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丹波の篠山城 第80回ハイク [兵庫県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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今回は、私にとっては4回目の参加となる第80回ハイクの記事を掲載させていただきます。今回は兵庫県の丹波篠山の散策ですが、その中のメインイベントは篠山城の訪問です。上の写真は篠山城の石垣です。本記事では、その篠山城を紹介させいてただ来ます。80回続いている本ハイキングは私が入社して配属になった神戸事業所の方が数年前に初められました。私は第72回に初めて参加させていただきました。メンバーは関西に住んでおられる入社当時の人たちで懐かしい人たちなのです。私のみ関東在住なので関西に行ったときに参加させていただいています。
先頭の☆マークが参加あるいは参加予定のハイクと飲み会です。※印の第81回と第82回ハイクは新型コロナウイルスの感染拡大のために中止との連絡が入りました。次は安心して集まってハイキングをして飲み会も出来るようになってからになるそうです。このハイキングに参加するきっかけは2018年12月26日の忘年会への参加でした。
☆    2018年12月26日(水) 忘年会 権太
 第70回 2019年01月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年03月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
☆第72回 2019年04月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
 第73回 2019年05月18日(土) 奈良斑鳩の里での散策ハイク
 第74回 2019年06月15日(土) 神戸にある世界の宗教寺院巡りハイク
☆    2019年07月16日(火) 夏の親睦会 燦(SUN)
 第75回 2019年09月20日(土) 神戸鶉野飛行場跡各種設備など散策ハイク
☆第76回 2019年10月19日(土) 京都洛西の竹林と古墳巡りハイク
☆第77回 2019年11月16日(土) 太陽の塔の内部見学(予約)と周辺散策ハイク
☆    2019年12月25日(水) 忘年会 権太
 第78回 2020年01月16日(木) 神戸井植記念館と周辺散策ハイク
 第79回 2020年01月30日(木) 京都迎賓館と周辺散策ハイク
☆第80回 2020年02月15日(土) 丹波篠山ハイク
※第81回 2020年03月21日(土) 青春18きっぷによる敦賀市内散策
※第82回 2020年04月16日(木) 明智光秀の居城・福知山城を巡るハイク

クリックすると拡大集合はJR福知山線の篠山口駅に10時のため実家の最寄駅の阪急・逆瀬川駅で8時48分発の電車に乗るために8時半ごろに実家を出発いたしました。写真は逆瀬川駅の名前の元となった逆瀬川(武庫川の支流)です。右側の川沿いの道を登っていくと六甲山に行けます。見えている山が六甲山のの東の端になる東六甲エリアです。高校時代から関東に転勤になるまではよく歩いたところです。自転車でもよく六甲山を登りました。今は判りませんが、そのころは競輪選手がトレーニングのために自転車で登る道でもありました。川の左側の建物のために見えませんが建物の向こうに甲山があります。川の右端まで戻ると甲山が見れます。次は甲山も入れた写真を撮りたいと思います。
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上で川の端まで戻って写真を撮ると書きましたが、川の端では甲山は見えなかったので道路の端まで戻って撮ってみました。この位置だと甲山を撮ることが出来ました。六甲山の裾野も写っています。
六甲山は「ろっこうさん」と読みますが、甲山は「こうさん」「かぶとさん」ではなく「かぶとやま」と読みます。六甲山(ろっこうさん)は百万年前以後の六甲変動と呼ばれる地殻変動によって隆起し約1億年前に地下深くで生まれた花崗岩が露出した山ですが、甲山(かぶとやま)は1200万年前に噴火して出来た山で、岩質は輝石安山岩で出来ています。六甲山の名前の由来は諸説ありますが、最も夢が込められた説は、神功皇后が朝鮮遠征から帰還する途上に反乱者に襲われ、反乱者六人を捕らえ、その六人の首と兜を埋めたのことから六甲山の名前がついたというものですが、、六甲の字が使われ始めたのが江戸時代の元禄の頃なので信憑性はないようです。甲山の名前も諸説ありますが、確信が持てるまでは至っていないようでが、「かぶと」と読むことから形に由来しているように感じます。
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こちらが逆瀬川駅です。8時48分発の電車に乗る予定でしたが余裕で8時42ふんの電車に乗れました。
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こちらがJR宝塚駅です。
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そして、こちらがJR宝塚駅の改札口です。お袋と年4回行く山口県への墓参りの時に必ず使っている駅です。ここから新大阪駅まで乗り換えなしで行けるので利用させていただいているのです。その時に乗り換え時のお袋の車椅子の貸し出しをお願いしていて親切な対応に感謝している駅でもあるのです。
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8時50分発の新三田行の普通電車がありましたが、残念ながら新三田は篠山口よりは手前の駅なので、予定通り9時2分発の篠山口行きの快速電車を待つことにいたしました。
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改札からホームに降りると8時50分発の新三田行の普通電車がすぐに入ってきました。
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日本海側にある城崎温泉に行く特急こうのとり75号の写真もとることが出来ました。
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私が載った9時2分発の篠山口行きの快速電車です。この写真を撮るために先頭斜視量に乗りました。今回のハイキングの参加者は10名で全員がこの電車に乗っていたことは篠山口のホームに降りて初めて知りました。ただし宝塚駅から乗ったのは私を含めて6名で他の4名は神戸電鉄で新三田まで来て乗り換えたそうです。宝塚から乗った6名の方の中の1名の方とは電車に乗ってすぐに気が付いたので話しながら電車の旅を楽しむことが出来ました。
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道場駅の近くの景色です。電車に沿って流れているのが武庫川で、正面から流れてくるのが有馬の方から流れてくる支流だと思います。合流部分に岩があり小さな滝になっている景観でした。
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篠山口駅に着きました。ホームの階段の近くで全員が待っておられました。
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篠山口駅の改札口から外に出ました。
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篠山口駅は町から離れているので、このバスで町の中心地に近い二階町まで移動しました。すぐに出発したので駅の周辺の写真は撮れませんでした。
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そこでバスの車内から撮ったJR篠山口駅の写真を紹介します。写真の中の右側のバス乗場からバスに乗りました。
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こちらがバスの車内です。
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JR篠山口駅から篠山城の近くの二階町バス停までのバスルート(━━)です。ただしGoogleで自動で表示されたルートなので実際のバスルートとは多少は違うかもしれません。オリジナルはこちらです。→Google地図
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篠山の町に入ると昔の雰囲気のある街並みがあちらこちらにありました。
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二階町に着きました。
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二階町では我々だけでなく沢山の人が下車されました。


バス停の前で町の中をどのように廻るかを決めて出発しました。とりあえずは篠山城に行くことにいたしました。
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途中に大正ロマン館があったので中に入りました。昔、篠山町役場だったそうです。
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大正ロマン館の中には趣のあるカフェもありました。
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こちらが土産物売り場エリアです。私は黒豆パンをお土産に買いました。
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こちらがお土産で買った黒豆パンです。
大きな丹波篠山の黒豆が入ったパンでした。
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やはり大正ロマン館は篠山町役場でした。説明を読むと大正11年11月に新築上棟式を行い大正12年4月から篠山町役場として使われてきたそうです。役場として引退したのは平成4年3月なので約70年間町役場として活躍した建物でした。大正ロマン館として第2の活躍が始まったのは平成5年6月3日だそうです。この後、すぐに篠山城に向かいました。
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大正ロマン館館を出て城に行く途中に趣のある建物群と門がありました。クリックすると拡大建物群は青山歴史村で新しい建物のようでしたが、門は地方役所門で古いもののようでした。右の写真は大正ロマン館を出たところでした。このころも新型コロナウイルスの感染者が出ていましたが、まだ少なかったけれどもハイキングに参加した人の多くはマスクをしていました。
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地方役所門の場所から振り返ると篠山城の台形状石垣と堀が広がっていました。1609年(慶長14年)に城が築城されていましたが明治維新で廃城令により大書院以外は取り壊されたそうです。その大書院も1944年1月6日の夜にに火災により焼失したそうです。その大書院は地元の方々の長年の思いにより2000年3月に復元されたそうです。台形状の石垣の上の三角形の屋根が復元された大書院です。
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上の写真は本地図の北堀と書かれた位置の左側(西側)の道の辺りから撮りました。二階町バス停や大正ロマン館は、そこから北方向(上方向)に行ったところにあります。正方形の城を外堀の北堀、西堀、南堀、東堀が囲む平山城でした。
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上の地図に書かれていたa、b、c、dの部分の説明資料の中の写真を紹介します。b以外のa、c、dに関しては私が撮った写真も下の方で掲載しています。
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航空写真を紹介します。航空写真内の+のアイコンを1回クリックすると上の図と同程度の縮尺になります。橙色(━━)のラインは今回の第80回ハイキングでの散策したルートです。


こちらが北堀です。かなりの幅の広さです。これからも防御に徹した城であったことがうかがえます。
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北堀を渡って三の丸から撮った篠山城の中枢部の写真です。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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石碑の前で記念写真を撮りました。左側の道を進むと城の中枢部であった天守台、本丸、二の丸、大書院に行けます。篠山城は関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康がクリックすると拡大豊臣氏の大阪城の包囲と豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を抑える拠点とするために篠山盆地に築いた城です。築城工事は西日本の15カ国20諸侯の大名に夫役を命じて普請方式で行われ、僅か1年足らずの1609年(慶長14年)に完成したことは有名な話です。
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この道を上がっていきました。この道は北廊下門跡でもあります。両側に高い石垣がある部分に表門(大手門)がありました。大きな門であったことが石垣の高さから想像できます。
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北廊下門の両側は堀(内堀)になっていました。こちらが東側の内堀です。
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そしてこちらが北廊下門の西側の内堀です。
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表門跡を通過したあたりです。
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表門を右に曲がったところに中之門がありました。枡形と呼ばれる構造で侵入した敵軍の動きを妨げるための広場です。
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この辺りに中之門があったようです。見事な石組みです。角の部分の出角の部分は「算木積み(さんぎづみ)」の工法が使われていて、その他の部分は自然石をあまり加工しないで積む「野面積み(のづらづみ)」です。石積みは滋賀・近江の穴太衆(あのうしゅう)によって行われたそうです。
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石垣に使われている石にはマークが入れられたものがありました。何のためのマークかは中で放映されている映像を見てもらえれば判ると思います。
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マークを拡大いたしました。いろんな場所で見ることが出来ます。
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門が取り付けられている場所に鉄門がありました。表門(大手門)からこ鉄門の部分が最終的な防御線だったようです。
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ここに鉄門がありました。
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鉄門跡を抜けると大書院が見えてきました。
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クリックすると拡大北廊下門から鉄門までの防御の構造説明図があったので紹介します。この説明図は右に小さく表示している二の丸御殿整備図の一部を切り取ったものです。整備図から石垣に使われている石は黒系花崗岩と白系花崗岩と錆系花崗岩であることが判りました。画面をクリックすると二の丸御殿整備図全体を表示します。
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正面に見えているのが大書院の入口です。先ずは大書院の内部を見学してから城をみることにいたしました。
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大書院だけのチケット400円ですが、街の中にある武家屋敷(200円)と青山歴史村(デカンショ館 300円)と歴史美術館(400円)をセットにした共通券にすると600円で見れることから共通チケットを購入いたしました。単独で入ると合計で1300円になるので共通券を買うことをお薦めします。それぞれの場所に行くとコーナー部の三角形が切り取られます。右上のコーナーが大書院なので写真を撮る間もなくその場で切り取られしまいました。
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チケットを買った時にいただいた4つの歴史館の資料を掲載いたします。クリックすると面積で16倍に拡大するようにいたしました。これならば内容を読むことが出来ると思います。
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こちらが資料の裏側です。
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大書院の中では先ずは展示室を見ました。篠山城の歴史が判ります。
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藩主の正室が嫁入り道具として持参した「古今集かるた」も展示されていました。
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天保10年3月5日(1839年)に12代将軍・徳川家慶が13代藩主・青山忠長に与えた知行宛行朱印状です。
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明治初期の大書院です。一部だと思われますが、まだ銃口のある城壁が石垣の上に残っているが判ります。
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シアター室で13分の映像による説明が行われていました。
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大書院の内部を見学させていただきました。入口近くの部屋です。
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大書院で最も広い虎之間です。広さは36畳です。もうすぐ雛祭りの時期だったので雛人形も飾られていました。上の写真も虎之間です。
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雛人形を紹介します。正面からの写真です。
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斜めからの写真です。建物内の写真はOKですが、文化財保護の観点からフラッュは禁止されていました。
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髪形が面白いので拡大いたしました。
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襖(ふすま)の前に柵が置かれて「入室はご遠慮ください。」と書かれた闇リ之間(くらがりのま)がありました。残念ながら襖が開いていなかったので部屋を見ることは出来ませんでしたが、大書院の建物の中心にある18畳半の部屋です。襖が閉まって照明が無ければ、昼間でも名前の通り真っ暗の部屋なのだと思います。今回、唯一見ることが出来なかった部屋です。
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回廊沿いの隣りの部屋(手鞠之間)には鎧(甲冑)も沢山展示されていました。
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大書院の中央には9つの畳の部屋があり、周囲に回廊のように板床の広縁がありました。内部の保護のためか板戸(雨戸)は少し隙間を開けて締められていました。チケット売り場でいただいた資料には9つの部屋のうち8つの部屋に名前が書かれていました。
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板戸の隙間から撮った北方向の外の景色です。山の景色は昔と同じと思うと感慨深いものがありました。
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クリックすると拡大その広縁(回廊)も見事でした。回廊の先の左側に車寄せがあると思われます。右の小さな写真がチケット売り場でいただいた説明書に載っていた車寄せです。車寄せを外から撮れる場所には行けなかったので説明書の写真を使わさせていただきました。
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大書院の模型が置かれていました。前に置かれているのはオリジナルの鬼瓦だと思います。模型で入口のようになっているところが、上で説明した車寄せです。現在は展示館の方(模型の右側)から出入いたします。
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鬼瓦の一つを拡大いたしました。
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別の角度から見た大書院の模型です。模型が置かれていたのは源氏之間です。
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金屏風が置かれている部屋もありました。名前は草花小禽図屏風(そうかしょうきんびょうぶ)です。篠山藩主青山家に伝えられていた屏風で、江戸時代後期に狩野養川によって描かれたものだそうです。
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金屏風が置かれている部屋の前の広縁は、文化財の保護のためか暗くなっていました。実は上の写真はかなり暗くて絵が見えにくかったのですが、パソコン(PC)で露出調整をして絵が見えるようにいたしました。部屋の名前は葡萄之間(21畳)でその前に車寄せがあります。つまり写真の左端の柵が写っているところが来るの寄せです。写真撮影は許されていますが、フラッシュを使っての撮影は文化財保護のために禁止するとの表示もありました。
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由緒ある篠山城の梵鐘も展示されていました。この梵鐘は4代藩主・松平安信が1672年(寛文12年)に二世安楽を願って作り、篠山城内の道場にかけていたそうです。その後、京都の新熊野権現社や蓮花寺に移されていましたが、310年ぶりの1983年に篠山に戻ってきたそうです。
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大書院で最も格式の高い上段之間です。部屋には付書院、大床、天袋、違棚、帳台構を備えた正規の書院造りの見事な部屋でした。右端の絵が連なった部分が帳台構です。
本写真も絵が見えるようにPCで露出調整させていただきました。こちらは隣の部屋(次之間)の前の広縁(回廊)から撮りました。写真の右下のコーナー部分の1段低くなっているエリアが次之間です。
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こちらの部屋の絵も見事だったのでPCで露出調整いたしました。上段之間の隣の次之間です。上段之間と次之間の間には襖(ふすま)はなく一つの部屋のようになっていますが上段之間が一段高くなっています。この写真は上段之間側の広縁から上段之間越しに撮った写真なので左下コーナー部分に少しだけ上段之間の畳が写っています。
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抹茶や和菓子が楽しめるエリアもありました。このエリアの前の部屋は孔雀之間で、この部屋にも甲冑が展示されていました。
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こちらが孔雀之間の甲冑です。最初に紹介して甲冑が置かれていた部屋は別の部屋です。全員ではありませんが記念写真も撮りました。
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珍しく小さな部屋があったので写真を撮っておきました。写真を撮った順番などから上段之間の帳台構の裏側(上段之間と孔雀之間の間)にある9つ目の部屋と思われます。この部屋にも入ることが出来ません。後でわかったことですが、この部屋には帳台之間という名前が付いていました。
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大書院の平面図を紹介します。上段之間と次之間の位置関係が判っていただけると思います。すでに紹介した大書院で最も広い虎之間や、金屏風が置かれていた葡萄之間や、甲冑が置かれていた手鞠之間と孔雀之間や、大書院の模型が展示されていた源氏之間の位置も判ると思います。クリックすると拡大唯一、写真が撮れなかったのが闇リ之間ですが、虎之間にあった闇リ之間の入口の右の写真の襖(ふすま)は撮りました。
 入れる部屋  孔雀之間 虎之間 手鞠之間 
 入れない部屋 上段之間 次之間 葡萄之間 源氏之間 闇リ之間 帳台之間
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上の平面図の中の1~6の部分の写真が説明書に乗っていました。その6枚を紹介したいと思います。1と6以外は掲載した私の写真の中に写っています。探せば見つかると思います。
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広縁を一周してしてきて雛人形の置かれている部屋に戻りました。我々が来たときは人が少なかったけれども沢山の人が見学に来られていました。きっとNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の影響が篠山城にも影響しているのだと感じました。もちろん明智光秀の時代には篠山城は作られていませんが明智光秀の居城の福知山城が近いのです。
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大書院の内部を見た後は外から大書院を見たり本丸や二の丸エリアを見学いたしました。写真は西南西方向から見た大書院です、
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クリックすると拡大こちらは南南西方向から見た大書院です。大書院の前の大きな広場は二の丸御殿があった場所です。地面には、そこに何があったのかが右の写真の白いタイルで表示されていました。大書院の左の建物は資料館です。
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防御に徹した城と言うことで、沢山の井戸が掘られたことも有名です。その中のいくつかが今も残されていました。
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井戸の上には転落防止用の細かい目の鉄格子が取り付けられていますが、その間から中を撮りました。目では全く判りませんでしたが、PCで露出調整してある程度は見えるようにいたしました。
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二の丸の最も南から撮った大書院です。
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その場所に門がありました。名前は埋門と呼ばれていて非常時には埋めて遮断することになっていたもんだそうです。後で知りましたが近くの石垣には普請総奉行の池田輝政の刻印が残っているそうです。門を出てすぐ右(西側)の石垣にあるそうです。
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ダメ元で、撮った写真の中から探してみると、刻印が写った写真がありました。これが普請総奉行の池田輝政の刻印です。もらった説明書に乗っていた写真と見比べてみた結果、正真正銘の池田輝政の刻印でした。
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反対側(東側)の石垣も紹介します。こちらには刻印らしいものはありませんでした。
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門の外側から内側を撮りました。足場がないので、この写真を撮った位置よりも遠くからは写真は撮れませんでした。石段の上に見えている屋根は大書院の先端です。
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次に行ったのは本丸のあったエリアです。本丸エリアには神社が建てられていました。
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大書院の説明板が建てられていました。クリックすると説明が読める大きさに拡大いたします。
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大書院の間取りが書かれていたので掲載いたします。上で紹介した間取り図とは南北が反対です。こちらの間取り図は下方向が北になります。この図でわかったのが大書院の中の部屋を紹介した時に名前が無い小さな部屋を紹介しましたが、帳台之間(帳台の間)という名前が付いていることが判りました。つまり名前の付いている部屋が8つではなく次の9つだったのです。
 入れる部屋  孔雀之間 虎之間 手鞠之間 
 入れない部屋 上段之間 次之間 葡萄之間 源氏之間 闇リ之間 帳台之間 
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青山忠誠公追墓碑がありました。篠山藩第5代藩主青山忠良の十男で、明治時代の華族(子爵)だそうです。陸軍軍人で数少ない華族出身の将校の1人だそうです。
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神社を別の角度からも撮りました。
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天守台です。建っていた建物が見てみたいです。
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これが天守台の上です。景色が見事でした。
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本丸エリアの井戸も保存されていました。
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明治維新で廃城令により大書院以外は取り壊され、現在は外堀と内堀のの間に篠山小学校が建てられています。この小学校で勉強したことは一生の思い出となることでしよう。
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本丸エリアから二の丸エリアに戻って大書院の写真を撮りました。地面に白いものが見えると思いますが、上で紹介した二の丸御殿の中の設備の位置が書かれているのです。
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二の丸御殿の設備の場所を示す白いタイルです。ここに側用人詰め所があったことを示しています。
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二の丸御所の配置図です。立派な建物だったと想像できます。黒色の四角が設備の場所を示した白いタイルの位置だと思います。
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Googleの航空写真を拡大すると南北が反対ですが二の丸御殿の輪郭と白いタイルが確認できます。画面左端の中央に二の丸御殿整備図と記載した赤色長方形が上の説明図か書かれていた表示版です。表示版にGoogle地図の航空写真とQRコードを張り付けてGoogle地図で確認できることを追記すれば興味を持ち、その場でスマホを操作して確認する人も出るように感じます。


別の角度から見た大書院です。上の2枚上の二の丸御殿の配置図で説明するならば左下角方向から撮った写真です。Google地図であれは右上方向から見た構図になります。
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最後に大書院の前で記念写真を撮りました。右端が私です。
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入口でいただいた大書院の資料も掲載したいと思います。こちらのクリックすると面積で16倍に拡大いたします。
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こちらが裏側です。
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この後石垣で囲まれた坂道を下りて次の目的地の青山歴史村(デカンショ館)を目指しました。その後に武家屋敷に行き、昼食(そば処 一休庵)のあとに歴史美術館に行き、最後にお土産を買うために丹波栗菓匠大福堂に行きました。
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丹波篠山の場所を紹介します。電車マークは篠山口駅で、篠山口駅から二階町バス停までの距離は約5.9kmです。緑色マークの場所が丹波篠山で、そこに篠山城があります。青色マークが福知山城で、大阪城の場所にも黄色マークを付けました。最後の武将名は築城主です。
 篠山城  1609年築城 徳川家康
 大坂城  1583年築城 豊臣秀吉
 福知山城 1579年築城 明智光秀


追伸
2020年3月19日から関西に来ています。関東に帰るのは3月27日にその間はネット環境の関係から皆様のところに訪問できないことをお許しください。
タグ: 丹波 篠山
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コメント 18

Rinko

外を囲う石垣もステキですが、やはりお城の中は素晴らしいですね~!
お雛様の頭に乗せているもの、きっと意味があるんでしょうね^^
by Rinko (2020-03-20 07:41) 

夏炉冬扇

80回ですか。
続いてますネ。
世話役さんの努力だ。
井戸に水は?
by 夏炉冬扇 (2020-03-20 08:14) 

kazu-kun2626

石垣に圧倒されますね~
by kazu-kun2626 (2020-03-20 08:53) 

SORI

Rinkoさん こんにちは
石垣を見ていると沖縄のお城を思い出します。どちらも石垣にはこだわっているように感じました。
ほんとお雛様の髪飾りの由来が知りたくなります。
by SORI (2020-03-20 12:00) 

SORI

夏炉冬扇さん こんにちは
私も80回には驚かされました。これからも出来る限り参加したいと思っています。コロナ騒動が早く沈静化してほしいです。
さらに露出を調整して確認してみましたが、井戸はものすごく深くて底は見えませんでした。少なくとも外堀の水面よりは深く掘らないと水は出てこないと思います。こんな井戸を数十も掘ったのには驚かされました。
by SORI (2020-03-20 12:01) 

SORI

kazu-kun2626さん こんにちは
大書院以外の建物は明治の初期に無くなってしまいましたが、魅力的な石垣が残ったのは素晴らしいです。
by SORI (2020-03-20 12:01) 

*ピカチュウ*

SORI さん
こんにちはいつも有難うございます。
逆瀬川懐かしいです。上流にパンネルのパン屋さんが有りますね。よく甲山経由で行ったものです。
バスも神姫バスですね色で直ぐに思い出しました♪♪


by *ピカチュウ* (2020-03-20 13:29) 

SORI

*ピカチュウ*さん こんにちは
実家に泊まった時の朝食は、いつもパンネルの食パンです。美味しいですね。ただし買っているのは逆瀬川駅の近くのお店です。確かに懐かしいです。甲山経由の道もよく使いました。
by SORI (2020-03-20 15:01) 

coco030705

こんにちは。
篠山城、とてもきれいです。友人があちらのほうに居ますので、
一度訪れたいと思います。女雛の冠の飾りがすばらしいですね。
by coco030705 (2020-03-20 18:07) 

SORI

coco030705さん こんばんは
篠山の町にこのように立派な城が築かれていたとは知りませんでした。それだけに感動ものでした。
by SORI (2020-03-20 19:58) 

旅爺さん

80回目のハイクとは凄い記録ですね。
ハイクの度にいろんな想い出があって楽しいでしょう。
素晴らしい所でしたね。

by 旅爺さん (2020-03-21 09:58) 

SORI

旅爺さんさん おはようございます。
80回はすごい記録だと思います。暑い7月と8月と忘年会でみんなと会える12月以外は毎月行っているそうです。そんな中で新型コロナウイルスで81回(3月)と82回(4月)は中止になりました。5月に再開出来たらいいですね。
by SORI (2020-03-21 10:08) 

リス太郎

丹波篠山は兵庫か京都か。兵庫県人には兵庫県に決まってるとなるのですが、旧丹波国は兵庫と京都にまたがってます。丹波の黒豆というと京都を連想します。兵庫県がなぜ旧国をバラバラに集めたのかというのは、政治的な意図があったとなにかで読んだことがあります。
by リス太郎 (2020-03-21 10:19) 

SORI

リス太郎さん おはようございます。
兵庫と京都にリス太郎さんは縁が深いためか詳しいですね。
黒豆騒動があったと聞きました。丹波の黒豆は全国的に有名です。2004年11月1日に、いくつかの町が合併して新しく丹波市が出来たことで困ったのが篠山市だったそうです。篠山市の名物が丹波の黒豆だったからです。その他にも牛肉や他の農作物もありました。結局、2019年5月1日(令和新元号当日)に篠山市から丹波篠山市に名前を変えたとハイキングに参加したメンバーの方から教えていただきました。
by SORI (2020-03-21 11:38) 

ようこくん

篠山をこんなにも詳しくご紹介いただいてありがとうございます。
小学校は母の母校でもあり、今見ても本当に素晴らしい環境だと思います。
by ようこくん (2020-03-25 21:52) 

サンダーソニア

レトロなカラーのバスですね。
大正ロマン館 外観がステキです。
お雛様や鎧など見ごたえがありますね。
by サンダーソニア (2020-03-26 00:52) 

SORI

ようこくんさん おはようございます。
喜んでいただけてうれしいです。お城がある環境は素晴らしいです。お母様が、お城の中の小学校に通われていたとは驚きました。篠山と縁が深かったのですね。
by SORI (2020-03-26 06:29) 

SORI

サンダーソニアさん おはようございます。
初めて篠山の町の中を歩きましたが城下町の雰囲気を満喫できました。昨年の5月1日に篠山市から丹波篠山市に名前が変わったことも初めて知りました。
by SORI (2020-03-26 06:29) 

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