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飛行機の上から大阪平野を見ると沢山の前方後円墳に気が付かれる方が多いと思います。その中の一つに2014年2月8日に行ってみました。それが紹介するニサンザイ古墳です。上の写真はGoogle地図のニサンザイ古墳の航空写真です。

ニサンザイ古墳の周豪で幅12mx長さ45m以上の古墳時代最大の橋脚後の柱跡が新たに発見されたことが2016年1月27日に堺市文化財課から発表がありました。枠内がその掲載記事です。2013年の記事→ポチッ
幅12メートル、古墳時代最大の橋跡 大阪・堺のニサンザイ

日本経済新聞 2016/1/27 21:29

2013年に橋脚跡とみられる柱穴が見つかった陵墓参考地「ニサンザイ古墳」(堺市北区、5世紀後半)の周濠(しゅうごう)から、新たに柱穴5カ所が見つかり、堺市文化財課が27日発表した。橋は幅約12メートルで、長さは45メートル以上だったと推測でき、古墳時代最大の木橋と分かった。
全長約300メートルの前方後円墳で全国7番目に大きく、大王墓とみられている。橋は古墳の中心線上にあり、白石太一郎大阪府立近つ飛鳥博物館館長は「水をたたえた古墳での埋葬方法は分かっておらず、葬送用の橋ではないか」と推測、古墳の築造過程や葬送の様子を知る遺構となりそうだ。
2013年の調査で後円部近くに7列の柱穴を確認。橋は丁字形の可能性もあったが、昨年10月からの調査で対岸側でも7列の柱穴があることが分かった。今回の柱穴は直径66~92センチ。また、木製埴輪(はにわ)の一種「笠形木製品」も1点出土した。
古墳時代の木橋の跡は群馬県高崎市の三ツ寺I遺跡や石川県小松市の千代・能美遺跡で見つかっているが、いずれも橋幅は5メートル以下と考えられている。
陵墓や参考地は宮内庁が管理しており、周濠の調査例がほとんどない。ニサンザイ古墳の周濠は堺市が所有していたため発掘調査した。一瀬和夫京都橘大教授は「ほかの巨大古墳でも同様の施設があるのではないか」と期待を寄せた。〔共同〕


前方後円墳は3世紀から7世紀頃にかけて盛んに造成された形式で「円形の墳丘(後円部)」と「方形の墳丘(前方部)」を組み合わせた日本独特の特徴の古墳です。大きすぎて地上からの写真では、前方後円墳の形の実感を伝えるのは難しいのですが、少しでも全景を伝えらるの角度を周囲を一周して探しました。そのひとつが「方形の墳丘」の後ろ斜めからの写真です。北西方向の方向から撮りました。上の航空写真で言えば左上方向からの写真です。この写真では、左奥の方向が「円形の墳丘」です。右の前方後円墳の模式図はWikimediaから拝借いたしました。
 名前  ニサンザイ古墳
 形状  前方後円墳
 規模  全長290m 
      円墳径156m 円墳高さ24m  
      方墳幅226m 方墳高さ22.5m
 築造  5世紀後半
 被葬者 名前不明


ニサンザイ古墳の周囲の土手を一周いたしました。2014年2月8日と言えば関東では観測史上1~2番の積雪があった日ですが関西では前日の夜から降り始めて当日は、この写真の程度の積雪でした。


こちらの写真はもう一方の「方形の墳丘」の斜め後ろからの写真です。右奥がの方向が「円形の墳丘」です。
方向的には南西方向(左下方向)からの写真です。


ニサンザイ古墳の周囲は住宅地であり散策路が整備されていました。


こちらが円墳の部分です。


円墳の正面より少し右側に池を渡る通路がありました。ただし入口には鍵がかけられており中には入れませんでした。


ニサンザイ古墳は大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁にある前方後円墳で日本で8番目の大きさです。ただし世界最大の仁徳天皇陵の築造以降5世紀後半に限れば日本最大の古墳であることから、当時の大王の墓と考えられています。百舌鳥古墳群の大型古墳の中では最も時代が新しいそうです。
現在の周濠は一重ですが二重目の濠が一部確認されています。2012年に墳丘裾の護岸工事の際に行われた調査では、現在の墳丘の端から5m外側の濠の底から本来の裾部分が見つかったことから全長が300mを超えていた可能性もあるとされています。「ニサンザイ」は「ミサンザイ」、すなわち「ミササギ(陵)」の転訛したものと考えられているそうです。周囲には聖塚古墳や舞台塚古墳などの小古墳である陪塚が点在しているそうです。


西側公園になっており子供とお母さんが雪遊びされていました。


東側は墓地になっていました。見えている森の部分がニサンザイ古墳の円墳の部分です。大阪府泉南郡岬町淡輪にもニサンザイ古墳というなの古墳があります。そちらは「淡輪ニサンザイ古墳(たんのわニサンザイこふん)」とよばれており、今回紹介の大阪府堺市百舌鳥西之町のニサンザイ古墳は「土師ニサンザイ古墳(はぜニサンザイこふん)」と呼ばれています。


墓地の中には沢山の石碑が積み上げられていました。


ニサンザイ古墳の北西方向には百舌鳥古墳群があり、その中に日本最大の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)があります。仁徳天皇陵が一般的な呼び名ですが正式には大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)だそうです。大仙陵古墳は築造年代は5世紀前期~中期とされており、日本最大(全長486m、高さ35m)の前方後円墳であり、墓域面積では世界最大でもあります。周囲の古墳と共に百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)を構成しています。ちなみに履中天皇百舌鳥耳原南陵は日本で3番目の大きさだそうです。
 百舌鳥古墳群の構成  (全長100m以上は数値を記載)
   大仙陵古墳(仁徳天皇陵)(486m)
   履中天皇百舌鳥耳原南陵(365m)
   反正天皇百舌鳥耳原北陵(148m)
   ニサンザイ古墳(290m)
   御廟山古墳(203m)  
   いたすけ古墳(146m)
   長塚古墳(102m)  七観音古墳     源右衛門山古墳
   永山古墳(100m)  菰山塚古墳     収塚古墳
   狐山古墳      銅亀山古墳     グワショウ坊古墳
   銭塚古墳      竜佐山古墳     寺山南山古墳
   旗塚古墳      樋の谷古墳     孫太夫山古墳
   塚廻古墳      丸保山古墳      
   鳶塚古墳(復元)   原山古墳(復元)