写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

ヴェルサイユ宮殿から循環トレイン(ミニトレイン)に乗って最初に向かったのがヴェルサイユ宮殿敷地内にある大トリアノン宮殿(Grand Trianon)です。大トリアノン宮殿は1670年にルイ14世が宮廷の目を逃れモンテスパン夫人と会う隠れ家として中国風の小宮殿「磁器のトリアノン 」を建造し、1687年ジュール・アルドゥアン=マンサールの設計により改築したものだそうです。大トリアノン宮殿はリンダーホーフ城のデザインにも影響を与えたそうです。ここでは戦勝国によるハンガリー分割を行うトリアノン条約の調印が行われました。1963年から1966年に改修が行われ、その後は迎賓館として用いられました。上はGoogle航空写真の3D機能で表示させた大トリアノン宮殿です。

ルイ14世の時代の大トリアノン宮殿には義妹の パラティーヌ王女、娘婿のシャルトル公爵、娘のブルボン公爵夫人が居住し、またマリー・レクザンスカもこの宮殿を好み、気候が良い時期に滞在していたそうです。マリー・アントワネットは、この宮殿で時々芝居を上演していましたが、住まいとしては、ルイ16世から贈られた小トリアノン宮殿(Petit Trianon)のほうを好んでいました。
ナポレオン・ボナパルトは、この宮殿の修復を命じ、その後は妻のマリー・ルイーズ皇后とともに何度も滞在したそうです。
ド・ゴール将軍は1963年に大トリアノンの改築を指示して共和国の迎賓館として利用できるようにするとともに、森のトリアノンと呼ばれる北翼に大統領の邸宅を設置させたそうです。
下記の地図のが大トリアノン宮殿です。
   ヴェルサイユ宮殿 紫色で囲った部分
   大トリアノン宮殿 緑色で囲った部分
   小トリアノン宮殿 臙脂で囲った部分
   マリー・アントワネットが暮らした村里
   ランチを食べたレストラン La Flottille
  ━━ ヴェルサイユ宮殿の敷地境界


東方向から見た大トリアノン宮殿です。この宮殿の奥に大トリアノン宮殿のための広い庭園が広がっています。
大トリアノン宮殿は薔薇色の大理石と斑岩でできた小さな宮殿はイタリアの建築様式の影響を受けた1階建ての建物です。


こちらが南側です。


こちらが北側です。


南側の奥に入口がありました。ここから入りました。


我々も入口に向かいました。


入口を入ると中庭になっていました。列から離れて写真を撮らせてもらいました。


その中庭の写真です。


薔薇色の大理石が使われていることが判ってもらえると思います。


中庭から建物の中へ入りました。


緑色で囲った部分()が大トリアノン宮殿です。建物の中には沢山の部屋がありましたので紹介したいと思います。
 ① 居間-1(名前は不明)
 ② 居間-2(名前は不明)
 ③ 鏡の間(Le salon des Glaces)
 ④ 皇后の寝室(La chambre de l’Impératrice)
 ⑤ 礼拝堂の間(Le salon de la Chapelle)
 ⑥ 柱廊(Le Péristyle)
 ⑦ 円形の間( Le salon Rond)
 ⑧ 控えの間(L’Antichambre)
 ⑨ 音楽の間(Le salon de Musique)
 ⑩ ルイ・フィリップの家族の間(Le salon de famille de Louis-Philippe)
 ⑪ 孔雀石の間(Le salon des Malachites)
 ⑫ 皇帝の地図の間(Le cabinet topographique de l’Empereur)
 ⑬ 涼みの間(Le salon Frais)
 ⑭ コテルの回廊(La galerie des Cotelle)
 ⑮ 森のトリアノン翼棟(L'aile de Trianon-sous-bois)
 ⑯ トリアノンの庭園(Les jardins de Trianon)



居間-1(名前は不明)
宮殿の中に入って最初に入った部屋です。赤色の椅子と黄金色の脚のテーブルが印象的でした。


シャンデリアが宮殿の部屋であることを感じさせてくれました。


長い廊下を通って次の部屋に向かいました。



居間-2(名前は不明)
2番目に入った部屋がこちらです。こちらも調べてみましたが部屋の名前は分かりませんでした。窓からの光は制限されていて暗かったけれども、やはり宮殿部屋だと感じられました。


部屋ごとにソファーや椅子の色が違うのが印象的でした。部屋の中では色は統一されていました。



鏡の間(Le salon des Glaces)
こちらの部屋が沢山の部屋の中で最も美しい部屋であったと思います。ネットで検索しても南棟で最も美しい部屋と書かれていました。こちらの部屋も窓からの光を制限されていました。目で見ると写真ほどは暗く感じませんでした。


少し露出調整して明るくしてみました。美しい部屋だと実感してもらえるのではないでしょうか。


角度を変えて撮った写真です。この部屋は1691年から1703年までルイ14世が使用し、閣議もここで行われたそうです。トリアノン宮殿のほとんどの部屋と同じく、装飾は元のままに保存されていますが、家具調度品は革命時に売却され、ナポレオンによって他の家具と入れ替えらたそうです。


シャンデリアも見事でした。1810年から1814年までは、マリー=アントワネーットの姪の娘にあたるマリー=ルイーゼ皇女が大客間として使用していたそうです。


鏡の間の窓からの庭の景色です。



皇后の寝室(La chambre de l’Impératrice)
帝政期には皇后マリー=ルイーズが使用し現在の状態に家具調度品が整えられました。
元はルイ14世の寝室で、部屋を区分しているコリント式の柱と、モザイク式に彫刻された素晴らしい木工細工の装飾が特徴的です。
調度品のほとんどは皇后が使用して時代のものですが、ベッドだけは、ナポレオンがチュイルリーで使用していたものだそうです。ルイ16世の兄弟のルイ18世が1824年に亡くなった時のベッドでもあります。


こちらの部屋の椅子やソファーはシックな赤色に統一されていました。


ベッドを正面から撮りました。


ベッド部分を拡大いたしました。さすが王室の人達が使ったベッドです。


柱で仕切られた小部屋も紹介します。


小部屋の方から見た寝室です。



礼拝堂の間(Le salon de la Chapelle)
こちらが南棟で最後に紹介する部屋です。元々、この部屋は礼拝堂でした。
1691年にルイ14世が、ここに居を構えた時に、控えの間に改造されましたが、当初の目的を維持していたそうです。奥の扉から祭壇の奥まった部分に通じており、ミサが終了すると扉を閉めて部屋として使ったようです。


絵画は福音の伝道師である聖マルコと聖ルカが描かれています。
ジャン=バティスト・ヴァン・ローの描いたルイ15世とマリー・レクザンスカの肖像画が、トリアノンの王妃の滞在を象徴しているそうです。


礼拝堂の間にふさわしく十字架も部屋に飾られていました。



柱廊(Le Péristyle)
柱廊は部屋ではなく南棟と北棟の間の屋根のある屋外の空間です。
ただし1810年にナポレオンは、自分の居室と皇后の居室の行き来を容易にするために、ペリスタイルの両側をガラス張りにさせて部屋の回廊になったそうです。ただし、1910年にガラス張りは取り払われて現在形になったそうです。この柱回廊が大トリアノン宮殿の特徴になったと言えます。南棟側から北棟方向を見た景観です。
東側が四角い太い柱で、西側が丸い柱です。


こちらが東側の四角い太い柱です。薔薇色の大理石がふんだんに使われています。


こちらが北棟から南棟方向を撮った景観です。丸い柱にも薔薇色の大理石が使われていました。


庭園から見た大トリアノン宮殿です。中央の柱が並んだ部分が柱廊です。


東の石畳の広場から見た大トリアノン宮殿です。中央が柱廊です。この写真はクリックすると特別に大きく拡大します。是非とも宮殿の雰囲気を感じてください。



円形の間( Le salon Rond)
柱廊から北棟に入ったところが円形の間です。円形の間というよりはホールと言った感じです。このホールから1688年から1691年までルイ14世が3年間だけ使用した最初の居室に入ることができます。


こちらがルイ14世が3年間だけ使用した居室ではないかと思います。


比較的広い部屋でした。



控えの間(L’Antichambre)
元々はルヴァンの書斎でしたが、マントノン夫人の大客間になったそうです。1812年、中二階へ通ずる階段を作ったために奥行きが浅くなり、皇帝の秘書の書斎になったそうです。



音楽の間(Le salon de Musique)
この部屋に入って最初に目に入ってきたのはビリヤードの台です。今のビリヤードの台のような穴はありませんでした。ナポレオン時代に入れられたために、その時代のビリヤードの台のようです。


見事な装飾品でした。ルイ14世の最初の居室の控えの間で、王の夕食が出された部屋だったそうです。王の食事中に演奏家が音楽を奏でたことから音楽の間と呼ばれているようです。


ビリヤードの台をアップいたしました。穴が無いように見えましたが、コーナーには穴があるようです。クリックすると判ると思います。



ルイ・フィリップの家族の間(Le salon de famille de Louis-Philippe)
広い部屋でした。この広い部屋はルイ・フィリップが、2つの部屋を合わせて作らせたそうです。黄色を基調にした椅子が印象的な部屋でした。
トリアノンに滞在することを好んだ王と家族は、夜になると、この広間でまれてひと時を過ごしたそうです。


椅子やソファーだけでなく壁も黄色にそろえられていました。


黄色基調の家具は当時流行した家具だったそうです。


見事なな部屋で南棟の鏡の間と美しさを争う部屋だと思います。



孔雀石の間(Le salon des Malachites)
ロシア皇帝アレクサンドル1世がナポレオンに贈った孔雀石の台が、この部屋の名前になっているそうです。


宝石で出来た台と言えるのかもしれません。


孔雀石は存在感がありました。



皇帝の地図の間(Le cabinet topographique de l’Empereur)
元々は書斎で、泉の木立ちに向かって開かれた部屋でした。ル・ノートルの最後の設計で、小川が小さい森を縫って流れていたこの木立ちは、ルイ16世の時に取り払われたそうです。この部屋はマントノン夫人の居室に通じ、木工細工の装飾は1713年の製作でその中にヴェルサイユの庭園の眺めがはめ込まれていました。


1810年にナポレオンはこの部屋を地図の間にし、隣の部屋を小居室にしたそうです。



涼みの間(Le salon Frais)
この部屋が北棟の北に端にあることから、涼みの間の名前がつけられたようです。この部屋はナポレオンの閣議の間として使用され、シャルル10世がここで1830年7月31日、大臣たちに別れを告げた場所でもあるそうです。


時計のように見えるのは気圧・温度計でバイイの作品だそうです。



コテルの回廊(La galerie des Cotelle)
この回廊はトリアノンの花壇を冬の寒さから保護するために建造されたそうです。この回廊は南側(左側)には12の両開きのフランス窓があるのに対して、北側(左側)には5つしかありません。


この回廊は24の絵画で飾られています。そのうちの21枚がジャン・コテルの作品です。これらの絵画には1687年の造園当時のヴェルサイユとトリアノンの木立ちが描かれており、17世紀の庭園の貴重な資料にもなっているそうです。


第一次世界大戦の ハンガリーとの講和条約が1920年6月4日に調印されたのもこの回廊だったそうです。


長椅子が置かれている部分にはルイ=フィリップが、ルイ15世のラングドック産大理石の氷入れが入った食器戸棚が置かれていました。


正面の建物の中がコテルの回廊です。



森のトリアノン翼棟(L'aile de Trianon-sous-bois)
単にトリアノン・スー・ボワとも呼ばれている棟です。
宮殿建設から20年が経過してルイ14世の家族全員が住むには狭すぎるものになりました。王の願いを満足させるために、ジュール・アルドゥアン=マンサールが、この「森のトリアノン翼棟」を建設したそうです。今までの建物が1階建なのにたいして、こちらは2階建でした。最初は王の義妹パラティーヌ夫人が、その後はその子供たちが住んだそうです。



トリアノンの庭園(Les jardins de Trianon)
庭に面したすべての部屋から多くの種類の花を見ることが出来るそうです。特に宮殿中央の柱廊からの庭園は圧巻でした。こちらは柱廊から見たその庭園です。


こちらは柱廊の中央からの庭園の景色です。


コテルの回廊のある建物から南方向を見た景色です。


次の小トリアノン宮殿方向に歩いていくときの景観です。建物の中はコテルの回廊です。北側は窓が少ないことが判ってもらえると思います。


緑の中に白い小さな花が咲いていました。


ピンクの花も咲いていました。