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小トリアノン宮殿(Petit Trianon) マリー・アントワネットが住んだ家 [ヴェルサイユ宮殿]

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前々記事でヴェルサイユ宮殿の敷地内の離宮である大トリアノン宮殿(Grand Trianon)を紹介いたしましたので、ここでは、同じくヴェルサイユ宮殿敷地内にある小トリアノン宮殿(Petit Trianon)を紹介いたします。フランス語ではLe Petit Trianonと書かれていますが、日本語ではは小トリアノン宮殿あるいは単に小トリアノンあるいはプティ・トリアノン離宮と訳されています。その小トリアノン宮殿は新古典主義建築で、建物は2階建ての正方形です。内装はロココ様式の最高峰とも評されるそうです。1762年から1768年に、ルイ15世の公妾のポンパドゥール夫人のために建てられたものでアンジュ=ジャック・ガブリエル(Ange-Jacques Gabriel)の設計によるものです。しかしながら、本宮殿が完成した時には、ポンパドゥール夫人はすでに亡くなっていました。その後1774年に、国王のルイ16世により彼の王妃であるマリー・アントワネットに与えられることで、マリー・アントワネットの専用の住居となりました。そのためにマリー・アントワネットと言えば「小トリアノン宮殿」と、周辺のイギリス式庭園である「王妃の村里」と連想されるようになったのです。

小トリアノン宮殿(Petit Trianon / プティ・トリアノン)はヴェルサイユ宮殿の北西方向の直線距離で1.4kmの位置にあります。
下記の地図のが小トリアノン宮殿です。
   ヴェルサイユ宮殿 紫色で囲った部分
   小トリアノン宮殿 臙脂で囲った部分
   大トリアノン宮殿 緑色で囲った部分
   マリー・アントワネットが暮らした村里
   ランチを食べたレストラン La Flottille
  ━━ ヴェルサイユ宮殿の敷地境界
  ━━ 徒歩で歩いた散策ルート
  ━━ 乗ったミニ・トレイン


周辺のフランス式庭園とイギリス庭園を散策した後、イギリス式庭園方向から小トリアノン宮殿が見えてきました。
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西に広がるフランス式庭園の方向から見た小トリアノン宮殿です。
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南方向から見た小トリアノン宮殿です。右奥に小さく見える小さな丸い建物はイギリス式庭園の中にある「愛の殿堂」と呼ばれているあずま屋です。
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小トリアノン宮殿から南側の石畳の広場を見た写真です。
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こちらは小トリアノン宮殿から西方向のフランス庭園の景観です。見えている建物はフランス式あずま屋です。
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そして、こちらが北方向の自然豊かな庭園の景観です。
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小トリアノン宮殿脇から見た東方向の景観です。左の建物が小トリアノン宮殿です。見えている丸い建物は「愛の殿堂」と呼ばれています。
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建物に入ると、最初に階段が目に飛び込んできました。豪華なヴェルサイユ宮殿や大トリアノン宮殿に対して、小トリアノン宮殿の内装は簡素さに特徴がありました。簡素さの中にも整然とした豪華さ、秩序、完璧さにあると書かれていました。
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見事な食器が飾られている部屋がありました。壁はシンプルで知らないで来ると王妃が住んでいたとは思えない内装でした。
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建物の石材がそのままの部屋もありました。
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通路も石材が直接見えました。ただし滑らかに仕上げられていました。
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一番印象に残ったのはこちらの部屋でした。装飾はありませんが壁の曲線と暖炉の曲線が美しかったです。
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右の壁際のレンガのテーブル状のように見える物は竈(かまど)で6つの焚口がありました。それぞれの火力を調整できたのだと思います。現代で言えばコンロである竈(かまど)の後ろの壁には鍋やフライパンが並べられていました。つまりここは小トリアノンの厨房だったのです。
お陰で16世紀のコンロである竈(かまど)の構造を勉強することが出来ました。写真をクリックすると拡大するので竈(かまど)の構造がわかると思います。
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次に2階を見学するために階段を登りました。
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2階に上がりました。
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クリックすると拡大階段や窓のの手摺は、錠前職人フランソワ・ブロショワによって作られたマリー・アントワネットの頭文字「MA」と王家のユリの紋章で装飾されていました。右の写真は玄関ホールから見た階段の写真です。このことからも小トリアノンがマリー・アントワネット王妃のための宮殿であったことが覗えました。
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階段ホールも石材がそのままの壁でしたが、見事な彫刻が施されていました。
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こちらの壁の彫刻は髪の毛が蛇で有名なメドゥーサです。直接に見ると石になってしまうことで有名です。メドゥーサ(Μέδουσα / Medoūsa)はギリシア神話に登場する怪物で、ゴルゴーン3姉妹の一番下の三女でした。姉はステンノー(強い女)とエウリュアレー(広く彷徨う)です。メドゥーサ(Medousa)の語源は女支配者、王妃、女王だそうです。
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クリックすると拡大2階に上がると金色の装飾がが使われていて、王妃の宮殿であったことが実感されてきました。最初の部屋に入ると、マリー・アントワネットの肖像画の中でもネット上で最もよく使われている1枚が飾られていました。この肖像画は、マリー・アントワネットが最もお気に入りだった女流画家ヴィジェ・ブランによる作品で、1783年に描かれたそうです。右の肖像画はWikimediaから転用させていただきました。
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次の居間も見事でした。大きなシャンデリアがありました。
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次の部屋は、また違った雰囲気でした。部屋の中央が見学通路になっていて、こちらの写真は通路の右側です。
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こちらの写真は通路の左側です。
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次の小部屋も女性の部屋らしい華麗さがありました。徐々にプライベートの空間に入ってきたように関しました。
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次の部屋がマリー・アントワネット王妃の寝室でした。見事なベット(寝台)が印象的でした。
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不思議な椅子状の物もありました。写っている説明書きには「Garde-robe à chaise Salle de bainsl」と書かれていました。Garde-robeはロードローブ(クロゼット/衣装ダンス)です。Garde-robeの部分は不鮮明で読み間違いがあるかもしれません。à chaiseは椅子で、Salle de bainslはバスルームです。全体的な意味は分かりません。ロードローブの意味がカギになって来るようです。今回の場合は収納箱的な意味の可能性が高いです。
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2階の見学が終り、階段を降りました。
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最初に見ていない1階の空間を見学いたしました。石の廊下です。
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芸術的に曲がった廊下も印象的でした。ここでフランス最高権力者の王妃(マリー・アントワネット)が住んでいたと思うと、感慨深いものがありました。
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