写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前記事で竹の径(たけのみち)の全工程を紹介いたしましたが、その途中で寄ったのが今回紹介する竹林公園です。ここが竹林公園の正門(北入口)です。すでに紹介の通り入社当時の神戸事業所での仲間を知友審の9名での第76回ハイク「京都洛西の竹林と古墳巡りハイク」で訪れた場所の一つが今回の竹林公園でした。右の写真が竹の径です。

こちらが門の前にあった竹林公園案内図です。ここでは洛西竹林公園(RAKUSAI BAMBOO PARK)と書かれています。公園内の竹の資料館で頂いたパンフレットでは京都市洛西竹林公園と書かれていました。当初の予定では現在地と書かれている北入口から入り「竹の資料館」で昼食をとった後に公園内を散策して約350体ある石仏や生態園や東屋や百々橋などを見て南入口から出で竹の径の散策を続けるつもりでした。竹の資料館に着いて確認したところ竹の資料館の館内も含めて竹林公園の園内では飲食が出来ないことが分かりました。さらに昼食は公園に隣接した子供の広場で食べることを薦められたので、竹林公園内を散策した後に南入口を出て子供の広場に行くことにいたしました。


竹林公園の注意書きがあったので紹介したいと思います。
 開園時間 9:00~17:00(入園は16:00)
 休園日  毎週水曜日 12月29日~1月3日
 料金   無料
 目的   竹・笹の知識の普及 学術研究
 遵守事項 ペット同伴不可 小学生以下は保護者必要


いよいよ中に入ります。右の門柱に墨で文字が書かれた看板(表札)が取り付けられています。


看板の文字が読みにくいので拡大して看板だけ露出調整いたしました。看板には竹林公園と書かれていました。


門を入ってすぐの景色です。この道を下っていきますが、いろんな種類の竹を見ることが出来ました。園内には110種以上の竹が植わっているそうです。


京都市はウクライナのキエフ市と1971年9月7日から姉妹都市のようで、1982年10月25日にキエフ市長の入洛記念に植竹が行われていました。竹林公園は1984年6月に開園したので、公園が造られている時に植竹が行われたことになります。キエフ市側はワレンチン・アルセンティェビッチ・スグールズキー市長で京都市側は今川正彦市長でした。入洛の洛は京都を意味しているので入洛は「京都に入る」を意味しているのですが、時代劇などで大名などが京都に入ることを意味している上洛の方が効き馴れています。ただし、上洛は上下関係を感じるのに対して、入洛(じゅらく、にゅうらく)は対等感があります。


最初に沢山植えられていたのはスホウチク(蘇枋竹)でした。


スホウチク(蘇枋竹)には黄色の幹(稈)に緑の筋が入ていました。名札の説明には「熱帯性の株立ち。稈は黄色で緑条がある。庭園の竹として、また生け花など監視用用に適する。」と書かれていました。


スホウチクの右側には同じような色合いの太い竹が植わっていました。


その太い黄色の竹はキンメイモウソウ(金明孟宗竹)でした。


キンメイモウソウ(金明孟宗竹)の名札の説明には「モウソウチクの園芸品種。黄金色の稈に緑色の縦縞が交互に発現したもの。宮崎県と福岡県で天然記念物に指定。観賞用。」


歩いていると目立つ竹が次々と現れました。こちらの竹の名前はキッコウチク(亀甲竹)です。突然変異で節が斜めになっていますが、右の写真のように節の内部の境も斜めだそうです。右の写真は資料館の内部の竹のサンプルを撮った写真から切り取りました。


キッコウチク(亀甲竹)の名札です。説明には「モウソウチクの園芸品種。竹稈下方部の節間が亀の甲羅のように膨れるのが特徴。竹材は京都府指定伝統工芸品の一つ。」と書かれていました。竹稈は「チクカン」と読みます。稈は「カン」と読み、両方共に竹の幹を意味しています。


竹の資料館に近づいてくると、こちらの竹が植わっていました。名前はカンザンチク(寒山竹)でした。


カンザンチク(寒山竹)は別名ダイミョウチクと呼ばれているそうです。名札には「中国南部産。九州で広く植栽されている。稈は3~8mで直立性。タケノコは美味。防風用。」説明の中の「タケノコは美味」が気になります。


竹の資料館の入口前には2種類の笹(ササ)が植えられていました。こちらはヒメシノ(姫篠)です。


ヒメシノ(姫篠)にも名札が立てられていました。名札の説明には「通称コグマザサの名称で流通しているコガシアズマザサの矮性変種。鑑賞用や地被用として広く栽培されている。」とかかれていました。


もう一つの植わっている笹はオカメザサ(阿亀笹)でした。


オカメザサ(阿亀笹)の別名はブンゴザサです。説明には「稈の高さ1~1.5m。枝は短く、各節から3~6本束生。葉は丸形で2~3枚。全国で広く植栽。園芸用、地被用。」とありました。


類似した名前の竹が3種類まとまって植えられていました。
こちらはギンメイチク(銀明竹)です。説明にば「マダケの園芸品種。緑色の稈の節間芽溝が淡黄色になる。稈麺の配色が珍しく、観賞用に植栽される。」と書かれていました。


上がギンメイチクに対して、こちらはキンメイチク(金明竹)です。名札の説明には「マダケの変種。稈が黄金色で、節間の芽溝部に緑条が入る。葉には時に黄色の縦縞が入る。観賞用。」と書かれていました。


金明竹(キンメイチク)に対して黄金竹(オウゴンチク)もありました。こちらもマダケの変種で、説明には「稈は見事な黄金色で、葉にも少数の白い条がある。庭園・公園等に観賞用に植栽される。」と書かれていました。中国の西安市とも姉妹都市で記念植竹でオウゴンチクが植えられたようです。友好都市(姉妹都市)が提携されたのは1974年5月10日です。入洛記念植竹は1982年11月15日に行われました。西安市側は張鉄民市長で京都市側は今川正彦市長でした。
中国との友好関係に私が接することが出来た経験としては河南省の開封市にある大相国寺でした。右の写真のように開封市の大相国寺と京都市の相国寺と友好関係にありました。


もう1種類。マダケの園芸品種を紹介します。縦縞のあるシボチク(絞竹)です。説明には「稈面に深い縦じわが現れる珍種。竹材はかなり肉厚。花器。茶器などの工芸品に利用される。」と書かれていました。竹林公園に植わっていた竹や笹の紹介はこれで終わりといたします。110種類以上(資料館の方の説明では120種)植わっているほんの一部を紹介させていただきました。下からは竹の資料館の周辺を紹介します。


竹の資料館の中から見た前の庭です。石の橋を渡って坂を登っていくと約350体の石仏が設置されているそうです。驚いたことに織田信長が築いた旧二条城の石垣に使われていた石仏だったそうです。坂の上には、あずまや(四阿 or 東屋)があります。散策しようと外に出たところ雨が強くなってきたので、橋のところまで行って資料館に戻ってきてしまいました。雨が弱まるのを待っていましたが、強くなるばかりなので、石仏などの散策は断念いたしました。


強い雨のためにほとんど散策が出来なかったので、竹の資料館で頂いた案内図を掲載いたします。クリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。


上の案内図の範囲が分かるGoogleの航空写真を紹介します。上の案内図には北方向を書き込みましたので頭の中で右に回転して北を上方向にすると本航空写真とイメージが合うと思います。


案内図の裏面も掲載いたしました。こちらもクリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。京都市洛西竹林公園と書かれています。竹の径の竹林のほとんどが向日市物集女町なので竹林公園は向日市だ思い込んでいました。前記事の中で②~③の竹の径は京都市と向日市の市境で、沈淪公園は京都市側でした。
 名前 京都市洛西竹林公園
 住所 京都市西京区大枝北福西町2-300-3
 電話 075-331-3821


強い雨のために石仏群を見ることも写真を撮ることも出来なかったので、上の竹林公園のパンフレットから石仏群の写真を切り取らせていただきました。パンフレットの一番左下の写真です。


竹林公園に入る前に竹の径から東屋を撮った右の写真の東屋(あずまや)の屋根の上の竹林の隙間から資料館が見えていたのです。歩いている時は気が付きませんでした。


1467年5月の応仁の乱ゆかりの石橋です。橋の名前は百々橋(どどばし)で、架かっていた小川が埋められたのを機会に、1963年に竹林公園に移築したそうです。橋脚を支える4基の礎石(そせき)の内2つが竹林公園に橋と共に移され、残りの2つの内の1つは架かっていた場所(百々橋ひろば/百々橋跡:京都市上京区大猪熊町)に、もう一つが京都市立室町小学校(京都市上京区室町通上立売上ル室町頭町261)に保存されているそうです。説明板の手前の四角い石が当時の橋の礎石だそうです。


礎石を比較するためにたの2ヶ所の礎石の写真をネットから転用させていただきました。クリックすると転用させていただいたサイトを表示します。応仁の乱の時代は板橋だったようで、その後に石橋に改築されたそうです。航空写真の中の茶色と黄色のマークが礎石の位置です。
      百々橋ひろば          京都市立室町小学校



百々橋(どどばし)の説明を枠内に転記いたします。ここに来た時は、かなりの雨だったので、すぐに資料館に戻りました。ちなみに説明文の中の小川は「おがわ」ではなく「こかわ」で、れっきとした川の名前(固有名詞)です。
百々橋の由来

宝鏡寺門前の東西の通りを百々の辻と呼ぶのは平安時代からであるが、小川にかかるこの小橋が、いちやく有名となったのは、戦国時代この橋をはさんで合戦が行われたからである。

応仁元年(一四六七)五月、応仁の乱最初の大合戦にさいし、この橋には、細川勝元配下の三宅、吹田、茨木、茶川氏など攝津の武将が布陣し山名方の平賀氏と激しく戦った。ここから、南の方一条戻り橋付近までが、その時の主戦場となり、付近一帯が戦火で焼失いた。

それから四十年後、細川勝元の子、政元の後嗣をめぐって、養子の澄元と澄之が対立、永正四年(一五〇七)六月二十三日澄之が、香西元長(嵐山城主)薬師寺長忠らと謀って養父政元を殺し翌二十四日澄元を攻めて、この橋で激しく戦った。澄元は近江へ敗走したが、八月一日には京都に還り、澄之、元長、長忠攻め亡ぼした。

この小さな橋には、かくて戦国乱世の歴史のひとこまが刻まれている。

なお、明治四十年(一九〇七)に改築したもので小川が昭和三十八年(一九六三)に埋められ、石橋の貴重な遺構として現地に礎石を遺しここに移築したものである。
京都市


江戸時代以降の絵図と地図から推定された小川(こかわ)と百々橋(どとばし)です。地図と航空写真が切り替わるようにしました。百々橋の礎石の置かれている場所が分かると思います。→ストリートビュー 航空写真


こちらは狩野永徳23歳(桃山時代・16世紀)の作品である上杉本洛中洛外図屏風に描かれた小川(こかわ)と、小川に架かる橋です。下の絵も上の絵も百々橋ひろばに立てられている右の案内板から切り取ったものです。案内板の写真はネットから転用させていただきました。
この絵からだけでは百々橋がどれかは判りませんが、当時は石橋ではなくこの図のように木造の板橋だったようです。江戸時代に石橋に改築されたそうです。上の推定図に描かれているのは石橋です。下記の絵は右の上杉本洛中洛外図屏風の黄色の枠で囲った部分です。


建物全体の写真を撮っていなかったので本写真を掲載します。本写真は右の写真から人物を消す加工をしたものです。
 資料館面積 約450㎡
 公園の面積 35,068㎡
 生態園面積 約5,000㎡


雨の中で庭の手入れをされている方がおられました。


和の空間が溢れていました。細い竹が敷き詰められた桟敷(さじき)です。後ろの竹垣は建仁寺垣です。


小さな庭園も建物の敷地にありました。こちらの後ろの竹垣も建仁寺垣です。本写真には写っていませんが光悦寺垣もありました。


建物に戻って雨が止むのを待ちました。


資料館の方に竹に関する説明をしていただきました。外人の方には英語で説明されていました。一番手前はモウソウチク(孟宗竹)です。モウソウチクは日本のタケ類の中で最大種です。学説によって異なりますが、世界で600種または1,200種、日本では150種あるいは600種があると言われているそうです。その中の一つのモウソウチクの分類を紹介します。一般的にタケ類と言われているのはタケ亜科あるいはタケ連になるそうです。タケ亜科はタケ連(Bambuseae連)とOlyreae連の2つに分類されますが、右下のようにArundinarieae連を加えた3つへの分類も提案されているそうです。
  界 植物界    Plantae
  門 被子植物門  Magnoliophyta
  綱 単子葉植物綱 Magnoliophyta
  目 イネ目    Poales
  科 イネ科    Poaceae
 亜科 タケ亜科   Bambusoideae
 (連 タケ連    Bambuseae )
  属 マダケ属   Phyllostachys
  種 モウソウチク Phyllostachys heterocycla


竹のサンプル部分を拡大しました。手前の方が乾燥した竹そのものですが、奥の方は加工した竹が並んでいます。表面に薬品で模様をつけたり、四角い枠を付けて四角い竹を作ったりして竹材を作ることが分かりました。竹林の中に積まれているのも表面の色を変えるためであることを知りました。クリックすると特別に大きく拡大いたします。一番手前がモウソウチク(孟宗竹)ですが、今までに見たことが無いほど太い孟宗竹が展示されていました。
上で紹介したキッコウチク(亀甲竹)のサンプルも写っています。


資料館の中にはいろんな説明がありました。


復元されたものですがエジソンの電球も展示されていました。


6000種類の植物繊維を実験して選ばれたのが、京都の八幡の真竹(マダケ)が使われたそうで宇。1882年のことでした。


竹の地下部分も展示されていました。根のように見えるのは地下茎で、根はそこから出ている細い短い毛のようなものです。


竹の地下部分は2019年4月10日に放送されたNHK{ガッテン」の収録後に寄贈されたものだそうです。


竹の資料館でお土産として竹の刷毛を買いました。薬味おろしでおろした薬味を集めるのに使うつもりです。竹材の産地なだけに竹細工をする人も多いと思います。皆さんいろんな竹細工を買われていました。


薬味おろしと竹のハケの写真を撮りました。


いくら待っても雨が止まないので、雨の中ですが昼食のために子供の広場に移動いたしました。


こちらの子供の広場の東屋(あずまや)で昼食にいたしました。食事の後は時間がたっぷりあったので、皆さんで持ち寄ったスイーツや日本酒を飲んで時間を過ごして雨が止んでから出発いたしました。私はお酒を2合ほど飲んでしまいました。


丹波の黒豆の枝豆を持て来てくれた人もおられました。


四阿(あずまや)から見た子供の広場です。広場の周囲にも竹が沢山植わっていました。園芸種ではなくWikipediawで掲載されていた分類学的な種の日本の代表的なものを紹介します。キッコウチクは形は大きく違いますが、種としてはモウソウチクで、亜種的存在です。
 モウソウチク Phyllostachys heterocycla f. pubescence
(キッコウチク Phyllostachys heterocycla f. heterocycla)
 マダケ    Phyllostachys bambusoides
 ハチク    Phyllostachys nigra
 ホテイチク  Phyllostachys aurea
 ホウライチク Bambusa multiplex
 ナリヒラダケ Semiarundinaria fastuosa
 チシマザサ  Sasa kurilensis(ネマガリダケ)
 トウチク   Sinobambusa tootsik
 シホウチク  Chimonobambusa quadrangularis
 カンチク   Chimonobambusa marmorea
 ヤダケ    Pseudosasa japonica
 メダケ    Pleioblastus simonii


子供の広場からは、この坂をのぼって竹の径の四辻に戻りました。


こちらが四叉路(四辻)です。写真は竹林公園に向かっている時に撮った四辻なので向いている方向は反対で、実際には右奥方向(東向日駅方向)に歩いて行きました。


こちらが四叉路から東向日駅方向の最初の竹の径の景色でした。


竹林公園の範囲をGoogle航空写真で紹介します。緑色ライン(━━)の竹の径(たけのみち)より左側の緑の部分が全て竹林公園です。駐車場の場所が北入口(正門)で、そこから橙色ライン(━━)のように入りました。真ん中の建物が「竹の資料館」でそこに着くころには雨が本降りとなっていました。そのため竹林公園内の散策は資料館の北東側を少し歩いただけで資料館内の見学が主になりました。竹の径(━━)の右上側が向日市で左下側が京都市です。向日市が京都市側に食い込んでいる(向日市の西と北と東が京都市)ためにイメージと反対のことが起こるのです。
 緑色ライン(━━) 竹の径(たけのみち)
 橙色ライン(━━) 歩いたルート


洛西竹林公園(Rakusai Bamboo Park)の英語のPRサイトにあった竹の魅力を表現した動画を紹介します。音楽だけでナレーションはありません。
10秒間だけですが、頭から3分33秒から竹の径の映像も出てきます。