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歙県 [安徽省]


先日、古村「宏村(ホンツゥン)」を紹介しましたが、比較的近い場所にある古村「歙県(きゅうけん 中国語読み:シューシェン)の景観を紹介いたします。歙県(歙县/歙縣)は安徽省黄山市に位置する県で黄山の麓にあります。かつて徽州府の府城が置かれ、徽州文化が発達したところです。
この鳥居のようなものは「牌坊」で、昔の金持ちの人が建てたそうです。
調べ見ると鮑氏が立てた明代の牌坊が3つ、清代の牌坊が4つ、計7つの牌坊が田園風景の中を1本の道に等間隔で並んでおり中国を代表する牌坊と言っていいほど中国国内では知られているそうです。清の乾隆帝が江南地方を巡幸した際にこの地を訪れ鮑氏一族は「慈孝天下無双里、袞綉江南第一郷」という言葉を賜っています。歙県には徽州古城、唐模古鎮、許村古鎮、深渡古鎮、漁梁古鎮などがあり古鎮マニアにはお勧めの場所だそうです。連なった7つの牌坊の内の4つの牌坊の写真です。

その牌坊のすぐ横で野良仕事をしている人のアップです。にこやかに笑ってくれました。この人達は上の写真の左下に小さく写っています。観光客の人が沢山訪れるようになってきても昔ながらの生活が続いているのだと思います。


のどかな田園風景でした。


ワンちゃんも牌坊が立った道を散歩していました。


畑に囲まれた小さな村の中の、このお寺のために建てられた鳥居(牌坊)ですが、冒頭の写真の沢山の鳥居(牌坊)で有名になったようです。


お寺の前から牌坊が連なっていました。


小さな村と牌坊です。いろんな形式の牌坊がありました。

 
お寺の内側です。この建物の名前は敦本堂のようです。試しにネットで「敦本堂」で検索すると出てきました。→ポチッ

ネットの説明文は中国語なのでわかりませんが、とりあえず記載させてもらいます。
俗称“男祠”,原名万四公公支祠,始建于明嘉靖末年,至清嘉庆已“晦昧摧剥”,鲍志道和子漱芳鸠工重建,嘉庆辛酉(1801年)告峻。祠向南,三进五开间,进深47.11米,面阔15.98米。砖木石结构,门厅原为五凤楼式,现已改建,二进廊庑也已拆毁,天井尚 保存完整。享堂大厅构筑宽敞,宽五间,明、次间深用四柱、梢间五柱,山面六柱,前后檐用方形石柱,全堂彻上明造,抬梁与穿斗式构架结合,前檐步做成成船篷轩,明次间后金柱上装有灰漆屏门16扇,上刻邓石如隶书<<鲍氏五伦述>>全文。
敦本堂的结构简洁明了,具有浓厚的地方特色,雕饰不繁,朴素大方。祠堂里立有皇帝上谕碑,充分显示了当年棠樾鲍氏家族的显赫。

このような写真を撮っているので何らかの説明を受けたのだと思うのですが皆さんに紹介出切るほどの記憶は残っていないのでネットで調べてみました。
右側の説明は次の通りでした。
 鲍氏祠堂敦本堂(鲍氏支祠、男祠)内的“廉洁”题字,朱熹书,安徽歙县棠樾村
左側の説明もほとんど同じで次の通りでした。
 鲍氏祠堂敦本堂(鲍氏支祠、男祠)内的“忠孝”题字,朱熹书,安徽歙县棠樾村
いろいろ検索できたきっかけは写真の中に写っていた「敦本堂」の文字でした。


敦本堂のある歙县棠樾村と思われる場所です。丁度、航空写真が不鮮明な場所なので確証はありませんが北東方向の道( )に連なった牌坊と思われる影が見受けられるので間違いないと思います。将来、画像がクリアーになるとはっきりとわかると思います。

より大きな地図で 歙县棠樾村 を表示

歙県の町中の写真を紹介いたします。こちらは古い商店街の町並みです。


上の写真との差はわからないとおもいますが、こちらは新しい商店街です。景観を大切にして造ったようです。昔の町並みを再現しているといったところでしょう。


集合住宅というところか。結構新しいけれど造りは昔と同じようにしています。これを売りにして観光にしようとしているようです。赤いチョウチンのところで昼食を取りました。


こちらは何百年前の昔の一般的な民家の町並みです。
歙県は秦代に設置され会稽郡、丹陽郡、新安郡などに属していました。隋代に歙州が設置され、歙県に治所がおかれたそうです。歙州は北宋の徽宗の時代に徽州と改称され、元代には徽州路が、明清代には徽州府が設置されたそうです。隋から近代にいたるまで歙県は徽州地区の政治・経済・文化の中心でした。1988年には歙県の西部地区が黄山市に編入され、徽州区となったそうです。


建物の中では中国将棋やマージャンに熱中! 
観光客が横を通ろうが気にする様子はなし。


歙県(歙县)の場所は世界遺産「黄山(ファンシャン)」のふもとの町である黄山市から北東20kmに行ったところにある黄色のマーク( )の町です。黄山市の北西にはすでに紹介した世界遺産となった古村の宏村(ホンツゥン( )や西遞( )があります。地図上のマイナスのアイコンを数回クリックすると他の大きな町との位置関係がわかってくると思います。青色のマーク( )の部分が敦本堂のあった棠樾村のあたりです。「あたり」と表現したのは中国のGoogle地図は地図に対して航空写真が西に約500mずれているからです。今回のマークは航空写真での位置のため地図の状態で拡大すると500mずれた位置を示します。

より大きな地図で 歙县のあたり を表示

タグ: 安徽省 古村
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青竹

安徽省って、のどかな雰囲気ですね。
友人が安徽省の黄山の近くに住んでいますが
来週、来日します。
彼女の会社からは黄山まで歩いて行けるので
一緒に登ろうと誘ってくれています。
by 青竹 (2011-09-03 08:40) 

SORI

青竹さん お早うございます。
黄山の近くに住んでいる友達がいて、「今度一緒に登ろう」て、いいですね。羨ましいです。
私は黄山には6回ほど登りましたが何回行っても飽きないです。一回目衝撃的な印象でした。記事も9つほど掲載しているので見てください。
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300601882-1


by SORI (2011-09-03 09:26) 

りさ

中国のワンコもかわいいですね^^
自由な感じがナイスです☆
by りさ (2011-09-03 13:47) 

沙羅朋

沢山の鳥居の形が面白いです~♪
田園風景は長閑でいいですね~
屋根がみんな反りあがってるのがユニーク
お国柄の違いに興味をひかれます^^
by 沙羅朋 (2011-09-03 13:56) 

SORI

りささん こんにちは
ワンコにとっては文化財の道も普通の道も違いがないのかもしれないですね。

by SORI (2011-09-03 14:28) 

SORI

沙羅朋さん こんにちは
安徽省あたりはこの形ですが中国でも場所によって屋根の飾りや形が違います。壁の色も場所によって特徴があるのは面白いです。
by SORI (2011-09-03 16:05) 

niki

こんにちは^^
漢字が難しく(というか初めて目にして)読めなかったです^^;;;

このような光景が、21世紀になっても変わらずに残るところが、
中国の地方都市の良いところですね。

時がゆっくりと流れているような雰囲気を、まだまだ残しておいてほしいものですね。
by niki (2011-09-03 16:17) 

SORI

nikiさん こんにちは
さすが漢字の国なので種類は多いです。でも省略文字は日本人には難しいですね。例えば中華の「華」は中国語では「华」になっています。もちろん昔は「華」でしたが省略されてしまったのです。
ほんと、古い物がいつまでも残って欲しいです。
by SORI (2011-09-03 18:07) 

youzi

同じ中国でも、北京とは時間の流れが違うって感じがしますね。

by youzi (2011-09-19 20:31) 

SORI

youziさん おはようございます。
確かに都会とは別の時間が流れているようでした。
by SORI (2011-09-20 05:45) 

昆野誠吾

中国の古い街並みに麻雀がぴったり!
人類史上最高のゲームだと思っています^^
by 昆野誠吾 (2015-04-20 20:12) 

SORI

昆野誠吾さん こんばんは
麻雀をしていることで、観光地であることを忘れさせてくれます。生活そのものでした。
by SORI (2015-04-20 20:50) 

Rinko

古き良き中国を感じます。
中国を舞台にした小説を思い起こしました。
by Rinko (2015-04-21 07:40) 

SORI

Rinkoさん こんばんは
昔のままの雰囲気ではありますが、観光化は進んでいくのでしょうね。
by SORI (2015-04-21 21:13) 

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