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ジンギス・カンの墓 [内蒙古]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2024年03月09日再掲載 タイトル:ジンギス・カンの墓
内モンゴルの記事「内モンゴルの大草原」を再掲載して同じ内モンゴルの本記事も紹介したくなって再掲載することにいたしました。
元々の記事に掲載していた動画「ジンギス・カンの歌」が見れなくなったので、今回3つの動画を追加掲載いたしました。クリックすると拡大
前記時の「内モンゴルの大草原」の記事は呼和浩特(フフホト)に行った時に書いたものですが、今回の「ジンギス・カンの墓」は包頭(パオトウ)に行った時に書きました。
  2010年08月15日掲載
  2013年10月14日ブラシュアップ
  2024年03月09日再掲載 閲覧数 6,990 nice! 192 CMT 36
  2024年03月12日    閲覧数 7,296 nice! 267 CMT 48
  2024年03月14日    閲覧数 7,413 nice! 280 CMT 52
  2024年03月18日    閲覧数 7,522 nice! 288 CMT 52
  2024年03月31日    閲覧数 7,600 nice! 294 CMT 54

2010年08月15日掲載 タイトル:ジンギス・カンの墓
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今年の高校野球の吹奏楽部の演奏は宇宙戦艦ヤマトが多かったです。
以前の高校野球ですが不思議な軽快な音楽が流れていました。聞き覚えがあるのですが、なかなか思い出すことが出来ませんでした。フレーズから、やっと思い出せました。ジンギスカンの歌でした。そこで、ジンギスカンの墓の写真を紹介いたします。内モンゴルに行ったときに行く機会がありましたが、おそらく日本人でこの場所に行かれた方は少ないと思います。

ジンギスカンの墓(Genghis Khan's Mausoleum 成吉思汗陵)の建物の中央部分を拡大してみました。
チンギス・カン(1162年頃? ~1227年8月18日)は、モンゴル帝国の初代皇帝(大ハーン)で在位は1206年~1227年です。大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服して、人類史上最強と言われている世界帝国「モンゴル帝国」を築き上げた人で、いろいろと謎につつまれています。
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大きな建物なので、少し斜めから建物を撮りました。
紹介の墓は記念として1956年に作られました。チンギスカン陵(成吉思汗陵)と呼ばれており観光目的が大きいと思いますが、地元の人たちのよりどころになっているのも確かでした。地図で見ると場所はオルドスの高原の中南部で内モンゴル最大の町の包頭(パオトウ)から南に175kmの位置にありました。辺鄙な場所の上、新しい物なのに訪問者が多かったのが不思議でした。調べてみると中国の重要文化保護財に指定されていました。陵墓は敷地面積が5平方キロあるそうで、雄壮な感じがありました。
本当の成吉思汗(ジンギスカン)のお墓は見つかっていません。ジンギスカン(チンギス・カン)の死後、その遺骸はモンゴル高原の故郷へと帰ったそうです。場所は分かっていませんが地名は起輦谷で、いくつかある説の中ではモンゴル高原の中にあるヘンティー山脈の丘陵地が有力なようです。「元史」などの記述からチンギスと歴代のハーンたちの埋葬地はある地域にまとまって営まれたと見られていますが、その位置は重要機密とされ、『東方見聞録』によればチンギスの遺体を運ぶ隊列を見た者は秘密保持のために全て殺されたといわれています。また、埋葬された後はその痕跡を消すために一千頭の馬を走らせ、一帯の地面を完全に踏み固めさせたとされています。チンギスは死の間際、自分の死が世間に知られれば敵国が攻めてくる恐れがあると考え、自分の死を決して公表しないように家臣達へ遺言したとされたそうです。右下のチンギスカン肖像画はWikimediaから拝借いたしました。
建物はパオ式建築物が三つ連なり、正殿、寝殿、東殿、西殿などに分かれています。モンゴル族にとっては聖地で年に4回祭りが行われるそうです。特に3月21日は、伝統の祭祀日とされ、クリックすると拡大盛大な弔いの儀式が行われるそうです。成吉思汗の呼び方も微妙に沢山あります。
下の縦書き文字はモンゴル文字のジンギス・カンです。モンゴル文字は行が左から右へ綴られる左縦書きです。昔の日本語や中国語は右縦書きでした。
クリックすると拡大 ジンギス・カン ジンギスカン 
 チンギス・カン
 チンギス・ハーン
 Cenghis Khan 
 Čingγis Qan
 Чингис Хаан
 成吉思汗  
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こちらの人にとっては聖地ですね。建物の中では伝統的な儀式が行われていました。聞いてみると観光のためではなくて親戚が集まった記念の式だそうです。真中に積み上げられているのは羊の肉です。
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座った角度からの写真です。これらの設備が建物の中にあるのがすごいです。


建物の中ですが大事なものは四角いパオのような建物に入っていました。博物館も兼ねているようです。


謎のものが一つ! 入口からこのお墓までの道の両側にどう見ても日本の形の真新しい灯篭が並べられているのです。
ガイドの人も使われた経緯やこれが日本の形の灯篭であるとは知りませんでした。
日本向けに作られているものを、ここの建設担当者が見てこれが良いと思ったのではないでしょうか。
明らかに階段は新しいです。
       
このような旗を見るとジンギスカンの聖地と感じられてきます。
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男性が帽子をかぶっているのが印象的でした。


ジンギスカンの墓の脇には、いわくありげな塚もありました。この塚はオボーと呼ばれるようです。オボー(овоо)はモンゴルで建てられる、一種のケルン(標柱)だそうです。モンゴルの平原や平原にある小高い丘、クリックすると拡大あるいは山頂や峠のような高所に建てられることが多いそうです。オボーは主にチベット仏教の祭礼が行われる場所であるとともに、山岳信仰、テングリといった宗教的意味を示す役割もを持つそうです。右の写真は撮っている方向の角度は違いますがWikipediaに掲載されていた同じものと思われる写真です。


航空写真をやっと見つけました。4kmの一直線の道が印象的です。地図内のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。
地図には成吉思汗陵と書かれており住所は内蒙古自治区鄂尔多斯市伊金霍洛旗布拉格路とありました。近くに大伊金霍洛遺址と書かれた場所がありました。そこの住所は内蒙古自治区鄂尔多斯市伊金霍洛旗でした。
一直線に4km延びる道の左上が成吉思汗陵で左下が大伊金霍洛遺址です。遺跡に対して何らかの関係で作られたものと思われます。大伊金霍洛遺址の伊金霍洛(エジンホロ)はモンゴル語で「君主の聖地」を意味するそうです。

ジンギスカンの墓(成吉思汗陵)から大伊金霍洛遺址の方向を見た景色です。クリックすると道が真っ直ぐに4km伸びていることを感じてもらえると思います。
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真っ直ぐに延びた道から反対にジンギスカンの墓(成吉思汗陵)の方向の写真です。ただし500m離れた場所に建つ東門の内側なので墓までは300~400mの距離だと思います。
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それではネットから拝借したジンギス・カンの歌を紹介いたします。是非とも、プレーボタンを押して歌を聴いてみてください。
歌っているグループ名はジンギスカン(ドイツ語: Dschinghis Khan)で1979年から1985年にかけて世界的に活躍した西ドイツの音楽グループです。
 名前 Dschinghis Khan
 結成 1979年(6人)
 出身 西ドイツ ミュンヘン
 活動 1979年~1985年 2005年 2007年~ 4人~7人
右下の写真の6名が結成時のメンバーで、写真の左から
クリックすると拡大 Wolfgang Heichel
 Henriette Pauline Strobel-Heichel
 Louis Hendrik Potgieter ダンサー
 Leslie Mandoki
 Edina Pop
 Steve Bender      です。


上の動画が見れなくなったので、別のサイトの動画を掲載しました。
Der Auftritt von Dschinghis Khan zu „Dschinghis Khan“ bei der Starparade 14.06.1979


こちらの方が3ケ月ほど古い動画です。
Der Auftritt von Dschinghis Khan zu „Dschinghis Khan“ bei der ZDF-Disco 26.03.1979


原文はドイツ語ですが歌詞を日本語に訳したサイトがありました。 その中のジンギスカンの歌詞の日本語訳を紹介いたします。ただし日本で歌われている日本語の歌詞とは、まったく違います。SMAPの日本語の歌はこちらです。→
1000人もの男たちが草原の風をめぐって賭けをした。 そのとき、ある男が馬で前を走りぬけ、皆盲目のように それについていった。それがジンギスカンだった。 馬のひづめが砂を叩き付け、あらゆる国々に不安と恐れをもたらした。 稲妻も雷も彼らを引き止めることはできなかった。
ジン、ジン、ジンギスカン 騎手よ、皆の衆よ、騎手よ、どんどん行け ジン、ジン、ジンギスカン、さあ同士よ、さあ飲め、喧嘩せい、どんどん。
ヴォッカを取ってこい、ホホホホー だっておいらはモンゴル人だ ハハハハー 悪魔だってへっちゃらさ
ジン、ジン、ジンギスカン、男達よ、男達よ いつものように踊れよ、そして彼の笑い声が聞こえる。 ホホホホー ますます大きな声で笑う ハハハハー そして彼は壷を一気に飲み干す。
そしてなんでも気に入ったものは 自分のテントに持って入った。 世界で彼を愛さない女はいなかった。 一夜で7人の子供をもうけた。 そして彼の敵については笑うだけだった。 なぜなら彼の権力に立ち向かう人はいなかったから。
ジン、ジン、ジンギスカン 騎手よ、人々よ、騎手よ、どんどん行け ジン、ジン、ジンギスカン、さあ同士よ、さあ飲め、喧嘩せい、どんどん。 ヴォッカを取ってこい、ホホホホー だっておいらはモンゴル人だ ハハハハー 悪魔だってへっちゃらさ ジン、ジン、ジンギスカン、男達よ、男達よ いつものように踊れよ、そして彼の笑い声が聞こえる。 ホホホホー ますます大声で笑う ハハハハー そして彼は壷を一気に飲み干す。

クリックすると拡大もう一つジンギス・カンの歌(日本語)の動画を紹介します。歌っているグループは2004年1月14日~2015年3月3日に活動したBerryz工房です。
右の写真はフリー百科事典Wikipediaから転用させていただきました。
歌の歌詞はこちらです。→ポチッ


日本語のジンギスカンの歌の歌詞を紹介します。上で紹介した原文のドイツ語の歌詞を日本語に翻訳したのとは全く違います。上のBerryz工房の動画を見ながら、この歌詞を目で追ってみてください。SMAPもこちらの歌詞の歌です。
チャンスを待つよじゃ あいつに負ける ウッハ ウッハ 二度とは燃えない 嵐が吹くぜ ウッハ ウッハ
キラキラ輝く御殿 ひとめぼれしたあの女 黄金(こがね)をつかむのさ ウッハ
ジンジンジンギスカン ヘイ ブラザー ホー ブラザー ナイス ブラザー ゴー ブラザー ジンジンジンギスカン ヘイ ライダー ホー ライダー ナイス ライダー ゴー ライダー 若者ならワッハハハー チャンスだ今 ワッハハハー 一緒に手をかざせ
ジンジンジンギスカン ヘイ ブラザー ホー ブラザー ナイス ブラザー ゴー ブラザー ジンジンジンギスカン ヘイ ライダー ホー ライダー ナイス ライダー ゴー ライダー 若者ならワッハハハー チャンスだ今 ワッハハハー お前も手をかざせ
打ったら攻めろ むかえ撃ちつぶせ ウッハ ウッハ あとにはひかない 突撃ジンギスカン ウッハ ウッハ
骨までしゃぶる悪玉を 右や左で切りきざみ 勝利をつかむのさ ウッハ
ジンジンジンギスカン ヘイ ブラザー ホー ブラザー ナイス ブラザー ゴー ブラザー ジンジンジンギスカン ヘイ ライダー ホー ライダー ナイス ライダー ゴー ライダー 若者ならワッハハハー チャンスだ今 ワッハハハー 一緒に手をかざせ
ジンジンジンギスカン ヘイ ブラザー ホー ブラザー ナイス ブラザー ゴー ブラザー ジンジンジンギスカン ヘイ ライダー ホー ライダー ナイス ライダー ゴー ライダー 若者ならワッハハハー チャンスだ今 ワッハハハー お前も手をかざせ

クリックすると拡大内モンゴルの代表的な都市の一つである包頭市(包头市)からジンギス・カンの墓への道を青色ラインで紹介します。五當召(五当召)はすでに紹介したラマ教の聖地です。
 ジンギス・カンの墓
 包頭市
 五當召(五当召)

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冒頭の内モンゴルとモンゴル国の小さな地図のフルサイズを掲載します。
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