オルセー美術館に関しての今までに6つの記事を掲載いたしました。その中で57人の画家の絵画を紹介しました。オルセー美術館(Musée d'Orsay)では上の写真のように全体の建物の中に絵画を展示するための建物が立てられているのです。その絵画用の建物から見ると屋外にあたる部分に沢山の彫像が展示されていました。本記事ではその彫像の一部を紹介したいと思います。
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右の写真は駅舎として使っていたころの写真です。
こちらがセーヌ川側の展示室の2階です。
上の写真の右端の彫像を正面から撮ったのがこちらの写真です。
1829年~1905年(満75歳没)
作品 Souvenir, Alsace-Lorraine
制作 1905年
こちらはセ-ヌ川と反対側の展示室の2階です。
こちらの作品も有名なようで同じ構図のものが別の場所にも設置されているようです。
1861年~1929年(満67歳没)
作品 Héraklès archer 弓をひくヘラクレス
Héraklès tue les oiseaux du lac Stymphale
制作 1909年~1924年
彫像に関しては作者などが書かれた説明板を撮ったのは限られていたので作者や作品名が今となっては判らないものが多いです。でもいずれも有名なものだと思います。なんとかネットで作品の作者を見つけました。→ポチッ
こちらの写真はクリックすると特別に大きく拡大するようにいたしました。
1827年~1875年(48歳)
作品 Torchère
製作 1873年
1827年~1875年(48歳)
作品 Ugolin entouré de ses quatre enfants
製作 1860年
彫像が沢山展示されていたスペースです。
そのスペースの中の作品です。写真を撮った時は作者や作品名は分かりませんでしたがWikipedia(Jean-Baptiste Carpeaux)の中で作品を見つけました。
1827年~1875年(48歳)
作品 La Danse
製作 1865年~1869年
こちらもスペースの中の作品です。壁の作品も中央の少年の作品もJean-Baptiste Carpeauxの作品です。少年の彫像の作品名は次の通りです。右のJean-Baptiste Carpeauxの肖像画の上に書かれているのが壁の彫像です。クリックすると確認できると思います。
1827年~1875年(48歳)
作品 Le prince imperial et le chien Nero
製作 1866年
広場の中央にあった作品もジャン=バティスト カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux)でした。どうやらここはJean-Baptiste Carpeauxの作品のエリアだったようです。こちらもクリックすると特別に大きく拡大いたします。この天球を支えている銅像は世界4大陸(アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニア)を象徴しているそうです。4人は4大大陸の女性たちなのでしょうね。
1827年~1875年(48歳)
作品 Les Quatre Parties du Monde
製作 1872年
人間をテーマにした作品が多い中で、すこし雰囲気の違う彫像もありました。1922年の作品ではありますが新しい雰囲気が感じられる作品でした。作家のポンポンは、元は大理石職人で、ロダンの製作を手伝いながら少しずつ作品を作り貯め、1917年のロダンの死後である最晩年となってからようやく独立を果したそうです。リュクサンブール美術館が「山鳩」の彫刻を購入したのを皮切りに、人気をあつめて、67歳(1922年)にして代表作の「白熊」を発表することとになったそうです。晩年に独立してからの10年で多くの作品を製作し、単純化された独特なラインを持った彫刻は、モダニズムの頂点でもあったと言われているそうです。本物の白熊(北極熊)は雄が200cm~250cmで雌は180cm~200cmです。この彫像の白熊は本物を凌ぐほどの251cmの巨大なものでした。
1855年~1933年(満77歳没)
作品 Ours blanc 白熊
制作 1922年
寸法 高さ:163cm 長さ:251cm 奥行:90cm
こちらは印象派展示室に展示されていたロダンの作品です。こちらは一度紹介させていただきました。
1840年~1917年(77歳)
作品 L'Homme qui marche 歩く男
制作 1907年~1910年
オルセー美術館がターミナル駅だったころの構造図をネットから転用させていただきました。右は建設時の鉄骨がむき出しの写真です。