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出石城の次は出石皿そばを食べることですが、その前に夕食用の冷酒を買うために酒蔵に行くことにしました。出石皿そばを食べる前に酒蔵に行くことにした理由は、地元の酒蔵で出石皿そばの推奨するお店の名前を聞くことでした。目指した酒蔵は316年前の宝永5年(1708年)に創業した出石酒造でした。宝永3年(1706年)にお国替え(移封)で信州上田藩の仙石政明(仙谷公)が出石藩の藩主になりましたが、その仙石政明が宝永5年(1708年)に酒の献上を命じたという史実から創業年を宝永5年(1708年)としたそうです。したがってそれ以前から出石酒造はあったことになります。当時の酒蔵の名前は「かずかや門垣屋」だったそうです。
仙石政明は仙石氏の4代当主で出石藩の11代目の藩主になります。上の写真の左側の敷地はすべて出石酒造です。

この航空写真の下方向(南方向)にある出石城から出石のシンボルの辰鼓楼( )の横を通って本町通りのところを右に曲がって3/4程度少し進んだところが上の写真の場所です。緑色に着色したエリアが出石酒造の敷地だと思われます。右は辰鼓楼での昔の記念写真と昔に買った出石焼の写真です。
 辰鼓楼   明治初期(1881年)の時計台
 出石酒造
 正覚田中屋 出石皿そば
 虹洋陶苑  出石焼窯元
 土産物店街+家老屋敷
  散策ルート


突き当りを左に曲がると出石酒造の販売場所の入口です。左側の敷地が全て出石酒造です。


上の写真の突き当りを左に曲がってすぐの景色です。左側の建物が全て出石酒造です。販売場所のところに楽々鶴と書かれています。


入口に近づきました。


ここが入口です。
 名前 出石酒造(有)
 住所 兵庫県豊岡市出石町魚屋114-1
 電話 0796-52-2222
 営業 9:30〜18:30
 定休 不定休
 創業 宝永5年(1708年)


のれんの正面から撮りました。
出石酒造から850mの距離にある石部神社(豊岡市出石町下谷62)の総代をされているようです。Wikipediaによると石部神社の創建は不詳ですが、社伝では坪井村(現:出石町坪井)に鎮座していて、文禄4年(1595年)には毘沙門町の丘上に遷座、寛永3年11月に現在地に遷座したと伝えられている歴史のある神社です。


大きな釜が印象的でした。酒米を蒸すための釜でしょうか。


酒の入れ物が並べられていました。


さっそく冷酒を3本買いました。中易酒造と書かれたのれんも印象的でした。中易(なかやす)は出石酒造の社長(14代目/中易裕明)の名前で、中易酒店は今でもあって楽々鶴を売っているそうです。
出石酒造さんの推薦出石そば店は→ 正覚田中屋 官兵衛 そば庄 でした。


この3種類を試飲させてもらって上撰1本と上撰原酒2本を買いました。上撰原酒の1本は私の自宅に持ち帰り、残りの上撰1本と上撰原酒1本は長男宅用でした。


出石酒造はこの赤色の土壁づくりの酒蔵が有名です。270年程前に造られたとされているそうです。


土壁の酒蔵の写真をもう1枚紹介します。明治9年の出石大火で出石城下町の7割が火に飲まれ、こちらでも母屋などは焼け落ちたけれど、この土壁の酒蔵の一部は無事だったそうです。この土壁の酒蔵のおかげで酒造りが今に残ったのかもしれません。記録に残っている出石の大火は下記の通りです。
 1823年5月15日 裏町大火  全焼269戸
 1866年3月20日 初午大火  全焼68戸
 1876年3月26日 出石大火  全焼966戸、半焼5戸、焼死5人、負傷14人
 1926年6月22日 寺町の火災
 1929年6月08日 寺町の火災


途中で夕食のベニズワイガニ(香住ガニ)や魚を買って、長男宅に着いてすぐに冷蔵庫に入れて冷やしました。夕食の前にみんなで「よふど温泉」に行き戻ってから、夕食の準備をしたのでお酒はよく冷えていました。


やっぱり美味しかったです。お酒の銘柄が楽々鶴(ささづる)になったのは、城崎温泉の近くに楽々浦(ささうら)という地名があり、出石城の藩主の仙谷公の別荘の名前が楽々園(らくらくえん)で、お酒のことを楽々(ささ)と呼ぶことから、これらをかけて楽々鶴(ささづる)となったそうです。Wkipediaには酒を意味する「笹の露」と仙谷公の別荘「楽々園」に由来していると書かれていました。


自宅で飲んだ時の写真を紹介します。この時はタラ鍋でした。


美味しくいただきました。日本酒はやっぱり鍋料理にぴったりでした。