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お宮参りの後の食事会 とうふ処 小川家 大山豆腐 [日々]

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2024年5月9日(木)は、比々多神社(ひびたじんじゃ)でお宮参りを済ませた後はクリックすると拡大大山(おおやま)の参道(こま参道)にある「とうふ処小川家」で食事会をしました。大山には、とうふ参道(とうふ坂)と名付けられた道があるほど豆腐が有名で、そこで作られた豆腐は、大山とうふと呼ばれているようです。京都で言えば嵯峨とうふのような存在でしょうか。上の写真は7品の料理の中で3品目に出てきた湯葉ですが、私が長い人生で食べてきた湯葉の中で、味や食感において、最も美味しい湯葉だったので冒頭の写真に使わさせていただきました。それでは食事会の豆腐料理を紹介したいと思います。驚いたことに料理の7品が全て美味しかったのです。食べている時、いい料理人がおられるのだと感じました。

お宮参りをした比々多神社( )と食事会のとうふ処小川家( )の位置関係を紹介します。空色マーク( )の小出とうふ店には行っていませんが、とうふ処小川家では小出とうふ店の豆腐を使っているそうです。
クリックすると拡大  とうふ処 小川家 食事会
  比々多神社    お宮参り
クリックすると拡大  小出とうふ店   とうふ処小川家で使われている豆腐
  大山ケーブル駅バス停
  大山ケーブル駅  バス停から約670m
 ━━ 比々多神社→とうふ処小川家6km(部分は細い道300m)
 ━━ こま参道   ━━ 大山登山ケーブル(800m) 右の写真→



鈴川沿いに大山板戸線(県道611号)を上って行き、県道611号の起点である大山ケーブル駅バス停(北緯35度25分18.5秒 東経139度15分15.3秒)を過ぎて、「こま参道」との分かれ道で突然に細い道になります。右側の階段のある道が「こま参道」で、左側の道が我々が車で進んだ道です。この細い道の一番上に目的地のとうふ処小川家があるそうなのです。初めてなら、細い道に車で入っていくのは少し勇気がいるかもしれません。
この場所の写真を撮り損ねたのでストリートビュー(SV)で紹介しました。


少し進んだところに車同士がすれ違うための場所がありました。ここからは完全に細い道になりました。SV
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このような無余地駐車違反の注意書きがあるように車同士はすれ違いが難しい細い道なのです。もし対向車があれば、元の場所までバックするか、どこかのお店か家の駐車場に待避してすれ違う必要があるほどなのです。
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テレビ番組の「ナゼそこ?」や「ポツンと一軒家」の雰囲気がしたので、とうふ処小川家に到着するまでの写真を紹介させていただきます。
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まだまだ続きます。縦長の黄色い看板のところがとうふ処小川家で、この道もそこで終わります。つまり車が走れる道の一番上にとうふ処小川家があるのです。
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とうふ処小川家の駐車場に着きました。階段の上の建物群が、とうふ処小川家です。こま参道との分岐点から細い道の長さは300mでした。
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途中の道は狭かったけれでも、とうふ処小川家の駐車場は意外と広かったです。右端に写っている白いガードレールの道から入ってきました。
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参道からの、とうふ処小川家への入口です。参道の名前は「こま参道」です。左の階段がこま参道です。階段なのこれ以上は車では上がれません。この先に大山寺やケーブルカー乗り場があります。
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こま参道を正面から撮りました。こま参道の名前の由来は参拝客の縁起物「大山こま」だそうです。クリックすると拡大職人の手によって作られる右の写真の「大山こま」は、江戸時代から続く伝統的な木工品で、子どものオモチャとしてだけでなく、芯が太くよく回ることから金回りが良くなり家内安全にも通じる縁起物として、昔から人気のお土産だったそうです。
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下り方向の「こま参道」を紹介します。
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参道の門から入って進むと建物の入口(玄関)が)がありました。
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玄関を入ったところです。江戸時代初期に創業した宿坊がルーツだそうです。料亭にシフトしたのは1970年代だそうです。そして名物の大山とうふを取り入れるなどして今に至っているそうです。
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廊下の右側一番手前のふすまが開いているところが我々が食事をした部屋です。
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広い個室に案内していただきました。すでに1品目が準備されていました。
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さっそく座りました。座るとお茶が出されてきました。赤ちゃんは一番窓側です。
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クリックすると拡大興味深そうに見ています。この時、生後44日目でした。2024年3月26日17時39分に娘の家の近くの病院(神奈川県)で生まれて、下の写真を撮ったのは5月9日13時16分なので生後44日目でした。右の写真は生まれて1時間10分後の3月26日17時49分の写真です。
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料理は7品コース(梅コース)でした。料理は1品づつ出てきます。最初の料理は鍋のようでした。
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表面に湯葉ができるとのせつめいだったので、豆乳鍋でした。湯豆の湯豆腐
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2品目は胡麻豆腐でした。
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3品目は湯葉の刺身でした。
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湯葉を拡大いたしました。冒頭で書かせていただいたように、私の長い人生で食べてきた湯葉の中で、味や食感において、最も美味しいと思った湯葉です。湯葉の味がしっかりと出ていました。自家製ポン酢も良かったです。
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別の角度からの写真も紹介します。
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クリックすると拡大湯葉の刺身が出た時に撮ってもらった記念写真を掲載します。
右の写真も記念になります。
下の写真をクリックすると料理を拡大表示いたします。
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クリックが面倒な方のためにテーブルの拡大写真を掲載しました。クリックするとさらに拡大します。車の運転者がいるので、運転者以外もノンアルコールビールとジンジャーエールです。
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4品目が出てきました。お宮参りにふさわしいおめでたい器でした。
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料理は、ちり蒸し豆腐でした。豆腐、海老、温泉たまご、舞茸、ゆり根などが入っていました。この料理もなかなかのものでした。
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5品目は筍の白和えでした。高度があるこの場所ではこの時が筍の旬なのだと思います。今年は竹の子を食べる機会がなかったので、残念に思っていましたが、思わぬところで竹の子を食べることが出来ました。
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6品目は豆腐のグラタンでした。和風を想像していて意表を突かれましたが、これは美味しかったです。ここでも料理人の腕を感じてしまいました。
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豆腐が見えるように少し持ち上げました。
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7品目には黄緑とピンクと白と黄のあられが使われたきれいな揚げ出汁豆腐が出てきました。美味しい色で驚かされましたが、素晴らしい味に仕上がっているので驚かされました。ここでも料理人の味の確かさを感じました。
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少し食べた揚げ出汁豆腐です。クリックすると表面のあられと豆腐の食感が判っていただけるかもしれません。
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最後の〆は、小エビなどを散らしたご飯と味噌汁と漬物でした。不思議とすべて食べてしまいました。
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そして最後の最後に出てきてデザートです。名前は豆腐のヨーグルトいちごソースのようです。
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料理は常に温かいものを一品づつ出されるので、すべての料理が並んだ写真は撮れませんでした。そこで、ネット(SHUN GATE)から写真を転用させていただきました。ただし、季節によって料理は変わるので一部の料理は違います。今回の場合は5品目の筍の白和えが違うようです。
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お宮参り 比々多神社 [日々]

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2024年4月に掲載した記事「香住ガニ(ベニズワイガニ/紅がに)の香住漁港直売 宿院商店」にクリックすると拡大追記する形で娘が2024年3月26日に出産したことを報告させていただきました。その生まれた子のお宮参りに2024年5月9日に行ってきました。上の写真がその時の記念写真です。右の写真は、生まれて2日目の3月28日の赤ちゃんです。生まれた当日の3月26日にも会いましたが、その時は看護師さんに抱かれたガラス越しでした。3月28日は娘の病室で赤ちゃんと一緒に会える最初の日だったのです。
ネットによれば、男の子は生後31~32日目、女の子は生後32~33日目にお宮参りをするのが正式とされていますが、地域にも差があり50日目や100~120日目前後に「百日祝い(お食い初め)」と併せて行うところもああるそうです。ちなみに我々のお宮参りの5月9日は生後44日目になります。

お宮参りは娘家族が住んでする神奈川県なので、我々の千葉の自宅から行くと結構時間がかかることから東京の大手町から特急ロマンスカーを初めて使ってみることにしました。列車名は10時04分発のメトロはこね21号でした。
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ロマンスカーが入ってきました。列車の発車駅は千代田線の北千住駅です。
今回の列車の停車駅は、北千住(9:47)→大手町(10:04)→霞ケ関(10:10)→表参道(10:18)→成城学園前(10:32)→町田(10:30)→本厚木(11:03)→小田原(11:31)→箱根湯本(11:47)です。
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我々は7号車でした。
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ロマンスカーの車内です。このガラガラでした。この日は平日なので神奈川の方からの通勤客が使うのがメインで反対方向はすいてて当然なのかもしれません。娘の旦那さんも通勤に利用していると言っていました。ただし、外人の人が途中の駅から乗ってきました。ロマンスカーに乗るのは2013年8月24日から一泊で家族全員で箱根旅行以来でした。その時の記事→ポチッ
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久しぶりのロマンスカーでリラックスして、娘家族の家で合流しました。そこから車で神社に向かいました。クリックすると拡大神奈川県にある比々多神社(ひびたじんじゃ)です。比々多神社は由緒ある神社と聞いていました。ここを選んだのは家から近いこと以外に、神奈川で有名な大山(1252 m おおやま)に近いことも理由の一つだそうです。右の写真は車の中から大山だと思って撮った山です。SV
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大山の位置が想像できたのは以前の記事「新幹線からの富士山」で景色の中の大山の位置を調べたことがあったからです。この新幹線から撮った写真の大山の麓辺りにお宮参りをした比々多神社と会食の料亭があったのです。航空写真→ポチッ
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神社に着きました。伝承によれば、比々多神社の創建は神武天皇6年(紀元前655年)で、旧相模国最古級の神社だそうです。古くは「冠大明神」とも称されていたそうです。SV
 名前  比々多神社
 住所  神奈川県伊勢原市三ノ宮1472
 創建  神武天皇6年(紀元前655年) 比比多伝記によれば
 主祭神 豊国主尊 天明玉命 雅日女尊 日本武尊
 格式  式内社 相模国三宮 旧郷社
 別名  冠大明神、三ノ宮さま
 例祭  4月21日・22日
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比々多神社の駐車場に着きました。赤ちゃんは気持ちよさそうに寝ていました。
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降ろす準備を始めました。上の写真とは反対側のドアから撮った赤ちゃんです。
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駐車場からは家内が抱っこして神社に向かいました。比々多神社のホームページ(HP)によれば、「お宮参り」は「初宮参り」とも言い、赤ちゃんが初めて神社にお参りすること意味しているそうです。
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神社の最初の階段を上るところです。


正面の鳥居から入りました。


入口から見た比々多神社の拝殿です。拝殿の正面奥に本殿があります。
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拝殿の前は広く立派な木が沢山あり、大きな木には注連縄が巻かれていました。
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こちらの木も立派です。これからも歴史を感じます。
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鐘もあり厳かな雰囲気が伝わってきました。
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こちらは手水舎(てみずやorちょうずや)です。水盤舎(すいばんしゃ)とも呼ばれています。
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その水盤には花が入れられていました。
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絵馬掛けとよばれる台には安産祈願の絵馬も沢山吊るされていました。
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これが拝殿で本殿があります。左端に写っている白いテントで靴を脱いで拝殿に入りますが、その前に事務所に行って手続きをする必要があります。上の絵馬掛け台の左側にも同じ白いテントが写っています。拝殿の前の幟には三之宮冠大明神と大きく書かれていて、その横に小さく比々多神社と書かれています。
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神社の事務所で手続きをしているところです。


手続きが終わったところで、娘たち家族3人の記念写真を撮りました。
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赤ちゃんのアップの写真を紹介します。朱色で比々多神社/冠大明神と書かれた略式の小忌衣(おみごろも)が印象的でした。
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本殿の写真を撮り忘れたのでWikipediaから転用させていただきました。左の建物が本殿で、右の建物が入口の方から見えている拝殿です。この写真には拝殿に上がるための白いテントはありません。かなり前の写真なのだと思います。
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白いテントで靴を脱いで右の階段から拝殿に入りました。残念ながら拝殿の中では撮影禁止なので紹介は割愛させていただきます。
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お宮参りが無事に終わってお札やお守りを返しました。
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初詣が終わってリラックスしているところです。記念写真の準備をしています。
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冒頭の記念写真を撮りました。
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比々多神社の周辺の景色です。
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お宮参りの後は食事会です。大山の参道にある料亭で食事会をしますが、神社を出発する前に赤ちゃんは腹ごしらえです。
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お宮参りの食事会は次の記事で紹介したいと思います。右の階段が「こま参道」です。
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お宮参りした比々多神社の場所を紹介します。
小出とうふ店にはf行っていませんが、とうふ処小川家で使われている豆腐は小出とうふ店で作られたと聞きました。
比々多神社
とうふ処 小川家
小出とうふ店
ロマンスカー停車駅 本厚木


ちなみに娘が妊娠したことのクリックすると拡大報告を受けたのは昨年の2023年9月25日に行われた家内の誕生日会の席でした。2023年9月25日に娘夫婦が家内の誕生日会を東京の丸の内のYAUMAY(丘如春/ヤウメイ)でしてくれました。その時に花束と下の写真の素敵なバースデーカードを渡されました。→ポチッ
クリックすると拡大バースデーカードを広げると箱が飛び出してきて、箱の中に素敵な最高のプレゼントが入っていたのです。それは妊娠を示す超音波画像の写真でした。
そして2024年3月26日17時39分に娘の家の近くの病院(神奈川県)で、娘は無事に右の写真の女の子を出産しました。
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赤ちゃんの写真も紹介します。
こちらは3月26日18時49分なので生まれて1時間10分後の写真です。看護師の方がガラス越しに抱いてくださっている写真です。赤ちゃんは女の子です。
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上の写真はこちらの写真から切り取らせていただいています。看護師の方の顔には、ぼかしを入れさせてもらっています。
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ここから下の5枚はプロの方に撮っていただいた写真の一部だそうです。コロナ渦で結婚式は中止して結婚記念写真をプロに撮ってもらったのが影響しているのかもしれません。
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クリックすると記事を表示クリックすると記事を表示結婚の記念写真も紹介しておきます。
いい写真なので、ぼかしなしの写真にしたいけれども許されません。右の写真をクリックするとイメージが判るかもしれません。右の写真は娘の七五三の時に撮りました。



こちらは娘の高校時代の写真です。ローマの'蜂の噴水'で撮った写真です。
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タグ:神奈川
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原爆ドーム [広島]

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右下の写真の前記事で紹介した昼食で「広島のお好み焼き」を食べた五エ門を出た後は、従妹夫婦に原爆ドームのある平和記念公園と縮景園を案内してもらいました。クリックすると拡大従妹の旦那さんはボランティアで広島市内の観光案内をされていることから詳しい話を聞くかせてもらうことが出来ました。実は五エ門から上の写真の場所まで歩いて400mの距離だったのです。車を駐車場に置いたまま原爆ドームまで来ることが出来ることから、広島のお好み焼きのお店として五エ門を選択されたのかもしれません。

これまでに原爆ドームに来たのは、広島の井口町に住んでいた幼稚園児の時と小学生低学年の時なので数十年ぶりになります。そのため撮った原爆ドームの写真を沢山紹介したいと思います。
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原爆が広島に落とされたのは1945年8月6日(月)午前8時15分でした。22年後に行われた原爆ドームの補強工事を記念した石碑です。記載内容を枠内に転記する形で紹介します。
原爆ドーム
昭和20年8月6日 史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である
爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発した
その1個の爆弾によって20万人をこえる人々の生命が失われ半径約2キルメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため 国の内外の平和を願う多数の人々の寄金によって補強工事を施し これを永久に保存する  
昭和42年8月6日 広島市
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北側から見た原爆ドームです。
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こちには北西方向から見た原爆ドームです。
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こちらは西北西方向から撮った写真です。
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西方向からの写真です。背中側は元安川です。
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こちらは南西方向からの角度の写真です。
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こちらは南南西方向からの原爆ドームです。
原爆炸裂後、建物は0.2秒で通常の日光の数千倍という熱線に包まれ、地表温度は3,000℃に達したそうです。0.8秒後には、衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風が襲い、1平方メートルあたり35トンの爆風圧を受けたと推測されているそうです。このため建物は原爆炸裂後1秒以内に3階建ての本体部分がほぼ全壊し、中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残存したそうです。原爆の爆心は写真の左上の方にあったようです。
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ドームの鉄骨部分を拡大しました。
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レンガ(煉瓦)の部分です。
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クリックすると読める大きさに説明板を拡大いたします。ただし読みやすいようにモノクロ(白黒)に変換した写真です。
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少し離れて撮った原爆ドームです。南の元安橋(もとやすばし)から撮った写真です。原爆ドームは1996年に世界遺産に登録されました。
世界遺産の顕著な普遍的価値(OUV)の言明→PDF
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こちらも元安橋から撮った写真です。黄色の矢印のところが爆撃機からの照準点であった相生橋(あいおいばし)です。相生橋のところは川が2つに分かれることから上空から見ると橋はT型でした。
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こちらが爆撃機からの照準点となった原爆投下前の相生橋の写真です。T型をしていたことが分かっていただけると思います。Tの部分を走っている路面電車の辺りが照準点だったようです。こちらの写真は広島平和記念資料館に展示されていたものです。
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原爆投下4ケ月前の1945年4月に撮られた原爆投下用の広島の航空写真です。アメリカ空軍歴史研究センター所蔵だそうです。クリックすると拡大
説明には「周囲に目盛りが記されており、位置を横と縦3けたずつの数字で表しています。原爆の照準点は「063096」でした。これは市の中心部にあるT字型の相生橋にあたります。」と書かれていました。こちらも広島平和記念資料館に展示されていたものです。
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Wikipediaから転用させていただいた爆心のイメージ図です。1945年8月6日(月)午前8時15分でした。
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爆撃機の照準点と爆心点と原爆ドームの位置関係を航空写真に記載しました。原爆は高さ約600メートルの空中で爆発したので、角度的に原爆ドームのほぼ直上で爆発したと言えると思います。
 ━━ 原爆ドーム→爆心(約160m)   ━━ 照準点→爆心(約300m)
 ━━ 原爆ドーム→平和の灯→原爆死没者慰霊碑→平和記念資料館


相生橋から見た原爆ドームです。
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背景にビルがない角度から撮った原爆ドームです。
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川を挟んだ場所に設置された原爆被災説明板の場所から撮った原爆ドームです。
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原爆被災説明板を大きく撮りました。クリックすると文字が読めるように特別に大きく拡大いたします。SV
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クリックが面倒な方のために説明板だけを拡大します。クリックして拡大すると更に読みやすくなります。
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原爆前の昔の広島県産業奨励館の写真です。こちらは広島平和記念資料館に展示されていた写真です。
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クリックすると拡大広島平和記念資料館には旧広島県産業奨励館の模型と原爆ドームの模型も展示されていたので紹介します。裏側からの写真です。裏側の方はほとんど破壊されてしまっていることが分かります。クリックすると特別に大きく拡大します。右の小さな写真のように並んで置かれていました。
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資料館のプロジェクションマッピング映像での原爆投下前と投下後を8秒ごとに表示させています。黄色の矢印(↓)が原爆ドームの位置です。明るい画面が原爆投下前で、暗い画面が原爆投下後の映像です。こちらはプロジェクションマッピング映像を撮った動画から作りました。動画に関しては資料館の記事を書いた時に紹介させていただきます。原爆投下後の市内の様子の映像(Wikipedia)→動画
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原爆直後の原爆ドームです。こちらに広島平和記念資料館に展示されていた写真です。
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広範囲の原爆投下から2ケ月後(1945年10月5日)の写真です。右端の橋が照準にされた相生橋出す。相生橋と原爆ドームの位置から写真の左端辺りが爆心になります。こちらの写真はクリックすると特別に大きく拡大いたします。
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上の昔の写真の丁度反対側から撮った写真です。写真を撮った場所の元安橋が写っています。沢山の外国人の人が見に来ているのが印象的でした。元安橋は安土桃山時代に木橋として築造され1920年に鋼橋に永久橋化、1945年原爆被災の際、爆心地より約130mに位置し爆心地から最も近い橋です。落橋を免れ、の被災状況から、爆心地特定の手がかりとなったそうです。戦後も長く使用されて1992年に架け替えられました。日本百名橋の1つだそうです。
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上の写真の広い範囲を撮った写真です。みなさん真剣に見ておられる感じで、資料館では無言で見学されていました。
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広島平和記念資料館の2階から原爆ドーム方向を撮った写真です。原爆ドーム、平和の灯、原爆死没者慰霊碑などが一直線に並んでいます。
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少し左側から撮った写真です。斜めから見ると距離感が判ると思います。
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少し右側から撮った写真です。
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Googleマップの航空写真で平和公園の辺りを紹介します。
 ━━ 原爆ドーム~爆心       ━━ 照準点~爆心
 ━━ 原爆ドーム~嵐の中の母子象
 原爆ドーム     原爆投下照準点   爆心
 原爆の子の像    平和の灯      原爆死没者慰霊碑
 平和記念資料館   資料館入口     祈りの泉
 嵐の中の母子象   広島のお好み焼き店 五ェ門


原爆ドーム方向から広島平和記念資料館方向を撮った写真です。手前から平和の灯、原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館です。
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一直線上からは少し外れますが、もっと北側にある原爆の子の像です。
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私が広島市井口町に住んでいた幼稚園児~小学4年頃は、ここに千羽鶴が吊るされていました。
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原爆の子の像に近い一直線上から見た原爆ドームです。写真の左側に原爆の子の像があります。
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こちらは原爆死没者慰霊碑です。慰霊碑は1949年に成立した広島平和記念都市建設法の精神に則り建立が計画され、1952年にコンクリート製が完成し、1985年に現在の御影石製に改築されたそうです。クリックすると拡大
したがって私が幼稚園児と小学生の時に見たのはコンクリート製だったことになります。
右の写真はネットから転用させていただいた建設中(1952年撮影)のコンクリート製の初代原爆死没者慰霊碑です。
2016年にアメリカのオバマ大統領が現職として初めて慰霊碑に献花し、2023年のサミットではG7首脳が初めて揃って慰霊碑に献花しました。
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原爆死没者慰霊碑の前で記念写真を撮る人が多かったです。
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撮った瞬間を拡大いたしました。
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原爆死没者慰霊碑から見た原爆ドームです。
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タグ:広島
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昼食は本場の「広島のお好み焼き」を食べました。五エ門 [広島]

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前記事山口県の墓参りの新幹線と車の旅 朝食「ひっぱりだこ飯」で紹介したように従妹と車で山口県の墓参りに行って広島に戻って来ると、クリックすると拡大時間は昼食時間になっていました。右の写真が広島に戻ってきた時の車内からの写真です。そこで私の希望で昼食は広島のお好み焼きにしてもらいました。最後に広島のお好み焼きを本場の広島で食べたのは2003年9月なので20年6ケ月ぶりの本場での広島のお好み焼きなので紹介したいと思います。
お好み焼きは大別すると"混ぜ焼き"の「大阪風」と"重ね焼き"or"乗せ焼き"の「広島風」になるそうです。広島のお好み焼きは麦粉を水で溶いたものを薄く伸ばして焼いた生地の上にクリックすると拡大右の写真(Wikipediaから転用)のような多量のキャベツや肉や海鮮や麺を重ねてひっくり返して焼くので、自分で1度だけ作り上手に出来ましたが手間なことから、いつも大阪風を作ってしまうので、新幹線で広島を通るごとに食べたいと思っていたのです。20年前に食べた本場の広島のお好み焼きの味が忘れられなくて、今回の昼食は広島のお好み焼きにしてもらいました。本記事に掲載させていただいた写真は、クリックすると全て特別に大きく拡大するように設定いたしました。

こちらが広島のお好み焼きを食べたお店です。お店の名前は五エ門です。五エ門は広島市内6店舗+広島空港+呉市+山口県徳山の計9店舗展開するお好み焼き&鉄板焼きのお店です。入ったのはデパートそごう広島店がある場所の五エ門・広島バスセンター・アクア店です。食事の後に近くにある原爆ドームや広島平和記念資料館を案内してもらいました。
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こちらがお店の入口に置かれていたメニューです。ただし、こちらのメニューの中にはお好み焼きの詳しいメニューはありませんでした。
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そこでネットのホームページ(HP)からメニューを転用させていただきました。我々が注文したのは、お好み焼きスペシャル(1500円)です。
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こちらがお好み焼きスペシャルです。
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食べやすいように切ってもらいました。
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切ってもらったお好み焼きです。イカやホタテが分かってもらえると思います。イカやホタテ以外に肉や海老や玉子などもいろいろ入っていました。麺はそばにいたしました。うどんも選択できます。
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マヨネーズが置かれていたので、マヨネーズをかけました。
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お好み駅は取り皿に食べる分だけ移しながら食べたので最後まで熱々でした。
クリックすると拡大クリックすると拡大今回が本場の広島で広島のお好み焼きを食べたのが4回目になります。私が通っていた聖モニカ幼稚園の先生が広島の己斐にあるお好みや店に嫁いで、そのお店に招待されて食べに行ったのが初めて(1回目)でした。右の写真は幼稚園の卒園式の記念写真です。私は前から2列目の左端です。己斐駅近くのお好み焼き店は老舗の高級日本料理店のようなお店で和室の個室でいただきました。
 1回目 幼稚園児の時   己斐駅(現在:西広島駅)近くのお好み焼き店
 2回目 2003年09月13日 広島市佐伯区五日市駅前1丁目のお好み焼き店
 3回目 2003年09月15日 広島駅の駅ビルにある麗ちゃん
 4回目 2024年03月10日 広島市中区の五エ門(本記事)
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目の前で他のお客のお好み焼きも焼いていたので写真を撮らせていただきました。これは麺を焼いているところです。左の2枚がうどんで、他はそばです。
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こちらは野菜や具を焼いているところです。
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麺と合体させているところです。
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全てを重ね合わせて焼いているところです。
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完成してソースをかけてネギや青のりをトッピングして完成です。
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お好み焼きネギかけデラックスを拡大いたしました。左がうどんで、右がそばです。冒頭の写真はネギかけデラックスだったのです。
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クリックすると拡大目の前で変わったものを作っていたので写真を撮らせていただきました。お店の入口にあったメニューの定番鉄板焼きの一番上に書かれていた「五エ門巻き」(970円)だと思われました。右の写真がネットで検索した「五エ門巻き」なので間違いないと感じました。
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それでは広島のお好み焼きを食べた五エ門を紹介します。
下記の中央あたりの臙脂マーク( )が五エ門です。右端の広島駅のところにある臙脂マーク( )は2003年9月15日に広島のお好み焼きを食べた麗ちゃんです。五エ門は西南西にある原爆ドームまで歩いて450mの距離です。
 名前 五エ門 広島バスセンター・アクア店
 住所 広島市中区基町6-27 アクア広島センター街 7F そごう広島店のビル 
 電話 082-511-8220
 営業 11:00 - 22:00
 定休 無
 HP http://goemon.in/
 目標 そごう広島店

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