写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

ハワイ旅行3日目にイオラニ宮殿を見た後、イオラニ宮殿の近くに観光スポットの一つであるカメハメハ大王像が立っているとのことなので探してみることにいたしました。イオラニ宮殿の正面の門を出るとすぐに見つかりました。日本語式だとKamehameha Great King Statue(0件)ですが、検索しても当然ではありますが、このような言い方は出てきませんでした。ネット内を見ていると、主に次の4つの呼び方がされていました。単に「カメハメハ王の像」という呼び方でも「カメハメハ1世の像」として理解されるようです。
 Statue of Kamehameha the Great(94件)
 Statue of Kamehameha I(87件)
 Kamehameha Statue(73件)
 King Kamehameha Statue(70件)
下記リストの初代国王カメハメハ1世がカメハメハ大王で、日本と親交が深かったのは第7代カラカウア国王です。
     ハワイ王国・国王   在 位
 初代  カメハメハ1世 1795~1819年
 第2代 カメハメハ2世 1819~1824年
 第3代 カメハメハ3世 1825~1854年
 第4代 カメハメハ4世 1854~1863年
 第5代 カメハメハ5世 1863~1872年
 第6代 ルナリロ    1873~1874年
 第7代 カラカウア   1874~1891年  参考:1874年=明治 7年
 第8代 リリウオカラニ 1891~1893年     1891年=明治24年

カメハメハ大王像はハワイ州最高裁判所(アリイオラニ・ハレ)の正面にありました。カメハメハ大王像の後ろの建物がアリイオラニ・ハレです。歴史的な建物ですが、今でも裁判が行われている現役の最高裁判所です。横 濱男さんから頂いたコメント内容をきっかけに調べてみると、人気アニメのドラゴンボールの中で亀仙人(武天老師)が編み出した体内の潜在エネルギーを凝縮させて一気に放出させる右の絵の技「かめはめ波」の名前の由来はカメハメハ大王だそうです。漫画の作者である鳥山明さんが技(わざ)の名前を考えていたとき、鳥山明さんの奥様であり当時漫画家だった「みかみなち」さんが提案したものを「ばかばかしくて亀仙人らしい」と採用したそうです。→ポチッ


斜め方向からのカメハメハ大王像も紹介します。カメハメハ大王つまりカメハメハ1世(Kamehameha I)がハワイ王国を建国し初代国王になったのは1795年で37歳前後の時になります。その後1810年(52歳前後)にハワイ諸島を統一しました。そして1819年(61歳前後)に亡くなりました。カメハメハ大王像は戦闘用ヘルメットをかぶり槍を持っていることから初代国王となりハワイ諸島を統一している時期の37歳~52歳の間の頃を表現しているように感じました。調べた範囲では約45歳を表現しようとしたようでした。日本ではカメハメハ1世よりはカメハメハ大王と呼ばれることの方が多いようです。「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」あるいは「静かな人」の意味だそうです。欧米文明に接する前のハワイ語は文字を持たない言語であった関係で、アルファベットがあてられたことから、古い文献などではハメハメハ (Hamehameha) と表記される例もあったそうです。


その斜めの角度のカメハメハ大王像を拡大いたしました。カメハメナ大王が羽織っているの黄金色のマントは貴重な鳥の黄色羽根で出来たケープ(マント)です。頭の帽子のようなかぶり物も黄色羽根で出来ています。おそらく黄金よりも高価なものだと思います。
またカメハメハ1世は次のような長いフルネームでした。
 名前 Kalani Paiʻea Wohi o Kaleikini Kealiʻikui Kamehameha o ʻIolani i
    Kaiwikapu kaui Ka Liholiho Kūnuiākea
 出生 1758年(諸説あり) ハワイ島カパアウ あるいは その近郊
 死去 1819年 61歳前後
 在位 1795年~1819年


これがカメハメハ1世が実際に使っていた黄色の羽根で出来たケープです。ビショップ美術館で写真を撮ることが出来ました。黄色の羽根があまりにも貴重であったことから、他の王たちのケープは赤色の羽根を基調として一部に黄色の羽根を使っていました。貴重な鳥の羽根を約50万枚も使うことから制作も数十年以上が必要だったとガイドの方から聞きました。
黒い羽根の中に僅かな黄色い羽根を持つハワイ・オーオー(Hawaiʻi ʻOʻO)の日本名はムネフサミツスイ(胸房蜜吸)です。鳥黐(とりもち)で捕獲して黄色の羽根を4枚のみ取って放したそうです。Hawaiʻi ʻOʻO以外にKauaʻi ʻOʻOOʻahu ʻOʻOBishop's ʻOʻOが生息していたようです。オーオー(ʻOʻO)以外の鳥の羽根を使う場合も飛翔に支障が出ないように数枚だけを取って放していたことから羽根から作られたケープや頭の飾り物は貴重だったわけです。この鳥の羽根のケープ(マント)はハワイ語「アフ ウラʻAhu ʻula」と呼ばれています。


これは形から見て王のものではないようでが、王の頭のかぶり物に近いものがビショップ美術館にありました。カメハメハ1世のものは全て黄色ですが、こちらは赤色の羽根が基調になって一部に黄色の羽根が使われています。
この鳥の羽根の冠り物(ヘルメット/兜)は主に戦争時に使われていたようで、ハワイ語で「マヒオレMahiole」と呼ばれています。赤い羽根はハワイ固有種で現在では絶滅危惧種のベニハワイミツスイ(学名:Drepanis coccinea)が主に使われていました。ハワイ語ではイイヴィ(ʻiʻiwi)と呼ばれています。


カメハメハ大王像は次項で記載のように4ケ所にあり、ハワイ州では3ケ所にあります。最も有名なのがハワイ州最高裁判所の前の、このカメハメハ大王像です。この像は「キャプテン・クックによるハワイ発見100周年」を記念してイタリアで造られましたが、輸送中にフォークランド諸島の近くの海に没したため、再度造られたそうです。
沈没したカメハメハ大王像(オリジナル)はフォークランド島民によって発見されて最終的にハワイ島のカメハメハ大王出身の地であるノース・コハラ(North Kohala)のカパアウ(Kapaau/Kapaʻau)に設置されたそうです。


Google地図にカメハメハ大王像の設置場所をプロットいたしました。ヒロのカメハメハ大王の台座のみKamehameha The Greatと書かれており、他の3体の台座にはKamehameha Iと書かれています。
 オハフ島 ホノルル  ハワイ州最高裁判所の前 1883年  
 ハワイ島 ヒロ    ワイロアリバー州立公園 1997年   
 ハワイ島 カパアウ  旧コハラ裁判所の前   沈没したオリジナル
 米国本土 ワシントン 合衆国議会議事堂の中  1969年 → 地図


こちらがハワイ旅行5日目に撮ったハワイ島のヒロ(Hilo)のカメハメハ大王像です。カメラの設定ミスで白黒写真(モノクロ写真)になってしまいました。前日に標高4200mのマウナケア山の山頂に登り沈む夕日を見るツアーに行った時にカメラの設定を変更したのです。その時に設定間違いをしてしまい白黒モードになってしまったわけです。ミスに気が付かないで翌日の昼過ぎまでの写真が白黒(モノクロ)になってしまったわけです。


今回は訪れていませんが、参考のためにハワイ島ノースコハラの小さな町カパアウ(Kapaʻau)と、アメリカ合衆国議会議事堂(United States Capitol)のカメハメハ大王像の写真をネットから転用させていただきました。
上でも書いている通りカパアウのカメハメハ大王像は、ホノルルに建てるために最初に作られたオリジナルですが輸送中に船が沈没して、のちに発見されてカメハメハ1世の生誕の地であるカパアウに立てられたのですが、その経緯や時期に関しては記載サイトによりまちまちです。その中で最も正確に感じたのがWikipediaのカメハメハ像(オリジナル)でした。→ 原文 Google翻訳
オリジナルがカパアウに設置された時期に関してはネット内では船が沈没した2年後と1912年の記載がありましたが、本Wikipediaによると沈没してすぐにフォークランドの島民によって発見されて1882年にハワイ政府に売られて修復されてカパアウに設置されたと書かれていたことから、沈没から2年後に設置されたとの表現が近そうです。オリジナルもホノルルの像のように元々の表面は茶褐色の真鍮の地金と金箔でしたが、傷みがひどかったためか現在は塗装されています。右は1900年にカパアウのカメハメハ大王像の前に沢山の子供たちが集まっている写真です。ハワイ島ノースコハラ・カパアウのカメハメハ大王像は沢山の花で飾られている写真が多数あり、地域の人との結びつきを感じました。沢山の花のレイが飾られるのはハワイ州の祝祭日である6月11日のカメハメハ・デー(Kamehameha Day)で、1871年にカメハメハ5世によって制定さたカメハメハ・デーがハワイ州となった今でも続いているそうです。
     ハワイ島カパアウ        アメリカ合衆国議会議事堂


4ケ所のカメハメハ大王像の顔を比べてみました。微妙に違うようです。
上段のオアフ島(左)とハワイ島ヒロ(右)の大王像の写真は私が撮りましたが、下段のハワイ島ノースコハラ(左)とアメリカ合衆国議会議事堂(右)の大王像の写真はネットから転用させていただきました。ツアーのガイドの方からカメハメハ大王像の顔は本人とは違うと聞きました。実は大王像のモデルとなったのはカメハメハ1世本人ではなく、建立当時の王である第7代カラカウア国王が宮廷の中から最も美しい男性をモデルに選んだそうです。
写真をクリックすると拡大いたします。



こちらがカメハメハ1世(カメハメハ大王)の肖像画です。誰が見ても、顔だけでなく体形も像とは違うと思います。


ハワイ旅行の初日に訪れたホノルル美術館内にも小さなカメハメハ大王像が置かれていました。
右の写真で比べていただくと分ると思いますが台座の形や台座に取り付けられている石板の模様から、ホノルルのカメハメハ大王像のミニュチャアのように感じます。他の3体とは台座の形が明らかに違います。
また、クリックすると特別に大きく拡大するので分かると思いますが、上の4体とは違う顔であることに気が付きました。是非とも比べてみてください。


Google地図の航空写真でカメハメハ大王像を紹介します。小さな写真はカワイアハオ教会とイオラニ宮殿です。
 カメハメハ大王像
 イオラニ宮殿
 カワイアハオ教会
 アリイオラニ ハレ


カメハメハ・デー(6月11日)にハワイ島ノース・コハラのカパアウのカメハメハ大王像に花のレイを飾る動画がネットにあったので紹介します。いろいろの動画からカメハメハ・デーにはオアフ島のホノルルやハワイ島のヒロのカメハメハ大王像にも花のレイが大々的に飾られていることもわかりました。ただしオアフ島のホノルルのカメハメハ像では高所作業車が使われていましたが、カメハメハ大王の出生地であるハワイ島の2ケ所では2本の長い棒を使った昔ながらと思われる方法で花のレイを大王像に掛けていました。ノース・コハラでは木か竹の棒が使われていましたが、ヒロは大王像が大きいためか金属の棒が使われていました。是非とも3ケ所を比べてみてください。
 オアフ島ホノルル 高所作業車  → 動画1
 ハワイ島ヒロ   2本の長い棒 → 動画2 槍の交換(はしご車)→動画4
 ハワイ島カパアウ 2本の長い棒 → 動画3