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ここは中国山西省平遥市で1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された通称「平遥古城」です。日本語読みは「へいよう・こじょう」で、中国語での発音は「Ping Yao Gu Cheng(ピンヤオ・グーチョン)」です。ここに来ると先ず高い城壁に驚かされます。ここの街は高い城壁で四方を完全に囲まれています。
城壁も魅力的ですが囲まれは街も、700年前の明時代の昔のままで魅力的です。
記事のタイトルを「700年前の巨大団地の巨大城壁」としたのには理由があります。正確なイメージのタイトルにしてみたつもりです。
中国語の「城」は我々や欧米でイメージしている「城」と、違う意味があります。城壁などに囲まれた「町」を意味することが多いいそうです。例えば、現代の場合、電気製品を作る工場が集まった工業団地のことを電子城と呼んでいます。マンション群のことも「・・・城」とネーミングされています。つまり「団地」=「城」なのです。上の写真はクリックすると地上からの景色を表示します。

ここの記事では城壁を中心に写真を掲載いたします。この中に出てくる城壁はすべて北側の城壁です。帰りの飛行機の時間が迫っていたので、南と東と西の城壁は遠すぎて、行く時間がありませんでした。


観光案内所でもらったパンフレットの地図です。城壁の一辺は1.5Kmだそうです。一周すると正確には6.1577Kmになります。門は全部で6ケ所で我々が入ったのは北側(上側)の門です。冒頭の写真はこの門の上から城壁の外側を撮ったものです。


城壁の内側です。外側の頑丈な煉瓦積みと違い土がむき出しなのが特徴です。こちらの土は粘り強いようでこれほど急角度でも崩れないようです。


城壁の内側と門を撮ったものです。むき出しの土の内側にところどころ縦に溝が走っているのが見えます。これが雨樋です。


その雨樋を大写しにしました。内側は土ですが雨樋の部分だけはレンガで造られています。

外側から門を見たところです。今は生活のための通路から行き来出来るようですが昔は簡単には入れないように門の建物から見下ろされる部分が通路だったようです。

                            
門の建物を外壁の外側から撮ったものです。


記念の石碑に平遥古城と書かれています。

門から城壁の内側を撮ったものです。


いつの時代のものかは判りませんが大砲も飾ってありました。


門の建物上から外側を見たものです。小学校の校庭が見えます。


門の高いところから城壁の上を見たところです。城壁の先に霞んでいる建物が城壁のコーナー部分です。コーナーまでは1500mの半分の750mです。


城壁の目線で撮りました。守るときは、ここに沢山の兵士が立ったのでしょう。


北門の前の外側の広場にはお店や旅館が沢山ありました。