沖縄そばを食べて
首里城、
園比屋武御嶽石門、
玉陵を見たあとに訪れたのが中城です。上の写真は、こちらでもらったパンフレットにあった中城の航空写真です。
中城(なかぐすく)は世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」の中の一つです。中城(なかぐすく)はこのあたりの地名で、正確には中城城跡(なかぐすくしろあと)といいますが省略して中城と呼ばしてもらっています。
こちらは航空写真のように建物はありませんが、琉球石灰岩で築かれた石垣の遺構がはっきりと残っています。沖縄にはグスク(城)が300余りあったとされていますが最も遺構がよく残っていることで知られています。中城は14世紀後半に先中城按司によって造られ始めて15世紀前半頃までに護佐丸(ごさまる)によって完成したと考えられています。
こちらもパンフレットの中の説明図です。中城は連郭式の山城で「一の郭」「二の郭」「三の郭」「北の郭」「西の郭」「南の郭」の六つの郭(くるわ)で構成されています。
標高160mの丘陵の東崖縁を天然の要害として建てられました。それぞれの場所を写真で紹介します。
これが
⑤の裏門です。駐車場から歩いてくると最初にくぐる門でもあります。
駐車場からだと一番奥に
①の正門があります。
これは
⑧一の郭の城壁です。石積み技法は「布積み(豆腐積み)」で四角石を積み上げたものですが、後半に造られた
⑥三の郭の城壁は石積み技法の最も進んだ「あいかた積み(亀甲乱れ積み)」によって築かれた。
1853年に来島したペリー提督も、この地を訪れて「要塞の資材は、石灰岩であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった」と評価しています。
ペリー提督が訪れた頃には建物も健在 であったようです。この絵はネット から拝借させていただきました。これはペリーに同行した画家ハイネによって描かれた「西の郭より正門を望む」です。
ここが
③の北の郭です。北の郭も、あいかた積み(亀甲乱れ積み)によって築かれた。石の形が一の郭と違うのが判ってもらえると思います。クリックすると、そのことがよく判ってもらえると思います。
石垣の手前に急な階段が見えます。この階段の先に大井戸があります。
中城城の石積みには、乱積み、布積み、相方積みの三つの異なる積み方が見られます。ネットから絵と説明を拝借いたしました。
乱積み(野面積み)
大小さまざまな自然のままの石を組み合わせて積む方法で、少し加工することもある。もっとも古い積み方である。
布積み(豆腐積み)
直方体に加工した石を、一段毎に水縄を張り石の肩を揃えて丁寧に積む技法。仕上げはきれいだが強さに欠ける。
相方積み(亀甲乱れ積み)
自然の石の形を加工し、扇形の石を要に、囲むように5~6個の石で取り巻く。力を分散させるので丈夫。沖縄独特の石積み。
これが北の郭にある
④の大井戸(うふがー)です。先にあった井戸を取り囲むかたちで増築して出来たのが北の郭だそうです。
西に郭にも井戸があります。そちらの井戸の名前は夫婦井戸(みーとぅかー)です。
⑦二の郭と一の郭の間の門です。一の郭の高い城壁にありました。
二の郭の城壁の上から見た
⑥の三の郭です。
⑨の南の郭です。ここは霊域と言われる場所です。南の郭には拝所があります。写真は「首里に向かう拝所」です。「久高島に向かう拝所」もこちらにあります。中城全体で少なくとも8ヶ所の拝所があります。
中城で最も広いのが
⑧の一の郭です。ここには正殿を初めとして多くの建物が建っていました。
北の郭と西の郭の間の門は安全のため木枠が取り付けられていました。
⑦の二の郭の石垣に立つと、東に中城湾(大平洋)、西に東支那海を望み、勝連半島、知念半島、さらには周囲の洋上の島々まで見渡すことができる眺望のすばらしいところです。
中城城跡への入場券
大人 300円 (団体 200円)
中・高学生 200円 (団体 100円)
小校生 100円 (団体 50円)
小学生未満 無料 団体は20名以上
カーナビに入力する電話番号は 098-935-6719です。
下記が世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」のです。9ケ所の内、6ケ所を訪問しました。黄緑色の文字をクリックすると訪問した時の記事を表示します。
首里城(すいぐすく) 玉陵(たまうどぅん) 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん) 中城(なかぐすく) 座喜味城(ざきみぐすく) 今帰仁城(なきじんぐすく) 識名園(しきなえん)
勝連城(かつれんぐすく)
斎場御嶽(せいふぁうたき)
Googleの航空写真です。
マイナスのアイコンを数回クリックすると、位置がわかると思います。