写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2013年10月28日に日光東照宮に行きました。ところが東照宮で最も有名な陽明門が補修工事で上の写真のように見ることが出来なかったのです。私は東照宮は3度目でしたが、家内は初めてだったので、ちょっと残念がっていました。

それも工事が今年(2013年)の7月15日に始まった表示を見てなおさら、がっかりでした。今までに、いくらでも来る機会があったのに、よりにもよって補修工事が始まった年に来てしまったのでした。補修工事が終わるのは6年後の2019年3月31日と記載されていました。つまり東京オリンピック開催の前年に完成することになります。
  名称   国宝 東照宮 陽明門 保存修理工事
  工事期間 着手 平成25年7月16日 (2013年)
       完了 平成31年3月31日 (2019年)
  事業主  東照宮
  修理指導 文化庁文化財部参事官建造物担当
  設計管理 公益財団法人 日光社寺文化財保存会 


こちらが内側から見た陽明門です。陽明門の名称は、宮中(京都御所)の十二門の東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられています。


初めての方もおられるかもしれないので2008年11月14日に撮った陽明門の写真を掲載します。クリックすると拡大するのでじっくりと見てください。


確かに痛んでいました。前回の根本修理工事から40年が経過したそうです。補修内容は外部廻りの漆塗・彩色・錺金具の更新を主に行なうそうです。調査を行ないながらの工事で、必要があれば部分的な木部解体修理も行なうそうです。
陽明門の通路の間天井には狩野探幽により昇竜(のぼりりゅう)と降竜(くだりりゅう)が描かれています。 昇竜は別名「八方にらみの竜」、降竜は「四方にらみの竜」とも呼ばれています。この昇竜と降竜はみることが出来ました。


こちらの写真には天井の絵が見えると思います。天井の絵の部分を露出調整して右に掲載いたしました。竜かどうかは判別は難しいです。話は変わりますが、12本の白い柱うち渦巻き文様の向きが逆になっている逆柱(さかさばしら)が1本があります。この理由は「完成された建物は、いずれは崩壊する。正に完成した瞬間から崩壊が始まる。」という言われており未完成な状態であることを表しているそうです。場所は背面の右から2本目で残念ながら写真には写っておりません。これと同じ逆柱が、本社の拝殿と本殿に1本ずつあるそうです。同様な理由で一か所だけ仕様が異なる例は下記の通りです。
 ・五重塔の1~4層が平行垂木で5層が放射状垂木となっている。
 ・御水屋の西角だけが切り落とされた形になっている。
 ・陽明門の左右の回廊の透かし彫りで右端の一つだけ小さい。
 ・陽明門と拝殿と本殿の逆柱


陽明門に据えられていた隋身像(神域を守る像)などが取り外されて展示されており間近で見ることが出来ました。


こちらは陽明門に飾られていた2体の狛犬です。隋身像とは反対の陽明門の内側に置かれていましたものです。


それでは、気を取り直して陽明門以外を紹介いたします。ここでは陽明門の周辺を中心に掲載させていただきます。陽明門から外側を見た景色です。冒頭の写真は鳥居の辺りから撮りました。この鳥居は日本で最初に青銅製で造られた鳥居です。3代将軍家光公が金2000両を費やして建ててました。柱の足元には、神社としては珍しい仏教様式の蓮の花弁が刻まれています。


補修中の陽明門から本殿側を見た光景です。


陽明門の左右には廻廊が延びています。こちらは陽明門の右側の回廊です。


いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされていました。


右側の端まで行くことはないので端の写真を撮ってきました。上でも紹介したように未完成にするために右端の透かし彫りの一つだけが小さいのです。


上の写真ではわかりにくいので、小さな透かし彫りの部分を拡大いたしました。この写真は杉の大木にピントが合った上の写真から切り取ったものなので、透かし彫りの部分は不鮮明となっていますが、なんとか雰囲気は判ってもらえると思います。


右端から陽明門のほうを撮った写真です。


灯籠も趣があります。東照宮には燈籠が121基あるそうですが、いろんな人が寄進していることから素材もいろんな灯籠がありました。
陽明門の内側には東福門院(秀忠の娘、後水尾天皇の中宮)のみで、それより12段下がった位置に譜代大名、さらに21段下がったところに外様大名が寄進した燈籠が安置されているそうです。その中でも伊達政宗が寄進した南蛮鉄燈籠はポルトガルからの輸入鉄で造られたものとして有名です。南蛮鉄燈籠は領内の租税3年分の費用をかけて作ったと伝えられています。


こちらは陽明門の左側の灯篭です。奥の建物は鳴竜で有名な薬師堂です。鼓楼も趣がありました。


鼓楼の前の「廻り燈篭」又は「回転燈籠」です。昔はこの近くに「釣燈籠」があったようですが、この時はありませんでした。


鐘楼のそばに立つスタンド型の蓮燈籠です。回転燈籠、釣燈籠、蓮燈籠はオランダから贈られたのようです。


手前が鼓楼で奥に見えるのが鐘楼です。
言葉の通り鐘楼は釣鐘を、鼓楼は太鼓を納める建物でする。陽明門の前に左右対称に配置されています。建物の規模や構造など基本的な形式は同じですが、細部の飾り付けは違います。たとえば彫刻の種類と数です。鐘楼には鶴・竜・飛竜・麒麟・波など合計78体に対し、鼓楼には亀・竜・雲など38体です。見た目も鐘楼のほうが豪華です。鐘楼の前にも鐘が吊り下げられた小さな建物(蓮燈籠)が見えます。


陽明門の左側の廻廊です。左側の建物が鳴竜の薬師堂です。薬師堂の内部では撮影並びに録音は禁止されているので鳴竜の画像をネットから拝借いたしました。右の写真が薬師堂の天井に描かれている鳴竜です。
竜の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえることで有名です。もとの絵は狩野永真安信によるものですが、堂とともに焼失したため堅山南風により復元されました。


左側の廻廊の透かし彫りも灯篭も趣がありました。


御水舎も東照宮らしい色彩で豪華でした。御手洗・手水所といいます。
御水舎は参拝者が手と口を清める場所で、今ではどの神社にも水盤を置いた施設があります。しかし、かつては自然の川や湧き水の場がそれとされ、境内に独立した建物を構えたのは東照宮の御水舎が最初といわれています。
幅1.2m、長さ2.6m、高さ1mの花崗岩の水盤は、九州の鍋島藩主が元和4年(1618年)に奉納したものです。くり抜いた15cmの穴から、サイフォンの原理で水が噴き上がる仕組みになっているそうです。
屋根の下には、逆巻く波と飛竜の彫刻があります。飛竜は翼のある竜で、水をつかさどる霊獣とされています。西側の屋根の角が切り落とされているのは魔除け説のほか、杉の成長を邪魔しないためという説もあります。


入場券売り場では「陽明門は工事中ですがよろしいでしょうか。」と聞かれますが、「それでは入るのをやめます。」というわけにいかないので拝観料1300円×2枚=2600円を払って入りました。
     大人    1300円
     小・中学生 450円