写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

イタリアのピサを紹介いたしましたが、その前日はフィレンチェに泊まりました。フィレンツェを紹介いたします。イタリア旅行のコースにはフィレンチェが必ず入るほどきれいな町でした。フィレンツェについて先ず最初に案内されたのがフィレンチェの町全体が見渡せるミケランジェロ広場です。フィレンツェの街の中心部とアルノ川を挟んだ丘の上にあり、これから歩く町全体の説明をしてもらえました。
中央のドームのある大きな建物が、後ほど紹介するドゥオモです。その左の高い塔がある建物がヴェッキオ宮で手前の川沿にある教会がサンタ・クローチェ教会です。

ここは「ウフィッツィ広場」です。ウフィッツィ美術館の前の細長い広場です。美術館の前だけあって、このような光景を沢山見かけました。大失敗! 頭に隠れて絵が写っていません。残念でした。


ウフィッツィ美術館に入りました。この美術館はルネッサンス美術の世界最大の宝庫と呼ばれており、よく知っている名画が沢山展示されていました。それらは残念ながら撮影禁止でしたが、窓の外にはフィレンツェのアルノ川に架かる橋で最も有名なポンテ・ヴェッキオが絶好の構図で見えるのです。ここだけは撮ってもよいと添乗員の方に教えてもらったので紹介いたします。


ヨーロッパは路地も芸術的な景観を見せてくれます。特にフィレンツェは、どの路地も魅力的でした。


丘の上のミケランジェロ広場から大きな丸いドームが見えた一際大きな建物がドゥオモであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。正式名称はBasilica di Santa Maria del Fiore(花の聖母教会)です。
近くに行くと大きすぎて下のように全景を写すことが出来ませんので冒頭のミケランジェロ広場からの写真から切り取った写真を右に掲載いたしました。近くで見ると壁の装飾には驚かされました。1296年から140年かけて築造された高さ106mの大クーボラ(円蓋)を持つ巨大な教会でした。


ドゥオモの内部です。ドーム部分の内側には絵が描かれていました。


2013年5月4日10時からテレビ東京「美の巨人たち」で「天国の門」が放送されたことから下の写真を追加いたしました。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に付属するサン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni) にはロレンツォ・ギベルティの最高傑作と言われている「天国の門」がありました。全体の写真を撮っていなかったため右の全景写真はWikimediaから拝借いたしました。
この扉は高さ約5メートルで、縦横80センチ、10枚の金箔を施したブロンズパネルで構成されています。


10枚のパネルには旧約聖書の物語が紙芝居のように展開されているそうです。そして彫りの厚さを変え、見事な遠近感を表現しています。ちなみに「天国の門」の名前は、のちにミケランジェロが、この名前を使って賞賛したことから、この名で呼ばれるようになりました。この東の扉(天国の門)は1425年~1452年の27年間をかけて作られました。その前に作られた北の扉は1402年~1426年の24年間かけて作られたのでした。右上の写真はWikimediaから拝借した洗礼堂の写真です。


2013年5月4日 (土) 美の巨人たち (TV東京系)放送内容
ロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti、1381年頃 - 1455年12月1日)

ルネサンス期フィレンツェの彫刻家、金細工師。今日においても賞賛される高い技量を有し、工房からは多くの弟子が育ちました。


天国の門(1452年)

初期ルネサンスの代表的な彫刻作品です。

ルネサンスの故郷、フィレンツェ最初の宗教的なモニュメントである、サン・ジョヴァンニ洗礼堂北側の扉です。ただし、現在の扉はレプリカであり、本物は修復後、博物館に展示されています。名付け親は、かのミケランジェロ…、ミケランジェロは1975年生まれなので、たいぶ後になっての命名なのですね。

このパネルに描かれた作品のテーマですが、最初は「アダムとイブの物語」、次いで「カインとアベルの物語」、「ノアの物語」、「アブラハムの物語」と、旧約聖書の創世記の物語が紙芝居のように表現されています。

金細工師の父の元で修行したギベルティは15世紀初め、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉の制作者を決めるコンクールに応募します。そこで最終選考に残ったのがギベルティともう一人、後にルネサンスを代表する建築家となり、遠近法の創始者ともされるブルネッレスキでした。共に20代前半、若い芸術家同士の闘いとなったのです。

選考は大いにモメたようですが、ブルネッレスキは辞退しローマへ向い、ギベルティが勝利しました。
フィレンツェ屈指の彫刻家となったギベルティが、時を経て指名され、制作したのがこの『天国の門』でした。
番組では、現在でも尚驚嘆されるギベルティのブロンズ技術にせまりました。そして、かつてのライバルであり、建築家となって帰郷したブルネレスキが発見した、遠近法の技術も取り入れ、旧約聖書の物語を美の結晶として再現したのです。

道の正面に塔がある建物がヴェッキオ宮です。94mの高さの塔を持つゴシック建築です。自由都都市体制を打ち立てたフィレンチェが、執行官の館として13世紀に建て、その後、市庁舎となり今に至っているそうです。


ヴェッキオ宮は塔が魅力的です。特に頂上に近い部分の造形には驚かされました。


フィレイチェではウフィッツィ美術館に入った後は自由行動となりました。ヴェッキオ宮前のシニョリーア広場です。中世の自由都市時代には、ことあるごとに市民が集まった広場だそうです。ここには沢山の彫像が並べられており屋外美術館のようでもありました。


こちらはサンタ・クローチェ教会で、フィレンツェの町を何気なく散策している時に引かれて立ち寄った教会ですが、ミケランジェロなどの偉人の墓が276基もある教会であることを知りました。
サンタ・クローチェ広場に面した部分ですが、この奥に巨大な教会の本体があります。塔が少し見えますが、あのあたりまで一つの建物なのです。


昼はCaffè Bigallo で昼食でした。料理はツアーに含まれており「なすのパスタ」でした。アルコール類は自前で、当然ビールを頼みました。
お店のホームページを見つけました。→ポチッ


ツアーには夕食が結構付いているのですが、この日は自由だったので町に出て食べました。魚介料理の気楽なお店を選んでみました。
お店は気楽な安いお店を選んだので、料理は少し豪華にロブスターを中心にしてもらいました。料理はホタテ、生ハム、ロブスターのパスタに黒鯛、さらに大きなロブスターを一匹頼みました。
お店の名前は「Ostaria dei Cento Poveri」です。日本語に訳すと「百人の乞食の食堂」だそうです。旅行ガイドブックを見て、日本を出発する前からの候補でした。小さなお店で雰囲気を楽しむことが出来ました。ガイドブックには「手軽な料金で食べられる魚介料理レストラン 海の幸が豊富な南イタリアのプーリア料理専門店」と書かれていました。下の写真は右上の写真から切り取りました。