自爆テロ禁止? [北京]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
中国・北京の天安門の前の道路(西長安街/東長安街)の延長線上にある建国門内大街で珍しい道路標識を見つけたので写真を撮りました。場所は以前に紹介した明・清の時代の皇帝の天文台として使われた北京古観象台の近くです。
この標識は?
自爆テロ禁止?
答えは ↓
中国の「危険物積載車両通行止め」の道路標識です。
爆弾も危険物と言えますね。
早く自爆テロがない世界になって欲しいです。
こちらが日本の「危険物積載車両通行止め」の道路標識です。これでは漢字の国の人は別にして外国人には判らないと思います。
韓国にもありました。韓国の「危険物積載車両通行止め」の道路標識です。
韓国や中国の方が日本より国際的な道路標識と言えるのかもしれません。
冒頭の写真は逆光で不鮮明なので正式に公開されている中国の道路標識を紹介します。道路標識のことを中国語では交通标志牌あるいは道路交通标志牌と言います。→ポチッ
本標識は日本の規制標識に該当し、中国では禁止标志となります。本標識の中国語での正式名は「禁止运输危险物品车辆驶入」です。
日本の漢字で書くと「禁止輸送危険物品車輛駛入」となります。
道路標識の種類は下記です。相当する日本の道路標識を右に書いています。
看板タイプの道路標識 日本
警告标志 http://jtbiaozhi.911cha.com/list_1.html 警戒標識
禁令标志 http://jtbiaozhi.911cha.com/list_2.html 規制標識
指示标志 http://jtbiaozhi.911cha.com/list_3.html 指示標識
指路标志 http://jtbiaozhi.911cha.com/list_4.html 案内標識
其他标志 http://jtbiaozhi.911cha.com/list_5.html
道路上の表示(塗装)
指示标线 http://jtbiaozhi.911cha.com/list_6.html
禁止标线 http://jtbiaozhi.911cha.com/list_7.html
警告标线 http://jtbiaozhi.911cha.com/list_8.html
其他标线 http://jtbiaozhi.911cha.com/list_9.html
その他の国の「危険物積載車両通行止め」と思われる道路標識(Road signs)もネットで探してみました。1段目の左がアイスランド(北大西洋上)で、右がボツワナ共和国(アフリカ)です。2段目は2枚ともにポーランドです。3段目の左はイギリスで、右がギリシャです。4段目の左はウクライナで、右はイタリアです。文字のものは検索した範囲では日本だけでした。黄色の色が使われていると危険な雰囲気が出る気がします。
アイスランド ボツワナ共和国
ポーランド ポーランド
シンガポール ギリシャ
ウクライナ イタリア
下の画像はイギリスの道路標識です。
イギリスの道路標識の爆発している部分は右の中国の道路標識とそっくりです。どうやら、中国の「危険物積載車両通行止め」道路標識はイギリスの「Vehicles carrying explosives prohibited」道路標識をアレンジしたもののようです。
斜めの赤い斜線は無いのは欧米では多いです。
ヨーロッパの道路標識一覧表(27ケ国)はこちらです。→ポチッ
アイルランドのものは斜め線があるので一番似ています。左上から
Belgium France Germany Greece Hungary
Ireland Italy Luxembourg Poland Portugal
Romania Russia & Belarus Spain Sweden Turkey
Ukraine United Kingdom です。
危険物には次のような道路標識もあります。沢山の道路標識はWikipediaから転用させていただきました。国ごとに微妙に違うのに驚かされます。タンクローリの絵を使った危険物禁止の道路標識もあります。つまりヨーロッパでは27ケ国の中で危険物に対する道路標識が3種類ある国が13ケ国(48%)あり、2種類の国が8ケ国(30%)で、1種類だけは6ケ国(22%)です。左上から
Austria Belgium Czech Republic Denmark Estonia
Finland France Germany Greece Hungary
Iceland Italy Luxembourg Netherlands Norway
Poland Portugal Romania Russia & Belarus Slovakia
Spain Sweden Switzerland Turkey Ukraine
United Kingdom Austria Belgium Czech Republic France
Germany Greece Hungary Iceland Italy
Luxembourg Poland Portugal Romania Slovakia
Spain Switzerland Turkey Ukraine です。
冒頭の写真の道路標識があった場所を紹介します。
道路標識のあった場所(北京古観象台)
天安門
女子四楽坊? [北京]
昔、女子十二楽坊が流行ったことがあります。女子十二楽坊ならぬ女子四楽坊でした。
同じ4人の女性が服装を変えてもう一度!
小さい写真ですみません。4人が一緒に写った大きな写真を掲載すると後ろの文字で私の仕事が、わかってしまうかもしれないので小さい写真にさせてもらいました。雰囲気だけはわかってもらえるでしょうか。
一番上の写真の右側と同じ人です。服装で雰囲気が変わりますね。特に琴の演奏は! この写真はクリックすると拡大します。
胡弓も立って演奏するとモダンです。 休憩中の会話
ちなみに有名な「女子十二楽坊」の「十二」はメンバーの人数を指しているわけではなく、中国で縁起のいい数字を使用したものだそうです。プロデューサーの王暁京によると、中国の三大奇書の一つである『紅楼夢』に登場する12人の美女(金陵十二釵)と唐代の王宮にあった「教坊」から発案され、命名したと言われているそうです。
このとき私はテレビの取材を受けてNHKの夜のニュースに出ました。
そのこともあり印象的な北京訪問になりました。
でもテレビ画面に出た私の名前の一文字が間違えていました。
タグ:NHK
路地の中のレストラン その2 料理編 [北京]
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粛親王(1866~1922)の第14王女にあたり川島家の養女となった川島芳子(右の写真)の住まいをレストランにしたRed Capital(新紅資)の雰囲気は最高でした。でも、どんなにいい雰囲気でも料理の味しだいでお店の評価は決まりますね。雰囲気に負けない味の料理でした。
この料理は5番目に出てきた鶏肉の甘辛炒め これはビールには最高の料理でした。
この日もビールにしました。緑のグラスが雰囲気を盛り上げてくれます。地下に保管されたワインも評判のようです。
先ずは前菜です。キュウリですが龍の飾りつけになっていました。
これもナッツの前菜です。飾りは芋で作られています。
山くらげの料理です。日本だけではないですね。
ニガウリの料理です。
甘辛い海老チリです。
やっぱり海老料理はいいですね。拡大させてもらいました。
これは初めて食べました。竹の網に料理がはさまれています。白身の魚とネギを焼いたもので、すごく香ばしい料理でした。
かぶさっていた竹の網を取ると香ばしく焼かれたネギが出てきました。
羊の肉の料理です。
牛肉と栗の料理です。 よく見ると☆のマークは赤ピーマンでした。
牛肉や柔らかく煮込まれていました。
見ての通りオコゲの料理です。
オコゲのあんかけにも大きな海老が沢山使われていました。
最後に出てきた饅頭です。
お店の名前はすでに紹介の通りRed Capitalです。赤いマーク( )の場所に今回紹介のレストランがあります。別のマークは一度紹介した四川料理のお店で、店名をクリックするとその時の記事を表示します。。
店名 新紅資倶楽部 Red Capital Club
住所 東城区東四九条66号
電話 010-84018886
新紅資倶楽部 Red Capital Club
貢院蜀楼 川京辧
俏江南 SOUTH BEAUTY
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路地の中のレストラン その1 お店編 [北京]
路地(胡同:フートン) を歩いてくると古い車(紅旗)がありました。
実は、ここが今晩の目的の場所でした。この車は毛沢東の奥さん(Mrs.Mao)の物だったそうです。帰りに、この車に乗せてもらいました。ちゃんと前と後ろの間に透明な仕切りが開閉するようになっていました。
小さな写真は後部座席から運転席側を撮ったものです。
展示物である昔の三輪車も雰囲気を盛り上げています。
前からの写真も紹介いたします。ナンバープレートが付いていると言うことは、ちゃんと走れことが出来るのでしょうね。製造会社は1958年に設立されました。この車は1965年に発売されたリムジンCA770と思われ、歴代の国の指導者が乗ったそうです。防弾車はCA772(1969年)です。もっと新しい車で一度だけ120kmくらいの距離ですが胴長の紅旗に乗らせてもらったことがあります。
その目的の場所とは夕食をとるレストランです。これが入口です。
昔の民家のままです。民家といっても歴史に名前を残した川島芳子(右の写真)が住んでいた家です。門も含めてすべて昔のままだそうです。昔のお金持ちの家の構造が勉強になります。中庭を中心に四方向に家が建てられている四合院と呼ばれる家の作りです。
門をくぐるとこんな感じです。こじんまりとした雰囲気のあるレストランでした。
昔の解放軍の服を着た人も雰囲気を盛り上げてくれます。
これが食事をしたテープルです。椅子は当時のものだそうです。確かに写真で見ると古いです。
小さなテーブルもあります。そんなに沢山のテーブルはありません。予約は必要ですね。
バーもあります。
中庭に入口のある地下にはワインが保管されています。
メニューです。今回注文した料理はその2の料理編で紹介します。
天井です。
この日は我々以外はすべて欧米人でした。奥で一人で食事している女性は雑誌の記者のような感じでした。
中庭でも食事ができます。
料理は明日に「路地の中のレストラン その2 料理編」として紹介いたします。
お店を紹介いたします。赤いマーク( )の場所に今回紹介のレストランがあります。別のマークは一度紹介した四川料理のお店で、店名をクリックするとその時の記事を表示します。。
店名 新紅資倶楽部 Red Capital Club
住所 東城区東四九条66号
電話 010-84018886
新紅資倶楽部 Red Capital Club
貢院蜀楼 川京辧
俏江南 SOUTH BEAUTY
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北京の後海も変わりました。 [北京]
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後悔(こうかい)ではありません。湖の名前で後海(あとうみ)です。
中国語では「ほうはい(后海 houhai)」と呼んでいます。
後海は直線距離で故宮(紫禁城)の北北東2.6kmの位置にあります。
故宮( ) ←2.6km→ 後海( )
このあたりには湖が北から西海、後海、前海、北海、中海、南海の6つの湖があり、後海と前海の2つの湖の周辺に、いつのころからか洒落たレストランが沢山並ぶようになったのです。このあたりの呼び方がよくわからないので、我々の間では後海と呼んでいます。前海、後海、西海の3つの湖を総称して什刹海と呼ぶそうです。グルメガイドでは什刹海エリアと書かれていましたが後海と呼んでいるサイトもありました。きっと什刹海(じゅうさつかい)が呼びづらいのだと思います。ネットで検索しても「ひらがな」がほとんど出てきませんでした。什刹海は中国語ではShiChaHai / シーチャーハイと発音するようです。
ここは以前に訪れたことがある北京の湖の一つである後海の周辺です。
最初に来たときは外国人が目立っていましたが、今は中国の人たちが沢山こられていました。ここでは、ほとんどのお店でバンドをやっています。ほとんどが、中国語か英語の歌ですが我々が日本人だと判ると日本の曲を歌ってくれました。ただし中国語でした。
雰囲気を感じてもらうために、画像はよくありませんが、この時に撮った動画を紹介します。若者の街になってきていることが感じられました。最初の歌は男性が歌っていますが次の歌は女性が歌っています。その女性の歌は我々を意識して「時の流れに身をまかせ 」でした。是非ともプレーボタン( ► )をクリックしてみてください。
こんな雰囲気のお店でした。高級ウイスキーが並んでいます。クリックするとアップします。
5名の女性だけのグループもありました。ほとんどの人は屋外のソファーに座っていて屋内は少なかったです。このあたりも欧米風なのかもしれません。以前に来たときは、背が高い椅子のお店が沢山ありましたが、この時はソファーのお店がほとんどになった気がしました。確かに寛げますが雰囲気は変わりました。女性たちが写真を撮っている理由は、この中の1人がステージで歌を歌わしてもらったからです。仲間の写真を撮っているところです。
ビールを沢山飲んでいる人も見かけました。今、ビールの売れ行きが爆発的に伸びているというのもわかる気がします。
別のお店にも入って見ました。料金は飲み物代だけなので気楽に場所が変えられるのもここのいいところです。
夜景がきれいな場所です。レストランも沢山あるので食事も雰囲気があっていいかもしれません。
後海と前海の間の湖が細くなっているところに架かっている橋からの景色です。柳の木が沢山あります。
後海は若者だけが楽しむ街ではありませんでした。熟年の方々もダンスを楽しんでいました。画面がところどころ白いくぼけているところがあるのがわかりますか?
柳の綿毛にフラッシュの光が反射しているのです。
この時、北京は柳の綿毛だらけでした。
はしごです。別のお店に入りました。こちらでは女性が英語の歌を歌っていました。こちらのお店の雰囲気はよかったので別の日に探しましたが、お店の数が多すぎて探せませんでした。仲間で記念写真を撮りました。一番左が私です。
真っ赤なチャイナドレス [北京]
石造りの天文台 [北京]
早朝の散歩をしているときに北京の天安門の前を通っている大通り(建国路)沿いに城壁のような建物を見つけました。近代的なビルが並ぶ中に古い建物がポツンと残されている感じでした。
その壁には古観象台と書かれていました。
さっそくネット で調べると、ここは「北京古観象台」(Beijing Guguan Xiangtai)で、現存する世界で最も古い天文台(1442年)と書かれていました。ただし現存する最も古い天文台と言うのは解釈によっては正確ではないかもしれません。たとえば韓国・慶州の瞻星台と言う天文台は7世紀だそうです。
明、清の時代の皇帝の天文台として使われたもので、現在のように古代の天文観測器具などを展示した博物館となったのは1956年のことです。屋上には古代の天文観測機械の展示があります。
朝早くて中に入れませんでしたが、確かに屋上に天文観測機械らしきものを視ることが出来ます。クリックすると拡大します。
地図で場所を紹介いたします。緑色マークが北京古観象台です。
天安門が空色マークです。
より大きな地図で 北京古観象台 を表示
ネットで説明されている内容を枠内に転記いたします。建国門立体交差の東南方向に位置する。元の大都の時代、至元16年(1279)以来の歴史を有する世界最古の観象台である。元の大都の時代にはここが都城の城壁の東南隅であり、観象台上にはイスラム暦学による観測儀器が備えられた。明代になり、朱元璋が南京に遷都すると儀器は南京へと移されたが、その後、明の正統帝の時代に復興されて「観星台」の名で呼ばれ、清代へと引き継がれ「観象台」の名に改められた。清初の順治年間には、イエズス会宣教師のアダム・シャールが欽天監(国立天文台のような機関)の長官となり、観象台も暦法を治めるアダム・シャールによって指揮されることとなった。康熙年間に入ると、欽天監内部のイエズス会宣教師等による西洋新暦派と、イスラム暦法派勢力との間で暦法の主導権を奪い合う「暦法対立」が生じ、一時イスラム暦法派が勢力を得たものも、結局、西洋新暦派が勝利し、以降清末の19世紀初頭まで欽天監の長官には代々暦学に精通する西洋人宣教師が就任した。観象台も欽天監の長官の指揮の下におかれ、日々欽天監の官生らによって測天作業が行われ、朝廷に観測結果の報告がなされた。
現在、観象台の台上には、8種の青銅製の観測儀器が備えられているが、そのうちの赤道経緯儀、黄道経緯儀、地平経儀、象限儀、紀限儀、天体儀は康熙年間初頭の欽天監の長官であったベルギー人のイエズス会士フェルビーストによって作製され設置されたものである。1900年に義和団の乱を鎮圧するため8か国連合が北京に進軍すると台上の儀器も持ち去られたが、第一次大戦後のベルサイユ条約の定めに従って中華民国の時代に順に返還された。
FEE :F 10元
OPEN :9:00~16:00
ADD :東城区建国門東裱褙胡同2号
TEL :(010)6524-2202
昨日、掲載させてもらった猫ちゃんの話題です。 → ポチッ
ちょっと小洒落た北京の四川料理 [北京]
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先日は四川省政府直営の北京の四川料理店を紹介いたしましたが、今回はちょっと洒落て北京の四川料理店を紹介いたします。
この時の移動は南京⇒済南⇒北京でした。
北京ではチョット辛い料理が食べたくなったので四川料理にいたしました。偶然ですがこの日が私の誕生日だったのです。写真の中の唐辛子は味付けのみ、この唐辛子の中に埋まった海老と野菜だけ食べます。ビールが合いますね。
次は定番の麻婆豆腐 さすが四川料理専門店の麻婆豆腐!
チャーハンの上に麻婆豆腐と思って頼んだ福建チャーハン
麻婆豆腐を上に乗せる必要もなく美味しくて辛いあんが乗っていました。麻婆チャーハンを食べるもくろみは失敗 でも、この料理は結構いけてました。これが福建炒飯だったのです。
きのこスープ さすが北京で繁盛しているお店のスープて感じ
今日のメインデッシュ 値段もこの日の勘定の半分を占めます。 もちろん活きた海の魚を料理 これもおいしい!
頼むと右のように生きたハタ系の魚を持ってきて「これでいいですか?」と確認されます。刺身で食べたくなる魚でした。
これはホイコーロ(豚肉と野菜の炒め物)
この日は日本人ばかり4人の食事でした。北京の知り合いの人に薦められて、こちらにしました。
これがレストランのなかの風景 中華とは思えないでしょう!
皆さんワインを飲まれていました。もちろん我々もワインを注文 !
さすが北京! 都会です。 アベックも多い!
この後すぐに満席になりました。お店を紹介します。
ここは2000年に開店した一号店でその後、北京だけでなく全国各地に広がったようです。
店名 俏江南 SOUTH BEAUTY
場所 朝陽区建国門外大街1号 国際貿易中心大厦西楼2階
電話 010-6505-0809
レストランの場所を地図でも紹介します。
空色マークが今回紹介の四川料理のレストラン「俏江南」で、緑色マークが前回に紹介した四川省政府が直営している四川料理店「貢院蜀楼」です。
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帰りにお茶のお店によって試茶!!
追伸
四川料理の翌日の晩は広東料理で旧正月の忘年会(新年会)をいたしました。広東料理は日本人の口に最も合う中華料理のカテゴリーと言われています。
一つのテーブルで大人数で楽しみます。
この日はアルコール濃度が52%の白酒で始まりましたが、やっぱりきついので途中から38%の白酒に代えてもらいました。
中華料理のカテゴリー
山東料理 四川料理 揚州料理 広東料理 福建料理 浙江料理 湖南料理 安徽料理 北京料理 上海料理 江蘇料理 雲南料理 台湾料理 . . . . . . . . . . . .
インターネット引用(中国国家観光局)
山東料理、四川料理、揚州料理と広東料理は四大料理であるが、それにさっばりした福建料理、味が純粋な浙江料理、辛い湖南料理と味が濃い安徽料理を加えれば八大料理になる。それにまた北京料理と上海料理を加えると十大料理になる。
清の時代の宮廷料理店 白家大院 [北京]
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一昨日に右の写真の花びらのサラダを紹介した清の時代の宮廷料理を再現したしたレストランですが、このお店は清の時代の皇帝の兄弟だった人が住んでいた家だそうです。本宅ではなくて別荘のような使われ方だったそうです。この中には築300年の建物もあるそうです。こちらの黄色い服の女性が最初から最後まで面倒を見てくれました。
「白家大院」の中も案内してくれたし、最後はこの道路の門まで見送ってくれました。木の靴(下駄)を履いているのが印象的でした。クリックすると木の下駄が判ってもらえると思います。
実は2000年(14年前)ごろにレンストランとして利用するようになり、その時に名前を「白家大院」にしたそうです。 それまでは「楽家花園」と呼ばれていました。建設当初は作った人の名前から「禮親王楽園」と呼ばれいました。約14年前までの使い方は?と案内してくれた女性に尋ねると中学校として使っていたそうです。清の時代の皇族の食卓を再現したものだそうです。中国文では「再現清朝宮廷飲食文化」と記載されていました。
レストランの入口です。ここが道路に面した最初の門です。白家大院の看板が判ってもらえると思います。
ここから奥に進んでいきます。車が沢山停まっています。最初の門から二番目の門までの間の道です。
道を進むと「白家大院」にたどり着きました。ここの門の前には星条旗の付いた車が停まっていました。ナンバープレートに赤の「使」の文字があったので、たぶん2台ともアメリカ大使館の車です。時間は13時50分で皆さんが帰る時間帯でした。我々はこれから昼食にしたので「白家大院」全体を独占することになりました。
沢山の店員さんが迎えてくれました。いらっしゃいませ! と言う感じです。
この人が門から部屋まで案内してくれました。時々振り向きながら静かに案内をしてくれました。この緑の服の方も最後まで面倒を見てくれました。
食事をする場所は庭園の中に点在している昔の住居を利用しています。こちらの写真もクリックすると木の靴を履いていることが判ってもらえると思います。
「白家大院」の中は池のある大きな庭と言う感じで建物がところどころにありました。我々は一組だけは入れる建物の中で食事をしました。ちょっと贅沢ですね。大きな部屋では踊りなども行われるそうです。
食事をした個室の前から見た池の景色です。
航空写真を紹介します。この緑の部分が白家大院で、この緑の中に個室やホールなどの建物が点在しているのです。広い敷地の中の贅沢な空間でした。緑の木々の中に沢山の建物があるのが判ってもらえると思いますが、その中の一軒(個室)で食事をさせてもらいました。
黄色を基調としたテーブルです。右の写真のように食器も黄色で統一されていました。ここでは料理も美味しいけれど食べる雰囲気が最高のご馳走かも知れません。
通常は、一際高いナプキンが飾られてある席がホスト席ですが、こちらではテーブルのセットはすべて同じでした。でも、ちゃんとホスト席の目印があります。
一つだけ椅子が違うのがわかりますか。ここがホスト席です。勘定を支払う人が、この席に座ります。左端の布がかかっていない大きな木の椅子です。
上の写真ではホスト席の木の椅子が判りにくいかと思い、別の写真を掲載させていただきました。中央の席より少し左側に木の椅子があることが判ってもらえると思います。その他の椅子にはすべて布がかかった椅子で、龍の絵と福の文字が印象的でした。秘儀の写真のように料理の器にも龍が描かれる徹底ぶりなのには驚かされました。
各自のセッテングはこのようになっています。
沢山の女性の人たちが料理やビールを持ってきてくれました。
他のお客さんが帰ったあとのためかもしれません。でも必ず責任者が一部屋に一人付いてくれるのが中国なので安心です。黄色い服の女性に緑の服の女性に加えて赤い服の女性の3人の女性の方が我々の個室(建物)に付いてくれました。右の写真で、木の椅子に私が座らされたことが判ってもらえると思います。
庭を背景に撮らしてもらいました。女性の衣装は少数民族の一つ満族のものです。頭の飾りが独特です。満族はこのレストランの歴史の舞台である清朝の支配民族でした。こちらの女性の薄化粧が新鮮で印象的でした。
料理を運ぶ人もすべて民族衣装を着ています。
屋外にもテーブルを設けていました。このときは5月で気候がよかったので夜は屋内も屋外も満席になるそうです。
食事の後は黄色の服の女性にお願いして庭を少し散策させてもらいました。
飾り付けも見事でした。緑の多い広い庭であることが判っていただけたと思います。
昔に高貴な人たちが使った牛車も庭に展示されていました。
我々が帰ったのは15時36分だったので我々が帰る時間には車は1台も残っていませんでした。来た時には右の写真のように沢山の車が停まっていました。結局13時50分から15時36分までの1時間46分の昼食を楽しんだことになります。
お店を紹介いたします。青色マークが今回紹介の白家大院で、黄色マークが先日に紹介した北京ダックのお店の羲和雅苑です。
マイナスのアイコンを数度クリックすると北京の中のおおよその場所がわかると思います。右の方を含めて3名の女性の方が我々の部屋の世話をしていただけました。
店名 白家大院 クリックすると拡大→
住所 北京市海淀区蘇州街15号
電話 010-6265-8851
時間 10:30~22:30(L.O.22:00)
営業 年中無休
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この冒頭の写真が、食事が終わって帰る時に黄色い服の女性が道路のところまで見送りに出てきてもらった写真だったのです。それが「こちらの黄色い服の女性が最初から最後まで面倒を見てくれました。」説明させていただいた意味だったのです。料理の記事はこちらです。→ポチッ
花びらのサラダ 白家大院 [北京]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
清の時代の宮廷料理を再現した白家大院の料理を紹介します。こちらのレストランは由緒あるある場所で、この時もアメリカ大使館の車が何台か停まっていました。
お店の紹介は後日に行いますので先ずは料理の写真を楽しんでください。
一番最初の料理として出てきて、度肝を抜かれたのが上の写真の花びらのサラダです。それが見かけが美しいだけでなくて、食べてみて美味しいのに驚きました。ドレッシンがよかったのだと思います。沢山食べてしまいました。レストランの名前である白家大院をネットで検索すると必ずこの花のサラダが掲載されていました。皆さん、このサラダに感激するみたいです。私は花に驚いたのではなく美味しいに驚きでした。花のサラダをネットで調べると、こちらのお店では妃子笑というそうです。
花弁のサラダを実感してもらうために拡大いたしました。
最初に料理の写真を紹介いたしましたが、席に座ると先ずは料理の前にお菓子とお茶が出てきました。
緑茶のようですが香りの高い凍頂烏龍茶です。緑茶も頼みました。ゆっくりと会話を楽しんでから先ずは花びらのサラダでした。すでにお気づきかもしれませんが茶菓子以外の料理の食器はすべて黄色主体の同じ模様に統一されていました。高貴な色なのかもしれません。
花のサラダに引き続き前菜が出てきます。この中で始めて食べたのが左の真中です。白菜の辛し和えです。食べた瞬間にその辛さに驚きましたがなれると癖になる味でした。ビールを飲みながら料理が出てくるのを待ちます。
鶏肉とナッツの料理です。
パパイヤを器にしたスープです。器自体も食べれます。
蓋を開けると↓
白い寒天状のものはコラーゲンタップリの高価で珍しいものだと聞きました。冗談なのか本当なのか、わかりませんが蛙コラーゲンだと言われました。恐る恐る食べましたが美味しかったです。
海老チリです。大型の海老で食べ応えがありました。海老料理は王道ですね。
より美味しさをお伝えするために拡大写真を掲載しました。
野菜料理です。シャキシャキ感のある料理でした。
こちらの野菜料理も拡大写真を添付いたしまするニンニクのみじん切りが入っていることがわかってもらえると思います。
烏賊とチンゲン菜の料理です。
豆とトウモロコシの料理です。
アスパラです。
セロリとユリ根とクコの実の料理です。
マナガツオの料理です。
中国では魚は煮る、揚げる、蒸すが普通ですがフライパンで焼かれていました。中国で焼き魚に近い状態の料理は初めてでした。なかなか美味しかったです。
中華料理では珍しい焼き魚も拡大いたしました。
肉をパンで挟んだものです。
肉団子のスープです。 やっぱりスープ物は美味しいですね。
デザートは2種類出ました。ことらが最初のデザートの饅頭です。
こちらが最後にデザートの饅頭です。一人づつ選びます。選んだ饅頭で冒頭の小さい写真の中の黄色い服を着た女性が占いをしてくれます。私は真中の饅頭を選びました。名前は「宮廷面点」というそうです。
ちなみに白家大院とは「白さんの大邸宅」という意味だそうです。
お店を紹介いたします。青色マークが今回紹介の白家大院で、黄色マークが先日に紹介した北京ダックのレストラン羲和雅苑です。
マイナスのアイコンを数度クリックすると北京の中のおおよその場所がわかると思います。右の方を含めて3名の女性の方が我々の部屋の世話をしていただけました。
店名 白家大院 クリックすると拡大→
住所 北京市海淀区蘇州街15号
電話 010-6265-8851
時間 10:30~22:30(L.O.22:00)
営業 年中無休
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本格四川料理は庶民の味方 [北京]
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これが北京っ子の間で人気の四川料理店 の麻婆豆腐です。
北京はレストランの料理の値段が非常に高いところです。地方に比べて北京の料理の値段は3倍くらいだと思いますが、実感としては地方から北京に来ると同じような料理を食べると5倍くらいに感じてしまいます。
この日、夕飯はなにがいいかと聞かれたので四川料理を希望すると、いいお店があると言って四川省出身の人がアレンジをしてくれお店です。
行ってみて驚きました。店の外まで行列の出来るお店だったのです。
店内にも待合室が設けられており沢山の人が順番を待っていました。四川省出身の人が味は本格的な四川料理と太鼓判を押してくれたお店でもありました。おいしいお店は沢山の人が入ることの証明ですね。
行列の出来る理由は値段が安いこともあるそうです。確かに料理も一皿300円程度です。高級な活きた桂魚の料理でも1000円程度で食べられるのです。担々麺は80円程度でした。確かに物価の高い北京でこの値段は安いです。
お店のカードをもらってきたので掲載します。
左が表で右が裏です。表の4文字「貢院蜀楼 」がお店の名前だと思います。地図には「川京辧 」とも書かれていました。調べてみると川は四川、京は北京、辧は事務所を表していることから川京辧 は四川省北京事務所の意味のようです。こちらでの正式レストラン名は四川省駐京弁餐廳で別名が貢院蜀楼だそうです。近くには長安大戲院 国際飯店 中糧廣場などの文字も読み取れます。クリックすると地図の部分を拡大します。
入口にも同じ文字「貢院蜀楼」が書かれていたので間違いないと思いますが「貢院」は住所でもあるのです。ネットで調べると「四川省駐京弁餐廳 」とも「四川省人民政府駐北京弁事処 」と言われており四川省が監督する四川料理店で北京で一番人気の四川料理店と書かれていました。略して「川京辧」ようです。
店名 四川省駐京弁餐廳 貢院蜀楼 / 川办餐庁
住所 北京市建国門内貢院頭條5号
TEL 010-6512-2277
我々が食べた大広間の風景です。個室も沢山ありますが一週間前に予約しないと取れないので、大広間のテーブル席を予約しました。時間は午後6時からですが、お店の人から「午後5時に来て席を確保してください」と頼まれたので1人だけ1時間早くここに来てもらいました。おそらく席が空いていると待たされているお客さんからクレームされるのだと思います。
会社帰りの人や恋人同士や家族と思われる人が、入れ替わり立ち代り入ってきました。中国でこんな雰囲気のお店は初めてでした。白酒(パイチュウ)を乾杯する姿は見当たりません。ビールなどを自由に飲んでいる感じです。見た印象は違いますが日本の居酒屋に相当する場所に感じました。都会は変わってきていることを感じてしまいました。
それでは注文した料理を紹介いたします。
先ずは蒸し鶏を粉唐辛子につけて食べます。なかなかおいしい食べ方でした。家でも出来そうですがおいしい皮付き鶏肉である必要がありそうです。
野菜です。魚料理以外はお皿が小さいため少人数でも沢山の種類の料理が楽しめます。カップルの人も沢山入っていました。
山椒の実と一緒に煮た肉料理です。山椒の実は除いて食べますが身に山椒の味がしみ込んでいました。
薄い豚肉の料理です。これらの料理はすべて四川省出身の人に選んでもらいました。
スライスした肉に辛いタレをかけた料理でタレにの付けかたで辛さが調整できるのがよかったです。
冒頭の写真の麻婆豆腐です。麻婆豆腐だけはこちらからお願いしました。四川料理と言えば、これは外せないですね。今回はビールがものすごく進みました。
麻婆豆腐の味を感じていただくために拡大写真も掲載いたしました。
スープも頼みました。鶏肉をベースにしたスープでこれは辛くありませんでした。量は多かったので5人では飲みきれませんでした。
やはりメインは桂魚です。辛いタレがかけられいますが、身にはしみ込ませていないので、辛いタレと混ざり具合を調整しながら食べられので、おいしく食べれました。
ワンタンと水餃子も頼みました。
最後は坦々麺(担々麺)です。これはなかなかの辛さのものでした。
席の確保が難しいお店ですが安くておいしいお店でした。ほんと四川省出身の人にいいお店を紹介してもらい感謝です。
Google地図でお店の位置を紹介いたします。緑色マークがお店の場所です。
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北京で北京ダックを食べました。 [北京]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
先日、安徽省の北京ダック(北京烤鸭)を紹介したので、ここでは北京で食べた北京ダックを紹介いたします。今までに58回以上も北京に行きましたが、北京では有名な北京ダックを食べたことがありませんでした。「北京では」と書いたのは北京以外では何度も食べた経験があったからです。今回、秦皇島から新幹線で戻ってきて念願の北京で北京ダックを食べました。ちなみに58回というのは飛行機で北京に到着した回数です。列車や車で到着したこともあるので「以上」をつけさせていただきました。
北京には北京ダックの超有名店がありますが、今回は外国人には知られていないけれども、北京ダックを最も売りにしている地元の北京子が食べに来るお店に行きました。お店の名前は「羲和雅苑」といいます。昔の建物である四合院の雰囲気を出した高層ビルの中の煉瓦造りの平屋の広い敷地のお店でした。
羲和雅苑に利用された古い建物の模型のようです。レストランの中に入ったら、建物の全貌は判りませんでしたが、建物に囲まれた中庭には屋根を取り付けられてレストランとして利用されたようでした。
ここが昔の中庭の部分です。周囲を煉瓦の建物に囲まれており、中庭に屋根(天井)が付けてらているのが判ると思います。周囲の煉瓦の建物に個室がありました。この写真は入口を入ったときの景色です。クリックするとよくわかると思います。
お店の名刺も掲載しておきます。住所は「北京市海淀区中関村大街15-3」です。
個室を頼みました。これが食事をする前のテーブルの雰囲気です。
先ずは皮の部分を薄く削り取るように切っていきます。お店では北京烤鸭ではなく和合烤鸭あるいは単に烤鸭と呼ばれていました。
最初に一番高級なところが出されてきました。皮だけです。頭は飾りです。
さらに皮を切っていきます。
皮だけ出されると思ったら身も少し出されました。右の皿の上半分は身だけです。こちらも美味しいですよ。左の皿と右の皿の下半分は皮だけです。
真中の蒸籠の中に包む皮が入っています。熱々で出てきます。入れる野菜は白髪ネギ、玉葱、キュウリ、人参とおろしニンニクでした。タレは甘辛いタレは皮に包む時に使いますが、それ以外に甘い味噌と砂糖がありました。これは包まずに食べるときに付けるとよいと説明されました。
真中の薄く焼いたクレープのような皮に甘辛い味噌と野菜と一緒に包んで食べます。
今回は北京ダックの切り方は上で紹介した切り方を入れて3種類でした。これは皮付きの身です。身が出てくるといっても、皮に近い部分だけなので、身の大部分は本体に残ってしまうので持ち帰りように袋に入れてくれます。今回は中国の人がおられたので、持って帰っていただけました。
北京ダック以外の料理も紹介しておきます。これは切干大根の料理ですが肉と間違えるような美味しい味に仕上がっていました。
これは牛の腱の部分の料理で、ゼリー状の塊を細く切ったものです。
見ての通りの海老料理です。今回の中では最も薄味の繊細な料理でした。
このお店の名物料理です。ハルサメが入った珍しい食感の料理でした。
これは豚肉の塊を柔らかく煮たものを甘辛く絡めた料理です。丸いのはウズラの卵です。いろんな食感の美味しい料理でした。
これはアスパラカスの炒め物です。この日の唯一の野菜料理です。
スープも一品頼みました。薄くスライスした貝柱が入った酸っぱい辛いスープでした。
ヒラメの煮付けです。北京ダックはこの後に出てきました。
一度、掲載した写真ですが、順番をわかりやすくするために入れます。上で紹介した北京ダックはここで出てきました。ほんとに最後に出てきました。
これはご飯代わりの野菜のお餅です。これの味は想像と違い、すごく美味しいものでした。
レストランは昔の雰囲気の平屋でしたが周りには高層ビルが建っている不思議な場所でした。食事行く前は、この高層ビルの中にいました。
地図を掲載いたします。黄色マークが羲和雅苑です。マイナスのアイコンを何度かクリックすると北京の中の位置がわかると思います。
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北京の胡同(フートン) [北京]
北京の観光といえば万里の長城や故宮に代表されるような長大な建造物が有名ですね。最近では胡同(Hutong フートン)が注目されてきています。
「胡同(フートン)」は中国語ですが日本語では「路地」のことを指します。北京市内には昔ながらの沢山の胡同(路地)が残っています。それらの昔のままの姿が魅力で観光客が増えてきています。その近くには洒落たお店やお土産物屋さんが立ち並んでいますが違和感なく溶け込んでいます。あえて言えば車や標識や電柱が気になりました。それも今は生活の一部なので仕方がないと思います。それらもなく昔のままの胡同が保存されている場所もあるそうです。ここの風景をみていると平遥古城の風景を思い浮かべました。
胡同(路地)は家を建てている間に家と家の隙間が自然と道になったのがはじまりと北京の中国の人が話してくれました。その人の案内で少しだけ立ち寄ってくれました。この次はじっくり案内してくれると話してくれました。
どの家も、門の両側に石が置かれています。立派な家にも庶民の家にも!
気になったのでネットで調べてみました。名前は門暾と言うそうです。ただし、正しくは”暾”は中国語では石片に敦だそうです。
ネット引用
門暾は、四合院と呼ばれる北京の伝統的な住宅の正門の前に置かれた石材で、観音開きの門の扉を留め支えるものです。現在北京に残るのは、ほとんどが明や清の時代のものですが、古くははるか漢(紀元前206年~西暦220年)にまで遡るといわれてます。刻まれた図案には人々の願いが託されており、例えばコウモリと銭をあしらった図案は”福在眼前”と呼ばれ、同じ諧音とかけた吉祥のデザインとして中国人に親しまれています。また、「文化大革命」中に傷つけられた門暾も少なくなく、現在に激動の時代の痕跡を残しています。
これは有名な人が住んでいた家です。
北京だけではなく山西省の平遥古城の四合院の入口にも原型のようなものがありました。そして山西省の豪邸(大院)にも門暾が沢山ありました。おそらく何百とあります。興味のある方は王家大院に是非行ってみてください。
さすがお金持ちの家の門暾です。
いろんな形がありました。
標識にも胡同の文字がありました。このあたりは非常に広い範囲に胡同(路地)がある場所です。
このあたりはトロリーバスも走っていました。
6年前はサクランボが2kgで160円でした。 [北京]
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2007年に北京の町の中を歩くと道端でサクランボを売っている人を沢山見かけました。驚くほどの数でした。値段を聞くと2kgが10元(160円)とのことでした。
産地は山東省だそうです。食事の帰り道で撮ったものです。北京一のビジネス街の近くの歩道です。中国で一番物価の高い場所です。売り子の人にとっては、ここが一番高く売れる場所なのかもしれません。
6年前も北京は物価は高かったので、驚きの価格でしたが地方の物価とは大きく格差があり安いところから売りに来ていたのだと思います。今は地方の方も物価が上がってきており、今では考えられない値段です。6年で地方の物価も大きく変わってしまいました。
暗くて良く判らなかったので最初はブドウを売っているのかなと思いました。良くみるとサクランボでした。10元につられて買ってしまいました。傷がついたものや形が悪い物も混ざっていますが味は甘ずっぱいサクランボの味でした。大粒のしっかりしたサクランボでした。日本に売るために良い品種を栽培し始めて、それが出回り始めたのかもしれません。
密雲水庫の魚料理 [北京]
紹介すると約束していた「看板赤ちゃん」のいるレストランの夕食の魚料理です。貴重な魚のようです。川魚は普通は臭みがあるけれどこの魚はないと言われていました。
実はカメラの露出の設定が、知らない間にずれてしまっていて、全ての写真が露出過多になってしまいました。今回紹介の写真は、すべてパソコンで露出調整して掲載しましたが、残念ながら本当の色合いが表現出来ていません。でも是非とも紹介したかったので掲載いたしました。
確かに美味しい魚でした。尻尾の方の身は煮付けで出てきました。大きさを判ってもらうために湯のみを横に置きました。
ご馳走は頭なのです。スープも絶品でした。
これも珍しいものです。湖の畔に生えている野草です。味噌につけて食べましたが少し苦味があってすごく美味しかったです。
ここの料理の種類は農民料理だそうです。ただしこんなに豪華なのはお祝いの時だそうです。中華料理と言えば油を使った料理が多いのにここは汁物が多いので聞くと昔は油が貴重品で農村では汁物料理が多かったとのことでした。初めて知りました。
ワカサギのような魚です。これも汁物でした。頼めばから揚げもしてくれます。今回の写真はすべて露質オーバーになってしまいました。天気が悪いので外では感度を高くしてとっていたのですが、そのままでフラッシュを使ったためにちょっと残念な写真になってしまいました。
この鳥料理も汁物でした。
どれほど露出過多になっていたのかを知ってもらうためにオリジナルの写真を紹介します。左がオリジナルで右が露出調整した写真です。露出を間違えていなければもっと美味しさを伝えられたと思います。
湯葉料理です。日本だと高級食材ですが多量に出てきました。
肉料理です。
玉子料理です。
最後はトウモロコシの饅頭(パン)でした。
お店です。
お店の名前は紫玉鑫园・民俗饭庄です。この看板は右から読みますが、左上に写っている看板は左から読みます。右からと左からが混在しているのが面白いです。
密雲水庫は北京の中心から北東方向に100kmの位置にあります。緑色マークがレストランの場所です。空色マークが密雲水庫で黄色マークがこの日の目的地である万里の長城の一つの司馬台です。赤色マークが万里の長城で最も有名な八達嶺です。
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レストランの看板赤ちゃん [北京]
レストランの若い女将さんと、その赤ちゃんです。あまりにも可愛いので掲載させていただきました。
お母さんの仕事の間、このレストランのおじいちゃん、おばあちゃん、さらにはお客さんに次から次へと抱っこしてもらっていました。レストランは家族みんなでやっているようで赤ちゃんはみんなで面倒見ているようでした。
右の写真のようにお客さんも次から次へと抱っこしていました。ここは北京の北東100kmの位置にある密雲水庫のすぐそばです。「密雲水庫」は日本流に言えば「密雲貯水湖」となります。北京の水がめです。朝から雨が降っており事故で大渋滞でした。偶々渋滞していた横に食堂(レストラン)がありました。朝食も食べずに出発した人のために、事故処理の時間を利用してこの食堂で朝食を食べることにしました。事故渋滞がなければ通りすぎて、この赤ちゃんにも若女将にも会えませんでした。すごい偶然ですね。
渋滞は事故渋滞です。この写真の車が事故を起こしたのではなくともっと先の方でした。この車は事故渋滞の車に当たりそうになり急ハンドルを切ったのだと思います。これは一台のトレーラー車で運転席がくの字に曲がっているのです。もちろんかなりのダメージを受けていました。
こちらの事故が最初だと思われます。事故車が移動するまでレストランでゆっくりと休みました。
朝食はジャージャー麺です。女将さんからの情報によると、昨日、密雲水庫で貴重な魚が捕れたとのことでした。さっそくその魚を万里の長城からの帰りの昼食に予約しました。その魚料理も掲載予定です。
密雲水庫は北京の中心から北東方向に100kmの位置にあります。お店の名前は紫玉鑫园です。クリックするとGoogle地図を表示します。
芸術的 ( ? ) な送電線 [北京]
中国もETCが普及し始めました。 [北京]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
2010年8月3日から中国に行き8月6日に帰国しました。その時に北京から片道300kmの距離を高速道路で往復する機会がありましたが乗った車にはETCが付けられており実際にETCのゲートを通過する体験が出来ました。
上の写真は北京から出発したときのものです。
北京に帰ってくるときにETCゲートを通る動画を撮ったので紹介します。画面のプレーボタンをクリックして中国のETCを体験してみてください。遮断機が上がる音も聞こえます。
まだ北京から離れると使えないところがが多かったけれどもETCの看板はどんどん設置されていました。急速に利用できるようになりそうな雰囲気でした。
ただし全国的には、まだ普及していないし共通化されていないと聞きました。
これがETCの機械です。専用のカードが差し込まれています。ETCだと料金が5%引きになるようです。ETCゲートは新設されているようですが、まだ北京から離れてくるとETCは使用されていませんでした。そのときは有人ゲートでこのカードを渡せば支払いが出来ました。
80回目の訪問になりました。 [北京]
2010年8月3日から8月6日に北京に行っていました。北京は、きれいな青空を見せてくれました。上の風変わりなビルは中国中央テレビ(中国中央電視台 CCTV)の新本社(央視新大楼)です。このビルは建設中から話題となったビルです。
今回の中国訪問が、ちょうど80回目(入国回数)になることに気がつきました。
初めて訪問したのは1994年9月19月でした。最初北京に入り2泊した後に、西の辺境地を除いて、中国で最も貧しいと言われていた省の田舎町に行きました。その時のことを書いた記事がこちらです。→ポチッ
このグラフは年別に集計した中国への訪問回数です。
今回、もっとも驚いたのが北京の青空です。80回ほど中国に来ていながら北京の空が青空であった記憶がありません。それほど北京も含めて中国中がスモッグで霞んでいました。ところが今回は冒頭の写真のように、きれいな空を見せてくれたのです。そのため、北京の青空とビルの写真を紹介いたします。
下の写真は、ちょっと中国では珍しいタイプのビル群の風景です。形は違いますがビル群が類似のデザインで出来ているのです。クリックすると拡大するので是非見てください。
上の写真は偶然に撮りましたが、すばらしいビル群なのでネットで調べてみました。
結果、ここは三里屯SOHO(SANLITUN SOHO)と呼ばれている場所でした。5棟のオフィスタワー、4棟の住宅タワーの計9棟からなり、高層棟の全てが地上28階・高さ100mで、複数のタワーが調和するデザインを行った最新のビル群でした。ちなみにSOHOはSmall Office/Home Office(スモールオフィス・ホームオフィス)の略称です。
販売したのがSOHO中国有限公司と言う会社です。2009年度の業績を検索
してみました。純利益率が44.5%(3300178÷7413451)と日本では考えられないほどの利益を上げている会社でした。
売上高 7,413,451,000元(約983億円) 前年比 137.506%
純利益 3,300,178,000元(約438億円) 前年比 726.961%
住居ターワーのマンションの値段は100㎡で「350万元(約5000万円)~」だそうです。100㎡はここでは一番小さい部屋で、500㎡の物件もあるそうです。
三里屯SOHOを検索すると沢山出て来ました。 → Google検索 Yahoo検索