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ロシアへ出発前に予告した通り4月26日にロシアの寝台特急(寝台列車)に乗りました。海外で寝台列車に乗るのは初めての経験となりました。4月26日19時27分にモスクワを出発してСтарый Оскол(発音 : Stary Oskol / スタールイ・オスコル)に4月27日7時00分に到着する11時間33分の列車の旅となりました。
上の写真はスタールイ・オスコルに到着した寝台列車です。巨大なディーゼル機関車2台で20両客車を引いて走ってきました。20両は、ほんとうに長い列車でした。一日に列車は昼間も含めてこの寝台列車だけなのでこれほどのロング列車になるのだと思いました。

出発30分前はこの機関車が接続されていました。スタールイ・オスコルに到着した時はこの機関車ではなく上の巨大な機関車が2台が連結されていたので、おそらく駅構内で列車編成を行うための車両だと思います。写真を撮った時は、長い列車を、この一台で引くのは大変だな感じていたのです。


下のキップは車内の検札時に半券を切り取った状態です。
半券を切り取る前は右のように飛行機の搭乗券と同じ寸法でした。
ロシア語読めませんが日付と時間と区間は読み取れます。黒塗のところには私の名前が書かれていました。青塗の部分はパスポート番号です。


モスクワ駅の出発前のホームでの寝台列車の客車です。全ての乗車口には緑の制服の女性の車掌さんが立っていました。入口に立っている車掌さんがチケット(切符)とパスポート(ロシア人は身分証明書)を確認します。ただしチケットの半券はこの時点では切りません。中に入って検札に来た時に初めて半券を切ります。
モスクワ近郊のホームは客車の床と同じ高さですが地方に行くと冒頭の写真のように低いホームになります。


先頭が19号車で一番後ろが1号車でした。ところが列車の真ん中に0号車がありました。それが我々の乗ったファーストクラスの車両でした。車内で表示しているNo 00が車両番号です。20両編成(機関車を入れると22両編成)は本当に長いです。0号車を探してホームの端から端まで歩いたので実感しました。よく考えてみたら日本でもグリーン車は階段に近い真ん中でした。


電光表示板は時刻と外気温度の表示にも切り替わります。早朝ですが20℃と行く前の予想と違い暖かかったです。現地の人に聞くと数日前から異常に暖かくなったとのことでした。持っていったコートは結局スーツケースに入れっぱなしになってしまいました。
ちなみに表示板の左下の緑の丸い表示はおそらくトイレが空いていることを示しているのだと思います。使用中は赤い表示になると想像されますが確認する機会はありませんでした。


0号車の車掌さんだけは青い色の制服で帽子もかぶっていませんでした。沢山の車掌さんの中の上司のような感じでした。この方も緑の制服の車掌さんも全て寝台列車に乗って我々と一緒に移動します。我々の車両には車掌室が2部屋もありました。朝起こしてくれたりしてくれました。食堂車に行く時はドアにカギをかけてくれました。


これが車内のファーストクラスの個室です。ファーストクラスといっても部屋は広くなかったです。でも写真で感じるよりはベッドも部屋も広いと思います。車両の幅が大きいのでベッドの長さが十分にあるのはよかったです。


部屋の両側に鏡が取り付けてあったので、こんなイタズラな写真を撮ってみました。


部屋は個室には鍵のかかるドアがあるので我々外国人は安心して乗れます。個室でないと荷物が心配でしたが、これなら安心です。主要都市間を結ぶ寝台特急には豪華な寝台車も用意されているようです。


日本製のテレビも設置されていました。


スリッパや歯ブラシなどの洗面用具もついていました。


洗面用具袋の中身を確認してみました。歯ブラシ、くし、石鹸、手拭、テッシュ、靴べら、靴磨きが入っていました。


さらに水が一本とビールが一本も無料でした。デザートはこのようなパックで配られました。中にはフルーツゼリーやチョコレートに紅茶のパックが入っていました。驚いたことに夕食もついていました。
その夕食とビールは部屋でも食べれるのですが、ゆっくりとビールを飲みたいので食堂車の方に用意してもらうように頼み列車が出発と同時に食堂車に行きました。ビールやつまみを沢山追加して日本の居酒屋状態となってしまいました。(笑)
おかげで朝までグッスリと寝ることが出来ました。食堂車に関しては帰りの寝台列車を紹介する時にまとめて掲載させてもらいます。


各車両には給湯器が共通で付いているので紅茶を飲みました。


洗面用のタオルが2枚付いていました。いたれりつくせりですが、シャワー室はなかったです。唯一残念に思いました。もっと長距離の場合は必要な気がします。


気になるトイレでですが、写真のトイレが車両に2つ設置されていました。


洗面台はトイレの部屋の中にありました。中は結構広いので日本の列車のトイレの中という感じはなかったです。


モスクワを出た近郊の駅には高速列車と思われるものも停まっていました。時間は19時37分なので走り始めて10分経ったところです。
我々の寝台列車はモスクワを出てく数時間は停車することはなかったです。初めて停車したのことに気が付いたのはスタールイ・オスコルに到着する3時間前でした。


スタールイ・オスコルの一つ手前の駅です。時間は6時51分でした。


日が昇ってきました。時間は7時2分なので到着30分前の景色でした。


列車はほぼ定刻の7時39分に到着して30分停車後に最終目的地に出発します。途中の駅で10分近く停車していることがありましたが30分も停車するのはスタールイ・オスコルが大きな町だからだと思います。ホームは低いので大きな荷物があると降りるのが大変です。降り口に立っているのはモスクワのホームで入口に立っていた青い制服の車掌さんです。
ドアを開けたとき階段がなかったのでどうやって降りるのか心配しましたが、床を内側にスライドさせると床下に階段がありました。ホームがある場合とない場合の両方に対応した構造になっていました。


これがスタールイ・オスコル駅です。真中あたりから寝台列車の後ろ側を撮りました。


これは、真中あたりから前側を撮ったものです。後ろ側を撮った写真同様に列車の先が見えません。2枚の写真から列車の長さを実感してもらえると思います。
こちら側に駅の出口があるので皆さんこちらの方向に歩いています。


近くで機関車を見ると本当に大きかったです。


今回訪問したスタールイ・オスコルはロシア連邦ベルゴロド州の都市です。モスクワから618km南のオスコル川流域にあります。 人口は215,898人(2002年の国勢調査)の都市だそうです。今から420年前の1593年、モスクワの南の防衛の為に要塞都市として作られ、17世紀にはクリミア・タタール人とウクライナ・コサックの略奪を受け、20世紀以降もロシア内戦、第二次世界大戦でも影響を蒙るが、戦後は工業の発展と共に人口が増加したそうです。右および下の写真はスタールイ・オスコルの紋章です。ここは世界で最も鉄鉱石の埋蔵量が多い場所の一つとされるクルスク磁気異常の境界に位置する重要な鉱業都市とされ、一年間に800万トン以上の鉄鉱石が採掘されているそうです。そのため市にはモスクワ連邦鋼合金研究所の支部が存在しているそうです。


スタールイ・オスコル駅の航空写真を掲載いたします。長い車両が停まれるだけあって駅も長いです。地方都市ではホームが低いのもわかる気がしました。一日に一回しか停まらない長距離列車のために高いホームを作るのは大変だと思います。(http→httpsへ変更済)

スタールイ・オスコル駅舎も紹介しておきます。降りるときは駅舎には寄らずに直接駐車場に向かいます。乗るときもキップを持っている場合は特に駅舎に寄る必要はなく駐車場から直接列車に乗ります。キップとパスポートのチェックは列車の乗り口ごとに立っている女性の車掌さんが行います。


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