枚の写真は、場所が書かれたオリジナルの下記のサイトから選ばさせてもらいました。
左側の写真は掲載されていた記事では昭和新山と書かれていますが、洞爺湖の中島の見える角度から本写真は2000年3月31日から始まった有珠山の西山西麓での噴火と思われます。右側の写真は有珠山の西山西麓の噴煙と掲載されたものです。噴煙の形や周辺の景色から同じ場所からの噴煙とわかります。
がりさんの「日本にはどれだけの火山があるのだろう。」とのコメントで活火山の数を調べてみました。
2003年の気象庁報告書によると活火山とは過去一万年以内に噴火したことのある火山のことで、世界の活火山の数は1548で、日本の活火山の数は108です。Wikipediaによると2011年6月に2火山が追加され現在は110となっています。つまり世界の7%の火山が日本にあることになります。日本の陸地は世界の0.25%なので火山が格段に多いと言えます。
下記地図は2003年1月21日の気象庁の報道発表のPDFの地図をベースに2009年に内閣府で作られた地図です。110の活火山の中で火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山は37(=13+24)あるようです。110活火山の内訳は次の通りです。
13火山 100年 or 1万年活動度が特に高い活火山
36火山 100年 or 1万年活動度が高い活火山
38火山 100年 and 1万年活動度が低い活火山
2火山 データー不足