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下高野の庚申塔 [風習・歴史]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2011年10月9日掲載 タイトル:下高野の庚申塔
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小学校の校庭の庚申塔を以前紹介いたしました。江戸時代のものが中心で、クリックすると拡大手入れもあまり行われていない雰囲気でした。そこから2km足らずの場所で庚申塔を見つけました。全部で13体でした。一番古いものは1727年と小学校の校庭の庚申塔と同じように江戸時代が中心ですが、ここでは新しい庚申塔がありました。

右の写真の卒塔婆(そとば)と呼ばれる木の板もお供えされていました。まだまだ風習がつづいていることを実感させられました。
ラッキーなことに、すべて庚申塔の年代を読み取ることが出来ました。
先ず後列の右から
 1889年 明治二十二年 四月
 1822年 文政五年  十一月
 1758年 宝暦八年   十月
 1895年 明治二十八年 三月
 2000年 平成十二年  三月
そして前列の右から
 2007年 平成十九年  三月
 1861年 文久元年   三月
 1858年 安政五年  十一月
 1809年 文化六年  十一月
 1790年 寛政二年  十一月
 1727年 享保十二年  十月
 1974年 昭和四十七年 三月
 1993年 平成五年   三月
なんと平成の庚申塔が三体も入っていました。昭和の庚申塔も入れると4体が新しいものでした。
3月と11月が多いことも判ります。
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前列の左端の庚申塔だけ正面を向かずに左を向いていました。大きな道路は左にあるためかもしれません。この横向きの庚申塔は珍しく(?)白い文字で書かれていました。


一番の驚きは2007年(平成19年)にも庚申塔が建てられていることです。今も庚申信仰が続いていることを示しているのだと思います。これが平成19年の庚申塔です。
以前に掲載した「下高野の辻切り」にコメントいただいたkazuさんから説明をいただきました。それによると
今は年の始めの最初の申の日に庚申講として行われているそうです。青面金剛の掛け軸を掛け、世間話をして宴を開くそうです。
昔は庚申(かのえさる)の日に庚申講または庚申待ちとして行われていたとされているそうです。神仏を祀り、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かしたらしいです。神の信仰は猿田彦神、仏は青面金剛(しょうめんこんごう)だそうで、猿田彦神は天孫降臨の時、邇邇芸尊(ににぎのみこと)の道案内をしたとされ、庚申塔にも、三方向にその方向の地名を彫ってあるのもあるそうです。kazuさんの地区でもいろいろなところに庚申塔があり、三猿や道案内の地名を彫ってある石碑もあるそうです。
最古の庚申塔は享保12年だそうで、基本的には7年に一回庚申塔を建て、今も継続している。
そうです。


下の大きな写真の庚申塔が、13体の中で最も古いものです。 享保十二年(1727年)に建てられました。小さい方の写真が2番目に古い宝暦の庚申塔です。なかなか立派なので、これからこれらを「下高野の庚申塔」と呼びます。青面金剛の特徴を持っているものです。下高野には不思議な風習辻ぎりが残っています。
この庚申塔以降は下のように数十年に一回の割りに建てられていますが平成になってからは7年ごとです。
          奉造間隔
  享保  1727年  ↓
  宝暦  1758年 31年 31年
  寛政  1790年 32年 63年
  文化  1809年 19年 82年
  文政  1822年 13年 95年
  安政  1858年 36年 131年
  文久  1861年  3年 134年
  明治  1889年 28年 162年
  明治  1895年  6年 168年
  昭和  1974年 79年 247年
  平成  1993年 19年 266年
  平成  2000年  7年 273年
  平成  2007年  7年 280年
  平成  2014年  7年 287年


同じエリア(10m程度はなれた位置)に二十六夜塔かありました。これは月待信仰と呼ばれるものだそうです。


さらに、そのそばに小さなほこらがありました。中に石板があり薄っすらと赤い字で道祖神と書かれているのが判りました。
道祖神(どうそしん)は、路傍の神だそうです。集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、 芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様として冒頭に登場しました。 村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されているそうです。 古い時代のものは男女一対を象徴するものになっていて餅つき(男女の性交を象徴する)などにもその痕跡が残ているそうです。


田んぼの横にも同じようなほこらがありました。豊作を願うのでしょうか。



クリックすると拡大2012年1月12日追伸 タイトル:今日は庚申講です。
今日(2012年1月12日)は千葉県八千代市下高野地区の年に一度の「庚申講」の日だそうです。kazuさんからコメントをいただいたので紹介のために本文に記載して再投稿いたします。下記にkazuさんのコメントを紹介いたします。
以前は「庚申(かのえさる)の日」(60日に一回)に行っていましたが、数十年前から年一回になりました。
年の初めの1~3日を除いた最初の申の日に行われています。
庚申(かのえさる)ですから申の日なんです。
当番は年一回になってから4軒になり、家順になっています。
再来年(2014年)は前回の石建てから7年目になります。
十九夜講の石建てと一緒に行われます。
当日は宴会と「餅投げ」が行われ、前回もみなさん一生懸命お餅を拾っていました。
(注)十二支と十干の組み合わせの「最小公倍数」は60ですから60日毎に行われていました。
ちなみに還暦はこれと同様に60歳ですよね。

庚申講は男性のための講ですので、女性は出席されません。
女性は十九夜講の方です。
前にお話ししましたように7年に一度両方の石建てを行いますので分かれているんですね。
この日はあの庚申塔の一番古い「享保十二年十月吉日」にも刻まれている「青面金剛」の掛け軸を掲げ、ロウソクとお線香に火をともして講が始まります。
昔は「フナの叩き汁」と言うような特殊の汁物も作りましたよ。
フナを一匹っまま、なた包丁で骨まで叩いて細かくし、味噌を混ぜてツミレ状にして、野菜をたくさん入れて醤油味にしたものです。
私が30歳くらいまでは行われていました。

それでは、下高野の年間行事を一覧表にしてみます。
ご興味がございましたら是非ご参加ください。
正月三が日:天満宮の合格祈願の絵馬に、願い事を書いて頂き奉納して頂きます。三が日を過ぎてもご依頼がございましたら、いつでも奉納して頂けます。

1月: 三が日を除いた最初の申の日。   「庚申講」
   25日 天満宮のおびしゃ(初天神) 「天神備社」(天神びしゃ)
   27日 毎月27日はお不動様    「念仏を唱える」
   28日 お不動様のおびしゃ     「不動備社」
   最終日曜日または土曜日       「辻切り」
2月: 最初の午の日(伏見稲荷の縁日)  「初午備社」
   14日 出羽三山に由来する     「梵天ハギ」(ぼんでん)*1
4月: 中旬 弘法大師の寺参り      「千葉寺大師参り」
7月: 最初の未の日           「未祭り」
   15日天満宮などお宮の掃除     「宮なぎ」
   20日前後の日曜日、出羽三山参り経験者 「奥州講」*2
9月25日 弁天様のお備社        「弁天備社」
10月8日  天満宮と書かれた幟(のぼり)「天満宮の幟立て」
10月10日 村社、天満宮のお祭り    「菅原神社祭礼」
10月11日 お祭りの終わり       「天満宮の幟倒し」
 
*1,2は5種類の色紙を特殊な切り方や折り方で、梵天というものを作り、篠の先に刺す。
奥州三山塚に行って、梵天を神前に刺し祝詞をあげてお参りする。
・梵天は奥州参りに行って、その後亡くなられた方への供養です。
・奥州講では同じ梵天を作り、三山塚に奉納します。

明治新政府は神仏分離令を出して、神社から仏像を一掃しました。
下高野では明治以前の行事そのままに、神仏習合として奥州三山の神社の「梵天」と仏様の梵天ハギの「梵天」を同じように作っています。
以上が下高野の行事です。ご参加されたいものや写真に残したい行事がございましたら お知らせください。

来年以降の最初の「申の日」と「庚申の日」を調べてみました。
 2012年 1月12日(木) 壬申   2月29日(水) 庚申
 2013年 1月06日(日) 壬申   2月23日(土) 庚申
 2014年 1月13日(月) 甲申   2月18日(火) 庚申
 2015年 1月08日(木) 甲申   2月13日(金) 庚申
 2016年 1月15日(金) 丙申   2月08日(月) 庚申 1月3日が初甲の日
 2017年 1月09日(月) 丙申   2月02日(木) 庚申
 2018年 1月16日(火) 戊申   1月28日(日) 庚申
 2019年 1月11日(金) 戊申   1月23日(水) 庚申
 2020年 1月06日(月) 戊申   1月18日(土) 庚申


2014年3月16日追伸 タイトル:下高野の平成26年の庚申塔
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千葉県八千代市には7年ごとに新しい庚申塔が建てられている貴重な伝統行事が残っている下高野という地区があります。すでに紹介させていただいたように、その八千代市下高野では2014年3月2日13時から女性の講中である十九夜塔の建立式典が盛大に行われました。十九夜塔も7年ごとに新しい石碑が建てられていますが、同じ日に庚申塔も7年ごとに建てられているのです。
2014年3月2日に新しく建てられた庚申塔が上の写真の前列の一番右側です。

下の大きな写真は新しい庚申塔の部分を拡大したものです。クリックするとさらに拡大します。花が供えられている庚申塔が平成26年の庚申塔で、クリックすると拡大左側が7年前に建立された平成19年の庚申塔です。新しい庚申塔の後ろの木の板は卒塔婆(そとば)と呼ばれるものです。卒塔婆は右の写真のように十九夜塔の建立式典で一旦は十九夜塔の場所に供えられて念仏が唱えられた後に庚申塔の場所に移動して供えられたものです。右の写真の右側の卒塔婆が庚申塔用で、左側が十九夜塔用の卒塔婆です。
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庚申塔の設置工事(石建)自体は3月1日に行われました。こちらの写真は十九夜塔の建立式典が行われる前の3月2日9時50分に撮ったものです。まだ卒塔婆や花は供えられていませんでした。
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新しい庚申塔は正面には鮮やかな朱色で「庚申塔」と書かれており、左面には「下高野講中」と書かれています。
右面には「奉造 平成二十六年 三月吉日」と刻まれています。287年続いている伝統行事として、今でも定期的に新しい庚申塔を建てられる地区は非常に珍しいことだと想定されることから、シンプルな庚申塔ではありますが、現時点において伝統行事として建てられた庚申塔では、全国で一番新しい庚申塔なのかもしれません。
いずれにしても平成二十六年の庚申塔は非常に貴重なものだと思います。こちらの庚申塔塚には新しい庚申塔も含めて14基が設置されていました。ネットで調べた範囲では、さわらびYさんの記事に平成の庚申塔は千葉県木更津市の戸隠神社に平成20年に復元された庚申塔が3基あるそうです。
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下高野の庚申塔の位置をでプロットしてみました。
上の写真のように庚申塔が沢山建てられた場所を「庚申塔塚」と呼ばせていただきます。その庚申塔塚が緑色マークです。
地区の十九夜塔は寺院の敷地などの一か所に建てられますが、庚申塔の場合は庚申塔塚だけでなく地区の辻などにも単独で設置されます。その辻などに設置された庚申塔が黄色マークです。
赤色マークが下高野で十九夜塔がまとめて設置されている場所です。空色マークが下高野以外の近隣地区の庚申塔です。
画面の中の右端のは佐倉市先崎の庚申塔塚です。画面外にもプロットしているので-のアイコンをクリックしてもらうと八千代市米本、佐倉市青菅、佐倉市井野、佐倉市小竹の庚申塔の場所を表示します。赤色ライン内が八千代市下高野です。紫色マークは今は移設されてありませんが、昔に庚申塔が建っていた場所です。
   庚申塔   庚申塔塚 14基 1~9 18 21~24 
   庚申塔   単独設置 10基 10~17 19 20
   庚申塔   10番の移設前の位置
   十九夜塔  32基
   庚申塔   近隣地区 先崎 青菅 小竹 米本

より大きな地図で 八千代市下高野 を表示
下高野の庚申塔を一覧表にまとめました。全部で24基です。内訳は庚申塔塚に14基で、単独に辻などに設置されている庚申塔が10基です。庚申塔が単独で建てられているのは一時期、庚申塔は「道しるべ(道標)」のして役割も果たしていたためであると推測されます。道標となっていたのは明治28年(1895年)~昭和40年(1965年)であったことが、一覧表にしてみて判りました。したがって、辻に設置された◆マークもすべて明治28年(1895年)以降になっています。
十九夜塔は32基に対して庚申塔は24基です。十九夜塔は女性の講中の石碑で、庚申塔は男性の講中であり、同じ年から始まっていることから数が8基も違うのは不思議です。これは、十九夜塔は同じ場所に建てられる石碑であることから、下高野に現存している十九夜塔は32基であると言えます。失われた数も少ないと思われるのに対して、庚申塔はいろんな場所に設置されたものも多くあることから、失われた可能性も高い上に、まだ発見できていないものもあるかもしれません。
道沿いは下高野の方(Kazuさん)も丁寧に探されたようなので、現存していて、まだ見つかっていないものがあるとすれば八千代ゴルフクラブの敷地内ではないかと思われています。八千代ゴルフクラブの敷地内には昔は道があったとのことだそうです。ただし、道標として庚申塔が建てられるようになったのは1895年からなので、現存する可能性があるとすれば、1899年、1933年前後の2基ではないかと想像されます。それ以前のものは建てられていたとしても、すでに失われた可能性が高いと思われます。庚申塔塚は複数あることも考えられることから、1895年以前の物も現存する可能性はゼロではありません。表をクリックすると十九夜塔の詳しいデーターを表示します。
クリックすると十九夜塔
               十九夜塔の建立年   庚申塔の設置場所
               ◎ :完全に一致    △:庚申塔塚
               〇:近似年に建立   ◆:辻などに単独
庚申塔の形式 ( 写真はクリックすると拡大 )
 青面 : 青面金剛像  文字 : 青面金剛(文字)    文字 : 庚申塔(文字)
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

庚申塔塚の庚申塔はすでに2011年10月9日の記事で紹介しているので、今回は、辻などの道端に単独で設置されている庚申塔と道標を兼ねた庚申塔を新しい順(18 17 15 14 13 12 11 10 9)で紹介いたします。道標と兼ねた庚申塔が限られた期間だけに存在するのは興味深いことです。庚申塔に書かれている文字を赤色文字で「正面→右面→裏面→左面」の順番に紹介いたします。

こちらが20番(1986年)の庚申塔です。
こちらの庚申塔は庚申塔塚から道路を挿んだ辻に建てられていました。辻に建てられていますが道標にはなっていませんでした。ただし庚申塔の後ろには古い道標が建てられていました。庚申塔に書かれていた文字は次の通りです。
  正面   庚申塔
  右面   昭和六十一年三月吉日
  裏面   ( 空白 )
  左面   下高野講中
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こちらの辻には2基の庚申塔が建てられていました。
新しい方が19番(1979年)の庚申塔です。
道を挟んだ場所には藁の大蛇の「辻切り」が設置される場所でもあります。こちらも道標ではありませんでした。書かれている文字は次の通りです。
  正面   庚申塔
  右面   昭和五十四年三月吉日
  裏面   ( 空白 )
  左面   下高野講中
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こちらが19番(1979年)の傍の17番(1965年)の庚申塔です。
こちらは道標(道しるべ)の庚申塔です。書かれている文字は次の通りです。
  正面   庚申塔 下高野講中
  右面   東 先崎 ニ至ル
  裏面   昭和四十年三月吉日
  左面   西 大和田 ニ至ル  正面 志津 ニ至ル
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こちらは16番(1958年)の庚申塔です。
下高野の人達が住んでいる集落の中に建てられていました。こちらも道標タイプの庚申塔です。書かれている文字は次の通りです。
  正面   庚申塔 下高野講中 
  右面   北ノ方 保品 ニ至ル
  裏面   昭和三十三年三月吉日
  左面   西ノ方 米本 ニ至ル
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先崎との境界の15番(1940年)の庚申塔です。
すぐそばには下高野の馬頭観音や先崎の馬頭観音がありました。書かれている文字を紹介します。現在の地名で「當區」は見つかりません。小竹の庚申塔の中に「當村講中」と書かれたものがあることから、今は存在しない當村と関係しているのかもしれません。「區」は「区」と同じであり、「村」と解釈することが出来るのかもしれません。また當は当の意味があるようで当地区(下高野)を示している可能性もあるようです。
  正面   庚申塔  此方 米本 ニ至ル  下高野講中
  右面   此方 當區 ニ至ル
  裏面   昭和二十七年三月吉日
  左面   此方 先崎 ニ至ル
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米本に近いところに建っていた14番(1940年)の庚申塔です。「米本いなり」は米本稲荷神社だと思われます。
  正面   庚申塔 下高野講中
  右面   北 米本いなり道  東 先崎 青菅道
  裏面   ( 空白 )
  左面   西 米本 城橋道  昭和十五年三月吉日
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こちらは13番(1926年)の庚申塔です。この部分は歩道を作るために盛り土がされたようで庚申塔の下の部分は地面に埋まってしまっていました。そのために文字の下の方は読み取れませんでした。
  正面   庚申塔  米本 城橋・・・・・・
  右面   上高野道・・・・・・   大正十五年三月吉日
  裏面   ( 空白 )
  左面   青菅 臼井・・・・・・
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こちらが冒頭で紹介の2014年3月25日に新しく見つけることが出来た12番(1920年)の庚申塔です。2014年3月13日にKazuさんが2基の庚申塔を発見されて、さらにKazuさんが八千代ゴルフクラブ内で大正二年の庚申塔を見つけられたことで、明治28年以降で見つかっていなかった庚申塔は3基のみとなっていましたが、今回の発見で残りが昭和8年と明治32年前後の2基となりました。その2基を探して、八千代ゴルフクラブの敷地以外の、昔の道があったと思われるところを隈なく探しましたが見つけることが出来ませんでした。これで、残りの2基の探索は八千代ゴルフクラブの敷地内ですが、無断で入ることが出来ないので、次の、なんらかの機会にゆだねることにいたします。今回発見された庚申塔に書かれていた文字は次の通りです。
  正面   庚申塔  下高野講中  西 米本いなり道
  右面   北方 米本城橋道
  裏面   大正九年三月吉日
  左面   東 青菅臼井 道
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こちらが庚申塔の裏面です。この裏面は東方向に建てられた思われますが、現在はフェンスの土台に南方向に立掛けられていたことから、フェンス工事の時に地面から抜かれて、現在の状態に立掛けられたと思われました。この庚申塔の裏面の自然の地肌を掘り込んでいるところは11番の大正二年の庚申塔に似ていました。
 場所はこちらです。 →
 ポチッ
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2014年3月16日にKazuさんから八千代ゴルフクラブ内で大正二年の庚申塔が発見されたと連絡があり、次の4枚の写真も送っていただきました。12番(1913年)を上の一覧表に追加いたしました。書かれている文字を紹介します。その道しるべに書かれている「北 保品渡船」から、大正初期には保品に印旛沼(新川)を渡るための渡し船があったものと思われます。
  正面   庚申塔  西 米本稲荷 下高野区中
  右面   南 上高野
  裏面   東 臼井 大正二年三月吉日
  左面   北 保品渡船
   正面      右面       裏面         左面
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

さっそく2014年3月24日に新しく発見された12番(1913年)クリックすると拡大庚申塔を見に行きました。ゴルフ場の中であることが判ってもらえると思います。庚申塔に書かれている西、南、東、北は実際の方向を示していることから、建てられた時の方向通りに今も建っていると思われます。一方、この庚申塔は道に背を向けて建っていることから、庚申塔の後ろの道は、後から出来たものと推察します。
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こちらは十九夜塔が設置されている福蔵院の敷地の中に建てられていた10番(1906年)の庚申塔です。元々は、こちらの庚申塔は上の地図の紫色マークの近くに建てられていたものを保護の目的で福蔵院に移設されたものです。下の写真を見てもらえると庚申塔がかなり削られているのが判ると思います。これは某大学の研究員(学生)が分析のために削って持ち帰ったようです。偶々、学生が削りに来ているところを地元の人が見つけたそうです。右下の写真が元々建てられていて石が削られた場所です。
クリックすると拡大さらに削られないように福蔵院に移設したそうです。この庚申塔の赤色の石材が珍しいそうで、分析のために削ったそうです。
  正面   庚申塔
  右面   東 青すげ道  先さき
  裏面   右 米本いなり道
  左面   明治三十九年三月吉日
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庚申塔塚の14基の庚申塔の中で、一つだけ「道しるべ」が書かれている庚申塔があります。
正面から見て左面に「北 先崎道」と書かれた大きな庚申塔が判ると思います。
それが9番(1895年)の庚申塔です。庚申塔に書かれている文字を紹介いたします。
  正面   庚申塔  西 米本城橋道
  右面   ( 空白 )
  裏面   東 青菅 臼井 道
  左面   北 先崎道  明治廿八年三月吉日
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参考に下高野の外側の近隣地域(先崎、青菅、井野、小竹、米本)の庚申塔を紹介します。いずれも古い庚申塔で、下高野のような平成の庚申塔がないことからも今も庚申塔を建て続けていることが貴重なことであることが判ってもらえると思います。


こちらは佐倉市先崎の庚申塔塚です。下高野の境界線に隣接した空色マークの場所です。
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こちらは佐倉市青菅の庚申塔塚です。
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こちらが佐倉市小竹の庚申塔塚です。
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こちらが佐倉市おだけ井野の庚申塔塚です。
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下の写真は2014年3月25日に下高野の新しい庚申塔を探すために下高野を散策した時に足を延ばして撮りに行った八千代市米本の庚申塔塚です。道路脇にきれいに並べられていました。ここには庚申塔だけでなく二十三夜塔(1基)や馬頭観音(3基)や猿田彦命(さるだひこのみこと 1基)や月讀尊(つきよみのみこと 1基)の石碑も並べられており、クリックすると拡大さらに道標の書かれた庚申塔も複数あることから10基の庚申塔の内、いくつかは後世に集められた庚申塔塚なのかもしれません。クリックすると拡大するので是非とも見てください。右の写真の2基の庚申塔は八千代ゴルフクラブの敷地内にありました。道路のすぐ脇に建っていたので撮らせていただきました。
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2014年3月17日追伸
今日の15時から3月22日夕刻まで関西に出かけます。この間はネットへのアクセス手段は空港のラウンジとネットカフェだけとなるため、記事の更新など、限られたことしかできません。皆様の記事へ本格的な訪問は3月23日からとなることをお許しください。
帰って来ましたらKazuさんが、新しく発見された大正二年の庚申塔を見に行きたいと思います。


2014年3月26日追伸 サブタイトル:24基目の庚申塔を見つけました。 
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いつもお世話になっている下高野のKazuさんが、本ブログのコピーを親しくされている下高野のTさんに見せたところ、Tさん畑の近くの道沿いに庚申塔があるとの連絡がありました。さっそくKazuさんに同行して2014年3月25日に庚申塔に探しに行きました。その結果、上の写真の大正九年の庚申塔を見つけることが出来ました。下の道標を兼ねた庚申塔を紹介している欄に詳細を追加掲載いたしました。追加したところは紫色の文字にしています。

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kazu

SORIさんこんにちは。

どう致しまして、私の上司が臼井文化懇話会に投稿した「臼井八景」について、簡単にまとめその解説など記載し、小冊子にしてあります。何かの機会にご紹介したいですね。

庚申塔の記事を拝見しました。
詳細に記載されていて関心致しました。
ありがとうございます。
私も歴史が大好きです。一度教えて頂きたいですね。

道祖神の傍にあります二十三夜塔と二十六夜塔も仰るように月待信仰でして、それぞれ夜明けまで宴を開いて祈願したそうです。
二十三夜塔の本尊は勢至菩薩で今でも地区で保存してあります。
二十六夜塔は愛染明王をお祭りしているそうです。

今日から私の地区の秋の天神様のお祭りです。
朝早く地区の中ほどにある公会堂の入口に、天満宮の幟を立ててお祝いしました。

by kazu (2011-10-08 11:47) 

SORI

kazuさん こんにちは
長く住んでいましたが庚申塔は最近気がついて調べてみました。すべてネットの受け売りですので教えるなんてとんでもありません。ただし庚申塔の奉納日の文字を読むのは大変でした。
いろいろと散歩がと自転車で散策できるところが増えました。ご紹介ありがとうございます。
by SORI (2011-10-08 17:12) 

kazu

SORIさんこんばんは。

確かに庚申塔の江戸時代の年号を読み取るのは根気がいりますよね。
最後の画像の田んぼの脇にある鳥居の左にあるのは、ユーカリゴルフ練習場のネットです。
ネットの後ろには佐倉ラベンダーランドがあって、7月には3種類のラベンダーが次々と咲き誇ります。
いずれも佐倉市長「蕨和雄」氏の経営です。

by kazu (2011-10-08 19:46) 

SORI

kazuさん こんばんは
田んぼの中の写真を見ただけで場所がわかるとはすばらしいです。
蕨さんの息子さんの一人が私の息子と中学校の時に同級生でした。身近なところで知っている方の名前が出ると楽しいですね。
by SORI (2011-10-08 20:08) 

kazu

SORIさん、おはようございます。

そうでしたか、市長の息子さんと同級生でしたか。
蕨家は昔、志津村の時は先祖が村長さんをしていた由緒ある家系です。
ところで、海外に沢山行かれていますね。
私も旅行が好きで、ヨーロッパも8カ国くらい行っています。

パリの画像が沢山ありましたね。私がルーブルで迷子になった結末をコメントしました。どうぞお笑いください。



by kazu (2011-10-09 07:51) 

SORI

kazuさん おはようございます。
パリのコメント、楽しみにしています。
今朝は臼井八景を回ってきました。臼井八景の看板はすべて確認できました。最初は見逃していましたが、先端の飯野暮雪で看板を見つけてから、もう帰る時に確認いたしました。臼井八景発祥の地である円応寺や臼井城公園にも行ってみました。臼井城跡には城の痕跡が沢山残っているのに驚きました。
kazuさんに紹介していただいたおかげ、今まで見逃していたものや初めての場所など、いろんなところを見ることが出来ました。。ありがとうございました。 
Googlear地図に臼井八景と臼井城の支城をマーキングしてみました。下記のアドレスです。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=216721550134703593141.0004aece81bebdd652812&msa=0
by SORI (2011-10-09 10:54) 

COLE

最近古い石碑に目が留まるようになったいたので、
今回、前々回の記事は大変に興味深く読ませてもらいました
人の生きてきた証がそこにあるわけで、普段は気に留めないことでも
ふと我に帰る瞬間があります
by COLE (2011-10-09 11:28) 

SORI

COLEさん こんにちは
小学校の記事ですね。
木造校舎で子供たちが遊んでいるところが想像するだけでロマンを感じます。確かにそこに生活がありました。
by SORI (2011-10-09 12:02) 

yakko

こんにちは。
貴重なお話をアリガトウございました(_ _)
by yakko (2011-10-09 12:39) 

SORI

yakkoさん こんにちは
せっかく写真を撮ったので、調べてみました。現代でも、続いているのに感激です。
by SORI (2011-10-09 12:43) 

kazu

SORIさんこんばんは。

臼井八景を一回で走破し、看板の位置を探されるとはさすがですね、頭が下がります。
臼井城祉は高台にあり、印旛沼や飯野暮雪の場所なども遠く眺められ素晴らしい眺望でしたでしょう。

光勝寺には時宗の開祖一遍上人の銅像があり、本堂の左には「閻魔大王」の木造があります。
高さが4m近くあって威容を誇っています。
この前伺った時には住職さんに言って、拝観させていただきました、お賽銭をあげ、拝んだ後に写真も撮らせていただきました。
一度機会があったら訪問されたらいかがでしょうか。


by kazu (2011-10-09 19:03) 

SORI

kazuさん こんばんは
看板の場所がなかなか見つからなかったのが臼井城跡と光勝寺でした。光勝寺は外から眺めただけでした。次の機会に挑戦してみます。
by SORI (2011-10-09 19:22) 

kazu

SORIさんこんばんは。

確かに光勝寺の場所はなかなか見つかりにくいところにありますね。
臼井城主の第五代までは臼井城のほど近くにありまして、この時真言宗から時宗に改めたのです。
そして。第六代城主が円応寺を創建して菩提寺としたために、光勝寺は今のところに移されたらしいのです。
以前の場所に行ってみましたが、臼井城祉より西側にある実蔵院の裏あたりで竹やぶで生い茂っていました(道場作と言います)。
従って、光勝寺には境内の左端に第五代城主までのお墓がひっそりと眠っていました。
光勝寺にある八景の看板にもありますように「...あわれ幾世を古寺の...」になってしまったわけですね。
今でも鐘は本堂の入り口右わきの軒先にっかっています。
菩提寺となった円応寺には山門をくぐった左に「立派な鐘楼」が建立されているのを見ると本当に「あわれ...」となってしまったのでしょうね。

住職さんの奥様と話す機会がって「昔のように鐘楼より臼井一帯に晩鐘を聞かせることはできなんでしょうか」という問いには「このようにさびれた寺になってしまい、鐘楼は出来ないんですよと...」悲しいですね。
by kazu (2011-10-09 23:31) 

SORI

kazuさん おはようございます。
今まで臼井城跡を訪れたことがなかったので、大きな規模のものが残されていたのに驚かされました。長い時間、臼井城跡を散策しましたが、これだけの規模なのに人に会うことがなかったのにも驚かされました。
私は円応寺の方から自転車を担いで歩いて登ったので見つけることが出来ましたが、普通は住宅地から細い道をたどってこなければならないので、ここを探し当てるのは難しい気がしました。
臼井氏一族の初期の頃の菩薩寺として崇敬された光勝寺には古い歴史があったのですね。


by SORI (2011-10-10 03:36) 

kazu

SORIさんこんにちは。

確かに臼井城跡も住宅街から行くのは難しいですね。
以前、「臼井城の砦巡り」という企画があって、参加した時ユーカリが丘より臼井方面に296号を走らせますと、坂道を下り左右田んぼに出ますが、下りきったところに小さな川があります。「手繰川(たぐりがわ)」と言うのですが、そこを超えて道なりに右方向へ登っていくと、陸橋があり左に曲がる道があります。
そこを左折し直ぐを左に曲がりますと登りの細い道があります。
この道をまっすぐ行くと「臼井城跡」に行かれるのでした。
その入り口には城があった当時、臼井城の大手門があったと聞かされました。
確かに真っ直ぐ行ったら「太田図書(おおたづしょ)」の墓があり、右折すると臼井城跡に出ました。

太田図書は太田道灌の弟で、兄と臼井城を攻めた時戦死したのでしたということでした。
こちらから訪れてみるのもいいかも知れませんね。
by kazu (2011-10-10 11:27) 

SORI

kazuさん こんにちは
今朝も別のルート(昨日の帰り道)から臼井城跡に行ってみましたが、やはり道が入組んでいるので難しそうでした。大田図書の墓、臼井妙見社(星神社)、古峯神社、常楽寺などにも寄ってみました。
by SORI (2011-10-10 12:37) 

kazu

SORIさんこんにちは。

臼井城跡への散策ご苦労様でした。
城跡の付近には多数の神社仏閣がありますね。

話は変わりますが、当地区の公会堂の庭には十九夜講の石碑が多数あります。(十九夜塔は月待ち信仰と子安講です)
現在で三十一基二段に分かれて並んでいます。
最古のものは庚申塔の最古と同じで享保十二年十月です。
昭和の前は如意輪観音像で、それ以降は子安観音像です。
女人講中で出産、育児を対象に信仰されています。
昭和三十三年以降は七年ごとに庚申塔と同じ年に建立されています。今でも世話人二人づつ二組に分かれて、毎月夜に十九夜講が行われていますよ。
by kazu (2011-10-10 12:59) 

SORI

kazuさん こんにちは
辻切りの一つ目と二つ目の間にある福蔵院のところではないでしょうか。詳しくは見たことはないのですが享保十二年十月もすばらしいし、昭和三十三年以降は七年ごとに建立されていものはすごいことです。近くなので一度見に行って見ます。
http://maps.google.co.jp/maps?saddr=35.750391,140.144048&hl=ja&ll=35.75042,140.144067&spn=0.000947,0.001628&sll=35.750357,140.144021&sspn=0.000947,0.001628&vpsrc=6&brcurrent=3,0x602287742151f34b:0x357d32e96c680e1,0&mra=mift&mrsp=0&sz=19&t=h&z=19&start=0

今夜には、臼井八景の記事を掲載するつもりです。

by SORI (2011-10-10 13:17) 

kazu

SORIさんこんにちは。

そうです、福蔵院のことです。昭和六十年一月再建の公会堂と共存しています。
福蔵院は創建が延亨二年(1745年)で正式には「正護山福蔵院」といいます。
創建当時は井野の千手院の末寺でした。
本尊は阿弥陀如来でその両脇には弘法大師と興教大師像が控えています。
真言宗豊山派で総本山は奈良の長谷寺です。

臼井八景の記事を楽しみにしております。
by kazu (2011-10-10 14:25) 

SORI

kazuさん こんにちは
千手院にも、いろんな石碑が並んでいますね。こちらは写真に撮っていたので記事をそのうちに掲載するつもりでした。地区が違いますが関連が深いですね。
by SORI (2011-10-10 14:30) 

kazu

SORIさん、こんにちは。

さすがに色々なところを散策されていますね。

ところで宮の台の地名のいわれをご存じでしょうか?
開発されて現在のようになっていますが、あの土地はほとんどが台地の雑木林でした。
山万が開発した「ビオ・ウイング ユーカリが丘 」の右端にこんもろと茂った森がありますよね。
あそこは「八社宮」と言う神社で八つの神様が鎮座していらっしゃいます。
そこでそのお宮の台地と言うことで「宮の台」と付けられたのでした。

「八社宮」は井野と青菅両村の鎮守さまで、どちらにも傾かずにいらっしゃるようです。
この付近は戦国時代の井野城の跡とされています。

追記:明日(11日)は天満宮の幟かえしの日です。福蔵院境内にある10m余りの幟を降ろして、また来年まで保存しておくのです。
午後1時からですので、時間がございましたらご覧ください。
紺色に前が黄色の農機具メーカーの帽子をかぶっています。



by kazu (2011-10-10 15:19) 

SORI

kazuさん こんにちは
宮ノ台の名前の由来は知りませんでした。ありがとうございます。
井野城に関しては、今回、臼井城のことを調べていて、偶然に臼井城の支城であることを知りました。近くでは先崎城も支城ですね。明日(11日)は仕事があるので見に行くことが出来ませんが土曜日か日曜日に行う大蛇作りは見に行けそうです。

by SORI (2011-10-10 15:42) 

kazu

SORIさんこんにちは。

了解です。
大蛇作りは来年の1月25日過ぎの土曜日か日曜日です。
来年のことですが、またご連絡いたしますね。
by kazu (2011-10-10 15:46) 

SORI

kazuさん こんにちは
ありがとうございます。
最初から出来上がって辻に飾るまでの写真を撮りたいです。井野の時は偶然に作るところに出会えました。
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2009-06-07-19
by SORI (2011-10-10 16:03) 

kazu

SORIさん、了解いたしました。

毎年、9時ころから2時過ぎまで作って、それから六ヶ所の辻に飾ります。
昨年はケーブルテレビ局の取材がありました。
場所は前回ご紹介致しました、四つ角のブロック塀にある辻切りの道を挟んで反対側のビニルハウスの中で行われます。
by kazu (2011-10-10 16:32) 

SORI

kazuさん こんばんは
そうするとkazuさんもケーブルテレビに出演されたのですね。見てみたかったです。あとは土曜日か日曜日のどちらかですね。 
by SORI (2011-10-10 17:55) 

kazu

SORIさんこんばんは。

私が神社総代を承っている関係で、説明役を任されてケーブルテレビに出ているはずですが、残念ながらわが地区にはケーブルテレビを引いていないんです。
DVDに録画しているはずですので、拝借して今度見てみたいです。

来年のカレンダーを見ましたら、1月の28日(土)か29日(日)ですね。
ご連絡いたしますね。
by kazu (2011-10-10 19:23) 

SORI

kazuさん こんばんは
よろしくお願いします。楽しみにしております。
by SORI (2011-10-10 19:35) 

youzi

庚申塚、色々な願いがあって、建てられているのでしょうね。
市内にある庚申塚もほこらになっているものや、
色々あるようです。

by youzi (2011-10-16 11:41) 

SORI

youziさん こんにちは
庚申塔は、縁のないものと思っていましたが、近くの方からコメントをいただいて比較的身近なところにあることに驚きました。
by SORI (2011-10-16 15:45) 

kazu

SORIさんこんばんは。

12日の庚申講についての追伸です。

庚申講は男性のための講ですので、女性は出席されません。
女性は十九夜講の方です。

前にお話ししましたように7年に一度両方の石建てを行いますので分かれているんですね。

この日はあの庚申塔の一番古い「享保十二年十月吉日」にも刻まれている「青面金剛」の掛け軸を掲げ、ロウソクとお線香に火をともして講が始まります。

昔は「フナの叩き汁」と言うような特殊の汁物も作りましたよ。
フナを一匹っまま、なた包丁で骨まで叩いて細かくし、味噌を混ぜてツミレ状にして、野菜をたくさん入れて醤油味にしたものです。
私が30歳くらいまでは行われていました。

by kazu (2012-01-10 20:08) 

SORI

kazuさん こんにちは
庚申講は明日ですね。コメントを読ましていただくと見たくなりました。残念ながら明日は休みではないので来年以降の機会を狙ってみます。
庚申講は男性のための講というのも初めて知りました。フナの叩き汁なども含めて貴重な情報をいただきありがとうございました。
by SORI (2012-01-11 12:16) 

kazu

SORIさんこんばんは。

それでは、下高野の年間行事を一覧表にしてみますね。
ご興味がございましたら是非ご参加ください。

正月三が日:天満宮の合格祈願の絵馬に、願い事を書いて頂き奉納して頂きます。
三が日を過ぎてもご依頼がございましたら、いつでも奉納して頂けます。

1月:    三が日を除いた最初の申の日。 「庚申講」
   25日 天満宮のおびしゃ(初天神)    「天神備社」(天神びしゃ)
   27日 毎月27日はお不動様       「念仏を唱える」
   28日 お不動様のおびしゃ        「不動備社」
      最終日曜日または土曜日       「辻切り」

2月:  最初の午の日(伏見稲荷の縁日)  「初午備社」
   14日 出羽三山に由来する     *1「梵天ハギ」(ぼんでん)

4月: 中旬 弘法大師の寺参り        「千葉寺大師参り」

7月: 最初の未の日                「未祭り」
   15日天満宮などお宮の掃除        「宮なぎ」
   20日前後の日曜日、出羽三山参り経験者 *2「奥州講」

9月25日 弁天様のお備社           「弁天備社」

10月8日  天満宮と書かれた幟(のぼり)  「天満宮の幟立て」    
10月10日 村社、天満宮のお祭り      「菅原神社祭礼」
10月11日 お祭りの終わり          「天満宮の幟倒し」 

  *1,2は5種類の色紙を特殊な切り方や折り方で、梵天というものを作り、篠の先に刺す。
奥州三山塚に行って、梵天を神前に刺し祝詞をあげてお参りする。
・梵天は奥州参りに行って、その後亡くなられた方への供養です。
・奥州講では同じ梵天を作り、三山塚に奉納します。

 明治新政府は神仏分離令を出して、神社から仏像を一掃しました。
 下高野では明治以前の行事そのままに、神仏習合として奥州三山の神社の「梵天」と仏様の梵天ハギの「梵天」を同じように作っています。


  以上が下高野の行事です。ご参加されたいものや写真に残したい行 事がございましたら お知らせください。
 その時期にご案内致します。


   


by kazu (2012-01-11 19:54) 

SORI

kazu さん こんばんは
行事が多いのに驚きました。これほどに昔の習慣が残った地域は少ないと思います。貴重な情報ありがとうございます。
参考にさせていただきます。是非とも皆さんに紹介したいです。
by SORI (2012-01-11 22:33) 

kazu

SORIさんおはようございます。

庚申講、下高野の行事の再投稿ありがとうございます。

出羽三山の梵天につきましては平成20年に八千代市立郷土博物館の特別企画展に発表されました。
当日は博物館に行き、会議室で梵天を作成し展示されました。
「八千代と出羽三山」~奥州参り~と言うパンフレットが博物館より提供されました。
辻切りの日に是非ご覧ください。
by kazu (2012-01-12 07:43) 

アニ

SORIさんこんにちわ
みごとな金剛様ですね。
やはり石仏には石仏のよさがあることを感じました。

年月を重ね少し丸みをおびるフォルムにぐっときます。
by アニ (2012-01-12 15:02) 

SORI

kazuさん こんばんは
来年の庚申講は、調べた範囲では日曜日のようなので、是非とも写真を撮らせてください。
出羽三山の梵天がパンフレットになったとはすごいです。見るのが楽しみです。
by SORI (2012-01-12 19:21) 

SORI

アニさん こんばんは
285年前から脈々と伝統行事が続けられているのには驚きました。今でも7年ごとに庚申塔が建てられているのにも関心いたしました。
享保の庚申塔は立派です。
by SORI (2012-01-12 19:24) 

kazu

SORIさんこんばんは。

来年の最初の申の日は日曜日なのですね。
どうぞ青面金剛の掛け軸やロウソクや線香を灯した
庚申講の雰囲気を味わってください。

今日の庚申講の様子をkazuの画像掲示板に載せましたので
覗いてみてください。

また、辻切りのメンバーが庚申講にも出席されて、辻切りの日程が正式に決まりました。

1月29日)日) 午前9時開催されます。午後2~3時ころまでです。
当日は我が家に8時50分ころおいで頂ければ、一緒に行って皆さんにご紹介いたします。
一日いらしても昼食にはコシヒカリのおにぎりやお漬物が出ますので、ご心配なく。

車か自転車で来られても、我が家に置いておけば宜しいのではないかと思いますが...。
by kazu (2012-01-12 20:41) 

SORI

kazuさん こんばんは
掲示板の掛け軸、拝見いたしました。
それでは、お言葉に甘えて8時50分までにはおうかがいいたします。ワンコの散歩コースの一つなので徒歩でお邪魔致します。
by SORI (2012-01-12 22:22) 

kazu

SORIさんおはようございます。

了解いたしました。お会いするのを楽しみにしています。
by kazu (2012-01-13 08:10) 

まほ

石に刻まれた文字が、長い歴史を感じさせますね。
by まほ (2012-01-14 03:25) 

SORI

まほさん おはようございます。
同感です。これからも続けてほしいです。
by SORI (2012-01-14 04:54) 

kazu

SORIさんこんばんは。

SORIさんに近くの伝統行事をお知らせするのを忘れていました。

今日は青菅の「どんどれえ」でした。
毎年1月14日に午後6時ころから行われています。

背の高い青竹を何本も囲うように立てて、その中には正月の門松や萱、枯れ木などをたくさん積んでいきます。
火を付けると次第に燃え上がり、近くにいられないほど熱くなります。
青菅の五穀豊穣、無病息災、家内安全を祈願するそうです。

火が落ち着いたら、鏡モチなどを焼いて食べると、風邪を引かないと言われています。

この行事は佐倉の「佐倉市指定無形文化財」に指定されているそうです。

場所は宮の台行面からくると、青菅小学校を右折し、称念寺を左に曲がると右側に2階建ての入母屋造りの家があります。
場所はその裏手です。

その場所に行くにはもう少しだらだら坂道を下り、田んぼに出たらその縁を右に進みます。
200mくらい行った右の空き地です。明日もその燃えカスがまだ残っているでしょう。

ネットにも載っていますのでご覧ください。
by kazu (2012-01-14 19:51) 

SORI

kazuさん こんばんは
今日、だったのですね。
青菅小学校の近くでそのような行事が行われていたとは知りませんでした。明日の朝のワンコの散歩の時にでも場所を探してみます。
おそらく下記のアドレスの赤色のマークのあたりなのでしょうね。ルートの説明のおかげでおおよその場所がわかりました。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=216721550134703593141.0004aead66eeefdf37a3f&msa=0&ll=35.749273,140.150238&spn=0.001387,0.001583&iwloc=0004b67b29d2e579a2b89

by SORI (2012-01-14 20:25) 

kazu

SORIさん、ズバリその場所です。

我が家からもその勢いのいい「どんどれえ」の燃える様子が見えました。

もう少し早く気がつけばよかったのですが...。失礼いたしました。
by kazu (2012-01-14 20:56) 

SORI

kazuさんの正確な道順の説明のおかげでわかりました。ありがとうございました。
来年は月曜日ですね。
by SORI (2012-01-14 21:01) 

kazu

SORIさん、おはようございます。

十九夜講の記念碑建ての日取りが決まりましたのでお知らせします。

福蔵院の境内で、3月1日(土)10時より始めるとの事で、次の日の午後1時から供養祭ですから雨天決行です。

庚申塔もその後、庚申塚に建てる事と思います。

先ずはお知らせまで。
by kazu (2014-02-22 09:08) 

SORI

kazuさん おはようございます。
ご連絡ありがとうございます。
3月1日はゴルフを入れてしまいました。元々が3月2日だったのを3月1日に変更してもらったので、さすがにキャンセルとは行かないので3月2日の供養祭のみ、楽しませていただきます。
ほんと、残念です。

by SORI (2014-02-22 09:31) 

kazu

SORIさん~、

そうでしたか、それは残念でした。
私が写真だけ撮っておきますね。
by kazu (2014-02-22 10:04) 

SORI

kazuさん おはようございます。
ありがとうございます。
2月20日に様子見を兼ねて犬の散歩をしているとTさんと出会いました。車で家に入っていかれるだったので挨拶が出来ました。辻切りの時に家まで車で送っていただいたTさんです。

by SORI (2014-02-22 10:20) 

kazu

SORIさん、こんにちは。

今日は暖かだったので、学校へ行く道沿いを庚申塔探しに行ってきました。
2つ見つけましたよ。一つは八千代病院の信号を右に曲がって50mほどの左側。
もう一つは、三山塚へ折れる道の先、米本方面20~30m先の右側です。
いずれも昔は山へ行く脇道があったところです。今は全く面影もありませんね。

画像もメールでお届けしてあります。

詳しくはメールで、画像も添付しました。
by kazu (2014-03-12 11:18) 

SORI

kazuさん こんにちは
よく見つけられましたね。これは朗報です。
そろそろ新しい庚申塔の記事を追記する準備をしていて今日も写真を撮りに行っていました。ありがとうございます。さっそく見に行ってみます。
by SORI (2014-03-12 12:25) 

kazu

SORIさん、

ゴルフ場そばにあった2つの庚申塔は、地図を見たら米本でした。
米本方面に供えた大辻の家の200mくらい先から米本になっていました。
by kazu (2014-03-12 13:15) 

SORI

kazuさん こんにちは
私も今見てきて帰ってきたところです。米本の庚申塔は形式が下高野の物と違いますね。それも面白いです。
下高野の庚申塔が2つ見つかったので十九夜塔の記事の中の表は修正しておきました。
by SORI (2014-03-12 13:42) 

kazu

SORIさん、こんにちは。

ご苦労様でした。
そうですね、庚申塔の文字のデザインが違いますよね。
十九夜塔の記事の中の表の修正ありがとうございます。
だんだん空白が埋められていきますね。
もっとほかの人にも聞いてみますね。
by kazu (2014-03-12 17:28) 

SORI

kazuさん こんばんは
それにしても、よく見つけられましたね。聞いていなければ見逃してしまいます。
by SORI (2014-03-12 19:15) 

kazu

SORIさん、おはようございます。

庚申塔を年代順に表にまとめられて、よくわかりますね。
ご苦労様でした。
「道標と兼ねた庚申塔が限られた期間だけに存在するのは興味深いことです」
この記事も興味深く拝見しました。
ありがとうございます。
by kazu (2014-03-16 07:46) 

ちゅんちゅんちゅん

おはようございます!
道標 見かけなくなりましたが
鳴海の旧道には残っているかもしれません。
今度 じっくり観察してきます。
by ちゅんちゅんちゅん (2014-03-16 08:22) 

PENGUIN

SORIさん、おはようございます。
たくさんの庚申塔が建てられているのですね。
我が町にもあるかも知れないので、見てきます。
by PENGUIN (2014-03-16 09:44) 

cocoa051

おはようございます。
だいぶ以前になりますが庚申塔(塚)に興味を持った時期がありました。
日々の忙しさにかまけて勉強しないままでしたが、SORIさんの記事を読みながら改めて勉強してみたくなりました。
この記事、永久保存に分類させてもらいます。
by cocoa051 (2014-03-16 09:59) 

SORI

kazuさん こんにちは
今回の記事はkazuさんから情報をいただいたおかげで書くことが出来ました。ありがとうございます。
by SORI (2014-03-16 16:54) 

SORI

ちゅんちゅんちゅんさん こんにちは
昔の道しるべを見るとロマンを感じます。特に「村」の呼び名が出てくると時代を感じます。
by SORI (2014-03-16 17:01) 

SORI

PENGUINさん こんにちは
探してみると庚申塔は沢山あります。探して歩くのも楽しいものです。
by SORI (2014-03-16 17:06) 

SORI

cocoa051さん こんにちは
現在でも講中行事が続いていて石碑も建てられているのに驚かされました。是非とも紹介したくて、まとめてみました。
by SORI (2014-03-16 17:13) 

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

このような伝統行事は大切に残していきたいですね。。
これも、この地区が住宅や道路開発されていないから、
そのまま残っているんですね。
出も、良くこれだけまとめられましたね。
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2014-03-16 23:29) 

SORI

なんだかなぁ〜!! 横 濱男さん おはようございます。
記事がまとめられたのは下高野の方のおかげです。ここにると子供のころにタイムスリップしたような雰囲気を味わえると思います。
by SORI (2014-03-17 05:47) 

サンダーソニア

うちの近くにもあったような?
道路拡張で移動されたと思います。
by サンダーソニア (2014-03-17 15:34) 

SORI

サンダーソニアさん こんにちは
今、成田空港のラウンジです。
庚申塔は道路脇にあるので拡張行使時の影響を受けますね。全国には相当数の庚申塔がありますね。でも新しいのは珍しいです。
by SORI (2014-03-17 16:29) 

youzi

こんばんは♪いつもありがとうございます。
関西にいらっしゃるのですね。お疲れ様です。
庚申塚、うちの方にも沢山あるようなので、
暖かくなったら、回ってみようかなと思いました。

by youzi (2014-03-17 21:01) 

SORI

youziさん こんにちは
庚申塔は勉強になりました。新しい発見があるといいですね。
by SORI (2014-03-18 13:35) 

kazu

SORIさん、こんにちは。

お帰りなさい。

早速、ゴルフ場内に行かれましたね。
そうなんですよね。現在の道に背を向けていますから、きっと当時は正面に道があったと思われますよね。
それと、13番の庚申塔(昭和15年)の北は「米本いなり道」となっていましたよね。
北はゴルフ場ですから、ゴルフ場内で西に向かい、そこからこの11番の庚申塔に来たのではないのでしょうか。
そして、ここは十字路になっていて、それぞれの方向へ行っていたものと思われますよね。
by kazu (2014-03-24 15:31) 

SORI

kazuさん こんにちは
昔の地図があれば解明できますね。それにしても、この庚申塔を見つけられたとは大したものです。大正十五年と昭和十五年の庚申塔も、なかなか見つけられないと思います。
by SORI (2014-03-24 15:44) 

cocoa051

ボクも庚申塔、見てきました。
近いうちにアップしようかなって思ってます。
by cocoa051 (2014-03-26 02:00) 

SORI

cocoa051さん おはようございます。
いろんな風習が残っていますね。
庚申塔の記事を楽しみにしています。
by SORI (2014-03-26 05:34) 

kazu

SORIさん、おはようございます。

昨日はご苦労様でした。
早速のアップありがとうございます。

十九夜講の石碑との対照表も充実してきましたね。
大正以降では、昭和8年頃と思われる庚申塔が見つかればほぼ目的が達成できますよね。
他の人にも聞いて、何とか探してみたいです。

昨日見つけた大正9年の庚申塔は、何かの機会に埋め戻しておきたいと思っております。
その時はご連絡いたしますので宜しくお願い致します。
by kazu (2014-03-26 07:23) 

SORI

kazuさん おはようございます。
昨日はありがとうございました。
埋め戻した大正九年の庚申塔の写真を是非とも掲載したいものです。
一覧表にして道しるべタイプの庚申塔が設置された時期や十九夜塔と対比することで、いろいろな変遷や庚申塔を建てられた皆さんの思いが感じられてきます。
by SORI (2014-03-26 07:53) 

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

庚申塔探し、、
案外、面白いかも。。。
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2014-03-26 21:06) 

SORI

なんだかなぁ〜!! 横 濱男さん こんばんは
この後は昭和八年と明治三十二年の庚申塔が見つけられると完璧になります。すでに失われているかもしれませんが、捜索は続けてみます。

by SORI (2014-03-26 22:21) 

kazu

SORIさん、こんにちは。

昨日は、寒くて畑も行けずに、勝田台の図書館に行っていました。
八千代の歴史を見ていたら、思いがけずに新しい情報を見つけました。

天明の飢饉の事がのっていました。
天明3年6月には大雨が降って利根川が決壊し、印旛沼は満水状態になり、田んぼも水で覆われたらしいです。
また夏も冷たい雨が降って、全国的に凶作のようでした。

7月には浅間山が噴火して、一面火山灰で覆われてしまったとの事でした。
世に言う「天明の飢饉」でした。

天明3年12月27日、先崎村の丈七、上高野村の三郎治、下高野村の友衛門、らが年貢不足分の10年賦上納と食料の拝借を佐倉藩に訴えようと相談し、鷲神社に集結するよう村々に触れまわったそうです。

鷲神社の集結した人々は、佐倉城の田町門外まで押し寄せて、佐倉藩が説得した結果、概ね要求は認められましたが、丈七は永牢(終身刑)、家族は村払い。
三郎治は領分払い(藩内からの追放)、家族は付き合いの禁止。
友衛門は処罰されているが不明とありました。

この百姓一揆が近隣の村々を刺激して、成田周辺の人々も佐倉城に押し寄せたとの事でした。

その後、丈七は仏門に入り、亡くなってから先崎に葬られたとの事でした。
今でも丈七の墓は、先崎の雲祥寺周辺にあるとの事です。

今度一度お寺周辺を散策して見ようと思っています。
by kazu (2014-05-07 15:16) 

SORI

kazuさん こんにちは
近隣の地域の人たちが「天明の飢饉」の事件に関わっていることが具体的な地名(先崎村、上高野村、下高野村)や名前(丈七、三郎治、友衛門)が資料に残っていることに驚かされました。鷲神社の名前まで出て来たのですね。丈七の墓が雲祥寺の近くにあることまで記載されているとはすごいです。
by SORI (2014-05-07 18:00) 

kazu

SORIさん、こんにちは。

今日、地区の集まりがあって、大正九年の庚申塔を基礎部分を埋め戻しましたよ。
時間がございましたら覗いて見てやってください。

by kazu (2014-06-15 18:49) 

SORI

kazuさん こんばんは
すばらしいです。是非とも拝見させていただきます。これで失われてしまう心配をしなくていいです。
by SORI (2014-06-15 20:07) 

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