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上の写真はカンポ広場で町の中心にある大きな広場です。
扇状の広場で扇の要の部分から周囲の方に傾斜して高くなっていることから集会などに使われたものと感じました。そして要の部分に高い塔が建っているのです。
広場から撮りました。もちろん中世の姿をとどめる旧市街は「シエナ歴史地区」として世界遺産に登録されています。街の中心の扇状のカンポ広場は圧巻でした。
写真のレストランで昼食となりました。
昼食風景です。沢山のお客さんが食事をされていました。
イタリア旅行には家内と娘と3人(右の写真)で来ました。
レストランにはRISTORANTE PIZZERIA SPADA FORTEと書かれていました。 SPADA FORTEが店の名前ではないかと思います。パンを使った料理とメインデッシュのはローストポークでした。もちろんワインを頼みました。
SPADA FORTEの名前からネットでレストランを探しました。
裏通りに旗が飾ってあるのはお祭りの関係
こちらは裏通りです。
ここが町の入口です
この道が町の中のメイン通りと思われました。
お祭りのパレード
街の境界のマーク(芋虫と?) と 紋章
携帯電話やワンちゃんの写真を見ると、こんな町でも暮らしている生活は普通の感じでした。
シエナの町の遠景 ドゥオモやサンタゴスティーノ教会が見えます。この地方の丘陵上の都市と同様、エトルリア人の居住地に都市の起源があるとされていますが、シエナの古代の姿は明らかではないそうです。ローマ時代には主要な街道からも外れており、キリスト教が伝わったのも4世紀であったそうです。シエナが重要な都市として姿を現し、歴史の上に明確な位置を占めるようになるのは中世以降だそうです。
城壁の飾りも趣きガあります。
シエーナ共和国は内部に貴族と市民の間の対立を抱えながら、外に最大のライバルであるフィレンツェとの抗争を繰り広げたそうです。教皇派と皇帝派の抗争ではフィレンツェが教皇派(ゲルフ)であったのに対抗し、シエーナは主に皇帝派(ギベリン)の立場に立っていました。1260年のモンタペルティの戦いで、シエナはフィレンツェに大勝を収めるも、1269年にはコッレ・ヴァル・デルサの戦いで大敗を喫しています。この敗戦を契機にシエーナでは皇帝派の政府が倒れ、フィレンツェとの関係が改善されたそうです。
シエナの冒頭の写真のカンポ広場を中心にした航空写真です。