千葉県の佐原地区にある昔ながらの町並みで二階建ての高い建物が多い中で珍しい景観だったので、小野川沿いの平屋建物を倉庫業を営んでいる与倉屋さんだと勘違いをして記事に書いてしまいましたが、こちらの写真が本物の与倉屋さんです。調べ見ると与倉屋で、この建物は明治初期のものだそうです。 明治初期に酒醸造業を営み、その後醤油醸造業を戦前までつづけ、昭和30年頃まで製粉業を営み、現在倉庫業をしているそうです。
右の写真が小野川沿いの間違えた建物です。クリックすると拡大するので比べてみてください。佐原の古い町並みは香取街道沿いと小野川沿いにだけではないことを、2度目の訪問で実感いたしました。小野川沿いの建物を与倉屋さんと間違えたのは2012年6月27日の1度目の訪問の時でした。今回の2度目の訪問で、こちらを見つけて間違いであることが分かったのです。

確かにネットで説明されていたように裏手には124年前の1889年に建てられた与倉屋所有の大土蔵がありました。これで与倉屋さんであることを完全に確信いたしました。1200棟の家屋を焼失させた1892年(明治25年)の佐原の大火以前の貴重な建物です。


こちらは上の写真の奥の方から撮った大土蔵の写真です。明治期には醤油醸造業に用いられていたそうです。戦時中は武器庫にもつかわれ、戦後は余剰米の倉庫として使われた時代もあったようです。


大きな倉庫で精いっぱい遠くから広角の24mmで撮っても全景を撮ることが出来ませんでした。現在はイベントスペースとしても用いられておりコンサートなどに使われています。夜は若手たちが佐原囃子(さわらばやし)の訓練に励んでおり、お囃子の笛の音を伝建地区に響かせているそうです。佐原囃子は江戸時代から続いているお囃子で、演奏する団体を「下座連」と呼んでいます。現在約70を超える下座連が活動しているそうです。国の重要無形民俗文化財指定されている佐原の山車行事で演奏されます。


倉庫の壁には赴くのある裸電線が張られているのが印象的でした。今時珍しい白熱電球の外灯(街灯)も印象的でした。


冒頭の与倉屋さんの写真の向かいにも趣のある建物がありました。こちらも与倉屋さんの所有の建物でした。


その建物の横の建物も与倉屋さんの所有の建物でした。この辺り一帯が与倉屋さんだったのです。


倉庫の大きさを実感してもらうために航空写真を紹介します。瓦葺の素晴らしい建物であることがわかりました。屋根の上にブルーシートが見受けられます。震災後の航空写真ですね。この地域の地震はひどかったようですが、大土蔵は大きな被害になっていないようでした。作業場を確保するため柱は最小限にする工夫が施されていて、そんな土蔵を支えるのは「小屋組み」という手法で何層にも張り巡らされた梁にあるそうです。大きな地震にも耐えられる構造だったようです。

佐原の町の地図です。赤い丸印のところが与倉屋さんです。この地図をクリックするとネットのオリジナルの地図を表示します。