新型コロナの感染拡大により墓参りを除いて旅行もには行っていません。
ハワイのマウナケア山頂(標高4205m)の記事でも紹介したのですが、ハワイ島に持ってきたカメラは一眼レフ1台とコンデジ1台ですが、夕日を撮ることからメインで使っている一眼レフの手動設定を調整している時にモノクロ(白黒)設定になってしまったのです。そのことに気がつかずに撮ったことからマウナケア山に上る途中から、この日のハワイ島一周ツアーの14時頃までの一眼レフで撮った写真は全て白黒になってしまいました。こちらの写真は朝起きてホテルの窓から目の前にあるフアラライ山の方向を撮った写真です。
ホテルの中央の空間を撮った写真です。
参考にハワイ島とオアフ島の、面積と人口と人口密度を紹介します。数値からもハワイ島とオアフ島が全く違う島であることが判ってもらえると思います。
記事「オアフ島からハワイ島へ」でハワイ諸島の主要8島の人口密度を紹介したことがあります。少しの間に少し変わりました。
ハワイ島 10432.5k㎡ 148,677人 14.25人/k㎡
オアフ島 1545.4k㎡ 907,574人 587.27人/k㎡
ホテルの1階から海の方向を撮った写真です。
海の写真をもう一枚紹介します。
こちらの鳥がスズメのように沢山いました。モノクロの写真なので特定はできませんが、1867年にハワイに持ちこまれて増えてしまったインドネシア原産のJava Sparrow(文鳥)のようです。
出発したツアーバスの中から撮った最初の写真です。コナの町の中にあるモクアイカウア教会(Moku`aikaua Church)です。1820年4月4日にアメリカ合衆国ニューイングランド州から、キリスト教徒の宣教師がハワイ島カイルア・コナの港に帆船サデウス号で到着し、1823年には初代の藁葺き屋根の教会が建設されましたが、焼失し1826年には宣教師、エイサ・サーストンがデザインした木製の教会が完成しましたが、こちらも1835年に焼失しまし、1837年に完成したのが現在の姿の教会だそうです。簡単に焼失しないよう、ニューイングランドの建築様式を採用し、ハワイ産の資材を使って貿易風を上手に取り入れ、天然の涼風が建物全体に吹き流れる構造になっています。コナの町はハワイで宣教師の最初の居住地となったところだそうです。
ツアーバスは我々のホテルが出発地点ですが、コナの町の中で4つほどのホテルでツアー客をピックアップした後、溶岩地帯をを進みました。
尖った葉の植物が溶岩の上に生えていました。
真っ黒の溶岩で覆われていました。溶岩の色と生えている植物で溶岩の年代が概ね分かるそうです。黒くて植物が生えていないところは比較的新しい溶岩だそうです。見えているなだらかな山は、活火山のまウナロアです。低く見えますが標高は4169mです。ハワイの火山の溶岩は粘性が小さく流動性があるので広く広がるのです。目の前の溶岩もマウナケアから流れてきたものです。マウナロアの体積は約75,000 km3(富士山は1,400 km3)で、地球で最も体積の大きい山といわれています。
私はバスの右側に座ったので見える景色は山側が多いのですが、左側には海が見えていました。
溶岩地帯のリゾートホテルでもツアー客を数組ピックアップするために、ヒルトン・ワイコロア・ビレッジに寄りました。トイレ休憩も兼ねていたので、こちらで初めてバスを下りました。
ヒルトン・ワイコロア・ビレッジの入口に停まった我々のバスです。正面の入口の反対側で、バス専用の出入口のようでした。
ホテルの内部の写真です。
溶岩の上ですが、リゾート地だけあって緑豊かでした。ゴルフ場も整備されていました。
リゾート地から一歩離れると溶岩大地でした。バスに乗り込んですぐに撮った写真です。
ヒルトン・ワイコロア・ビレッジ(
マウナケアの近くを通ってパーカー・ランチ・ショッピング・センターに向かいます。
こちらの溶岩台地には草が沢山生えているので溶岩に覆われてから1000年以上は経過しているのだと思います。
海が見えましたが、すぐに海から離れて内陸に向かいました。
人が住んでいる地域に入ってきました。
教会らしき建物もありました。調べてみるとセントジェームスエピスコパル教会(Saint James' Episcopal Church)名前のようです。2DやSVでも確認しました。
パーカー・ランチ・ショッピング・センターに着きました。こちらのお店に入りました。トイレ休憩も兼ねています。
お店の中です。こちらの地域から牧場を発展されていったとのことで、その雰囲気のお土産が沢山並んでいました。
パーカー・ランチ・ショッピング・センターの駐車場です。
カーボーイの町のシンボルのモニュメントもありました。
首の長い動物も放牧されていました。種類は特定できませんが、リャマ(ラマ)、アルパカ、ビクーニャ、グアナコなどに近い種類なのでしょうね。
前日に頂上(標高4200m)まで上ったマウナケアもきれいに見えました。
大きな町を通りました。
海が見えてきました。
ワイピオ渓谷(Waipio Valley)に着きました。WAIPIO LOOKOUT(ワイピオ展望台)の看板が立っています。
この下が展望台になっています。WAIPIO LOOKOUTの看板を見ると実感が湧いてきました。
ワイピオ渓谷が見える角度から下の展望台も撮りました。
下の展望台から上の展望台を撮った写真です。
コンパクトカメラで撮ったワイピオ渓谷の唯一のカラー写真です。遠くから見るのはもったいないです。近くを歩きたくなります。調べるとハイキングコースが沢山あって人気の場所のようです。
上の写真から冒頭の白黒写真と同じ範囲を切り取りました。岬の岩山の名前はムリワイ(Mmuliwai)と呼ばれているようです。後で紹介している歩くコースの地図に出てきます。
更に大きく見えるように切り取りました。溶岩台地の岬の先端です。
溶岩台地に等高線の入った地形図を紹介します。画面をクリックすると右下のような広範囲の地形図を表示し、その画面で1回クリックすると
https://mapcarta.com/24054312/Map
クリックが面倒な方のために1020mの等高線があるところを切り取りました。浸食によって作られた地形だと思われますが、絶壁が作られた景観は非常に珍しいと思います。溶岩台地の名前はムリワイ(Muliwai)です。
右の小さな写真はネットで見つけた同じ看板の写真です。
ムリワイ・トレイル(MULIWAI TRAIL)とワイマヌ・キャンプ・グラウド・マップ(Waimanu Camp Grouds Map)です。右側の谷がワイピオ渓谷(Waipio Valley)で左側の谷がワイマヌ渓谷(Waimanu Valley)です。それぞれの砂浜がWaipio BayとWaimanu Bayです。Waimanu Baに9け所のキャンプ・グラウドがあるようです。 トレイル(Trail)とは登山道といった自然散策ルート(自然歩道、自然遊歩道)です。トレイルのルート沿いには緊急ヘリポート(Emergency Helipad #1/#2/#3/#4)が4ヶ所とトレイル・シェルター(Trail Shelter)が1ケ所あります。岬のテーブル部分にはハワイ語と思われるAinahouとOulchの文字が書かれています。
こちらの地形図の中の黄色のラインがトレイル・ルート(トラッキンク・ルート)です。4ヶ所の緊急ヘリポートやトレイル・シェルターの位置はは上の地図から想像してください。緊急ヘリポートが4ヶ所もある上にシェルターまであることから過去に遭難などの重大事故が沢山あったものと想像されます。
4ヶ所の緊急ヘリポートとシェルター(避難所)の位置をGoogle Mapにプロットしてみました。青紫色の家のマークがシェルター(避難所)です。
https://goo.gl/maps/2XBCcHCxWpBoBqBB8
白黒の写真ですがメインカメラの一眼レフで撮った高さ400mの溶岩台地の岬が見える範囲の全景の写真を紹介します。ワイピオ渓谷(Waipio Valley)は王の谷とも呼ばれるカメハメハ大王ゆかりの地だそうです。上の写真も含めて9枚のワイピオ渓谷の白黒写真をクリックすると面積で16倍に拡大するように設定しております。
最も迫力のある岬の先端部分です。
更に先端部分を拡大しました。
先端のテーブル状になった部分です。2枚の写真を8秒ごとに切り替えています。地図の中のこのテーブル部分にハワイ語と思われるAinahou(アイナホウ)とOulch(オルチ)の文字が書かれていました。
海岸線に沿って砂浜側の崖を撮りました。
砂浜の拡大写真です。この砂浜の名前ははワイピオ・ベイ(Waipio Bay)です。
砂浜の奥の部分です。建物があります。写真をクリックすると建物であることが分かると思います。この部分から左奥がワイピオ渓谷(Waipio Valley)です。川は手前側を流れていますが、展望台からは見れません。
この場所のGoogleマップでは、川にはWailoa Streamと書かれていて、砂浜のワイピオ・ベイにはWaipi'o Black Sand Beachと書かれています。
Strive for the highest , for the sacred platform of Liloa.と書かれた看板もありました。
展望台の近くに飾りをつけた十字架が立てられていました。
小さな動物がいたので写真を撮りました。夏炉冬扇さんが動物の種類に興味を持たれたので調べた結果、マングースであることが判りました。写真を見た時にマングースのように感じたのですが、ハワイは太平洋の真中の火山島で毒蛇はいないはずなので、マングースを導入するはずがないと思って調べていなかったのです。
サトウキビ畑のネズミの駆除のために1883年にジャマイカから72匹のマングースがハワイ島に放たれたのが始まりだそうです。ネズミ駆除にはあまり役に立たづ、作物やハワイの貴重な小動物が被害を受けて頭を痛めているそうです。詳しくはこちらを→ポチッ
ハワイ島一周コースの大きな航空写真を紹介します。赤色文字の部分が今回紹介した部分です。紫色マーク(