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竹の径(たけのみち) 洛西 [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大上の写真が前記事および前々記事(物集女車塚古墳)で掲載予告をしていた竹の径(Takenomichi)です。2019年10月19日に参加した第76回ハイク「京都洛西の竹林と古墳巡りハイク」のメインイベントである「竹の径」を紹介いたします。名の通り竹林の中に作られた道です。

本写真は竹の径の入口近くあった案内板です。赤い字で現在地と書かれているのが次のGoogle地図のと書かれているところです。道の形が違うように見えるかもしれませんが案内板は右方向が北なので、左に90度回転してもらうと、次の地図の竹の径の形に似てくると思います。
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下記の地図のように竹の径への主な入口は4ケ所( )あります。今回は竹の径の入口から竹の径の入口に歩きました。竹林公園から竹の径の入口は雨も降っており時間を短縮するために残念ながら歩きませんでしたが、十分に満足できる景観に出会えました。②~③の道には西ノ岡竹林通という名もついています。本記事では竹の径の入口から竹の径の入口までを順に紹介したいと思います。
 緑色ライン(━━) 竹の径(たけのみち)
 青色ライン(━━) 竹林道
 橙色ライン(━━) 歩いたルート


こちらが竹の径の出発地点です。上の地図の竹の径の入口です。この幹線道路は御所海道です。
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入口から見た竹の径方向です。この辺りは右側だけが竹林ですが、進んでいくと冒頭の写真のように左右ともに竹林になります。画面では分かりにくいけれども上り坂です。竹で作られた垣根である竹垣が見事です。この竹垣の名前は竹穂垣(たけほがき)です。
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竹林の中を撮りました。立派な竹でした。濃い緑の竹でなく黄色の肌の竹も沢山ありました。
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上り坂なのが分かってもらえると思います。この写真の左側は竹林の中に作られた向日回生病院です。カーブミラーのポールに竹の径の表示があります。参考ですが向日回生病院の住所は京都府向日市物集女町中海道92-12です。
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本格的な竹の径に出ました。竹垣のタイプも変わりました。2種類の竹垣が使われていました。この2種類を組み合わせた竹垣が「来迎寺垣(らいこうじがき)」なのです。物集女町にある紫雲山来迎寺にちなんで名づけられたそうです。長めに切り揃えられた竹穂垣と扉の配置が特徴的だそうです。
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道の両側に竹垣がある景観は見事です。ここのエリアは左側が竹林です。道の両脇に立つ竹垣には、竹の枝を約1.5メートルの高さで束ねて並べた「竹穂垣」を始め、「来迎寺垣」「かぐや垣」「物集女垣」「寺戸垣」「古墳垣」「深田垣」「海道垣」の8種類で構成されているそうです。
ここの竹垣も上の写真と同じ「来迎寺垣」です。
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竹林の方を撮りました。平安京を「洛」と表現した区分が今でも使われています。今回の場所は洛西(らくさい)になります。洛東と洛北と洛西と洛南をまとめて洛外(らくがい)と言います。京都だけで使われる「洛」は「都」を意味しており、由来は中国の洛陽が唐の副都であった時代に遡るそうです。洛陽と言えば龍門石窟に行ったことを思い出します。
 洛中(らくちゅう) 上京、中京、下京の各区の辺りの呼び方
 洛東(らくとう)  左京区銀閣寺辺りから東山区まで
 洛北(らくほく)  北区上賀茂から北大路通辺りまで
 洛西(らくさい)  右京区南部から西京区、乙訓辺り
 洛南(らくなん)  九条通り以南、伏見辺りまで
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見事に手入れされた竹林でした。
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竹の径は向日丘陵の中にあります。竹林と言えば竹の子(筍)です。筍は向日市の特産品でもありますが、向日丘陵の竹林では工芸や建築用の竹の生産が本業であることを竹林公園で教えていただきました。だからこそ竹垣で竹の径を整備しいてるのだと感じました。
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こちらは脇道です。竹林を管理している人が使うのだと思います。私有地になるので我々は入ることは出来ません。切った竹が置かれています。これも意味があることを後で知りました。
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ここの竹林の竹も見事でした。
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竹の葉の写真です。風を感じます。
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竹垣のタイプが変わりました。
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この竹垣のの名前は「かぐや垣」でした。説明によれば竹筒と竹穂を組み合わせた珍しい竹垣で、竹筒の長短によりかぐや姫の着る十二単衣の袖元をイメージして命名されたようです。
竹垣の名前の「かぐや垣」の文字が一瞬「かぐや姫」に見えてしまいました。
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また違った竹垣が現れました。こちらの竹垣は「海道垣」だそうです。
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海道垣が続く景観は見事でした。
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分かれ道(T字路)に出ました。右方向に竹の径が続いています。
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右に曲がってすぐに撮った景観です。
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真直ぐに続いていました。見事なので少し進んだところで全員で記念写真を撮ることにしました。全員で撮るために少し重いけれども小形の三脚を持ってきたのです。
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右の写真の三脚を使って全員で撮った記念写真です。大きな一眼レフでも使える頑丈な小形の三脚です。クリックすると拡大重い一眼レフは持ってこなかったのでコンデジで撮りました。三脚は縮めると188mmですが写すときは477mmになるので地面から約500mmの高さの写真です。一番左側が私です。竹穂垣が途切れているところは竹林への出入口です。関係者以外は入れないように竹で編んだ門扉が付けられています。
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ここの「竹穂垣」は長く続きました。
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竹林に入るためのところは開けてありました。
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竹の子販売店の看板がありました。ほんまもん 物集女特産たけのこ 和田農園と書かれていました。期間は4月上旬~5月上旬と書かれていました。
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四叉路に出ました。金属製の柵の内側は竹林公園でした。昼食場所の竹林公園の近くまで来たのです。
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竹林公園の正門方向に行く道です。左の金属製の柵内が竹林公園です。
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上の写真のカーブミラーの部分を拡大いたしました。右方向(実際は左方向)から歩いてきました。左方向(実際は右方向)の道は昼食の後に歩く竹の径です。左端(実際は右端)に立っているのが写真を撮っている私です。括弧内に「実際は」と書いたのは鏡だから左右反対に写っているからです。
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四叉路の4方向の道が写った写真を紹介します。左の道から歩いてきて、手前の竹林公園の正門に向かっています。向こう側の道が昼食後に歩く竹の径で東向日駅の方向です。右の道に進むと竹林公園の南入口と子供の広場に行けます。朝食後はこの右の道からこの四叉路に戻ってきました。
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竹林公園内のあずまや(四阿 or 東屋)です。由緒ある石仏も沢山見えました。
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竹林公園の正門(北入口)です。正式名は京都市洛西竹林公園です。ここから園内に入って先ずは昼食予定場所の竹の資料館に行きました。竹林公園内は本記事では割愛したいと思います。次の記事で紹介します。
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クリックすると拡大竹の資料館および竹林公園園内は飲食が禁止されていたために竹林公園に隣接した子供の広場のあずまや(四阿 or 東屋)で昼食にいたしました。右のように「飲食は子供の広場でお願いします」と書かれていました。下の写真が昼食を食べたあずまやです。竹の資料館からこの子供の広場に来るまでは雨が土砂降りでした。雨が止んでから出発いたしました。
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子供の広場で昼食を食べて、すでに紹介した四叉路に戻ってきて東向日駅の方向の竹の径に入った最初の景観です。初めて見る竹垣が続いていました。
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竹垣ま名前は物集女垣でした。名前は地元の物集女町に由来していて、前記事で紹介した中世の物集女城の城壁をイメージして考案されたそうです。竹の表面を縦横に配して竹の表面の美しさを強調したそうです。
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竹の子が出た時の皮が竹の根元に残っていました。今年に出た竹なのだと判ります。竹の子が出てから半年近くたっているにも関わらず竹も川も生き生きとした色合いでした。
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こちらでは左右が違う竹垣になっていました。右が「竹穂垣」で左が「深田垣」です。
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赤色の案内板は119番通報ポイントです。119番に電話した時に「向-01」と伝えればこちらの位置がすぐに分かるのだと思います。救急車や消防車をイメージしているのだと思います。他にも案内板がありました。
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農家組合からは「たけのこは大切な親竹です。みんなで大切にしましょう。」との案内でした。下は各場所への所要時間が書かれていました。「寺戸大塚古墳 徒歩1分」の表示をこの時に読んでいたら、寺戸大塚古墳を見落とすことはありませんでした。
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竹の径はまだまだ続いていました。
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右側明るく開けたところに出てきました。また左右違う竹垣になりました。左側は「竹穂垣」です。右側の竹垣の名前は後で調べて分かったことですが「古墳垣」でした。つまり「古墳垣」の右側の丘が寺戸大塚古墳だったのです。クリックして拡大すると小さな石柱があるのが分かると思いますが、その小さな石柱にが、ここが寺戸大塚古墳であることを示していたのです。
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上の写真を目いっぱい拡大したのがこちらの写真です。実は「古墳垣」の範囲にはもう一つ石柱が建っていたのです。この写真よりも大きな石柱です。
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大きい方の石柱も撮った写真の中に写っていました。竹の径を振り返って皆を撮った写真の中に写っていたのです。
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クリックすると拡大角度の関係から私の写真に写った大小の石柱の文字を読むことが出来ないので、ネットから2つの石柱の写真を転用させていただきました。背景に寺戸大塚古墳が写っています。寺戸大塚古墳を紹介します。
 全長  98m
 後円部 直径54m 高さ10m 三段築成
 前方部 幅45m        二段築成
 くびれ 幅35m
 史跡  国の史跡
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古墳の大きさのイメーシジを感じるために古墳の配置図とGoogle航空写真の縮尺を合わせてみました。Google地図に書かれていた緑色文字の寺戸大塚古墳のマーク(私が書いたマークの下に隠れている)が円方部の中心であると仮定しているので、位置に関しては若干(数m)のズレはあるかもしれません。
航空写真の中に引いている2本のクロスの黄色の線は98mと54mです。




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 全長    98m
 後円部直径 54m 

この写真のすぐ右側に小さい方の石柱が立っているはずです。私の建っている右・真横が古墳の後円部の丘です。「古墳垣」は前方後円墳の丸みを帯びたイメージで考案したそうです。職人の技で生かされた竹垣です。
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クリックすると拡大寺戸大塚古墳の写真を撮っていなかったのでGoogle地図ストリートビューを掲載させていただきました。丘の頂上が後円部の頂上です。左右に回転させると上で紹介の2つの石柱が確認できます。


ここの竹の多くは建築材料や竹細工の材料なるものです。長期間、ここにあるように置いておくことで風合いを出しているそうです。沢山並べられています。
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また「竹穂垣」になりました。そしてさらに奥が「寺戸垣」となっています。Googleのストリートビューで探すと④に抜ける竹林道にも「寺戸垣」がありました。
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上の写真の「寺戸垣」の部分を拡大いたしました。これで8種類の竹垣全て紹介したことになります。寺戸垣は地元寺戸町に由来して、つけられた名前で、格子の間から見える景色が趣があるそうです。結び目の位置や格子の間隔に職人の技生かされているそうです。
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また「竹穂垣」になりました。竹の径で最も多く使われている竹垣だそうです。竹の枝のボリュームを十分に生かした作りです。この記事の最初に使わさせてもらった写真です。竹垣もきれいな上にまっすぐに上に伸びた太い沢山の竹も美しいです。この竹の径は京都においては「京都府景観資産」や「京都府文化的景観」に選定され、全国レベルでも 「全国遊歩百選」や「歩きたくなるみち500選」に認定されているそうです。
竹林浴の地としても人気のようです。
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カーブした竹の径もきれいです。
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8種類の竹垣をバラバラに紹介したのでここでまとめて紹介したいと思います。編集が間に合わなかったので、とりあえずこの8枚の写真はネットの写真を使わさせていただいています。 追伸:自分の写真を下に並べてみました。
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竹穂垣      来迎寺垣     かぐや垣     物集女垣
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寺戸垣      古墳垣      深田垣      海道垣
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竹垣の最後の写真から少し進むと、平安時代の第50代天皇である桓武天皇の皇后である藤原乙牟漏(天之高藤広宗照姫之尊)の御陵である高畠陵か゜ありました。藤原乙牟漏は平城天皇(第51代)と嵯峨天皇(第52代)の生母です。ここに来ると竹の径もほぼ終了です。
 氏族 藤原氏(式家)
 父親 藤原良継
 母親 阿倍古美奈
 夫  桓武天皇
 子女 平城天皇 嵯峨天皇 高志内親王
 諡号 天之高藤廣宗照姫之尊
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高畠陵に対する宮内庁の注意書きありました。
 1.みだりに域内に立ち入らぬこと
 1.魚鳥等わ撮らぬこと
 1.竹木等を切らぬこと
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ここでもみんなで記念写真を撮りました。私は右から3人目です。
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高畠陵は航空写真のように竹は生えていないので、円墳の形がよく分かります。直径約65メートル、高さ約7メートルの円形をしています。もとは古墳時代前期の円墳であったとされています。
古墳としての名前は伝高畠陵古墳です。
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伝高畠陵古墳の位置と共に今回の第76回ハイクに関連した物集女車塚古墳と寺戸大塚古墳と五塚原古墳の位置と大きさの規模を示した地図をネットから転用させていただきました。
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クリックすると拡大右の写真の標識の位置である竹の径の入口③から住宅地に入ります。したがって、今回の「竹の径」の記事は、ここで終了したいと思います。元の計画では、この後は五塚原古墳と文化資料館に寄ってから阪急・東向日駅に行く計画で下が、雨も降ったり止んだりが続いていたことから東向日駅に直行することにいたしました。つまり皆さんの気持ちは打ち上げ飲み会ムードになっていたのです。


朝一に洛西口駅に到着した人から頂いた阪急電車発行のパンフレットの中の悠遊一日機構マップ(洛日口コース)では洛西口駅を出発して洛西口に戻る竹の径の入口から竹の径の入口に抜けるルートが書かれていてのでマップを紹介します。小さなリュックに入れていたので、しわくちゃになってしまいました。クリックすると拡大するので文字が読めるようにはなりますが、しわも確認出来ると思います。歩いていない竹の径や竹林道をGoogleストリートビューで確認したところ美しい景観が多いという意味において、お薦めは我々が歩いたのコースだと確信いたしました。
本案内図にも入口の①②③④を書き込みました。ただしの辺りには道が書かれていないので大凡の位置に書き込みました。
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京都府の向日市観光協会サイトに掲載されている竹の径イメージビデオを紹介します。先ずは竹の径を見てもらいたくて、LoopとStart機能を使い、竹の径の動画が始まる1分41秒からビデオが始まり終了した後に、頭から繰返し見れるように設定しています。竹の径の動画は走っている車から撮られています。前半は竹林の映像です。かなり前に撮られたビデオのようで画質は良くありませんが雰囲気は伝わるかもしれません。


京都中心から方向が分かる地図を掲載いたします。

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