写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

前記事でのハイキングの参加者は入社した当時の神戸の仲間でした。その打ち上げの飲み会の中で昔の六甲全山縦走大会に参加したことが話題になったので、私の入社当時の古いことですが本記事で紹介したいと思います。
その時代は「市民」の文字が入って六甲全山縦走市民大会と呼ばれていました。この大会は「六甲全山縦走市民の会」が主催しており、現在、その事務局は神戸市役所の市民参画推進局文化交流課の中にあります。1975年11月23日(祝日)に第1回が行われて、2018年11月11日(日曜)と11月23日(祝日)に第44回の六甲全山縦走大会の全縦(56km)が行われました。11月23日(祝日)には新神戸駅ゴールの半縦(23.6km)も同時に行われました。2018年が第44回なので阪神・淡路大震災(1995年1月17日)に襲われた1995年も含めて第1回から毎年必ず1回行われたことになります。1月17日から10ケ月があったことで実行を決断出来たのだと思います。2018年の正式名称は「2018 KOBE 六甲縦走全山縦走大会」です。ただし「2018 KOBE 六甲縦走全山縦走大会(第44回)」という表現も使われていました。
私の時の参加人数や完走者数は今となっては判らないので、2018年の人数を紹介します。参加は申込定員制(1800人/日)で、実際の参加者は11月11日が1592人で、11月23日が1514人の合計3106人でした。驚いたことに全縦走の最高齢完走者は男性86歳で女性73歳でした。
下記表のように2018年の完走率は84%ですが、第1回~第44回の累計参加者の完走率も84%(=131,758名÷157,093名)です。
参加者(人)完走者(人)完走率
男性女性合計男性女性合計男性女性合計
全縦249361331062135476261186%78%84%
半縦24315339622614136793%92%93%
上で紹介した神戸市(六甲全山縦走市民の会)主催の六甲全山縦走大会以外に兵庫県勤労者山岳連盟(兵庫労山)が主催する六甲全山縦走大会もあります。こちらは人数的には神戸市の40%程度ですが、全縦コースと西コース(半縦)と東コース(半縦)があり、2年がかりですが2回参加することで全山縦走を完成させられる特徴があるようです。さらに神戸市より歴史が古く、1966年に第1回が行われ2019年3月10日(第2日曜)に第53回が行われました。1月に地震があって3月なのでさすがに1995年は中止になったようです。
それでは私が参加した昔の六甲全山縦走市民大会の説明に戻ります。
コースは上の地図で示している通り神戸市垂水区の塩屋から宝塚市の宝塚駅(阪急)までの公称56kmでした。早朝に出発するために会社の塩屋の独身寮の人の部屋に泊めてもらい、集合場所の山陽電鉄の塩屋駅に行くと右の参加証(記録兼チェックカード)を受け取って出発いたしました。すでに5分間の間に沢山の人が出発していていました。泊めてもらった部屋の住人も、この六甲全山縦走市民大会に参加いたしました。チェックポイントを紹介します。
到着出発チェックポイント
5:05塩屋
6:456:45萩の寺
高取山頂
菊水山頂
鍋蓋山頂
9:059:05再度山大竜寺
10:0010:00摩耶山頂
11:1011:30記念碑台
12:0512:05最高峰一軒茶屋
12:3013:00東六甲縦走路分岐点
大平山
14:15宝塚駅
現在の出発地須磨浦公園
萩の寺、再度山大竜寺、記念碑台、東六甲縦走路分岐点、宝塚駅には係員の方がおられて到着すると右および下のように印を押してもらえました。の間に塩尾寺(えんぺいじ)があります。

塩屋を5時05分に出発して宝塚駅に14時15分に到着したので、56kmを9時間10分で歩いたことになります。ただし、年々競争がエスカレートして6時間で走る人が出てきたことから、本来の楽しく歩く趣旨からかけ離れてマラソン大会のように競争の場になることを防ぐために係員のいるチェックポイントでは、その時間より早く出ることが出来ない出発時間が設定されていました。例えば東六甲縦走路分岐点では、どんなに早く到着しても13時までは待ってから出発するのです。私の場合は記念碑台で20分、東六甲縦走路分岐点で30分ほど足止めされたことから実質は8時間20分でした。
ちなみに六甲全山縦走の現在の出発地点は須磨浦公園です。
ネットで調べてみると、右の2018年の記録兼チェックカードでは須磨浦公園(スタート 5:00~7:00)→妙法寺小学校→菊水山(8:30~12:20)→鍋蓋山頂東→再度山大竜寺→摩耶山上掬星台(12:00~15:50)→六甲山記念碑台→一軒茶屋(13:50~18:20)→大平山→宝塚(ゴール 16:30~22:00)になっていました。赤色文字のところでは係員の方が印を押してくれます。時間は印を押してもらえる時間です。


記念碑台から宝塚駅までは競争しないように、4人くらいのトップグループで一緒に歩きました。そのトップグループで同時にゴールいたしました。ゴールした人がある程度集まると記念写真を撮ってもらいました。この写真は9番目の人がゴールした時に撮った記念写真です。クリックすると判ると思いますが、目の辺りだけ「ぼかし」を入れております。左から2番目の赤いウインドブレーカーを着ているのが私です。六甲山縦走路は大半が細い道で行列して歩いていることから出発して5時間くらいは追い抜きは難しい状態が多かったです。それでも記念碑台までは渋滞していないところでは走っていました。最初に出発して渋滞が無ければ実質7時間は切れた感じではありました。会社の同じ年齢の人達も沢山参加されましたが、夕方から夜に宝塚に着いたと言っていたので12時間~16時間だったようです。写真は後で家に送ってもらいました。


認定証もいただきました。この六甲全山縦走は「全山」というところに大きな意味があるのです。六甲山最高峰931mをはじめ沢山の高い山を登っては降りることを繰り返すことから、諸説ありますが登りの詳細累計標高は3659.3mにもなるようです。連続の登りではないので3660mの標高の山に登る場合とは比較できませんが、距離があるのも厳しい条件になると思います。特に高取山、菊水山、鍋蓋山は登っては下り、登っては下り、登っては下りはかなりのものでした。このころの体力ならば、渋滞が無ければ登りも下りも全て走れたと思います。もちろん、今は無理です。


参考に15時間30分で歩かれた方の例を掲載させていただきます。現在の大会では走るのは禁止されています。


最初に紹介した写真も含めて5枚も撮っていただきました。最初の頃で人が少なかったので沢山撮ってもらえたのだと思います。昔の写真である上に拡大はしないように設定しているので「ぼかし」は行っていません。宝塚駅構内で、認定書と記念品をもらっうために並んでいるところです。私は参加証に印を押してもらっているところです。


こちらの写真は記念品を受け取っているところです。印が押された参加証と認定書はを左手に持っています。記念品は盾(たて)だったと思います。探しましたが見つからないのでとりあえず、ネットから転用させていただいた写真を右に紹介します。見つかれば写真を差し替えるつもりです。


駅前で記念写真を撮りました。後ろの券売機のところに「阪急電車 きっぷ うりば」と書かれています。この写真で阪急の宝塚駅であることが分かりました。左端の「おつかれさま 六甲全山縦走市民大会 完走おめでとうございます」の立て看板が光っていました。ほとんどの人が歩きますが「完走」にも「縦走」にも「走」の文字が使われます。確かに「完歩」や「縦歩」では、分かりにくいし、ぴんとこないです。


武庫川に架かっている歩道橋の上での記念写真です。この歩道橋は今はありませんが、当時は六甲山から下りてきて、この歩道橋を向こう側から手前側に渡って宝塚駅に到着しました。今は、この場所には車が通れる宝来橋があります。後ろの建物に水明館の文字が読み取れます。今は水明館はありませんがGoogle地図で水明館跡の文字を見つけることが出来ます。


最初に紹介した記念写真です。右側が武庫川の下流方向です。建設用のクレーンがあるところが宝塚歌劇の建物の場所です。右の小さな写真が建設中の宝塚歌劇の建物をオリジナルの写真から切り取って露出調整したものです。


類似した角度の現在のストリートビューです。プラス(+)のアイコンを2回クリックして右側を真中に持ってくると拡大された宝塚歌劇の建物を確認することが出来ると思います。
右の写真はその部分を切り取ったものです。


従来は六甲全山縦走の累計標高は2800mと記載しているサイトが多かったです。約3000mと書かれているサイトもありました。GPS と地理院地図の高度データにより詳細に計算したのが下記のサイトで累積上昇高度(累計標高)は3659.3mで累積下降高度は-3627.6でした。下記は出発地点を須磨浦公園(現在の出発地点)としていますが、標高に関しては塩屋(当時の出発地点)も同程度です。ただし須磨浦公園は塩屋よりかなり東なので須磨浦公園出発の方が距離は短くなると思われます。代表的な標高も紹介します。結婚してすぐに買った家からは横尾山と高取山が見えました。右の上の写真は横尾山山頂に登った時に撮った高取山です。高足山の左奥に菊水山が写っています。この写真を見てもらうとアップダウンが激しいことを想像していただけると思います。その下の写真は縦走以前に撮った最高峰の石碑が、この時代は六甲山最高峰には米軍施設があり立ち入り禁止のために、その横に建てられた石碑です。この石碑の位置は最高峰より若干低いけれどもここの横を通りました。その最高峰の写真をクリックすると3枚組を表示します。
標高を参考にさせてもらった資料→ポチッ
 須磨浦公園   12.6m
 旗振山    252.6m
 鉄拐山    234m
 栂尾山    274m
 横尾山    312.1m
 東山     253m
 高取山    237.8m
 菊水山    458.3m 
 鍋蓋山    486.1m
 再度山    470m
 摩耶山    690.1m
 摩耶別山   715m
 六甲最高峰  931.25m
 水無山    804m
 大平山    682m
 譲葉山    514m
 岩倉山    488.4m
 宝塚駅     44.3m 3659.3-3627.6= 31.7 =44.3-12.6



上でも小さな写真で紹介した横尾山山頂から撮った高尾山の写真です。その写真の右側には神戸の市街地が広がっていたのです。高尾山の左奥には菊水山がうっすらと写っています。これを歩いて行くわけなので登ったり下りたりすることが実感していただけると思います。結婚してから東京に転勤になるまで横尾と呼ばれる場所に住んでいたのです。ただし六甲全山縦走をした時は結婚すること自体考えてもいなかったので、この場所(横尾)に住むことになるとは想像だにしていませんでした。横尾山は近かったので頻繁にワラビを採りに登りました。ワラビは茹でてマヨネーズかワサビ醤油でいただきました。子供が生まれてからも六甲山系のいろんな山に、右のようなスタイルでよく登りました。須磨浦公園( スタート )と書かれているところが、私が歩いた時は塩屋( スタート )でした。この時に住んでいたのは宝塚駅( ゴール )近くの実家の家でした。
3つ目の画面の横尾山から黄色線方向(神戸港方向)を撮ったのが上の写真です。




参考に横尾山山頂から神戸市営地下鉄西神・山手線の妙法寺駅方向を撮った写真を紹介します。市民大会で縦走路を歩いている時は、この景色を見る余裕はなかったと思います。六甲全山縦走したのは独身時代ですが、この写真は結婚後に撮った写真です。この写真はクリックすると特別に3倍(面積で9倍)に拡大するように設定いたしました。


妙法寺駅前の医療センターやショッピングセンターは建設中でした。今となっては珍しい写真だと思うので横尾山から200mmの望遠レンズ撮った写真も掲載いたします。こちらの写真はクリックすると特別に4倍(面積で16倍)に拡大するように設定いたしました。


すでに上で報告の通り今の出発地は須磨浦公園駅です。私が歩いた時代の塩屋駅から旗振山までのルートと比較してみました。塩屋駅周辺は住宅が密集していることから変更したのだと思います。右の写真はWikipediaに掲載されている現在の山陽電鉄の塩屋駅です。変更になったのは私が歩いた次の年からでした。航空写真表示→ポチッ


東山から高取山へのルートも昔と今では違うようです。昔は萩の寺を通るルートですが、今は妙法小学校近くを通るオレンジ色のルートに変わっています。チェックポイントの萩の寺()も妙法寺小学校()に変更になりました。
スタート地点から旗振山までと、東山から高取山まで以外のルートは基本的に昔も今も同じです。


六甲全山縦走のコースの山の部分に深緑色のマークをプロットいたしました。マークの数は25個になりました。プロットしてみることで、沢山の山を登り下りしたことを実感いたしました。25個の内訳は16個が上で紹介の名前が分かっている山で、9個が等高線から山と判断していますが、名前が分からない山 1 ~ 山 9です。画面内のは私が歩いた時の市民大会の参加証のチェックポイントです。本画像は10枚のGoogle地図のハードコピーを3秒間隔で表示させています。クリックするとGoogle地図で表示します。


小学校4年から六甲山の麓に住んでいてハイキングには頻繁に行っていたのですが、山道を走る体力が付いたきっかけは高校の生物部に入ったことだったと感じています。六甲山にある横池(雌池)に毎月1~4回ほど阪急岡本駅から横池まで走って登っていました。池のプランクトンの数と水質(溶存酸素、PH)の変化を調べていたのです。プランクトンの数は学校に持ち帰って顕微鏡で数を調べるのです。おかげで足が鍛えられました。横池は雄池と雌池がありましたが、プランクトンの調査は雌池で行っていました。高校2年の時にサイクリング用の本格的な自転車を買ってもらいよく六甲山に登ったことも足が鍛えられる要因になりました。数値は標高です。
 A 岡本駅
 B 鷺宮八幡宮
 C 保久良神社 185m (保久良山 189m)
 D 金鳥山   346m
 E 横池(雄池)  432m
(F 横池(雌池)       )
 G ロックガーデン(風吹岩 447m)
 H 通っていた高校


横池の珪藻の写真を紹介します。最後の写真は生物部の活動風景です。




高校2年から自転車に乗っていたこともあり高校卒業後、大学ではサイクリング部に入りました。4年間で6万kmを走りました。下記は2018年のOB会で現役に対して我々時代のサイクリング部紹介するために作ったパワーポインのスライドです。画面は1秒間隔で変わるようにしています。3秒間隔で見たい方はこちらです。→ポチッ


自転車で越えた峠をプロットしました。越えた峠の中で名前が判っている155をプロってしています。標高1000m以上の峠の名前です。
麦草峠(2185) 渋峠(2172) 徳本峠(2135) 車坂峠(1968) 金精峠(1843) 武石峠(1830) 安房峠(1812) 沼山峠(1784) 武石峠(1780) 三平峠(1762) 地蔵峠(1733) 平湯峠(1684) 野麦峠(1672) 馬越峠(1650) 白樺峠(1640) 和田峠(1531) 権兵衛峠(1522) 長峰峠(1503) 柳沢峠(1472) 信州峠(1464) 大門峠(1442) 十石峠(1356) 姥神峠(1280) 杖突峠(1267) 内山峠(1170) 駒止峠(1135) 白布峠(1094) 松本峠(1087)  塩ノ沢峠(1061) 塩尻峠(1055) 冠峠(1050) 傘松峠(1020)  小鳥峠(1002)


上段の2枚は高校2年から8年間使った自転車で左右は同じ自転車です。塗装が剥げてきたので、4年目に紺色から黄色に振り替えました。学生時代のサンクリング部では、この自転車を使いました。
下段の2枚の左が会社に入社して2年目に買った自転車で、右側が一番新しく買った自電車です。