SSブログ
思いで ブログトップ

男明神と女明神 [思いで]


2022年6月24日再掲載 タイトル:西宮球場が写った写真の撮影場所
クリックすると拡大
上の写真の撮影場所が判ったので、写真などを追加して再掲載いたしました。
クリックすると拡大父は写真を撮っているために写っていませんが、家族4人で阪急・西宮北口駅から西宮球場の横を通って右の写真の武庫川の河原を目指いしてるところの写真でした。服装や持ち物が2枚の写真は同じです。この時、私は1歳でした。ちなみに私は9ケ月で歩いたそうです。写真の左上の小さな写真は撮影場所を書き込んだ昔の航空写真です。クリックすると特別に大きく拡大いたします。


2012年11月17日掲載 タイトル:男明神と女明神

学生時代の白川郷の写真を紹介したのを機会に、もっと昔の写真を紹介いたします。幼稚園(3歳)から小学校4年生(10歳)まで広島市の井口という場所に住んでいました。その時の住所は広島市井口町で今の住所は広島市西区井口です。私が住む以前の地名は佐伯郡井口村でした。1956年11月1日に広島市に編入されて広島市井口町となったそうです。「井口」は戦国時代以来の古い地名で、当時は広島湾に突き出す半島であった鈴ヶ峰が「猪の口」の形に似ていたことに由来するという説と、隣接する古江の入り口すなわち「江の口」が転じたという説があるそうです。

防波堤が先端まで写っている写真を、実家のアルバムで見つけたので追加させてもらいました。私の生まれたころの写真や祖母と祖父の写真も見つけたので、後ろの方に追加させてもらいました。
その井口では昔は海岸に面しており、私が住んでいた家も海に面していました。上の写真も下の写真は住んでいた家の庭から撮った景色で真中の島のように見えるのが小己斐明神(こごいみょうじん)で別名で男明神(島)または小己斐島です。私が引越して来た時にはありませんでしたが、昔は女明神(島)という小山もあり夫婦島として有名だったそうです。


今は、この海は埋め立てられて海岸線は遙かかなたですが、赤い線(━━)が私が住んでいたころの海岸線です。通っていた広島市立井口小学校と聖モニカ幼稚園などの近所の場所も記載いたしました。
私の住んでいたころには男明神の横は漁港でした。上の写真でも小舟が沢山停泊しているのがわかってもらえると思います。
クリックするとWeb Mapを表示

Google地図に直接マークを入れました。赤色マークが住んでいた家があった場所で、緑色マークが男明神や女明神や庭の小山のあった場所です。赤色ライン(━━)が昔の海岸線で青色ライン(━━)が防波堤のあった場所です。マークやラインをクリックすると説明文が表示されます。

左が男明神で左が女明神と思われた小山の写真です。実は女明神と思われる小山が家の庭にありました。庭と言っても国道と庭との間にありました。この山の上に登ったり、くりぬいて作られた防空壕に入ったりして遊んだ記憶があります。右の写真の小山は無くなって今は手打うどん店の敷地になっています。お店の名前は純手打うどん香房・広島本店です。


女明神の明確な写真がなかったのでネットで探して拝借して掲載いたしました。この写真の角度はよくわからないのですが、2つの明神の接近ぐあいから見て、庭にあった小山は女明神ではないかもしれません。さらに調べると女明神は1933年に姿を消したそうなので庭にあった小山は女明神ではないことがはっきりしました。


もう一枚、1924年の写真を拝借いて紹介いたします。右が男明神で真中が女明神です。左の線路の向こうに小山が見えます。その中の一番手前が庭の中にあった小山だと思われます。それ以外の小山は我々が引越してくる前には削られてなくなったようです。上の写真は東から撮られたもので、この写真は西の方角から撮られたものようです。それにしてもずいぶんと海岸に近いところを線路が走っていたものです。私が住んでいた頃は線路と海岸の間に国道2号線がありました。


さらに古い一枚をお借りいたしました。明治初期のころの写真だそうです。
クリックすると拡大

こちらの写真も家の庭から撮った男明神です。近所の子供たちが、このコンクリートの壁の上から海に飛び込んでいました。実は冒頭の写真を見てもらうとわかるようにこの壁から海までは高いだけでなく距離もありました。霞んでいますが男明神の向こう側に宮島が写っています。


幼稚園の遠足で宮島に行った時の写真です。黄色い丸印()が私です。クリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大

コンクリートの壁がどのくらいの高さであったか知ってもらうために、この写真をを掲載いたしました。コンクリートの壁の下には人が通れる段がありました。この上から海に飛び込むのは勇気が必要だったと思います。この右の壁の上に我々の住んでいる家が建っていました。
この段の部分ではよく親父が夜釣りをしていました。チヌ(黒だい)が目的で潮が引いた時に餌のゴカイを一緒に採りました。アサリもよく採れたので、お袋とはアサリ採りでした。そんな思い出の場所でした。
我々(姉と私)のバックに男明神が写っているのがわかってもらえると思います。男明神と一緒に撮った我々にとっては、たった一枚の貴重な写真でもあります。

瀬戸内海の島々もきれいに見えました。家に来た近所の同級生の写真ですが、庭から海の方を撮った写真はこの一枚だけだったので使わさせてもらいました。当時、親しかった2人の同級生の1人です。右の方の綺麗な稜線の山は安芸小富士です。同級生が座っているコンクリートの下が私と姉が写っている上の写真です。


同級生には申し訳ないけれども海の景色だけに加工してみました。目の前の海は埋め立てられたので、今はこの場所から海を見ることはできません。埋立地の先端まで行けば見ることが出来ることをGoogleマップのストリートビューで確認いたしました。直線距離で、この場所から安芸小富士までは7.61kmで、埋立地の先端までは1.28kmです。
クリックすると拡大

こちらが住んでいたです。幼稚園から小学校4年までの短い7.2年間でしたが海の近くの生活を体験できました。クリックすると拡大この後、神戸市東灘区の岡本に引越しました。小学校は神戸市立本山第一小学校です。突然に生徒数が6倍の学校に変わるなど田舎から突然に都会に出てきて戸惑うことが多かったです。電車が空中を走る(高架)は絵本の中の世界だけのだったが現実になったのが印象的でした。現在は、この場所にマンション「ヴェルディ井口明神公園」が建っています。現在の住所は広島市西区井口明神2丁目です。


このころから写真を撮っていたようです。買ってもらった子供用のカメラです。家の感じがわかりやすいと思うので紹介いたしました。庭の東方向の写真です。右側に海があります。


庭の東の端で撮った写真です。右下は私です。
後の3人は父が勤めていた銀行(現在:みずほ銀行 前身:日本最古の銀行(1873年創設) )の同僚の子供たちでよく遊んでもらいました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大庭は結構、広かったです。庭の西方向に撮った写真です。左側に海があり、左側に上で紹介した庭の中の岩山があります。その岩山が右の写真で男明神くらいの大きさがありました。そのことからも庭の広さが分かっていただけると思います。海に沿った長い庭だったので父は実際に玉を打つゴルフの練習をしていました。


聖モニカ幼稚園で山口県の錦帯橋に遠足に行ったときの記念写真です。
クリックすると拡大

聖モニカ幼稚園での学芸会の風景です。真中が私ですがなぜか男の子は私一人です。


下の写真が小学校の入学式の記念写真です。黄色い丸の部分が私です。この写真に写っている大人が、小学校の先生全員です。一学年一クラスだったのです。右の写真は入学式の日に家の門の前で撮った記念写真です。
数少ない家が写った写真ですが家の塀は板塀でした。小学校ま低学年の記憶は断片的なものになってしまっていますが写真を見ると小学校の頃のことを思い出します。4年生の夏に広島市井口町の井口小学校から神戸市東灘区岡本の本山第一小学校に転校したわけですが、担任の先生から職員室に呼ばれて、野口英雄の伝記と牧野新日本植物図鑑の2冊の本をクリックすると拡大餞別にいただいたことが、今でも鮮明に記憶に残っています。下の写真の右端に座っている若い先生が担任の先生でした。右の小さな写真は全体の写真から、その先生のアップに移動して最後は私の写真になります。写真をクリックすると大きな全体写真を表示します。


懐かしく思い最近、引越ししてから初めて井口に行きました。そのときに小学校にも寄りました。写真の大きな桜の木が上の写真の花が咲いている桜の木だと思います。長い間に大きくなったようです。新しいシーソーも昔のシーソーと同じ場所か近い場所にありました。クリックすると拡大します。3D航空写真


昔の校舎が写った写真を紹介します。私が2年の時の運動会の写真です。私が真中です。両端の二人が学年のライバル同士です。お互いを意識しているのが分かってもらえると思います。その右端の人が私の友達で、いろんな場面で守ってくれたことを覚えています。今は、この校庭には校舎が建っています。
クリックすると拡大

右の写真の広島の担任の先生に頂いた携帯版の牧野新日本植物図鑑がクリックすると拡大ボロボロになったので買い替えたのが下の写真のフル版の牧野新日本植物図鑑です。こちらもボロボロになりました。右の写真は入学式の写真ですが、1学年1クラスだったので、4年生まで同じ先生が担任でした。私が引越してからクラス増え始めて1学年10クラスを越えるほどになったそうです。
クリックすると拡大

男明神の昔の写真と最近訪問した時の写真を比べてみます。松の形は変わってしまったようです。


現在の男明神の大きな写真も掲載いたします。


男明神の裏側からの写真です。昔は海でしたが男明神の周りは池として残されていました。白い建物のあたりが私が住んでいた家が建っていたあたりです。鳥居は昔もありました。


こちらが昔の鳥居です。どうやら朱色ではなく白木のようです。クリックすると拡大右の写真が私と姉の記念写真です。下の写真の野球帽の男の子は私の同級生で、数枚上の運動会の写真の右端の人です。
平安時代の終わりごろ、平清盛が厳島神社や鳥居を新築した際に鈴ケ峰から木を切り出して、井口で製材し、刻印をうち、いかだに組んで厳島に向けて送り出した由緒あるところで「刻印の明神」と名付けて祀ったそうです。18世紀末、新開地造成の時、己斐・旭山神社の分身がその守護神としてここに合わせまつられ、小己斐明神と呼ばれるようになったそうです。子授けの神としても敬われ、子乞(ご)い明神ともいわれてきたそうです。この写真は私が4年生なので神戸に引越しが決まったので小己斐明神(男明神)で記念撮影をしたのだと思います。写真をクリックすると拡大します。


海が近かったので海水浴にもよく行きました。


ちょっとした悪ガキでもありました。裏山の鈴ケ峰のハイキングは近所の人たちとよく行きました。後ろの真ん中は姉で両サイドが近所のお友達です。


ブログのアイコンに使っている写真はこの頃の写真です。
写真のピントが姉の方に合っていることから、おそらく写真を撮る瞬間に私が前に乗り出したのだと思います。これも今となってはいい思い出になります。撮ってくれた親父に感謝です。


私が1歳のときの写真です。私は9ケ月で歩いたそうです。私は2歳の時に兵庫県西宮市夙川から広島市平野町に引越してきたので、クリックすると拡大こちらは夙川に住んでいたころの写真だと思います。左の建物は野球場だと思いますが場所は思い出されませんが1歳から2歳までは兵庫県西宮市夙川に住んでいたのでネットで画像を探した結果、2004年に取り壊された阪急西宮球場の可能性が高いです。実家に帰った時にでも確認してみます。阪急西宮球場は阪神甲子園球場に対抗して1937年に完成した大きな球場で完成当時で57000人収容の日本屈指の球場だったとそうです。もし阪急西宮球場だとしたら昔の貴重な写真になるかもしれません。そして右手に見える山は六甲山ということになります。このころは舗装されていない地道(土の道)でした。
クリックすると拡大

昔の航空写真に上の写真を撮影した場所を、正確ではありませんが黄色の丸印で示します。写真はヒョーゴアーカイブスから転用させていただきました。西宮球場の跡地はショッピングセンター(阪急西宮ガーデンズ)となっています。


こちらは武庫川の河原です。服装や持ち物のカバンが西宮球場近くを歩いている写真と同じなので、西宮球場近くを歩いている写真は武庫川の河原に行くために歩いていたのだと思います。この時は夙川に住んでいたので阪急電車に乗って西宮北口駅まで来て武庫川の河原までは歩いたのだと思います。


武庫川の河原で遊んでする写真を、もう一枚紹介します。西宮球場近くを歩いている写真で、かぶっている帽子と同じだと分かってもらえると思います。


現在の航空写真に上の写真の撮影場所に をプロットしました。阪急の西宮北口駅の東700mの辺りです。この場所で東から西方向に撮ったと思われます。


お揃いの服です。これは手作りかな。上の写真よりも少し大きくなりましたが年齢からみて、これも夙川時代だと思います。この後に広島の平野町に引越したのでした。洋服は黄緑に近い緑色と茶色が混ざった模様だったようです。


クリックすると拡大こちらは会社のクラブハウス(宝塚)で撮った家族の記念写真です。1月生まれなので私は6~7ケ月目ぐらいだと思います。これ以降の写真も今回追加したものです。建築家の村野藤吾の設計の東京銀行宝塚クラブハウスだと思います。建物の写真は村野藤吾作品集第1巻(1928-1963)に掲載されているようなので、いつか確認したいと思っています。1980年に建てられた宝塚市庁舎も村野藤吾の作品です。
IMG_2430-400.jpg

赤色マーク( )がクラブハウスが建っていたと思われる場所で、黄色で着色した部分はグラウンドやテニスコートなどの施設だと思われます。紫色マーク( )は阪急宝塚駅です。
IMG_2430-400.jpg

上のGoogleマップに位置を書き込む根拠にしたのが1961年5月13日に撮影されたこちらの国土地理院の航空写真です。
IMG_2430-400.jpg

1985年の航空写真でもこの場所を見つけました。この航空写真はWikipediaに掲載されていました。
クリックすると拡大

東京銀行宝塚クラブハウスが建っていた場所を探している中で同じ場所で撮った写真を2枚見つけたので紹介します。クラブハウスは写っていませんが服装や周囲の松林の雰囲気から同じ時に撮られた写真だと分かりました。2021年7月25日早朝から実家の宝塚に行くので、滞在中にこの場所に行ってみたいと思っています。
クリックすると拡大

もう1枚が父がクラブハウスの横のテニスコートで撮った写真です。
クリックすると拡大

こちらは東京銀行が三菱銀行と合併(1996年4月1日)した2年前の1994年の航空写真です。東京銀行の敷地はまだ住宅地になっておらずグラウンドやテニスコートはあります。ただしクラブハウスと思われる建物は1961年5月13日の航空写真と形や大きさが違うことから1961年から1994年までの間に建替えられた可能性があります。
クリックすると拡大

こちらが山口県熊毛群周防久保にあった父方の祖母と祖父の家です。子供のころはよく行いった思い出の家です。写っているのは祖父です。


こちらが祖父と祖母です。今は亡くなっていませんが私の大切な写真なので掲載させてもらいました。


こちらが母方の祖母と祖父です。右端が祖母で左の2人が母の妹でその右側が祖父です。それ以外は私と姉と母と父です。母の兄弟にはここに写っている以外に弟が2人います。この写真は山口県岩国市にある母方の実家の家です。今は母の弟である長男(私の叔父さん)が住んでいます。


生れてから今までに住んだ場所をプロットいたしました。住んだ順番は兵庫県(2)→広島県(2)→兵庫県(3)→大阪府(1)→兵庫県(1)→千葉県(2)でした。
 兵庫県 6ケ所
 広島県 2ケ所
 大阪府 1ケ所
 千葉県 2ケ所
IMG_6801-50.JPG
IMG_6801-50.JPG

ちょっと危険かな 立山黒部アルペンルート [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2022年5月8日再掲載
タイトル:富山のチューリップフェアの番組を見て「雪の回廊」を再掲載
クリックすると拡大
2022年5月7日にNHKBSプレミアムの番組で「咲いた!300万本 富山チューリップ中継」が放送されていました。上の写真は、チューリップの球根出荷量日本一の富山県にある砺波チューリップ公園のチューリップの花の回廊です。ちなみに私が見た2022年5月7日の放送は2022年4月30日(初回放送日)の再放送でした。番組には山瀬まみさん(タレントなど),鈴木福さん(俳優)、石井智也さん(NHK),川崎景介さん(花文化研究者)、佐伯幹夫さん(チューリップ四季彩館)、三上亜紀代さん(チューリップ四季彩館)、舟木真理さん(NHK)、埜村丈雄さん(球根農家)などの方々が出演されていました。

このチューリップの花の回廊は、立山黒部アルペンルートの「雪の大谷」をイメージして20品目5万本のチューリップを使って作られたものだそうです。チューリップの壁の高さは4mで、名称は「花の大谷」だそうです。クリックすると拡大「雪の大谷」が話題になったので過去に「雪の大谷」の写真を掲載したことを思い出して、本記事を再掲載させていただくことにいたしました。その過去記事の写真の一つが右の写真です。このころの私は、番組で説明している人と同年代になるのだと思います。室堂平の雪の大谷の写真は富山県観光公式サイト「とやま観光ナビ}から転用させていただきました。
クリックすると拡大

現在の「花の大谷」はカラフルな色のチューリップで作られていますが、4月29日までは白い花のチューリップが使われていたそうです。4月29日の夜に4時間かけて、すべてカラフルな色のチューリップに変えたそうです。まさに雪の回廊/雪の大谷をイメージした白いチューリップの回廊/大谷だと思います。富山は日本のチューリップの発祥の地的な存在であることや戦時中にチューリップを守ったことなどを番組で知りました。
クリックすると拡大

砺波チューリップ公園の航空写真を掲載します。航空写真の中のマイナス(―)のアイコンを数回クリックすると砺波チューリップ公園(Tonami Tulip Park)の位置が判ると思い済ます。

2011年2月11日~2022年5月08日 アクセス数4,407 nice:249 コメント:60


2011年2月11日掲載
タイトル:ちょっと危険かな 立山黒部アルペンルート

注意:危険なので絶対に真似をしないでください!!!
今年も立山黒部アルペンルートが開通したとのことなので古い記事を再掲載いたします。上の写真は除雪された立山黒部アルペンルートのすぐ脇です。
ものすごい雪です。一面銀世界ですが春なので日差しが強くてサングラスは必須ですね。 会社に入社したころの昔の写真です。
クリックすると拡大高さ20m以上の雪の回廊 バスに乗れば下からの写真は撮れますが上からの写真はめずらしいかも!
右の現代の航空写真は雪の回廊を紹介するためにネットから転用させてもらいました。

バスの走っている記念写真も撮れました。このように雪の回廊(雪の大谷)を走るバスと一緒に上から撮るのは、今は出来ないかもしれません。 雪の壁の高さが実感できる一枚です。


クリックすると拡大上の道路脇の雪の壁の上に立つ写真を撮るためには歩いて登る必要があります。 こんなスタイルで登ってきました。下の写真の後ろの点々は人です。 下の写真や右の写真はクリックすると拡大いたします。 


春の雷鳥の姿です。この時期の雷鳥には、まだ冬毛が残っていました。なぜか雷鳥がいる辺りは雪が解けていました。下の写真の火山地帯と関係あるのかな?


高い針葉樹が埋まるほどの雪です。その木の天辺を触っているところです。

 
回りは雪だらけなのでスキーも楽しみました。ただしリフトやゴンドラはないので歩いて登ります。
初めて雪の上にテントを張って、キャンプしました。
この2枚の左と下の写真のバックにそのキャンプ場(小さな点々)が写っています。雪の上に寝たのはこの時が一生の中で唯一の経験となりました。
 クリックすると拡大 クリックすると拡大
クリックすると拡大写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

ここは火山地帯でもあるのです。⇒

ここまでの写真は春の景色ですが夏には車で行きました。

その夏の写真も紹介いたします。


上の写真と同じ構図のGoogleのストリートビュー(SV)です。上の写真より拡大された状態なのでマイナスのアイコンを1回クリックすると上の写真の範囲が入った広範囲の構図を表示します。(2022年5月10日追加)


3枚の写真を合成してパノラマ写真を作ってみました。上の写真は一番右側です。クリックすると拡大しますがつなぎ目が判ってしまいます。
クリックすると拡大

カメラ位置と撮影範囲は少し違うようですが、上のパノラマ写真に近いGoogleのストリートビュー(SV)も表示させました。(2022年5月10日追加)


雪渓が解けて池が出来ていました。こちらの写真もクリックすると拡大します。こちらもSVで確認できました。
クリックすると拡大

このころには雷鳥も身近に見ることが出来ました。昔は結構自由に好きな場所にいけました。こちらが夏の雌の姿です。
クリックすると拡大

こちらは夏の雄の姿です。

学生時代のサイクリング部の合宿 4回生の信州合宿 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前々記事の木曽馬の馬搬(ばはん)で紹介の通り2020年2月8日に学生時代のサイクリング部の現役とOB・OGとの交流会に行ってきました。上の連続写真が交流会の様子です。私が説明している写真が2枚入っています。紫系のセーターを着ています。今年はサイクリング部創設60年目の節目の記念と言うことで参加者もいつになく集まりました。OB・OGが23名で現役が23名でした。今回の交流会や親睦会の写真は顔が判らないように顔が小さくなるサイズにさせていただいていますが、当時のサイクリングの写真は、かなり昔なので、ぼかし無しでも皆さんにOKしてもらえる前提で掲載しております。懇親会の進行の予定と実際を紹介いたします。現役の方は予定通りでしたが、OB・OGのスピーチが長くなるのはそれぞれの人が沢山の思い出があるからなのだと思います。とは言え記念写真の時点での遅れは28分で済みました。私のパワーポイント(PP)は20分くらいで説明するように依頼されていた結果です。PPの画面枚数は88枚でした。
 予定  実際  内容
 12:30 12:30 開会、現役紹介
 13:00 13:00 昼食歓談
 14:00 14:00 現役より活動報告(夏合宿、年間報告)
 14:20 14:25 OB・OGよりスピーチ
     16:40 SORIのPPによる報告開始
     17:05 SORIのPP終了(目標20分→実際25分)
 16:30 17:05 質疑応答
 16:45 17:13 記念写真、閉会
     17:18 交流会終了、解散

私は下の表のように2011年から参加させていただいております。海外出張と重なった2012年以外は全て参加させていただきました。そして、2014年からは当時のサイクリング部を紹介するためにパワーポイントで紹介し始めました。今回の空流会では表の中の印の1回生の夏合宿と4回生の夏合宿を紹介しました。ブログで掲載させていただいたのは次の4回で、今回が5回目となります。着色文字をクリックすると記事を表示します。
 2011年 先輩から受け継いだ伝統の味 ぜんざい
 2016年 サイクリング部のOB会に行きました。
 2017年 サイクリング部の現役と卒業生の交流会に行ってきました。
 2018年 2018年もサイクリング部の現役との交流会に参加しました。
 2020年 学生時代のサイクリング部の合宿 4回生の信州合宿
クリックすると拡大

本記事では4回生の夏合宿を紹介したいと思います。合宿は下記のように3~4つが計画されてその中から自分が行きたい合宿を選ぶのです。この時は北海道と東北と信州でしたが、私は信州合宿を選んだのです。合宿が3つの場合は1つの合宿は平均で10人程度になります。自由に選ぶので偏る場合があるのですが、計画者のコンペという感じでもあるためにそれぞれが趣向を凝らした内容になるわけです。赤い文字が私が4年間で参加した合宿です。
クリックすると拡大

参加した7つの合宿のルートです。赤色線が合宿で、青色線が合宿に参加するために1人で走ったルートです。最近の人は自走と呼んでいました。
クリックすると拡大

それでは4回生の時の合宿のルートを紹介します。赤色が合宿で青色が自走です。直接Google地図で見る場合→ポチッ
宝塚(家)→敦賀→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→車坂峠(浅間山)→地蔵峠→青木峠→松本→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→宝塚
クリックすると拡大

合宿出発地点の糸魚川駅です。列車で来る人と、自走して来る人の集合場所でもあります。合宿参加者11名全員で記念写真を撮りました。4回生が青いユニホームで、1~3回生が黄色のユニホームです。本来4回生は3年で引退するのですが、我々の世代は4回生も合宿に参加したのです。ちなみに3回生は青色と黄色の2種類のユニホームを持っているので、後の写真では青色のユニホームを着た3回生も出てきます。
クリックすると拡大

白馬の辺りのドライブインの前です。全員が写っています。お店の方も写真に入っています。
クリックすると拡大

長野の善光寺の前でも撮りました。
クリックすると拡大

志賀高原に入ってきました。Googleのストリートビューで確認すると右の丸池の看板は今でも残っていました。この写真では青色のユニホームを着た3回生が写っています。
クリックすると拡大

我々の時代はフィルムであることから撮影枚数が限られていて、スナップ的な写真はほとんど残っていません。特に食事風景は皆無なので非常に貴重な写真です。
クリックすると拡大

自転車で越える峠で標高が2000m以上は少ないため渋峠は貴重です。道も良くて気楽に走ることが出来ます。
クリックすると拡大

スナップ写真と同じく景色もほとんど撮りませんでした。非常に貴重な1枚でもあります。2007年からは日本で噴火警戒レベルが設定されて湯釜も状況により1~3が設定されていることから写真の近づいて見ることは出来ません。Googleのストリートビューで紹介しているように遠くから見ることになります。この時は写真に写っているだけで約80人が火口湖の淵に下りています。
クリックすると拡大

浅間連峰にも行きました。車坂峠(1968m)と地蔵峠(1733m)です。
クリックすると拡大

こちらが地蔵峠の写真です。セルフタイマーを使って全員での記念写真です。
クリックすると拡大

合宿の中で最も気に入っている写真です。奈川渡ダムの少し手前の急こう配をきれいに並んで走っています。この先にある鈴蘭小屋まで並んで走ります。その鈴蘭小屋に重たい荷物を預けて乗鞍岳の約2800mのところにある山小屋まで行き、翌朝に乗鞍岳の山頂の剣ケ峰を目指すのです。
クリックすると拡大

翌朝の食事前の標高2800mからの景色でした。合宿中に撮った2枚の景色の写真の中の1枚です。もう1枚がすでに紹介した、志賀高原の湯釜の写真でした。この写真は食事の前に近くの小山に登って撮ったのだと思います。
クリックすると拡大

さっそく全員で乗鞍岳の最高峰3026mを目指して登り始めました。先ずは早く着いた5人で記念写真を撮りました。
クリックすると拡大

全員が山頂に着いたところで記念の写真を撮りました。11人全員が写った乗鞍岳山頂の写真は記念になりました。
クリックすると拡大

私が乗鞍岳山頂から下っている写真ですが、この道を登ってきたのです。下に泊まった山小屋が見えます。
クリックすると拡大

当時は舗装道路と未舗装の道がありました。過酷な未舗装のエコーラインを登りも下り走りました。単なる未舗装では大きな石でデコボコの道なのです。
あまりにも衝撃が大きいことから1年生のE氏の自転車のフレームが真っ二つに折れてしまいました。卒業後3年8ケ月後に偶然にも、スキーに行く途中の乗換駅で、乗鞍岳の下りで自転車のフレームが折れたE氏に出会いました。お互いにスキーが目的でした。
 ・乗鞍スカイライン 舗装道路
 ・エコーライン   未舗装道路 + 大きな石でデコボコ
クリックすると拡大

上の場所をGoogleストリートビューで探してみました。現在は見ての通りきれいな舗装道路です。ただし現在は環境のために一般車両は乗り入れ禁止です。上の写真もこの写真もハイマツが生えていることが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大

もう少し下がった場所で記念写真を撮りました。この場所はハイマツは生えていないので標高は上の写真より低いことが判ります。
クリックすると拡大

乗鞍岳の次のビックイベントは野麦峠でした。
クリックすると拡大

当時はスマホがないので5万分の1の地形図が走るルートを探すツールでした。野麦峠や乗鞍岳の位置関係や高さのイメージが判ると思います。
クリックすると拡大

この合宿のおかげで信州で越えた峠の数が増えました。
右の写真が懇親会です。交換会は学校の中で行われることからアルコールは禁止なので終わるといつもOBだけで懇親会を行っていましたが、今年は初めて現役の方が3名も参加していただき24名(OB・OG:21名)の参加者となりました。
こちらの右の写真が懇親会の二次会です。二次会(交流会から数えると三次会)は遅い時間なので、いつも数人でしたが、今回は15人も参加されました。さすがサイクリング部が出来て60年目だけのことはあります。懇親会(交流会から数えると二次会)のOB・OGの出席者は21名だったので、比率71.4%(=15÷21)と比率的にも多かったです。
クリックすると拡大

上の地図はGoogleマップのハードコピーですが、直接に自転車で通った峠を表示させていただきます。越えた峠で標高1000m以上の例を記載します。麦草峠(2185) 渋峠(2172) 徳本峠(2135) 車坂峠(1968) 金精峠(1843) 武石峠(1830) 安房峠(1812) 沼山峠(1784) 武石峠(1780) 三平峠(1762) 地蔵峠(1733) 平湯峠(1684) 野麦峠(1672) 馬越峠(1650) 白樺峠(1640) 和田峠(1531) 権兵衛峠(1522) 長峰峠(1503) 柳沢峠(1472) 信州峠(1464 右下の写真) 大門峠(1442) 十石峠(1356) 姥神峠(1280) 杖突峠(1267) 内山峠(1170) 駒止峠(1135) 白布峠(1094) 松本峠(1087)  塩ノ沢峠(1061) 塩尻峠(1055)クリックすると拡大 冠峠(1050) 傘松峠(1020)  小鳥峠(1002)
来年の交流会では3回生の春合宿(信州)を紹介したいと思っています。その3回生の春合宿(信州)では上のリストの赤色文字の6つ峠に和美峠(987)を加えた7つの峠を通りました。


越えた峠をプロットして上のGoogle地図の中の四国の部分にプロットした緑色ラインは3回生の夏に初めて四国を自転車で走った時のルートです。他の地域は峠のプロットで、その地域を走ったことが分かるのですが、この四国のルートは海岸沿いなので名のある峠がないことから、峠をプロットできないことから四国は走っていないように感じられるので、この時のルートをプロットしたわけです。下記はマジックペンで走ったルートを書き込んだ大きな日本地図です。学生時代に四国を走ったのは、これ1回でしたが、北海道以外の本州と九州と四国を走ったことになります。
クリックすると拡大

こちらの青色ラインが、その時に走ったルートです。赤色ラインが乘ったフェリーの航路です。我々の時代は3回生の夏休みの間に企業研修が行われていて、その企業研修に自転車で行ったのです。帰りは同じルートで帰る方法もありましたが、それまでに四国を1度も自転車で走っていなかったことから四国を走って帰るルートを選択いたしました。元々は夏の東北合宿が終わった後は解散した青森駅から兵庫県の宝塚まで、自転車で帰ってくる予定でした。学生時代は3回ほど1日に350km走りましたが、無理なく毎日連続で走れる距離は1日に280kmでした。
青森から宝塚までは約1000kmなので4日間(280kmx4=1120km)で帰れるのですが、残念ながら企業研修が迫っていたので走って帰る時間が無くて夜行列車で帰りました。もし青森から宝塚まで走って帰っていれば、それまでに走ったルートが全てつながっていました。それが出来なかった代りに初めての四国を走ることが出来たのです。


クリックすると拡大企業研修は因島にあるアイメックス(当時:日立造船→分社独立)で、縁があることに私が神戸にある会社に入社して20年以上経ってから私が設計するプロジェクトの中の機器の製造を数えきれないほど発注いたしました。右の写真は社員食堂の食券です。
企業研修の懐かしく思い出されたので、その時の写真をスライドショーにしてみました。最初が泊めていただいた民宿の家族の方と研修生3人の記念写真で、クリックすると拡大次の2枚は研修を受けたいろんな学校の人達との記念写真で、その次の3枚は因島の白滝山五百羅漢で、最後の写真は因島の隣りの生口島にある陽明門そっくりの孝養門です。相当に昔なので、ぼかし無しでもOKしてもらえる前提で掲載させていただいています。造船会社だったので右上の写真の船にも乗せていただきました。
クリックすると拡大

新居浜の近くの東伊予道路の通行券が残っていました。押されている印から8月31日に通ったことが分かります。2006年3月31日に無料になったので、今は有料道路ではありません。今は愛媛県道13号壬生川新居浜野田線の一部です。
クリックすると拡大

高松から神戸へのフェリーのチケットが残っていました。チケットには船内直取券と書かれていました。乗った日付は9月1日で船はクリックすると拡大加藤汽船のこんぴらであることが分かりました。東伊予道路を8月31日に通過して9月1日に船に乗ったので、少なくとも四国で1泊したことになります。どこかに寄り道をしたのかもしれませんが、昔のことなので寄り道をしたかどうかは覚えていないのです。料金は1170円でした。調べてみると、こんぴら丸には初代と2代があります。高松⇔神戸で当時就航していたのは阪神高松ジャンボフェリーで、加藤汽船のりつりんこんぴらと関西汽船の六甲丸生駒丸の4隻が共同運行していました。
・こんぴら りつりん
  1969年竣工 1978年改造
  2834総トン、全長83.5m、幅25.0m、型深8.0m 旅客定員859名
  出力2500馬力x4基、航海速力19.0ノット
  車両積載数:トラック(8t換算)19台
  船型:双胴型
  日本鋼管建造
     1ノットは1.852km/hです。つまり19ノットは35.188km/hになります。
     参考ですが、戦艦大和の最大速力は27.46ノット(50.86km/h)でした。

クリックすると拡大

高松城の写真が残っていたので、高松市内は廻ったようです。
クリックすると拡大
nice!(106)  コメント(24) 

木曽馬の馬搬 [思いで]

クリックすると拡大
学生時代のサイクリング部の現役との交流会が2020年2月8日があることから、我々が現役の頃のサイクリングを紹介するために右下のようなパワーポイント(PP)を作成しています。参考の右下のPPは2018年の時のものです。昔の写真を懐かしく思いながら編集しているのですが、その中で今となっては貴重な写真があったので紹介します。その1枚が上の写真です。木曽馬が木材を運んでいる馬搬(ばはん)の写真です。この写真は会社に入社した年の11月17日に撮った写真ですが、会社が終わった金曜日に大阪駅から夜行で木曽福島駅まで行き旧飛騨街道を走っている時に撮ったものです。
馬搬は林業の発達とともに昔から行われていましたが、林業の機械化により衰退していまいました。私が見た時代もすでに機械化が進んでいてほとんどの場所では馬搬は過去のもので、当時でも珍しく初めて見て感激したのを思い出しました。木曽地方には馬搬が残っていたのです。現在では馬搬振興会などで技術を伝えているのが現状のようです。

上の木曽馬の写真を撮った場所をGoogle地図のストリートビューで探してみました。黒川の支流の西洞川に沿った旧飛騨海道を走っている時に見つけました。黒川は木曽川の支流です。したがって西洞川も木曽川の支流になります。ここに馬搬の道があって奥から馬が歩いてきたのです。
クリックすると拡大

馬搬(ばはん)を横から撮った写真です。実は道を走っている時に最初にこの光景に出会ったので、道を戻って馬が道路に出てくると思われるところで待ち受けていて、上の写真を撮ったのです。
クリックすると拡大

最初の写真の時と同様にGoogle地図のストリートビューで探してみました。道の石垣が当時の雰囲気を残しています。2020年2月時点のこの辺りのストリートビューの写真は2014年7月に撮影されたものでクリックすると拡大す。
クリックすると拡大

もう一枚、趣のある場所があったので紹介します。
上の木曽馬を見た場所から1.8km進んだところです。残念ながらこの写真には私ではありません。写っている彼は同期として神戸事業所の同じ課に配属になり私の影響で自転車を買い、一緒に何度か走りました。東京に組織ごと転勤になった時も一緒で今で親しくしており、同じゴルフ倶楽部の会員で年に何度もゴルフをします。写っている本人も、この写真は気に入っていて部屋に飾ってあるそうです。
クリックすると拡大

上の写真の建物が現在はどうなったのかが気になったので、Google地図のストリートビューで探してみました。1軒は現在も使われているようでした。航空写真ストリートビューを交互に表示しています。この写真も含めてストリートビューの写真をクリックするとオリジナルを表示するようにしています。
クリックすると拡大

木曽福島駅から久々野駅(くぐの駅)までのルートを紹介します。木曽馬も含めて全ての景色が偶然出会ったものでした。右下の細長い写真は現在の久々野駅と駅前の道路から見た久々野駅周辺の景観です。
 徒歩ルート図 → 全ルート 地蔵峠(頂上) 長峰峠(頂上)
クリックすると拡大  木曽福島駅
  木曽馬の馬搬の写真撮影場所
  古い建物の写真撮影の場所
  朝日ダム
  久々野駅

クリックすると拡大

左が木曽福島駅で右が久々野駅の手回り品切符です。
       木曽福島駅          手回り品切符(久々野駅)
クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらが当日の木曽のサイクリングに関する画面です。2018年までのPP画面は横縦比は4:3でしたが2019年からは16:9にいたしました。
クリックすると拡大

今までの私の出席状況です。2011年から海外に行っていた2012年を除いて全て出席しています。縮小しているので分かりにくいと思いますが、クリックするとオリジナルサイズ(1920 X 1080)を表示します。
2014年からパワーポイント(PP)での説明を始めました。
クリックすると拡大

他の写真も紹介します。黒のダウンと赤のウインドブレーカーと雨具を状況に応じて使い分けています。途中の滝の名前は今となっては判りませんが有名な滝だと思います。
クリックすると拡大その途中の滝は岐阜県高山市高根町中之宿にある右の写真の青氷の滝かもしれません。 右は転用させていただいた夏と冬の写真を交互に表示させています。下の写真はクリックすると拡大いたします。着色文字のSVをクリックするとその場所の現在のストリートビューを表示します。
     木曽福島駅 SV           地蔵峠 SV
クリックすると拡大クリックすると拡大
       途中の滝             長峰峠 SV
クリックすると拡大クリックすると拡大

白樺の林も雨で白が目立っていました。開田高原も近くにありました。ハイキングコースとして地蔵峠コース(約9.5km)と折橋峠コース(約8.8km)が紹介されていました。
        白樺 SV          開田高原の看板 SV
クリックすると拡大クリックすると拡大

途中で野麦峠を越える野麦街道と合流いたしました。現在は飛騨ぶり街道(越中東街道)と呼ばれています。そのあたりから雨の中のサイクリングとなりました。朝日ダムに着くころには雨が止んだようです。後半の高根第一ダム(高根乗鞍湖)→高根第二ダム(湖の名称未定)→朝日ダム(朝日貯水池)→秋神ダム(秋神貯水池)・久々野ダム(久々野貯水池)あたりは新しい道が通っていることから昔に通った道はストリートビューでは出ないところが沢山あります。
クリックすると拡大クリックすると拡大
      朝日貯水湖 類似の橋        朝日ダム SV
クリックすると拡大クリックすると拡大
nice!(129)  コメント(26) 

昔の六甲全山縦走大会 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前記事でのハイキングの参加者は入社した当時の神戸の仲間でした。その打ち上げの飲み会の中で昔の六甲全山縦走大会に参加したことが話題になったので、私の入社当時の古いことですが本記事で紹介したいと思います。
その時代は「市民」の文字が入って六甲全山縦走市民大会と呼ばれていました。この大会は「六甲全山縦走市民の会」が主催しており、現在、その事務局は神戸市役所の市民参画推進局文化交流課の中にあります。1975年11月23日(祝日)に第1回が行われて、2018年11月11日(日曜)と11月23日(祝日)に第44回の六甲全山縦走大会の全縦(56km)が行われました。11月23日(祝日)には新神戸駅ゴールの半縦(23.6km)も同時に行われました。2018年が第44回なので阪神・淡路大震災(1995年1月17日)に襲われた1995年も含めて第1回から毎年必ず1回行われたことになります。1月17日から10ケ月があったことで実行を決断出来たのだと思います。2018年の正式名称は「2018 KOBE 六甲縦走全山縦走大会」です。ただし「2018 KOBE 六甲縦走全山縦走大会(第44回)」という表現も使われていました。
私の時の参加人数や完走者数は今となっては判らないので、2018年の人数を紹介します。参加は申込定員制(1800人/日)で、実際の参加者は11月11日が1592人で、11月23日が1514人の合計3106人でした。驚いたことに全縦走の最高齢完走者は男性86歳で女性73歳でした。
下記表のように2018年の完走率は84%ですが、第1回~第44回の累計参加者の完走率も84%(=131,758名÷157,093名)です。
参加者(人) 完走者(人) 完走率
男性 女性 合計 男性 女性 合計 男性 女性 合計
全縦 2493 613 3106 2135 476 2611 86% 78% 84%
半縦 243 153 396 226 141 367 93% 92% 93%
上で紹介した神戸市(六甲全山縦走市民の会)主催の六甲全山縦走大会以外に兵庫県勤労者山岳連盟(兵庫労山)が主催する六甲全山縦走大会もあります。こちらは人数的には神戸市の40%程度ですが、全縦コースと西コース(半縦)と東コース(半縦)があり、2年がかりですが2回参加することで全山縦走を完成させられる特徴があるようです。さらに神戸市より歴史が古く、1966年に第1回が行われ2019年3月10日(第2日曜)に第53回が行われました。1月に地震があって3月なのでさすがに1995年は中止になったようです。
それでは私が参加した昔の六甲全山縦走市民大会の説明に戻ります。
コースは上の地図で示している通り神戸市垂水区の塩屋から宝塚市の宝塚駅(阪急)までの公称56kmでした。早朝に出発するために会社の塩屋の独身寮の人の部屋に泊めてもらい、集合場所の山陽電鉄の塩屋駅に行くと右の参加証(記録兼チェックカード)を受け取って出発いたしました。すでに5分間の間に沢山の人が出発していていました。泊めてもらった部屋の住人も、この六甲全山縦走市民大会に参加いたしました。チェックポイントを紹介します。
到着 出発 チェックポイント
5:05 塩屋
6:45 6:45 萩の寺
高取山頂
菊水山頂
鍋蓋山頂
9:05 9:05 再度山大竜寺
10:00 10:00 摩耶山頂
11:10 11:30 記念碑台
12:05 12:05 最高峰一軒茶屋
12:30 13:00 東六甲縦走路分岐点
大平山
14:15 宝塚駅
現在の出発地 須磨浦公園
萩の寺、再度山大竜寺、記念碑台、東六甲縦走路分岐点、宝塚駅には係員の方がおられて到着すると右および下のように印を押してもらえました。の間に塩尾寺(えんぺいじ)があります。

塩屋を5時05分に出発して宝塚駅に14時15分に到着したので、56kmを9時間10分で歩いたことになります。ただし、年々競争がエスカレートして6時間で走る人が出てきたことから、本来の楽しく歩く趣旨からかけ離れてマラソン大会のように競争の場になることを防ぐために係員のいるチェックポイントでは、その時間より早く出ることが出来ない出発時間が設定されていました。例えば東六甲縦走路分岐点では、どんなに早く到着しても13時までは待ってから出発するのです。私の場合は記念碑台で20分、東六甲縦走路分岐点で30分ほど足止めされたことから実質は8時間20分でした。
ちなみに六甲全山縦走の現在の出発地点は須磨浦公園です。
ネットで調べてみると、右の2018年の記録兼チェックカードでは須磨浦公園(スタート 5:00~7:00)→クリックすると拡大妙法寺小学校→菊水山(8:30~12:20)→鍋蓋山頂東→再度山大竜寺→摩耶山上掬星台(12:00~15:50)→六甲山記念碑台→一軒茶屋(13:50~18:20)→大平山→宝塚(ゴール 16:30~22:00)になっていました。赤色文字のところでは係員の方が印を押してくれます。時間は印を押してもらえる時間です。
クリックすると拡大

記念碑台から宝塚駅までは競争しないように、4人くらいのトップグループで一緒に歩きました。そのトップグループで同時にゴールいたしました。ゴールした人がある程度集まると記念写真を撮ってもらいました。この写真は9番目の人がゴールした時に撮った記念写真です。クリックすると判ると思いますが、目の辺りだけ「ぼかし」を入れております。左から2番目の赤いウインドブレーカーを着ているのが私です。六甲山縦走路は大半が細い道で行列して歩いていることから出発して5時間くらいは追い抜きは難しい状態が多かったです。それでも記念碑台までは渋滞していないところでは走っていました。最初に出発して渋滞が無ければ実質7時間は切れた感じではありました。会社の同じ年齢の人達も沢山参加されましたが、夕方から夜に宝塚に着いたと言っていたので12時間~16時間だったようです。写真は後で家に送ってもらいました。
クリックすると拡大

認定証もいただきました。この六甲全山縦走は「全山」というところに大きな意味があるのです。六甲山最高峰931mをはじめ沢山の高い山を登っては降りることを繰り返すことから、諸説ありますが登りの詳細累計標高は3659.3mにもなるようです。連続の登りではないので3660mの標高の山に登る場合とは比較できませんが、距離があるのも厳しい条件になると思います。特に高取山、菊水山、鍋蓋山は登っては下り、登っては下り、登っては下りはかなりのものでした。このころの体力ならば、渋滞が無ければ登りも下りも全て走れたと思います。もちろん、今は無理です。


参考に15時間30分で歩かれた方の例を掲載させていただきます。現在の大会では走るのは禁止されています。


最初に紹介した写真も含めて5枚も撮っていただきました。最初の頃で人が少なかったので沢山撮ってもらえたのだと思います。昔の写真である上に拡大はしないように設定しているので「ぼかし」は行っていません。宝塚駅構内で、認定書と記念品をもらっうために並んでいるところです。私は参加証に印を押してもらっているところです。


クリックすると拡大こちらの写真は記念品を受け取っているところです。印が押された参加証と認定書はを左手に持っています。記念品は盾(たて)だったと思います。探しましたが見つからないのでとりあえず、ネットから転用させていただいた写真を右に紹介します。見つかれば写真を差し替えるつもりです。


駅前で記念写真を撮りました。後ろの券売機のところに「阪急電車 きっぷ うりば」と書かれています。この写真で阪急の宝塚駅であることが分かりました。左端の「おつかれさま 六甲全山縦走市民大会 完走おめでとうございます」の立て看板が光っていました。ほとんどの人が歩きますが「完走」にも「縦走」にも「走」の文字が使われます。確かに「完歩」や「縦歩」では、分かりにくいし、ぴんとこないです。


武庫川に架かっている歩道橋の上での記念写真です。この歩道橋は今はありませんが、クリックすると拡大当時は六甲山から下りてきて、この歩道橋を向こう側から手前側に渡って宝塚駅に到着しました。今は、この場所には車が通れる宝来橋があります。後ろの建物に水明館の文字が読み取れます。今は水明館はありませんがGoogle地図で水明館跡の文字を見つけることが出来ます。


クリックすると拡大最初に紹介した記念写真です。右側が武庫川の下流方向です。建設用のクレーンがあるところが宝塚歌劇の建物の場所です。右の小さな写真が建設中の宝塚歌劇の建物をオリジナルの写真から切り取って露出調整したものです。


クリックすると拡大類似した角度の現在のストリートビューです。プラス(+)のアイコンを2回クリックして右側を真中に持ってくると拡大された宝塚歌劇の建物を確認することが出来ると思います。
右の写真はその部分を切り取ったものです。


従来は六甲全山縦走の累計標高は2800mと記載しているサイトが多かったです。約3000mと書かれているサイトもありました。GPS と地理院地図の高度データにより詳細に計算したのが下記のサイトで累積上昇高度(累計標高)は3659.3mで累積下降高度は-3627.6でした。下記は出発地点を須磨浦公園(現在の出発地点)としていますが、標高に関しては塩屋(当時の出発地点)も同程度です。ただし須磨浦公園は塩屋よりかなり東なので須磨浦公園出発の方が距離は短くなると思われます。代表的な標高も紹介します。結婚してすぐに買った家からは横尾山と高取山が見えました。右の上の写真は横尾山山頂に登った時に撮った高取山です。高足山の左奥に菊水山が写っています。この写真を見てもらうとアップダウンが激しいことを想像していただけると思います。その下の写真は縦走以前に撮った最高峰の石碑が、この時代は六甲山最高峰には米軍施設があり立ち入り禁止のために、その横に建てられた石碑です。この石碑の位置は最高峰より若干低いけれどもここの横を通りました。その最高峰の写真をクリックすると3枚組を表示します。
標高を参考にさせてもらった資料→ポチッ
クリックすると拡大 須磨浦公園   12.6m
 旗振山    252.6m
 鉄拐山    234m
 栂尾山    274m
 横尾山    312.1m
 東山     253m
 高取山    237.8m
 菊水山    458.3m 
クリックすると拡大 鍋蓋山    486.1m
 再度山    470m
 摩耶山    690.1m
 摩耶別山   715m
 六甲最高峰  931.25m
 水無山    804m
 大平山    682m
 譲葉山    514m
 岩倉山    488.4m
 宝塚駅     44.3m 3659.3-3627.6= 31.7 =44.3-12.6
クリックすると拡大
クリックすると拡大

上でも小さな写真で紹介した横尾山山頂から撮った高尾山の写真です。その写真の右側には神戸の市街地が広がっていたのです。高尾山の左奥には菊水山がうっすらと写っています。これを歩いて行くわけなので登ったり下りたりすることが実感していただけると思います。結婚してから東京に転勤になるまで横尾と呼ばれる場所に住んでいたのです。ただし六甲全山縦走をした時は結婚すること自体考えてもいなかったので、クリックすると拡大この場所(横尾)に住むことになるとは想像だにしていませんでした。横尾山は近かったので頻繁にワラビを採りに登りました。ワラビは茹でてマヨネーズかワサビ醤油でいただきました。子供が生まれてからも六甲山系のいろんな山に、右のようなスタイルでよく登りました。須磨浦公園( スタート )と書かれているところが、私が歩いた時は塩屋( スタート )でした。この時に住んでいたのは宝塚駅( ゴール )近くの実家の家でした。
3つ目の画面の横尾山から黄色線方向(神戸港方向)を撮ったのが上の写真です。
クリックすると拡大
クリックすると拡大


参考に横尾山山頂から神戸市営地下鉄西神・山手線の妙法寺駅方向を撮った写真を紹介します。市民大会で縦走路を歩いている時は、この景色を見る余裕はなかったと思います。六甲全山縦走したのは独身時代ですが、この写真は結婚後に撮った写真です。この写真はクリックすると特別に3倍(面積で9倍)に拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

妙法寺駅前の医療センターやショッピングセンターは建設中でした。今となっては珍しい写真だと思うので横尾山から200mmの望遠レンズ撮った写真も掲載いたします。こちらの写真はクリックすると特別に4倍(面積で16倍)に拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大すでに上で報告の通り今の出発地は須磨浦公園駅です。私が歩いた時代の塩屋駅から旗振山までのルートと比較してみました。塩屋駅周辺は住宅が密集していることから変更したのだと思います。右の写真はWikipediaに掲載されている現在の山陽電鉄の塩屋駅です。変更になったのは私が歩いた次の年からでした。航空写真表示→ポチッ


東山から高取山へのルートも昔と今では違うようです。昔は萩の寺を通るルートですが、今は妙法小学校近くを通るオレンジ色のルートに変わっています。チェックポイントの萩の寺()も妙法寺小学校()に変更になりました。
スタート地点から旗振山までと、東山から高取山まで以外のルートは基本的に昔も今も同じです。


六甲全山縦走のコースの山の部分に深緑色のマークをプロットいたしました。マークの数は25個になりました。プロットしてみることで、沢山の山を登り下りしたことを実感いたしました。25個の内訳は16個が上で紹介の名前が分かっている山で、9個が等高線から山と判断していますが、名前が分からない山 1 ~ 山 9です。画面内のは私が歩いた時の市民大会の参加証のチェックポイントです。本画像は10枚のGoogle地図のハードコピーを3秒間隔で表示させています。クリックするとGoogle地図で表示します。
クリックすると拡大

小学校4年から六甲山の麓に住んでいてハイキングには頻繁に行っていたのですが、山道を走る体力が付いたきっかけは高校の生物部に入ったことだったと感じています。六甲山にある横池(雌池)に毎月1~4回ほど阪急岡本駅から横池まで走って登っていました。池のプランクトンの数と水質(溶存酸素、PH)の変化を調べていたのです。プランクトンの数は学校に持ち帰って顕微鏡で数を調べるのです。おかげで足が鍛えられました。横池は雄池と雌池がありましたが、プランクトンの調査は雌池で行っていました。高校2年の時にサイクリング用の本格的な自転車を買ってもらいよく六甲山に登ったことも足が鍛えられる要因になりました。数値は標高です。
 A 岡本駅
 B 鷺宮八幡宮
 C 保久良神社 185m (保久良山 189m)
 D 金鳥山   346m
 E 横池(雄池)  432m
(F 横池(雌池)       )
 G ロックガーデン(風吹岩 447m)
 H 通っていた高校


横池の珪藻の写真を紹介します。最後の写真は生物部の活動風景です。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

高校2年から自転車に乗っていたこともあり高校卒業後、大学ではサイクリング部に入りました。4年間で6万kmを走りました。下記は2018年のOB会で現役に対して我々時代のサイクリング部紹介するために作ったパワーポインのスライドです。画面は1秒間隔で変わるようにしています。3秒間隔で見たい方はこちらです。→ポチッ


自転車で越えた峠をプロットしました。越えた峠の中で名前が判っている155をプロってしています。標高1000m以上の峠の名前です。
麦草峠(2185) 渋峠(2172) 徳本峠(2135) 車坂峠(1968) 金精峠(1843) 武石峠(1830) 安房峠(1812) 沼山峠(1784) 武石峠(1780) 三平峠(1762) 地蔵峠(1733) 平湯峠(1684) 野麦峠(1672) 馬越峠(1650) 白樺峠(1640) 和田峠(1531) 権兵衛峠(1522) 長峰峠(1503) 柳沢峠(1472) 信州峠(1464) 大門峠(1442) 十石峠(1356) 姥神峠(1280) 杖突峠(1267) 内山峠(1170) 駒止峠(1135) 白布峠(1094) 松本峠(1087)  塩ノ沢峠(1061) 塩尻峠(1055) 冠峠(1050) 傘松峠(1020)  小鳥峠(1002)


上段の2枚は高校2年から8年間使った自転車で左右は同じ自転車です。塗装が剥げてきたので、4年目に紺色から黄色に振り替えました。学生時代のサンクリング部では、この自転車を使いました。
下段の2枚の左が会社に入社して2年目に買った自転車で、右側が一番新しく買った自電車です。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大
nice!(105)  コメント(16) 

OB会の三次会も恒例となりました。今回は㋵鳥良商店 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前記事で紹介したOB会の二次会に参加した14名の内、6名が三次会に行きました。一年ぶりとなると一次会+二次会だけでは話が尽きなかったようです。
三次会は今まで探すのに苦労した経験から、迷わず一昨年(2016年)の三次会で入った鳥良商店に直行いたしました。季節がら店員さんが鬼の面をかぶって対応してくれました。 2016年の三次会の記事→ポチッ

さっそくビールを頼みました。もちろんすぐに乾杯です。左側の一番奥に座っているのが私です。参加6名の内訳は次の通りでクリックすると拡大す。
 私と同期        2名 4回生(4年) 
 我々が4年の時に1年  2名 1回生(1年)
 我々が卒業した年に入学 2名 0回生(高校3年)


乾杯が終わったところで記念写真を撮ってもらいました。その記念写真からテーブルの部分をトリミング(切り取り)いたしました。乾杯は、2人が生ビール(499円)で、2人が焼酎お湯割り(499~599円)で、1人がハイボール(438円)で、1人がキリン零ICHI(399円)でした。お通しはモズクでした。
クリックすると拡大

お通しのモズクを拡大いたしました。学生時代のサイクリング部の2018年の交流会とOB会の関連記事は次の通りです。着色文字や写真をクリックするとその記事を表示しまクリックすると記事を表示す。
 2月03日 現役との交流会(一次会) 写真→→→
クリックすると記事を表示 2月03日 二次会
 2月03日 三次会(本記事)
 3月31日 東京OB会 写真
 3月31日 東京OB会二次会
クリックすると拡大

お店の看板メニューとも言える鶏くわ焼(790円)を先ずは頼みました。炎の中で焼くので煙で真っ黒です。自慢の一品と書かれていました。おそらくですが、お店を訪問した人のほとんどが注文するのだと思いました。
クリックすると拡大

その自慢の一品を拡大いたしました。鶏くわ焼の「くわ」が気になって調べてみると畑を耕す鍬のことで、昔に鍬(くわ)の上で焼いていたことに由来するそうです。一般的な調理方法としては下味をつけた鶏に小麦粉をまぶしてから焼くのが特徴だそうです。
クリックすると拡大

ネットのぐるなびページから鶏くわ焼を焼いているところの写真を転用させていただきました。昔は名前の由来の鍬で焼いて、現代ではフライパンで焼くのが一般的のようですが、こちらのお店では金網で焼いていました。確かに煤で黒くなるわけです。煤だらけのくわ焼きがお店の特徴です。さらに、いろんな部位を焼いているのもこちらのお店の特徴だそうです。
クリックすると拡大

手羽先唐揚げ(480円)です。甘口、中辛、大辛があります。
クリックすると拡大

二次会で十分に食べてきたので軽めのお新香盛り合わせ(390円)も頼みました。
クリックすると拡大

三次会に残った6人中4人は一緒に走ったメンバーでした。
その4人が写った写真を紹介します。クリックすると4倍に拡大します。面積では16倍に拡大します。写真の上の人数は写っている三次会のメンバーの人数です。最初の写真以外は私が写っています。いずれも私が4回生の時の写真です。水越峠は大阪と奈良の県境にあり、金峯山寺蔵王堂(きんぷせんじ・ざおうどう)は奈良県吉野山にあります。善光寺はもちろん長野県で、白谷トンネルは和歌山県にあります。
    水越峠 3名           金峯山寺蔵王堂 3名

    善光寺 2名           白谷トンネル 2名


〆には親子丼(590円)を頼みました。
クリックすると拡大

さらに油そば(688円)も頼みました。これ以外に締めとして、とりそば(680円)と、しらす炒飯(688円)と、チキンライス(688円)がありました。
クリックすると拡大

親子丼も油そばもみんなで取り分けていただきました。ここでも話が弾んで兵庫県宝塚(逆瀬川)の実家に着いたのは午前になったいました。
撮った写真の時間を調べてみると21時30分から飲み始めて解散したのが23時25分でした。約2時間の三次会でした。ネットで調べてみると、阪急・逆瀬川駅に帰るための地下鉄・なんば駅の最終電車は23時42分だったので、タクシーを使わないで帰れるぎりぎり(限り限り)だったことが分かりました。
クリックすると拡大

地図の中央の臙脂色マーク( )が今回のお店です。この店は以前に紹介したことがあります。難波駅(なんば駅)の近くです。24時間営業なので帰りのタクシーを気にしないで朝まで飲み続けることが出来るお店ですが、我々のメンバーは終電に間に合うように帰りました。
地図上の右側のマーク( )はニューミュンヘン南大使館で、2015年2月7日の二次会(25名)と2017年2月4日の三次会(9名)で利用したお店です。
右の画面は今回の私の交流会用のパワーポイントのスライドです。画面上でクリックすると一時停止します。
 店名  鳥良商店
 住所 大阪市中央区難波3-2-15
 電話 06-6631-6303
 種類 主に鶏料理 Menu
 営業 24時間
 定休 無し

nice!(133)  コメント(20) 

現役との交流会の後は二次会が恒例となりました。 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

クリックすると拡大前記事で紹介した母校の構内の学術交流会館で行われた右の写真の現役とOBのサイクリング部交流会の後は久しぶりに集まったOBで飲むために二次会に出かけました。飲むことが目的で来ている人も多いので、コース料理+飲み放題の設定です。幹事の方が選んでいただいたお店は創作料理の居酒屋KI・CHI・RI(きちり)でした。

再会を祝ってビールで乾杯です。一年ぶりの人、数年ぶりの人、数十年?ぶりの人、数百年??ぶりの人といろいろでした。


料理の最初はベトナムで有名な生春巻きです。ただし、野菜を細く切ったものを麺に見たてて蕎麦寿司にした創作風の生春巻きでした。麺状の野菜以外に海老と水菜と肉味噌が入っていました。ベトナム風のスウィートチリソースにつけて食べました。
クリックすると拡大

生春巻きの部分を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大します。
クリックすると拡大

こちらは漬けビンチョウマグロのカルパッチョです。こちらも野菜が沢山使われていました。女性を意識した居酒屋のように感じました。ホームページによれば和の様式美とモダンを融合させた新日本様式だそうです。
クリックすると拡大

上の写真はクリックすると拡大いたしますが、クリックの面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大ビールと言えば枝豆です。風味のある枝豆だったので調べてみると焼き枝豆 でした。ここで右の記念写真を撮りました。写真が小さいので分からないと思いますが14名が参加いたしました。右の写真をクリックするとテーブルの上の料理のみが拡大いたします。
クリックすると拡大

紅ずわい蟹身の上に蟹味噌を乗せて焼いた甲羅焼きも出てきました。こちらの写真は奥の甲羅焼きの蟹身のところにピントが合っているので、クリックすると奥側の甲羅焼きを拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

広島産の牡蠣を使った牡蠣フライです。広島産の牡蠣は栄養豊富な場所で育っていることから、濃厚な味わいなのでカキフライやカキ鍋にはベストと言われています。
クリックすると拡大

最後はローストビーフでした。最後の料理として出てくることから自慢の料理なのだと思います。調べてみると総料理長自慢の特製ローストビーフと書かれていました。
クリックすると拡大

こちらも拡大写真を掲載いたします。クリックするとさらに拡大します。
クリックすると拡大

小さな写真ですが10枚の写真で盛り上がった雰囲気を紹介したいと思います。



参加者が写った学生時代の写真も6枚紹介します。9枚の写真に今回の参加者が写っている人数は左上から1名、2名、1名、3名、4名、2名、3名、4名、3名です。二次会出席の14名の内、8名がどれかの写真に写っているのです。最初の2枚は500km耐久レースで、部室にゴールした時の写真です。9枚の学生時代の写真に関してはクリックすると拡大するように設定いたしました。
余談ですが、500km耐久レースは私が3回生の時が第1回で、4回生の時が第2回で、両方ともに私(SORI)が優勝しました。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

〆はお店の名物の升イクラ丼でした。この後にデザートが出てきましたが、話が盛り上がりすぎて写真を撮り忘れてしまいました。
クリックすると拡大

やはりイクラ丼は拡大したくなります。
クリックすると拡大
nice!(129)  コメント(26) 

2018年もサイクリング部の現役との交流会に参加しました。 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前記事と前々記事で学生時代のサイクリング部の東京OB会があったことを報告させていただきました。わざわざ「東京」と名前を付けているのは本番のOB会は関西で行われためです。そのOB会は毎年、2月の最初の土曜日に行われるのが最近の恒例となっていて今年は2018年2月3日にありました。海外に出張していた2012年は参加できませんでしたが、2011年から毎年参加させていただいていて今年も参加いたしました。上の写真が2018年のOB会の記念写真です。一番前の列の中央付近の赤いセーターを着ているのが私です。OB会は正式には現役とOB/OGの交流会なのです。つまり記念写真で若く見える人たちは現役のサイクリング部員なのです。

そのOB/OG交流会は大学の構内にある学術交流会館を借りて行われています。この道路の左側の建物が学術交流会館です。
クリックすると拡大

少し早めについたので懐かしくて構内を歩いてみました。
我々が通っていたころの建物はほとんど残っていませんが、唯一写真の建物だけが残っていました。昔の名前は学生会館で喫茶店、床屋、生協などがありました。工事をしていたので、まだまだ建物は使われるようです。
クリックすると拡大

中に入ってみると昔のままだったので、つい喫茶店のランチメニューの写真を撮ってしまいました。昔のメニューは覚えていませんが、その頃から別の建物にある学生食堂よりは高めの設定でした。
クリックすると拡大

交流会の最初のこの日のスケジュールの説明がありました。
昨年までは現役の活動報告の後に昼食会がありましたが、今年は現役の活動報告もOBからの説明も昼食の後に設定されており交流会の開始も、従来より1時間遅い12時30分に設定されていました。


最初は現役からの自己紹介です。サイクリング部の第1期は1957年の入学の方なので、今年(2018年)の交流会に参加している1回生は61期のサイクリング部員ということになります。2018年に入った新入部員は62期になります。


次にOBからの自己紹介です。我々の年度は右の写真の東京OB会に参加した4名が参加いたしました。つまりN氏、I氏、T氏とSORIです。下の写真は我々より3年後の3名です。我々が4回生の時に1回生でした。私が4回生の時の夏合宿ではこの3名の内1名と一緒に同じ合宿に参加いたしました。


現役のOBの自己紹介が終わるとすぐに昼食です。OBだけが集まる二次会が夜にあるので交流会では現役の人と話が出来るように現役とOBがそれぞれのテーブルにばらけるように座りました。今までの昼食の内容を紹介します。2014年までは合宿の食事模擬店のぜんざいを再現していましたが、学術交流会館内での炊事は難しくなったので2015年からは市販の弁当になったそうです。
 2011年 合宿カレー 模擬店ぜんざい オードブル 菓子類 
 2012年 合宿カレー 模擬店ぜんざい オードブル 菓子類 と予想(欠席) 
 2013年 合宿カレー 模擬店ぜんざい オードブル 菓子類  
 2014年 合宿カレー 模擬店ぜんざい 饅頭
 2015年 弁当    菓子類
 2016年 弁当    菓子類
 2017年 仕出し弁当 菓子類
 2018年 弁当    菓子類

クリックすると拡大クリックすると拡大

昼食の後、先ずは現役から1年間の活動報告がありました。


こちらが現在の主な年間行事の説明をしているところです。
一般的に年度は前年4月から今年の3月までですが、春合宿はOBOG交流会の後になることから、交流会を中心で2017年2月交流会後~2018年2月交流会までが2017年度ということになります。


次に春合宿の説明がありました。
クリックすると拡大

そして夏合宿の説明です。一見、我々の時代と似ているところもありますが、一番違うのがグルメなところでした。ネット上で有名な食べ物を食べるのもサイクリングの楽しみの一つとなっていました。


合宿中の料理風景やグルメの紹介もありました。
クリックすると拡大

我々の時代の食事風景の写真はほとんどありませんが、なんとか1枚見つけました。東北の玉川温泉での昼食です。この合宿は梅雨前線とともに北上してしまったことから毎日雨で、まともな食事が作れない日が続きました。この時は屋根のある駐車場のスペースを借りて、サバの缶詰とイワシの缶詰をおかずに朝に炊いた飯ごうのご飯を食べました。大鍋では初めてインスタントラーメンを作りましたが、さすがに10袋以上を一緒に作ると、麺は伸びきってしまって食べるのをあきらめたほどでした。そのために缶詰が最高のごちそうとなりました。写真に写っている大鍋の6割くらいまで麺が入っています。左端が私です。合宿中に太陽が出た僅かな時間でもありました。ここは温泉でもあり、この場所で一泊させてもらいました。
クリックすると拡大

交代で説明してもらえて楽しめました。


今後の連絡方法の改善の報告もありました。こちらは女性からの説明でした。


現役の発表が終わるとOBからの発表です。昨年までのプロジェクターを使った本格的なOBの発表は私が主でしたが、今年は3名が発表いたしました。最初の方からは500km耐久レースをとり上げた説明がされました。
クリックすると拡大

もう一つのOBからの説明は、我々の時代に行われていた西日本の学校が集まったラリーを主催した時の説明です。従来は主催した学校の近くで行われていましたが、初めて離れた場所で行った時の苦労や教訓を説明しているところです。ラリーを行った場所は信州でした。写真をクリックすると地図を大きく拡大するので7つの班のルートが分かると思います。どれも魅力的なコースです。全員が集まるベースキャンプ地は地図の中で「B」と書かれている場所です。
クリックすると拡大

私が発表しているところの写真が無いので発表したパワーポイント(PP)を紹介します。今回の記事で紹介するために名前などを消す加工をして一旦は写真画像にしたものを動画にいたしました。最初の画面だけは写真を一旦縮小して拡大する方法で全体をぼかしました。画面は1秒間隔で変わるようにしています。
3秒間隔で見たい方はこちらです。→ポチッ



今までは合宿などのサイクリング部の行事を発表していましたが、今回は合宿前に作る合宿ガイドブックと、地形図を思のテーマにいたしました。この写真は合宿ガイドブックです。同期のN氏が持っていたガイドブックの写真を送って送ってもらってPPを作りました。我々の時代は合宿手帳と呼んでいました。
クリックすると拡大

私が4回生の時の信州合宿(中部合宿)の8日目のページです。ルートと地図と高低が分かるプロフィールを入れるのを原則にしていました。この日の夕食はシチューとリンゴだったようです。朝の味噌汁も信州らしいものにしたかったようです。毎日リーダーは変わりました。
当時の貧乏な部活では手軽にPPC複写機が使えないことから湿式コピー(青焼き)で作りました。そのために文字は青色で、地の部分もうっすらと青いのです。他の書類で枚数が多い場合や鮮明に書く場合はガリ版刷りで作りました。上の写真の右下の2つの表紙はガリ版刷りのようです。本写真をクリックすると字が良く読めるように特別に大きく拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

こちらが道路地図では分からない道を走るときに必要であった当時の5万分の1の地形図です。
クリックすると拡大

今はスマホでほとんどの道が分かりますが、当時は国土地理院が発行するこの5万分の1の地形図だけが頼りでした。
写真は和歌山県の十津川地区の地形図です。
クリックすると拡大

この地形図は夏の信州合宿のビックイベントとなる乗鞍岳(標高:3026m)とクリックすると拡大野麦峠(標高:1672m)が載った地形図です。合宿ガイドブック(合宿手帳)に掲載する詳細のプロフィールはマップメジャーを使って地形図から作りました。右の写真がマップメジャーですが、私は、このように立派なものではなくプラスチックで出来た小さなマップメジャーを持っていました。
クリックすると拡大

同じ範囲をGoogleマップで表示させるとこのようになります。当時としては想像も出来なかったです。便利になりました。地図上のアイコンマイナスを5回クリックすると全ルート(━━━━━━━━━━━━)が表示されます。赤色部分は合宿で、青色部分は自走(プライベートラン)です。
乗鞍岳山頂も野麦峠も共に2度訪れました。下記に書いているルートのように野麦峠に関しては1度目は西から、2度目は東から登りました。
1度目:宝塚→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→鈴蘭小屋→乗鞍岳山頂→鈴蘭小屋→前川渡→松本→美鈴湖→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→東京→名古屋→宝塚
2度目:宝塚→福井→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠→青木峠→松本→奈川渡ダム→鈴蘭小屋→乗鞍岳山頂→鈴蘭小屋→白樺峠→奈川温泉→野麦峠→朝日ダム→高山→宝塚


最後に冒頭の記念写真を撮って解散いたしました。
この後、OBだけで二次会(右の左側の写真)に行きました。
さらに三次会(右の右側の写真)にも行きました。機会があればそちらも紹介したいと思います。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大
nice!(159)  コメント(34) 

第3回東京OB会の二次会は白ワイン攻勢でした。 OysterTable [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
2018年3月31日の学生時代のサイクリング部の第3回東京OB会の二次会は昨年にM氏と二人で訪れたOyster barにいたしました。ただしお店は満員でしたが、少し待たせていただいている間に隣り合わせのテーブルを用意していただけました。M氏の行きつけのお店だったのです。その時は2人でシャンパン6杯、白ワイン3杯、赤ワイン2杯を飲みましクリックすると拡大た。
シャンパンの価格はワインの約2倍なのでシャンパンだけで7800円(1300円x6)となってしまった反省を踏まえてワインだけにすることにいたしました。且つ7名だったのでボトルにいたしました。
メンバーをあらためて紹介すると次の通りでした。
クリックすると拡大 同期     4名 N氏 T氏 I氏 SORI
 2年後輩   1名 M氏(幹事)
 1992年卒業  1名 R氏
 1998年卒業  1名 H氏
 合計     7名 東京都 千葉県 茨城県 埼玉県 長野県

先ずは白ワインで乾杯です。牡蠣にあうCACCCI NO.1 ソーヴィニオン・ブランです。
クリックすると拡大

オイスターバー(Oyster bar)で牡蠣を食べると結構高いのですが、こちらのお店のいいところは、その牡蠣が安く食べれることなのです。この日も半額で厳選牡蠣が6個で1365円でした。
クリックすると拡大

最初に出てきた3種類の牡蠣です。名前の札はそれぞれの牡蠣のところに立てられているのですが、写真を撮るために並べました。3種類の牡蠣は長崎県小長井産と兵庫県板越産と長崎県五島列島産でした。手前の2つが長崎県小長井産の牡蠣で、奥の左が兵庫県板越産の牡蠣で、右が長崎県五島列島産の牡蠣です。
クリックすると拡大

こちらが最初に飲んだ白ワインのCACCCI NO.1 ソーヴィニオン・ブランです。丁寧に入れてもらえました。CACCCI(カッキー)はスペインの名門ミゲル・トーレス・チリ社と日本の会社により、牡蠣に合うよう作られたコラボレーションワインだそうです。ソーヴィニヨン・ブランは、フルーティーな味わいでフィネスがあり、シルキーな舌触り。パッションフルーツやグレープフルーツのニュアンスがあり、生牡蠣との相性がよく、ワインの酸味とミネラルが牡蠣の甘さを引き立てると書かれていました。
クリックすると拡大

長崎県小長井産の牡蠣を拡大いたしました。沢山の種類があるので何皿も頼みました。前回は全種類食べましたが、今回はすでに一次会で沢山食べていたのでワインがメインとなりました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大やはり白ワインに合う牡蠣だったので最後まで白ワインとなりました。このワインはCACCCI NO.2 シャルドネです。
牡蠣(カキ)のためのワインであるCACCCI(カッキー)は4種類ありました。冒頭の写真の中の黒板の左端にも右の写真のようにOur Selection of wines for Oysterと書かれていました。ワインの名前は全てブドウの品種の名前でしクリックすると拡大た。
 CACCCI NO.1 ソーヴィニオン・ブラン
 CACCCI NO.2 シャルドネ
 CACCCI NO.3 ピノ・ノアール
 CACCCI NO.4 カベルネ・ソーヴィニオン
ワインは飲む量を控えるつもりでも、結果的には一人1本になってしまう今までの経験があったので、ちょっと嫌な予感がしていました。
一番安いクラスの白ワインで通しましたが、やはりワイン代だけで一次会のコース料理+飲み放題の総額を越えてしまいました。でも想定内であり、久しぶりの楽しいメンバーとの飲み会だったので大満足でした。
クリックすると拡大

いつもならば掲載した写真の数倍の写真は撮っているのですが、実は話が盛り上がりすぎて写真は今回紹介の写真しか撮っていませんでした。つまり、すべての写真を使って紹介したわけです。したがって少し物足りないので前記事と同様にOB会メンバーで一緒に行った別の2つの合宿(2回生春合宿、4回生夏合宿)の写真を紹介します。赤色が今回記事で紹介する合宿で、緑色が前記事で紹介した合宿です。同時期に3~4つの合宿が計画されて自分の行きたい合宿に参加するので合宿ごとの参加人数にはばらつきがあります。
 ① 1回生 夏合宿 7月07日~7月20日 若狭  5名 3合宿
 ② 1回生 春合宿 3月07日~3月20日 北九州 5名 4合宿
 ③ 2回生 夏合宿 8月02日~8月13日 信州  9名 4合宿
 ④ 2回生 春合宿 3月19日~4月02日 信州  8名 3合宿
 ⑤ 3回生 夏合宿 7月13日~7月22日 東北  9名 4合宿
 ⑥ 3回生 春合宿 3月20日~3月25日 信州  8名 3合宿
 ⑦ 4回生 夏合宿 8月05日~8月21日 信州  11名 3合宿
こちらは、私が2回生の信州春合宿(3月19日~4月2日)の写真です。場所は権兵衛峠(標高1522m)に向かっている権兵衛街道で、広がって記念撮影をいたしました。この時代権兵衛峠は車が通れない道なので、このような記念撮影も出来たのです。写真の左からT氏、SORI、N氏と先輩(3年)2名です。前の人に隠れて顔が見えないのは先輩(3年)と後輩(1年)で、写真を撮っているのは後輩(1年)です。合計8名の合宿でした。合宿は諏訪湖→杖突峠→駒ヶ根→権兵衛街道→駒ヶ根→飯田→温田→南宮峡→新野峠→渋沢温泉→木ノ実峠→保古ノ湖→馬篭峠→保古ノ湖のルートでした。
クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

クリックすると拡大赤色ラインが合宿で、青色ラインが合宿参加のために往復を自走(プライベートラン)したルートです。合宿では雪が深くて権兵衛峠は越えられませんでしたが、右の写真のように、合宿に向かう時に一人で雪の権兵衛峠を越えることが出来たのは思い出となりました。


下の写真は私が4回生の時の信州夏合宿(8月05日~8月21日)で撮ったものです。M氏とI氏が写っています。場所は乗鞍山頂(標高:3026m)に登る途中の奈川渡ダムあたりの急坂です。この写真は私が先に走って待って撮りました。クリックすると拡大合宿のコースは糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠→青木峠→松本→奈川渡ダム→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山のルートでした。右は11名全員が自転車を持って登った乗鞍岳山頂での記念写真です。右端が私です。この時、青いユニフォームは4回生だけでした。下の段の左端の写真をクリックすると乗鞍岳山頂近くの山道を表示します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらも上の地図と同様で、赤色ラインが合宿で青色ラインが合宿参加のために往復を自走したルートです。


前記事では2017年の現役とOBの交流会で発表した私のパワーポイント(PP)の動画を紹介しましたが、こちらでは2016年の交流会でのPPの動画を下に掲載いたしました。2018年のPPの動画が完成しのしたので差し替えました。
クリックすると拡大右の写真は2018年2月3日に行われた交流会の写真です。今回の東京OB会に参加したN氏、T氏、I氏、SORIの4名は関西で行われた交流会にも参加いたしました。ただし、N氏は大阪に着いてインフレエンザに感染したことが分かったことから、そのまま家に帰りました。つまり右の写真に写っているのは4名の内3名です。


お店の場所を紹介いたします。地図の中央あたりの青色マーク( )が今回紹介した二次会で行ったOysterTableで、左下の青色マーク( )が一次会の銀座ライオンです。一次会の記事はこちらです。→ポチッ
 名前 オイスターテーブル OysterTable
 料理 Modern Oyster Bar Cuisine
 住所 東京都台東区上野公園1-54 上野の森さくらテラス 3F
 電話 03-3836-3637
 営業 11:00~23:00
 定休 無休
 最寄 京成上野駅 JR上野駅 地下鉄上野駅

タグ:上野 OB会
nice!(117)  コメント(28) 

上野でサイクリング部の第3回東京OB会 2018年3月31日 銀座ライオン [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
2018年3月31日に学生時代のサイクリング部の東京地区でのOB会がありました。学校は関西なので東京ではOB会をすることはありませんでしたが、一昨年(2016年4月16日)に東京で初めてのOB会を行ったのをきっかけに今年も行いました。昨年も今年は2年後輩のM氏が計画をしていただきました。昨年と同じお店で、花見の時期というのも同じでした。実はメンバーの中に株主優待券を持っている方がおられることでお店(銀座ライオン)が決まり、上野でやるのであれば花見の時期にしたいということになったわけです。上の写真はOB会を行ったレストランが入っている西郷会館です。正式名は上野百貨店だそうですが、その呼び名が使われることは無いようで、UENO3153が使われています。

関東に住んでいる人はなかなか連絡がとれなくて集まったのは7人だけでしたが沢山集まっても話は限られた人だけになってしまうので気心知れた人たちと飲めたのは楽しかったです。7名の内同期が4名でした。10名用の個室にしてもらえたので、ゆったりと心置きなく話をすることが出来ました。終わったあとは花見に全員で花見をして二次会に行きました。二次会と2月の交流会に関しては別途報告したいと思います。私は右側の手前から2人目です。
 同期     4名 N氏 T氏 I氏 SORI
 2年後輩   1名 M氏(幹事)
 1992年卒業  1名 R氏
 1998年卒業  1名 H氏
 合計     7名 東京都 千葉県 茨城県 埼玉県 長野県
クリックすると拡大

今回のメンバーで一緒に合宿に行ったことがあるのは入学年度の関係で私も含めて5名です。何度も一緒に行っていますが一例として5名が写った2つの合宿(3回生春合宿、1回生春合宿)の写真を紹介します。
こちらは、私が3回生の信州春合宿(3月20日~3月25日)の写真です。場所は和美峠です。写真をクリックすると馬越峠の写真を表示します。
写真の右端がN氏(同期)で、右から2番目が私(SORI)で、左端がM氏(2年後輩)で、左から2番目がI氏です。M氏はこの時は1回生でした。合宿は軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→柳沢峠→青梅のルートでした。
クリックすると拡大

赤色ラインが合宿で、青色ラインが合宿参加のために往復を自走したルートです。この時は東京まで行って小学校4年(神戸市立本山第一小学校)からの友人に会ってから東海道を帰りました。偶然ですが、その友人を含めた神戸市立本山中学校の仲間4人と2018年4月8日に神奈川県の中山駅の近くのイタリアン(トラットリア ダ テレーサ)で飲み会(プチ同窓会)を行いました。


こちらは、私が1回生の時の北九州春合宿(3月7日~3月20日)で撮った西海橋の写真です。左端が私(SORI)で、右端がT氏(同期)です。合宿のコースは行橋→平尾台→飯塚→福岡→唐津→西海橋→長崎→諫早→雲仙道路→雲仙→島原道路→島原→(フェリー)→天草五橋→熊本→阿蘇→大観峰→日田→羅漢寺のルートでした。写真をクリックすると長崎の大浦天主堂の写真を拡大いたします。
クリックすると拡大

こちらも信州合宿と同様で、赤色ラインが合宿で青色ラインが合宿参加のために往復を自走したルートです。移動を目的とした自走では1日に240~280km 程度走りました。4年間の延べ走行距離は60,000kmになりました。この時、まだ1年生だったので延べ走行距離のことは頭にありませんでした。
 ① 1回生 夏合宿 7月07日~7月20日 若狭
 ② 1回生 春合宿 3月07日~3月20日 北九州
 ③ 2回生 夏合宿 8月02日~8月13日 信州
 ④ 2回生 春合宿 3月19日~4月02日 信州
 ⑤ 3回生 夏合宿 7月13日~7月22日 東北
 ⑥ 3回生 春合宿 3月20日~3月25日 信州
 ⑦ 4回生 夏合宿 8月05日~8月21日 信州


クリックすると拡大2018年2月3日には学校にサイクリング部のOBと現役が集まって交流会が行われました。
その時に、昨年までと同様に昔のサイクリング部をパワーポイントを紹介しました。その時の記事はまだ書いていないことからブログ用のスライドショーは作っていないため、昨年(2017年)のパワーポイントの動画を下に掲載いたしました。ゆっくりと3秒間隔で見たい方はこちらをクリックしてみてください。→ポチッ
完成した2018年のパワーポインの動画はこちらです。→ポチッ


それではOB会を紹介いたします。先ずはビールで乾杯です。
クリックすると拡大

今回もコース料理と飲み放題の組み合わせにしていただきました。
飲み放題は+500円にしたので通常の飲み放題メニューに加えて、エビス生ビール、エビス・プレミアムプラック、エビス・ハーフ&ハーフ、プレミアムワイン、サファイヤジントニック、デンポンサワー、沖縄パインサワーも飲み放題でした。さすが元サイクリング部のメンバーだったこともあり全員健康そのもので、皆かなりの量を飲みました。飲み放題でなかったら、かなりの高額になったと思います。
クリックすると拡大

最初に出てきたのはサヨリとタイと竹の子のカルパッチョです。特に季節を感じさせてくれる竹の子が入っていて洒落た1品でした。
クリックすると拡大

自分の皿に取り分けたカルパッチョです。
クリックすると拡大

次にオードブルが出されました。3種類が乗っていました。
クリックすると拡大

オードブルの拡大写真を掲載いたします。
クリックすると拡大

次がサラダです。オレンジ色の四角食べ物はトマト豆腐です。海老も入っていました。
クリックすると拡大

左が蒸し野菜の盛り合わせです。左が焼売が入ったメンチカツです。ビールに合うものばかりでした。
クリックすると拡大

ホンビノス貝のガーリク焼きと、ガーリックトーストです。
クリックすると拡大

これがエビス・プレミアムプラックです。これが1杯でエビス生が4杯でハーフ&ハーフが2杯だったでしょうか。話が盛り上がって数えるのを忘れていたので、きっともっと飲んだと思います。
クリックすると拡大

変速機の骨董品も持ち出されてきました。これの話だけでも永遠と続きました。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

サーロインの牛カツも出てきました。なかなかの値打ちものでした。
クリックすると拡大

最後の〆はベーコンとアサリのスパゲッティーでした。
クリックすると拡大

OB会の一次会が終わったところで上野公園の花見に出かけました。
この時、14時30分くらいでした。午前中に私が単独で来た時に比べると、さらに花びらが散っている感じでした。下の着色文字をクリックすると記事を表示いたします。
 午前中の上野公園の桜など → 動画 写真 燈籠 屋台
クリックすると拡大

お店の場所を紹介いたします。地図の中央あたりの青色マーク( )が今回紹介した一次会の銀座ライオンです。
 名前 銀座ライオン上野西郷会館店
 住所 東京都 台東区 上野公園 1-57 地下1階
 電話 03-5817-3631
 営業 11:00~23:00 日曜祝日は11:00~22:00
 定休 なし
ちなみに地図の中の斜め右上の青色マーク( )が、今回の二次会で行ったお店(OysterTable)です。牡蠣を食べさせてもらえるオイスターバーです。

タグ: 上野
nice!(85)  コメント(23) 

サイクリング部の後輩との飲み会の2軒目 オイスターテーブル(OysterTable) [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大前記事で上野にある右の写真のレンコン料理専門店の「れんこん」で学生時代のサイクリング部の2年後輩(M氏)と、卒業以来本格的に初めて話しながら飲んだことを報告させていただきました。→前記事
そのレンコン専門店は人気があるためか、2時間の制限があったことから場所を変えて飲んだお店がOyster Bar(生ガキ専門店)です。
お店の名前はオイスターテーブル(OysterTable)です。クリックすると拡大オイスターバーは厳密に言えばカウンター席が主体となりますが、こちらのお店はテーブル席がほとんどのため、オイスターテーブルとしたのかもしれません。ただし我々は右の写真のように数少ないカウンター席に座りました。右奥がM氏です。

M氏との関係はすでに前記事で紹介いたしましたが、初めての方もおられると思うので簡単に説明いたしました。M氏は同じサイクリング部の所属で私が3年の時に入学したので2年間のつき合いだったわけですが、3度の合宿の内で2度も一緒の合宿でした。下記の赤色が一緒の合宿でした。M氏が右で私が左です。この20歳の時の写真はクリックすると拡大します。内山峠で撮った写真です。
クリックすると拡大     夏合宿    春合宿    夏合宿     
 M氏  1年(信州)  1年(信州)  2年(信州)
 SORI 3年(東北)  3年(信州)  4年(信州)
 SORI 20歳    21歳    21歳
左側の写真とスライドショーは、私が3年の時の夏合宿で、右側が4年の時の春合宿です。是非ともプレーボタン( )をクリックして私の21歳の時の写真を見てほしいです。下の着色文字をクリックすると地図を表示します。
2017年交流会のパワーポイント→ポチッ
     春合宿 馬越峠       夏合宿 乗鞍岳山頂(標高3026m)
クリックすると拡大クリックすると拡大
    春合宿スライドショー        夏合宿スライドショー
 

こちらが生牡蠣のメニューです。8ケ所の産地の牡蠣(Oyster)がありました。8種類を全て注文いたしました。画像をクリックすると拡大するのでメニューに書かれている説明が読めるので違いが判ると思います。8種類を2個づつ注文いたしました。
 ① 島根県海士町産岩牡蠣  "春香"
 ② 長崎県五島列島産岩牡蠣
 ③ 兵庫県板越産真牡蠣
 ④ 兵庫県室津産真牡蠣   "がき大将"
 ⑤ 兵庫県相生湾産真牡蠣
 ⑥ 香川県産        "白方かき"
 ⑦ 福岡県糸島産      "濃厚みるくがき"
 ⑧ 佐賀県唐津産      "からつんカキ"
クリックすると拡大

ワインにする選択肢もありましたが、牡蠣を16個頼んでも牡蠣代は税込みで4182円で、一人当たりにすると2091円と格別に安かったことから、ちょっと贅沢にシャンパン(シャンパーニュ Champagne)にいたしました。クリックすると拡大レシートにマムGと書かれていたのでG.H.マム社(G.H.MUMM et Cie)のシャンパンと思われます。シャンパングラスにもG.H.MUMM のロゴが書かれていました。
この日の1軒目の「れんこん」では最後までビールだったのとは大きな違いでした。やっぱりシャンパーニュは美味しかったです。結局、2人で6杯飲んでしまいました。
クリックすると拡大

8種類x2個が盛り付けられて出てきました。左の皿には大型の牡蠣の①②⑧の6個(3種類)が乗っており、右の皿には残りの牡蠣④~⑦の10個(5種類)が乗っていました。
クリックすると拡大

こちらが大型の牡蠣が乗った左側の皿です。
 ① 島根県海士町産岩牡蠣  "春香"
 ② 長崎県五島列島産岩牡蠣
 ⑧ 佐賀県唐津産      "からつんカキ"
クリックすると拡大

こちらが右側の皿の牡蠣です。
 ③ 兵庫県板越産真牡蠣
 ④ 兵庫県室津産真牡蠣   "がき大将"
 ⑤ 兵庫県相生湾産真牡蠣
 ⑥ 香川県産        "白方かき"
 ⑦ 福岡県糸島産      "濃厚みるくがき"
クリックすると拡大

牡蠣のカクテルソース用の調味料も出てきました。私はソースは使わないで全てレモンでいただきました。
クリックすると拡大

先ずは兵庫県室津産の牡蠣をいただきました。意外と食べやすいさっぱりとした味わいでした。
クリックすると拡大

次に同じ兵庫県産の相生の牡蠣を食べました。味は室津産と似ていました。今回分かったことは同時に食べると同じ牡蠣でも産地が違うと味が違うことが分かりました。
クリックすると拡大

白ワインも飲みました。 どれにするか聞かれたのでシャブリにいたしました。レシートにプリンス・シャブリとかかれていたので、おそらく銘柄はプリンス・ラブレ・シャブリ(Prince Labouré Chablis) ではないかと思います。
クリックすると拡大

こちらは島根県海士町産岩牡蠣の"春香"です。
クリックすると拡大

"春香"を1個だけを拡大いたしました。クリーミーな濃厚な味わいでした。
クリックすると拡大

こちらが福岡県糸島産の"濃厚みるくがき"です。
クリックすると拡大

クリックすると拡大ここまではシャンパーニュと白ワインでしたが、赤ワインも頼みました。
話も盛り上がって飲む方のペースも上がってきました。でもまだ入店して35分しかたっていません。最終的に入店して2時間15分ほど話してのでまだまだ序の口と言えます。
クリックすると拡大

食べた順番に紹介しています。こちらは長崎県五島列島産の岩牡蠣です。
クリックすると拡大

長崎県五島列島産の岩牡蠣も拡大いたしました。
クリックすると拡大

そして、こちらが 香川県産の"白方かき"です。
クリックすると拡大

兵庫県板越産の牡蠣も結構大きかったです。
クリックすると拡大

こちらが最後に食べた佐賀県唐津産の"からつんカキ"です。
クリックすると拡大

唐津産の"からつんカキ"の拡大写真も掲載いたします。これで8種類の牡蠣を全て紹介しました。
クリックすると拡大

まだまだ話が尽きなかったのでマルガリータを頼みました。牡蠣以外で頼んだのはこちらのピザだけでした。イタリアンの料理はいろいろあったと思います。生ガキ以外に下記の料理も沢山あったと思います。ネットで見ると少なくとも57種類の料理が掲載されていました。
クリックすると拡大

こちらが今回のレシートです。合計金額17808円の内、ワインやシャンパーニューが11968円でした。そのうちシャンパンが7800円でした。料理も含めて単品で一番高いのがシャンパン(1300円/杯)なので当然の結果です。この次はアルコール代をもう少し控える工夫をしたいと思います。
お世話になったのは2017年4月21日でした。
 席料     600円
 料理    5240円 生ガキ:4182円 ピザ:1058円    
 ワイン類 11968円 シャンパン:6杯 白ワイン:3杯 赤ワイン:2杯 
 合計   17808円
クリックすると拡大
クリックすると拡大
クリックすると拡大
クリックすると拡大
クリックすると拡大
クリックすると拡大
クリックすると拡大
クリックすると拡大

Oyster Piece Clubのメンバーズカードを作ってもらいました。今回だけでも、また行きたくなるほど沢山ポイントが付きました。
クリックすると拡大

お店の場所を紹介します。地図の中の青色マーク( )の中で最も中央のマークが今回のお店の場所です。銀座ライオンは2017年4月1日に第2回サイクリング部東京OB会を行ったお店で、食道楽は2014年3月8日にサイクリング部の同期の3人が集まったお店です。マークをクリックすると店名と記事のURLを表示します。
 名前 オイスターテーブル OysterTable
 料理 Modern Oyster Bar Cuisine
 住所 東京都台東区上野公園1-54 上野の森さくらテラス 3F
 電話 03-3836-3637
 営業 11:00~23:00
 定休 無休
 最寄 京成上野駅 JR上野駅 地下鉄上野駅

サイクリング部の後輩との飲み会 上野のれんこん [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
2017年4月21日は学生時代のサイクリング部の後輩と、上野にあるレンコン料理のお店で飲み会をいたしました。上の写真がお店の入口の扁額です。大きく「れんこん」と書かれています。一緒に飲んだ人は仮の名前としてM氏と呼ばさせていただきます。
そのM氏は私が3回生(3年生)の時に入学したので2年後輩です。学年は2年後輩ですが、生まれた年は同じで数ケ月だけ後輩であることを今回初めて知りました。同年代だったのです。M氏と卒業以来初めて会ったのが2015年2月7日に行われたサイクリング部の現役とOBの交流会でした。右下の写真は交流会の後にOBだけが集まって行ったOB会です。
クリックすると拡大前から2列目の右から2人目のオレンジ色の服を着ているのが今回の飲み会の相手のM氏です。私は前列の左端です。この時を含めてM氏と飲むのは4回目です。卒業年は明かせませんが、数十年と長い間会ったことがなかったことが想像してもらえると思います。
 卒業後M氏と飲んだ機会
  1回目 2015年2月07日 大阪・難波  ニューミュンヘン 交流会の後のOB会
  2回目 2016年4月16日 東京・八丁堀 四川食堂     第1回東京OB会
  3回目 2017年4月01日 東京・上野  銀座オリオン   第2回東京OB会
  4回目 2017年4月21日 東京・上野  れんこん     プライベート飲み会

クリックすると拡大京成上野駅を降りてお店の方向を撮った写真です。横断歩道を渡り赤い文字のアメヤ横丁と書かれた通りに入ると5分でお店に着きました。右の写真をクリックするとアメヤ横丁の正面からの写真を表示します。
クリックすると拡大

アメヤ横丁を進むと道が2つに分かれていて、右の上中(うえちゅん)の方に入って最初の道を右に曲がるとお店は目の前でした。上の写真ではアメヤ横丁ですが、下の写真ではアメ横と書かれています。正式名称はアメ横商店街連合会だそうです。右の石像は1987年に東北・上越新幹線が上野駅に乗り入れクリックすると拡大ことを記念して設置された賑わいの像(にぎわいのぞう)です。
名前の由来は下記の2説があるそうです。
 ① アメリカ進駐軍の放出物資を売る店が多かった。
 ② 砂糖の代替えの芋アメが売られていた。
クリックすると拡大

こちらが「れんこん」の入口です。150年前の古い木材で造られた味わいのあるお店でした。ただし料理店として開業したのは1998年だそうです。れんこん料理が有名でテレビでも何度も取り上げられているお店です。→ポチッ
クリックすると拡大

中に入って予約されていた席から入口方向を撮った写真です。
クリックすると拡大

クリックすると拡大今回の飲むことになったのは2017年4月の3度目の飲み会である第2回OB会の時にM氏と一番離れた席に座ってしまいOB会中は話が出来きませんでした。右の写真で右の一番手前がM氏で私は左の一番奥に座っていたわけです。
学生時代のサイクリング部では年に2回(夏と春)の合宿が行われていました。夏と春に3~4つの合宿が計画されてどこかの合宿に参加するのです。1回の合宿で同じ合宿りなるのは33%の確率なのです。そんな中で3回の合宿の中で2回の合宿がM氏と同じでした。学年は離れているけれども話がしたくなるわけです。私が3年の夏はM氏は信州合宿で、私は東北合宿でした。右の写真は初めて一緒に合宿に行った時の写真で、私が左でM氏が右です。
クリックすると拡大 3年夏合宿  3年春合宿  4年春合宿  
 ①東北    ①九州    ①北海道
 ②信州第一  ②山陰    ②東北
 ③信州第二  ③信州    ③信州
下記の赤色が一緒の合宿でした。M氏が左で私が右です。
クリックすると拡大     夏合宿   春合宿   夏合宿     
 M氏  1年(信州) 1年(信州) 2年(信州)
 SORI 3年(東北) 3年(信州) 4年(信州)
 SORI 20歳   21歳   21歳
下は私が3年生、M氏が1年生の時の春合宿の馬越峠での記念写真です。合宿は3月20日~3月25日 で軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→裂石→柳沢峠→青梅のコースでした。下の写真では私が右端でM氏は右から2番目です。
クリックすると拡大

合宿中の写真をスライドショーにいたしました。合宿メンバーの構成です。仮の名前はスライドショーの中で使っています。プレーボタン( )をクリックすると2秒間隔で写真を表示します。この春合宿でM氏以外でG氏H氏K氏も5ケ月後の夏合宿で私と同じ信州合宿に参加しました。つまり7名の内5名が夏の信州合宿に参加したことになります。私以外にも一度走ると信州サイクリングにハマる人が多いのだと思います。
 1年 1名 M氏
 2年 2名 G氏 P氏
 3年 4名 H氏 N氏 K氏 SORI
 合計 7名


合宿コースをGoogle地図にブロットしました。
 ━━ 3回生春合宿 軽井沢→甲府(→青梅)
 ━━ 自走     宝塚→軽井沢 甲府→青梅→東京→宝塚


私が4年の時の夏合宿の写真も紹介します。M氏は2年生でした。クリックすると拡大コースは糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠(浅間山)→青木峠→松本→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山でした。下の写真では右端が私で、頂上表示の上に鉢巻をした頭だけ出しているのがM氏です。下の写真を撮った後に右の写真のように11名全員が自転車を持って乗鞍岳の頂上(3026m)に集合いたしました。
クリックすると拡大

夏合宿の写真のスライドショーも紹介します。この時の合宿メンバーの構成です。4年生の全員が合宿に参加するのは我々の世代だけだったようです。
こちらもプレーボタン( )をクリックすると2秒間隔で写真を表示します。初期画面で一番前で鉢巻をしているのがM氏で右端に立っているのが私です。
 1年 3名 A氏 B氏 C氏
 2年 2名 M氏 D氏
 3年 3名 ̚E氏 F氏 G氏
 4年 3名 H氏 K氏 SORI  合計 11名


こちらの合宿コースもGoogle地図にブロットしました。
 ━━ 4回生夏合宿 糸魚川→高山
 ━━ 自走     宝塚→糸魚川 高山→宝塚


少し脱線いたしましたが、お店の紹介に戻ります。こちらが、れんこん料理のメニューです。17のレンコン料理がありますが、その中で赤色が今回我々が注文した料理です。
からしれんこん、②生ハムとクリームチーズのれんこんカナッペ、③れんこんのピクルス、④れんこんと季節の青菜のおひたし、⑤れんこんと海老のはさみ揚げ、⑥れんこんのコロッケ、⑦ハッシュドレンコン、⑧フライドレンコン、⑨れんこんと明太餅の揚げだし、⑩れんこんの焼ききんぴら、⑪れんこんニョッキ クリームソース、⑫れんこんといかのガーリックバター炒め、⑬れんこんと帆立の蒸ししんじょ、⑭白身魚のはす蒸し、⑮れんこんのふろふき風、⑯れんこんおこげのかにあんかけ、⑰れんこん麺
クリックすると拡大

先ずはビールで乾杯です。こちらのお店では最後までビールにいたしました。お通りはゴマ豆腐でした。
クリックすると拡大

それではレンコン料理を紹介します。最初に頼んだ「からしレンコン」です。
クリックすると拡大

こちらが「れんこんと海老のはさみ揚げ」です。
クリックすると拡大

れんこんの食感を感じていただくために、はさみ揚げの断面の拡大写真を掲載いたしました。
クリックすると拡大

こちらが「ハッシュドレンコン」です。シャキシャキ感がすばらしい料理でした。
クリックすると拡大

「れんこんのコロッケ」は塩でいただきました。
クリックすると拡大
こちらが「フライドレンコン」です。磯辺風味です。
クリックすると拡大

レンコン料理以外も紹介します。こちらは「だし巻き玉子」卵ですが、特徴なのが、だしの中に入っていることです。京風と書かれていました。
クリックすると拡大

こちらのホタルイカは格別にプリプリで新鮮でした。
クリックすると拡大

平目の刺身もいただきました。写真を撮り忘れてしまったので右下の記念写真から刺身の部分を切り取って掲載させていただきました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大ラストオーダーで料理を頼んですべての料理が並んだところです。こちらの写真も右の記念写真から切り取りました。時間はお店に入ってから1時間43分後です。冒頭で3回目にあった時は席が離れていたために話が出来なかったと説明させていただきましたが、実は1回目は人数が多すぎて話が出来なかったのです。2回目の時も席が離れていたためにあまり話が出来なかったので、今回の飲み会は値打ちがありました。そんなことから、時間制限の2時間では話しきれないほど話題が沢山ありました。
クリックすると拡大

お店の場所を紹介します。地図の中の青色マーク( )の中で最も中央のマークが今回のお店の場所です。他のマークは以前に食事をしたことがお店です。マークをクリックすると店名と記事のURLを表示します。
 名前 れんこん
 住所 東京都台東区上野4-9-1
 電話 03-3831-5100
 営業 17:00~23:00
 定休 無休
 最寄 京成上野駅 JR上野駅 地下鉄上野駅


追伸 2017年4月25日
いただいたコメントで今回の「れんこん」はソネブロガーのちょいのりさんが板前をされているお店だと知りました。
そこで「上野 れんこん」で検索してみました。→ So-net内 全体
沢山の記事が掲載されているのに驚きました。
クリックすると拡大

上野でサイクリング部の第2回東京OB会 2017年4月1日 銀座ライオン [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
2017年4月1日に学生時代のサイクリング部の東京地区でのOB会がありました。学校は関西なので東京ではOB会をすることはありませんでしたが、昨年(2016年4月16日)に東京で初めてのOB会を行ったのをきっかけに今年も行いました。昨年は私が幹事役でしたが、今年は2年後輩のM氏が計画をしていただきました。

花見もしたいということで4月1日(土曜日)を選び、場所も上野公園に隣接した銀座ライオンを予約していただきました。本当は9名の予定でしたが直前に私の同期のI氏が肋骨を骨折したたために8名でのOB会でした。関東に住んでいる人はなかなか連絡がとれないのでよく集まったと思います。
クリックすると拡大 2年先輩   1名 A氏
 同期     3名 N氏 T氏 SORI (I氏)
 2年後輩   1名 M氏(幹事)
 1990年卒業  1名 B氏
 1992年卒業  1名 C氏
 1998年卒業  1名 D氏
 合計     8名
クリックすると拡大

今回のメンバーで一緒に合宿に行ったことがあるのは私も含めて4名です。
こちらは、私が3回生の信州春合宿(3月20日~3月25日)の写真です。場所は馬越峠です。
写真の右端が私(SORI)で、右から2番目がM氏(2年後輩)で、左端がN氏(同期)です。骨折でこれなかったI氏は左から2番目です。M氏はこの時は1回生でした。合宿は軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→柳沢峠→青梅でした。
ルート http://goo.gl/maps/XXZqN
クリックすると拡大

こちらは、私が3回生の時の東北夏合宿(7月13日~7月22日)の白布峠で撮った写真で、見えている湖は檜原湖です。左端が私(SORI)で、左から2番目がT氏(同期)です。合宿のコースは猪苗代湖→檜原湖→白布峠→南陽→蔵王→名取→仙台→鳴子→鬼首峠→横手→田沢湖→玉川温泉→十和田湖→八甲田山→青森でした。ルート http://goo.gl/maps/0LV3f
クリックすると拡大

クリックすると拡大2017年2月4日には学校にサイクリング部のOBと現役が集まって交流会が行われました。その時の記事はこちらです。→ポチッ
その時に私が昔のサイクリング部を紹介したパワーポイントが下です。興味のある方はクリックしてみてください。ゆっくりと3秒間隔で見たい方はこちらをクリックしてみてください。→ポチッ
昨年(2016年)のパワーポイントはこちらです。 → ポチッ


銀座ライオンはビアホールですが、うれしいことに個室を予約してくれていたので、みなさんの話かを静かに聞くことが出来ました。
クリックすると拡大

先ずは全員、大ジョッキで乾杯をいたしました。ここは美味しい8種類のビールが飲めるのが特徴なので、2杯目以降はいろいろと飲んでみました。
クリックすると拡大

すぐに前菜が出されました。鯛のカルパッチョとスモークサーモンとチーズです。
クリックすると拡大

mimimomo さんが前菜のチーズにコメントいただいたので追加掲載いたしました。チーズの上にオリーブとみじん切りしたパセリ系のハープを乗せてオリーブオイルがかけてあります。これは美味しかったです。
クリックすると拡大

次が琥珀のエビスビールを頼みました。白ワインもいただきました。
クリックすると拡大

今回は料理はコースを選び、飲み物は飲み放題コースでした。そのため、思う存分ビールを飲むことが出来ました。
クリックすると拡大

左がエビスの黒ビールで左が琥珀ビルです。ハーフ&ハーフも飲みました。
クリックすると拡大

次はサラダが出てきました。このあたりから順番に一人一人、サイクリング部時代と近況の報告を始めました。質問や思い出話も出てくるために、それだけで終了近くまで時間を使いました。
クリックすると拡大

お皿に4つ乗っていたのですが、話に夢中で、気が付いた時には1つになっていました。写真の料理は私の分です。名前は分かりませんが、玉子料理で、なかなか美味しい料理でした。
クリックすると拡大

真ん中の辛めのたれにつけて海老の刺身をたべる料理です。唐揚げにされた頭も香ばしくて良かったです。
クリックすると拡大

エーデルピルス(Edelpils)もいただきました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大アスパラの肉巻きフライです。茹でアスパラもついていてどちらも美味しくいただきました。
写真を撮ってもらいました。いい記念になります。私は左の一番奥の席です。
クリックすると拡大

飲み放題は2時間で20分前にラストオーダーになります。ラストオーダーはやっぱり大ジョッキです。ワインのボトルも頼みました。ワインは合計で白を2本で赤は1本頼のは確認しているのでそれ以上の可能性もあります。
クリックすると拡大

メイン料理はステーキでした。ビアホールのステーキと思えないほど本格で柔らかかったのに驚かされました。料理は全体的に美味しかったです。
クリックすると拡大

やっぱりステーキは拡大したくなります。ネギが乗っているのも面白いです。
クリックすると拡大

そして最後の締めはスパゲッティーでした。熱々で湯気が立ち昇っている状態で出てきました。懐かしい味のナポリタンでした。
クリックすると拡大

うれしいことにお店のサービスで、再度ラストオーダーをしてもらえたので、もう一度、大ジョッキを頼みました。お昼の12時からだったのがよかったみたいです。夜ではありえないと思います。最終的に15時まで飲ませていただきました。ありがとうございました。
クリックすると拡大

お店の場所を紹介いたします。地図の中央あたりの青色マーク( )が今回のお店の地下に降りる階段の場所です。
ちなみに地図の中の右下の青色マーク( )は2014年3月8日に、私とN氏とI氏の3人で卒業以来初めて飲んだ居酒屋の食道楽(右の写真)です。建物の一番南側に地下にある銀座ライオンに下りる階段がありますが、階段の場所が見つからなくてほとんどの人が迷いました。「Google地図のマーク」や「食べログ」や「ぐるなび」の位置が階段の場所ではないので迷うのだと思います。京成電鉄の入口の上野公園に上がる階段の横なのです。
クリックすると拡大 名前 銀座ライオン上野西郷会館店
 住所 東京都 台東区 上野公園 1-57 地下1階
 電話 03-5817-3631
 営業 11:00~23:00 日曜祝日は11:00~22:00
 定休 なし


地下に降りる階段の入口が分かりにくいのでGoogleストリートビューの写真を紹介します。中央のガラス扉が入口です。クリックするとGoogleのオリジナルを表示します。
クリックすると拡大

宴会が終わって上野公園を散策いたしました。5分~8分咲き程度でした。丁度一年前の2016年4月1日にも桜の花を見に来ました。 → 写真 動画 屋台
クリックすると拡大

今回のお店は西郷さんの銅像の近くです。
クリックすると拡大

12時頃は小雨でしたが、食事が終わった15時頃は雨もほぼ止んで花見宴会もすごい数の人がされていました。


屋台村も行列のお店がすでにできていました。二次会の場所を探してアメ横に向かいました。
クリックすると拡大

候補のお店「れんこん」に来てみましたが、仕度中で開店は17時からなので近くの居酒屋に入りました。
クリックすると拡大

二次会もビールにいたしました。写真の右下に写っているメニューの一部からお店は「うみブタ」と思われます。
 名前 上野 うみブタ
 住所 東京都台東区上野4-8-9 OAKビル
 電話 03-5812-3840
 営業 11:00~24:00
 定休 なし
クリックすると拡大

さすがに料理は2品だけでした。一つがタコのカルパッチョです。
クリックすると拡大

もう一つが餃子でした。ここでもしっかり飲んで帰りました。
クリックすると拡大

サイクリング部の現役と卒業生の交流会に行ってきました。 2017年2月4日 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大私が学生時代に入っていたサイクリング部では毎年1年末~2月初の土曜日に現役と卒業生(OB・OG)の交流会が行われています。正式名称はOB・OG交流会です。今年も2017年2月4日に行われた交流会に参加いたしました。2016年度の主将は57代であるように、現役と卒業生の交流会が長く続いているは珍しいと思いますので紹介したいと思います。
  OB:Old Boy  OG:Old Girl

交流会は学校構内の写真の会館で行われました。
現役は未成年者も多く、また構内でアルコールを飲むことは禁止なのソフトドリンクでの交流会となります。
クリックすると拡大

交流会は11時30分に始まりました。最初に59代主将から開会のあいさつとスケジュールの説明がありました。写真の中の「開会のあいさつ」と「現役の活動報告」の間に現役とOBの自己紹介が入りました。右の写真はOBの自己紹介を行っている場面です。年度別に前に出て自己紹介をいたしました。偶然ですが同じ年代で3人のグループが3つありました。
 ①開会のあいさつ                11時30分~          
 ②現役とOBの自己紹介(年度と名前)      11時35分~11時50分
 ③現役の活動報告                11時50分~12時40分
 ④現役とOBが一緒に混ざって昼食(まさに交流会)12時40分~14時30分
 ⑤OBからの経験談               14時30分~16時50分
 ⑥閉会                     16時50分
クリックすると拡大

現役の活動報告の光景です。最初に58代となるツーリング班の主将から全般的な活動報告があり、レース班の主将からの活動報告もありました。
クリックすると拡大

各合宿などの報告は、それぞれ担当が変わってパワーポイントで行われました。現役からの活動報告が終わったのは12時40分でした。
クリックすると拡大

こちらは秋合宿の説明です。我々の時代には秋合宿はなく、代わりに500㎞耐久レースと一般学生と走る公開サイクリングを行っていました。
クリックすると拡大

現役の発表が終わって部屋に戻るとすでに昼食の準備が出来ていました。ついつい古い仲間同士で話したくなりますが、そちらは二次会に任せて、今回は現役の人との間で話ができるようにOBは各テーブルにばらけて座りました。


昼食を食べながら、昔のサイクリングの話を興味深く聞いてもらい、こちらも最近のサイクリングを興味深く聞きました。14時30分まで続いたので、まさに、これが交流会というところでした。昼食は次のような変遷がありました。小さな写真が合宿カレー(2014年)と模擬店ぜんざい(2011年)で、両方ともに手作りです。飲み物は、暖かいコーヒー、紅茶、お茶とペットボトルのソフトドリンクが用意されていました。合宿の養殖はカレーライスが最も多かったです。
 2011年 合宿カレー 模擬店ぜんざい オードブル 菓子類 
 2012年 合宿カレー 模擬店ぜんざい オードブル 菓子類 と予想(欠席) 
 2013年 合宿カレー 模擬店ぜんざい オードブル 菓子類  
 2014年 合宿カレー 模擬店ぜんざい 饅頭
クリックすると拡大クリックすると拡大 2015年 弁当    菓子類
 2016年 弁当    菓子類
 2017年 仕出し弁当 菓子類
クリックすると拡大

クリックするとオリジナルの写真を表示これが合宿カレーです。合宿にはこの鍋を持っていくと思います。我々の時も同じタイプでしたが、右の写真のようにベコベコの上に薪を使ったので真っ黒でした。今年は仕出し弁当のためなかったので2014年の時の写真を掲載いたしました。右の写真をクリックしてみてください。
クリックすると拡大

そしてこちらが模擬店ぜんざいです。こちらも2014年の写真です。秋の学園祭の時の模擬店で作っていました。昔は巨大な釜でぜんざいが作られていましたが、いつしか大釜はなくなってしまったようです。学生時代の写真→ポチッ
クリックすると拡大

2011年~2013年は立食パーティー形式で、現役とOBが話が出来て和やかな昼食会でした。上で紹介した通り合宿カレーと模擬店ぜんざいもだされて盛り上がりました。椅子が使われるようになったのは2014年からです。写真は2013年の立食パーティーの様子です。


今年で51号となる部誌も1号から並べられていました。これをテーブルに持ってきて話をするOBも多数おられました。1号は手作りのガリ版刷りですが、2号以降は印刷で作られています。今年の51号は、ほとんどの部員が書いた72の原稿で構成された256ページの大作でした。72の原稿で256ページになることからわかるように一つの原稿も数ページの大作が多いのです。51号の発行日は昭和29年1月31日です。
クリックすると拡大

昼食後は、今度はOBが体験談を中心に話をいたしました。


私は2011年から交流会に参加していて2014年から私もパワーポイントを使って説明するようになりました。
今回がパワーポント使って説明するのは4回目で、私のパワーポイントも恒例となったことから一番最後に説明させてもらうようになりました。そのパワーポイントを動画にいたしましたので紹介します。
是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。1画面1秒で表示します。オリジナルは106画面ですが、その中の98枚を紹介します。ゆっくりと3秒間隔で見たい方はこちらをクリックしてみてください。→ポチッ
昨年(2016年)のパワーポイントはこちらです。 → ポチッ


私の説明の中の一つである2年の春合宿の写真を紹介します。あえて雪が残る信州を選んで合宿をしました。下の写真は権兵衛峠(標高1522m)をクリックすると拡大越えるために権兵衛街道を東側から登っているところの走りながら記念写真です。ただし、左下の写真の場所で道が途切れてしまって峠に登るのは途中で断念いたしました。右の写真は前日(3月18日)に私が単独で西側から権兵衛峠に登った時の写真です。右の写真をクリックすると権兵衛峠と標高1,522の文字が読めると思います。下記のルートで諏訪湖から保古ノ湖が合宿(3月19日~4月2日 )で、前後はプライベートで移動したルートです。
メンバーは1年 2名、2年 3名、3年 3名の 計 8名でした。
宝塚(家 3月17日)→京都→名古屋→寝覚ノ床→権兵衛峠→諏訪湖(3月19日)→杖突峠→駒ヶ根→権兵衛街道→駒ヶ根→飯田→温田→南宮峡→新野峠→渋沢温泉→木ノ実峠→保古ノ湖→馬篭峠→保古ノ湖(4月2日)→名古屋→宝塚(家 4月3日) → http://goo.gl/maps/iB9r3
クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

3年の春合宿の写真も紹介します。2年の時と同様に、あえて雪が残る信州を選んで合宿をしましたが、想像以上に過酷な合宿となりました。
本写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
写真は信州峠に北側から登っているところですが、道の雪は完全に凍って氷の世界でした。3年の時の春合宿は信州と九州と山陰の3グループでした。
今の信州峠はこちらです。 → https://goo.gl/maps/9mccgcKkjBm
クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

信州峠の南斜面の下りはもっと過酷でした。雪が解けて道は泥沼と化していたからです。下記のルートで軽井沢から青梅が合宿(3月20日~3月25日 )で、前後はプライベートで移動したルートです。東京から宝塚まで走ったのは2度目でした。メンバーは1年 1名、2年 2名、3年 4名の 計 7名でした。
右下の写真のみ馬越峠で後は信州峠です。馬越峠の写真の背景の山の尾根に信州峠があります。
宝塚(家 3月18日)→彦根→中津川→塩尻→軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→裂石→柳沢峠→青梅→東京→静岡→宝塚(家 3月27日) → http://goo.gl/maps/XXZqN
クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらも説明で使った写真です。学生時代の私の最後の4年の夏合宿です。写真は乗鞍山頂を目指して松本近くの奈川渡ダムあたりの10%の急坂道を登っているところです。メンバーは1年 3名、2年 2名、3年 3名、4年 3名の 計 11名でした。自分が撮っているため自分自身が写っていないのは残念ですが、これだけきれいな隊列で走っている写真は珍しいので気に入っています。急坂道だから撮れたのだと思います。当然ではありますが、このような写真はカメラ係がスピードあげて前に出でカメラを構えて撮ります。青いユニホーム着ているのが4年生です。写真はクリックすると拡大します。下記のルートで糸魚川から高山が合宿(8月5日~8月21日)で、前後はプライベートで移動したルートです。4年の時の夏合宿は信州と北海道と東北の3グループでした。
宝塚(家 8月3日)→敦賀→金沢→羽咋→七尾→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠→青木峠→松本→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→宝塚(家 8月22日) → http://goo.gl/maps/xX1MM
クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

OBからの体験談の話が終わり、顧問の先生が挨拶したところで、みんなで冒頭の記念写真を撮りました。


右上から2011年、2013年、2014年む、2015年、2016年、2017年の記念写真です。6回出席してパワーポイントでの紹介が4回(2014年~2017年)で、記事掲載が3回(2012年、2016年、2016年)となります。着色文字をクリックすると記事を表示します。
 2011年 1月29日(土) → 出席
 2012年 2月04日(土) → 海外出張のため欠席
 2013年 2月02日(土) → 出席(未掲載)
 2014年 2月08日(土) → 出席(未掲載)
 2015年 2月07日(土) → 出席(未掲載)
 2016年 2月06日(土) → 出席 2次会 3次会 東京
 2017年 2月04日(土) → 今回
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

私が参加した交流会の中でOBの参加者が25名と、最も多かったのが2015年でした。下記の写真はOBだけで行われた2015年の二次会です。


交流会が終了して解散したのが16時50分でした。



2次会
もちろんOBだけで2次会に行きました。これも楽しみの一つです。交流会が終わって居酒屋に着いたのは17時を越えていましたが16時からでも飲めるように探したお店が居酒屋「ニッパチ」でした。クリックすると拡大こちらのお店で「食べ放題」+「飲み放題」のコースを頼みました。こちらの「食べ放題」はバイキングと違いメニューで注文するのです。メニューの中に書かれているものであれば何を注文しても追加金額は発生しないシステムなのです。中国の上海ではよくあるシステムですが日本では珍しく、私は初めてでした。
クリックすると拡大

我々が選んだのは食べ飲み放題2時間コース3000円です。
料理は自分の好きなものをメニューから選ぶのですが、最初に早く出せる料理を5品(固定料理)ほど店側から出されます。それがで終わった料理の注文が始まります。ドリンクも自由なので150種類あります。1名からでも食べ飲み放題が出来るとのことなので、5品というのはテーブルに座る人数と合わしているのではないかと感じました。
クリックすると拡大

こちらも固定料理です。
クリックすると拡大

こちらのお店の特徴は「食べ飲み放題」だけではありません。すべての料理が基本的に280円なのです。すべて280円と書かれているのが判ると思います。
クリックすると拡大

こちらのページでは「うなぎ釜めし」だけが480円です。さすがに鰻は高いので280円では提供できないようです。
クリックすると拡大

デザートも280円でした。「うなぎ釜めし」以外にも例外がありました。それは鍋です。5種類の鍋がありました。
クリックすると拡大

タコ焼きも固定料理として出てきました。
クリックすると拡大

フライドポテトも固定料理です。
クリックすると拡大

こちらは注文して出てきたピザです。人数が多いので何枚も注文いたしました。
クリックすると拡大

玉子焼きも頼みました。食べ放題なのでこれ以外にもたくさん注文いたしました。
クリックすると拡大


3次会
クリックすると拡大食べ飲み放題は2時間だったので、いつも通り3次会に行きました。居酒屋系はほとんど満席で断られました。満席でなくても人数的に入れなかったので、大きなビヤホール「ニューミュンヘン南大使館」にいたしました。本場のビールで乾杯です。
クリックすると拡大

ビールと言えばソーセージが食べたくなります。
クリックすると拡大

ビールに合う唐揚げも頼みました。
クリックすると拡大

チーズの盛り合わせも頼みました。
クリックすると拡大

ピザも頼みました。食べ放題の2次会の後とは思えないほど頼みました。
クリックすると拡大

高校の同窓会に行ってきました。 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
先日、2016年9月21日~27日に関西に行っている時に、ホテル竹園芦屋で高校の同窓会がありました。結婚式のような雰囲気ですがテーブルごとにクラスが分かれて座ります。テーブルの上にアルファベットの札が立てられているのが判ってもらえると思いますが、クラスの名前です。A組からJ組まで10テーブルありました。私はJ組だったので写真の一番右手前のテーブルに座りました。二次会も同じホテル内の別の部屋で行われました。
右の写真の校章は1947年に職員生徒に募集し、ある生徒の図案が採用され、某芸大に依頼して作られたそうです。
 15時~18時 同窓会 115名 8000円
 18時~20時 二次会  65名 2000円

こちらが全員での記念写真で黄色の丸印(〇)が私です。今回が第2回同窓会です。第1回の同窓会が1999年なので、17年ぶりの同窓会ということになります。私は初めとの参加でした。


クラスごとの記念写真です。AからJの10クラスでした。私はJクラスでした。他のテーブルに遠征している人もおられたので全員ではないようです。例えばJ組は15名のはずですが、写真は14名です。



クリックすると拡大卒業生494名の内、115名が参加いたしました。
      卒業生   参加者   Jクラス参加
 男子   300名    90名    14名
 女子   194名    25名     1名
 合計   494名   115名    15名

当時の私の3年のクラスであるJクラスの記念写真です。この中から15名が参加していました。Jクラスは元々女子は5名しかいないので参加が1名なのは仕方ないかもしれません。
クリックすると拡大

当時は限られた範囲の中学校からしか入学していなかったので約20%は私と同じ本山中学校(神戸市立)でした。今回も卒業時の中学3年6組には私を含めて少なくとも3名が同窓会に参加していました。丸印(〇)がその参加者です。クラスは13組までありました。
クリックすると拡大

その本山中学校には、本山第一小学校と、本山第二小学校と、本山第三小学校の3つの小学校から入学するため、私の通っていた本山第一小学校(神戸市立)からも同窓会に参加されていました。つまり高校の同窓会ではありますが、中学校や小学校の同窓会でもあるのです。下の写真は小学校6年2組の写真です。
今回の同窓会では小学校の時の6年3組と6年6組の2名(右の写真)の方から声をかけられました。そのお2人は中学校では3年2組と3年10組で、高校では3年C組と3年A組した。私は小学校4年の時に広島から神戸に転校してきたのですが、同じクラスがあったかもしれません。
クリックすると拡大

雰囲気をお伝えしたいので小さい写真ですが同窓会の写真を掲載いたします。左上の写真が受付しているところで、右上の写真が乾杯の瞬間です。



クリックすると拡大同窓会が終ったらテーブルを移動させての全員での記念の集合撮影をとりました。先ずは下の写真のように先生と女性陣が座り、その後に全員が並んで撮ったのが冒頭から2枚目の写真です。
今回はいい思い出となりました。


こちらが二次会の写真です。



当時の校門からの高校の写真です。
クリックすると拡大

こちらは現在の高校の写真です。
クリックすると拡大

グランド側から見た当時の写真です。
クリックすると拡大

こちらは現在の写真です。建物はかなり変わったようです。関東に引越してしまったので20年以上見ることは無かったので懐かしいです。
クリックすると拡大

私が所属していた生物部の写真です。
クリックすると拡大

中庭には池がありましたが、現在はありませんでした。
クリックすると広範囲を表示

1年生の7月13日の野外活動の写真です。兵庫県のスキー場として有名な鉢伏山(1221m)に行ったときの写真です。
クリックすると拡大

1年生の時に多くの人が集まった写真です。
クリックすると拡大

2年生の10月1日の体育祭です。PGと書かれているのが私のクラスである2年C組です。担任の数学の先生のあだ名がベクトルPGだったので「→とPG」が書かれているのです。体育祭は9月25日~10月1日に行われた記念祭(文化祭+体育祭)の中の一つのイベントです。
クリックすると拡大

2年生時の記念祭(9月25日~10月1日)の中で所属していた生物部の発表エリアで撮った記念写真です。白いワイシャツ姿で座っているのが私です。
クリックすると拡大

修学旅行は北九州でした。修学旅行も2年生の時でした。写真は長崎の平和祈念像の前です。右側の背広姿との二人は先生で、その中の右側の先生が今回の同窓会に参加いただきました。
クリックすると拡大

修学旅行では熊本城にも行きました。修学旅行は10月26日~10月31日にありました。
クリックすると拡大

2年生の時の授業風景です。
クリックすると拡大

3年生の10月5日に行われた体育祭の写真です。この日には記念祭の終幕祭も行われます。記念祭の前夜際は10月2日に行われました。
クリックすると拡大

修学旅行など思い出が一番多いのが2年生の時なので、2年生の時の集合写真を紹介します。クラスは2年C組です。クリックすると大きく表示します。こちらからも数人ほど同窓会に参加されていました。
クリックすると拡大

2年生の集合写真を紹介したので、1年生の時の集合写真も紹介します。こちらから少なくとも女性は3名ほど同窓会に参加されていました。男性も何人か参加されていました。
クリックすると拡大
タグ:同窓会 高校

サイクリング部の初めての東京OB会 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
私は学生時代は学校のサイクリング部に所属していました。上の写真が私が1回生の夏の時の部員全体の集合写真です。黄色の丸印( )が私の同期のメンバーです。現在のサイクリング部の現役の方が、毎年2月の初旬に、学校の校内でサイクリング部のOB会を開催してくれています。現役とOBを合わせての交流会です。私は交流会が続けられていることを知りませんでしたが2010年に偶然にネット内で知って2011年の交流会から参加させてもらっています。

交流会で私が当時のサイクリング部紹介したパワーポイントです。中央のプレーボタン( )をクリックすると、どのようなクラブであったかが、分かってもらえると思いますが、体育会に属する体育会系の正規のクラブでした。


学校が大阪にあることから私の同期以外はすべて関西に在住の方しかOB会には参加しておりませんでした。学校全体としては東京のホテルでOB会は行われているのですが、サイクリング部としては東京で集まることも無かったのです。2016年は2月6日に学校校内で行われましたサイクリング部のOB会(交流会)の二次会でもそのことが話題になり、酔った勢いで、その場で関東の人に電話をして、東京で飲み会をすることになりました。決まった人数は私の同期と2年後輩と4年後輩の7名でしたが、今後の発展を祈念してサイクリング部東京OB会と命名いたしました。参加できない方が出で6名となりましたがね手を尽くしていただいた結果、+6名の合計12名となりました。その中には先輩2名も入っておりました。場所は巨大海老チリが食べれることで以前紹介した四川料理店で行いました。2016年4月16日11時30分でした。こちらのお店は東京駅に近いビジネス街にあることから土曜日は昼だけの営業のため、予約は行っていないとのことでしたが巨大海老チリを皆さんに紹介したいので、巨大海老チリと麻婆豆腐を含んで料理はお任せにする条件でお願いすることが出来ました。お店に入ると12名が座れるようにセッティングされていました。OB会長は一人関西から参加していただけました。
記念写真はみんな、にこやかな顔で写っていました。
クリックすると拡大 4年先輩   1名
 2年先輩   1名
 同期     4名
 2年後輩   1名
 4年後輩   1名 OB会長
 1998年卒業  1名
 1992年卒業  1名
 2015年卒業  2名
 合計    12名
クリックすると拡大

さっそくビールで乾杯です。最初に出されたのは、小柱の料理と焼豚が乗った料理でした。
クリックすると拡大

小柱の料理にはネギと海苔が入っていました。
クリックすると拡大

次は点心です。焼売と焼焼売です。両方ともに12個でした。焼焼売はボリュームがありました。
クリックすると拡大

下の焼酎を見てください。今回はお店の方のご厚意により、すばらしい4本の焼酎が用意されていました。こちらのお店の常連の方一緒に昨年から何度か利用させてもらったおかげで用意していただいたのです。4本共に鹿児島産の焼酎で、3本が芋焼酎で1本が大麦の焼酎でした。
クリックすると拡大 芋 黒田苑  黒麹
 芋 酔神の心 黒麹 モンド・金賞受賞
 芋 悠の雪  白麹 
 麦 DEN-EN silver 白麹 常圧蒸留
初対面の人が多いので自己紹介です。カメラを精一杯か高くして自己紹介の様子を撮りました。
クリックすると拡大

先ずはモンドセレクション金賞の「酔神の心」シリーズの焼酎をいただきました。みんなロックでいただきました。口当たりからロックで飲むのに値ると焼酎であると感じました。こちらの酒蔵の「さつまゑびす堂」の焼酎は2011年、2012年、2013年、2014年とモンドセレクションの金賞を多数受賞していました。
クリックすると拡大

次に出された料理は牛カルビと青菜炒めです。柔らかな牛肉料理で、これは美味しかったです。
クリックすると拡大

味わいを感じていただくために拡大写真を掲載いたします。
クリックすると拡大

おこげの上から餡をかけているところです。料理名は五目おこげだと思います。
クリックすると拡大

おこげと餡の感じを紹介したかったので取り分けた小皿の写真を紹介します。
クリックすると拡大

ご指名料理の一つ麻婆豆腐が出てきました。山椒がきいていました。
クリックすると拡大

小皿に取り分けた麻婆豆腐です。
クリックすると拡大

もう一つのご指名料理の巨大海老のエビチリです。
クリックすると拡大

やっぱりこの巨大海老のエビチリは拡大したくなります。
クリックすると拡大

用意していただいた4本の焼酎は飲み切りました。いずれも美味しい焼酎でした。お店の人のご厚意に大感謝でした。
クリックすると拡大

クリックすると拡大最後の締めは五目焼きそばでした。美味しさは写真から想像していただけると思います。右の写真はOB会がはじまって1時間48分後の13時18分です。料理も美味しくほぼ食べ切りました。終わったのが14時16分だったので、これからさらに1時間近く会話とお酒と料理を楽しんだことになります。来年の4月に第2回東京OB会わ開催することも決まり、幹事役の方も決まりました。花見と言う案も出ていましたが、いずれにしても次も楽しみです。これで、大阪で行われる本体のOB会(交流会)への参加者も増えてもらえるとうれしいです。
クリックすると拡大

地下のお店から表に上がって記念写真をお店の方に撮っていただきました。一名、自転車で参加してもらったおかげでサイクリング部のOB会だと一目でわかってもらえる記念写真になりました。お店を紹介いたします。
クリックすると拡大  店名 四川食洞(しせんしょくどう)
  住所 東京都中央区八丁堀2-11-8
     平澤ビルB1
  電話 03-3553-4100
  営業 11:00~14:30
     17:00~22:00
  定休 日曜・祝日
クリックすると拡大

終わったのが、まだ14時20分ごろだったので、しゃべり足らない人同士は私も含めて東京駅の地下でコーヒーを飲んで帰りました。
地図でも場所を紹介します。中央の赤色マーク( )が四川食洞です。
最寄駅からの距離は次の通りです。
東京駅:1000m   茅場町駅:600m   八丁堀駅:150m



追伸 ( 2016年4月21日 )
2016年4月21日13時50分に累計アクセス数(累計閲覧数)が800万に達したことを確認いたしました。So-netブログは2009年5月5日14時59分に最初の記事を掲載したため、始めてから6年11ケ月16日(2542日)と22時間51分目に達成したことになります。閲覧数は3時間ごとに更新されるため約500づつ上がっていくため8,000,000と6しか差がないのは奇跡的な数値と言えます。
500万アクセスから800万アクセスまでは752.8日で到達しているので同じペースと仮定すると、1000万アクセスに到達するのは、あと1年5ケ月(502日)で、2018年9月ごろという計算になります。
500万アクセス到達の時の記事はこちらです。 → ポチッ
  累計閲覧数   8,000,006
  累計nice数    252,055
  niceと思った人数   8,235
  コメント数     53,252


サイクリング部OB会の三次会は鳥良商店 ㋵ [思いで]


クリックすると拡大
先日あった右の写真のサイクリング部OB会の後の二次会は3時間半でしたが、一年ぶりに会うメンバーで話は尽きないので、三次会となりました。その三次会では鶏料理のお店に行きました。偶然に入ったお店ですが、こちらのお店は驚いたことに地下1階から4階までビル全体で営業しているほどの大規模の鶏料理店でした。案内されたのは4階でした。つまり地下1階は分かりませんが、少なくとも1階から3階までは満席だったのです。

さっそく注文したのが「砂肝のごま塩あえ」です。この時注文したのはすべて、お店のお勧めの料理にいたしました。こちらもお店のイチ押しだそうです。食感が良かったです。税抜き489円です。
クリックすると拡大

飲み放題の二次会で3時間半ほど飲み続けていましたが、ビールを2杯ほど飲んでしまいました。


こちらがお店の看板料理の「手羽先唐揚げ」です。30年守り続けてきた創業の味だそうです。5本で480円(税抜き)でした。
クリックすると拡大

そして一番人気と思われる「くわ焼き」です。岡山県産森林鳥の色々な部位を塩味で焼いたものだそうです。確かに絶品料理でした。熱い鉄板の上に乗って出てくるので、いつまでも熱々を食べることが出来ました。関東のお店では「奥州いわいどり」が使われているようです。これだけボリームがあの上に岩手県の 銘柄鶏の肉がつかれていて税抜き799円は安いと思いませんか。
クリックすると拡大

上の写真はクリックすると拡大いたしますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
クリックすると拡大

こちらは1984年創業の東京・吉祥寺のお店が大阪に進出したようです。8店舗の内1店舗が大阪で、残りの7店舗は関東です。そして24時間営業が売りの一つのようです。値段も安かったです。
右の画像の中心にあるプレーボタン( )をクリックするとOB会で紹介したパワーポイントをスライトショーで表示します。
全画面で見たい方は をクリックした後に、右下の全画面ボタン( [ ] )をクリックしてください。
 店名  鳥良商店
 住所 大阪府大阪市中央区難波3-2-15
 電話 06-6631-6303
 営業 24時間
 定休 無し
 HP http://www.sfpdining.jp/toriyoshi-shoten/
 地図 https://goo.gl/maps/dxroh4Zmupj


最近食事したレストランのページにマークを追加してみました。住所から判断するにりくろーおじさんの店旧なんば本店の場所に出来たようです。調べた結果、オープンは2015年10月15日(木)なので、まだ半年は経っていませんでした。

サイクリング部OB会の二次会はフレンチで3時間半 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

すでに報告の通りに2016年2月6日(土曜日)に行われたサイクリング部のOB会に参加いたしました。OB会と言っても現役との交流会で学校で10時半から15時まで行われます。当然ですが20歳未満の人もいるし、学校内であることからアルコールがありません。そんなことから終わった後にOBだけで二次会が行われるのも定例となっています。いつものは居酒屋が多いのですが、今年はフランス料理のレストランで行われました。上の写真が我々の二次会が貸し切って行われた2階席です。

左上の写真が交流会での現役生との記念写真です。あとの3枚は私の席から階段の入口方向を撮った写真です。



最初がオードブルの3種盛りです。これが4人分です。肉料理と甘海エビのマリネとサーモンと野菜の和え物です。この後も料理は4人に対して一皿で出てきました。
クリックすると拡大

なかなかの一品だったのでサーモンと野菜の和え物の写真を掲載いたしました。
クリックすると拡大

飲み放題のシステムにさせてもらいましたが、やっぱり最初はビールでした。後でワインもいただきました。料理と飲み放題で定額なので、最初に会費を払うことが出来るので飲み放題のシステムは、このような会には向いています。


次に出てきたのがヒラメのカルパッチョです。
クリックすると拡大

新鮮なヒラメが使われていました。それを伝えたくて拡大いたしました。
クリックすると拡大

こちらは生ハムと野菜のサラダです。
クリックすると拡大

パスタも出てきました。料理は出てきた順番に紹介しております。
クリックすると拡大

こちらが出されたパンです。私の好きなタイプのフランスパンでした。
クリックすると拡大

メインの魚料理はヒラメ系の白身魚のローストでした。
クリックすると拡大

拡大写真を掲載させてもらいました。魚は大型の舌平目の種類だと思います。
クリックすると拡大

メインの肉料理は牛ロースのステーキでした。
クリックすると拡大

焼き具合と肉質を紹介したくて切り口を拡大いたしました。
クリックすると拡大

デザートはプリンでした。二次会が16時30分に始まって3時間半ほど話が盛り上がりました。まだ、話足らずに、この後、三次会に行ってしまいました。右の写真は昨年の二次会です。
飲んだ勢いで、2016年4月16日に関東地方のメンバーで東京OB会をすることが決定いたしました。ただしOB会と言っても単なる飲み会です。
クリックすると拡大

10時半からの交流会で紹介したパワーポイントのスライドを動画にいたしました。実際のパワーポインの写真に写っている人には名前を付けましたが、ブログ用は実名は消しています。学校名や年もXXXXにさせていただいております。中央のプレーボタン( )をクリックするとスライドショーを見ることが出来ます。全画面で見たい方はプレーボタン( )をクリックした後に、右下の全画面ボタン( [ ] )をクリックしてください。


お店を紹介いたします。
 名前 Brasserie Celeste ブラッスリーセレスト
 住所 大阪府堺市堺区一条通17-24
 電話 072-228-2720
 営業 11:30~13:30 17:30~22:30 日祝は21:30まで
 定休 水曜日
 HP http://www.brassrie-celeste.com/
クリックすると拡大

最近食事をしたレストランのページにマークを追加してみました。

サイクリング部のOB会に行きました。 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2016年2月3日から2月10日まで関西に行っていましたが、その間の土曜日である2月6日に学生時代のOB会に行ってきました。正確にはOBと現役が集まる交流会です。学校内で行うためにアルコールはありません。10時30分から始まり昼食を挟んで15時まで行われる真面目な会なのです。終わった後にOBだけで二次会を行うのも恒例です。もちろんこの時はアルコールはあります。
長い間、このような会が行われていることを知りませんが、偶然にもネット上で知って2011年から参加しています。
2011年に初めて参加した時の記事がこちらです。→ポチッ

左上の写真が交流会参加者の皆で撮った記念写真です。飲み物を見ながら昔の思い出話で時間を忘れます。



交流会の中で最も重要なのが現役からの活動報告です。OBからは現役に対して話を行います。昔の写真を紹介される方もおられました。私は2014年からパワーポインを使ってサイクリング部時代のや会社に入ってからのことを紹介いたしました。


今回は「2回生の時の夏合宿」と「2015年11月11日に100回目の中国訪問」になったことを紹介いたしました。学生時代には合宿には7回ほど行きました。各合宿は3~4グループがあり、私が行ったのは下記でした。
 1回生 夏合宿 7月07日~7月20日 若狭
 1回生 春合宿 3月07日~3月20日 北九州
 2回生 夏合宿 8月02日~8月13日 信州  2016年紹介
 2回生 春合宿 3月19日~4月02日 信州
 3回生 夏合宿 7月13日~7月22日 東北  2017年紹介予定
 3回生 春合宿 3月20日~3月25日 信州  2017年紹介予定      
 4回生 夏合宿 8月05日~8月21日 信州  2015年紹介
クリックすると拡大

7回の合宿で走ったルートを紹介いたします。URLをクリックするとGoogle地図でコースを表示します。
 1回生 夏合宿 若狭  http://goo.gl/maps/qA1az
 1回生 春合宿 北九州 http://goo.gl/maps/SSV9J
 2回生 夏合宿 信州  http://goo.gl/maps/JolKf  ←今回報告のコース
 2回生 春合宿 信州  http://goo.gl/maps/2ibxZ
 3回生 夏合宿 東北  http://goo.gl/maps/0LV3f  別地図
 3回生 春合宿 信州  http://goo.gl/maps/XXZqN
 4回生 夏合宿 信州  http://goo.gl/maps/cWxyV
 超えた峠      http://goo.gl/maps/zlWof
  青色(━━) 一人で走ったルート
  赤色(━━) 合宿ルート
  黄色(━━) 車で走ったルート
クリックすると拡大

ここから下に現役の人に紹介した2回生の夏合宿を紹介したいと思います。こちらが2回生の夏合宿のルートです。宝塚から高岡までは1日、東京から宝塚は2日で走りました。東京から宝塚は2回生の春合宿の時にも2日で走りました。
宝塚(家)→敦賀→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→鈴蘭小屋→乗鞍岳山頂→鈴蘭小屋→奈川渡ダム→松本→美鈴湖→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→(車)→東京→(車)→沼津→伊豆半周→堂ケ島温泉(泊) →修善寺→(車)→東京→静岡→名古屋→宝塚(家)
クリックすると拡大

クリックすると拡大ここが集合場所でもあり出発地点の高岡駅です。右の写真は現在の現役の2015年の夏合宿の写真です。すごく華やかな感じがします。
 1回生 4名
 2回生 4名  I氏 N氏 Y氏 SORI
 3回生 1名  計9名
クリックすると拡大

こちらが高岡駅から白川郷への道です。この時代舗装されていないところが沢山ありました。これでも、れっきとした国道、156号線です。ネットで調べてみると跨る山間部は庄川の谷の斜面を削って道を付けた区間で、かつては道幅が狭く大変危険だったため、路線番号にかけて「(谷に落ちたら)イチコロ線」と揶揄(やゆ)されたそうです。途中には趣のある吊橋もありました。
クリックすると拡大

ここが白川郷です。気に入っている写真の一枚です。


こちらは朝日ダムの上です。この後、野麦峠に向かいました。


こちらが標高1672mの野麦峠です。峠への道は舗装されていない細い地道でした。この後は奈川温泉に泊まりスーパー林道を通り白樺峠を越えて乗鞍岳を目指しました。Google地図のストリートビューで現在の状態を確認してみると広い舗装道路が通っており当時の面影が残っているのは、写真の後ろに写っている「あゝ野麦峠」の石碑だけです。


マーク( )は自転車で越えた峠の中で名前が分かっている155の峠です。その中で標高1500m以上の峠の例を紹介します。
  麦草峠(2185) 渋峠(2172) 徳本峠(2135) 車坂峠(1968)
  金精峠(1843) 武石峠(1830) 安房峠(1812) 沼山峠(1784)
  武石峠(1780) 三平峠(1762) 地蔵峠(1733) 平湯峠(1684)
  野麦峠(1672) 馬越峠(1650) 白樺峠(1640) 和田峠(1531)
  権兵衛峠(1522) 長峰峠(1503)


野麦峠は4回生の夏合宿でも越えました。もちろん「あゝ野麦峠」の石碑の前で記念写真を撮りました。この時、4回生が夏の合宿に参加しましたが、これは異例のことでした。このグループでも3人が参加し、偶然にも今回の2016年の交流会参加者が、このK氏、I氏、SORIの3人なのです。


野麦峠と言えば、山本茂実が10数年の歳月を費やし数百人の女工・関係者から取材して1968年に発表したノンフィクション文学「あゝ野麦峠」です。
戦前に富国強兵のために岐阜県飛騨地方の農家の多くの10代の娘たちが、野麦峠を越えて長野県の諏訪や岡谷の製糸工場へ働きに出た製糸工女哀史の映画である「あゝ野麦峠」を紹介いたします。この映画は154分ですが、紹介の予告編の動画は3分10秒です。女工として大竹しのぶさん、原田美枝子さん、友里千賀子さん、古手川祐子さんが出演されています。


乗鞍岳の中腹にある鈴蘭小屋です。普段は一列縦に並んで走りますが、ここから乗鞍岳の標高2700mにある山小屋までは、各自の体力に合わして走るためにフリーランとなります。鈴蘭小屋の標高は約1470mなので一気に約1230m登ることになります。最も標高差のあるフリーラントなりました。この時、1番手と2番手の差は1時間以上の差がつきました。峠を登るときもすべてフリーランとなります。


こちらが現在の鈴蘭小屋です。Google地図のストリートビューから転用させてもらった写真です。クリックするとストリートビューを表示します。今は前の道は舗装されていますが、当時はとんでもない地道の悪路でした。
クリックすると拡大

乗鞍岳の最高峰である剣ヶ峰(3026m)に登って行く途中の富士見岳(2817m)の近くから山小屋(2700m)の方を見た景色です。写真の中の左端の山小屋に泊まりました。
クリックすると拡大

標高3026mの乗鞍岳山頂(剣ヶ峰)です。自転車は最後は担いで登りました。


乗鞍岳山頂には4回生の夏合宿でも登りました。これは4回生の時の写真です。この時は全員で登頂して記念写真を撮りました。実は2回生の時は全員ではなかったのです。
青色のユニホームが4回生で、黄色のユニホームが1~3回生です。


乗鞍岳からは松本を通り、美鈴湖と武石峠を通って美ヶ原を目指しました。この写真は美鈴湖で撮った記念写真です。


ここが美ヶ原です。


美ヶ原からは和田→小諸→松原湖を通って甲府駅で解散いたしました。左の写真は昼食を用意しているところです。学校に頼んで教室を使わさせてもらったのだと思います。甲府駅には小学校からの友人が車で迎えに来てくれて東京に向かいました。


交流会で紹介したパワーポイントのスライドを動画にいたしました。実際のパワーポインの写真に写っている人には名前を付けましたが、ここでは実名は消しています。学校名や年もXXXXにさせていただいております。中央のプレーボタン( )をクリックするとスライドショーを見ることが出来ます。
全画面で見たい方はプレーボタン( )をクリックした後に、右下の全画面ボタン( [ ] )をクリックしてください。


自転車は今までに3台使いました。最も乗ったのはやはり高校2年から入社2年目までの8年間に乗った初代の自転車です。
 徳本峠越え上高地コース http://goo.gl/maps/MmXEW
 木曽サイクリング    http://goo.gl/maps/OlbbH
 猪苗代湖・日光・宇都宮 http://goo.gl/maps/ZDXmN
クリックすると拡大

中国訪問が100回となりました。 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2015年11月11日から11月18日まで中国に行って来ました。
上のグラフのように、今回の中国訪問が100回目となります。香港(6回)とマカオ(3回)は100回の中に含まれていません。今日の日本時間13時(中国時間12時)には100回目の訪問が実現していると思います。
  中国訪問回数 100回 / 22年間 平均 4.55回/年
  延べ滞在日数 609日
  平均滞在日数 6.09日/回
  最大滞在日数 14日/回 2002年10月27日~11月09日
  入出国搭乗数 200回
  国内線搭乗数 126回(中国国内線)

今までに訪れた町をプロットいたしました。目的があって訪れた町のみで、単に通過する町はプロットしていません。Google地図→ポチッ
クリックすると拡大

中国訪問100回目となる2015年11月11日のフライトは成田9時35分発の上海浦東行きのJL873便です。帰りは2015年11月18日のJL876便で、7泊8日の旅となります。


先ほど空港に着き、チェックインしたので搭乗券の写真を追加いたします。


初めて中国に訪問したのは、今から21年前の1994年9月19月で、成田から北京に入り2泊した後に南京に飛んで、車で、今回と同じ訪問地である安徽省に行きました。その時のフライトは次の通りですが、その後、冒頭のグラフのように中国に訪問することになりました。しかし、この時には100回も中国に訪問することになるとは想像すら出来ませんでした。
右の写真は21年前に南京と安徽省を往復したSタイプの6000ccのベンツですが、この時代はSタイプのベンツは、6676万人の安徽省でクリックすると拡大写真の2台しか存在しませんでした。
  1994年9月19日 成田→北京
  1994年9日21日 北京→南京
  1994年9日23日 南京→広州
  1994年9月24日 広州→香港
  1994年9日24日 香港→成田

1994年9月21日の午後に、会社の宿舎に2台Sタイプのベンツで到着した時の写真です。この時でも安徽省で2台しかないSタイプのベンツを持っている立派な会社でしたが、当時に比べると現在は生産規模が約150倍になった上に、今でも、その会社と一番親しく付き合っているのです。


同じ場所を遠くから撮った写真です。1994年9月21日の日付が判ると思います。2台のベンツが確認できると思います。


翌1994年9月22日の会議の風景です。


1995年4月12日の写真です。
2回目の会社訪問でした。その会社の方(K氏)と、食事の時に記念写真を撮りました。余談ですが真中の女性は1996年3月14日の写真にも登場いたします。
  1995年4月11日 成田→北京
  1995年4日12日 北京→南京
  1995年4日15日 南京→北京
  1994年4日17日 北京→成田


翌年のK氏との会食の時の写真です。


その後もK氏はつきあいが続きました。4枚は日本での写真です。
クリッすると拡大クリッすると拡大クリッすると拡大
クリッすると拡大クリッすると拡大pgクリックすると拡大 クリッすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリッすると拡大クリッすると拡大クリッすると拡大

1995年9月7日の写真です。
中国訪問が3回目で、こちらの会社への訪問も3回目でした。仕事を始めるためのサインをした時の記念写真です。右側が私です。左側が相手の会社の人(今後T氏と記載)です。T氏には100回目となる今回も会う予定です。T氏以外にも沢山の方と知り合いになり関係が続いておりますが、21年間を判りやすく説明するためにT氏に関連した写真を順番に紹介したいと思っています。意外と写真を撮っていなかったので探すのに苦労いたしました。この写真は第3回の契約サインの写真ですが、契約サインの場なのにラフな服装だと思いませんか。サイン後すぐに契約記念のために世界遺産の黄山につれて行ってくれるとのことでラフな服装にするように言われたのでした。
  第1回 1994年9月21日(初めて会社訪問)
  第2回 1995年4月12日(調査打ち合わせ)
  第3回 1995年9月 7日(契約サイン 写真)


1995年9月7日の午前中にサインをして昼食の後にT氏が世界遺産に登録されて5年目の黄山に連れて行ってくれました。高速道路の無い時代に車で数時間の距離だったので、山頂のホテルに泊まって11月8日に黄山を見学いたしました。その時の写真を紹介します。写真はすべて1995年9月8日に撮ったものです。左上のロープウェー駅の前での記念写真はプロジェクトの日本人メンバーです。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

1995年9月5日~7日の打ち合わせ時の風景です。
古い写真なので色が変わってしまいましたが雰囲気が判ってもらえると思います。左の写真で目隠しをしていないのが私で、右の写真で立ち上がっているのがT氏です。打ち合わせ開始(1995年9月5日)の場面です。この時のフライトは次の通りでした。この時代の上海の空港は浦東空港は無く、虹橋空港のみでした。
  1995年9月04日 成田→上海
  1995年9日09日 上海→成田



1996年3月14日の写真です。プロジェクトが進行中の宴会の時の写真です。右が私で真中がT氏です。左の女性は1995年4月12日の写真にも登場している方です。
  1996年3月10日 成田→上海
  1996年3日15日 上海→成田


1996年9月27日の写真です。プロジェクトが進行中に皆で世界遺産の黄山に行きました。目隠し、していないのが私とT氏です。相手の会社のプロジェクトマネージャーであるT氏が黄山を案内してくれました。一番左の人は通訳をしてくれた張さんです。
  1996年9月23日 成田→上海
  1995年9日28日 上海→成田
クリックすると拡大

1998年1月に撮影
左の写真はプラントのスイッチをT氏が入れた瞬間です。左のオレンジのヘルメットをかぶっているのもT氏です。プラントが無事に稼働して、我々の会社の現場責任者と握手をしているところです。この瞬間には、私は立会できませんでしたが、この後すぐに、下記のフライトで性能テストのために現場に入りました。
  1998年2月12日 成田→上海
  1998年2日18日 上海→成田


2002年4月8日の写真です。
プロジェクトが終わって数年が経った時、次のプロジェクトのために2002年4月7日にT氏が空港に迎えに来てくれました。1994年の時と同じ車でした。移動中に撮ったものです。現在は最新のSタイプベンツを数十台所有する会社になりました。
クリックすると拡大

2002年4月7日は、会社に着いたらT氏を含む懐かしい仲間と会食でした。目隠し、していないのが私とT氏です。この時のフライトです。
  2002年4月07日 成田→上海
  2002年4日10日 上海→北京
  2002年4日12日 北京→成田
クリックすると拡大

2003年10月24日にも会いました。次期案件のために私が本社に行きました。この時はいろんな場所を廻りました。
  2003年10月19日 成田→上海
  2003年10日19日 上海→済南
  2003年10日22日 済南→北京
  2003年10日23日 天津→上海
  2003年10日25日 上海→成田


2005年1月16日の写真です。
次期案件のサインが出来て記念写真を撮りました。目隠し、していないのが私とT氏です。計画が出てから合意まで2年9ケ月かかりました。
  2005年1月12日 成田→北京
  2005年1日12日 北京→南京
  2005年1日18日 上海→成田


2005年3月26日の写真です。
記念式典の後に、皆で世界遺産の宏村黄山に行った時の夕食時の写真です。
クリックすると拡大  2005年3月24日 関空→北京
  2005年3日24日 北京→南京
  2005年3日27日 黄山→北京
  2005年3日29日 北京→上海
  2005年3日30日 上海→成田


関係したしたプラントを紹介するイベントが北京であり、2006年3月9日にNHKの取材を受けました。撮影した画像は3月24日のNHKのニュース10で放送されました。会社の方には取材の打診を受けていたので背広ではなく会社のジャケットを着ていました。


北京のイベントの雰囲気を伝えるために連続写真を紹介します。イベント会場は紙吹雪が写った建物です。


こちらも2006年10月17日の写真です。
クリックすると拡大この写真は九華山に行った時、九華山で最も偉い百歳宮の釋慧慶・住職と記念写真を一緒に撮りました。
  2006年10月15日 成田→青島
  2006年10日15日 青島→南京
  2006年10日18日 上海→成田


同じ2006年10月17日のT氏との記念写真です。


2006年12月に日本にT氏が訪問されたときは12月25日には仕事の合間に京都と奈良に一緒に行きました。12月24日には姫路城にも行きました。


2007年4月9日の私とT氏の写真です。
合弁会社が出来てばかりのころに会議を行っているときの風景です。その時T氏は合弁会社の副社長&董事(取締役)で、私は副董事長でした。
  2007年4月08日 成田→北京
  2007年4日08日 青島→南京
  2007年4日10日 南京→太原
  2007年4日13日 太原→北京
  2007年4日14日 北京→関空


2008年3月22日に中国で日本人同士の結婚式がありました。日本では知らないどうしの2人でしたが、私が責任者を務めていた中国の合弁会社(2007年から活動開始)に、2人が日本の会社から出向して赴任していて出会いました。中国側の主賓として挨拶しているのが1995年9月7日に私と契約サインをしたT氏だったのです。私は日本側の主賓として挨拶させていただきました。写真はT氏が挨拶しているところです。
結婚式の記事はこちらです。→ 記事1 記事2 記事3 記事4
  2008年3月18日 成田→杭州
  2008年3日26日 杭州→成田


2009年5月25日の写真です。
手前で取り壊されているのは1996年頃に建てられた相手の会社の本社ビルだった建物で、奥の立派なビルは2000年頃に建てられた相手の会社の本社ビルです。ただし2009年3月にはさらに新しい本社ビルが出来たために本社機能は移りました。合弁会社は取り壊されている建物の中にあったので新しい本社ビルに移りました。
  2009年5月25日 成田→杭州
  2009年5日28日 杭州→成田
クリックすると拡大

こちらが2009年に完成した新しい本社ビルです。私が初めてこの会社に訪問した21年前(1994年9月21日)から、その会社は150倍の規模に大きくなりました。その会社の規模にふさわしいビルになったと思います。こんなドラマのような現実を体験できたのです。巨大なビルのために1枚の写真に入りきらなかったので3枚をつなぎ合わせました。
クリックすると拡大

大きさを実感してもらうために中央部分の写真を掲載いたしました。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

建物の中から中央部を撮りました。撮った場所は合弁会社のフロアーです。
今回の記事の写真は、この会社の総責任者である董事長の了解をを得てブログに掲載しております。人名や会社名も出しても良いと言われましたが、日本側の会社が判ってしまう可能性があるので、会社名や人名は控えました。
クリックすると拡大

建物の中には食事や話をするのための豪華な部屋が沢山ありました。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

2014年4月18日の写真です。
T氏は1995年以来、日本に何度も来ています。2014年4月18日に来られた時に皆で鎌倉に行きました。右の写真は移動中の休憩場所で私とT氏で撮ってもらった記念写真です。この時は鶴岡八幡宮、神苑ぼたん庭園、鎌倉大仏、建長寺に行きました。


2012年5月27日に皆で九寨溝などに行った時の写真です。右の写真は記念写真から切り取ったもので、目隠しをしていないのが私とT氏です。
この時は成都、黄龍、九寨溝に行きました。
下の写真は九寨溝を代表する五花海 です。九寨溝には沢山の景勝地ががありますが、九寨溝を初めて訪れた人は必ず立ち寄るのが五花海です。黄龍は 四川九寨黄龍空港です。
  2012年5月22日 羽田→上海
  2012年5日24日 南京→成都
  2012年5月26日 成都→黄龍  
  2012年5日28日 黄龍→成都
  2012年5月28日 成都→上海
  2012年5日29日 上海→羽田
クリックすると拡大

クリックすると拡大2015年1月17日に行われた結婚式の写真です。
中国に赴任していた日本人の結婚式で、中国側の主賓として挨拶をしてくれたのが1995年9月7日に私と契約サインをしたT氏だったのです。当時はほっそりしていましたが、20年の年月を感じさせてくれる貫禄が出ていました。合弁会社が出来て2つ日本人の結婚式が実現したのです。2007年から活動を開始した合弁会社は約9年が経ち、日本から出向して赴任している日本人だけで27人となり、T氏は董事(取締役)であり、その中の一つの会社の董事長もやっています。
  2015年1月15日 成田→上海
  2015年1日23日 上海→成田


2015年11月16日にT氏に会えました。目隠ししていないのが私とT氏です。部屋はT氏の部屋です。


この打ち合わせをした後に上の記念写真を撮りました。


そのT氏に100回目の中国訪問を記念してプレゼントをいたしました。


そのプレゼントとは概ね43年前(1972年ごろ)の茅台酒です。私が学生の時に父が知り合いから貰いました。中国の白酒(パイチュウ 蒸留酒)の中で最も有名と言えるお酒なのです。これほど古いと入札で何百万の価格がつくものもあります。ただし今回のものは、比較的、数が残っていることから、それほど高いものではなく、43年前の茅台酒という意味の値打ちがあるのです。今まで飲む機会が無かったので、宝の持ち腐れにならないように、彼に飲んでもらうためにスーツケースに入れました。
貴州茅台酒(KWEICHOW MOU-TAI CHIEW)と書かれています。
クリックすると拡大

茅台酒は貴州省で作られている世界的に有名なお酒で、この茅台酒のアルコール濃度は55%です。クリックすると判ります。
クリックすると拡大

茅台酒はスーツケースの真中のJALと書かれたの箱の中に入れています。中の茅台酒は布で巻いて4重のビニール袋に入れて万が一割れても、スーツケースの中の他のものに被害が出ないようにしています。また、スーツケースの外にはワレモノのシールを張ってもらうつもりです。
クリックすると拡大

初めて海外に旅に出たのは27年前の1988年2月29日で訪問国は台湾でした。28年間の海外のへの訪問回数(入国回数)は267回で、年に平均9.53回ほど海外に渡航していたことになります。訪問国は28ケ国になります。
 海外訪問回数 267回 / 28年間 平均 9.53回/年
 訪問国    28ヶ国
        中国 台湾 アメリカ ベトナム 韓国 インド ドイツ
        フランス 香港 タイ メキシコ スイス オーストリア
        マレーシア イタリア ミャンマー マカオ オーストリア
        イギリス インドネシア パキスタン モロッコ エジプト
        バハマ トルコ ロシア カザフスタン ウクライナ


到着した都市が海外の場合の飛行機に乗った回数です。したがって日本への帰国便は含まれていません。


海外では、私自身が設計者としてプロジェクトの担当および責任者として世界の59ケ所に発電プラントを納めてきました。こちらの航空写真はインドの3のプロジェクトです。
8,000KW        700,000KW       1,500,000KW


世界全体地図で訪れた町をプロットいたしました。上で紹介したチユウゴクの地図と同様に、目的があって訪れた町のみで、単に通過する町はプロットしていません。Google地図→ポチッ
クリックすると拡大

こちらは利用した空港のプロットです。トランジットで利用した空港も含まれています。Google地図→ポチッ
クリックすると拡大

追伸
いつものお願いではありますが、中国滞在中はネット事情の関係で皆様のところへの訪問ができないことをお許しください。帰国後も数日は、やりたいことが溜まっているので、本格的な記事の掲載や、皆様のところへの訪問は11月23日ごろからになると思います。今回はお土産にチョコレートも持っていくことにしました。中国では安くておいしいチョコレートが意外と少ないのです。クリックすると拡大

今回はお酒を入れたので写真のようにスーツケースには取扱注意の札を貼ってもらいました。重さは32kgになりました。今回のお土産は次の通りです。チョコレートと茅台酒は中国の人たちへの土産で、他は26人+2人(奥さん)の日本人の方への土産です。
 29個 レトルトカレー
 27個 京漬物
 14個 チョコレート
  5個 生めん(ラーメン)
  1個 袋めん(日本そば)
  1個 43年物の茅台酒 T氏用


中国に到着した2015年11月11日には日本食レストラン「にんにん」で、楽しい誕生日会もありました。ケーキはお店からのプレゼントです。こちらのレストランは町一番の人気店なので、帰国後に詳しく紹介したいと思います。


ケーキ・サプライズのお蔭で、ものすごく盛り上がりました。



2016年3月23日~27日には101回目の中国訪問が実現いたしました。下の写真は3月24日のT氏主催の会食です。T氏と私が写った写真の3人も1995年9月7日の契約時に同席していました。その時、その工場におられた方が5名も参加されていました。


3月24日の会食での記念写真です。

タグ:中国 渡航 海外

60年前に自費で作られた297mの「怖~~~い吊橋」 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
上の写真は学生時代の古い写真です。 それから、すこし経過してからの写真(4枚目、5枚目)を見つけました。その写真とくらべてください。
同期のサイクリング部の仲間です。この2人と私の3人でよく出かけました。
この時は 大阪 → 吉野 → 下北山 → 白谷林道 → 十津川 → 五条 → 大阪 と走った2泊3日のサイクリングでした。
右の写真の上半分を拡大したのが冒頭の写真です。
  奈良県十津川村の谷瀬の吊橋 
  昭和29年(1954年)完成  60年前 
  長さは297.7m、高さ64m
  鉄線橋では日本一

その三人が下の9人で撮った記念写真の赤い矢印 です。
その学生時代のサイクリング部の3人で2014年3月8日に上野のクリックすると昔の記事を表示居酒屋で2時間飲んだ後、私の家に泊まった貰ったのが小さな左の写真で、3人で白川郷に行ったときの写真が小さな右の写真です。どちらの写真も左端が私です。さらに2014年4月12日には卒業以来初めて会う人を入れて4人で東京駅の八重洲で飲みました。


谷瀬の村落の人々が一世帯あたり30万円という当時としては大金を出し合い架けたのがこの吊橋だそうです。それが数年前までは人道吊り橋として日本一の長さだったというのがすごいです。鉄線橋の歩道橋としてはいまでも日本一だそうです。
歩行者用の日本一の橋は大分県玖珠郡九重町に(2006年10月30日)完成した九重"夢"吊大橋だそうです。

下から見ました。 恐ろしさが判ってもらえると思います。横梁の隙間がこれだけ広いと歩いているときにバランスを崩すと落ちてしまいそうです。よく見ると落ちないように細い針金が縦に張っていますが! でも怖い。
ネットの写真を見ると今は金網が張られているようです。 
このときサイクリング部です。真っ直ぐ走ることに関してはかなりの自信がありましたが、さすがに自転車で渡ることはやめました。でも地元の人は自転車で渡っていました。完全に脱帽でした。


だいぶ経ってから谷瀬の吊橋に来ました。この写真も、かなり古いけれど、ネットなどを見る限り、現在と同じ形だと思います。見ている方向は反対ですが決定的な違いが有ります。答えは次の写真の解説で説明いたします。


答えは「メインロープ」です。当初のメインロープは1本でしたが3本束ねたロープが少し下に増設されているのがわかります。さらに上の1本のロープの方も張りかえられています。一番上の写真とあきらかに違いますね。観光客が増えて通行人数が増えたために補強したのだと思います。それでも20人の制限付きですね。
一番上のメインロープが一本の写真は貴重なものかもしれません。


吊り橋の写真を撮った時、白谷林道を走りました。その白谷林道を上から撮りました。
写真のなかの矢印は冒頭の仲間2人が自転車で走っているところです。先に林道を登って上から撮った2枚の写真を合成しました。写真をクリックすると拡大するので判りやすくなると思います。余談ですが、この写真を見ていると「林道を作ることは自然破壊をしているのだな」と、感じてしまいます。
クリックすると拡大
岐阜県と富山県の間あたりの名もない吊橋です。歩くところが水平ではありません。根本的に構造が違います。これはマジに怖いと思います。写真をクリックすると拡大するのでじっくりと構造を見てください。


白川郷の近くの吊橋です。これもかなりのものです。

こちらが自転車で通った峠です。記念にGoogle地図にプロットしてみました。マークをクリックすると峠の名前を表示します。

より大きな地図で 自転車で通った峠 を表示

タグ:自転車 吊橋

淡水のクラゲ 「マミズクラゲ(真水水母)」 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
写真のネガを整理しているとこの珍しい写真のネガが残っていました。さっそくデジタル化しました。淡水のクラゲをご存知ですか?
これは「まみずくらげ」と言うそうです。
昔に一度だけ見たことがあります。その時の写真です。
丸い入れ物は直径15cmのシャーレーなのでクラゲ自体は大きくても2cmほどです。クラゲの4つの模様は生殖腺ですが右の写真のように生殖腺が3つのものもいました。

上の写真はクリックすると拡大しますがクリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。これらの写真は私が撮りのしたが、撮った経緯は後半に記載させていただいております。


さらに拡大してみました。


横向きのクラゲが入った写真も紹介します。
クリックすると拡大

台風の後に突然、学校の中の、この小さな池にマミズクラゲが現れました。通っていた学校は兵庫県立芦屋高等学校です。マミズクラゲがどこから学校の池に入ってきたのか知りたくて、学校の山側にある池を隈なく調べてみましたがマミズクラゲは発見できなかったために発生の謎を解くことは出来ませんでした。
クリックすると広範囲を表示

池を反対側(運動場の方向)から見た写真です。
顧問であった生物の先生も長く学校におられましたがマミズクラゲが出現したのは初めてだと言われました。この池からはいつのまにかクラゲ(水母)が消えてしまいました。


マミズクラゲは珍しい上に、突然に出現して、いつの間にかいなくなってしまうことから地方の新聞によく取り上げられます。
ただし全国どこにでもいるクラゲらしいのですが、珍しい理由は「親クラゲの姿」になることが稀なためだそうです。いつもは別の姿をしている生物なのです。つまり下記の図のポリプやフラスチュールの姿で無性繁殖で増えて生き続けているのです。おそらく環境が変わるなどの何かのきっかけで有性生殖の必要が発生することで親クラゲが出現する気がします。あの時は台風がきっかけだったのかもしれません。


マミズクラゲのいろんな姿を、ネットから拝借した写真で紹介いたします。プラヌラとフラスチュールは動画になっています。
            受精卵と卵割
            プラヌラ
   ポリプ
            ポリプのコロニー
       フラスチュール
            クラゲの出芽(水母 芽)
      稚クラゲ(幼 水母)
            親クラゲ(成体 水母)

マミズクラゲに関してネットで書かれている説明を転記する形で紹介いたします。
マミズクラゲ(真水水母)はヒドロ虫綱淡水クラゲ目のクラゲの一種。
 界  : 動物界        Animalia
 門  : 刺胞動物門     Cnidaria
 綱  : ヒドロ虫綱      Hydrozoa
 目  : 淡水水母目     Limnomedusae
 科  : ハナガサクラゲ科 Olindiasidae
 属  : マミズクラゲ属   Craspedacusta
 種  : マミズクラゲ    C. sowerbyi
 学名 : Craspedacusta sowerbyi
 英名 : Freshwater Jellyfish
世界各地の温帯熱帯域の淡水産で、原産は中国大陸の長江周辺と考えられる。13世紀以降の文献には桃花魚や桃花扇の名で現れる(現代中国語では「桃花水母」と呼ばれる)。「桃花」はモモの花が咲く頃にクラゲが出現する事に由来する。
西洋にて知られたのは1880年にロンドンのリージェントパーク内の王立植物協会植物園のスイレンの水槽に現れたことから。学名はレイ・ランケスターが発見者サワービーの名をとったもの。
クラゲはヒドロクラゲであり、真性クラゲ類と異なり傘の下部に被膜を持つ。環状水管の周辺から触手が延びる。 最大成長時の直径は2.0 - 2.5cm。平らな性腺を除き体色は緑・白みがかった半透明。触手には何百もの刺胞を持つ。 
貯水池、湖、砂利坑または採石場といった穏やかな淡水域にて見られる。また、アレガニー川、オハイオ川、テネシー川などの河川域にも見つかる。止水域を好み、通常は河川や急流などの流水域には現れない。年中干上がる事のない淡水で弱アルカリ性の硬水を好むが、塩素には弱い。 高温から気温が下がり始めるとクラゲの形成が進むので、夏の終わりから秋にかけて発生する例が多い。
出現する場合は大発生になることがよくあり、人目を引くことから地方新聞などをにぎわすこともしばしばである。ただしそのつぎの年からはさっぱり出現しない例も多い。
ポリプ
有性生殖によって受精卵がプラヌラと呼ばれる繊毛幼生となり、ポリプへと成長し水底の枯れ葉や切り株、小石などに付着してコロニーを作る。 一種類の貫通刺胞のみを持ち、水棲貧毛類(イトミミズ類)、棒腸類(プラナリアなど)、若齢のユスリカ幼虫を捕食する(橋本1987)。飼育下においては自分と同サイズのブラインシュリンプが餌になる。 通常は出芽によってコロニーの個体数を増やしていくがフラスチュール(frustule)という全長0.5 - 1.0mmの蠕虫状の幼生を作り出し、時速約1mmで離れた場所へ数日間かけて移動し新たなコロニーを増やす。 雌雄異体で、一つのコロニーから別れた個体は同じ遺伝子を持つため全て同じ性別となる。 自然の状態で同じ場所からマミズクラゲが雄と雌両方とも見つかる事はほぼなく、これらは無性生殖によって増えたものと考えられる。
被嚢体
マミズクラゲは寒い冬の間は被嚢体(podocyst)という形になり越冬する。そして再び生活に適した環境となるとポリプの姿に戻る。これが動物や水生植物について行くことで、この種の突発的な発生を引き起こし、人類の営みの全地球化に伴って現在の世界的な分布を生んでいると考えられる。
クラゲ
真性クラゲ類とは違いストロビラの段階を経ずにポリプの脇よりクラゲが出芽する。稚クラゲは2週間から1ヶ月で成熟して、その後1週間程すると放精・産卵し死亡してしまう。 クラゲはミジンコやケンミジンコを含む動物性プランクトンを触手の刺胞で麻痺させて捕食する。刺胞毒は弱く人が刺されても感じない程である。
一般的なヒドロクラゲの模式図


クリックすると女子部員下の写真は3年生の時の卒業記念写真です。〇を付けたのが私です。当時、この学校のクラブ活動である生物部に所属し、阪神生物研究会の会長をやっておりました。右の写真は生物部のクラブ活動の写真です。クラブ活動の中でも学校の池にマミズクラゲが出現したのは私にとって懐かしい思い出なのです。
後ろに見える景色は芦屋浜(打出浜)で芦屋川が流れ込む場所で卒業記念写真を撮りました。校歌の中に出てくる打出浜(芦屋浜)は埋め立てられて住宅地に変わっています。芦屋川には清流にしか生きられないプラナリアが住んでいました。プラナリアは再生能力が優れており、どんなに小さく切っても成体に再生する生命体であることで有名です。
クリックすると拡大

この航空写真の緑色マーク( )の場所に並んで西側(左側)方向から卒業記念写真を撮りました。上の写真の背景の芦屋浜(打出浜)が埋められたのが判ってもらえると思います。赤色ライン()が、私が高校生時代の海岸線の打出浜(芦屋浜)でした。空色マーク( )がマミズクラゲが発生した県立芦屋高等学校(芦屋高校 / 芦高 / 県芦)の池の場所です。

2016年9月25日にホテル竹園芦屋の飛鳥の間で高校の同窓会がありました。卒業生494名の内、115名が参加いたしました。黄色の丸印(〇)が私です。
      卒業生   参加者   クラス参加
 男子   300名    90名    14名
 女子   194名    25名     1名
 合計   494名   115名    15名

ものすごく昔の神戸まつり [思いで]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
今年の「神戸まつり」は2018年5月20日に開催されます。第48回神戸まつりです。そこで、ものすごく昔の神戸まつりの写真を投稿させてもらいます。
ここで掲載の写真はすべて昔の写真です。写真を撮った時の記憶から、1974年の「第4回 神戸まつり」か、あるいは1975年の「第5回 神戸まつり」だと考えています。写真の中の文字を探して読み取ってみます。古い写真なので解像度があまりよくないのは勘弁してください。でも道路の上の花吹雪で活気がわかってもらえるかもしれません。

サンテレビのテレビカメラも見受けられます。
カメラマンが沢山集まっています。理由は?
サンバ ?
クレックすると拡大

やはりお目当てはこちら?
昔も今も同じかも!
クレックすると拡大

この神戸祭りの回次がわかる文字が見つかりました。テレビカメラが乗った台の垂れ幕の一番上に「第5回」の横書きの文字が読み取れました。
判りにくいけれども「第4回」か「第5回」のどちらかなので、じっくりと見た結果、間違いなく「第5回」でした。つまり今から43年前の1975年の「第5回 神戸まつり」でした。
垂れ幕に第5回 サンテレビ協賛番組 神戸まつり大パレード 実況中継 SUN TVと書かれていました。写真の解像度がよくない上に、垂れ幕が風でたなびいて字が読みにくかったけれどなんとか読み取りました。
第1回神戸まつりは1971年に開催されました。ただし神戸まつりの前身となるイベントは、戦前の1933年から開催されていた「みなとの祭」や1967年の「神戸港開港100周年記念祭」、並びにその前夜祭の「神戸カーニバル」です。神戸市の姉妹都市からの来賓を招待した式典や市街地でのパレード、みなとの女王のお披露目、神戸市電(路面電車)を使った花電車就航などがありました。交通事情の問題などから1971年に2つのイベントが統合されたのが現在の「神戸まつり」です。
1995年の阪神・淡路大震災の影響で、同年の第25回開催は中止となりましたが大会の回次はそのまま残したそうです。そのおかげで、知りたい年から1970を引くと大会の回次になります。つまり今年であれば2018-1970=48回になります。震災の年の第25回は完全に空席となったのではなく第25回の代替に元町商店街や南京町において、当初の予定とほぼ同時期となる5月20日と21日に「神戸五月まつり」が行われ、これを1995年の神戸まつりとみなすこともあるそうです。
カーニバル方式はこの時代、日本ではめずらしかったと思います。
クリックすると拡大

ボーイスカウトの人たちがパレードしているところです。写真をクリックしてもらうとわかると思いますが、すごい人ですね。今の神戸まつりと比べてどうでしょうか。小さいときに広島から神戸市東灘区に引越してきて物心つく頃を神戸で過ごしたので、自称ですが神戸子だったわけです。
クリックすると拡大

徳島の阿波踊りも参加です。
クレックすると拡大

この時代はサンテレビ(SUN-TV)が神戸まつりを支援していたようです。これはサンテレビのパレードです。サンテレビ、正式名は株式会社サンテレビジョンは1968年3月8日に設立され1968年5月1日に開局した兵庫県を放送対象地域とする独立テレビ局で、神戸新聞社の連結子会社です。
クリックすると拡大

昔ながらのお祭りスタイルのパレードもありました。パレード出発を待っているところです。写真をクリックするとわかると思いますが、ナイトクラブ「紅馬車」の人たちです。
クリックすると拡大

子供たちも参加した楽しいイベントでした。
クリックすると拡大

国際都市神戸らしく国際色豊かなお祭りでもありました。
クリックすると拡大

これはUCCからの参加です。
クリックすると拡大

航空会社も参加していました。
クリックすると拡大

神戸は韓国の方も多いのでパレードにも参加されていました。
クリックすると拡大

下の写真はフリー百科事典のウィキペディア(Wikipedia)から拝借した現在の神戸まつりの写真です。2013年の神戸まつりのホームページの画面も紹介いたします。現在のメインフェスティバルは「おまつりパレード」を中心にマーケットイベントやステージイベントなどが各所で繰り広げられます。なかでも京町筋で行われる「サンバストリート」では神戸サンバチーム等のサンバダンサーの華やかなコスチュームを目当てにカメラを持った多くの観客で賑わいます。
おまつりパレードのコースは三宮の東遊園地を起点にフラワーロード・三宮中央通りを経て元町の神戸大丸前が終点となっています。またパレードコースであるフラワーロードの中央分離帯はパレード当日に撤去できるよう可動式となっているそうです。そしてメインフェスティバルの前日には各区でも下記のようなお祭りが行われます。
  区   まつり名称      開催場所
 東灘区 東灘うはらまつり    住吉公園
 灘区  六甲ファミリーまつり  王子競技場前広場
 中央区 ふれあい中央カーニバル 東遊園地
 兵庫区 はっぴいひろば     湊川公園(鉄人広場)
 長田区 長田フェスティバル   新長田駅前広場
 須磨区 須磨音楽の森      須磨離宮公園
 垂水区 たるみっこまつり    マリンピア神戸
 西区  みどりと太陽のまつり  西神中央駅プレンティ広場
 北区  きたきたまつり     毎年異なる。2018年は鈴蘭公園
                 2013年はフルーツフラワーパーク
 現在の画像はこちら→Yahoo Google 24時間以内 2013年5月18日~今日 
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大

追伸 2020年5月11日
2020年5月16日~17日に開催予定であった第50回神戸まつりは、2021年(令和3年)に延期となりました。枠内に神戸市ホームページの記載内容を転記いたします。中の写真は私が撮った45年前の第5回神戸まつりです。
第50回 神戸まつりの開催延期について
記者資料提供(令和2年3月30日)
市民参画推進局文化交流課

令和2年5月17日(日曜)に実施予定の、「第50回神戸まつり」メインフェスティバルに関しましては、100万人を越える来場者に加え、多数の参加者・関係者の安全を確保する環境を整えることが極めて困難であることと、さらに、市民の皆様と職員が一丸となって感染拡大防止に注力していくために、クレックすると拡大令和3年5月に延期することといたしましたのでお知らせいたします。
各区で5月16日(土曜)に実施予定の「区のまつり」につきましても、メインフェスティバルに準じて令和3年5月に延期することといたします。
■当初開催日程(令和3年度に延期となりました)
 各区のまつり一斉開催:令和2年5月16日(土曜)
 メインフェスティバル:令和2年5月17日(日曜)
■神戸まつりホームページ http://www.kobe-matsuri.com/

息子の子供のころ [思いで]



我が家の子供は3人です。構成は男・男・女です。長男と長女の子供のころは紹介したので、次男の子供のころのスナップ写真を紹介いたします。
上は生まれてすぐの写真です。
   長男 → ポチッ
   長女 → ポチッ

こちらは歩きはじめたばかりのころの写真です。


少し大きくなりました。


山登りも出来るようになりました。神戸市の須磨区に住んでいた時に近くの山に頻繁に登りました。


クリックすると拡大娘が生まれる前に従姉(いとこ)たちと兵庫県の姫路セントラルパーク(サハリパーク)に行ったときの記念写真です。私の姉の子供は女の子ばかりの3人でした。一番後ろが次男です。こちらの写真は私の親父が6×6の2眼レフで撮った写真(右)から切り取ったものです。両方ともにクリックすると拡大写真が出るように設定いたしました。


娘が生まれた時の写真です。
赤ちゃんの娘の真似をしています。小さな子供が3人となり大変でした。おもちゃも沢山になりました。
こちらも神戸の家での写真です。このころはフローリングではなくてジュータンをオーダーで床に敷き詰めました。


神戸市須磨区から船橋市に引越してきました。お兄ちゃんが小学生の時の運動会に参加しました。幼稚園児のかけっこです。1人だけ裸足でした。このころは遊ぶ時は裸足が大好きでした。場所は船橋市立三山小学校の運動場です。こちらの写真もクリックすると拡大写真を表示するように設定いたしました。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

車のスカイラインも神戸から船橋に運んでもらいました。船橋の社宅の駐車時に停めてあるスカイラインと次男との写真です。
IMG_0222-400.JPG

どの写真も無邪気で楽しそうです。こちらでも裸足であそんでいます。


お兄ちゃんの前でポーズをとっています。


船橋三山の社宅内の公園での一コマです。


3人の子供たちです。左から長男、次男、長女です。関東に引越してきて1年が経ったころの写真です。その前は神戸市須磨区に住んでいました。


もうすぐ一才 [思いで]


もうすぐ一才といっても昔の写真です。息子も今では大きくなりました。
以前、娘の小さい時の写真を照会いたしました。→ポチッ
そのうちに残りの二人の息子の小さい時の写真を照会するつもりでしたが先ずは長男の方から照会いたします。写真は一才の誕生日前の写真だと思います。

さらに小さい時の写真です。はいはいが出来たころでしょうか。


そのころの従姉(いとこ)達との記念写真です。生後6ケ月です。
そのうちに次男の小さい時の写真も照会いたします。


2013年5月25日に結婚しました。→ポチッ


学生時代の思い出の一品 [思いで]


もうすぐ新しい自転車を買って4年目になります。→ポチッ
そこで、自転車に関しての思い出の一品を紹介いたします。学生時代にクラブの後輩から送られたものです。クラブはサイクリング部でした。西暦XXXX年のことでした。その学生時代4年間の自転車の走行距離は6万kmになりました。夏休みの時など一人で走るときの一日の走行距離は平均260km程度で長いときは350kmでした。たくさんの思い出があります。それにしても寄せ書きは、もらった時よりも時代が経つと値打ちが出てくるものだと実感いたしました。

夏休みと春休みにクラブの合宿として走ったコースを紹介します。基本的にすべての合宿の待ち合わせ場所へは1人で走っていき、帰りも合宿の解散場所から一人で走って帰りますが、3年の夏だけは広島の因島で実習があって時間的な理由から列車(大阪→猪苗代湖 青森→大阪)を利用しました。ただし宝塚から因島へも自転車で行きました。
<1年生の夏> http://goo.gl/maps/qA1az 
宝塚(家)→京都→大津→敦賀→小浜→天橋立→丹後半島一周→久美浜→豊岡→和田山→福知山→宝塚(家)
<1年生の春> http://goo.gl/maps/SSV9J 
宝塚(家)→岡山→笠岡→広島→岩国→下関→行橋→平尾台→飯塚→福岡→唐津→長崎→諫早→雲仙道路→雲仙→島原道路→島原→(フェリー)→天草王橋→熊本→阿蘇→大観峰→日田→羅漢寺→下関→広島→笠岡→岡山→宝塚(家)
<2年生の夏> http://goo.gl/maps/JolKf 
宝塚(家)→敦賀→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→乗鞍岳山頂→前川渡→松本→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→(車)→東京→静岡→名古屋→宝塚(家)
<2年生の春> http://goo.gl/maps/2ibxZ 
宝塚(家)→京都→名古屋→寝覚ノ床→諏訪湖→杖突峠→駒ヶ根→権兵衛峠→駒ヶ根→飯田→温田→新野峠→渋沢温泉→木ノ実峠→保古ノ湖→馬篭峠→保古ノ湖→名古屋→宝塚(家)
<3年生の夏> http://goo.gl/maps/0LV3f 
猪苗代湖→檜原湖→白布峠→南陽→蔵王→名取→仙台→鳴子→鬼首峠→横手→田沢湖→玉川温泉→十和田湖→八甲田山→青森
<3年生の春> http://goo.gl/maps/XXZqN 
宝塚(家)→彦根→中津川→塩尻→軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→裂石→柳沢峠→青梅→静岡→宝塚(家)
<4年生の夏> http://goo.gl/maps/xX1MM 
宝塚(家)→敦賀→金沢→羽咋→七尾→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠→青木峠→松本→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→宝塚(家)

下の写真は乗鞍山頂を目指して松本近くの奈川渡ダムあたりの急坂道を登っているところでした。通常は体力の低い人のペースに合わせて隊列を組んで走りますが峠が近づくとフリーランとなります。自分が撮っているため自分自身が写っていないのは残念です。青いユニホームは私の次の学年までで、その後の年代からは黄色のユニホームになりました。4年生の夏の合宿でした。
クリックすると拡大

クリックすると拡大乗鞍岳山頂 3026m 学生時代に2度行きました。
乗鞍岳を下りるところの写真です。
このときのコースは次の通りでした。
宝塚→大津→敦賀→福井→金沢→羽咋→七尾→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠→青木峠→松本→乗鞍岳→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→彦根→草津→宝塚 
左端に私が小さく写っています。右端の建物が2800mのところにある山小屋です。ここまでは車で登れます。この時代は舗装していない道もありました。わざわざ舗装していない方の道を登り降りしたのでした。その下りですがあまりの振動で一人の自転車のフレームが真っ二つになってしまいました。その後、その1年生の西野さんはバスと電車で帰りました。


この時の記念写真を6枚ほど掲載します。
左上から順番に長野 渋峠 車坂峠 地蔵峠 乗鞍岳山頂(剣ヶ峰) 野麦峠です。最後の1枚は乗鞍岳山頂に全員が揃う前の記念写真です。 
上で紹介の奈川渡ダムあたりの急坂道の写真もこの時に撮りました。
     

クリックすると拡大

こちらは2年生の時の乗鞍岳山頂(標高3026m)での記念写真です。


この写真は権兵衛街道です。卒業の年である4年生の春です。単独で走りましたが、3月15日でもこんなに雪が残っていました。雪崩の跡もありました。今は車が通れる道になっています。2003年には標高1162mの位置にトンネルも開通してさらに便利になりました。しかし、このときはまだ舗装すらされておららず車は通れない昔のままの道でした。有名な野麦峠もこの時代は車は通れませんでした。

クリックすると拡大権兵衛街道を登りつめると権兵衛峠(標高1522m)があります。上りだけでなく下りも大変です。
今は写真のような景観も見れないかもしれません。右の写真のように私は左側の雪の上に座って記念撮影いたしました。その写真から切り取ったのが下の写真です。


8月12日~14日の2泊3日写真は蓼科のあたりです。
走ったコースは八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧が峰(霧ケ峰)→諏訪→島々→徳本峠→上高地→安房峠→平湯峠→高山でした。


3年生の春です。写真は信州峠です。 下の写真のように南側の下り道は、雪が解けた後の泥に悪戦苦闘でした。北斜面の登り道は右の写真のようにようにアイスバーンで、こちらも大変でした。
宝塚→彦根→中津川→塩尻→軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→裂石→柳沢峠→青梅→静岡→宝塚


私は信州峠の下り坂で車輪のシャフトを折ってしまいました。麓の鉄工所のおじさんに溶接でつないでもらいました。写真は修理したシャフトです。今となってはいい思い出です。


2年生の時の夏休みに行った白川郷もいいところでした。コースは下記で(甲府→東京)だけ友達の車で後は自走でした。
宝塚→敦賀→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→乗鞍山頂→前川渡→松本→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→(車)→東京→小田原→静岡→浜松→名古屋→鈴鹿峠→大津→宝塚
東京からは、その友達と自転車で伊豆を走りました。

3年生の夏です。
猪苗代湖→檜原湖→白布峠→南陽→蔵王→名取→仙台→鳴子→鬼首峠→横手→田沢湖→玉川温泉→十和田湖→八甲田山→青森
写真は玉川温泉です。雨と霧の中で玉川温泉に着いて、この露天風呂に入りました。実は、この露天風呂は地獄めぐりのコースの中にあることが霧が晴れて判りました。霧が晴れてしばらくすると沢山の観光客の人が見て廻っていたため露天風呂から出れなくなりました。長時間の入浴になりました。
青森からは夜行列車で家に帰ったあと、家から因島まで自転車で走りましたが250kmを食事やトイレや信号待ちの時間も入れて8時間で走ったのは長距離単独走行の中では私の記録です。今のようにスピードメーターがないのですが、国道なので沢山の信号で停まらなければならないため、実際には、かなりのスピードで走ったことが想像できます。

今までに通った峠で記憶に残っている名前を掲載します。 宮城県と秋田県の県境にある鬼首峠での、むさい鬼首ばかりの記念写真です。少し洒落たつもりでした。徳本峠は上高地に入る昔の登山道にある峠です。     ( )内数値は標高です。
鬼首峠(820) 西峠(460) 野麦峠(1672) 小笠峠(419) 三本峠(239) 切詰峠(245) 大阪峠 白川峠(190) 木見峠(250) 小部峠 鈴鹿峠(357) 水越峠(517) 紀見峠(400) 竹ノ内峠 蔵王峠(550) 鍋谷峠(670) 河梨峠 和田峠(1531) 宇津ノ木峠 吉坂峠 武石峠(1830) 己斐峠 松本峠(1087) 小鳥峠(1002) 鯰峠 船坂峠 中山峠(310) 山中峠 古々山峠 武平峠(820) 吸上峠 山伏峠 風速峠 中峠 美女峠 天田峠 白樺峠(1640) 鳥尾峠 日見峠 椿峠 塩津峠 新軽岡峠 古坂峠(470) 関峠 佐夜ノ中山峠 平尾峠 万ノ峠 人形峠(583) 新小屋峠 蒲生峠 春来峠 八木谷峠 遠坂峠 鹿食峠 鳥居峠 塩尻峠(1055) 新野峠 杖突峠(1267) 十曲峠(500) 木ノ実峠(768) 馬篭峠(801) 内津峠 白布峠(1094) 船坂峠 発荷峠(631) 清滝峠 花背峠(750) 江文峠 鍵掛峠 穴虫峠(129) 大土峠 猪ノ子峠 坂井峠 浮峠 名月峠(270) 仏坂峠 逢坂峠 暮坂峠 堀越峠 野間峠 高見峠(899) 棒峠 小坂峠 荷坂峠(241) 榎峠(340) 添谷峠 長谷峠 仁科峠(900) 洞ケ峠 和美峠(984) 内山峠(1170) 塩ノ沢峠(1061) 十石峠(1356) 馬越峠(1650) 信州峠(1464) 柳沢峠(1472) 宮峠(782) 地蔵峠(1733) 車坂峠(1968) 渋峠(2172) 青木峠 笠取峠 桜峠 暗峠(455) 花折峠(591) 坂坂峠 桃観峠 比治山峠(230) はらいがため峠(580) 天王峠 夜久野峠(190) 徳本峠(2135) 水坂峠 姥神峠(1280) 権兵衛峠(1522) 河合峠(458) 麦草峠(2185) すずらん峠(175) 安房峠(1812) 平湯峠(1684) 百井峠(730) 旧花背峠(837) 御経坂峠(216) 笠峠(447) 栗尾峠 深見峠 堀越峠 地蔵峠 長峰峠(1503) 大門峠(1442) 八草峠(74) ホハレ峠(814) 冠峠(1050) 駒止峠(1135) 沼山峠(1784) 三平峠(1762) 金精峠(1843) 武石峠(1780) 評評峠 女寄峠(380) 傘松峠(1020)
地図にプロット中  http://goo.gl/maps/zlWof

あのころは西日本大学サンクリング連盟(略して西サ蓮)では各学校のサイクリング部から数百人が集まるラリーが年一回、各学校の持ち回りで行われていました。全体でも行動しますが小グループに分かれて行動もするのですが、そのメンバーで書いた寄せ書きも思い出のものとなりました。偶然ですが私が1年生の時に我々の学校が主催となりラリーが行われました。下記の写真は、その時の寄せ書きです。


その西サ蓮ラリーの小グループのメンバーでの記念写真です。いろんな学校のメンバーと一緒に走るのも楽しかったです。


西サ蓮ラリーで全体で並んでいるところの写真です。


西サ蓮ラリーでは気に入ったどうしで個別に写真を撮ることもありました。


一年間の主なイベントを思い出しながら記載しました。(公式レースは省略) 
なんと言っても夏合宿と春合宿がメインイベントです。
  新入生歓迎サイクリング        高野山サイクリング
  東京の学校との対抗戦とサイクリング  夏合宿サイクリング
  西サ蓮ラリー参加           秋の公開サイクリング
  学園祭のぜんざい模擬店        500km耐久レース
  他校との合同サイクリング       近隣地域の月例サイクリング
  伊勢神宮初詣サンクリング       春合宿サイクリング

自転車などの倉庫前          倉庫前で記念撮影

西サ蓮ラリー             西サ蓮ラリー整列

西サ蓮ラリー行進           他校との合同サイクリング

一年夏合宿 海上自衛隊舞鶴基地にて  高野山の裏道 他校と

学校前で 二年            合同ハイキング

秋の公開サイクリング         近隣地域の月例サイクリング

東京の学校との合同サイクリング    一年春合宿 島原

三年夏合宿 檜原湖にて        近隣地域の月例サイクリング

先輩から受け継いだ伝統の味 ぜんざい [思いで]



2010年12月19日掲載 タイトル:先輩から受け継いだ伝統の味 ぜんざい

学生時代の遠い昔の話です。
すでに照会した500km耐久レースは秋の学園祭の時に行います。サイクリング部では、その秋の学園祭で「ぜんざいの模擬店」を出すのが代々の伝統なのです。評判の伝統の味なのです。それが終わると翌日はクラブ員だけで行う500km耐久レースです。写真の奥の方を見てもらえると判るように、この時から自転車の整備をしている人がいます。

模擬店の周りでは、本当に真剣に整備をしています。写真の人は今でも家に行ったりして親しくしている方です。


ぜんざいに入れるお餅を焼いているところです。道具もクラブで代々受け継がれてきたものです。このお餅もクラブの備品の臼と杵で作ります。もちろん蒸篭やぜんざいを作る大釜もサイクリング部に代々受け継がれた備品なのです。ぜんざいを作る大釜を撮った写真がないのが残念です。餅を入れている箱に昭和三十一年十二月吉日と書かれているのが歴史を感じさせてくれます。昭和31年は1956年なので今から54年前の箱になります。写真をクリックするとこの箱の拡大写真を掲載いたします。
クリックすると餅の部分を拡大

ここから下の写真は2011年1月30日に追加しました。模擬店の光景です。子供たちにも人気がありました。もちろん女性の方にも人気がありました。


左はぜんざいを器に入れているところの写真です。女子大から応援にきてもらいました。右はぜんざいを食べながら一休みしているところです。


楽しい雰囲気が伝わってきます。後輩の山田君も頑張っていました。古い写真だけれども偶然にもネガが残っていたので鮮明な写真を掲載出来ました。



2011年01月30日追記 タイトル:途絶えていた「ぜんざい」が復活しました。

昨日(2011年1月29日)にサイクリング部のOB会(現役も参加)に行きました。
学校は関西なので関東に引っ越してきてから、ご無沙汰していたので懐かしい人達に会えてよかったです。学校内で行われることからアルコールはありませんがそれもなかなか良かったです。
昨年の12月に「先輩から受け継いだ伝統の味 ぜんざい」というタイトルで毎年学園祭で作られていた「ぜんざい」を紹介しましたが、実は途絶えていたことを、今回知りました。
ところが昨年から再開したそうです。その時の看板が上の写真です。500杯ほど売れたそうです。ネーミングは、腹がでてすけ「ぜんざい」だそうです。

おでんや合宿名物のカレーライスを食べながらOB同士、現役との交流に加えて楽しい催しも沢山ありました。


そして、その伝統のぜんざいをOB会で現役の人達が作ってくれたのです。そのぜんざいが下の写真です。ぜんざい以外にも、伝統の「合宿カレー」も出してくれました。これも懐かしい味でした。



2013年01月31日追記 タイトル:2月2日はサイクリング部のOB会
クリックすると我が自転車を紹介
正門からの校内の景色今度の日曜日2013年2月2日は学生時代のサイクリング部のOB会が学校内の交流会館であります。
昨年は都合で参加できなかったのですが、関西ではありますが実家への帰省も兼ねて今年は参加する予定です。正式名はOB交流会で現役の人も参加します。学校内はアルコール厳禁なのでアルコール抜きの会食を交えて交流会が行われます。交流会の終わった後にOB同士で二次会も計画しております。

第2回 500km耐久レース [思いで]



またまた学生時代の思い出に引き続き古い話で申し訳ありません。
学生時代の3年生の時にサイクリング部で500km耐久レースと言うイベントを始めました。自転車で約500km(このときは539km)を走ります。クラブ内だけの年に一回のお祭りのようなものです。前日は先輩から受け継いだ伝統の模擬店で資金を稼いでいました。部室から午前5時に出発して決められたコースを各自の体力にあわせて走って帰ってきたら部室の壁の紙に名前と時間を書きます。6位の人が書いているところです。写真は第2回のときの部室での写真です。私は第1回が3年生だったので、第2回は4年生と言うことになります。

コースは「大阪→京都→小浜→久美浜→城崎→豊岡→浜坂→多紀→池田→大阪」でした。チェックポイントの小浜駅と浜坂駅を通ればルートは自由なのも、この500km耐久レースの特徴です。このときも姫路を通って帰ってきた人もありました。ただし反対周りはだめです。チェックポイントでスタンプを押すか駅の入場券を買います。
ちなみに第1回のコースは「大阪→紀見トンネル→橋本→五条→天辻→新宮→熊野→松坂→高見峠→大阪」でした。
小浜駅では下のようにスタンプを押しました。


浜坂駅では入場券を買いました。
偶然にも記念入場券でした。11月5日の日付が入っていました。


到着した順に書き込んで行きます。冒頭の写真の時点で書き込まれている名前は私、木冶、桑垣内、松島、山田、橋本です。


後半は雨も降ってきたようですが、みんな満足そうでした。



下の写真から参加者を数えてみると25名でした。遊びでトトカルチョもやります。レース参加者は1枚買うのです。馬券で言えば連勝複式で1位と2位の枠を当てるのです。今回は一枚のみ2-2で残りはすべて1枠流し(1-?)でした。当たりは1-2で3名が当たっていました。ちなみに黒塗りで消しているところが私(枠は1)です。残念ながら投票した馬券(1-6)は当たりませんでした。レースの方は結局は前年に引き続き私が1位となりました。2-2を買った人はなかなかの読みでした。私が3位以下ならば2-2でした。すなわち木冶-桑垣内でした。買ったのは木冶です。
1-1 1枚  1-2 3枚  1-3 4枚  1-4 5枚  1-5 4枚  1-6 5枚  2-2 1枚


娘の晴れ姿 [思いで]


クリックすると拡大
今日は11月15日です。
昔は旧暦の11月15日が七五三だったそうですが明治改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになり、現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土日・祝日に七五三を行なうことも多くなっています。

昔、三歳のときに七五三に行った時の写真です。
初めて着る着物で、やっぱりうれしそうです。場所は船橋市の二宮神社 で写真の社殿は安永年間(1772~81)に再建されたものだそうです。


初めての着物に楽しそうです。本を見て着付けをしているところです。
七五三をネットで調べてみました。
男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事。本来は数え年だが、現在は満年齢で行われる場合が多い。 現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった。 尚、上方発祥の習俗としては十三詣りがあり、これも徐々に全国に広がりつつある。


やっぱり、はしゃぎたくなるようです。


千歳飴も買いました。記念撮影には神妙になりました。

思いで ブログトップ