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買ってきた小さなサボテンが花を咲かせました。 雪晃(Parodia haselbergii) [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大以前に右の写真のオキザリス・ナマクアナの花を紹介したことを覚えておられる方もおられると思いますが、そのオキザリス(カタバミ属)が気に入って昨年の11月6日に別の種類のオキザリスを買いに行った時に、300円~500円の小さなサボテンも5つほど買いました。驚いたことに買ってから2ケ月半後(74日目)の2020年1月19日に1つのサボテンに花が咲き現在(2020年2月22日)も咲いているので、咲き始めてから、現在までの姿を紹介したいと思います。

2019年11月6日に買ってきたのがこちらの写真の3種類のオキザリスと5種類のサボテンでした。サボテンの名前は左から雪晃(400円)、黄金司(300円)、美青丸(300円)、ブカレンシス(400円)、バニーカクタス(550円)で、価格は税込です。花が咲いたのは一番左の雪晃(セッコウ)でした。
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こちらが植え替え前の雪晃です。
小さなポットに400円(税込)のタグが貼られています。
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植え替えたオキザリスとサボテンです。
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植え替えたサボテンの写真です。この時はさほど注目していなかったので単独の写真は撮っていなかったので、上の写真から切り取りとって回転させて掲載させていただきました。
この時点で花の蕾らしいものは全くありませんでした。
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サボテン用の荒い土なので少しの振動でも安定しないことから、簡単に鉢やサボテンが倒れないように4つまとめてステンレスの器に入れました。寒くなって夜には家に入れるのですが、まとめて移動できるので便利でした。
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晴れた日は毎日外に出していたのですが、2020年1月19日に写真のように花が咲きました。少し前から赤い蕾が付いているのは気が付いていたのですが、突然に咲いたのでした。最初に撮った写真がこちらの写真です。
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花を上から撮りました。FC2ブログでも本記事を掲載しました。記事掲載初期にはGoogle Imagesに本写真も出ていましたが今はありません。→ポチッ
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拡大しました。さらに赤い蕾が2つあるのが分かっていただけると思います。
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横からみた拡大写真も紹介します。雪晃の花期は概ね春と秋だそうですが、今回の場合が最も寒い冬(1月と2月)であるように、実質的には特に定まっていないそうです。天候や育てている環境で大きく前後するそうです。寒くなって夜は暖房の効いた屋内に入れて、温かい昼間は外に出すことを毎日つづれていたことで冬に咲いたとも考えられます。
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翌日の1月20日のサボテンです。少しだけ花びらが開いたようです。この時はどこまで開くのか判らないので頻繁に撮りました。
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1月20日の拡大写真です。
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さらに1日経った1月21日の写真です。オキザリスの花は毎日開閉を繰り返していましたが、サボテンの花は夜も昼も開いたままでした。1月19日と比べると花びらが広がってきて来ているのが分かっていただけると思います。
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1月21日の花を横から撮った写真です。新しい蕾が大きく膨らんできています。
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最初の2輪が咲いて5日目の1月24日に新しい2つの蕾も咲いて4つの花が咲いた状態になりました。1月24日に咲いた花はまだ花粉を出していませんが、1月19日に咲いた花も花粉は少ない状態です。
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同じ写真ですが、花の部分を拡大いたしました。大きく開いた左右の花の間から新しい花が咲いて来たことが分かっていただけると思います。
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1月30日の状態です。後から咲いた花も大きく開いたので、4つの花がいずれも大きく開いた状態となりました。花粉が少し見られるようになりました。
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上の写真の翌日の1月31日です。4つの花の花びらが開いた姿は見事でした。
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拡大いたしました。花粉の量が増えたように感じます。
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さらに1日経った2月1日の状態です。
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花を拡大いたしました。
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変化を見ていただくために2月4日の写真も紹介します。
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こちらが拡大写真です。
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花粉が多くなったようなので花粉が付着した部分を拡大いたしました。
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関西に出発する前日の2月6日の状態です。
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写真には写っていませんが花びらの下に小さな蕾が2つありました。関西から帰宅する2月17日までは確認できないので気になっていました。1月24日に咲いた方の花にも花粉が沢山付いていました。
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関西から帰ってくると4つの花はしぼんでいて、小さな蕾だった花が咲いていました。写真の中に萎んだ4つの花がらが残っています。留守にしていた11日間に劇的に変わりました。家内に聞くと6つの花が同時に咲くことはなく、4つの花がしぼんでから2つの花が咲いたそうです。関西から帰宅した翌日の2020年2月18日の写真です。
4つの花がしぼんだ日は正確には判らないのですが2月13日前後で4つとも同時に近かったそうです。
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上の写真を撮った2月18日の正面からの姿です。
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拡大した花の写真も紹介します。
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2月22日の朝の状態です。朝日に当たってきれいな透き通るような色になっていました。2月18日とあまり変わっていません。花は長持ちするようです。サボテンの品種は雪晃(せっこう)で、サボテン科パロディア属(旧ブラジリカクタス属)に分類されるそうです。Parodia haselbergii(ドイツ語:翻訳)にはParodia haselbergii subsp. haselbergii(Parodia haselbergii ssp.haselbergii)とParodia haselbergii subsp. graessneri(Parodia haselbergii ssp graessneri)があるようです。日本で呼ばれている雪晃と黄雪晃なのかもしれません。調べてみるとParodia haselbergii ssp.haselbergiiは雪晃で、Parodia haselbergii ssp graessneriは黄雪晃でした。
原産地はブラジルで、リオグランデドスル州(Rio Grande do Sul)の西部および北西部と、 サンタカタリーナ州(Santa Catarina)の南部に広く分布しているそうです。緯度(Latitude)的には-29.4°~-27°なので日本で言えば奄美大島や喜界島(緯度:28.3°)あたりになります。クリックすると拡大
確かではありませんがサンタカタリーナ州の北のパラナ州(Paraná)にも自生している記載もありました。
 界 植物界     Plantae
   被子植物    Angiosperms
   真正双子葉類  Eudicots
 目 ナデシコ目   Caryophyllales
 科 サボテン科   Cactaceae
 連 ノトカクタス連 Notocacteae
 属 パロディア属  Parodia
 種 雪晃      Parodia haselbergii
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雪晃の原産国のブラジルと対蹠地(地球の裏側)を重ねた地図を紹介します。
沖縄と鹿児島の間あたりの地球の裏側が自生地で、奄美大島あたりが中心であることがクリックすると拡大分かっていただけると思います。日本の対蹠地(たいせきち)の大部分が海ですが、右の地図のように種子島の南西部~奄美大島~沖縄~石垣島~与那国島までの島々と五島列島の一部には、陸地(赤色)の対蹠地があることが判ります。クリックすると地球全体の対蹠地地図を表示します。
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2月22日の花を拡大した写真も2月18日と似ています。朝は花粉はあまり出ていませんでしたが、昼過ぎには花粉が目立つようになっていました。
咲いた日と花粉が多くなった日と花が萎んだ日をまとめてみました。ただし私が関西に行っていた2月7日から2月17日に関しては正確ではないので2日程度のずれはあります。日付の右側の数値は咲いた日からの経過日数です。20~24日間ほど花が開いているようです。花が咲いている期間が長いのも雪晃の特徴のようです。僅かですが6輪が同時に咲いていた期間もあったようです。
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2020年2月26日16時47分の雪晃です。咲いている2輪の花が咲き始めて16日目であり、最初の花が咲いた日から39日目です。この日までに39日間も花を楽しませてくれていることになります。購入日からは113日目です。
今日は朝から厚い雲に覆われていて気温も上がらなかったことから外には出さずに屋内に置いていましたが、写真を撮るために外に出しました。少し暗かったのでフラッシュを使って撮った写真を掲載させていただきました。
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クリックすると拡大下の写真が2020年3月1日9時6分で、右の写真が2月29日10時22分の状態です。
花が萎んだ日を確定するのは難しいけれども、最後に咲いた2輪の花が萎んだ日は3月1日として表に日付を入れました。最後の花は19日間咲いたことになり、最初の花が咲いて42日目なので43日間ほど6つの花で楽しませてくれたことになります。
現       象 最初の2輪 次の2輪 最後の2輪
咲いた日 1月19日 0日目 1月24日 0日目 2月11日 0日目
花粉が多くなった日 1月30日 11日目 2月01日 8日目 2月22日 11日目
花が萎んだ日 2月12日 24日目 2月13日 20日目 3月01日 19日目
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夕方の2020年3月1日16時34分の写真も紹介します。朝(9時6分)の写真からさらに萎れ具合が進行し色も抜けてきていることから、花の萎れた日を3月1日にしたのは正解のようです。
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3月2日の写真を紹介します。
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学生時代のサイクリング部の合宿 4回生の信州合宿 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前々記事の木曽馬の馬搬(ばはん)で紹介の通り2020年2月8日に学生時代のサイクリング部の現役とOB・OGとの交流会に行ってきました。上の連続写真が交流会の様子です。私が説明している写真が2枚入っています。紫系のセーターを着ています。今年はサイクリング部創設60年目の節目の記念と言うことで参加者もいつになく集まりました。OB・OGが23名で現役が23名でした。今回の交流会や親睦会の写真は顔が判らないように顔が小さくなるサイズにさせていただいていますが、当時のサイクリングの写真は、かなり昔なので、ぼかし無しでも皆さんにOKしてもらえる前提で掲載しております。懇親会の進行の予定と実際を紹介いたします。現役の方は予定通りでしたが、OB・OGのスピーチが長くなるのはそれぞれの人が沢山の思い出があるからなのだと思います。とは言え記念写真の時点での遅れは28分で済みました。私のパワーポイント(PP)は20分くらいで説明するように依頼されていた結果です。PPの画面枚数は88枚でした。
 予定  実際  内容
 12:30 12:30 開会、現役紹介
 13:00 13:00 昼食歓談
 14:00 14:00 現役より活動報告(夏合宿、年間報告)
 14:20 14:25 OB・OGよりスピーチ
     16:40 SORIのPPによる報告開始
     17:05 SORIのPP終了(目標20分→実際25分)
 16:30 17:05 質疑応答
 16:45 17:13 記念写真、閉会
     17:18 交流会終了、解散

私は下の表のように2011年から参加させていただいております。海外出張と重なった2012年以外は全て参加させていただきました。そして、2014年からは当時のサイクリング部を紹介するためにパワーポイントで紹介し始めました。今回の空流会では表の中の印の1回生の夏合宿と4回生の夏合宿を紹介しました。ブログで掲載させていただいたのは次の4回で、今回が5回目となります。着色文字をクリックすると記事を表示します。
 2011年 先輩から受け継いだ伝統の味 ぜんざい
 2016年 サイクリング部のOB会に行きました。
 2017年 サイクリング部の現役と卒業生の交流会に行ってきました。
 2018年 2018年もサイクリング部の現役との交流会に参加しました。
 2020年 学生時代のサイクリング部の合宿 4回生の信州合宿
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本記事では4回生の夏合宿を紹介したいと思います。合宿は下記のように3~4つが計画されてその中から自分が行きたい合宿を選ぶのです。この時は北海道と東北と信州でしたが、私は信州合宿を選んだのです。合宿が3つの場合は1つの合宿は平均で10人程度になります。自由に選ぶので偏る場合があるのですが、計画者のコンペという感じでもあるためにそれぞれが趣向を凝らした内容になるわけです。赤い文字が私が4年間で参加した合宿です。
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参加した7つの合宿のルートです。赤色線が合宿で、青色線が合宿に参加するために1人で走ったルートです。最近の人は自走と呼んでいました。
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それでは4回生の時の合宿のルートを紹介します。赤色が合宿で青色が自走です。直接Google地図で見る場合→ポチッ
宝塚(家)→敦賀→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→車坂峠(浅間山)→地蔵峠→青木峠→松本→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→宝塚
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合宿出発地点の糸魚川駅です。列車で来る人と、自走して来る人の集合場所でもあります。合宿参加者11名全員で記念写真を撮りました。4回生が青いユニホームで、1~3回生が黄色のユニホームです。本来4回生は3年で引退するのですが、我々の世代は4回生も合宿に参加したのです。ちなみに3回生は青色と黄色の2種類のユニホームを持っているので、後の写真では青色のユニホームを着た3回生も出てきます。
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白馬の辺りのドライブインの前です。全員が写っています。お店の方も写真に入っています。
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長野の善光寺の前でも撮りました。
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志賀高原に入ってきました。Googleのストリートビューで確認すると右の丸池の看板は今でも残っていました。この写真では青色のユニホームを着た3回生が写っています。
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我々の時代はフィルムであることから撮影枚数が限られていて、スナップ的な写真はほとんど残っていません。特に食事風景は皆無なので非常に貴重な写真です。
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自転車で越える峠で標高が2000m以上は少ないため渋峠は貴重です。道も良くて気楽に走ることが出来ます。
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スナップ写真と同じく景色もほとんど撮りませんでした。非常に貴重な1枚でもあります。2007年からは日本で噴火警戒レベルが設定されて湯釜も状況により1~3が設定されていることから写真の近づいて見ることは出来ません。Googleのストリートビューで紹介しているように遠くから見ることになります。この時は写真に写っているだけで約80人が火口湖の淵に下りています。
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浅間連峰にも行きました。車坂峠(1968m)と地蔵峠(1733m)です。
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こちらが地蔵峠の写真です。セルフタイマーを使って全員での記念写真です。
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合宿の中で最も気に入っている写真です。奈川渡ダムの少し手前の急こう配をきれいに並んで走っています。この先にある鈴蘭小屋まで並んで走ります。その鈴蘭小屋に重たい荷物を預けて乗鞍岳の約2800mのところにある山小屋まで行き、翌朝に乗鞍岳の山頂の剣ケ峰を目指すのです。
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翌朝の食事前の標高2800mからの景色でした。合宿中に撮った2枚の景色の写真の中の1枚です。もう1枚がすでに紹介した、志賀高原の湯釜の写真でした。この写真は食事の前に近くの小山に登って撮ったのだと思います。
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さっそく全員で乗鞍岳の最高峰3026mを目指して登り始めました。先ずは早く着いた5人で記念写真を撮りました。
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全員が山頂に着いたところで記念の写真を撮りました。11人全員が写った乗鞍岳山頂の写真は記念になりました。
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私が乗鞍岳山頂から下っている写真ですが、この道を登ってきたのです。下に泊まった山小屋が見えます。
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当時は舗装道路と未舗装の道がありました。過酷な未舗装のエコーラインを登りも下り走りました。単なる未舗装では大きな石でデコボコの道なのです。
あまりにも衝撃が大きいことから1年生のE氏の自転車のフレームが真っ二つに折れてしまいました。卒業後3年8ケ月後に偶然にも、スキーに行く途中の乗換駅で、乗鞍岳の下りで自転車のフレームが折れたE氏に出会いました。お互いにスキーが目的でした。
 ・乗鞍スカイライン 舗装道路
 ・エコーライン   未舗装道路 + 大きな石でデコボコ
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上の場所をGoogleストリートビューで探してみました。現在は見ての通りきれいな舗装道路です。ただし現在は環境のために一般車両は乗り入れ禁止です。上の写真もこの写真もハイマツが生えていることが判ってもらえると思います。
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もう少し下がった場所で記念写真を撮りました。この場所はハイマツは生えていないので標高は上の写真より低いことが判ります。
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乗鞍岳の次のビックイベントは野麦峠でした。
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当時はスマホがないので5万分の1の地形図が走るルートを探すツールでした。野麦峠や乗鞍岳の位置関係や高さのイメージが判ると思います。
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この合宿のおかげで信州で越えた峠の数が増えました。
右の写真が懇親会です。交換会は学校の中で行われることからアルコールは禁止なので終わるといつもOBだけで懇親会を行っていましたが、今年は初めて現役の方が3名も参加していただき24名(OB・OG:21名)の参加者となりました。
こちらの右の写真が懇親会の二次会です。二次会(交流会から数えると三次会)は遅い時間なので、いつも数人でしたが、今回は15人も参加されました。さすがサイクリング部が出来て60年目だけのことはあります。懇親会(交流会から数えると二次会)のOB・OGの出席者は21名だったので、比率71.4%(=15÷21)と比率的にも多かったです。
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上の地図はGoogleマップのハードコピーですが、直接に自転車で通った峠を表示させていただきます。越えた峠で標高1000m以上の例を記載します。麦草峠(2185) 渋峠(2172) 徳本峠(2135) 車坂峠(1968) 金精峠(1843) 武石峠(1830) 安房峠(1812) 沼山峠(1784) 武石峠(1780) 三平峠(1762) 地蔵峠(1733) 平湯峠(1684) 野麦峠(1672) 馬越峠(1650) 白樺峠(1640) 和田峠(1531) 権兵衛峠(1522) 長峰峠(1503) 柳沢峠(1472) 信州峠(1464 右下の写真) 大門峠(1442) 十石峠(1356) 姥神峠(1280) 杖突峠(1267) 内山峠(1170) 駒止峠(1135) 白布峠(1094) 松本峠(1087)  塩ノ沢峠(1061) 塩尻峠(1055)クリックすると拡大 冠峠(1050) 傘松峠(1020)  小鳥峠(1002)
来年の交流会では3回生の春合宿(信州)を紹介したいと思っています。その3回生の春合宿(信州)では上のリストの赤色文字の6つ峠に和美峠(987)を加えた7つの峠を通りました。


越えた峠をプロットして上のGoogle地図の中の四国の部分にプロットした緑色ラインは3回生の夏に初めて四国を自転車で走った時のルートです。他の地域は峠のプロットで、その地域を走ったことが分かるのですが、この四国のルートは海岸沿いなので名のある峠がないことから、峠をプロットできないことから四国は走っていないように感じられるので、この時のルートをプロットしたわけです。下記はマジックペンで走ったルートを書き込んだ大きな日本地図です。学生時代に四国を走ったのは、これ1回でしたが、北海道以外の本州と九州と四国を走ったことになります。
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こちらの青色ラインが、その時に走ったルートです。赤色ラインが乘ったフェリーの航路です。我々の時代は3回生の夏休みの間に企業研修が行われていて、その企業研修に自転車で行ったのです。帰りは同じルートで帰る方法もありましたが、それまでに四国を1度も自転車で走っていなかったことから四国を走って帰るルートを選択いたしました。元々は夏の東北合宿が終わった後は解散した青森駅から兵庫県の宝塚まで、自転車で帰ってくる予定でした。学生時代は3回ほど1日に350km走りましたが、無理なく毎日連続で走れる距離は1日に280kmでした。
青森から宝塚までは約1000kmなので4日間(280kmx4=1120km)で帰れるのですが、残念ながら企業研修が迫っていたので走って帰る時間が無くて夜行列車で帰りました。もし青森から宝塚まで走って帰っていれば、それまでに走ったルートが全てつながっていました。それが出来なかった代りに初めての四国を走ることが出来たのです。


クリックすると拡大企業研修は因島にあるアイメックス(当時:日立造船→分社独立)で、縁があることに私が神戸にある会社に入社して20年以上経ってから私が設計するプロジェクトの中の機器の製造を数えきれないほど発注いたしました。右の写真は社員食堂の食券です。
企業研修の懐かしく思い出されたので、その時の写真をスライドショーにしてみました。最初が泊めていただいた民宿の家族の方と研修生3人の記念写真で、クリックすると拡大次の2枚は研修を受けたいろんな学校の人達との記念写真で、その次の3枚は因島の白滝山五百羅漢で、最後の写真は因島の隣りの生口島にある陽明門そっくりの孝養門です。相当に昔なので、ぼかし無しでもOKしてもらえる前提で掲載させていただいています。造船会社だったので右上の写真の船にも乗せていただきました。
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新居浜の近くの東伊予道路の通行券が残っていました。押されている印から8月31日に通ったことが分かります。2006年3月31日に無料になったので、今は有料道路ではありません。今は愛媛県道13号壬生川新居浜野田線の一部です。
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高松から神戸へのフェリーのチケットが残っていました。チケットには船内直取券と書かれていました。乗った日付は9月1日で船はクリックすると拡大加藤汽船のこんぴらであることが分かりました。東伊予道路を8月31日に通過して9月1日に船に乗ったので、少なくとも四国で1泊したことになります。どこかに寄り道をしたのかもしれませんが、昔のことなので寄り道をしたかどうかは覚えていないのです。料金は1170円でした。調べてみると、こんぴら丸には初代と2代があります。高松⇔神戸で当時就航していたのは阪神高松ジャンボフェリーで、加藤汽船のりつりんこんぴらと関西汽船の六甲丸生駒丸の4隻が共同運行していました。
・こんぴら りつりん
  1969年竣工 1978年改造
  2834総トン、全長83.5m、幅25.0m、型深8.0m 旅客定員859名
  出力2500馬力x4基、航海速力19.0ノット
  車両積載数:トラック(8t換算)19台
  船型:双胴型
  日本鋼管建造
     1ノットは1.852km/hです。つまり19ノットは35.188km/hになります。
     参考ですが、戦艦大和の最大速力は27.46ノット(50.86km/h)でした。

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高松城の写真が残っていたので、高松市内は廻ったようです。
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東京都の新型コロナ関連 埋込コード [話題]

本記事は「新型コロナウイルス感染者の推移」のサブ記事です。→ポチッ
東京都は最新感染動向サイト新規感染者/累計感染者のグラフの埋込コードを公開しており、貼り付けさせていただきました。カーソルを棒グラフの所に持って行くと感染者数と日付を表示します。
これ以外に東京都最新感染動向サイト検査陽性者の状況検査実施状況陽性患者の属性検査実施人数検査実施件数相談件数受診相談件数地下鉄の利用者数の推移都庁来庁者数の推移陽性率の推移の埋込コードも公開しています。クリックすると拡大
②~⑧のグラフと合わせて8つのグラフの表示するとパソコン(PC)だとOSの違いにより数秒~数分の時間がかかったので②~⑧のグラフは取りやめました。全てのグラフ(①~⑧のグラフ)を表示する記事の表示はこちらです。→ポチッ
①新規感染者/累計感染者


埋込コードは時間がかかるので新型コロナウイルス感染者の推移の記事には下のハードコピーを掲載していましたが、今は埋込コードに切り替えました。

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戦闘の回廊 Galerie des Batailles [ヴェルサイユ宮殿]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2020年2月07日修正 タイトル:紹介の絵画のタイトルを修正
コメント頂いたじみさんの指摘により掲載した絵画のタイトルが間違えていた(別の絵のタイトルを記載)ことが分かりました。クリックすると拡大修正のために再掲載させていただきます。間違いが出ないように絵画の下に額縁の下の説明板(右の写真)を3枚の絵画の下に追加させていただきました。
1,365/62/14
追伸
2020年2月7日~2月18日まで関西に行きます。ネット事情の関係で皆様の所に訪問出来ないことをお許しください。

2016年9月20日掲載 タイトル:戦闘の回廊 Galerie des Batailles
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この写真は「王子の階段」から小さな入口から入って最初に目に入って来る「戦闘の回廊」です。

今回紹介する「戦闘の回廊」はヴェルサイユ宮殿の中で最も大きな部屋です。この回廊は、下の航空写真でも判るように、南翼の2階全体を占めていて、1837年にルイ=フィリップ王によって作られました。ちなみにルイ=フィリップ王の在位は1830年8月9日から1848年2月24日です。ヴェルサイユ宮殿自体は1624年にルイ13世の狩猟の館として建てられたのが始まりで、その後に増築が行われて1682年にルーブル宮殿から、政府と宮廷が移されて宮殿となり、その後も増改築が行われました。
  ヴェルサイユ宮殿    1682年建設 Château de Versailles 本館
  鏡の回廊  長さ 73m 1687年完成 Galerie des Glaces
  戦闘の回廊 長さ120m 1837年完成 Galerie des Batailles


ヴェルサイユ宮殿で最も大きな部屋の大きさは
 長さ 120 m
 幅   13 m   です。
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壁に掛けられた35点の絵画は、トルビアックの戦い(496年)からワグラムの戦い(1809年)まで、フランス軍の歴史における最も重要な出来事を描いたもので、ウジェーヌ・ドラクロワ作の「タイユブールの戦いの聖王ルイ」、フランソワ・ジェラール作の「アンリ4世のパリ入城」、オラス・ヴェルネ作の「フォントノワの戦い」などがあります。
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上の写真と似ていますが見ている方向が違います。こちらの写真は窓が左にあり、上の写真は右にあります。つまりこの写真は南から北方向を撮った写真なのです。この部屋では600人から800人までのディナーパーティーを開催することができます。
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こちらの写真も窓が左にあるので南から北方向を撮った写真です。「戦闘の回廊」では北端と中央と南端にそれぞれ8本(北端)、32本(中央)、8本(南端)の柱が建てられており、それが回廊のアクセントになっていました。写真に写っているのは中央と北端の柱群です。
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中央の32本の柱群からの「戦闘の回廊」の景観です。ここが回廊の中心部になります。片側が60mで総長さが120mになります。
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天井は天窓になっていました。
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天窓と梁の間の天井の装飾です。
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中央の32本の柱群と天井の飾りです。
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その柱群の部分の天井の装飾を拡大いたしました。
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35点の絵画はいずれも大きかったです。
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絵画をいくつか紹介したいと思います。こちらは1807年6月14日の戦闘を描いたもののようです。額の下の説明板の拡大写真を追加いたしました。
BATAILLE DE FRIEDLAND
GAGNÉE PAR L'EMPEREUR NAPOLEON.
14 Juin 1807.
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絵画と絵画の間には沢山の石像が飾られていました。
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こちらの絵画は1242年7月21日の戦闘を1837年に描いた作品のようです。こちらも額の下の説明板の拡大写真を追加いたしました。タイユブールの戦いで1242年7月21日にセントルイスで勝利した瞬間のようです。コメント頂いたじみさんによれば、ウジェーヌ・ドラクロワ(Fedinand Victor Eugene Delacroix 1798年~1863年)の作品だそうです。クリックするときれいな飾りも含めた拡大写真を表示します。(2020年2月6日追記)
BATAILLE DE TAILLEBOURG
GAGNÉE PAR SAINT LOUIS
21 Juillet 1242.
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こちらの絵も大作です。こちらは1214年7月27日の戦いのようです。こちらも額縁の下の説明板の拡大写真を追加いたしました。
BATAILLE DE BOUVLNES
GAGNÉE PAR PHILIPPE AUGUSTE
27 Juillet 1214.
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回廊の一番北側の部分です。
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その北側の壁の絵がこちらです。
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そして、こちらが南の端です。
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南の端の壁の絵を拡大いたしました。
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回廊の南端に近い場所から見た外の庭園の景色です。
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回廊の南端からは元の場所に戻る細い廊下がありました。その廊下の写真を紹介したいと思います。
  戦闘の回廊
  廊下


戦闘の回廊の南端の出口を出てすぐの通路(廊下 )です。突き当りを左に曲がるとまっすぐな廊下を見ることが出来ます。
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こちらが、その長い廊下です。回廊と呼んでもいいかもしれません。石像が沢山並んでいました。
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途中で窓がなく暗くなる所かせありました。
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暗いところを過ぎるとまた明るくなりました。
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外には煙突が沢山見えました。
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出発地点である「王子の階段」に戻ってきました。
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下から見上げた「王子の階段」です。ここから1階に下りました。
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追伸
今日2016年9月20日から9月27日まで関西に行っています。その間はネット事情の関係で皆様のところに訪問できないことお許しください。


2016年9月20日 14時10分追伸 タイトル:飛行機が欠航になりました。
成田空港11時55分発で関西空港行きのフライトに乗るつもりで成田空港まで行きました。台風16号のために、結局12時20分に欠航との結論になりました。今日の新幹線に乗るつもりで、搭乗口を一番で離れて駅に向かいましたが、念のため航空会社のチェックインカウンターの一部に欠航扱いカウンターが開かれたので、話を聞いてみようと行ってみると、先頭に並ぶことが出来ました。今日のフライトは満席だったので、明日の朝一のフライトを聞くと空いていたので、そちらに変更してもらい、先ほど家に帰ってきました。幸いにも台風16号は9月20日21時ごろに、静岡県沖で温帯低気圧に変わりました。
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木曽馬の馬搬 [思いで]

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学生時代のサイクリング部の現役との交流会が2020年2月8日があることから、我々が現役の頃のサイクリングを紹介するために右下のようなパワーポイント(PP)を作成しています。参考の右下のPPは2018年の時のものです。昔の写真を懐かしく思いながら編集しているのですが、その中で今となっては貴重な写真があったので紹介します。その1枚が上の写真です。木曽馬が木材を運んでいる馬搬(ばはん)の写真です。この写真は会社に入社した年の11月17日に撮った写真ですが、会社が終わった金曜日に大阪駅から夜行で木曽福島駅まで行き旧飛騨街道を走っている時に撮ったものです。
馬搬は林業の発達とともに昔から行われていましたが、林業の機械化により衰退していまいました。私が見た時代もすでに機械化が進んでいてほとんどの場所では馬搬は過去のもので、当時でも珍しく初めて見て感激したのを思い出しました。木曽地方には馬搬が残っていたのです。現在では馬搬振興会などで技術を伝えているのが現状のようです。

上の木曽馬の写真を撮った場所をGoogle地図のストリートビューで探してみました。黒川の支流の西洞川に沿った旧飛騨海道を走っている時に見つけました。黒川は木曽川の支流です。したがって西洞川も木曽川の支流になります。ここに馬搬の道があって奥から馬が歩いてきたのです。
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馬搬(ばはん)を横から撮った写真です。実は道を走っている時に最初にこの光景に出会ったので、道を戻って馬が道路に出てくると思われるところで待ち受けていて、上の写真を撮ったのです。
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最初の写真の時と同様にGoogle地図のストリートビューで探してみました。道の石垣が当時の雰囲気を残しています。2020年2月時点のこの辺りのストリートビューの写真は2014年7月に撮影されたものでクリックすると拡大す。
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もう一枚、趣のある場所があったので紹介します。
上の木曽馬を見た場所から1.8km進んだところです。残念ながらこの写真には私ではありません。写っている彼は同期として神戸事業所の同じ課に配属になり私の影響で自転車を買い、一緒に何度か走りました。東京に組織ごと転勤になった時も一緒で今で親しくしており、同じゴルフ倶楽部の会員で年に何度もゴルフをします。写っている本人も、この写真は気に入っていて部屋に飾ってあるそうです。
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上の写真の建物が現在はどうなったのかが気になったので、Google地図のストリートビューで探してみました。1軒は現在も使われているようでした。航空写真ストリートビューを交互に表示しています。この写真も含めてストリートビューの写真をクリックするとオリジナルを表示するようにしています。
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木曽福島駅から久々野駅(くぐの駅)までのルートを紹介します。木曽馬も含めて全ての景色が偶然出会ったものでした。右下の細長い写真は現在の久々野駅と駅前の道路から見た久々野駅周辺の景観です。
 徒歩ルート図 → 全ルート 地蔵峠(頂上) 長峰峠(頂上)
クリックすると拡大  木曽福島駅
  木曽馬の馬搬の写真撮影場所
  古い建物の写真撮影の場所
  朝日ダム
  久々野駅

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左が木曽福島駅で右が久々野駅の手回り品切符です。
       木曽福島駅          手回り品切符(久々野駅)
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こちらが当日の木曽のサイクリングに関する画面です。2018年までのPP画面は横縦比は4:3でしたが2019年からは16:9にいたしました。
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今までの私の出席状況です。2011年から海外に行っていた2012年を除いて全て出席しています。縮小しているので分かりにくいと思いますが、クリックするとオリジナルサイズ(1920 X 1080)を表示します。
2014年からパワーポイント(PP)での説明を始めました。
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他の写真も紹介します。黒のダウンと赤のウインドブレーカーと雨具を状況に応じて使い分けています。途中の滝の名前は今となっては判りませんが有名な滝だと思います。
クリックすると拡大その途中の滝は岐阜県高山市高根町中之宿にある右の写真の青氷の滝かもしれません。 右は転用させていただいた夏と冬の写真を交互に表示させています。下の写真はクリックすると拡大いたします。着色文字のSVをクリックするとその場所の現在のストリートビューを表示します。
     木曽福島駅 SV           地蔵峠 SV
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       途中の滝             長峰峠 SV
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白樺の林も雨で白が目立っていました。開田高原も近くにありました。ハイキングコースとして地蔵峠コース(約9.5km)と折橋峠コース(約8.8km)が紹介されていました。
        白樺 SV          開田高原の看板 SV
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途中で野麦峠を越える野麦街道と合流いたしました。現在は飛騨ぶり街道(越中東街道)と呼ばれています。そのあたりから雨の中のサイクリングとなりました。朝日ダムに着くころには雨が止んだようです。後半の高根第一ダム(高根乗鞍湖)→高根第二ダム(湖の名称未定)→朝日ダム(朝日貯水池)→秋神ダム(秋神貯水池)・久々野ダム(久々野貯水池)あたりは新しい道が通っていることから昔に通った道はストリートビューでは出ないところが沢山あります。
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      朝日貯水湖 類似の橋        朝日ダム SV
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