ミラノのナヴィリオ・グランデ運河(Naviglio Grande) [イタリア]
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2023年11月24日再掲載
タイトル:ミラノのナヴィリオ・グランデ運河(Naviglio Grande)
前記事「兵庫運河 第85回ハイク参加」で日本最大級の兵庫運河と日本一長い貞山運河を紹介したのを機会に、私が海外で見た運河の中で最も魅力的だったイタリアのミラノのナヴィリオ運河(Naviglio Grande)の13年前の過去記事をブラシュアップ(写真など18画面追加)して再掲載したいと思います。2010年09月09日 初掲載 全て 0
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2010年09月09日掲載
タイトル:ミラノのナヴィリオ・グランデ運河(Naviglio Grande)
観光客の人が、ほとんど来ない場所を紹介いたします。
以前にもNaviglio Grande(ナヴィリオ・グランデ運河/ナヴィリオ運河)に来たことがあるのですが、またナヴィリオ運河にやってきました。Grande(グランデ)は大きいと言う意味で運河の意味がないけれども、Naviglioは固有名詞ですが運河の意味も含まれているようなので、Naviglio Grandeの日本語訳はナヴィリオ・グランデ運河あるいはナヴィリオ運河としました。理にかなった日本語訳のグランデ運河と表現しているサイトもありました。グランデ運河と表現するとベネチアの運河のカナル・グランデ(Canal Grande)と間違われる可能性があります。Canalの日本語訳は運河です。冬と違い、天気もいいので景色も映えます。
以前にも来た冬の時(12月)の空の色とは対象的です。ヨーロッパを旅行をする時期の参考にしてください。今回は6月でした。
水底を撮るのは難しです。いかがでしょうか。水の深さは1mくらいでしょうか。右の写真の教会の影が水面に映っています。冒頭の写真の中にも、右の教会が確認できると思います。教会の名前はChiesa Parrocchiale di Santa Maria delle Grazie al Naviglio(聖マリア・ナヴィリオ教会)です。探してみてください。
きれいな水の運河沿いの道はワンちゃんたちの散歩道でもありました。カメラを向けていると判ると、ちゃんとポーズをとってくれました。3枚の写真を6秒 or 12秒ごとに切り替えています。ミラノのワンちゃんたち→ポチッ
建物には花が飾られています。
ヨーロッパらしい明るい雰囲気です。
雰囲気を感じていただくために花が飾られた窓をアップしました。
橋は船が通れるように地面より高くなっているために階段を登って橋を渡るのです。
Wikipediaに掲載されていたナヴィリオ・グランデ運河の昔の写真を紹介します。2枚目の写真のように1920年頃には水泳大会も行われていたようです。最初の写真には本記事の中の写真にある聖マリア・ナヴィリオ教会も写っています。
3つ前の記事「ミラノの路面電車」の中のこの写真はナヴィリオ・グランデ運河(Naviglio Grande)の終点のポルタ・ティチネーゼ・ドックの傍で撮った写真でした。
その場所のストリートビュー(SV)です。左の先がナヴィリオ・グランデ運河のミラノ側の終着地点であるドック(Porta Ticinese dock)です。
ここが長さ約50kmのナヴィリオ・グランデ運河のミラノ側の終着地点であるドック(Porta Ticinese dock)のストリートビュー(SV)です。もう一方の端(出発地点)はティチーノ川(Ticino river)との合流地点です。→SV
以前の冬(2005年12月8日)にグランデ・グランデ運河に来たときの写真も紹介いたします。つまりグランデ運河には2度も訪れました。この時も底が見えるほど水は透き通っています。以前は写真をクリックしても拡大しませんでしたが再掲載を機会に特別に拡大するようにいたしました。
魅力的な家もあります。El Brellinという名のレストランです。こちらも再掲載を機会に拡大するようにいたしました。
運河の横の教会です。名前はChiesa Parrocchiale di Santa Maria delle Grazie al Naviglio(聖マリア・ナヴィリオ教会)です。こちらの写真は再掲載で追加しました。
ミラノの中心から郊外に離れていく方向の写真です。こちらも再掲載を機会に掲載いたしました。
ここには郊外電車で来ました。 SV1 SV2
航空写真です。右上から左下への直線的な線がナヴィリオ運河(Naviglio Grande)です。ミラノ観光の定番のドゥオモ、スフォルツェスコ城、教会、中心部の街並み、ガッレリア( アーケード 、夜景 )、美術館などとはまた違った下町が味わいがある場所です。右下の地図の赤色ラインが運河です。
ポルタ・ティチネーゼ・ドック(Porta Ticinese dock)から南方向への運河があります。名前はNaviglio Paveseです。ミラノから東方向にはNaviglio Martesanaと言う名の運河もあります。さらに、右の地図の左端にはNaviglio Bereguardo(Naviglio di Bereguardo)があり、右上端にはNaviglio di Padernoと言う名の運河もあります。Naviglioが運河ならば、正確な翻訳ではグランデ運河、パヴェーゼ運河、マルテザーナ運河、ベレグアルド運河、パデルノ運河になるのかもしれません。パナマ運河は英語はPanama Canalですが、イタリア語ではCanal di Panama(Canal Panama)となるわけです。ちなみにイタリア語と近い言語のスペイン語ではCanal de Panamáです。
Wikipediaから郊外のNaviglio Grande(ナヴィリオ運河)の写真を転用させていただきました。そのWikipediaによりナヴィリオ運河は95年をかけて1272年に完成した古い運河であることが分かりました。
長さ 49.9 km 高低差 34m
着工 1177年 完成 1272年
始点 トルナベント近郊のティチーノ川
Ticino river near Tornavento
終点 ミラノのポルタ・ティチネーゼ・ドック
Porta Ticinese dock in Milan
ミラノのポルタ・ティチネーゼ・ドック(Porta Ticinese dock)からティチーノ川(Ticino rive)までのナヴィリオ運河(Naviglio Grande)の全体を紹介します。ミラノから西に伸びてさらに北のミラノ・マルペンサ国際空港近くまで行っている臙脂色ライン(━━)がナヴィリオ運河(Naviglio Grande)です。ティチーノ川の近くではVecchio Naviglio Grande(古いナヴィリオ運河)という表現もありました。運河沿いの道にはAlzaia Naviglio Grandeの名前も付いていました。Alzaiaは運河の船を曳く右の写真のような曳舟道(ひきふねみち)のことです。つまりナヴィーリオ運河・曳舟道と言う意味になるようです。右の写真は2頭の馬が船のマストの先端に結んだロープを曳いています。
ミラノの路面電車 [イタリア]
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イタリアのミラノ(Milano)には前記事「イタリア旅行最後の訪問地 ローマ」で紹介した家族旅行を含めて3回行っています。前記事の中で右のローマの路面電車の写真を紹介したので3回の訪問で撮ったミラノの路面電車の写真を全て紹介したいと思います。ただし、一番新しい写真でも2006年なので最新の情報ではありません。先ずは家族旅行の時に撮ったミラノの路面電車の写真6枚を紹介します。ミラノの路面電車は、このオレンジ色が使われていたようです。
細い道にも往復の線路が敷かれていました。
上の写真はこちらの写真から切り取りました。
立派な建物前を路面電車が走っている写真です。上で紹介の路面電車よりも古いタイプのようです。
上の写真はこちらの写真から切り取りました。
245年前の1778年8月3日に開館したスカラ座の前を路面電車が通っている写真でした。スカラ広場の真中にはレオナルド・ダ・ヴィンチ像があります。右の写真はスカラ座の内部です。
3両連結です。冒頭の路面電車と同じタイプと思われます。
ここから9枚の路面電車の写真は2005年12月に撮った写真です。この写真は私の撮った中では最も古い形式の路面電車です。頭に書かれている番号は1714です。番号が若いほど古い形式なのだと思います。ドアが両開きののようです。
こちらの番号は1742です。ドアは上と同じようです。
カラフルな路面電車もありました。番号は4724です。ドアの部分は広いです。
後ろの建物はミラノ中央駅です。
こちらも古いタイプの路面電車で番号は1521です。ミラノ中央駅は利用させていただいたし、見学もさせてさせてもらいました。日本と違ってホームには自由に入ることが出来ました。その時の写真が右上の2枚です。
オレンジ色だけでなくグリーの新しいタイプの路面電車も走っていました。ここはスフォルツェスコ城の前の広場です。オレンジ色の車体番号は1926のようですが2文字目の9はハッキリしません。グリーンの車両の方の車体番号は全く読み取れません。
上の写真はこちらの写真から切り取りました。デジタルカメラはまだまだ発展途上だったので、車体番号が読み取れないことをご理解いただきたいと思います。この場所のストリートビュー(SV)を紹介します。→SV1 SV2 SV3 SV4 SV5
新しいタイプの単独写真です。車体番号は7501です。5両連結(5車体連接車)の路面電車で先頭の部分が丸い形です。ネットで検索した範囲では7000形と7500形がありました。車体番号7514は見つけましたが、車体番号7500番台以上の車体番号を探した結果として7600形がありました。この路面電車は客室の床上高さが350 mmの段差がない100 %低床構造の車両です。名称はシリオ(Sirio)で、アンサルドブレーダ(イタリア)が1997年~2000年に開発して、日立製作所がアンサルドブレーダを2015年2月に買収して、日立レール(Hitachi Rail S.p.A.)が展開しているそうです。
右の写真(ホテルの入口と外観)のミラノ駅の近くの泊まったホテルの部屋から撮った写真です。車体番号は画像が不鮮明で確かではありませんが1744のように読み取れます。
こちらは1976とはっきり読み取れます。
ここから7枚の写真が2006年6月に撮った写真です。道路脇に線路が付けられたところもありました。遠くにオレンジ色の路面電車が見えます。形式は冒頭の路面電車と同じように見えます。
ここはスフォルツェスコ城の前の広場です。グリーンの車体で車体番号は7101です。上で紹介した同じグリーの車体番号7501の路面電車(右の写真)とは先頭部分の形が違います。新しい車両がどんどん投入されているようなので今はさらに新しいタイプを見ることが出来るのだと思います。
塔のような建物がスフォルツェスコ城です。冒頭で紹介した車体と同じかもしれません。
路面電車が沢山集まっているところがありました。ここだけは遠くに見えたので走って撮りに行きました。他の写真は歩いていて目に入ったものを撮っただけなのです。
やっぱり石畳が似合います。車体番号は4843です。
車体番号1899の古いタイプの路面電車の後ろに少し新しい冒頭の写真のタイプの路面電車が続いています。クリックして拡大するとさらに後ろに路面電車が続いているのが判ります。
繁華街が似合います。車体番号4905の路面電車です。上に出てきていないタイプのようです。沢山の人が利用されているのが感じていただけると思います。
イタリア旅行最後の訪問地 ローマ [イタリア]
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2023年10月28日正式掲載 タイトル : イタリア旅行最後の訪問地 ローマ
今から13年前に下書き状態(説明のない写真ばかり)の記事を間違えて公開してしまい、すぐに気が付いて下書きに戻したままの状態の記事を見つけたので、記事を完成させて公開させていただきます。短時間の公開の間にniceやコメントお頂いたので、取り合えでコメントの返事を書いて下書きに戻して、すぐに記事を完成させて公開するつもだったのが13年も経過しました。13年前にコメントしていただいたtarantiさん申し訳ありませんでした。
上の写真はイタリア旅行の最初の訪問場所のミラノです。
この時の旅行は私と家内と娘の3人でJTBのパック旅行を使いましたが、往復の飛行機はJALのマイレージを使わしてもらい3人分の航空券代90万円を値引きしてもらいました。さらにローマでは我々で事前に1泊ホテルを予約しておいて余分に1日楽しみました。ローマからはJALの直行便で成田に帰りました。もちろん来る時もミラノへの直行便でした。パックツアーでは往復ともにロンドン経由のBritish Airwaysでした。
この時のイタリアのパック旅行のルートを紹介します。そのイタリア旅行で13年前に掲載した記事も紹介します。記事のタイトルの後ろの数値は本記事の正式掲載時の閲覧数とnice!とコメント数です。
着色文字をクリックすると記事を表示します。
家族旅行の最初の訪問地は! 2,097 183 24
イタリアの自転車野郎 1,318 89 12
スフォルツェスコ城のお気に入りの光景 1,429 128 22
イタリアのお巡りさんのバイク 5,515 82 20
ジュリエッタの町 ベローナ 3,110 136 26
水のある景色 ベネチア 2,488 162 24
水のない景色 ベネチア 1,947 142 18
ベネチアのゴンドラ 3,075 130 28
フィレンツェ 3,568 175 42
ピサの斜塔 5,574 183 47
中世の町 シエナ 4,589 106 20
ローマの遺跡の中のネコちゃん 4,259 46 10 ホテル
イタリア旅行最後の訪問地 ローマ 7 3 2 訪問地
イタリア旅行は下のルートでバスで移動しました。ツアー人員は21人(2人X9組 3人X1組)で我々以外はすべた2人でした。下の画像をクリックすると文字が読める大きさに拡大します。画像内の赤丸(〇)はパックツアーに含まれている昼食および夕食です。朝食は全てホテルのビュッフェなのでパックツアーの中に含まれていることになります。
成田7/24 13:00発JL417 ⇒ 7/24 18:25ミラノ ⇒ 7/25ベローナ ⇒ 7/25ベネチア ⇒ 7/27フィレンツェ ⇒ 7/27ピサ ⇒ フィレンツェ ⇒ 7/28シエナ ⇒ 7/28ローマ 7/31 10:20発JL444 ⇒ 8/01 7:50着成田
2010年04月24日下書掲載 タイトル : イタリア旅行最後の訪問地 ローマ
このがコインを投げ入れることで有名なトレヴィの泉です。家族でのイタリア旅行の最後の訪問地はローマでした。そして、この場所(トレヴィの泉)で団体行動は終わり半日が自由行動となるのが今回のパックツアーでした。本来のツアーだとイタリア旅行が始まるミラノ到着は7月24日22時40分(BA574)に対して我々は7月24日18時25分着(JL417)で、ローマからの帰国では本来のツアーが7月30日8時10分発(BA551)に対して我々は翌日の7月31日10時20分発(JL444)でした。
トレヴィの泉の写真をさらに2枚紹介します。遠くから撮った写真です。沢山の人が来ているのが判っていただけると思います。
こちらは横から見たトレヴィの泉の写真です。この後、次のように地下鉄を利用していろんなところに行きました。
ローマ自由行動(トレヴィの泉) →地下鉄→ ヴァチカン美術館 →地下鉄→ ポポロ広場 →地下鉄→ カラカラ浴場 →地下鉄→ ホテル1(翌日) →地下鉄→ ホテル2→地下鉄→ いろんな場所
ローマは芸術と遺跡の街という印象でした。でも街を廻った中で生活が感じられるところが下の写真の露店でした。トレヴィの泉のすぐそばの小さな広場で野菜や果物を露店で売っていたので、つい撮ってしまいました。
上の写真をクリックすると特別に大きく拡大しますが、クリックの面倒な方のために野菜の部分を拡大しました。さすがイタリア、トマトや洋ナシなどの果物が美味しそうです。
計りも趣があるし、バイクのある風景も不思議にイタリアぽいです。大きなカボチャも雰囲気があります。
今回はパックツアーでしたが、旅行会社に無理を頼んで航空券は自前手配させてもらったのでローマではさらに1日ほど自分たちでホテルを取ったので本来は半日の自由時間であったものが、完全に1日半ほどフリーな時間が取れました。のんびりと好きな場所に行き、好きなレストランで食事が出来きていい経験になりました。ミラノでもみんなより早めに着いたので家族だけで散歩と食事を楽しむことが出来ました。ローマゆっくり出来た例として「色々の場所の泉の水に触れた結果、蜂の噴水(Fontana delle Api)の水が冷たい」とか!
さらに「ベンハーで有名となった戦車レース競技場跡を端から端まで歩いてみる」とか! ほんとうにゆっくりすることが出来ました。
人があまり行かない浴場跡も見てきました。
浴場跡の床は印象的でした。
さらに浴場跡の写真を2枚紹介します。クリックすると特別(面積で11倍)に大きく拡大します。
こちらもクリックすると特別(面積で11倍)に大きく拡大します。誰もいない空間でした。
有名な闘技場のコロッセオなど見るところはキリが有りませんでした。
上の写真の裏側の高台から撮った写真です。
上の写真を撮った場所の近くからのストリートビュー(SV)を紹介します。これで写真撮った場所が特定できました。写っている手摺の辺りから撮ったものと思われます。
同じ方向の私が撮った写真とSVを並べてみました。広場にあった小さな木が高く成長したようです。
ヴァチカン市国のこのサン・ピエトロ寺院と美術館は人気でした。
全体が判るように精いっぱい下がって正面から撮りました。
正面の右側です。
中央の建物に近づいて建物をとりました。建物に近づいているので中央のドームは建物で遮られて写っていません。
ドームの上の人を見るとその大きさにも驚かされます。
サン・ピエトロ寺院の中の広さと豪華さに驚かされます。
少し斜めから撮りました。
正面です。
マリア像も見事でした。
天井も見事でした。
サン・ピエトロ寺院の警備兵や町のお巡りさんやVIPの警備など日本にはない新鮮味があります。
これは美術館に入るための行列です。
こちらは美術館の中です。
立派な建物でした。
中の壁画も見事でした。
床の装飾も見事でした。
いろんな展示物がありました。
古い時代と思われるものもありました。
絵画もありました。これはダリ(Salvador Dali)の作品と思われます。
バチカン市国の郵便ポストです。
イタリアと言えばブランド物の買い物ですがお店が集中しているのがコンドッティ通り! ここはあらゆるお店があります。トリニタ・デイ・モンティ階段(スペイン階段)からスペイン広場とその通りを望んだ写真です。
こちらがトリニタ・デイ・モンティ階段(スペイン階段)です。見えている教会はトリニタ・デイ・モンティ教会です。
地下鉄も活用させてもらいました。ホームにLEPANTOと書かれているように見えることからレパント駅と思われます。→航空写真
イタリア軍所属のCARABINIERI(カラビニエリ/国家憲兵)が停まっていました。カメラを向けても気にする様子はなかったので写真を撮らせていただきました。
お巡りさんの制服も洒落ていました。
ローマには沢山の遺跡がありました。
ほんとローマは遺跡だらけでした。この遺跡の中で猫ちゃんにも出会えました。遺跡の中での日向ぼっこしていて、どんなに近づいても、この場所から動きませんでした。パックツアーからわかれて余分に1日滞在して、ゆっくりとローマを見て廻ったのは大正解でした。まる1日は大きかったです。
さらに遺跡の写真を3枚紹介します。この3枚はクリックすると特別(面積で11倍)に大きく拡大します。
ローマの町は遺跡の上に建っていることを実感させられます。
しっかりと残されているのに感激でした。
1953年8月27日公開(日本では1954年4月21日公開)の映画「ローマの休日」で有名になった真実の口にも行ってみました。真実の口には「手を口に入れると、偽りの心がある者は、手を抜く時にその手首を切り落とされる」伝説があるそうです。
映画「ローマの休日」の「真実の口」のシーンです。下の動画から切り取りました。5枚の画面で構成しました。主演のオードリー・ヘプバーン(英: Audrey Hepburn)が初めて映像作品に出演したのは1948年で、1952年に撮影が始まった「ローマの休日」で初の主役を射止めたそうです。オードリー・ヘプバーンの身長は170cmでした。ちなみに相手役の男優のグレゴリー・ペックは190㎝でした。
映画「ローマの休日」の12分版の動画です。プレーボタン( ► )をクリックすると、「真実の口」のシーンを表示します。最後まで見ると、頭から無限に繰り返すように設定しています。
ローマ2日目の夕食は事前に調べておいたレストランに行きました。
レストランの名前はRISTORANTE AURORA 10です。食べた料理は3人それぞれでエビサラダ、パスタ、アスパラ・ポーク、ヒレステーキ、子羊照り焼きでした。1日目は親しくなったご夫妻とテルミニ駅近くの推薦のピザ店でピザ5種類をシェアーしていただきました。
ネットから店内の写真を転用させていただきました。このころは料理の写真を撮る習慣はなかったので、残念ながら写真はありません。
ローマ市内のマルス広場に建造された神殿パンテオンです。
サンタンジェロ城を背景に記念写真も撮りました。
ナヴォーナ広場も印象的でした。
この時のローマの路面電車も紹介します。
白バイはBMWでした。町によって白バイの色が違っていました。
別の角度の写真も紹介します。
写真はローマで1日延長してプライベートで泊まったホテルMassimo d'Azeglioの部屋です。パックツアーのホテルGrand Hotel Palatinoに比べると格は少し落ちますが天井の高いホテルでした。こちらの写真は目隠しではなく'ぼかし'にしています。
我々がプライベートで泊まったホテルの窓からの景色です。ホテルも似た感じの雰囲気の建物だったと思います。路面電車の線路が写っています。SV1ホテル SV2路面電車 SV3路面電車
ミラノからローマまでは全てJTBのチャーターバスで移動しました。最初から最後まで同じバスだと思っていたら、何度かバスと運転手の方が変わりました。その地域・地域のバスを利用するのだと思いました。右の写真はミラノで乗った最初のバスです。下の写真のバスと違うことが分かっていただけると思います。
お土産はたった一つ [イタリア]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
下記で記載しているフライトでイギリス⇒フランス⇒スイス⇒ドイツ⇒イタリアを旅して、買ったお土産が上の写真の硬~いチーズだけでした。チーズの名前はGRANA PADANO(グラナ・パダーノ・チーズ)です。最終日(10日目)に買いました。チーズのプロフィールをネットから枠内に転記いたしました。
イタリアの中部から北部にかけての広範囲で製造されている、超硬質のチーズ。 「グラナ」とは粒状のという意味、「パダーノ」とはアルプス山脈からアドリア海にかけて流れているポー河の流域の平野部のことを意味する。パダーノ平野で産する粒状のチーズ。(切ると、チーズの身はポロポロと粒状になっているので。)重さは1,109g 値段は14.31ユーロでした。現時点の為替レートで1778円です。日本では考えられない値段でした。この大きさで1kgなので、右の写真のような切り分ける前の元の丸いチーズの状態だと20~30kgぐらいになりそうです。
パルミジャーノ・レジャーノも実はこのグラナ・パダーノの一種で見た目も作り方もそっくりではあるが、生産地域の限定や作り方と熟成についてより厳しい基準を設けることによって、ワンランク上の価値をもっている。高級品のパルミジャーノの熟成期間が最低でも2年と決まっているが、グラナ・パダーノは15~18カ月と短め。イタリアの家庭での普段使いのチーズとして、すり下ろして調味料として、重宝されている。いわゆる「パルメザン」として粉状にしてパックされて売られているチーズは、グラナ・パダーノが原料だということだ。
チーズの外側は固くて食べることはできないが、チーズの中身は切ると名前の通りポロポロと粒状になっていることがわかる。パルミジャーノよりは熟成期間が短いとはいえ、アミノ酸系の旨みが十分に感じられる。
下のルートでお土産を持って帰国いたしました。10日間に乗ったフライトをを紹介します。パリからリヨンへはTGVを利用いたしました。下記の町以外にアヌシー(フランスの避暑地 4日目)とベルガモ(イタリア 9日目)とカザーレモンフェラート(イタリア・アレッサンドリア県 10日目)に行きました。イタリアのその2つの都市はグラナ・パダーノの生産地でもあります。今回のお土産であるチーズを買ったのはカザーレモンフェラート(Casale Monferrato)からミラノ・マルペンサ空港に行く途中のサービスエリアでした。つまり産地中の産地で買ったわけです。
1日目 成田 ロンドン JL401
2日目 ロンドン パリ AF1971
3日目 パリ リヨン 列車(TGV)
5日目 リヨン チューリッヒ AF3476
6日目 チューリッヒ フランクフルト LH3729
8日目 フランクフルト ミラノ LH????
10日目 ミラノ 成田 JL418
生産地域は次の場所だそうです。
アレッサンドリア、アスティ、ベルガモ、ボローニャ(レーノ川の右岸)、ブレッシア、コーモ、クレモーナ、クーネオ、フェッラーラ、フォルリ、マントヴァ(ポー川左岸)、ミラノ、ノヴァーラ、パードヴァ、パヴィーア、ピアチェンツァ、ラヴェンナ、リーミニ、ロヴィーゴ、ソンドリオ、トリノ、トレント、ヴァレーゼ、ヴェネツィア、ヴェルチェッリ、ヴェローナ、ヴィチェンツァの各県
印字されている文字がよく分かる角度の写真も紹介します。GRANA PADANOの文字がはっきりと判ると思います。
ブランド名はLa Bottegacciaのようです。
買ったお土産はたった1つでしたが、「10日間の旅の思い出」というお土産を沢山持ち帰ることが出来ました。そして60個以上の記事も掲載することが出来ました。下のタイトルをクリックするとその記事を表示します。
イタリア
61 お土産はたった一つ
60 ベルガモ(BERGAMO) の普通の街並み
59 イタリアのパトカー
58 牛肉のカルパッチョ
57 有名店で前菜だけ
56 イタリアンカプチーノの名店でスパゲッティ
55 丘の上の街 ベルガモ
54 信号で待ってたら突然!
53 イタリアで水田 ??
52 にらめっこ
51 ドゥオモ(大聖堂)の景色
50 ミラノのチョット贅沢な夕食
49 イタリアのクモ怪獣
48 ミラノのワンちゃんたち
47 MOTO GUZZI製の白バイ
46 ミラノのグランデ運河
45 ミラノのゴミ箱は緑色
44 ミラノの宝石
43 センピオーネ公園
ドイツ
42 サッカーゲーム機 フランクフルト→ミラノ
41 ハウプト通りの風景
40 ぶどう畑のある景色
39 カール・テオドール橋からの景色
38 初夏のハイデルベルグ城
37 ドイツのワンちゃん
36 ドイツ料理と言えばソーセージだけど!
35 リカンベント自転車
34 この季節! ドイツと言えばホワイトアスパラ
33 レイメンの朝食
32 機内食でエビフライ? チューリッヒ→フランクフルト
スイス
31 スイスの朝食
30 スイスのネコちゃん
29 初夏のレンツブルク城
28 空からのアルプス リヨン → チューリッヒ
フランス
27 フランス最古のローマ劇場 リヨン
26 美食街と呼ばれるレストラン街 リヨン
25 アヌシーの旧市街 アヌシー
24 昼食はクレープ アヌシー
23 アヌシー城 アヌシー
22 運河のある街並み アヌシー
21 教会と自転車野郎 アヌシー
20 リゾート気分のワンチャンたち アヌシー
19 フランスの避暑地 アヌシー湖 アヌシー
18 坂道のある景色 リヨン
17 異国のお祭り リヨン
16 世界遺産の中でリヨネーズ料理 リヨン
15 川のある風景 リヨン
14 昼食はムール貝 リヨン
13 TGVでパリからリヨンへ
12 22時のパリ ロンドン→パリ
イギリス
11 街の中の住宅街
10 テムズ川
09 郵便ポストは赤でした。
08 ロンドンのステーキ
07 ラグビー発祥の地
06 ロンドンにも自転車タクシーが!!
05 ロンドンは自転車
04 ロンドンと言えば赤い二階建てバス
03 ロンドンの夕刻
02 ロンドンのタクシー(CAB)
01 上空からロンドンの町がよく見えました。
日本では粉チーズにしてよく食べますが、ヨーロッパではサラダなど上にスライスしたチーズがよく乗って出てきます。いくつか紹介いたします。
ドイツで食べたサラダ
イタリアで食べたサラダ
イタリアで食べた牛肉のカルパッチョ
我家でもスライスチーズにして沢山食べました。そこで活躍したのが写真の皮むき器です。 試してみると、きれいに出来ました。もちろん冒頭の堅いチーズが必要です。
これで作ったサラダです。
おろし金で粉チーズにして、作った料理を後日紹介したいと思います。昨日(2017年6月18日)の夕食でもGRANA PADANOを粉チーズにした料理をいただきました。
このGoogle地図の中のカザーレモンフェラート( )とミラノ・マルペンサ空港の間のサービスエリアで今回紹介のグラナ・パダーノ・チーズを買いました。
青色クーク( )の正確な位置はカザーレモンフェラートの町の中の牛肉のカルパッチョを食べたお店(Colosseo Caffe)の場所です。
ピサの斜塔 [イタリア]
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前記事で東洋のピサの斜塔と呼ばれている虎丘斜塔を紹介させてもらいましたので、本記事では本物のピサの斜塔を紹介いたします。ピサは町の名前です。イタリアの家族旅行ではピサにも行きました。
ピサの斜塔は有名ですが、実物を見て、思っていた以上に傾いているのに驚かされました。
記念撮影は、この写真のようすると面白いですよ!
みんなが、撮っているので私もやりました。もちろん家族全員が、このスタイルで撮りました。手の位置が重要で両手や片手でいろんなスタイルで何枚も撮ることをお薦めします。楽しいですよ。
ピサの斜塔(Torre di Pisa) は、イタリアのピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼です。世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する最大の観光スポットだと思います。高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14453トンだそうです。一時傾斜の増大と倒壊の危惧がありましたが、その後の処置により当分問題ないと判断されています。現在の傾斜角は約5.5度で、傾斜の進行は止まっているそうです。
こちらがピサの斜塔の単独の写真です。
ピサの斜塔はドゥオモ広場の中にあります。ピサと言えば「ピサの斜塔」ですが、横の大聖堂(ドゥオモ)やひろ~~~~~い広場で人々がゆったりしている雰囲気はいいですよ。真っ白な大理石が印象的でした。
大聖堂(ドゥオモ)の中もすばらしかったです。
ピサはローマ時代に海港として栄え、中世にはヴェネチア、ジェノヴァとともに海の共和国として地中海に君臨し勢力を伸ばしました。ガリレオが医学を、学んだピサ大学のある大学都市でもあり、現在も科学と数学の名門としての名誉を誇っているそうです。
ドゥオモ広場には3つの建物があります。ピサの斜塔と大聖堂(ドゥオモ)とこの写真の洗礼堂です。大きな丸い建物です。
洗礼堂の中は大きな空間で音が反響することが有名です。
写真のように警備員の人が、大きな声を出して実演してくれました。
真っ白な征服の兵隊さんも大理石の建物に映えていました。
ピサの斜塔と大聖堂(ドゥオモ)と洗礼堂があるドゥオモ広場は高い城壁に囲まれていました。
城壁の一番高いところに登って、その城壁とピサの町を撮りました。上の洗礼堂の写真もこの場所から撮りました。城壁の手前にお墓が沢山並んでいますが、これは撮った写真を見て後から気がつきました。城壁に門があり沢山の人がそこを通っていますが、我々もその門から入りました。トゥオモ広場の近くには、史跡の保護のために大きな駐車場を作っていないため、離れた場所で観光バスを降りて無料の連絡バスでここに来ます。駐車場を作るために町の建物を壊すことも出来なかったのだと思います。それに大理石を車の排気ガスから守ることも理由のような気がします。
手前から洗礼堂、大聖堂(ドゥオモ)、ピサの斜塔です。芝生の中にも自由に入れるのはいいですね。見学者も多かったです。
ピサの斜塔の傾斜の原因は、地盤の土質が極めて不均質であったことであるとされています。南側の土質が相対的にやわらかく年月を経るうちに傾き始め、それによりさらに地盤に対する負担が大きくなり、結果的には塔の南側が大きく沈下するという事態に陥ったそうです。1173年8月9日に始まった200年間と非常に長い建設工事期間中から傾斜し、1372年に完成しました。最上階層のみ地面に対して垂直に建てられて現在の姿になったそうです。
完成後も傾斜が進み将来に倒壊すると心配され下記のような対策が行われました。
1935年、地下水が地盤をやわらかくしてしまうのを防ぐため薬液を注入して地下水の浸入を止めようとする応急処置がとられました。しかし、現場の地盤は鋭敏比非常に高く、攪乱によって強度が著しく低下し、沈下は更に進んでしまったそあです。1960年代、現地の地下水汲み上げによって地下水位が下がり、またも傾斜進行という危機を迎え、1964年2月27日ついに、イタリア政府はピサの斜塔を崩壊から回避するための支援を求めました。
1990年1月7日、安全上の問題により公開を休止し、傾斜角を是正するために改修工事が行われました。当初は沈み込んだ側と反対の北側におもりを載せることでバランスをとろうとしたが、根本的な解決には至りませんでした。その後、改修工法には世界各国の建設会社から様々な提案がなされたが、最終的に、北側の地盤を掘削するという工法が採られ、2001年6月16日、10年間にわたる作業が終了し公開は再開された。
2008年5月28日、監視担当のエンジニアで地質学者でもあるミケレ・ジャミオルコウスキ教授により、少なくともあと300年は倒れる危険がないとの見解が示されてました。
ギネスブックでは長らく世界中で最も傾斜している建物と認識されていたが、2009年からは15世紀に建造されたドイツ北西部エムデンの付近にある教会の尖塔の方が傾斜していると判定され、ピサの斜塔に代わって掲載されています。
さらに2010年6月にはアラブ首長国連邦アブダビにあるキャピタルゲートビル(35階建てビル)が傾斜角約18度であるとしてギネスブック世界記録に認定されましたが、これは意図的に傾斜させてつくられたもので、写真を見る限りでは、ピサの斜塔は傾斜した建築物としては、やはり世界一だと思います。この小さな2枚の写真はネットから拝借いたしました。小さな写真もクリックすると拡大します。
航空写真でドォウモ広場の配置を紹介します。北側の大きな白い建物は有力貴族たちの納骨堂のカンポサントです。
ジュリエッタの町 ベローナ [イタリア]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
NHKの「世界遺産への招待状」と言う番組でイタリアのベローナが取上げられました。タイトルは「恋愛大作戦! イタリア」です。ベローナは、娘と家内の3人で旅行した場所なので懐かしくて拝見いたしました。その旅行のでのベローナの記事を掲載いたしました。
イタリアのベローナと言う町を、ご存知ですか。ベローナという名を聞いたことが無い人も、『ロミオとジュリエット』は知っているでしょう。ここは、その舞台となった街です。中庭から家内と娘が手を振っている以外の写真はすべてクリックすると拡大します。
街の歴史は古くローマ時代にさかのぼり、各時代ごとの見どころが多く残ります。その石畳の上で食事も楽しいですね。
この日は雨模様でしたが、不思議な魅力のある街でした。スカラ家の廟が右側にあります。
下の写真がこちらが有名なジュリエッタ(ジュリエット)の家の中庭です。見ての通り、驚くほど沢山の人が見学にこられたいました。さすが恋愛の町と言われるだけのことはありますね。ジュリエッタ(Giulietta)はイタリア語圏の呼び方でジュリエット(Juliet)に相当するそうです。
右が航空写真で探し当てたジュリエッタの家です。→地名入り地図で見る
地名入り地図で見ると「ジュリエッタの家」の文字を見つけることが出来ると思います。
家内と娘はジュリエッタの家の中に入り中庭に面した窓から家内と娘が手を振っています。 この窓が曰くのある窓だとの事です。1450年ごろルネッサンスの真っ只、ベローナ町を二分するモンタギュー家とキャピュレット家は、お互いに敵視しており、町で出会えばすぐに喧嘩が始まる状態だったことから物語が始まります。モンタギュー家の一人息子がロミオでキャピュレット家の一人娘がジュリエット(ジュリエッタ)でした。
これは1世紀に建てられた円形闘技場・「アレーナ」で、夏には野外オペラが行われます。漆黒の夜空の下で大規模な舞台セットを利用したオペラは迫力があり、もはや芸術を越えた一大スペクタクルのようです。恋の話の舞台あり、夏のオペラありと、なんともロマンティックな街です。
ベローナはヴェローナとも書かれています。ベローナは、人口27万人のイタリアの都市であり、ヴェネト州ベローナ県の県庁所在地でもあります。 アディジェ川沿いにあり、ガルダ湖の約30km東に位置する。 ドイツのミュンヘンおよびイスラエルのベツレヘムと姉妹都市協定を結んでいます。中世の町並みがよく残っていている街です。写真は大きな広場でした。ここで、少し雨宿りをしました。
街の中には沢山の広場があります。その中の一つです。
路地の景色です。遠くに塔が見えますが、そこが有名なエルベ広場です。
地面の下に遺跡がある場所もありました。左端の女性が添乗員の方でその横の赤いズボンの方が地元の観光案内の方です。
タグ:ベローナ
ミラノから南西へ60km [イタリア]
センピオーネ公園 [イタリア]
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ミラノ市中心で一番大きな公園です。写真の遠くに見えるのは平和の門です。スフォルツェスコ城と隣接しており町の人たちの散歩のコースになっているようです。紫陽花も綺麗に咲いていました。この写真にも紫陽花が写っているの判りますか。
ここから平和の門まで散歩いたしました。
手前の方に写っている2人あまり気にしないでください。こちらでは、ごく普通の光景ですから!!
恋人たちの公園、ですね。
近くから見た平和の門です。
古代ローマ時代は、平和の門の場所は、ミラノの町を囲む古代ローマの城壁のセンピオーネ門で、町への入口でした。その遺跡の上に、19 世紀初期にナポレオン指揮により、現在の平和門が造られたそうです。
公園内では、セイヨウヒイラギ、キササゲ、アトラスシダー、 ヒマラヤスギ、カリフォルニアスギ、ブナ、マツ、イチョウ、マロニエ、ハシバミ、ポプラ、タイサンボク、紫陽花、椿、シャクナゲ、ツツジ、オールドローズ、カラタチ 、アカカシなどの多彩な植物を眺めることが出来るそうです。
名前 センピオーネ公園
住所 Parco Sempione,Milan,Italy
開園 6:30~20:00 1~2月、5月、11~12月
6:30~21:00 3~4月、10月
6:30~23:30 6~9月
面積 386,000㎡(38.6万㎡ / 38.6ha)
形式 ロマン主義のイギリス式庭園
この日は天気がよかったので、スフォルツェスコ城も綺麗に撮れました。
観光客がまだ来ない早朝だったのが良かったのかもしれません。
公園の池越しのスフォルツェスコ城も綺麗なので掲載します。
センピオーネ公園の東隣のインドロ モンタネッリ 庭園に隣接して気になる建物がありました。調べてみるとレアーレ邸(Ville Reale)と呼ばれています。アルテ宮と書かれている本もありました。
レアーレ邸(Ville Reale)のネットでの記載内容を紹介します。
19世紀のミラノに縁のある芸術家たちの作品を、素晴らしい邸宅と共に楽しめるミラノ近代美術館、ヴィラ・ベルジョイオーゾ。
ヴィラ・レアーレとも呼ばれるこのヴィラはミラノ中心に位置しながら、静かで優雅な空間が広がっています。
オーストリア人建築家レオポルド・ポラック(1751- 1806)が1790年に建設した美しいネオ・クラシック様式のヴィラで、外壁にはギリシャ神話のヴィーナスをモチーフとした「愛」がテーマの彫刻がずらりと並ぶ、なんともロマンティックな外観です。
舞踏会用のサロン。豪華です!
当時のミラノで初めてと言われるイギリス式庭園をそぞろ歩きしながら、19世紀の貴族たちは何を語り合っていたのでしょう?
邸宅内も美しいネオ・クラシック様式でまとめられいます。 当時舞踏会に使われていたというサロンは色鮮やかな色彩で飾られ、床は木材のモザイク模様。 なんとも豪華な空間です。
この「il Parnaso」はアポロンを中心に音楽や芸術を司るミューズが描かれ、それまでの華麗になり過ぎた感のあるバロックやロココ様式への反動として新古典主義(ネオ・クラシック)が、ここミラノでも生まれた事を意味する重要な絵画の一つとされています。
海外の施設ではよくあることなのですが、センピオーネ公園の面積の記載もサイトによりばらつきがありました。k㎡を使う桁違いの記載も多数出てきました。記載数値の例は次の通りでした。
信頼できる桁数
386,000㎡(38.6万㎡)、47万㎡、50エーカ(20万㎡)、75.3㎡、
47ha(47万㎡)、20万㎡以上
桁間違いの数値
40万k㎡、45万k㎡(45,000,000万㎡)、45k㎡(4,500万㎡)
そこでGoogle地図で計測してみました。スフォルツェスコ城や競技上も含めた白い線で囲た半透明の白色部分の面積は0.624k㎡(62.4万㎡)であることから、目測ではありますがセンピオーネ公園の面積は40~47万㎡と思われました。したがって控えめな数値である386,000㎡(38.6万㎡)を上に記載させていただいたわけです。ちなみにGoogle地図で計測したスフォルツェスコ城や競技上も含めた敷地の周長は3.54㎞でした。
参考ですが大阪の万博記念公園の場合は、広場やスポーツ施設や文化施設を含めた総敷地面積は264万㎡(264ha)でした。皇居は115万㎡です。
平和の門
スフォルツェスコ城
イタリアのお巡りさんのバイク [イタリア]
イタリアのパトカー [イタリア]
ベトナムのパトカーを紹介したのでイタリアのパトカーも紹介しておきます。
ごみ箱でベトナムとイタリアを比較したばかりなのでイタリアを選択いたしました。ごみ箱は同じ緑色でしたがパトカーはベトナムが青でイタリアが緑でした。このパトカーもかっこいい!イタリアはいろんなもののデザインが一味違います。やっぱり女性のお巡りさんが多いですね。
koniさんがランボモギーニのパトカーを見られたことが、おありと聞き、ネットから写真を探しました。右の写真のランボルギーのパトカーはアラブ首長国連邦のドバイの警察ですが、イタリアにもあるそうです。価格は約50万ドルで、最高速度は349km/hで、2.9秒で97km/hまで加速できるそうです。2017年にイタリアで2台目のランボルギーのパトカーがローマに配車されたそうです。その動画がネットにあったので紹介します。
なぜかドイツのパトカーと色合いが似ていました。
こちらはハイデルベルグのパトカーです。
こちらはミュンヘンです。ワンボックスタイプのパトカーでした。緑は親しみがわく色ですが防弾チョッキが物々しいですね。
丘の上の街 ベルガモ [イタリア]
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イタリアンカプチーノとスパゲッティーを紹介したベルガモ(BERGAMO)と言う町は城壁に囲まれた旧市街が丘の上あることで有名です。「中世さながらの石畳の小道のある街」だそうです。現代の町である下の街からの写真を紹介します。
現代と言っても我々の次元では古い町なのです。遠くの丘の上の中世の町が印象的でした。
にらめっこ [イタリア]
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ガソリンスタンドの人とワンちゃんつれている人が見詰め合っているのはなぜかな。
いろんな国のガソリンの値段は気になっているのでいつもガソリンスタンドの写真を撮っています。
イタリアの値段はリッターあたり1.362ユーロで、ディーゼルオイルはガソリンよりも高めでがリッターあたり1.224ユーロでした。
イタリアの人ぼやいていました。
日本はリッターあたりのガソリン税は53.8円と固定です。原価が2倍になっても実際には1.5倍にしかなりませんが、イタリアは率が一定だそうです。だから原価が2倍になると売り値も2倍になるそうです。原価が安かった時代は日本の方が高かったかも知れませんが、原価が高くなるとイタリアの方が高くなってきます。
こちらがつれていたワンちゃんでした。青いリードが同じなのがわかってもらえると思います。ミラノのワンちゃんたちの⑰で紹介したワンチャンです。
ベネチアのゴンドラ [イタリア]
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本日2014年9月5日に92回目の中国から帰国いたしました。上海からのフライトで、家に着いたのは18時10分でした。旅行中の記事は明日から掲載させていただきますので、今日のところは昔のイタリアの記事で勘弁してください。
沢山のゴンドラが並んでいます。背景にある教会は、サン・マルコ広場の向かいにのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島に建つ、16世紀の中ごろから建設が始まり17世紀初めに完成したサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会です。この写真はベネチアの中で撮った写真の中でも最も気に入っている構図の写真です。
水の上に浮かぶ大聖堂もきれいですが細い運河も魅力的です。せっかくベネチアに来たのでゴンドラに乗らせてもらいました。ここから11枚目の写真までが乗ったゴンドラから撮ったものです。
コンドラに乗るのははじめての経験でした。
細い運河は魅力がいっぱいでした。
我々の船頭(ゴンドリエーレ)さんを紹介いたします。
別のゴンドラとすれ違うところです。
観光のための沢山のゴンドラとすれ違いましたが。ワンちゃんを乗せた船とすれ違って、運河が生活道路であることを実感させられました。このワンちゃんはジャーマンポインターだと思います。
街の中は車が通れません。細い運河が網の目のようにはりめぐらされていました。このような景色が続きます。
太い「大運河」に出ました。
有名なリアトル橋(Ponte di Rialto)です。大運河に架かるベネチアのシンボルです。13世紀に木製の橋が作られましたが焼失や崩壊で再建が繰り替えさけ現在の大理石の橋になったそうです。
水のない景色 ベネチア [イタリア]
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ベネチア(ヴェネツィア)の「水のある景色」に対抗して「水のない景色」を掲載しました。
水のある景色はあまりにも綺麗なのでたくさん写真を撮りました。一方、水が写っていない写真は少ないので苦労しました。(笑)
上の写真はサン・マルコ広場です。朝早かったので人の少ない写真が撮れました。
建物の近くにあるテーブルにはまだ誰も座っていません。
おいしいアイスクリームがありました。
サン・マルコ広場でアイスクリームとカプチーノ! 憧れる人は結構いるかも!少し人が増えてきました。オリジナルの写真では建物の影の部分は真黒だったので、調整して影の部分を明るくしました。そのためサン・マルコ寺院は白くなってしまいましたが、それは後ろのほうの写真を見てください。
ドゥカーレ宮殿の前の広場です。 まだまだ人が少ない貴重な写真です。昼ごろになるとあらゆる場所がすごい人になります。
こちらが昼過ぎのドゥカーレ宮殿の前の広場の写真です。この時間帯になると沢山の人であふれ始めました。
ドゥカーレ宮殿の廊下 廊下での撮影はOK
ベネチアングラスの工房
見学のあとは御決まりの直売店へ 目移りして結局断念! せっかく来たのだからと同じツアーの人は結構買われていました。
⇒
広場から見たサン・マルコ寺院
少し近づいた写真です。
サン・マルコ寺院の入口 ↓
アカデミア橋の近くのサント・ステーファノ広場
このレストランでビールを飲みました。
海沿いは広い道です。朝早いと人通りが少ないです。
上の写真は朝早かったので人通りが少ないけれど昼を過ぎると沢山の人でいっぱいになります。
こちらも海沿いです。沢山の人が船着場からサン・マルコ広場の方に向かって歩いています。
少し太い道 この幅の道はめずらしい方です。
圧倒的に、こんな細い路地が多い街です。本当に迷ってしまいます。
大きな木で出来たアカデミア橋 「水のある景色 ベネチア」でも紹介しているように、ここからの景色は旅行の本にもよく使われています。下がアーチで上の階段が台形なんです。造りは違うけど木で出来ているので錦帯橋を連想してしまいます。
航空写真を拝借しました。これがアカデミア橋の全景です。上からの写真なので水のある景色になってしまいましたが航空写真ということで、ご了承願います。
水のある景色 ベネチア [イタリア]
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ミラノからベローナを経由してベネチアに入りました。ベネチア(ヴェネツィア)は水の都で、バスを降りて船で街に入りました。今回は水のある景色ばかりを集めて掲載します。この日は晴れており空の色も注目です。水上バス、渡し舟、水上タクシー、ゴンドラ、チャーター船が交通手段です。水上バスに乗ってサン・マルコ広場の近くに向かっているところです。掲載の写真はクリックするとすべて拡大します。
Veneziaは日本語の表記では、ヴェネーツィア、ヴェネチア、ベネチア、ベネツィア、ベネティア、ヴェネティア、ヴェニス、べニスなど沢山の書き方があるのはすごいです。
バスから乗り換える船着場
サン・マルコ広場の島の反対側まではバスで行けます。そこから先は船しかいけません。駐車場のすぐ横に船着場がありました。クリックすると出発してすぐの景色です。この先を左に曲がったとたんに景色が一変します。
先ずはベネチアの街に入るまでの船からの景色です。ここに来た人はこの景色に圧倒されるはずです。
ジュデッカ運河(海)からの景色です。解説は省略!!
遠くに目的地のサン・マルコ寺院が見えます。
すこし近づきました。
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会も通り過ぎました。目的地に近づいてきました。
海の上の教会サン・ジュルジョ・マッジョーレ教会
サン・マルコ広場の対岸にあります。このあたりはサン・マルコ運河になります。
サン・マルコ寺院やドゥカーレ宮殿の前を通りすぎたところです。もう直ぐ船着場!
陸からの景色です。
アカデミア橋の上から写真を2枚紹介いたします。橋から左右を見た景色です。
それにしても海の上の教会は絵のよう。
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会です。下の航空写真ですぐに場所がわかると思います。
ミラノのワンちゃんたち [イタリア]
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2014年8月28日から寧海回族自治区の中衛という町に来ています。新しいこちらの新しい記事を紹介する時間がないのでイタリアの記事を紹介いたします。
イタリアのミラノで沢山のワンちゃんたちに出会いました。特に公園では多かったです。イタリアでは公園の中に入ると、ほとんどワンちゃんを離してて散歩させています。公園の中に仕切られたドッグランがあってもほとんどは外でした。そのミラノのワンちゃんたちのほんの一部を番号を付けて紹介いたします。
①上のワンちゃん離れていますがやっぱりカメラを気にしています。不審そうな人が居るな!て感じです。耳が立っているのが特徴 断耳したボクサーかな! でもかなり大きいので違うかも! 大きさはグレートデンに近いけれどチョット違うかな。
主にスフォルツェスコ城に隣接したセンピオーネ公園とプッブリチ公園で撮りました。センピオーネ公園は、あの紫陽花の公園です。
最初のワンちゃんはプッブリチ公園です。
下記の地図の緑の部分が2つの公園です。 左がセンピオーネ公園で右がプッブリチ公園です。(地図と衛星写真はネットから拝借しています。)
この記事の中に出てくるワンちゃんの種類を教えてください。1つでもいいので! 気になるのが①と⑪です。 自分なりに調べて書いていますが全く自身がないので信用しないように!
②ジャーマン・シェパードですね。スフォルツェスコ城の中庭を散歩中
かしこそう!
③センピオーネ公園で2匹で仲良く遊んでいました。向こう側はカレリアン・ベアドッグ 手前はトランシルバニアン・ハウンドかな
④こちらはセンピオーネ公園です。
⑤これもセンピオーネ公園で飼い主さんは④のワンちゃんと同じです。
⑥飼い主さんは公園のベンチで読書中 カメラを向けるとヤッパリ注目されてしまいます。センピオーネ公園です。イングリッシュ・コッカースパニエルかな?
⑦これはわかります。ミニチュアダックスフンドですね。これもセンピオーネ公園です。
⑧元気そう センピオーネ公園の中心に向かっているところです。
⑨プッブリチ公園の入口で立ち話 右側はウルフドッグ こちら、お二人は珍しくリードを使われていました。ちゃと。さんのコメントいただいた左側のワンちゃんは、調べた結果としてビアデッド・コリーの可能性が高いと思います。ただしネットでは中型犬と書かれていましたが、どう見ても大型犬の大きさだったので、ちょっと不安があります。
公園のところどころにこんな看板が! 読めないけれど「ワンちゃんはドッグランの中で遊ばせてください。」と書いているのか? その割には無視されているので別のことが書いているのか?
いずれにしても公園の中では、ほとんど放して散歩しています。
⑩ドッグランの中です。日本と違い広いです。仕切りフェンスが遠くに見えます。プッブリチ公園です。
⑪このワンちゃんもプッブリチ公園のドッグランの中で遊んでいました。フェンスの外から写真を撮ろうとすると近づいて来て不審そうに見ていました。バセンジーか!
⑫プッブリチ公園に入ってきて離してもらったばかりのところです。
⑬同じワンちゃんです。2枚をくっつけました。これもたぶんイングリッシュ・コッカースパニエル ボールを銜えています。プッブリチ公園です。
公園には鴨もいます。この鴨もなれています。近づいても逃げないです。プッブリチ公園です。
ここまでが公園およびスフォルツェスコ城のワンちゃんたちです。ここから下は街角で見かけたワンちゃんたちです。
⑭飼い主さんは休憩中 ペギニーズ
⑮運河の横の道で見つけました。車が通るのであぶなっかしかった。危ないときは飼い主さんが車の前に出て車を止めてワンちゃんが、車にひかれないようにしているのが印象的でした。 ヨークシャー・テリア か シルキー・テリア
⑯この黒い犬はかしこかったですね。この飼い主に車の中から道をたずねたところ親切に説明をしてくれました。その間、このワンちゃんは動かずにその場でずーと待っていました。この後何も言われないのにお座りして待っていました。フラット・コーテッド・リトリバー かな! 間違えてたら修正します。
⑰お店の入口でご主人様を待っているところ ゴールデン・リトリバーでしょう。ご主人が散歩させているところを掲載させてもらった記事はこちらです。→ポチッ
⑱街中です。飼い主さんはどこかに行ったのか待っているところみたい。 ゴードン・セッターかな?
スフォルツェスコ城のお気に入りの光景 [イタリア]
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すでに紹介の通り、イタリアの家族旅行で最初に訪れたのがスフォルツェスコ城でしたが、そこで出会えたのが騎馬警官の人たちでした。スフォルツェスコ城の周りや公園を見回っていました。カメラを向けると両側の男性警官は微笑んでくれました。真ん中は女性警官の方もなかなかの美人でお気に入りの写真になっています。クリックすると拡大するように設定しているので是非とも拡大写真も見てください。
ヨーロッパでは街中でも騎馬警官を見かけることがありますが、3人が並んで歩いているところに出会えたのは初めてでした。後姿も絵になる素敵な光景でした。
ドゥオモのステンドグラス [イタリア]
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ステンドグラスは何度見ても癒されます。イタリア・ミラノのドゥオモには55の巨大なステンドグラスの窓があります。
上の写真は側面の窓にあったもの一枚の中のほんの一部です。
下および右のステンドグラスは正面(後陣 アプシス)のもので規模としては、世界最大規模だそうです。ただし、手前の柱のために窓の一部しか見えていません。
ドゥオモは500年をかけて、作くられたためにステンドグラスも時代によって異なると説明されました。
初期のルネッサンスの頃は、ガラスの中に金属を溶かし入れていたため、落ち着いた色合いでした。18世紀になると、彩色硝子になったため光の透過率が落ちて暗く感じるようになりました。そして近来のものは化学的に色を着けているため鮮やかな色が出るのだそうです。
そのため沢山の尖頭アーチ型のステンドグラスが微妙に異なる光をしていました。
右と下のステンドグラスの写真はクリックすると拡大します。
タグ:ミラノ
ドゥオモ(大聖堂)の景色 [イタリア]
ミラノの建物で最も有名なのが「イタリアのクモ怪獣」でも紹介したドゥオモです。
ドゥオモには朝早く行くことをお勧めします。本当のドゥオモを感じることが出来る気がします。ミラノのドゥオーモは世界最大のゴシック建築で、1386年から約500年もの歳月をかけて多くの芸術家によって1813年に完成したそうです。体積はフランスのボーヴェ大聖堂に次いで世界で2番目で、広さもバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次いで世界で2番目です。
外の華やかさとは対象的に内部は静寂そのものです。見ているだけで自分も静かな気持ちになってしまいます。特に朝早くいくと静けさを味わうことができます。
まだミサも始まっていないし、人は少ないけれどなんとなく厳かな雰囲気が漂っています。ほんとうに静かでした。椅子に座ってゆっくりとするのもいいと思います。
ミラノのドゥオモ (Duomo di Milano ドゥオーモ) は、ロンバルディア州都ミラノの象徴で、都市の中心のドゥオモ広場に位置し、初期の聖母マリアに献納されているドゥオーモだそうです。 ミラノのドゥオーモは500万人のカトリック信者がいる世界最大の司教区であるミラノ大司教区を統括する首都大司教の司教座聖堂であり、その大司教は2002年からディオニジ・テッタマンツィ枢機卿が務めているそうです。
ドゥオモは今までに3回ほど訪れる機会がありました。上の写真は3回目のものですが、下の写真は2回目の時(2005年12月8日)に撮ったものです。時間は9時12分で上の写真より明るくなった写真で、露出の関係で鮮明に見えるため写真はクリックすると拡大するように設定いたしました。
イタリアのクモ怪獣 [イタリア]
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ミラノのドゥオモの横を歩いていると目を引くものを見かけました。なに!!?
足が4本だけど蜘そっくり 調べてみると
イタリア Palazzani製 TSJ48型
48mの高さまで伸びるので48型らしいです。
ドゥオモ補修用に人が乗る部分も工夫がされているように感じられます。
ドゥオモには沢山の尖塔がありました。調べてみると、135本の尖塔があり尖塔の天辺には一つ一つに聖人が立っているそうです。一番高い位置に金のマリア像が輝いていて、昔はこのマリア像より高い位地に建物を建ててはいけないとされたそうです。よく見ると金のマリアが確認出来ると思います。
ミラノの日本食店 [イタリア]
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海外も10日目になると日本食も食べて見たくなります。
ホテルの近くの日本料理店に入ると我々以外はイタリアの女性ばかり。高級店だから、お店の店員さんは、すべて着物姿の日本人でした。でも着物姿の日本人の店員さんより、隣の席の、こちらのお嬢さんが一際目立っていました。
箸のVサインが洒落てます。
お寿司と白ワインが合いそうです。
お願いして写真を撮らしてもらいました。上の2枚の写真はこの写真から切り取ったものです。
店名 都 Miyako
住所 Via San Gregorio, 23 Milano
電話 02-2951-3908
営業 12:00~14:30 19:00~23:00
定休 月曜日
HP http://www.miyako.it/index2.htm
日本食店・都(Ristorante Giapponese Miyako )の場所を紹介します。
はすでに紹介したイタリアレストランの名店 Da Iliaです。
日本食店 都
Ristorante Da Ilia
ミラノ中央駅
━ 宿泊ホテル→Ristorante Da Ilia 1.6km
より大きな地図で 日本食店・都 を表示
下の写真がミラノ中央駅近くで泊まったホテルです。このホテルから歩いて行ける場所でした。今回の日本食店はホテルで教えてもらったのでした。追伸
2014年8月25日から9月5日まで中国に行きます。帰国するまでネットのアクセス事情の関係から皆様のところに訪問できないことお許しください。家を7時に出発して上海の浦東空港から車で400km(━)移動するので、ホテルには17時ごろに着くと思います。いつも海外は1週間以内の滞在ですが、今回は12日間と、少し長くなります。9月1日から離着陸時も写真が撮れるようになったので帰国便は窓際の席を予約いたしました。おそらく8月25日9時40分以降にクリックすると成田→上海の飛行ルートをリアルタイムで表示します。→Flight Aware 8月25日 8月23日
2014年8月23日のJL873の飛行高度と飛行速度です。上の赤色ライン(━)の飛行ルートも8月23日のものです。8月25日も高度と速度は類似していると思います。ただし飛行ルートは毎回違うようです。
有名店で前菜だけ [イタリア]
ミラノでトスカーナ料理の有名店でスパケッティーとサラダだけ注文!不思議なことにスパゲッティーはシンプルなものだけです。
両方ともシンプルでしたが味はさすがでした。
スパゲッティーは茹で加減とトマトソースできまることを実感してしまいました。
サラダ 味付けはチーズとオイルだけ
変ったビンに入ったビールでした。開けるのにコツがいります。ビンを持って帰るつもりでしたが帰るころには忘れてしまってました。残念! ビールだけは沢山飲みました。
ポテトフライとポテトチップ
ビールを頼むと無料でだしてくれました。もちろんお店の特製で熱々です。最近では家で作らない限りなかなか食べれません。
お店の名前は「da Ilia」で以前にアンティチョークの料理を紹介したお店です。
本当はメインデッシュを食べるのが普通ですが食べすぎになるので、この日は有名店ではあるけれどメインデッシュを頼みませんでした。でもスパゲッティーの美味しさに大満足でした。
予約までしていったので驚かれたかも! 前菜とビールだけで帰っていった感じです。
イタリアでのディナーではスパゲッティーは前菜なのです。
でもビールは沢山飲みました。これにもビックリしたかもしれません。
普通はワインを頼むはずなので!
店内です。この時は我々以外にも日本人の人が1組来られていました。
前菜に造り置きの料理をチョイスする方法もあります。いろんな料理の中から自分で選びます。こちらは相方が頼みました。
ミラノのチョット贅沢な夕食 [イタリア]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
先ずは前菜として野菜のフリッタからです。
次が待望の生牡蠣です。生牡蠣は冬のもの! これは日本だけではなく世界共通ですね。だからこの時期は、ほとんど生牡蠣は置いていないけれど!出てきました。大きな牡蠣です。日本でも岩牡蠣だけは夏に食べるのと同じですね。この時期としては最高の贅沢かもしれません。聞くとフランスの牡蠣だそうです。
そして追い討ちです。
オマールエビまたはロブスターのスパゲッティーです。!
手前のカニツメの肉の大きさからするとオマールエビだと思います。
エビの量だけでもおなか一杯です。かなり大きなエビでした。
ついに食べれました。イタリアでタコです。
イタリアではタコは食べると聞いていましたが実際に食べるのは初めてです。
軽くスモークして薄くスライスされていました。これだといくらでも食べれます。
ワインで食事していましたが強いお酒も出してくれました。これは一杯だけです。 グラッパだったかな。
ワインは冷えたイタリアワインを何種類か飲みました。
その中の一つです。
調べるとラベルにあったRIVALTAは場所の名前です。
リヴァルタ・ボルミタ地区のワインかな!
もちろんビールもいただきました。
最後ははデザートですね。これ以外にチョコレートも出てきました。
お店のマークです。
最後にシュフが挨拶に出てきてくれました。
実はここは普通のレストランではないのです。郊外のスポーツクラブなのです。高級スポーツクラブ??
そこでシーフード中心の食事を出してくれるのです。
知る人ぞ知る有名店と見ました。一番下に掲載した地図を見てください。ミラノの中心から結構、車で走りました。
お店の名前
Ristorante Ateneo del Gusto
沢山のテーブルがあります。
この写真は店外の普通のテーブルですが、我々が食事をした店内はホテルなみに、りっぱでした。食事だけではなく雰囲気も楽しめました。
スポーツクラブだからこんなものも飾ってあります。
場所を調べてみました。
住所は「Via dello Sport,1 - San Felica di Segrate(MI)」です。
Via dello Sportは通りの名前かな!
アンティチョーク(Artichoke)料理 [イタリア]
前記事で紹介したベルガモ(Bergamo)のレストランで昼食を食べた後に列車でミラノに戻ってきて、ミラノでも夕食に有名なイタリアレストランに入りました。そこで初めてアーティチョークあるいはアンティチョークという食べ物を知りました。
ミラノでトスカーナ地方の料理を出すレストランda Iliaで我々が普通のサラダを食べていたとき一緒のイタリア人が見かけない野菜を使ったサラダを食べていました。それがアンティチョークでした。
アーティチョークとも言われるみたいです。英語を見ると当然ですが、ネットだとアーティチョーク(Artichoke)との言い方が多いです。さっそく、その人に、このアンティチョークを使った料理の注文を任せたところ、上の写真の料理が出てきました。料理名は「アンティチュークと牛肉のカルパッチョ」です。
アーティチョークは食用アザミの若いつぼみです。和名はチョウセンアザミ(朝鮮薊)で、地中海沿岸原産だそうです。右下の写真はネットから拝借しました。
門 : 被子植物門 Magnoliophyta
綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目 : キク目 Asterales
科 : キク科 Asteraceae
亜科 : アザミ亜科 Cynareae
連 : アザミ連 Carduoideae
属 : チョウセンアザミ属 Cynara
種 : チョウセンアザミ C. scolymus
アンティチョークの写真 ⇒ Google検索
フレッシュなアンティチョークの歯ごたえがなんともいえません。サクサクした竹の子のような食感です。生の牛肉と良く合います。お店を紹介いたします。
店名 Ristorante Da Ilia
住所 Via Lecco,1 Milano
電話 02-2952-1895
HP http://www.ristoranteilia.it/
SV http://goo.gl/maps/2IPJU
食感を感じてもらいたくて拡大写真を掲載いたしました。
翌日、アンティチョークのパスタを別のお店で注文しましたが残念ながらサクサク感がなく別物でした。別のお店で食べてアンティチョークはフレッシュがポイントだと感じました。やっぱり現地に行ってフレッシュなアンティチョークを出してくれるお店に行かないだめですね。それも新鮮なアンティチョークが食べれる時期も大切そうです。ドイツはホワイトアスパラでに匹敵るイタリアの旬を感じる食材はアンティチョークなのかもしれません。アンティチョークの花の写真はフリー百科事典のWikimediaから拝借いたしました。
右の写真はWikimediaから拝借いたアンティチョーク畑の写真です。
レストランの場所を地図で紹介します。
Ristorante Da Ilia
ミラノ中央駅
━ 宿泊ホテル→レストラン 1.6km
日本食店 都
より大きな地図で Ristorante Da Ilia を表示
小さな町のすてきなレストラン [イタリア]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
イタリアンカプチーノを紹介したイタリアの小さな町ベルガモ(Bergamo)のレストランです。昼食に入りました。
デザートのチーズを取り分けてもらっているところです。
ここの食事はよかったのでネットで調べて、お店の名前がわかりました。
お店のホームページから店内の写真を拝借させていただきました。お店には部屋がいくつかありましたが、大きな写真の部屋で食事をいただきました。
上の写真は奥のレンガの柱のあたりです。
我々は左側の壁際近くの2つのテーブルをくっつけて食事をさせてもらいました。
お店自体は1983年10月27日に開業ですが、建物自体は1700年頃に建てられたようです。
店名 Ristorante "ol Giopi e La Margi"
住所 Via Borgo Palazzo,27 Bergamo
電話 +39-035-24-2366
HP http://www.giopimargi.eu/
ここで食べた3つのイタリア料理を紹介いたします。
こちらの料理は「鹿肉のパスタ」です。
鹿肉パスタを実感してもらいたいので拡大写真を掲載いたしました。
こち背の料理は「パスタ包み」です。 餃子のような作り方でした。
こちらの「パスタ包み」も拡大写真を掲載します。
こちらの料理は「牛肉の煮込み」です。
「牛肉の煮込み」も拡大写真を掲載いたしました。
食事の後のデザートははケーキかチーズです。こちらの写真はケーキを切り分けているところです。
こちらがチーズです。
冒頭の写真が、このチーズを切り分けてもらっているところなのです。
以前にイタリアンカプチーノを紹介しましたが、食前に飲むのイタリアンエスプレッソが正統派です。本場のイタリア料理だったので、ここではイタリアンエスプレッソをいただきました。 小さなカップに一口で飲める量でした。エスプレッソも本場の味でした。
レストランの場所をGoogle地図で紹介します。
紫色のマークが今回紹介のレストランol Giopi' e La Margiです。
空色のマークが以前に紹介したカプチーノの名店SUITEです。
緑色のマークが教会Santa Maria Immacolata delle Grazieです。
赤色のマークがベルガモ駅です。
より大きな地図で ベルガモ を表示
航空写真を拡大しました。建物の雰囲気から中世時代からの建物と思われます。画面が地図の場合はアイコンをクリックしてください。この後、ミラノに列車で帰った後に夕食で、アンティチョークと牛肉のカルパッチョを食べました。アンティチョークは初めて食べました。硬い野菜で薄くスライスしてあります。日本では生では食べるのは難しいと思います。 どんな野菜か調べてみるとおもしろいですよ。
お店の外観写真を撮っていなかったのでGoogleのストリートビュー(SV)で表示された画面を紹介します。画面をクリックするとSVを表示します。
ミラノ中央駅 [イタリア]
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上の写真がミラノ中央駅です。
見た瞬間に驚いてしまいます。泊まったのは写真の左端に写っているホテル! ちょっと豪華でした。駅のそばだったのでミラノ駅を散策しました。それにしても彫刻がすごい!!
彫刻の部分を拡大してみました。写真をクリックするとさらに拡大します。
ミラノ中央駅の内部の写真です。
プラットホームの写真です。
ユーロスターもここからでました。キップの刻印機には行列が出来るほど沢山の人が利用していました。
航空写真で見たミラノ中央駅です。ここから列車に乗ってベルガモに向かいました。
より大きな地図で ミラノ中央駅 を表示
こちらが冒頭の写真で紹介した泊まったホテルの入口です。こちらがホテルの建物の外観です。立派なホテルであることが分かっていただけると思います。
牛肉のカルパッチョ カザーレモンフェラート [イタリア]
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イタリアでシンプルな料理と言えば、これもそうでです。イタリアは牛肉のカルパッチョは比較的手軽に食べれます。カルパッチョと言うよりは、ずばり牛刺しです。
欧米は生肉は食べないと思っていたので意外でした。
味付けは香味野菜とチーズとレモンだけです。オリーブオイルを好みでかけてもいいですがレモンだけにしてみました。信じられないおいしい味に仕上がります。
上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。チーズの種類は判りませんが、近くで買ったお土産のグラナ・パダーノ(GRANA PADANO)に似ていました。グラナ・パダーノ・チーズはイタリア北部、エミリア・ロマーニャ州、ピエモンテ州、ロンバルディア州などのポー川流域で生産される牛乳を原料として作られるハードチーズです。
イタリアの小さな町ですが、このレストランで美味しい昼食を食べることが出来ました。お店の名前はColosseo Caffeです。
名前 Colosseo Caffe
住所 Corso Avvocato Luigi Manacorda, 71
Casale Monferrato Alessandria
電話 0142-45-4645
S.V. http://goo.gl/maps/ff5ep
青色マークがお店の場所です。マイナスのアイコンを数回クリックすると場所が判ってくると思います。
より大きな地図で Colosseo Caffe を表示
町の名前はカザーレモンフェラート(Casale Monferrato)です。ミラノから西南西に直線で70キロの場所で、道のりでは110kmの距離です。これが町の普通の景色です。こちらもCasale Monferratoの教会のある普通の景色です。このあたりはイタリアの水田を紹介した場所です。
イタリアで水田 ?? [イタリア]
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イタリアはリゾットなど、お米をよく食べる国だと知っていても、実際に見るまでは水田のイメージは湧いてこないですね。そこで6月16日に出会えたイタリアの水田の景色を紹介いたします。速いスピードで走っている車の中からの写真なので鮮明さはありませんが雰囲気がわかってもらえると思います。
ホントに水田なんです。特にミラノの周りは稲作が盛んだそうです。写真をクリックするとパノラマ写真を表示します。 場所によってはトウモロコシ畑とムギ畑も混在していました。12月には雪が積もる場所なんです。
イタリアの景色であることを信じてもらうために、水田の中にイタリアらしい建物(右端)が入った写真を探してみました。こちらの写真もクリックするとパノラマの拡大写真を表示するように設定いたしました。2012年のイタリアの米生産量は1,582,530トンで世界ランキング30位だそうです。(あーちゃさんのコメントで追記)
世界の米生産ランキング → ポチッ イタリア 1990~2012年
写真の場所は地図の中央のミラノとトリノの赤い円で囲ったあたりの景色です。イタリアの牛肉の刺身(カルパッチョ)を紹介したカザーレモンフェラート(Casale Monferrato)という町に車で向かうときに出会えました。すでに紹介したミラノの出た途端に信号待ちのときにフロントガラスを拭かれた日でもありました。
信号で待ってたら突然! [イタリア]
映画のシーンのような光景です。 場所はミラノでした。
信号待ちしていたら突然、窓拭きの人が登場です。そして拒否しても強引に拭き始めました。
こんな光景は日本ではちょっと見れないかな!
写真はクリックすると拡大します。
もちろん必要ないと言っているのに勝手に拭いたのだからお金は払いませんでした。
これ!いい稼ぎになるかも!
追伸
現在、関西の実家に来ています。いつも行くネットカフェが休業になっており一昨日までブログができませんでした。娘も実家に来たため娘のスマホのWi-Fiデザリング機能でスマホを無線ルーターとして使うことで持参のPCでアクセス出来るようになりました。ただしスマホが過熱するので、あも程度時間が経つと安全装置が働いて無線んラン機能が停止します。冷却されと使えるようになります。
ミラノの宝石 [イタリア]
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ミラノのセンピオーネ公園に咲いていました。
少し日本のと葉っぱの感じが違いますが純白の花が印象的でした。
ネットで調べたところ紫陽花の名前はアナベルのようです。
学名は Hydrangea arborescens 'Annabelle'
スフォルツェスコ城側から平和の門を見たところです。右下のところに咲いているのがわかりますか。
日本でも見つけました。それも家の近くで!
間違いなく同じものです。