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神戸・北野異人館で「ベンの家」の次に訪れたのが洋館長屋(旧ボシー邸)です。上の写真が洋館長屋です。二つの家が左右対称に配置されているようにたてられていますが、この建物は外国人向のアパート(Apartment)として明治37年に建てられました。アパート = 長屋から、洋館長屋とネーミングされたようです。この長屋を仮の住まいとした異邦人の中にはロシアの亡命貴族もいたと伝えられています。壁の外装は下見板張りオイルペイント仕上げで、当時の代表的な洋館仕様だったそうです。
神戸と言えば異人館と言われるほど沢山の異人館があります。
横浜にも昔は沢山の異人館がありましたが、1923年の関東大震災によってほとんどが失われてしまい震災以前の建物で残っている西洋館は、関東大震災の一年前の1922年に建てられたイギリス7番館だけで、そのほかの西洋館は関東大震災以降に建てられたものだそうです。
一方、神戸は1995年に発生した阪神・淡路大震災により北野町を含む中央区の約60棟の異人館の約3割が失われました。被害を受けた異人館は修理や復元が行われて中央区には約40棟が残り、現在も多くの外国人が居住しているジェームス山地区(垂水区)の約50棟と合わせると神戸市には計90棟余りの異人館および洋館が現存していることになります。神戸では、幕末期から明治期に建築された西洋館を異人館と呼び、大正期から第二次世界大戦までに建築された西洋館を洋館と呼んで区別しています。
フリー百科事典のWikipediaの中で、日本全国の100年以上前(1863年~1915年)の主な異人館として21棟が紹介されていますが、その中で神戸市は12棟と突出しています。
 神戸市  12棟 居留地十五番館(1880年)、風見鶏の館、うろこの家など
 長崎市   4棟 グラバー邸(1863年)など
 朝来市   1棟 ムーセ旧居(1872年)
 北秋田市  1棟 阿仁鉱山外国人官舎(1882年)
 高松市   1棟 ワサ・ダウン住宅(1905年) 神戸市から移築
 鹿児島市  1棟 鹿児島紡績所技師館(1866年)
 姫路市   1棟 ダイセル異人館(1909年)

洋館長屋をgoogle地図で見ると仏蘭西館(フランス館)と書かれていることから以前は仏蘭西館と呼ばれていたのだと思います。確かにフランス国旗やフランス国旗をモチーフとした下の写真のような飾りが付けられていました。フレンチスタイルのユニークな異人館でした。


下記の航空写真の中のベンの家(Ⓗ)と英国館(Ⓙ)の間のが洋館長屋です。
 Ⓖ 坂の上の異人館      旧中国領事館 旧チン邸
 Ⓗ ベンの家         旧アリソン邸
 Ⓘ 洋館長屋         旧ボシー邸
 Ⓙ 英国館          旧フデセック邸
 Ⓚ 風見鶏の館        旧トーマス邸
 Ⓛ 萌黄の館         旧シャープ邸
 今回内部に入らなかった異人館
 コンビニエンスストア、神社、他
 ━━ 2016年3月16日の散策ルート 阪急三宮駅→Ⓘ→


建物の内部は「長屋」とは思えないほど豪華でした。


最も広いリビングです。邸内にはフランス美術品、豪華な調度品を中心に、アール・ヌーボーのガラス工芸家エミール・ガレらの作品で埋め尽くされていました。奥が食堂のようです。


奥の食堂です。


食堂からリビングを見ました。


沢山の部屋が横に並ぶように配置されていました。


上の写真の一つ奥の部屋です。さらに奥がベッドルームになっていました。


こちらがベッドルームです。


ベッドルームの入口から反対方向も撮りました。絵画としてはシャガール、パリ期の藤田嗣治氏らの作品が展示しています。


階段横にドレッサーが置かれていました。


こちらの部屋も豪華でした。奥に子供部屋があります。
右の壁にアールヌーボー(Art Nouveau)やアールデコ(Art Déco)のガラス工芸コレクションが飾られていました。作家は次の通りです。
  Daum Frères-Augguste Daum(1853-1909)
  Antonin Daum(1864-1930)
  Charles Martin Emile Gallé(1846-1904)
  René Lalique(1860-1945)


こちらが子供部屋です