SSブログ

ホノルル美術館 特別展編 Erick Swenson [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大ハワイに到着した当日に行ったホノルル美術館に関しては絵画編Art of Hawaiʻi編を紹介しました。本記事では我々が行った時に行われていた特別展示に関して紹介したいと思います。ホノルル美術館の入口の両サイドの柱に不気味なパネルが設置されていました。そのパネルの作品の制作者であるエリック・スウェンソンの作品の展示会が行われていたのです。その作品のいくつか紹介したいと思います。

ホノルル美術館のホームページのイベントのページを見るといきなり下記の画面が出てきました。彼の作品はグロテスクなものが多いために写真は沢山撮りませんでした。今思えば撮っておけばよかったと後悔しています。これも撮っていない作品の一つなのでホームページから転用させていただきました。クリックするとホームページを表示しますが、将来変更になる可能性があるので画面のハードコピーを表示します。エリック・スウェンソンに関して少しだけ紹介させていただきます。
日本では知っている方は少ないと思いますがアメリカでは注目され始めているそうです。展示されている場所は彼の住んでいるテキサス州が中心ではありますが、他の州や海外でも展示されているそうです。
クリックすると拡大 名前:Erick Swenson (Erick Lawrence Swenson)
 生れ:1972年ペンシルバニア州フェニックスビル
 出身: North Texas大学、School of Visual Arts
 現在:テキサス州ダラス在住
 作品の展示場所
  ダラス美術館             ダラス     テキサス州
  ナッシャー彫刻センター        ダラス     テキサス州
  ワース現代美術博物館         ワース     テキサス州
  ヒューストン美術館          ヒューストン  テキサス州
  ホノルル美術館            ホノルル    ハワイ州
  ホイットニー美術館          ニューヨーク  NY州
  シェルドンメモリアルアートギャラリー ネブラスカ大学 ネブラスカ州
  マラモッティコレクション       レッジョ・エミリア イタリア
  サーチ・ギャラリー          ロンドン イギリス
クリックすると拡大

今回のエリック・スウェンソンの作品が展示されていたのはホノルル美術館の敷地の中の最も右上に位置する建物の1階にありました。赤色の枠で囲った部分です。案内図には、この展示室はTemporary Exhibititinsと書かれています。今回の展示は2018年3月1日~7月29日とホームページに書かれていました。
クリックすると拡大

沢山の作品があったのですが撮った3枚の写真を紹介します。入口に入って目の前に展示されていたのがこちらの作品でした。頭がハンマーのようになったシュモクザメです。照明の関係で少し色が付いているように見えますが純白でした。きらきらと光っており大理石できていると思われたくらいです。説明板によるとウレタン樹脂にアクリル塗装を行ったものだそうです。
 作品 Present in the Past (Swimming with shark)
 制作 2018年
 材料 Urethane resin, acrylic paint
クリックすると拡大

こちらも有名な作品のようです。入口にこちらの作品の大きな写真が貼ってあったので代表的な有名な作品だと思われます。作品の意味を示す説明はありませんでしたが、類人猿をイメージした作品のようです。材料の中のガラス(glass)は目に使われているようです。ネット上では彼女(She)という表現が使われていました。
 作品 Ebie
 制作 2002年
 材料 Urethane resin, glass, oil paint
クリックすると拡大

類人猿と言えば、現代の人類(ホモ・サピエンス)につながる進化は概ね下図の①→⑨に進化してきたと言われています。Ⓐ~Ⓙは同時期に存在し絶滅した人類です。人類の進化に関する学説はいろいろあり下記の図は現時点における一つの学説です。今後、研究が進めば変化していくものと考えるのが自然だと思います。最近脚光を浴びたルーシーと名付けられた猿人は⑤で、ジャワ原人は⑦になります。北京原人は⑦の亜種とされています。上の作品は現在のチンパンジーなどの類人猿なのか、人類につながる600万年前以前の類人猿を意識したものでしょうか。
 ① サヘラントロブス・チャデンシス(類人猿 700~600万年前)
 ② アルディピテクス・カダバ(猿人 580~520万年前)
 ③ アルディピテクス・ラミダス(猿人 580~440万年前)
 ④ アウストラロピテクス・アナメンシス(猿人 420~390万年前)
 ⑤ アウストラロピテクス・アファレンシス(猿人 390~290万年前)
 ⑥ ホモ・ハビリス(240~140万年前)
 ⑦ ホモ・エレクトス(180~20万年前)
 ⑧ ホモ・ハイデルベルゲンシス(60~40万年前)
 ⑨ ホモ・サピエンス(現代人 ネアンデルタール人のDNAを約2%含)
  ブルテレの足(340万年前)
  パラントロプス・エチオピクス(270~230万年前)
  パラントロプス・ボイセイ(200~120万年前)
  パラントロプス・ロブストス(250~200万年前)
  アウストラロピテクス・アフリカヌス(300~200万年前)
  アウストラロピテクス・セディバ(180万年前)
  アウストラロピテクス・ガルヒ(200~300万年前)
  ホモ・ナレディ(不明)
  ネアンデルタール人(40~2.8万年前)
  ホモ・フロレシエンシス(? ~5万年前)
クリックすると拡大

ネアンデルタール人は約40万年前に出現し2万数千年前に絶滅しましたが、現代人であるホモ・サピエンスのゲノム(DNA)の中にネアンデルタール人の遺伝子が約2%混入している説が2010年5月7日のサイエンスに発表されたそうです。その内容はNHKの人類誕生第2部でも紹介されました。下記は世界各地の現代人の遺伝子の中のネアンデルタール人DNAの割合を示した地図です。
クリックすると拡大地域によって割合の特色が出ていることがホモ・サピエンスとネアンデルタール人の混血があったことを示唆しているようです。中東地域で混血があり世界に広がったと考えられていまクリックすると拡大す。
 ヨーロッパ 1.8~2.4%
 アジア   2.3~2.6%
 アフリカ  0.0%
クリックすると拡大

3つ目の作品を紹介します。沢山のカタツムリがビールジョッキに群がっている作品です。カタツムリは本物と見間違えるほどリアルでした。これ以外のErick Swensonで確認してみてください。→ポチッ
 作品 Schwärmerei
 制作 2012年
 材料 Acrylic on resin, silicone
クリックすると拡大

欧米では珍しく撮影禁止の作品が1つだけありました。リアルなカタツムリが無数に並べられている作品でした。そのリアルさを紹介したいのでネットから一部を転用させていただきました。確かにカタツムリの作品のノウハウが詰まっているようで撮影禁止にしているのもうなづけました。
今回のホノルル美術館でのErick Swensonの展示会の記事を書かれている方がおられたのでその方の記事のURLを紹介します。偶然ですが同じ3作品の写真を撮って掲載されておられます。
記事を書かれた方によると「生物に時間が与える影響をテーマに、超現実主義彫刻を作るアーティスト」と表現されていました。
 URL:https://ameblo.jp/hawaii-ni-sumu/entry-12356932369.html
クリックすると拡大
nice!(72)  コメント(22) 

ホノルル美術館 Art of Hawaiʻi エリア編 [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
上の写真は現在噴火を続けているて話題になっているキラウエア火山を描いた作品です。ハワイ旅行の到着日(1日目)の最初に来たホノルル美術館(Honolulu Museum of Art)の西洋美術を「絵画編」として先日紹介しました。ホノルル美術館だからこそ充実しているのがハワイ美術です。ハワイを描いた絵、彫刻、装飾美術などが展示されているのがArt of Hawaiʻi(ハワイ美術)エリアです。上の作品もこのエリアにありました。本記事ではハワイ美術エリアを紹介したいと思います。タイトルの中のHawaiʻiはハワイ語です。iとiの間の点は で、英語で使われる とは違うのです。

ハワイ美術エリアはホノルル美術館の敷地の中の最も右上に位置する建物の2階にありました。赤色の枠で囲った部分です。
クリックすると拡大

意外と現代的な作品が沢山並んでいました。
クリックすると拡大

その中で気になったのがテレビゲームの中のキャラクターのような作品でした。調べてみると2002年6月21日に公開された ディズニー映画「 リロ&スティッチ 」のクリックすると拡大主人公であるスティッチなのですが、なぜホノルル美術館に本作品が置かれたてるのか不思議に感じました。どうやら理由は2つあるようです。一つは作家であるBrett Grahamは、ハワイが含まれるポリネシア圏に入っていニュージンランドの先住民であるマリオ族(ポリネシア人の一派)の血が入っており、そのブレット・グラハムが伝統的なマオリの彫刻の技法と現代の技法を組み合わせて作ったものだからのようです。もう一つの理由はリロ&スティッチ(Lilo & Stitch)の物語の舞台はハワイのカウアイ島であることのようです。
クリックすると拡大 作家 ブレット・グラハム(Brett Graham) 1867年~
 作品 snitch(スティッチ) オリジナル記事 記事翻訳
 制作 2014年
 素材 Carved foam, tar, feathers
クリックすると拡大

また2008年からは沖縄を舞台にした日本版スティッチ!も登場いたしました。


こちらはハワイを感じさせてくれる作品が多くありました。カメハメハ大王の像が中央に置かれハワイの景色の絵画や刺繍が展示されていました。
クリックすると拡大

こちにがカメハメハ大王像です。これは屋外に建てられているカメハメハ大王像のミニュチャアのようです。ハワイにはオアフ島に1体とハワイ島の2体の計3体が建てられています。ワシントンの国会議事堂にも1969年に建てられたので世界には計4体があります。クリックすると特別に大きく拡大いたします。
クリックすると拡大

見事な刺繍も展示されていました。説明文を右に貼付いたします。作者の一人であるLioʻi Kaʻananaはハワイ語なので、少なくとも、一人は昔からのハワイの方クリックすると拡大だと思われます。クリックすると読める大きさに拡大いたします。
 作家 Carolina Sharratt と Lioʻi Kaʻanana
 作品 Ua Mau Ke Ea O Ka Aina I ka Pono-Halepualani
 制作 1932年~1933年
 素材 Silk satin, wool batting, cotton
クリックすると拡大

クリックすると拡大上の写真はクリックすると拡大しますがクリックの面倒な方のために拡大写真を掲載します。クリックするとさらに拡大いたします。この構図はハワイ王国時代に咸臨丸がハワイに行った時にカメハメハ4世が1860年(万延元年)に木村喜毅に贈った自筆の紋章によく似ています。ただし、顔の向きが反対です。1882年に竣工のイオラニ宮殿の門の紋章は内向きなので王国時代は内向きだったようです。
作品名の「Ua Mau Ke Ea O Ka Aina I ka Pono」はハワイ語で、意味は「この地の生命は正義によって維持される / The life of the land is perpetuated in righteousness」だそうです。クリックすると拡大正確には「Ua Mau ke Ea o ka ʻĀina i ka Pono」と書かれるのかもしれません。ハワイ州の紋章にもこの言葉が使われています。ハワイ州の紋章にも同じ構図が使われていますが右側の人物はハワイ州の旗を持つ女神になっています。ハワイ州の紋章はハワイ王国の紋章から作られたものだと思われます。
クリックすると拡大

クリックすると拡大刺繍ではない不思議な素材の大きな作品が壁にかかっていたので紹介しまクリックすると拡大す。
 作家 James Jack 1979年~
 作品 Molokai Window
 制作 2018年
 素材 Natural pigment, gum arabic on wood
クリックすると拡大

クリックすると拡大こちらも拡大いたします。ネットから転用させていただいた右の写真のように土などの自然の色素を入れたアラビアゴムを木板の上に指で塗り付けた作品のようです。下の写真をクリックすると撮った写真の原寸で表示します。
クリックすると拡大

クリックすると拡大冒頭で紹介したキラウエア火山です。
作家のAmbrose Pattersonはオーストラリア人の画家で、メルボルン美術学校を卒業した後にパリで腕を磨いたようです。オーストラリアに戻った後にシドニーからニューヨークに行く途中にホノルルに降りて1916年から18ケ月間ほどハワイに住んでいたそうです。この作品はその時に描いたものと思われまクリックすると拡大す。
 作家 Ambrose Patterson 1877年~1966年(89歳没)
 作品 Mount Kilauea, The House of Everlasting Fire
 制作 1917年
クリックすると拡大

迫力のある部分を拡大しました。クリックするとさらに拡大いたします。
ホノルル美術館のArt of Hawai'iエリアに関するWikipediaの記載内容を枠内に転記する形で紹介します。
ハワイの、文字ではなく豊な絵で表現されてきた伝統は、ハワイを描いた絵、彫刻、装飾美術などのコレクションのなかに保存されている。このホノルル美術館のコレクションは、おそらく他のどこよりも優れているであろう。絵画と紙を使った作品がコレクションの中心で、キャプテン・クックがハワイに遭遇した1778年から今日までを網羅している。それらの作品は、18世紀後期から19世紀初頭のヨーロッパやロシアのハワイ遠征隊に伴ってきた画家達や、19世紀の放浪画家達によって描かれたハワイの風景、ハワイの人々の肖像画などである。
ホノルル美術館が所蔵するハワイの鳥の羽製ケープ、木製ヘイアウ(寺院)模型、瓢箪、見事なハワイアンキルトなどは、ハワイで育まれた芸術の宝物である。当館のハワイコレクションは、1778年から始まり現在までいたる。そして、160年以上にわたり、ハワイそして、そこに住む人々に及ぼしてきた一連の劇的な変遷を明らかにしている。
クリックすると拡大
nice!(80)  コメント(30) 

ゾロ目5桁を越える画面表示は実現できませんでした。 2018年6月22日16時47分前後 11,1111,1111 [SNS]

画像の上のカーソルがの場合はクリックすると関係画面を表示します。

先日、累計アクセス数(Page View)の下5桁が '6' のゾロ目になったことを報告させてもらいましたが、今回は頭からのゾロ目の報告です。
管理ページのアクセス数の数値は上のグラフの青色ライン(━━)のように約3時間ごとにしか更新されことから下5桁がゾロ目になることは奇跡的と言えるほど稀なことなのです。9年間で5桁のゾメ目は7777766666の2度だけ見ることが出来ました。
実は今回、高い確率で6桁以上のゾロ目を見ることが出来るチャンスがあったのです。それは累積アクセス数が11,111,111を通過する瞬間でした。5桁のゾロ目ならばほぼ100%見ることが出来て、6桁であれは約20%以上の確率で見ることが出来るはずで、さらに奇跡が起きれば8桁のゾロ目(11,111,111)も見れるチャンスだったので、少し前から数値を記録し始めました。

11,111,111通過直前の数値は11,110616(14時33分~17時32分)で、残念ながら通過後は11,111,279(17時33分)でした。それでも5桁のゾロ目は実現できたわけです。それまでの3時間のアクセス数から考えると6桁のゾロ目のでる可能性は20%以上から直前で50%以上に上がったと思われましたが、この時に限って3時間で663のアクセスがあって、あえなく夢が消えました。この時、484~583のアクセスであれば6桁が実現できたのです。5~8桁のゾロ目が実現できた3時間のアクセス数(PV)は次の通りです。168ほどアクセスが少なければ11,111,111の数値を見ることが出来たのでした。
    3時間のPV 標示PV(Page View)
 5桁 384~1383 11,111,000~11,111,999 ←今回 663
 6桁 484~583 11,111,100~11,111,199   80オーバ
 7桁 494~503 11,111,110~11,111,119  160オーバー
 8桁 495    11,111,111         168オーバー
クリックすると管理ページ
クリックすると管理ページ

グラフの中の想定ラインから、11,111,111を通過したのは2018年6月22日16時47分前後と想定されます。その時の数値は以下の通りです。右の写真は昨年のビックイベント北海道積丹半島の赤ばふん生うに丼です。
 時刻      2018年6月22日16時47分前後
 累計アクセス数 表示:11,110,616 (想定:11,111,111)
クリックすると拡大 累計nice    293,664
 記事数     2,360
 niceを思った人 8,551人
 コメント数   63,607
 読者数     310人
 日記・雑感   5位
 アクセス順位  52位(So-net全体)


アクセス解析のページのデーターを1時間ごとのアクセス数のグラフにいたしました。14時台から16時台が多くなっていることが確認出来ました。グラフをクリックするとクリックした方のアクセス解析を表示します。2018年6月24日の時点で2016年8月1日までのデーターは表示できましたそれより過去のデーターは表示できませんでした。


2018年5月の31日間の平均と2018年6月22日の1時間ごとのアクセス数を比較してみました。11,111,111アクセスを通過した3時間(14時33分~17時33分)が平均に比べて多かったようです。


もう少し前からのグラフも紹介します。所々でアクセス数が多くなることがあるのです。それが偶々、ゾロ目のチャンスの時間帯になってしまったことが分かります。今回のゾロ目達成はブログをはじめて9年48日目クリックすると拡大(3335日目)でした。グラフをクリックすると約4日間の範囲のグラフを表示します。約4日間の中で表示アクセス数が上がる回数は33回でした。その内の32回が約3時間(誤差1分)で、1回が3時間29分(6月21日17時02分~20時31分)でした。

nice!(113)  コメント(26) 

新しく売られていた細麺を使って冷麺を作ってみました。 菊水 [拉麺]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
先日、菊水から販売されている極太麺とつけ麺ダレを使って作ったつけ麺を紹介しました。ちようど極太麺が売られ始めたころに、菊水の細切り麺も売られ始めたので、その細切り麺(細麺)も買ってみました。細麺と言えば冷し中華なので、冷やし中華を作ってみることにいたしました。いつもであれば自分で調合して冷や中華のタレを作っているのですが、偶々冷し中華のタレが2種類売られていたので買ってきましクリックすると拡大た。
2種類のタレは「冷し中華」と「冷し中華ごまだれ」でした。同じメーカーですが極太麺と細切り麺は普通の麺と売られている重さの構成は違っていましクリックすると拡大た。
 普通の麺 110gx4=440g
 極太麺  130gx2=260g
 細切り麺 110gx3=330g

3人前は2人で1人前づつ食べると1つ余ってしまい中途半端だったので、少し量が多いけれでも他の食事を少し控えることにして、1.5人前(165g)づつ食べることにいたしました。こちらのタレは「冷し中華ごまだれ」です。具は玉子と胡瓜と焼き豚とカニカマでした。いつもより量が多いので大きめの器を使うことになりました。こちらの器は砥部焼です。
クリックすると拡大

こちらのたれは「冷し中華」です。こちらの器は1997年に栃木県那須郡那珂川町小砂に行って買った国山窯の小砂焼です。国山窯の小砂焼も砥部焼と同じように丈夫なために、まだ割れたものは1つもありません。
クリックすると拡大

細麺を紹介したいので麺を拡大いたしました。冷麺として1.5人前(165g)の麺は食べる量としては少し多め程度でしたが、市販のタレではタレの量としては少し少なめになってしまいましたが、なんとか最後までタレは絡んでくれました。麺のタイプは三段熟成ちぢれ麺です。
クリックすると拡大

近くのスーパーで売られていた、タレやスープなしの菊水の生麺は3種類でしたがネットで調べると下記のように沢山の種類がありました。赤色が近所のスーパーで売られていた生麺です。極細麺が食べたくなりました。
 北海道発夏冷し札幌細切り生ラーメン    4人前 110gx4=440g
 冷しにも合う 北海道発札幌生ラーメン   4人前 110gx4=440g
 冷しにも合う 味わいづくり札幌生ラーメン 3人前 110gx3=330g
 夏冷し細切り札幌生ラーメン        3人前 110gx3=330g
 夏冷し生ラーメン             2人前 110gx2=220g
 夏の味わい冷しラーメン          3人前 110gx3=330g
 三段熟成極細麺              3人前 120gx3=360g
 三段熟成中太麺              3人前 120gx3=360g
 本場の味わい生ラーメン          3人前 110gx3=330g
 強ごし極太麺               2人前 130gx2=260g
 旭川生ラーメン              3人前 110gx3=330g
 味わいづくり生ラーメン          2人前 110gx2=220g
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
タグ:菊水 冷麺
nice!(102)  コメント(30) 

2018年の北海道からの父の日プレゼントの目玉は旬の桜マスでした。 [北海道]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
長男家族が北海道に転勤になってから父の日のプレゼントとして北海道の食材を送ってもらえるようになりました。今年はいくつかの食材が入っていましたが、何と言っても目玉の食材は旬の桜マス(桜鱒)でした。

これがプレゼントが入っていたケースです。以前に紹介したことのある「うおはん」で買って送ってもらえたのです。
クリックすると拡大

これが蓋を開けたところです。冷凍された食材がいくつか入っていました。
クリックすると拡大

並べてみると四種類の食材が入っていました。桜マスは3切れの包みが2つ入ったいたので計6切れが入っていました。
聞きなれない食材のメロはマゼランアイナメのことだそうです。
 桜マス   6切れ
 ホッケ   1匹
 ほたて   450g
 メロのカマ 1切れ
クリックすると拡大

さっそく届いた当日の夕食に桜マスを頂くことにいたしました。3切れごとに包まれていたので2切れを取り出して残りは冷凍庫に戻しました。この2切れは冷蔵室でゆっくりと解凍することにいたしました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大これが解凍出来た桜マスでした。まったく水が出ることもなく生の桜マスそのものでした。これには驚かされました。重さを計ってみると136gと132gでした。結構食べごたえのある大きさでした。サクラマスは馴染みが無いかもしれませんが、河川残留(陸封)したのが渓流の女王と呼ばれているヤマメ(山女魚)と言えば分かってもらえると思いますが、海で育つサクラマスは大きさも、肉の外見も鮭(サケ)です。鮭は秋に海から遡上してすぐに産卵しますが、サクラマスは4月~6月に海から遡上して9月から10月頃に産卵するため淡水生活が長いようです。大きさは30~70cmとばらつきがあるようです。今回のサクラマスは切り身の大きさから見て70cm級だと思われました。右の2枚の写真の上がサクラマスで、下がサクラマスの陸封魚であるヤマメ(山女魚)です。サケ属はタイヘイヨウサケ属と呼ばれることがあります。
クリックすると拡大  界 動物界       Animalia
  門 脊索動物門     Chordata
 亜門 脊椎動物亜門    Vertebrata
  綱 条鰭綱       Actinopterygii
  目 サケ目       Salmoniformes
クリックすると拡大  科 サケ科       Salmonidae
 亜科 サケ亜科      Salmoninae
  属 サケ属       Oncorhynchus
  種 サクラマス     O. masou
クリックすると拡大

シンプルに塩・胡椒の味付でソテーいたしました。身が厚いのでしっかり時間をかけて焼きました。
サクラマスが属しているサケ属はDNAにおいて次の7種です。12種と言われることもあるようです。括弧内( )の呼名は、単なる別名もあれば、陸封魚として別の形態で生きている魚の名前も含めています。
 サケ     (シロザケ)
 サクラマス  (ビワマス、サツキマス、ヤマメ、アマゴ)
 カラフトマス
 ベニザケ   (ヒメマス、クニマス)
 ニジマス   (サーモントラウト、トラウト)
 ギンザケ
 マスノスケ  (キングサーモン)
クリックすると拡大

ハワイで買ってきたマグロジャーキーでビールを飲みながら桜マスが焼きあがるのを待ちました。
現在のサケ属の7種は、昔の分類ではSalmo属に含まれていたので、大西洋にそそぐユーラシア大陸、北アメリカ大陸の河川で生まれて大西洋で成長する魚と同属でしたが、今はサケ属(タイヘイヨウサケ属 Oncorhynchus)とタイセイヨウサケ属(Salmo)に分かれています。
クリックすると拡大

焼きあがった桜マスのソテーです。
クリックすると拡大

そのままでも美味しかったけれども、マヨネーズとウスターソースでもいただきました。マヨネーズとウスターソースの組み合わせはよかったです。
クリックすると拡大

大豆スープも作ってもらえました。
クリックすると拡大

春菊のお浸しも出てきました。すりごまがたっぷりとかかっていました。
クリックすると拡大

デザートは近所でいただいた話題のアイスを頂きました。京都丹波産の黒豆が使われた黒豆ココアアイスです。
 製造 北尾商事株式会社
 住所 京都市下京区西七条南中野町47
クリックすると拡大

量が結構あるので半分に分けていただきました。今までの父の日のプレゼントとして北海道から送ってもらった食材を記載いたします。
 2014年 網走ビール
 2015年 厚岸産の牡蠣
 2016年 時鮭   ぼたんえび
 2017年 ししゃも ホッケ
 2018年 桜マス  ホタテ  ホッケ  メロカマ
クリックすると拡大
nice!(101)  コメント(34) 

ホノルル美術館 絵画編 [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ハワイ旅行の到着日(1日目)の最初に来たのが前記事でも紹介したホノルル美術館(Honolulu Museum of Art)でした。ここに来るまではハワイの芸術品が多く集められた美術館だと思っていましたが、クリックすると拡大右の写真のゴッホの作品のような世界中の著名な作家による作品が集められた美術館でした。ホノルル美術館は96年前の1922年設立され、1927年開館した歴史ある美術館でもありました。つまりホノルル美術館は芸術品を鑑賞するだけでなく美術館自体を史跡として見ることも出来ました。アメリカ国立及びハワイ州立史跡としても登録されているほどです。

3Dの航空写真でも分かるように広い敷地の中に最大2階建ての瓦屋根の建物で構成されていました。沢山の中庭(Courtyard)があるのもホノルル美術館の特徴でした。2Dの航空写真→ポチッ
クリックすると拡大

こちらが中央の中庭です。北側から美術館の入口側(南側)を撮った写真です。緑もきれいで建物も美しかったです。名前はCentral Courtyardです。そのほかにKinau Courtyard、Mediterranean Courtyard、Chinese Courtyard、PaIm Courtyardがありました。
クリックすると拡大

こちらはChinese Courtyardと呼ばれる中庭だと思われます。
クリックすると拡大

こちらは入口でもらったパンフレットに載っていた美術館の配置図です。緑色の部分が中庭です。冒頭でも説明させていただいたように世界の芸術品が集められた美術館で、いろんなエリアに分かれていました。全体では5万点を越えるコレクションがあるそうです。展示は一部だけのようですが日本の浮世絵だけでも1万点のコレクションがあるそうです。本記事では西洋美術のエリアを紹介したいと思います。パンフレットに載っていた配置図は斜め上空から見た形になっていましたが加工して真上から見た図にいたしました。
 西洋美術
  ヨーロッパ美術 アメリカ美術 その他地域 近代美術
クリックすると拡大 ハワイ美術
 アジア美術
  日本美術 韓国美術 中国美術 その他地域
 アフリカ、太平洋諸島、アメリカの伝統的な美術
クリックすると拡大

この部屋はヨーロッパ美術のエリアです。我々のよく知っている作家の作品が沢山ありました。
クリックすると拡大

ゴーギャンと言えばタヒチだと思います。長く住んでいたタヒチへ移住する決心をした背景には、ヨーロッパ人の物質主義的な欲望や価値から自由になりたいという願いあったと言われています。
 作家 ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin) 1848年~1903年(満54歳没)
 作品 タヒチの浜辺の女たち
 制作 1891年~1894年
クリックすると拡大

全ての作品には英語の説明が付けられていましたが、日本人になじみのある作家の作品に関しては日本語の説明もありました。
クリックすると拡大クリックすると拡大

ピサロの作品もありました。ピサロは最晩年になるまで画家としての活動を精力的に続けて数多くの作品に取り組み、1890年代から1900年代初頭にかけては都市景観図をいくつも制作したそうです。
 作家 カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro) 1830年~1903年(73歳)
 作品 ボン・ヌフから見たルーヴル宮、霜の降りた冬の朝の陽射し
 制作 1901年
クリックすると拡大

こちらもピサロの作品です。ピサロは1874年から1886年までパリで開催された印象派展8回全てに出品した唯一の画家だそうです。この作品ではセーヌ河沿いの都市の生活を表現しているそうです。厚く塗った絵具が生み出す光と影などで活気ある港町を描写しています。
 作家 カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro) 1830年~1903年(73歳)
 作品 ルーアン、サン=セヴィール、朝
 制作 1898年
クリックすると拡大

こちらはクロード・モネの作品です。モネはパリの西約65kmの小さな村ジヴェルニーに小さな家を借りのちに購入しました。水に魅せられたモネは、1893年に野生の睡蓮に覆われた池のある庭の向こう側の土地も購入して、その後30年以上にわたってモネの芸術の主題として描き続けたそうです。
 作家 クロード・モネ(Claude Monet) 1840年~1926年(86歳)
 作品 睡蓮(すいれん)
 制作 1917年~1919年ごろ
クリックすると拡大

絵のタッチを伝えたくて拡大いたしました。クリックすると同じ縮尺で全体を表示します。
クリックすると拡大

中庭が見える窓もきれいでした。
クリックすると拡大

窓越しから見た中庭(Courtyard)もきれいでした。この辺りは1階で構成されていました。ここはMediterranean Courtyardと呼ばれる中庭です。
クリックすると拡大

別の角度から見た部屋の景色です。
クリックすると拡大

ゴッホの作品です。この作品は収穫のシリーズに属し1888年6月の後半に制作された10点の中の一つだそうです。
 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 麦畑
 制作 1888年
クリックすると拡大

ゼザンヌの作品もありました。
 作家 ポール・セザンヌ(Paul Cézanne) 1839年~1906年(満67歳没)
 作品 雑木林、c
 制作 1890年
クリックすると拡大

中央の中庭を東方向から撮った写真です。やはり見事な景観でした。最初に紹介した中庭(Central Courtyard)の写真は女性の左の彫像の場所から撮りました。女性像はアリスティド・マイヨール(Aristide Bonaventure Jean Maillol)の作品「ペネロペ(Penelope)」です。ペネロペ像が置かれている台の上を歩けるようになっています。
クリックすると拡大

こちらの部屋には彫像がたくさん並べられていました。
クリックすると拡大

不思議な造形の彫像でした。こちらの部屋では、この彫像だけガラスケースに入れられていたので貴重なものに感じられました。説明書からキクラデス文明(Cycladic civilization)の紀元前2500年~2400年の女性像だそうです。つまり4500年前から4400年前の古いものであることが分かりました。キクラデス文明は新石器時代から青銅器時代初期にエーゲ海のキクラデス諸島に栄えた文明で、エーゲ文明に含められるそうです。栄えたのは紀元前3000年頃から2000年頃で、クレタ島のミノア文明よりも古くなります。本写真をクリックすると彫像の部分を特別に大きく拡大いたします。
クリックすると拡大

こちらの部屋では日系の人の大きな絵が正面に飾られいてました。
クリックすると拡大

本作品は絵の構図や題名から、2001年9月11日の同時多発テロや2004年のインド洋の大津波など、この時代の多くの悲劇を題材にしているようです。絵の中の2つのバベルの塔は、倒壊したワールドトレードセンター・ツインタワーを暗示させていると感じられます。
この大きな作品は日系人作家が描いたものです。寺岡政美は広島県尾道市で1936年に生まれた日系アメリカ人の画家で、米国ハワイ州ホノルル郡ワイマナロに在住しているクリックすると拡大そうです。
ワイマナロは相撲の元横綱の曙の出身地でもあります。
 作家 寺岡政美(Masami Teroka)
 作品 The Cloisters / Tsunami
 制作 2002年~2005年
クリックすると拡大

本作家は日系人であることから興味がある方もおられると思うので枠内に説明内容を紹介します。説明板の写真をクリックすると拡大するのでそちらでも読むことが出来ると思います。
クリックすると拡大Masami Teraoka (American, born Japan 1936)
The Cloisters / Tsunami, 2002-5
Oil on canvas in gold-leaf frame
Gift of Don and Pamela Lichty, 2007(13769.1)
Many of today's artists engage contemporary themes by referencing traditional art history. Since the 1990s, Honolulu-based artist Masami Teraoka has been producing large-scale figurative paintings that address controversial social and political issues. Borrowing his visual vocabulary from Italian and Northern Renaissance painting, Teraoka constructs parables that conflate the evils and misfortunes of the past with the ills of the present. The Cloisters / Tsunami, begun after the events of 9/11, alludes to the biblical account of the Tower of Babel, suggesting a profound lack of comprehension and empathy between and among people and cultures. The painting features twin Towers of Babel under siege, while in the foreground citizens of Babel-whose acts of hubris have brought about the siege-take fight. Teraoka's razor-sharp commentary is aimed at hypocrisy in organized religion, regardless of creed, when acts of violence against people are perpetrated as articles of faith.

沢山の部屋がありました。
クリックすると拡大

253年前となる1765年の古い作品です。
 作家 Jean-Baptiste Pillement 1728年~1808年(79歳没)
 作品 A Chinoiserie Procession of Figures Riding on Elephants with
    Temples Beyond,c.
 制作 1765年
クリックすると拡大

こちらはアメリカ美術エリアです。
クリックすると拡大

アメリカ人ですが、主にロンドンで活躍したそうです。印象派の時代のひとですが、浮世絵をはじめとする日本美術の影響が濃く、クリックすると拡大印象派とも伝統的アカデミズムとも一線を画した独自の絵画世界を展開したそうです。
 作家 James McNeill Whistler 1834年~1903年 (69歳)
 作品 Arrangement in Black No. 5 : Lady Meux
 制作 1881年
クリックすると拡大

クリックすると拡大フォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在のアンリ・マティスの作品もありました。
 作家 アンリ・マティス(Henri Matisse) 1869年~1954年
 作品 Annelies, White Tulips, and Anemones
 制作 1944年
クリックすると拡大

いろんな作風の部屋がありました。
クリックすると拡大

こちらも近代美術のエリアだと思います。
クリックすると拡大

ジョルジョ・デ・キリコはイタリアの画家であり彫刻家で、形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えたそうでクリックすると拡大す。
 作家 ジョルジョ・デ・キリコ
    Giorgio de Chirico 1888年~1978年
 作品 The Greal Machine
 制作 1925年
クリックすると拡大

沢山の絵画が展示されていました。ここはWorks on paperと呼ばれる作品が展示されているエリアです。
クリックすると拡大

本記事で紹介した作品は青枠エリアに展示されていました。赤枠部分の作品は後日紹介します。赤枠エリアの右側のRobert Allerton Art Libraryと書かれている部屋はア-ト専門図書館で、麻布美術館から寄贈された15,000冊もの書籍が収蔵されています。
 青枠 西洋美術エリア
 緑枠 Modernismエリア
 赤枠 Temporary exhlbitions
クリックすると拡大
nice!(98)  コメント(26) 

路線バス'The Bus'に乗ってホノルル美術館を目指しました。 [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
すでに3つ前の記事で紹介したように2018年5月19日の朝の9時20分に宿泊ホテルであるニューオータニ・カイマイビーチ・ホテル( )に着きました。チェックインが出来るのは13時なので荷物を預けた後に目指したのはホノルル美術館( )でした。もちろん美術館にも興味があったのですが、最大の目的はホノルル美術館のSpalding House Cafe(スパルディング・ハウス・カフェ)でランチを食べることでした。そのカフェでは自然豊かな庭園の中の好きなところでクリックすると拡大食べれるように2人分のフードとドリンクが入ったバスケットでランチが出されるのです。そこでホノルル美術館の近くまで行く路線バスに乗るために右の写真のサーフィンの像があるところまで歩き、19番の路線バスに乗りました。歩いた時の景色→ポチッ

Google地図でホノルル美術館に行ったルートを紹介したいと思います。本来であればホテルで教えてもらったようにワイキキ辺りで19番から2番のバスに乗り換えるとバス停から美術館は近かったのですが、我々が乗り換えるのは難しいと思ったようで、19番のルートの中でホノルル美術館に一番近いところに降ろしてくれたのでした。その代り少し歩くことになりました。帰りも最初に2番か13番に乗っていれば最短で帰れたのですが、間違えてココマリーナ(ハワイ・カイ)行に乗ったことから遠回りのルートになりました。
  ニューオータニ・カイマイビーチ・ホテル
  ホノルル美術館往復で利用したバス停 6ケ所
クリックすると拡大  ホノルル美術館
 ━━ 徒歩
 ━━ 行き バス路線 19番
 ━━ 帰り バス路線 1番
 ━━ 帰り バス路線 14番


乗った19番の路線バスの中の写真です。路線バスを利用するときに自分が行きたいところを運転手さんに聞くのがポイントです。沢山の人が聞かれており、それが普通でした。他の人も、そのために待たされても気にしていませんでした。我々も「ホノルル美術館に行きたい。」と伝えると「OK 乗り換える必要があります。」とのニアンスの答えが返ってきました。19番はワイキキとホノルル空港(ダニエル・K・イノウエ国際空港)を結んでいる路線バスで、乗ったところは終点に近いため、乗った時はバラガラでした。乗って数分で終点について5分ほど停まった後にホノルル空港に向かって出発いたしました。
バスが停車すると乗り降りが楽なように車体の前の部分全体が下がるのです。つまり停止と同時に「プシュー」と空気が抜ける音がするのです。さらに感心したのが、車椅子の人に対して人も車体構造も優しいのです。3日間で、気が付いただけで3回ほど車椅子が乗る場面に出会いました。乗るときも降りるときも車椅子が優先なのです。車が停車すると床の上にあった車椅子乗降用の板が180°+少し回転して車椅子が乗降できるようになるのです。車椅子が乗り込むと運転手さんが優先座席を折りたたんで車椅子をその場所に設置した後にベルトで縛るのです。降りるときは運転手さんがベルトを外すのです。その間、お客さんは当たり前の雰囲気で待っているのです。手伝う方もおられました。こちらの写真で右側と左側が車椅子が設置できるスペースです。つまり2つの車椅子が乗せられるのです。この部分以外の椅子は全て前向きの2人掛けです。
クリックすると拡大

これが車椅子乗降用の板です。これが黄色の矢印の方向に持ち上がりながら右に180°回転するのです。写真をクリックすると広い範囲を表示します。
クリックすると広範囲表示

買ったチケットは、こちらの1日フリーパスの一日券です。左右は表と裏です。我々だけでなく皆さんが一日券を買われていました。実は1回券が2.5ドルに対して一日券は5.5ドルなのです。3回以上乗れば元がとれるのです。つまり2人で11ドルでした。この日は我々も4回乗りました。3回はホノルル美術館の往復で使いました。もう1回は夕食に出かけたときです。夕食を食べるレストランの正確な場所は判らないので、行きはタクシー(29ドル)を使いましたが、帰りはバスを利用いたしました。


路線バスは全てワンマンです。車内に降車ボタンはありませんでした。降車ボタンの代りが窓のところに張られている水平ワイヤーです。窓枠の縦の柱のところにはこの水平のワイヤーにつながった縦のワイヤーが張られており降りたい停留所の前でワイヤーを引っ張るのです。ワイヤーを引くと、赤い色の電光掲示板に「STOP REQUESTED」と表示されます。補助的に降車ボタンが付いたバスを一度だけ見かけました。停まるバス停の名前も電光掲示板に表示されますが似た名前が続くので、有名な場所以外で、降りる場所を自分で判断するのは難しいのです。したがって運転手さんに聞くことをお勧めしているのです。スマホを海外でも活用している人は、スマホで位置情報を見ながら降りる場所を決めると確実だと思います。
クリックすると拡大

ワイキキの町の中で乗り換えるのだと思って、何度も運転手さんに「まだですか?」と聞きに行きました。始発バス停前から乗っているので運転手さんも気にかけてくれているようですが、なかなか乗り換え場所に来ないので不安になったころに、運転手さんから降りるように指示されて降りたバス停のが、こちらの写真の近くでした。乗り換えるものだと思っていたので、次のバスが来て運転手の人にクリックすると拡大聞けば分かると思って、少し待っていましたが、場所的にはかなり来ているので念のためにバス停で待っている人にホノルル美術館の場所を聞くと少し遠いけれども歩いて行くのが一番とのことでした。つまり運転手さんは、19番の路線でホノルル美術館に一番近いバス停に降ろしてくれたのでした。我々はどう見ても素人で乗り換えが難しいと判断してくれたようでした。このバス停の前にキャノン・ソリューションズ・アメリカがありました。
クリックすると拡大

持っている地図と周辺の建物から自分たちの位置が確認出来て安心いたしました。
クリックすると拡大

バス停からホノルル美術館に向かう道です。
クリックすると拡大

ホノルル美術館に到着いたしました。ここがホノルル美術館の入口です。確かに2番の路線バスのバス停が近くにありました。
クリックすると拡大

美術館の敷地の中には日本風の建物もありました。美術館に収蔵されている絵画などの美術品は広範囲にわたり品数も多いことから、あっという間に13時になってしまいました。目的のレストランの営業時間は14時まであることは判っていたので、ランチにするために外に出た時の写真です。
クリックすると拡大

ところがSpalding House Cafe(スパルディング・ハウス・カフェ)でのランチを断念しなければならないことが分かったのです。Spalding Houseまでが、とんでもなく遠いのです。右上のSpalding Houseもホノルル美術館の施設なのですが、我々が美術品を見た左下の本館から離れていたのです。道も入り組んでいて歩くと1時間はかかりそうでした。ハワイは流しのタクシーは無いし、路線バスも分からない状況だったのです。後で気が付いたことですがホノルル美術館の本館まで戻ってタクシーを呼んでもらうのがベストだったと思います。ということで自然の庭園の中でのバスケットのランチは断念いたしました。気を取り直して、この日の第二の本命の「ビーチで、水着で寝転んでのんびり過ごす」を実行するためにホテルに戻ることにいたしました。ホノルル美術館に関しては展示物が盛りだくさんなので後日報告させていただきます。
クリックすると拡大

もしSpalding House Cafeまで歩いたとした場合のルートをGoogle地図で紹介します。標高はGoogleマップでの標高表示機能の数値です。一方通行があるので車では別のルートになります。
  ホノルル美術館 本館  標高:6m
  Spalding House Cafe 標高:128m
 ━━ ホノルル美術館 → Spalding House Cafe 2.9km


次にハワイに行く時のためにスパルディング・ハウス・カフェ(Spalding House Cafe)の前を通るバスルートをネット内の路線図を参考にGoogle地図に書き込んでみました。バス路線番号は15番です。地図内のはUターン場所です。
The Busの時刻表15番路線を確認するとSpalding House Cafeの少し先のバス停②Tantalus Makiki Hts(#3842)を通るバスは下記の時刻表(②)のように1日に16本で、約1時間に1本でした。ホノルル美術館辺りは約7分前です。
注意すべきはホノルル美術館辺りを通る26本の内一部がバイパスルートを通るために16本しかCafe( )の近くを通らないことです。ただしバイパスルートに行った10本のバスはPacific Heightsには登らないでCafe側に下りてくるので15番のバスに乗れば必ずCafeに行けます。緑色の時刻がそのバスです。
つまり①→→③→④→③→→①と走るバス(16本)と①→③→→①と走るバス(10本)があるのです。①から④までの距離は10.7kmです。
 ①Alapai King(町の中)  Tantalus Makiki Hts
 ③Puowaina Hooku    ④Pacific Heights ( )
  05:40 06:41 06:56
  07:28 07:48 08:00
  08:52 09:56 11:00
  12:04 13:08 13:21
  14:12 14:26 15:02
  15:20 15:33 16:07
  16:26 16:45 17:29
  17:33 18:36 19:37
  20:38 21:41
クリックすると拡大

周辺を散策しながら、帰りのバスに乗るバス停を探し始めました。
この建物はHonolulu Museum of Art Schoolです。この建物は元小学校とは思えない見事な外観ですが、今は子供から大人といろんな年齢層の人が集まっているそうです。
クリックすると拡大

レンタル自転車も見つけました。
クリックすると拡大

この教会の近くでバス停を見つけました。1番と2番と13番の路線バスが走っていました。最初に来た1番に乗りました。実は2番か13番のバスが来るまで待って乗るべきだったのです。1番はワイキキのかなり東のハワイ・カイという町まで行くバスなのですが、ワイキキの中心部は通らないで北側を通過するルートがったのです。そこで目標として役に立った景色がダイヤモンドヘッドでした。ダイヤモンドヘッドを過ぎるあたりで、泊まっているホテルの近くのカピオラニ公園に行きたいと聞くとグッドタイミングで、次で降りてカピオラニ公園方面に行くバスのバス停に歩くように教えてもらいました。実は一つ手前のバス停だと降りたバス停で待ては乗り換えバスもそこに来たのでした。ベストタイミングではなかったけれども、これ以上先に行くと離れていくばかりでした。乗り換えるバスの番号である14番と22番と23番も教えてもらいました。
クリックすると拡大

ここで待って、最初に来た14番のバスに乗りました。ホノルル美術館から乗った1番のバスは高架の下の道路を左から来て、我々が待っている反対方向に曲がって行ったのです。曲がったところにバス停があったためにそこで降りてここまで歩いてきたのです。
道沿いに植えられている木はモンキーポッド(Monkey Pod)です。
クリックすると拡大

我々が泊まったホテルの前の道路は東方向に一方通行のため、東からくる14番のバスはホテルの前を通らないために一方通行になる寸前のバス停で降りて、ほんの少しだけ歩きました。その時にダイヤモンドヘッドがきれいに見えたので写真に撮りました。実は翌日の2018年5月20日の朝にダイヤモンドヘッドの一番高いところまで登りました。クリックすると特別に大きく拡大するのでダイヤモンドヘッドの頂上に人がいるのが分かるかもしれません。
クリックすると拡大

無事にホテルに着きました。すでにチェックアウトの手続きは終わっていてクリックすると拡大カギを渡されるだけでした。預けていた荷物はすぐに部屋まで運んでくれるとのことなので手ぶらで部屋に行きました。荷物が届いてすぐに水着に着替えてビーチに出たのでした。右の写真はビーチの上に引いたゴザに座って撮った写真です。2017年に、このカイマイビーチに、場所を間違えてクリックすると拡大ハワイアンモンクアザラシが出産して子育てをしたことがありハワイ中が大騒ぎになったことがあるそうです。ただしビーチでアザラシに遭遇しても法律で150ft(46m)以内に近寄ることは禁止されています。
クリックすると拡大
nice!(93)  コメント(22) 

フィフス・シックス 66666 [SNS]

画像の上のカーソルがの場合はクリックすると関係画面を表示します。
クリックすると管理ページ
2018年6月11日5時に管理ページの累計アクセス数(Page View)を見ると下5桁が '6' となっていたので珍しくてハードコピーをとりました。管理ページの数値は約3時間ごとにしか更新されないので非常に珍しいことなのです。現在、私の場合は3時間でアクセス数は200~550づつ増えているので下の5つの数値が一致するのは非常に珍しいと分ってもらえると思います。2012年1月31日7時半ごろに '7' が5桁並んで以来です。その時のアクセス数は、まだ現在の5分の1の2,277,777でした。→ポチックリックすると広い範囲を表示
 累計アクセス数 11,066,666
    次の表示 11,066,973(+307)
 累計nice    293,180
 記事数     2,355
 niceを思った人 8,549人
 コメント数   63,438
 読者数     310人
 日記・雑感   4位
 アクセス順位  53位(So-net全体)
 前日アクセス数 4,594
 前日訪問者数  1,579人
 前月アクセス数 106,623  2018年5月
 前月訪問者数  27,382人 2018年5月
 初記事掲載   2009年05月05日 記事
 初nice     2009年05月21日 australiaさん
 初コメント   2009年05月09日 イノシシオさん 

管理ページで表示される累積アクセス数は約3時間ごとしか変化しないために、その数値をグラフ化すると階段状になります。本グラフは今回ではなく累積アクセス数が1000万に到達したときのもので参考に掲載いたしました。
本グラフからも同じ数値が6つ並ぶのは非常にまれなことが分かってもらえると思います。そのためにフィフス・シックス(Fifth Six)というタイトルで記事を書かせていただきました。

nice!(98)  コメント(30) 

新しく売られていた 極太麺 & つけ麺のタレ 菊水 [拉麺]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大右の写真は菊水が普通に販売している普通の太さの生めんです。最近、上の写真の極太麺を店頭で見かけるようになりました。同時に細い麺も見かけるようになりました。太麺が向いているのは、つけ麺なのでさっそくつけ麺のタレを買ってきてつけ麺を家でつくってみることにいたしました。幸いにも菊水製の濃厚豚骨醤油(上)と濃厚魚介醤油(下)のつけ麺のタレが実家の近くのスーパーで売られていたので家内が帰省した時に買ってきて来れたのでした。菊水製のつけ麺のタレが置かれているのは珍しいのです。右上の普通の麺が110gx4=440gに対して、今回の極太麺は130gx2=260gで1人前が130gと、すこし多い目に設定されていました。麺の名前は「強ごし極太麺」でした。

左側が濃厚魚介醤油のタレで、右側が濃厚豚骨醤油のタレでする。見た目は同じように見えますがお湯で薄めると違いがはっきりと分かりました。
クリックすると拡大

こちらはお湯で割った濃厚魚介醤油のタレです。
つけ麺のタレが売られていたスーパーは下記で紹介の阪急・逆瀬川駅の近くのKOHYO(光洋/こうよう)です。(株)光洋は1973年1月18日創業のスーパーで、2007年12月14日にイオンの子会社となり現在に至っています。
 店名 KOHYO 逆瀬川店
 住所 兵庫県宝塚市逆瀬川1-2-1 アピア1 B1F
 電話 0797-71-5400
 営業 9:00〜21:00
クリックすると拡大

そしてこちらが濃厚豚骨醤油のタレです。違いが分かった貰えると思います。
クリックすると拡大

半熟卵とメンマと焼き豚を麺にのせて、ネギをタレに入れました。これでつけ麺の完成です。この太麺は新製品ではないようなのですが、近所のスーパーで、この太麺と細麺が最近に売られるようになったのでした。
クリックすると拡大

麺を拡大いたしました。菊水の麺は気に入っていて、その菊水から太麺が出たので前々から食べてみたかったのです。タイミングよく、つけ麺のタレが手に入ったのでした。今回の極太麺は北海道産小麦100%の生麺で、超強力小麦'ゆめちから'を50%以上の割合でブレンドしているそうです。クリックすると拡大'ゆめちから'は、製パンに使う一般的な強力粉よりグルテンが多い超強力粉で、中力粉にブレンドすることで弾力や硬さの食感が優れたものになるそうです。右のパッケージの写真に書かれているように自分の手で強く揉むと、ちぢれ麺になるそうです。今回はそのまま使いました。次は縮れ麺に挑戦してみます。
この'ゆめちから'は、国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(略して農研機構)の北海道農業研究センターが開発した超強力小麦だそうです。
クリックすると拡大

結構、美味しかったです。セットになったつけ麺はよく売られていますが、どれもタレが少ないと感じていました。この別売りのタレはたっぷりあるので最後まで食べ始めと同じように楽しめました。量が少ないとつけ麺のたれが冷めやすいのですが、それも抑えられるのです。いつも途中でタレだけを電子レンジで温めることになるのですが、今回は必要ないレベルでした。
クリックすると拡大
nice!(86)  コメント(22) 

ハワイ旅行の帰国便を紹介します。JL789 [機内 CY]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ハワイから帰国日2018年5月26日の朝のホテルからの景色です。ハワイ旅行の記事はまだ2~3掲載したばかりでこれから沢山のハワイの記事を順番に掲載していく予定ですが、タイトルにあるように帰国便のことを先に紹介したいと思います。2016年5月にフランス旅行に行った時は最終的に99の記事になり、その最後の99記事目が掲載出来たのは帰国してから1年4ケ月と18日目(2017年10月3日)だったのです。日々の記事も掲載するので今回も最後の記事が掲載出来るのは、かなり先になり、飛行機の機内の設備やサーピースも変わってしまう可能性があるため、この記事だけは順番ではなく先に掲載いたいと思います。またお土産の記事も早めに掲載したいと思います。

ホテルのレストランの朝食は6泊の内、3回ほど食べましたが、帰国の日の朝食は上の写真の景色が見える部屋で前日にクリックすると拡大テイクアウトして来たピザを頂きました。我々が泊まったニューオータニの朝食は人気なようで、別のホテルに泊まっている人も食べに来るために開店前から行列が出来て朝食の時間帯は満席になるレストランですが、ハワイは物価が高いところでホテルで朝食を食べると2人で7000円以上になるのため節約の意味でもテイクアウトしてみたのでクリックすると拡大す。
実は前日の夜はホテルの部屋のバルコニーから右の写真の花火を見ながら食事をするために、ピザとボテトフライとサラダとビールを初めて夕食のためにテイクアウトして来たのでした。同時に翌日朝食用のサンドイッチも買いました。サンドイッチが美味しそうだったのと、ピザの方が翌日の鮮度が良さそうなのでサンドイッチを夜に食べて、2枚買ったピザの1枚の半分を朝食用にいたしました。
飲んでいるのは部屋に備えられているコーヒーメーカーで入れたコーヒーです。コナコーヒーが10%入っています。100%コナコーヒーは普通のコーヒーの4~5倍なのです。スーパーでも0%と10%と100%が売られていました。
クリックすると拡大

帰国のフライトは14時50分発でしたが、空港で買い物をしたり、ラウンジでゆっくりするために10時15分にホテルをチェックアウトいたしました。いつも朝にはタクシーが駐車場に待っていたのですが、この時はいなかったので呼んでもらうと15分後にタクシーが来て10時30分にホテルを出発できました。路線バスを使うと2人で5ドルで空港に行けてしまうのですが、時間が読めないのと、大きなスーツケースがバスに乗せられるかどうか分からないのでタクシーを使いました。ただし、町の中心に出るために空港行のバス(19番と20番)には何度も乗りましたが、小さめのスーツケースの人は利用されていました。
クリックすると拡大

道は混んでいなかったので30分もかからないで空港に着いてJALのカウンターでチェックインをして下の搭乗券を発券してもらいました。すでに前々記事で紹介させていただいたように特別な事情があってハワイに来る時はビジネスクラス(Cクラス)の座席で、帰りはエコノミークラス(Yクラス)なのです。ハワイに来る時のフライトの記事はこちらです。→ポチッ
実は中長距離便でエコノミークラスに乗ったのは16年前の2002年のイタリアへの家族旅行だけで、後は2016年のフランス旅行以外は、仕事であることから会社のおかげでCクラスかFクラスしか経験がなかったのです。
クリックすると拡大

下記がダニエル・K・イノウエ国際空港(ホノルル空港)と成田国際空港を直線で結んだラインです。
  ホノルル 5月26日14時50分発   日本時間:5月27日09時50分発
  成田   5月27日18時30分着予定 飛行時間:8時間40分予定


今回の飛行機と座席45Hと45Kの位置です。足が延ばせるので非常口席にいたしました。
機体名は777-200ERで、飛行機の写真座席配置図はJALのホームページから転用させていただきましクリックすると拡大た。
 機体名    777-200ER
 長さ     63.7 m
 幅      60.9 m
 高さ     19.7 m
 巡航速度   905 km/h
 航続距離   14,040 km
 最大離陸重量 294.8 t
 座席数    236 = 42(C) + 40(P) + 154(Y)
クリックすると拡大

アメリカに行かれた方はご存じのようにアメリカから出る場合は出国検査はありません。航空会社のカウンターで発券してもらった時点で出国手続きは終わっているのです。したがってパスパートにアメリカ入国のスタンプは押されていますが、出国のスタンプは無いのです。ただし、安全検査の前に本人確認のためのパスポート表示はあります。日本の空港の安全検査ではパソコンを荷物から出す必要がありますが、ホノルル空港の安全検査ではパソコンを荷物から出すことは不要でした。知らないで、わざわざ荷物からパソコンを出すと荷物の中に入れるように指示されました。
お土産などの買い物をした後に写真のラウンジに入ったのは12時少し前でした。この時点で搭乗時間まで2時間20分ありました。
クリックすると拡大

ホノルル空港のラウンジを紹介したいと思います。アルコール類の中にバーボンがあるのがアメリカらしかったです。
クリックすると拡大

ホノルル空港にもカレーがありました。カレーと唐揚げで白ワインを頂くことにいたしました。成田空港のカレーは別格なので、それほどの味は期待していませんでしたが、昔懐かしいカレーライスの味わいを楽しむことが出来ました。成田空港と同様にカレーライスは大人気でした。
クリックすると拡大

驚いたことにチキンラーメンが置かれていました。名札にはチキン風味即席麺と書かれていました。チキンラーメンと同じで器に入れた麺にお湯をかけて3分待つだけです。チキンラーメンの左に置かれているのは乾燥ネギです。クリックするとチキンラーメンの部分を特別に拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

チキン風味即席麺の味が気になったので食べてみました。少し味と麺の食感が違いますが、まさにチキンラーメンでした。トン汁も食べてみました。この時は赤ワインにいたしました。
クリックすると拡大

鶏のから揚げがありば、やっぱりビールが飲みたくなりました。
クリックすると拡大

ビールを飲むと日本だとアラレが欲しくなります。ここではこのスナックです。こちらのスナックはビールにピッタリでした。何回もおかわりしてしまいました。
クリックすると拡大

飲みすぎではいけないので後半は日本茶にいたしました。成田行きの帰国便も行きと同様に5便ありました。JL6405(15:20)はハワイアン航空(HAL)の機体でのコードシェア便でした。赤色文字が我々が乗ったフライトです。つまり成田出発便は一番早いフライトを選び、帰国便はJAL機で最も晩いフライトを選択したのでした。この2つの選択は大正解でした。
 成田帰国便(ホノルルから)
  JL785(11:15) JL781(13:10) JL783(14:00) JL789(14:50)
  JL6405(15:20 HAL機)
 成田出発便(ホノルルへ)
  JL786(20:00) JL780(20:40) JL784(21:15) JL782(22:00)
  JL6406(21:00 HAL機) 
クリックすると拡大

こちらがエコノミークラスの座席です。思っていた以上にゆったりとしていました。食事の時は一番起こした状態で、後ろの人も食事が終われば少し倒すことが出来ました。帰りは夕方に着くので最初から寝るつもりはなかったので行のビジネス席のように水平にならなくても負担はありませんでした。たっぷりと映画を見て過ごしました。タイトルは行と帰りで見た映画です。
スター・ウォーズ/最後のジェダイ パシフィック・リム ブラックパンサー 祈りの幕が下りる時 オール・ユー・ニード・イズ・キル
クリックすると拡大

もともと帰りのフライトではホテルのスリッパを使うつもりでした。ところがホテルにはスリッパがなかったので行のフライトのスリッパをもらって来ればよかったと後悔していたのです。つまりエコノミーには近距離便のようにスリッパが付いていないと思っていたのですが、スリッパが付いていました。これには助かりました。薄手のスリッパでしたが履き心地がよかったです。スリッパ以外に枕とひざ掛けが置かれていました。
クリックすると拡大

出発前の窓からの景色です。ハワイアン航空の飛行機が並んでいました。ハワイアン航空は、日本航空が設立された1951年より22年前になる1929年に設立されたハワイを拠点とした歴史のある航空会社で現在60機を運行させています。1967年以降の51年間に登録された飛行機は164機です。
クリックすると拡大右の写真は会社設立当初の1929年に保有していた3機の中の1機であるべランカ社製の単葉機です。もう2機は8人乗りシコルスキー(Sikorsky)社製のS-38飛行艇でした。右の小さな写真をクリックするとシコルスキーと思われる写真も表示します。
クリックすると拡大

離陸直後の窓からの景色です。
クリックすると拡大

ハワイを離れたと感じる景色になりました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大近距離便のエコノミーしか知らないので、食事前に飲み物が飲めるとは思ってもいませんでした。それもスパーリングワインがあったので、そのスパーリングワインを頼みました。ボトルにはスパーリングワインを意味するフランス語のVIN MOUSSEUXが書かれていました。日本語訳は発泡性ブドウ酒です。左のひじ掛けの上に置いてあるお手拭きも近距離便と違い、しっかりとしたタオル地のものでした。
クリックすると拡大

さっそくスパーリングワインを頂きました。結構美味しかったです。
名前はVEUVE CHANTALで、PRODUIT EN FRANCEと書かれているのでフランス製のスパーリングワインでした。調べてみると生産者はBorie Manoux(ボリー・マヌー)でした。フランス製のスパーリングワインならばシャンパですが、シャンパーニュ地方のスパーリングワインだけが、シャンパン(シャンパーニュ) と呼ぶことが出来るのです。ただし我々の味覚感覚では、まさにシャンパンでした。そして、つまみの'あられ'も出してもらいました。これも近距離便のエコノミーでは無いサービスでした。
クリックすると拡大

しばらくすると料理が出されました。料理ではビールを頂きました。味噌汁もついていました。
クリックすると拡大

メインは牛丼でした。私はゆっくりと料理を肴にビールを飲みたいので、冷えてしまわないように飛行機の中では温かいものから食べるのです。つまり最初に牛丼を頂きました。牛丼は美味しかったです。費用を抑えて美味しいものを出す努力が最近は感じられます。
クリックすると拡大

家内はラザニアを頼みました。特に聞きませんでしたが、これも美味しかったのではないかと思います。
クリックすると拡大

前菜類はこちらです。メニューの写真を撮り忘れたので正確な名前は判りませんが、左がサーモンとハワイアンポテトサラダだと思います。右はチキン料理です。6月のメニューではチキンエスカベッシュと書かれているので、もしかしたら同じかもしれません。
クリックすると拡大

デザートはすばらしかったです。ハワイのお土産で有名なビッグアイランド・キャンディーズ(Big Island Candies)のクッキーでした。
クリックすると拡大

それも2つも入っていました。我々もお土産に買いましたが結構高いので、これがエコノミーに出てくるのには驚かされました。
クリックすると拡大

さらにTropilicious Ice Cream + Sorbet(トロピリシャス・アイスクリーム+ソルベ)が出てきました。これもハワイで有名なアイスクリームのようです。
クリックすると拡大

これがそのアイスクリームです。美味しくいただきました。
クリックすると拡大

きれいな景色が続きました。
クリックすると拡大

着陸前にも軽い食事が出されました。ハムとチーズのサンドイッチでした。飲み物はいろいろ選べるのですが、私はトマトジュースを選びました。ブルーベリーヨーグルトもついていました。
クリックすると拡大

上の写真では上に乗せるパンは横に置いていますが、挟んだ状態のサンドイッチの写真を撮りました。
クリックすると拡大

こちらがブルーベリーヨーグルトです。これも美味しくいただきました。
クリックすると拡大

無事に成田空港について入国審査を受けました。3つのスタンプが今回のハワイ旅行のスタンプです。上で説明の通りアメリカ出国のスタンプはありません。クリックするとページ全体を表示するので2017年11月の時のスタンプも見ることが出来ます。アメリカの入国スタンプの下のAUG 16 2018はビザなし滞在期間90日の期限だと思われます。
 19 MAY 2018 日本出国   NARITA(2)
 MAY 19 2018 アメリカ入国 HHW
 27 MAY 2018 日本帰国   NARITA(2)
クリックすると拡大

ADMITTEDの下のHHWに相当するアメリカで使われている記号をネットで見つけられる範囲で調べてみると下のように基本的には都市名からつけられているようでした。ただしHHWはホノルル空港だけでなくコナ空港でも使われているようなのでハワイ全体で使われている記号かもしれません。私が入国審査を経験した場所はCHI(10)、NAS(2)、DAL(2)、NYC(3)、LAG(1)、HHW(1)の6ケ所だけです。カナダやバハマの都市が入っているのは、その空港でアメリカの入国審査を受けるシステムだからです。
記号 都市 地域 州 国 記号 都市 地域 州 国
ABG Alburgh Vermont LYN Lynden Washington
ABS Alburgh Springs Vermont MIA Miami Florida
AGA Guam MON Montreal Canada
ALT Atlanta Georgia MOR Morses Line Vermont
AXB Alexandria Bay New York NAS Nassau Bahamas
BAU Baudette Minnesota NEW Newark New Jersey
BLA Blaine Washington NYC New York New York
BOS Boston Massachusetts PGR Progreso Texas
BUF Buffalo New York PHI Philadelphia Pennsylvania
CHI Chicago, Illinois POO Portland Oregon
CHM Champlain New York PTR Point Roberts Washington
CIN Cincinnati Ohio ROS Roseau Minnesota
CLG Calgary Canada SAJ San Juan Puerto Rico
CLS Calais Maine SEA Seattle Washington
DAL Dallas Texas SFR San Francisco California
DER Derby Line Vermont SNN Shannon Ireland
DLB Del Bonita Montana SPM Minneapolis Minnesota
DMA Detroit Michigan SUM Sumas Washington
DNS Dunseith North Dakota TOR Toronto Canada
HAM Hamilton Bermuda VCB (Vanceboro Maine
HHW Honolulu Hawaii VIC Victoria Canada
INT International Falls Minnesota WAL Walhalla North Dakota
LAG Laredo Texas WAS Washington DC
LAX Los Angeles California WIN Winnipeg Canada
LVG Las Vegas Nevada
クリックすると拡大

今回のハワイ旅行は19回目のアメリカ入国がになります。初めての入国は左上スタンプの1992年3月27日のシカゴでした。その時は記号ではなく都市名と州名がフルネームのCHICAGO,ILLINOISで書かれていました。
最初に記号方式のスタンプに出会ったのは同時多発テロ(2001年9月11日)の直後の2001年11月13日でした。その時のスタンプが右上で、一部が消えていますがCHIと書かれています。国内線の乗り換えは時間がかかると聞いていたので時間をとったつもりでしたが安全検査が長蛇の列のために長時間待たされて乗り遅れるそうになったので前の方に並んでいる人に頼んでなんとか予定の飛行機に乗れました。
現在と同じスタイルのスタンプに出会ったのが右下の2005年12月9日でした。この時もシカゴでした。
アメリカ入国で1度だけメキシコから陸路で入った時のスタンプが左下の2003年1月3日でした。記号はLARです。テキサス州のラレド(Laredo)でした。235km離れたメキシコのモンテレイ(Monterrey)から車でアメリカに入りました。メキシコ側の国境の町の名前はヌエボ・ラレド(Nuevo Laredo)でした。
   1992年03月27日 シカゴ      2001年11月13日 シカゴ
クリックすると拡大クリックすると拡大
   2003年01月03日 ラレド      2005年12月09日 シカゴ
クリックすると拡大クリックすると拡大

飛行機は18時30分に到着予定でしたが、早めについたおかげで、空港第2ビル駅18時49分発の京成本線特急・京成上野行に乗ることが出ました。最寄り駅からはタクシーに乗って5月27日19時40分には家に着きました。 お土産はこの日のうちに渡してしまうものがあるので、すぐに並べて写真を撮りました。お土産に関しては後日紹介したいと思います。この写真をクリックすると文字が読めるように特別に拡大いたします。いつもならば2倍(面積4倍)ですが、この写真に関しては4倍(面積16倍)に拡大いたします。
クリックすると拡大
nice!(103)  コメント(42) 

ハワイに着いて最初にビーチに出てみました。 カイマナ ビーチ(Kaimana Beach) [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前記事で報告させていただいたように2018年5月19日の17時20分に自宅を出発して11時間後の5月19日の9時20分(ハワイ時間)に宿泊ホテルである上の写真のニューオータニ・カイマイビーチ・ホテル(New Otani Kaimana Beach Hotel)に到着いたしました。13時まではチェックインは出来ないことからスーツケースをホテルに預けて、先ずはホノルル美術館に行くことにいたしました。その最大の目的はホノルル美術館・スパルディングハウス・カフェでランチを食べることでした。ホテルの人にホノルル美術館への生き方を聞くと、「ホテルの前の道路を左に行くと歩いて3分の所にバス停があるので、そこから19番か20番のバスに乗りワイキキ辺りで2番のバスに乗り換えるホノルル美術館に入れる。」との説明を受けたので、先ずは歩いて3分のバス停を目指しました。歩いている時に海岸の方を見るときれいな景色であったことからビーチに出て写真を撮り、さらに途中にあった小さな水族館にも入ってみました。
  バス停
  ワイキキ水族館
  カイマナビーチ
  ニューオータニ・カイマイビーチ・ホテル
 ━━ ホテル→バス停 徒歩
 ━━ バス路線 19番
右の航空写真で赤色ライン(━━)がバス停まで歩いたルートです。バス停まで3分にしては長いと感じながら歩いたのですが、後で分かったことですが水族館の前にもバス停がありました。さらにホテルから右に行くと歩いて2分のところにもバス停がありました。それを知ってからは、乗るときも降りるときも歩いて2分のバス停を使うようになりました。紫色のライン(━━)は5月19日にホノルル美術館に行くために乗ったクイーンズビーチのバス停からキャノン・ソリューションズ・アメリカ前のバス停まで乗った19番のルートです。本記事ではホテルを出てからバス停に着くまでの景色や水族館の中の写真を紹介したいと思います。

道路から見たカイマナビーチの方の景色です。この景色を見てカイマナビーチに寄り道することにいたしました。本写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

カイマナビーチ(Kaimana Beach)に出てホテルの方をとった景色です。手前の四角の建物が泊まったニューオータニ・カイマイビーチ・ホテル(New Otani Kaimana Beach Hotel)です。
クリックすると拡大

海の方に目線を剥けた景色です。この時間は人は少なかったけれども15時ごろには沢山の人が来られていました。
クリックすると拡大

海辺の方に近づきました。カイマナビーチ(Kaimana Beach)は、北西から南東に連なっている8つ(又は9つ)のビーチの総称であるワイキキビーチ(Waikiki Beach)の最も南東側に位置するビーチです。
クリックすると拡大

さらに海に近づいた景色です。
クリックすると拡大

ハワイで最も有名な木は日立のCMに出てきたモンキーポッド(Monkey Pod)ですが、それとは違う種類の見事な木も沢山生えていました。これはバニアンツリー(Banyan Tree)のようです。こちらの木も沢山ありました。ハワイの木は、それだけで記事に出来るくらい見事です。そのうちに単独記事を試みてみます。
クリックすると拡大

さらに歩いて行くと小さな水族館があったので、中に入ってみることにいたしました。クリックすると拡大入口の写真は撮らなかったのでネットから右の入口の写真を転用させていただきました。下の写真は水族館の中の写真です。水族館だけでは寂しいのでこの広場ではいろんなイベントが行われているようでした。右の写真をクリックすると分ると思いますが、Waikiki Aquariumの右下に小さくUNIVERSITY OF HAWAIIと書かれているのでハワイ大学の付属設備なのかもしれません。
クリックすると拡大

カイマナビーチとワイキキ水族館の間に不思議な建造物がありました。調べてみると1927年に作られた戦争記念水泳場(War Memorial Natatorium)でした。カイマナビーチや戦争記念水泳場には結婚記念写真を撮りに来ている人が沢山おられました。第一次世界大戦の戦没者の慰霊のために作られた100mx40mの海水プールですが、記念写真以外では使われていないようで取り壊しも検討されているとのことでした。
こちらの写真はホテルの部屋から撮った写真です。
クリックすると拡大

水族館の中はこんな感じでした。小規模なので日本では水族館とは呼べないと思います。それでも意外と見学者は多かったです。
クリックすると拡大

イソギンチャクなども多く展示されていました。
クリックすると拡大

熱帯魚の世界でした。
クリックすると拡大

クラゲも展示されていました。
クリックすると拡大

魚だけでなく活きたサンゴやイソギンチャクも一緒に展示されていました。日本の水族館を知っている人にとっては、どの水槽が小さくてびっくりするかもしれません。ただしリーフシードラゴンが沢山群れている水槽など日本とはちょっと違う種類を見ることが出来ました。タツノオトシゴなどはハワイで養殖して日本への輸出品の一つになっているそうです。
クリックすると拡大

バス停を目指して歩き始めました。
クリックすると拡大

この像のところにバス停がありました。このような像が各所にありました。それぞれ有名な人のようでした。後ろの木はバニアンツリー(Banyan Tree)だと思います。
クリックすると拡大

これは我々が乗る路線バスではなく日本の旅行会社が運営しているハスです。これはJTBのバスでJALパックのバスもありました。ツアーの人は無料で乗れるのかもしれません。このバスの行き先はダイヤモンドヘッドと書かれていました。JCBのクレジットカードを見せると無料で乘れるバスもありました。JCBカードで払うと入場券が10%~50%安くなる施設もいくつかありました。
クリックすると拡大

これは別の場所のバス停の看板でバス停の場所名は書かれておらず、ここを通るバスの番号が書かれているだけなので初めてだと戸惑います。番号が書かれていない場合もありました。
クリックすると拡大

表示板を拡大いたしました。沢山のバスが通るバス停の表示板です。
クリックすると拡大

バス停で15分くらい待っていると19番の路線バスが来たので乗りました。ホノルル美術館に関しては次に紹介したいと思います。町の中は一方通行が多いので路線バスに乗るのも苦労しますが、町からホテルに戻るときは14番、19番、20番、22番に乗れば必ずホテルの前を通るので、その番号だけは覚えておくようにいたしました。この時に乗った路線バスの写真は撮っていなかったので、別のルートの路線バスの写真を紹介します。写真は路線番号55番でオアフ島の北にあるノースショアやタートル・ベイ辺りに行く路線バスです。運転席の前のフレームは自転車を乗せるもので、2台まで乗せることが出来ました。自転車を利用している人は多かったです。クリックすると特別に大きく拡大します。
この写真を撮った場所をGoogle地図で紹介します。→ SV 3D 2D Taxi
クリックすると拡大
nice!(110)  コメント(36) 

ハワイ旅行の出発便を紹介します。JL786 [機内 CY]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大2018年5月19日から5月27日までハワイに旅行に行っていました。上の写真は出発の右の最寄駅で撮ったスーツケースです。最寄り駅を17時38分の電車に乗り途中駅で右下の写真の特急に乗り換えました。赤のスーツケースは7年以上使っていますが、白のスーツケースは出発の6日前(2018年5月13日)に買いました。赤色スーツケースに比べると小さく見えますが、それでも容量は68リットルあり、全体寸法は70x47x30cmです。
今回の旅行のフライトスケジュールは次の通りです。
5月22日と23日のフライトHA368とHA307はJack's Hawaiiにネットで申し込んだハワイ島1泊2日ツアーに含まれていましクリックすると拡大た。
 5月19日 JL786 成田→ホノルル(オアフ島)
 5月22日 HA368 ホノルル→コナ(ハワイ島)
 5月23日 HA307 コナ→ホノルル
 5月26日 JL789 ホノルル→成田(翌日着)

電車に乗って40分後にはチェックして下記の搭乗券を発券してもらいました。今回は変則的で、行きの座席はビジネス(Cクラス)で、帰りはエコノミー(Yクラス)なのです。330日前(2017年6月30日)に予約した時は往復ともにエコノミーで予約いたしましたが、出発の2ケ月前ごろに、行のフライトに関してはビジネスに空席があることが分かったのでマイレージでビジネスにアップグレードしたのでした。そのために次のように変更いたしました。1回目の変更はビジネスが空いているフライトを選択したためで、2回目の変更はなるべく早い時間に着きたかったからです。
 出国フライト JL786 Cクラス 成田 20:00→08:20 ホノルル 
  最初の予約 JL780 20:40発 機種:777 Yクラス
  1回目変更 JL782 22:00発 機種:777 Cクラス
  2回目変更 JL786 20:00発 機種:767 Cクラス 最終決定
 帰国フライト JL789 Yクラス ホノルル 14:50→18:30 成田
クリックすると拡大

出国検査が終わっったらJALのラウンジに入る前にドルに換金いたしました。アメリカは未だにチップの国なので1ドル札を141枚にいたしました。もちろん買い物などの支払いはクレジットカードです。現金の主な使い道はチップとバスとタクシーでしたが、最終的にチップとして必要だったのは100枚程度だったために、帰国前日からクレジットカードは使わないで積極的に1ドル札で買い物をして、帰国日の空港での買い物ではドル札を全て出して残りをクレジットカードで行う支払い方式にいたしました。
  1ドル札 141枚
 10ドル札  10枚
 20ドル札  10枚  合計441ドル
クリックすると拡大

JALのラウンジに入って、さっそく食事をとりました。
クリックすると拡大

今回は白ワインにいたしました。
クリックすると拡大

飛行機に乗ると食事がすぐに出ることが分かっているので、カレーライスは小さな器にいたしました。ラウンジの中でカレーが一番人気があると思います。かなりレベルの高い味なのです。
クリックすると拡大

赤ワインも飲んでみました。白ワインも赤ワインも、どちらかと言えば辛口のものが置かれていました。
クリックすると拡大

小さなお椀に入ったうどんも置かれていたので、試しに食べてみました。これも結構美味しかったです。
クリックすると拡大

下記が成田空港とホノルル空港を直線で結んだラインです。海の上なのでほぼこのラインの上を飛んだと思います。驚いたことに成田→ホノルルの直行便はJL780(20:40)、Jl782(22:00)、JL784(21:15)、JL786(20:00)、JL6406(21:00)の5便が飛んでいました。ただしJL6406(21:00)はハワイアン航空の機体でのコードシェア便でした。
オアフ島のホノルル国際空港は2017年4月27日に正式名称が日系人に由来した名前に変りました。驚いたことにハワイ島のコナ国際空港も日系人の名前が入った名前になりました。エリソン・オニヅカは日系人初の宇宙飛行士で、ダニエル・K・イノウエは日系人初の連邦上院議員かつ著名な上院議員です。
 改名年月  成田国際空港 (改名なし)
 2017年3月 ホノルル国際空港 → ダニエル・K・イノウエ国際空港
 2017年1月 コナ国際空港   → エリソン・オニヅカ・コナ国際空港


成田⇔ホノルル間のビジネスクラスの座席は飛行機の機種によって現在は2種類があります。我々が乗った飛行機の機種はB767であることから下記の大きな写真が今回の座席です。いずれも完全フラットになるために足を延ばす位置が前の人の位置を避けるような配置になっているのでクリックすると拡大す。
B777の場合は右の小さな写真で紹介している座席となるようです。
 B767 JAL SKY SUITE 767(Ⅱ)
 B777 JAL SKY SUITE Ⅲ
クリックすると拡大

機体名は767-300ERで、767-300に燃料タンクの増設に加えて新型エンジンを搭載し、航続距離を7,340kmから11,306kmに上げた機種です。初飛行は1986年12月9日で、ハワイ線の機体の仕様は次の通りです。今回の飛行機の写真座席配置図はJALのホームページから転用させていただきました。
クリックすると拡大 機体名    767-300ER
 長さ     54.9 m
 幅      50.9 m
 高さ     16.0 m
 巡航速度   862 km/h
 航続距離   10,460 km
 最大離陸重量 181.9 t
 座席数    199 = 24(C) + 175(Y)
クリックすると拡大

クリックすると拡大B777用は個室的になっていますが、B767用はオープンな感じの座席でした。専用のサイドテーブルがそれぞれについていて横方向のスペースに余裕がありました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大座った目線の目の前の景色です。左右に壁がなく開放的であることが分かってもらえると思います。右の写真が一昨年に乗ったパリ線の座った目線の写真です。
その時の記事はこちらです。→ポチッ
クリックすると拡大

飛ぶ前にジュースかシャンペンのドリンクサービスがありました。水平飛行の時はガラスのグラスが出されますが、離陸前なので、この時だけは安全を考えてプラスチックのコップで出されました。
クリックすると拡大

水平飛行に入ると食事タイムになりますが、食事前に飲み物が出されます。私はシャンパンを選択いたしました。ここからはガラス製グラスになりました。銘柄はシャルル エドシック ブリュット レゼルヴ N.V. でした。説明では、フランス・シャンパーニュ地方の特に評価の高いシャンパーニュメゾンです。ノンヴィンテージ シャンパーニュは複数年の ワインをブレンドしますが、このメゾンは特に古いシャンパーニュを多めに混ぜることで、より複雑で風味豊かな味わい を表現しているそうです。特徴的なキメの細かい泡が特徴だそうです。辛口のシャンパーニュでした。
クリックすると拡大

つまみも一緒に出されました。
クリックすると拡大

食事は和食と洋食があるのですが、シャンパンが合うので洋食にいたしました。つけられていたパンは有名ブランドのメゾンカイザー(MAISON KAYSER)のものでした。
クリックすると拡大

左がチアシードドレッシングで食べる春野菜のサラダです。キヌアやアマランサスのスーパーフードのサラダと書かれていました。右は飯蛸のブッタネスカのようです。
クリックすると拡大

こちらの3品は「ホワイトアスパラのムースと生ハム」と「鰆のエスカベッシュ」と「ボルケッタシュークルート」です。
クリックすると拡大

スープはサルモレホ スペイン風トマトスープと書かれていました。
クリックすると拡大

食事中の飲み物もシャンパンにいたしました。4~5回入れていただいたと思います。
クリックすると拡大

メインはシュリービネガーソースのフィレステーキでした。
クリックすると拡大

最後に薦められて赤ワインもいただきました。
銘柄はシルバー・ラベル 2015(モナストレル)でした。スペイン南東に位置するワイン産地のもので、現地でモナストレル(フランスではムールヴェードル)と呼ばれ、 凝縮感のあるワインを造れる品種から生産されています。よく熟したブラックベリーの様な風味とフレッシュな 酸味によるジューシーな味わい、タンニンも豊富なフルボディのワインでした。
クリックすると拡大

こちらがメゾンカイザー(MAISON KAYSER)のパンです。
こちらのパン屋はパリにあるのですが日本では神楽坂に支店があるので家内が買ってきたことがあります。→ポチッ
クリックすると拡大

フランスのパンは不思議なことにパンだけで赤ワインが飲めてしまうのです。
クリックすると拡大

センターテーブルがいっぱいでも、大きなサイドテーブルがあるとワインを入れてもらうのにも便利でした。
クリックすると拡大

ステーキにはオムライスが添えられていました。
クリックすると拡大

デザートは紅茶でいただきました。
クリックすると拡大

デザートはベリーソースがかかったココナッツのブランマンジェでした。
クリックすると拡大

到着前の朝食としてクロワッサンが使われたチキンのサンドイッチが出てきました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大到着して空港の建物から出た時の写真です。この時8時50分で、入国審査前に通路で撮った右の写真は8時36分でした。飛行機が8時20分ごろに到着して建物の外に出れたのが8時50分だったことから入国審査などは比較的スムーズだったことが分かってもらえると思います。観光客を優先していることが伝わってきました。通路脇に燈籠が置かれていました。
クリックすると拡大

空港からホテルまではタクシーを使いました。タクシーの車種は前を走っているタクシーと同じでハワイでは人気の7人乗りのトヨタの車で、車内の幅が驚くほど広かったです。この瞬間は雲が多いのですが常に東北東からの強い貿易風が吹いているので、すぐに雲が無くなりました。逆に晴れていていても急に雨が降ることもあることがわかりました。ただし一瞬で長続きしませんでした。空港からホテルまでの距離27kmのメーターの料金表示は45ドルだったので、チップ(15%+荷物2ドル)を含めて54ドル支払いました。ここに来てから分かりましたが19番か20番の路線バスに乗れば乗り換えなしでホテルから歩いて2分のバス停まで来れることが分かりました。値段は1人が2.5ドルです。ただし大きなスーツケースをバスの乗せることが出来るかどうかは分かりません。
クリックすると拡大

ワイキキビーチからホテルまでのタクシーの中からの景色を3枚の写真で紹介します。この写真の場所から車だとホテルまで数分の距離ですが、歩いて15分くらいです。
クリックすると拡大

これがワイキキのビーチです。
クリックすると拡大

ビーチバレーも行われていました。
クリックすると拡大

ホテルには朝の9時20分に着きました。1回目に変更した22時発のJL782であればホテル到着は11時20分頃だったので2回目の変更で20時発のJL786に変更した2時間の差は大きかったです。
部屋に入れるのは13時以降とのことだったのでスーツケースのみ預けて、そのまま観光に出かけました。ホテルに15時頃に戻ってきて正式にチェックインをして部屋に入り水着に着替えて、ゴザとバスタオルをホテルで借りてビーチに出てみました。日没は19時ごろなのでたっぷりと時間がありました。部屋は5階の514号室でした。ハワイ島ツアーに行って戻ってからは512号室でした。
クリックすると拡大

ビーチに座った場所からの景色です。海で泳いだのも子供たちが小さい時以来でした。泳いだのは僅かで、後はのんびりとビーチを楽しみました。
クリックすると拡大
nice!(108)  コメント(28)