写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

今回の記事は8日間のフランス旅行の最後の記事(103番目)です。旅行自体でも下記のように最後に楽しんだのがセーヌ川クルーズでした。本記事の末尾に書いていますが、最初の記事から1年4ケ月間に書いた387の記事の中の26.6%にあたる103の記事が本フランス旅行に関するものでした。
上の写真は現在世界最高齢の117歳の喜界島(鹿児島県大島郡喜界町)の田島ナビさん(明治33年8月4日生まれ)と同じ1900年に誕生した鋼鉄製のドゥビリ橋と1889年に誕生した錬鉄製のエッフェル塔です。両方ともに1900年のパリ万博のために作られました。喜界島と言えばこちらの記事です。→ポチッ 
 1日目 JL415 到着 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル オンフルール
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり 
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル コンシェルジュリー
 セーヌ川クルーズ 帰国・JL416夜行便・パリ→成田
 8日目 成田空港16時30分到着 17時50分帰宅

本記事では②その2の続きを紹介します。クルーズ乗降場( )を通り過ぎて下流側(西方向)に行き、クルーズ乗降場に戻ってくるまでです。ここの景色の中でで、エッフェル塔が重要な役目を果たしていました。
   ━━   セーヌ川クルーズ
     セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
   A~Y くぐった橋 潜った回数:36回(25橋)
       ABCDEFGHIJKLMN OPQRSTUGFEDCBA VWXYYXWV
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで ABCDEFGHIJKLMN
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで  OPQRSTUGFEDCBA
 ③ その3 乗場付近から西方向       VWXYYXWV
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。 J K P R


この出発地点から一旦は東の上流方向に行き、戻ってきたところがこの写真です。ここには入港せずにそのまま行き過ぎて西の下流方向に向かいました。停泊しているクルーズ船は185席のディナー船 Le Jean-Sébastien Moucheです。クリックして拡大するとテーブルが並んでいるのが分かると思います。


出発点を通り過ぎで下流側で最初に出会えた橋がアルマ橋(Le Pont de l'Alma)です。現在の橋は再建されたもので前身の橋は1854年から1856年にかけてガリエルの指揮の下で建設された3径間石造アーチ橋で、クリミア戦争のアルマの戦いにちなんで命名されたそうです。
 橋名 アルマ橋(Le Pont de l'Alma)
 形式 桁橋
 材料 鋼鉄
 全長 141m
 幅  42m
 建設 1970年~1974年


写真に写っているエッフェル塔はアルマ橋を含めて3つ先のイエナ橋のところにあります。ダイアナ妃が1997年に交通事故で亡くなったのはアルマ橋の右岸の地下トンネルの中です。3D航空写真→ポチッ1 トンネル内→ポチッ2


船の形は違いますが我々の船と同じ会社のクルーズ船とすれ違いました。クリックすると船首にBATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)の文字が読み取れると思います。バトー・ムーシュ社が所有しているクルーズ船のリストを紹介します。写真の船はLa Galioteで、我々の船はL'espoirと思われます。
遊覧船屋外屋内合計
 L'espoir La Galére416席286席702席
 Le Coche d’eau699席137席836席
 La Galiote616席227席843席
 L’Hirondelle512席624席1136席
 Le Mulet Coureau726席120席846席
 La Flûte660席256席916席
ディナー船食事カクテル貸切
 Le Zouave de l’Alma140席240席可 
 La Patache300席400席可 
 Le Jean-Bruel300席320席可 
 Le Jean-Sébastien Mouche185席
 La Gabarre500席600席可 


こちらが我々が乗ったL'espoir(レスポワール)です。レスポワールはBateaux Mouches社を代表する船だそうです。この船の写真はBateaux Mouches社のホームページおよびWikimediaから転用させていただきました。
たしかにWikipediaに掲載されていることからもBateaux Mouches社の代表クルーズ船だと感じました。写真はいずれも右方向が進行方向で、我々は進行方向の2階の最前列の席に座りました。



Bateaux Mouches社(Compagnie des Bateaux-Mouches)は1949年にジャン・ブリュエルによって設立されたそうです。設立時は下の写真の1900年のパリ万博当時の蒸気船が1隻あるだけだったそうです。現在は15隻を所有しているとのことでした。
この写真にはBateau-mouche sur la Seine vers 1900.と書かれていました。意味は「1900年頃のセーヌ川のバトー・ムーシュ」です。


19世紀後半のセーヌ川の蒸気船による観光の風景も紹介します。船だけでなく風景も違うので歴史を感じます。道路は車ではなく馬車が走っています。


いろんな形のクルーズ船を見かけました。


少し小型のクルーズ船も沢山走っていました。


アルマ橋をくぐる雰囲気を味わってください。私の座った位置から撮った写真です。


次の橋はドゥビリ橋です。この橋は1900年の万国博覧会のために一時的な橋として架けられました。そのために常に消滅の危機にありましたが1966年に歴史的建造物に指定され、今も使われるようになったそうです。
 橋名 ドゥビリ橋(Passerelle Debilly)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 125m
 幅  8m
 建設 1899年~1900年


このあたりに来るとどこからでもエッフェル塔を見ることが出来ます。


橋をくぐる寸前の写真です。両方ともに鉄骨で出来ていることを感じさせられます。本写真を冒頭の写真にさせていただきました。


橋を潜るとエッフェル塔が大きく見えてきます。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
エッフェル塔(La tour Eiffel)の名前は、塔の設計及び建設者であるギュスターヴ・エッフェルに由来するそうです。
 建設 1887年1月28日(起工式)~1889年3月30日(竣工)
 高さ 324m(1,063 ft) アンテナ設置前は312.3m
 材料 錬鉄
 工費 650万フラン


エッフェル塔の先端部分です。左側の写真をクリックすると特別に大きく拡大いたします。


ドゥビリ橋の次はイエナ橋(Pont d'Iéna)です。エッフェル塔に最も近い橋です。イエナ橋を渡る道は真直ぐにエフェル塔の下をくぐってのびています。架けられた当初の橋の幅は19mでしたが1937年のパリ万国博覧会に合わせて35mに拡張されました。
 橋名 イエナ橋(Pont d'Iéna)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 155m
 幅  35m
 建設 1808年~1814年


初めてパリに来た時にイエナ橋とエッフェル塔の位置関係が分かりやすい写真を撮っていました。エッフェル塔の手前がイエナ橋です。その時の記事のタイトルは「エッフェル塔の下でのアクロバット走行」でした。→ポチッ
フランスはヨーロッパの中でも訪れたのが一番遅かった国ですが、それでも今回の訪問が8回目となりました。
 台湾    1988年 37回 初めて行った国
 ドイツ   1992年 10回 2番目に行った国
 アメリカ  1992年 18回 3番目に行った国
 インド   1992年 13回 4番目に行った国
 中国    1994年 103回 6番目に行った国 最多訪問国
 ベトナム  1998年 16回 8番目に行った国
 韓国    2000年 16回 12番目に行った国
 フランス  2005年   8回 17番目に行った国
 ウクライナ 2011年   1回 30番目に行った国


イエナ橋をくぐっている写真です。次の橋は特殊な構造のビラケム橋です。沢山の船が行き来していました。


イエナ橋を潜ってすぐに撮ったイエナ橋とエッフェル塔の写真です。この写真でもイエナ橋のすぐそばにエッフェル塔が建っていることが分かってもらえると思います。3Dでエッフェル塔とイエナ橋の関係を示します。→ポチッ


ビラケム橋は2階建て橋です。1階が歩行者と自動車用で、2階には鉄道が通っています。鉄道はメトロ6号線です。この橋は建設当初はパッシー橋(Pont de Passy)と呼ばれていましたが、第二次世界大戦でエジプトでのビル・アケムの戦い(1942年~1943年)を記念してビラケム橋に改名されたそうです。
 橋名 ビラケム橋(Le Pont de Bir-Hakeim)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 237m
 幅  24.7m(下層) 7.3m(上層)
 建設 1903年~1905年


ちょうど電車が通るところに出会えました。この写真もクリックすると特別に拡大するように設定いたしました。ビラケム橋は映画にも登場します。
 1960年 地下鉄のザジ
 1972年 ラストタンゴ・イン・パリ
 2010年 のだめカンタービレ最終楽章後編
 2010年 インセプション


振り返った景色です。ビラケム橋の上を走る電車から見えるエッフェル塔はすばらしいと想像して今います。


さすが地下鉄です。また電車が通る写真を撮ることが出来ました。こちらもクリックすると特別にかくだいいたします。
驚いたことに日本企業のCM映像にも登場するほど有名な橋だったのです。
 花王   ラビナス
 明治製菓 Fran


鉄骨の足の部分は見事な鋳造の像で飾られていました。


あまりにも見事なので拡大いたしました。


橋をくぐるる写真です。頭の上のむき出しの鉄骨が印象的でした。


この場所でUターンしました。我々の船が減速したので前を走っている船と離れました。遠くに見える橋はルエル橋(Pont Rouelle)です。ルエル橋は潜ることはありませんでしたが、詳細を記載いたします。ルエル橋は「白鳥の島」の白鳥の遊歩道(白鳥の小径)を跨ぎ左岸15区と右岸16区を結んでいる鉄道橋です。橋上を通っているのはRERのC線です。
右の写真はWikipediaに掲載されていた航空写真で一番下がビラケム橋で、その上がルエル橋です。
 橋名 ルエル橋(Pont Rouelle)
 形式 桁橋・アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 173m
 幅  20m
 運用 1900年


船が回転(Uターン)している途中の写真です。船が横に向いてきているのが分かってもらえると思います。


完全に方向転換いたしました。これからビラケム橋を潜って(くぐって)出発場所に戻ります。


下流側の鋳造の像は上で紹介した上流側の像とは違っていましたが、こちらも見事でした。


鉄骨にはいろんな飾りが取り付けられていました。リベットが使われている鉄骨は美しく感じてしまいます。


ビラケム橋を潜っているところです。


下流側から見たイエナ橋です。


イエナ橋の横のクルーズ船の乗降場です。この辺りは不思議とクルーズ船の乗降場が沢山ありました。沢山のクルーズ船を見かけたの理由が分かりました。橋の隅に柱が建てられていて彫像が置かれているのが分かってもらえると思います。上流からは気が付きませんでした。


彫像を拡大しました。橋の完成から39年後の1853年に橋の四隅に4体の彫像が設置されたそうです。一般的に上流から見て右を右岸、左を左岸と呼ぶので、下流から撮った下の写真は左岸の彫像ということになります。つまりアラブの戦士とギリシャの戦士です。
 右岸 ガリアの戦士  アントワーヌ・プレオー作
    ローマの戦士  ルイ・ドーマ作
 左岸 アラブの戦士  ジャン-ジャケ・フーシュレ作
    ギリシャの戦士 フランソワ・デヴォー作


私が初めてパリに来た時に撮った写真の中にイエナ橋の4つの彫像が写っていました。写真の左方向がセーヌ川の上流なので手前側が右岸の彫像(ガリアの戦士とローマの戦士)になり、奥側が左岸の彫像(アラブの戦士とギリシャの戦士)になります。この写真は2005年12月3日に撮りました。


ジャン=フランソワ・ムーレが制作した皇帝の鷲(わし)の紋章も下流からだとはっきりわかりました。上流からだと逆光だったのです。


鷲の紋章をさらに拡大いたしました。


イエナ橋を下流側からくぐっている写真です。


イエナ橋をくぐるとドゥビリ橋が見えてきました。


ドゥビリ橋の周辺にもクルーズ船の乗降場が沢山ありました。


橋をくぐる寸前の写真です。橋の下からは次のアルマ橋が見えました。


左側には立派な建物が建っていました。おそらく住宅用に使われているものと思います。


アルマ橋の橋桁の下を通して我々のクルーズ船の乗降場が見えます。


アルマ橋を挟んでモーターゴムボートが高速で走り回っていました。これも観光用なのだと思います。Bateaux-Mouchesの乗降場にクルーズ船のLe Mulet Coureau、La Gabarre、Le Coche d’eau、Le Jean-Sébastien Moucheと、もう1船の5船が停泊していました。


アルマ橋を潜っている写真ですが我々の乗降場がはっきりと見えています。


乗降場に近づきました。


下りる準備で降り口に人が集まってきました。


これから出発する船には生徒たちが沢山乗っていました。先生らしい人も見られるので学校の行事で来ているのだと思います。


下り場に近づきました。


船から降りている人たちです。


沢山のバスが駐車していました。我々はホテルに戻るために地下鉄の駅を目指しました。


ホテルの近くオペラ地区に戻ってきました。この時17時7分でした。フライト時間(21時55分) まで4時間48分ありましたが、朝にホテルをチェックアウトした時にホテルに預けていた荷物をピックアップして、すぐにリムジンバスで空港に向かいました。
帰国のフライトはJL416でした。
空港ではたっぷり時間があったのでラウンジでワインを飲みながらゆっくりすごしました。
  当日21:55 シャルルドゴール空港出発
  翌日16:30 成田空港到着


フランス旅行の記事は、本記事をもって終了いたします。8日間の旅行でしたが下記のように103の記事を書くことが出来ました。私にとって新鮮なことが多かったからだと思います。別の記事を書きながらのため103の記事を書き終えるのに1年4ケ月を要しました。フランス旅行の最初の記事を書いてから387の記事を掲載したことから26.6%(=103÷387)がフランス旅行の記事だったわけです。時間はかかりましたが1週間旅をすれば約100の記事が書けることが証明されました。着色文字をクリックすると、その記事群を表示します。
 区分        記事数
 モンサンミッシェル  21
 オンフルール      3
 ロワール城めぐり   13
 ルーブル美術館     9
 ヴェルサイユ宮殿   19
 オルセー美術館     7
 セーヌ川クルーズ    4
 パリのレストラン    8
 その他のパリの記事  12
 フライト 行き 帰り  3
 土産 その他      4
 合計         103