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山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。 無動寺 [神戸]

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前記事で紹介した六條八幡宮(六條八幡神社)の次に訪問したのが、今回紹介する無動寺です。上の写真は六條八幡宮を出てすぐの場所で無動寺に向かっているところです。最初はこのようにのどかな道でした。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策→クリックすると拡大六條八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅
今までに書いた本ハイキングに関しての記事のタイトル
 久しぶりに神戸電鉄に乗りました。
 下谷上農村歌舞伎舞台
 現存する日本最古の民家が神戸にありました。  箱木千年家
 つくはら湖の湖畔の散策
 山田町に室町時代の三重塔がありました。    六條八幡宮
 山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。無動寺
 室町時代前期建立の神社が残されていました。  若王子神社
 ハイキングの最後はやっぱり打ち上げ飲み会   いけや食堂(箕谷)
                        海鮮居酒屋・海流(三宮)
着色タイトルをクリックすると記事を表示します。

国指定の重要文化財(重文)の三重塔(さんじゅうのとう)がある六條八幡宮()から無動寺までの道を最初に順番に紹介したいと思います。今回のハイキングで登り坂があったのが無動寺に向かう道でもありました。
  六條八幡宮
  無動寺
  若王子神社
  無動時 奥の院
  谷寺口バス停
 ━━ 散策ルート 六條八幡宮()→無動寺()→若王子神社()→
          →奥の院()→谷寺口バス停()


無動寺に向かう道から、振り返って六條八幡宮を見た景色です。判りにくいけれども右端に三重塔も写っています。
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途中に無動寺の道標がありました。無動寺はユースホステルもやっていたことを初めて知りました。


ここは、まだ無動寺への登り坂ではなく、上り下りが続く起伏のある道の中の上り坂の場所です。
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途中に新兵衛石と呼ばれている記念碑がありました。
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江戸時代の勇気ある15歳の若者の行動をたたえた石碑でした。この地の領主も心ある人だったことが、説明によってわかりました。
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ここからが無動時への登りです。見えている道を登っていくと無動寺に行けます。
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その登り坂の道を順に紹介していきますので、同じように登った気分になってもらえれば幸いです。
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なかなか無動寺には着きませんでした。
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やっと無動寺の文字が書かれた石碑が現れました。左の細い道の方向に無動寺があります。右側の太い道には進んでいませんが、Googleの航空写真から判断するに無動寺に付属した墓地の方向に進む道のように思われます。この写真を撮った辺りには「是より無動寺 新四國八十八ヶ所」と書かれた石碑が建っていました。
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無動寺に向かう道の途中には沢山の石碑がありました。
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こちらの石像が納められた台座には第壱番と書かれていました。台座を寄進したと思われる人の名前が書かれていました。この台座には渕上静雄さんと渕上春子さんの名前が彫られていました。
登っていくごとに第二番、第三番と続いていてすべての台座に寄進者と思われる方の名前が刻まれていました。石像は古いもののようなので、台座を平成年代(平成十二年~平成十三年)に建てて整備したものと思われます。番号が付いていることから新四國八十八ヶ所に関係しているのかもしれません。
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このように道沿いに並んでいました。
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最後は階段を上りました。ここの住所は兵庫県神戸市北区山田町福地字新池100です。山田町福地100でも通じるようです。
 名前 無動寺
 正式 若王山無動寺
 住所 兵庫県神戸市北区山田町福地字新池100
 山号 若王山
 宗旨 古義真言宗
 宗派 高野山真言宗
 本尊 大日如来
 創建 推古天皇の時代(伝)
 開基 聖徳太子(伝)
 中興 真源阿闍梨
 札所 近畿三十六不動尊  十番霊場
    神戸十三仏    十二番霊場
    摂津西国三十三ケ所 九番霊場
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こちらが無動寺の本堂です。無動寺の期限は推古天皇の時代に遡るそうです。その推古天皇の時代に聖徳太子が物部大臣守屋を討つために鞍作鳥(鳥仏師)に本尊大日如来と諸尊を作らせて戦勝を祈願して大軍を征破することが出来たことで、七堂伽藍を建立して普救寺(福寺)と名付けたのが始まりだそうです。残念ながらその後、衰退して寺は荒廃したそうですが、現在の堂宇は宝暦二年(1752年)に再建されたものだそうです。再建を発案したのは、高野山の高層であった中興開山眞源阿闍梨(真源和尚)でした。真源和尚が、この地に帰省した時に当寺の荒廃を見て復興の悲願を発案して、二十数年の歓進努力の結果実現したそうです。クリックすると拡大真源和尚(1689年~1758年)は現在の山田町の出身でした。記念のために右の記念写真を撮っていただきました。本記事のタイトルで紹介させていただいているように本堂の中に国指定の重要文化財のだけでも5体の仏像と県指定の重要文化財の仏像の1体の計6体の重要文化財の仏像が納められているのです。仏像は平安期のものであることから再建される遥か以前のもので、無動寺の起源に関わるもののようです。
仏像を拝観したい場合はインターホンを押すと住職が出てこられて入口の扉を開けてもらえます。
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拝観料300円を払ってそれらの仏像を拝見させていただきました。写真は撮ることが出来なかったので、神戸市のパンフレットの写真を掲載させていただきました。後方の大きな仏像が大日如来坐像で手前の右側が不動明王坐像で左の手前が十一面観音立像です。
クリックすると拡大本堂の中に入っても仏像は見当たりませんが、祭壇の後ろ側に廻ると奥殿部分に右図のように仏像がガラス張りの耐火構造の部屋に並べられて、防火シャッターも設置されていました。本堂の萱葺の屋根も防火のために1983年に銅板にしたそうです。1955年に山火事があり本堂の茅葺屋根に飛び火し仏像も被害を受けたことを教訓にされたようです。さらに雨漏りの被害を防ぐために屋根を二重にして外壁と屋根に板張りをしたそうです。大きくて存在感のある大日如来坐像(国・重文)が中央に配置され、左側に釈迦如来坐像(国・重文)が、右側に阿弥陀如来坐像(国・重文)が設置させています。大日如来坐像の手前に下の写真のように左側に十一面観音立像(国・重文)、右側に不動明王坐像(国・重文)が置かれていて、その不動明王坐像の右側に阿弥陀如来坐像(県・重文)が置かれていました。
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無動寺と国指定の重要文化財の仏像の説明があったので紹介します。クリックいると読むことが出来ます。
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クリックすると拡大無動寺の5体の仏像の写真をホームページかせ転用させていただきました。数値は像の高さを示しています。仏像の写真は国・重文の記載順に左から並べています。
 国指定重要文化財(国・重文)
  大日如来坐像  桧材一本造 2.70m
  釈迦如来坐像  桧材一本造 1.20m
  阿弥陀如来坐像 桧材一本造 1.20m
  不動明王坐像  桧材寄木造 0.84m
  十一面観音立像 桧材一本造 1.50m
 県指定重要文化財(県・重文)
  阿弥陀如来坐像 桧材寄木造 1.20m
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拝観した時にいただいた資料を掲載いたします。7秒間隔で表と裏を表示させます。さらに一部の詳細を5秒間隔で表示します。クリックすると両面同時に字が読める大きさに拡大いたします。
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境内の景色を紹介します。鐘楼です。
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茅葺の住居と思われる建物がありました。説明書には庫裡と書かれていました。庫裏は「くり」と呼ぶそうで、仏教寺院における伽藍のひとつです。一般的には寺院の僧侶の居住する場所、また寺内の時食を調える、つまり台所も兼ねる場合があるそうです。なお現代では、その多くは僧侶の居住する場所をいうことが多いとのことです。
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この茅葺の建物は見事でした。
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すでに紹介した日本最古の民家と言われている箱木家住宅の屋根の飾りと同じなので拡大いたしました。が箱木家住宅を別の場所で見つけたので紹介します。クリックすると拡大

特徴的な竹の根元を使った部分を拡大いたしました。この地域の特徴の飾りなのかもしれません。
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境内にはこのようなお堂もありました。不動堂と書かれています。
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本堂から5分くらい登ったところに奥の院があるということなので行ってみることにいたしました。航空写真の中の若王子神社に関しては後日紹介したいと思います。


無動寺の境内から奥の院までは、このような道が続いていました。
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細い道の先に門が現れました。門の先に階段があり、階段を上がると奥の院の境内でした。
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これが無動寺の奥の院です。古い建物ではありませんが、趣がありました。弘法大師と書かれた扁額が飾られていました。高野山真言宗である証でもあります。
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写経奉納法要の時には境内で歌舞伎が奉納されるようです。→ポチッ
もみじ祭りでも歌舞伎が行われたようです。ネットに掲載されていた動画を紹介します。


追伸
令和元年5月27日~6月2日までは関西です。そのため5月27日から6月2日までは皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
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