写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

こちらがルーブル美術館(ルーヴル美術館)全体の見取図です。
大きく分けて、南側のドゥノン翼(DENON)と、北側のリシュリュー翼(RICHELIRU)と、東側のシュリー翼(SULIY)にと呼んでいます。建物は地下2階から3階まであります。

現在の建物は1546年から1880年の334年間に各世代の統治者によって建てられました。最も古い部分は467年前の1549年に建てられたことになります。昔は右下の図のように一番西側にリシュリュー翼とドゥノン翼をつなぐ建物(点滅している建物 3 5 8 11 14)がありました。1681年にルイ14世がフランス王宮をルーブル宮殿からヴェルサイユ宮殿に遷すまで、ルーブル美術館は王宮として使われていました。図をクリックすると建物の番号(NO)が判ると思います。
 NO   建築年     フランス統治者
  1 1546~1549年 フランソワ1世、アンリ2世
  2 1559~1574年 フランソワ2世、シャルル4世、アンリ3世
  3 1564~1570年 カトリーヌ・ド・メディシス
  4 1566~1566年 カトリーヌ・ド・メディシス
  5 1570~1572年 カトリーヌ・ド・メディシス
  6 1595~1610年 アンリ4世
  7 1595~1610年 アンリ4世
  8 1595~1610年 アンリ4世
  9 1624~1654年 ルイ13世、ルイ14世
 10 1653~1655年 ルイ14世
 11 1659~1662年 ルイ14世
 12 1659~1664年 ルイ14世
 13 1661~1664年 ルイ14世
 14 1664~1666年 ルイ14世
 15 1664~1666年 ルイ14世
 16 1667~1670年 ルイ14世
 17 1806~1811年 ナポレオン1世
 18 1816~1824年 ルイ18世
 19 1852~1857年 ナポレオン3世
 20 1861~1870年 ナポレオン3世
 21 1874~1880年 フランス第三共和政府


ルーブル美術館の航空写真も紹介します。上の図と比べて見てください。


先ずは各階の見取図から紹介したいと思います。
地下2階は美術館の入口であるエントランスとなっている大ホールがあるだけで展示は地下1階から3階です。大ホールからは次の3方向への入口がありますが、初めての方はモナリザなどの有名な絵画が展示されているドゥノン翼(DENON)への入口を入ることをお薦めします。
 南側入口 ドゥノン翼   DENON
 北側入口 リシュリュー翼 RICHELIRU
 東側入口 シュリー翼   SULIY


地下1階です。ドゥノン翼にヨーロッパの彫刻とオリエント・エジプト美術とイスラム美術が展示されています。中世の遺構がシュリー翼にあります。


1階では主に古代美術が展示されています。今回の記事での紹介のは主にこちらになります。有名なミロのヴィーナスもこちらにあります。


2階の展示スペースは最も広いです。モナリザを初めとする有名な絵画が多数展示されています。


3階には絵画が展示されていていますが、見学者は2階に比べると少ないことから静かなエリアになっています。すでに紹介した絵画を模写している人も、こちらのエリアで多く見ることが出来ます。


古代エジプトエリアには地下の遺構を見学した後に入りました。そこから古代エジプトと古代オリエントの展示物を見学しましたが圧倒的な数に驚いたので、その多さを紹介したくて沢山の写真を掲載いたしました。


古代エジプトと古代オリエントは主に1階でしたが古代エジプトに関しては2階と地下1階の一部でも展示されていました。見取図をクリックすると2階を表示します。


エジプトエリアに入るとエジプトらしい沢山の石像に迎えられました。


貴重なものがガラスケースの中に並べられて展示されていました。どれも興味深いものばかりでした。


古代の生活がしのばれるようなものも沢山ありました。こちらは古代のエジプトの船です。


木で作られた器具も沢山展示されていました。


彩色された石板も沢山ありました。


こちらも石板です。


沢山の壺もありました。生活の中で使われたものだと思います。下が尖っているので地面に突き刺して使われたのかもしれません。


石で出来たもの木で出来たものです。


金属製の像も沢山展示されていました。


見事な品々でした。


打屋の写真の奥のガラスケースです。紀元前の物が見事に残されているのに驚かされます。


いろんなものが展示されていました。


木製の椅子なども今でも座れそうな状態で残っているのに驚かされました。タイトルには「Harpe cintrée」や「Harpe cintrée d'Imenmès, musicien du dieu Amon」と書かれていました。


楽器類も沢山ありました。これらの楽器は紀元前1550~1295年の間のものだそうです。


スフィンクスの石像は沢山展示されていました。その中の一つです。


小さなスフィンクスもずらりと並べられていました。誰かに似ている顔もありそうです。


大きな柱や石像が展示されているエリアです。


広い部屋に大きなものから小さなものまで展示されていました。


貴重な石板なのでしょうね。ガラスケースに入れられていました。


古代エジプトは1階と2階で展示されていました。それをつなぐ階段です。2階から1階に下りました。


一階に下りると中庭が見れました。中世にルーブル城の中心があったシュリー翼と呼ばれている場所です。地下に遺構があります。


こちらは棺(ひつぎ)だと思います。見事な絵が描かれていました。


鳥のような顔をしています。もしかしたら子供の棺かもしれません。


こちらにも沢山の棺が展示されていました。


石で出来た石棺も展示されていました。彩色された色が残っています。


このあたりから古代オリエントの展示です。


不思議な石の石像です。名前はFragment de cippe décoré d'un atlanteです。現在のシリアのHauranという場所で発見されたもののようです。


部屋の中央に置かれていた石像の説明板にはStèle funéraire d'une femmeと書かれていました。置かれていた場所から有名なものだと感じました。


こちらも皆さんから注目されていました。紀元前2世紀のCippus from Malta と呼ばれているもののようです。クリックすると台座の碑文が読めると思います。ただし読むことが出来るのは古代文字が判る人に限ります。


Sarcophage(石棺)と書かれていました。紀元前300年ごろの石棺です。


石で作られたものだ展示されているエリアでした。


螺旋階段で1階に戻りました。


石の壁に描かれたライオンの絵です。こちらも見事でした。


反対向きのライオンの絵も展示されていました。上とは左右対称に配置されていたのかもしれません。


こちらの部屋の周囲にも絵が描かれた石板が飾られていました。


園部屋の真ん中に神殿の柱の頂部の飾りが展示されていました。


上の写真の飾りがつけられた巨大な柱が60本以上使われていたことから巨大な建物だったことが想像できました。


飾りの部分を特別に拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。


日本の土偶に似たものもありました。案内板にはStatue-récipient anthropomorpheと書かれていました。イランから出土したもののようです。


古代オリエントのものだ広い空間に沢山展示されていました。


不思議なデザインのものが多かったです。現代でも通用する見事なデザインです。


船の帆の柱でしょうか。木製の柱です。


不思議な石もありました。これはTable ornée de serpents et de divinités aux eaux jaillissantesです。少なくとも飾りの中にヘビがいました。紀元前14世紀と書かれていました。


曰くありげな黒い石です。こちらはStatue de la reine Napirasu, épouse d'Untash-Napirishaです。紀元前1340~1300年のものです。


上のStatue de la reine Napirasu, épouse d'Untash-Napirishaが部屋の中央に展示されていることが判ってもらえると思います。


ガラスのケースにも沢山展示されていました。


見事な壺です。


こちらのエリアでは石板が沢山飾られていました。


その中でも一番目立っていた石板です。


有名なものです。
これはサルゴン2世宮殿の飛牛とよばれています。教科書でみたことがあります。メソポタミアのアッシリア帝国のサルゴン2世が紀元前70年頃に作った宮殿に飾られていた彫刻です。


通路の両側に飛牛が置かれていると迫力があります。


別の角度から見た飛牛です。


飛牛は沢山展示されていました。


蛙のブロンズ像かと思いましたが、タイトルはStatue de lionと書かれていることからライオンの像の上半身のようです。紀元前2世紀初めのブロンズ像は珍しいのだと思います。


紀元前1792~1750年のCode de Hammurabi, roi de Babyloneです。有名なバビロンの王のハンムラビ法典の記念碑です。ハンムラビ法典はメソポタミア文明の象徴だそうです。紀元前18世紀にバビロンの王によって建てられた玄武岩製の背の高い碑は、聖書の律法以前に作られた最も完全な古代の歴史的著作と法令集だそうです。紀元前12世紀にイランにあった近隣の国エラムの王によって運び去られた記念碑だそうです。


ハンムラビ法典の記念碑の頂部の彫刻の部分を拡大いたしました。


ライオンの飾りです。これはTête de lion gardien de templです。


ギリシャ彫刻エリアに行く通路です。


古代オリエントのエリアからはギリシャの石像エリアに出ました。


そこからの外の景色です。今回の記事でルーブル美術館の記事を終了したいと思います。今までに掲載したルーブル美術館の記事を紹介します。タイトルをクリックすると記事を表示します。
 ・ホテルからのルーブル美術館までの景色 オペラ通り
 ・お掃除ロボット
 ・ルーブル美術館 モナリザ
 ・ルーブル美術館は若い人たちの歴史の勉強の場
 ・模写している光景も絵になっていました。
 ・ミロのヴィーナス
 ・ループル美術館の地下に埋もれていたものは
 ・ループル美術館で、あこがれのランチ
 ・絵画と石像だけではありませんでした。
 ・古代エジプトとオリエントのエリア