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美味しいイタリアンカプチーノに出会えました。 [イタリア]

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ミラノを朝早く出て、北東50kmにある町ベルガモ(Bergamo) という小さな町に列車で着きました。
朝食のために入ったクロワッサンの専門店ですばらしいイタリアンカプチーノに出会ったので投稿します。写真をクリックしてみてください。溢れるばかりに入れられたイタリアンカプチーノの雰囲気が判ると思います。

ベルガモ(Bergamo)は小さな町で駅もかわいらしかったですね。
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まだ朝早かったので通りも霧に包まれていました。この通りの近くにカプチーノのお店があります。このお店の名前を調べました。
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航空写真でお店SUITE CAFFETTERIAの位置を紹介します。
 店名 SUITE CAFFETTERIA
    住所 Via Giovanni XXIII, 66 Bergamo
    電話 035-21-2459
    S.V. http://goo.gl/maps/BdlMx
 ベルガモ駅
クリックするとストリートビューを表示 教会Santa Maria Immacolata delle Grazie

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カプチーノの名店でスパゲッティを食べました。 [イタリア]

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全記事で紹介したイタリアンカプチーノのお店と同じお店です。→ポチッ
実は前記事で紹介した美味しいイタリアンカプチーノのお店を帰国後にクリックすると拡大調べたのですが見つけることが出来ませんでした。
でも、また6ケ月後に来る機会がありました。前回が12月6日で今回が6月15日でした。
そのおかげで、この名店の名前が判りました。
店の名前はSUITEです。SUITEはイタリア語でもスイートのことです。場所はベルガモ(BERGAMO) で、今回はそのお店で昼食にスパゲッティーを、いただきました。

クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
見た目は普通のスパゲティですが「茹で加減」と「トマトの酸味」ですごく美味しかったのです。絶妙の「茹で加減」と「トマトの酸味」を感じていただけたでしょうか。
さすがイタリアは本場です。 つい、出てきたチーズをかけてしまいがちですが、トマトソースがすごく美味しいのでチーズをかけないほうがスパゲティの美味しさがわかる感じがしました。いろんな具は必要ありません。味が画面に出せないのが残念です。
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そして、食後にはカプチーノをいただきました。
本当は、イタリアでは食事の後はエスプレッソというのがイタリア流です。カプチーノは邪道なのですが、このお店のカプチーノは特別だから!
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イタリアだけでなくヨーロッパは必ず最初にパンが出てきます。ここはケシパンとゴマパンでした。 だから料理が出てくるまでパンでビールというのが定番になってきました。
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お店の写真を掲載いたします。いつか行ったときのために! 駅から5分です。 クロワッサンも超有名なのでご注文を! でした。
  店名 SUITE CAFFETTERIA
  住所 Via Giovanni XXIII, 66 Bergamo
  電話 035-21-2459
  営業 毎日 7:00~23:30
  S.V. http://goo.gl/maps/BdlMx
  地図 http://goo.gl/maps/QHCu5
  紹介 http://2night.it/suite-bergamo.html
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追伸
2014年8月8日から8月15日まで関西に帰省するため、皆様のところへの訪問が出来なくなることお許しください。尚、8月25日からは海外の予定です。

ベルガモ(Bergamo) の普通の街並み [イタリア]

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イタリアのミラノから西北西に50kmにある小さな町、ベルガモ(Bergamo)クリックすると拡大に来る機会ががありました。この町は丘の上に中世の旧市街が残っていることで有名です。上の写真はベルガモ駅です。
楽しく生きようさんから門司港駅を思い出されたとのコメントを頂いたので、ネットから拝借した門司港駅の写真を右に追加掲載させていただきました。なるほどです。

場所は地図でベルガモの位置を紹介します。赤色マークがベルガモ駅です。この町にはミラノから鉄道に乗って訪れました。がミラノ中央駅です。青色ラインはミラノ→ベルガモの鉄道です。緑色ラインは別ルートです。

より大きな地図で ベルガモ を表示
イタリアは、前記事の中の表で紹介の通りマクドナルドが10万人当たり0.666店と先進国の中では、格別に少ない国です。クリックすると拡大日本の23%でアメリカの15%なのです。
ところがベルガモ駅前にドーンと建っていたので珍しくて写真を撮ってしまいました。
ここのマクドナルドの建物は、なかなか立派かのにも驚かされました。
写真をクリックすると2階のバルコニーにマックおじさん(Ronald McDonald)が立っているのが判ると思います。海外ではロナルド・マクドナルドと発音しますが、日本では発音しにくいので、ドナルド・マクドナルドとなっています。
ストリートビュー(S.V.)でも確認が出来ます。→ http://goo.gl/maps/uTiXC
表示されたS.V.を回転させると駅舎が確認できます。
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冒頭にも書いた通り、ここは丘の上の街が有名です。下の街はそれに比べると新しいのです。少し雰囲気を味わってもらうために普通の景色を掲載しました。
駅前の正面から丘に向かった真っすぐに道があります。正面に旧市街の丘があります。 ベルガモはイタリアンカプチーノのすごくおいしいお店があった場所です。おいしい料理のレストランもありました。近いうちに両方ともに紹介したいと思います。
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下の街でも石畳も健在でした。
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丘に向かって真っすぐに北に進みました。道沿いには気になる建物がありました。 こちらは教会のようです。調べてみるとSanta Maria Immacolata delle Grazieという教会でした。
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こちらの建物も気になりました。
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謎の建物は道を挟んで2つ建っていました。遠くに丘の上の街が見えます。
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丘の街に近づいてきました。車が多かったです。
ここでのストリートビューです。 → http://goo.gl/maps/JeApb
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にぎやかな街から10分も歩くと趣のある静かな場所に行ける町でもありました。
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フィレンツェ [イタリア]

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イタリアのピサを紹介いたしましたが、その前日はフィレンチェに泊まりました。フィレンツェを紹介いたします。イタリア旅行のコースにはフィレンチェが必ず入るほどきれいな町でした。フィレンツェについて先ず最初に案内されたのがフィレンチェの町全体が見渡せるミケランジェロ広場です。フィレンツェの街の中心部とアルノ川を挟んだ丘の上にあり、これから歩く町全体の説明をしてもらえました。
中央のドームのある大きな建物が、後ほど紹介するドゥオモです。その左の高い塔がある建物がヴェッキオ宮で手前の川沿にある教会がサンタ・クローチェ教会です。

ここは「ウフィッツィ広場」です。ウフィッツィ美術館の前の細長い広場です。美術館の前だけあって、このような光景を沢山見かけました。大失敗! 頭に隠れて絵が写っていません。残念でした。
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ウフィッツィ美術館に入りました。この美術館はルネッサンス美術の世界最大の宝庫と呼ばれており、よく知っている名画が沢山展示されていました。それらは残念ながら撮影禁止でしたが、窓の外にはフィレンツェのアルノ川に架かる橋で最も有名なポンテ・ヴェッキオが絶好の構図で見えるのです。ここだけは撮ってもよいと添乗員の方に教えてもらったので紹介いたします。
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ヨーロッパは路地も芸術的な景観を見せてくれます。特にフィレンツェは、どの路地も魅力的でした。
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丘の上のミケランジェロ広場から大きな丸いドームが見えた一際大きな建物がドゥオモであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。正式名称はBasilica di Santa Maria del Fiore(花の聖母教会)です。
近くに行くと大きすぎて下のように全景を写すことが出来ませんので冒頭のミケランジェロ広場からの写真から切り取った写真を右に掲載いたしました。近くで見ると壁の装飾には驚かされました。1296年から140年かけて築造された高さ106mの大クーボラ(円蓋)を持つ巨大な教会でした。
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ドゥオモの内部です。ドーム部分の内側には絵が描かれていました。
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クリックすると拡大2013年5月4日10時からテレビ東京「美の巨人たち」で「天国の門」が放送されたことから下の写真を追加いたしました。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に付属するサン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni) にはロレンツォ・ギベルティの最高傑作と言われている「天国の門」がありました。全体の写真を撮っていなかったため右の全景写真はWikimediaから拝借いたしました。
この扉は高さ約5メートルで、縦横80センチ、10枚の金箔を施したブロンズパネルで構成されています。
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クリックすると拡大10枚のパネルには旧約聖書の物語が紙芝居のように展開されているそうです。そして彫りの厚さを変え、見事な遠近感を表現しています。ちなみに「天国の門」の名前は、のちにミケランジェロが、この名前を使って賞賛したことから、この名で呼ばれるようになりました。この東の扉(天国の門)は1425年~1452年の27年間をかけて作られました。その前に作られた北の扉は1402年~1426年の24年間かけて作られたのでした。右上の写真はWikimediaから拝借した洗礼堂の写真です。
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2013年5月4日 (土) 美の巨人たち (TV東京系)放送内容
ロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti、1381年頃 - 1455年12月1日)
ルネサンス期フィレンツェの彫刻家、金細工師。今日においても賞賛される高い技量を有し、工房からは多くの弟子が育ちました。
天国の門(1452年)
初期ルネサンスの代表的な彫刻作品です。
ルネサンスの故郷、フィレンツェ最初の宗教的なモニュメントである、サン・ジョヴァンニ洗礼堂北側の扉です。ただし、現在の扉はレプリカであり、本物は修復後、博物館に展示されています。名付け親は、かのミケランジェロ…、ミケランジェロは1975年生まれなので、たいぶ後になっての命名なのですね。
このパネルに描かれた作品のテーマですが、最初は「アダムとイブの物語」、次いで「カインとアベルの物語」、「ノアの物語」、「アブラハムの物語」と、旧約聖書の創世記の物語が紙芝居のように表現されています。
金細工師の父の元で修行したギベルティは15世紀初め、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉の制作者を決めるコンクールに応募します。そこで最終選考に残ったのがギベルティともう一人、後にルネサンスを代表する建築家となり、遠近法の創始者ともされるブルネッレスキでした。共に20代前半、若い芸術家同士の闘いとなったのです。
選考は大いにモメたようですが、ブルネッレスキは辞退しローマへ向い、ギベルティが勝利しました。 フィレンツェ屈指の彫刻家となったギベルティが、時を経て指名され、制作したのがこの『天国の門』でした。 番組では、現在でも尚驚嘆されるギベルティのブロンズ技術にせまりました。そして、かつてのライバルであり、建築家となって帰郷したブルネレスキが発見した、遠近法の技術も取り入れ、旧約聖書の物語を美の結晶として再現したのです。

道の正面に塔がある建物がヴェッキオ宮です。94mの高さの塔を持つゴシック建築です。自由都都市体制を打ち立てたフィレンチェが、執行官の館として13世紀に建て、その後、市庁舎となり今に至っているそうです。
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ヴェッキオ宮は塔が魅力的です。特に頂上に近い部分の造形には驚かされました。
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フィレイチェではウフィッツィ美術館に入った後は自由行動となりました。ヴェッキオ宮前のシニョリーア広場です。中世の自由都市時代には、ことあるごとに市民が集まった広場だそうです。ここには沢山の彫像が並べられており屋外美術館のようでもありました。
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こちらはサンタ・クローチェ教会で、フィレンツェの町を何気なく散策している時に引かれて立ち寄った教会ですが、ミケランジェロなどの偉人の墓が276基もある教会であることを知りました。
サンタ・クローチェ広場に面した部分ですが、この奥に巨大な教会の本体があります。塔が少し見えますが、あのあたりまで一つの建物なのです。
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昼はCaffè Bigallo で昼食でした。料理はツアーに含まれており「なすのパスタ」でした。アルコール類は自前で、当然ビールを頼みました。
お店のホームページを見つけました。→ポチッ


ツアーには夕食が結構付いているのですが、この日は自由だったので町に出て食べました。魚介料理の気楽なお店を選んでみました。
お店は気楽な安いお店を選んだので、料理は少し豪華にロブスターを中心にしてもらいました。料理はホタテ、生ハム、ロブスターのパスタに黒鯛、さらに大きなロブスターを一匹頼みました。
お店の名前は「Ostaria dei Cento Poveri」です。日本語に訳すと「百人の乞食の食堂」だそうです。旅行ガイドブックを見て、日本を出発する前からの候補でした。小さなお店で雰囲気を楽しむことが出来ました。ガイドブックには「手軽な料金で食べられる魚介料理レストラン 海の幸が豊富な南イタリアのプーリア料理専門店」と書かれていました。下の写真は右上の写真から切り取りました。

家族旅行の最初の訪問地は! [イタリア]


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すこし前に家族での初めての海外旅行はイタリアにしました。その旅行の最初の訪問場所がミラノのスフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)でした。写真は城の正面のフィレーテの塔とカステッロ広場の噴水です。
この旅行では裏技を使わさせてもらいました。裏技とはJTBのパックツアーでしたが航空券は自分手配することでした。自分手配の航空券とは溜まったマイレージを使った特典航空券のことなのです。以前から一度試してみたかったのですが、旅行会社に頼んでも断られ続けていました。今回受け入れてもらったJTBでも、ほとんどお店に断られましたが一店だけOKしてくれたのです。それからが大変でした。特典航空券は思い通り日の予約が出来ません。一方でパックツアーも日にちが決まっています。さらに休暇が取れる日も決まっているのでタイミングの合わせるのに苦労しましたが、おかげでパックツアー料金の中から航空券代として3名合計で90万円ほど、値引きしてもらえました。学校が夏休みに入った時で航空券の高い時期だったようです。

自前の航空券で行くとうれしい恩恵がありました。成田空港ではラウンジ(左の写真)で、のんびりと過ごせることに加えて、早めの予約であり座席が好きな場所が取れることでした。この時は3人共に通路側を予約しました。通路を挟んだ隣席とその前の席です。実は通路側を予約しておくと満席でない場合は隣席が空く可能性があることは経験的に判っていたのです。ただしチェックインの時に驚かれました。

もう一つの恩恵が直行便で行ける事なのです。パックツアーではブリティッシュ・エアウェイズ(BA)が使われるためロンドン経由となりミラノ空港に着くのが22時40分になるのに対して直行便だと17時50分でした。旅行会社から教えられていたホテルにチェックインしたあと、街に出かけて夕方のミラノを楽しめました。
ガイドブックで事前調べていたピザ専門店(ピッツェリア)のPaper Moon(右の写真)にも行き、ペーパーのようなピザ2枚など、夕食もゆっくりと楽しむことが出来ました。
ガイドブックにはPaper Moonは「昼どきはファッション関係者で込み合うお店 "紙の月"という店名のごとく、薄くカリッと焼き上げたピザが自慢」と書かれていました。
暗くなってきてホテルに戻っても、まだロンドン経由からの方々は着いていませんでした。会えたのは事前に聞いていた翌朝の待ち合わせ時間でした。
ツアーの方は成田を出るときに3名ほど人数が少なかったのでキャンセルされたものと思っていたそうですがミラノについて翌日に全員そろったので、これもまた不思議に思われたことを、親しくなってきた4日目の昼食の時に初めて質問されました。航空券を自分で手配したことを説明して皆さんやっと疑問が解けてなっとくされていました。

下の写真のバスがミラノ市内の観光とベネチアまでの移動に使われたバスです。最初から最後まで同じバスではなくて町を移動するごとに交代いたしました。
この時は「ミラノベローナベネチア」と「ベネチア~フィレンツェ」と「フィレンツェピサ~フィレンツェ」と「フィレンツェ~シエナ~ローマ」と「ローマ市内」と5回変りました。
毎日バスが変るのには驚かされましたが、それぞれの地元のバスを使うほうが効率的だと説明されました。当然ですが日本から来られた添乗員の方は最初から最後まで案内してくれました。そして大変にお世話になりました。
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スフォルツェスコ城(またはスフォルツァ城)は元々は14世紀にミラノを支配していたヴィスコンティ家の建てた居城でしたが。その後、ミラノの支配者となったミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァが1450年にヴィスコンティ家の居城を改築して現在の姿となったそうです。内部の美術館にはミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されていました。一辺が約200mの正方形に近い形をしており、正面のフィレーテの塔の周囲を回廊が巡り、内側に広い中庭がありました。この写真は中庭側から見たフィレーテの塔と城壁です。城壁は内側から見ると窓や入口がある建物となっていました。
写真の中央の集団が今回のツアーの全メンバーです。この時のツアー人員は21人(2人X9組 3人X1組)で、我々だけが3人でした。
人の大きさからフィレーテの塔の大きさが判ってもらえると思います。オレンジの帽子をかぶっているのが娘(右端)です。写真をクリックして拡大するとわかると思います。
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城壁と堀で囲まれた堅牢なお城でした。
元々、北イタリアは諸侯の勢力争いの耐えない地域でしたが、歴代の君主たちによって城には防御のための改築が度々加えられ、17世紀の初めにはヨーロッパでも1、2を誇る堅固な要塞となったそうです。
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航空写真を紹介します。スフォルツェスコ城の後は大聖堂ドゥオモ、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア、スカラ座や美術館に行きました。


イタリアの自転車野郎 [イタリア]


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家族で初めて海外旅行に来たのはイタリアで、初めての訪問場所がミラノのスフォルツェスコ城でした。その思い出の場所に仕事ではありますが、また来ることが出来ました。その場所はミラノのスフォルツェスコ城に来てみました。さすがヨーロッパは自転車の国!
今は日本の自転車部品は良くなったけれど昔はイタリア製に憧れたものです。私の古い自転車にもイタリア製の部品を使いました。
ミラノは路面電車は古いのも新しいのも走っています。

拡大写真を掲載します。


記念撮影をしているということは地元の人ではなさそうです。
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スフォルツェスコ城の内側からの写真です。


外側の堀 この周りを馬に乗ったお巡りさんが巡回していました。


中庭です。

中世の町 シエナ [イタリア]

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クリックすると記事を表示シエナ(Siena)は街並みに中世の雰囲気があり、イタリアで最も気に入った町です。
上の写真はカンポ広場で町の中心にある大きな広場です。
扇状の広場で扇の要の部分から周囲の方に傾斜して高くなっていることから集会などに使われたものと感じました。そして要の部分に高い塔が建っているのです。
クリックすると記事を表示家内ともシエナが気に行ったみたいでした。

広場から撮りました。もちろん中世の姿をとどめる旧市街は「シエナ歴史地区」として世界遺産に登録されています。街の中心の扇状のカンポ広場は圧巻でした。
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写真のレストランで昼食となりました。
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昼食風景です。沢山のお客さんが食事をされていました。
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レストランからの景色です。 こちらでの昼食はツアーに含まれていました。雰囲気のいい場所での昼食でした。
イタリア旅行には家内とと3人(右の写真)で来ました。
レストランにはRISTORANTE PIZZERIA SPADA FORTEと書かれていました。 SPADA FORTEが店の名前ではないかと思います。パンを使った料理とメインデッシュのはローストポークでした。もちろんワインを頼みました。
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SPADA FORTEの名前からネットでレストランを探しました。
クリックするとネットを表示Located on the most elevated corner of Piazza del Campo in Siena, the Spada Forte restaurant is a typical Tuscan restaurant that also serves pizzas. Nicely perched on its private corner of the square, it enjoys a wonderful view of this unique location in the world. Not many tables are gathered outside under the Siena sky. Table cloths and earthenware glasses (one for water and one for wine) remember the customer that this is a restaurant that pays attention to comfort details but also that this is a land where its medieval past is omnipresent.

写真は街並みの全景です。シエナ(シエーナ)はイタリア共和国トスカーナ州中部にある都市であり、その周辺地域を含む人口約5万5000人の基礎自治体(コムーネ)です。中世には金融業で栄えた有力都市国家であり、13世紀から14世紀にかけて最盛期を迎えました。トスカーナ地方の覇権をフィレンツェと競い、またその経済力を背景として、ルネサンス期には芸術の中心地のひとつであったそうです。
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裏通りに旗が飾ってあるのはお祭りの関係
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こちらは裏通りです。 
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ここが町の入口です
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この道が町の中のメイン通りと思われました。
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お祭りのパレード
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街の境界のマーク(芋虫と?) と 紋章

携帯電話やワンちゃんの写真を見ると、こんな町でも暮らしている生活は普通の感じでした。
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シエナの町の遠景 ドゥオモやサンタゴスティーノ教会が見えます。この地方の丘陵上の都市と同様、エトルリア人の居住地に都市の起源があるとされていますが、シエナの古代の姿は明らかではないそうです。ローマ時代には主要な街道からも外れており、キリスト教が伝わったのも4世紀であったそうです。シエナが重要な都市として姿を現し、歴史の上に明確な位置を占めるようになるのは中世以降だそうです。
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城壁の飾りも趣きガあります。
シエーナ共和国は内部に貴族と市民の間の対立を抱えながら、外に最大のライバルであるフィレンツェとの抗争を繰り広げたそうです。教皇派と皇帝派の抗争ではフィレンツェが教皇派(ゲルフ)であったのに対抗し、シエーナは主に皇帝派(ギベリン)の立場に立っていました。1260年のモンタペルティの戦いで、シエナはフィレンツェに大勝を収めるも、1269年にはコッレ・ヴァル・デルサの戦いで大敗を喫しています。この敗戦を契機にシエーナでは皇帝派の政府が倒れ、フィレンツェとの関係が改善されたそうです。
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シエナの冒頭の写真のカンポ広場を中心にした航空写真です。


MOTO GUZZI製の白バイ [イタリア]

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ヨーロッパはイタリアも含めての白バイと言えばドイツ製のBMWばかりですが、イタリアのミラノでBMW以外の白バイを見つけました。それも珍しそうなバイクだったのでさっそく写真を撮りました。Polizia Stradale(交通警察)のマークが印象的です。お巡りさんも、ちょっと渋い感じの方でした。
有名なサッカー選手に似た人がいそうな感じです。怖そうにも感じますが、おばあちゃんに親切に話していました。
写真でネームプレートと見るとMOTO GUZZIの文字! このメーカの白バイは初めて見ました。と言うかこのバイクそのもの見るのがはじめてでした。
バイクは詳しくないけれどネットで見ると、どうもイタリア製らしくて、なかなか通なバイクって気がしてきました。もしかしてめずらしいバイクの写真を撮ったのでは? と思い投稿いたしました。
誰か知っている人が見てくれるといいんだけれど!
型番は850-T5 1983年~1984年モデルか1984年~1987年モデルクリックすると拡大のV型エンジンのバイクのようです。と言うことは29年~25年前の白バイということになります。この人が二十数年間愛用してきたバイクのような気がします。ネットで型番は850-T5を検索すると
 ずばり出てきます。→ポチッ 1段目の右側

別の角度からもう一枚
ヨーロッパでは白バイはいつも2台一緒に行動しています。なぜかこの白バイだけは1台なのです。このお巡りさんの雰囲気からなんとなく1人が似合っていると思いませんか。特別な人なのかもしれません。
場所はミラノのドゥオモの前です。写真のバックにドゥオモが写っています。
ネットで調べると、モト・グッツィ(Moto Guzzi )は、現存するイタリア最古のメーカーで1921年に設立された、イタリア・ロンバルディア州、コモ湖畔の村マンデッロ・デル・ラーリオに所在するオートバイメーカーで、ピアジオ社傘下だそうです。空冷縦置き90°Vツインエンジンとシャフトドライブの採用が同社のアイデンティティとなっているそうです。


ミラノの白バイで一番多いのは、この色合いのBMW製のこのバイクです。前々回の時に撮った写真も同じでした。バイクの横に、町の名前MILANOと書かれています。
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クリックするとローマのバイク色の違うのも走っていました。でもBMW製です。写真をクリックするとローマで撮った写真と同じバイクということが判ります。

ミラノのゴミ箱は緑色 [イタリア]

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ベトナムのハノイのゴミ箱が緑だったこと覚えておられますか?
関係ないと思いますがミラノの街中のゴミ箱は鮮やかな緑色です。 
日本ではいろんな理由でゴミ箱が減ってしまいました。
でもミラノはすごくゴミ箱が目立つ町でした。

ほんとに街の中はゴミ箱がすごく多いんです。下の写真で数えてみてください。ゴミを捨てるのに困ることはありません。クリックすると場所がわかります。


ただし公園のゴミ箱は深緑色 鮮やかな緑は似合わないからかな。


ゴミ収集車も緑色でした。これは関係ありそうです。 


落書きを落とす業者の車も緑色でした。
さて関係のほどは?

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