岩徳線に乘りました。 [山口県]
前記事に追加する形で紹介した通り、関西に滞在(9月20日~28日)している時の9月25日に実家の宝塚から日帰りで山口県の周防久保に墓参りに行きました。山口県の墓参りの行き帰りのルートは下記の通りです。写真は岩徳線の一両編成のディーゼル車です。小学生の頃は蒸気機関車でした。周防久保(バス停名:久保駅前)は私の祖父・祖母が住んでいた場所です。私が子供の頃(右下の写真)には広島の井口から祖父・祖母の家に行く時には岩徳線に乗りました。子供の頃の右下の写真をクリックすると大きく拡大します。私が最後に岩徳線に乗ったのは20歳の時なので、今回の墓参りでは、岩徳線に乗るのも目的の一つでした。今までの墓参りでは母の弟にあたる私の叔父さんが新岩国から車で送ってくれたので岩徳線に乗る機会はありませんでした。2017年12月26日からは新岩国から墓までと岩国の近くの昼食場所までは私が運転するようになりました。2019年9月21日の墓参りを最後に叔父さんが車の免許を返納したため、レンタカーを使うか、徳山からタクシーで往復するのが一番順当な方法なのですが、新型コロナのために今回の墓参りは母は行かなかったので私一人で身軽だったことから岩徳線に乗ることにいたしました。
行き:逆瀬川→(阪急)→宝塚→(JR)→新大阪→(新幹線)→徳山→(防長バス 330円)→久保駅前
帰り:周防久保→(JR岩徳線)→岩国→(JR山陽本線)→広島→(新幹線)→新大阪→(JR)→大阪→(阪急)→逆瀬川
前記事で予告した通り、周防久保駅や岩徳線などを詳しく紹介いたします。下の帰りの周防久保から新大阪までのタイムスケジュールです。右の小さな画像は往路と復路のタイムスケジュールです。クリックすると読める大きさに拡大いたします。周防久保への行き(往路)は次の記事「周防久保への旅も紹介します。」を見てください。
こちらが岩徳線の周防久保の駅舎です。岩徳線は1929年4月5日に麻里布~岩国(2.3km)で開業しました。その後徐々に西に延びて周防久保駅が開業したのは1934年3月28日です。10年間(1934年~1944年)だけですが山陽本線として運用されたこともありました。現在の住所は山口県下松市大字河内795です。
タクシーは常駐していませんが、電話番号が書かれたタクシー会社の看板が立てられていました。
駅舎の中に入いると予想した通り無人駅でした。自動改札機はなく出入りが自由な駅でした。無人駅化されたのは1982年3月10日だそうです。
周防久保駅にあった時刻表も写真を撮ったのですが光が反射して見にくいので転記いたしました。右の小さな写真が撮った写真です。画面をクリックすると大きな時刻表の写真を表示します。
上の駅舎の中の写真でホームとの通路口の右の壁にあるのが時刻表です。
周防久保から大阪までの切符は事前に買っていましたが、記念のために自動券売機で1番安い切符を買いました。徳山から岩国までの全駅を紹介します。森ヶ原信号場は駅名ではありません。営業距離は47.1kmです。周防久保から150円で行けるのは大河内だけです。徳山方向の1駅の生野屋までは190円です。
徳山→櫛ケ浜→周防花岡→生野屋→周防久保→大河内→勝間→高水→米川→周防高森→玖珂→欽明路→柱野→(森ヶ原信号場)→川西→西岩国→岩国
岩徳線は単線ですが、周防久保駅は2線になっていて上りホームと下りホームがあります。
ホームに入って岩国方面を見た景色です。跨線橋(こせんきょう)には煤(すす)の汚れはないので、蒸気機関車が通っていたころは跨線橋は無かったのだと思います。私のかすかな記憶でも、線路に通路があり、そこに降りる切込みの階段があっような気がします。その頃でも珍しかったので記憶に残っているのだと思います。別の駅での記憶の可能性もありますが、周防久保以外の田舎の駅に降りる機会はなかったと思います。掲載した時は跨線橋の部分を陸橋と書いていましたが、次の記事のコメントでtommy88さんに跨線橋と教えていただいたので修正いたします。道路を跨ぐ場合が陸橋で線路を跨ぐ場合が跨線橋だそうです。
跨線橋の上から徳山方向を撮りました。
こちらが跨線橋から見た岩国方面です。
拡大すると単線であることが分かってもらえると思います。
跨線橋の上から見た駅舎です。
下りホーム(徳山方面)からみた駅舎です。
周防久保の駅名標(えきめいひょう)を撮りました。徳山方向の隣りの駅名が生野屋(いくのや)で、岩国方向の隣りの駅名が大河内(おおかわち)です。
ホームを徳山方面に進んで撮った駅舎です。
下りホームからだと徳山方向の線路のカーブがよく見えました。上の写真を撮った同じ位置から撮りました。
駅の南側に広がる景色です。
今度はホームを岩国方向の端まで歩いてきて駅舎方向を撮った写真です。長いホームです。今は、ほとんどの列車が1両編成ですが、昔は長い列車が走っていたのだと思います。調べてみると周防久保駅が出来て岩国から徳山に路線がつながった1934年12月01日から1944年10月11日までは山陽本線の一部として運用されたそうです。複線化の計画に伴いもう一本長大トンネル(欽明路トンネル)を通さないければならないことから複線化は元の山陽本線(柳井線)で行うことになり、1944年に山陽本線が元に戻ったことから岩徳線の山陽本線としての運用は10年間のみになったそうです。
気になる標識があったので写真を撮っておきました。
列車が来る時間が近づいて来たので、列車に乗る方の上りホームに戻って列車が最初に見え始めるホームの端まで行きました。この線路の先から乗る予定の列車が来るはずです。
同じ位置から駅舎の方を振り返った景色です。この写真でもホームの長さが実感されます。
11時33分発の列車がカーブの部分に見えました。
近づいて来たところでもう一枚撮りました。
さらに拡大いたしました。この写真が冒頭の写真です。 kazu-kun2626さんと旅爺さんさんに、このディーゼル車がキハ40とコメントで教えていたただ来ました。Wikipediaで確認すると1977年から1982年にかけて日本国有鉄道(国鉄)が製造した気動車(ディーゼル動車)だそうです。正式名は国鉄キハ40形気動車で、キハ40形(2代)、キハ47形、キハ48形の3形式およびこれらの改造により発生した派生形式を指し、888両が製造され、今でも日本全国ならびにミャンマー国鉄で使われているそうです。
停車しました。手前の後部の入口が開くのを待って乗りました。先頭側が降り口です。乗ってから発射するまでに十分に余裕があることが分かりました。
岩徳線は車掌が乘っていないワンマン列車でした。左が進行方向です。ワンマン列車のため切符の回収などに時間を見ているために停車時間に余裕があったのです。
乘って先頭側を撮りました。運転士の人が客室側に出てきて降りる人の切符を受け取ります。
後部側の乗車専用入口側です。右側から乗りました。
ほほえましい光景なので紹介します。私の前の人が手を振っていました。
後ろ撮りました。単線です。
周防久保から3つ目の高水駅です。周防久保との間の駅は大河内と勝間です。高水は祖父祖母と縁があると聞いていたので写真を撮りました。高水のどのような場所に縁があったのかは母も詳しくは知りませんでした。
高水の辺りも、のどかな懐かしい景色が続いていました。
小川が流れる景色です。川の名前は石光川です。瀬戸内海の光市あたりに流れ込む島田川の支流です。
6つある4人ボックス席にゆったりと1人で座りました。高水駅を出た辺りが最も人が少なくなり4人ボックス席も空のところもありました。ちなみに周防久保駅を出たところでは、全て1人でした。新型コロナの影響だと思いますが、乗車人数が増えた岩国到着寸前でも、すべての4人ボックス席は1人だけでした。残りの人は全て長椅子席に座られていました。
田園風景が続きました。
さらに田園風景を紹介します。
このような景色が続きましたが、少しづつ開けてきました。
周防久保駅から5つ目の周防高森駅の前です。大きな建物は日本酒の純米大吟醸で有名な獺祭の旭酒造の建物で、建物に大きく獺祭と書かれていました。蔵元はここから8kmほど山間部に入ったところにあります。ここは獺祭(だっさい)の故郷だったのです。
蔵元のストリートビューはこちらです。→2013年 2018年
この道は新岩国から周防久保に車で行く時に通った道です。
車の助手席から岩徳線の列車を2016年12月25日に撮った写真がこちらです。いつかは乗ってみたいと思いましたが、3年9ケ月後に実現いたしました。
周防高森駅の次の玖珂駅です。
錦帯橋のところを流れる錦川を渡りました。
錦川の向こう岸の道もよく通りました。景色に見覚えがあります。新幹線の新岩国駅に近い場所です。
左に線路が見えてきて我々の岩徳線に合流いたしました。錦川鉄道が運営する錦川清流線でした。錦川清流線を左に進んだ最初の駅が清流新岩国駅で新幹線の新岩国駅に近接しています。錦川清流線の下の道路は山口県道1号岩国大竹線です。広島県の大竹市まで伸びていて広島県側の呼名は広島県道1号岩国大竹線です。両県で県道1号になっていることから重要な道路なのだと思います。
2枚上の写真の中の古びた鉄橋が錦川清流線です。鉄橋の部分を切り取って拡大いたしました。
錦川清流線は1987年に旧・国鉄特定地方交通線の岩日線を転換して開業した川西駅(岩徳線)から錦町駅までの路線です。起点の正確な場所は岩徳線の川西駅と柱野駅との間の森ヶ原信号場です。まさにこの写真の少し先でした。ほぼ全線が錦川沿いを通っており、路線名はそれに因んでいるそうです。
岩徳線と錦川清流線の分岐点の森ヶ原信号場当たりの航空写真を紹介します。
ここが上でも紹介している川西駅です。駅名標(えきめいひょう)の一部しか写っていませんが、左の一番下に書かれている駅名が錦川清流線の清流新岩国(せいりゅうしんいわくに)です。岩徳線の左方向の駅名は柱野(はしらの)で、右方向が西岩国(にしいわくに)です。
錦川清流線方面の列車の発車時刻は7:06 9:39 10:02 11:20 14:28 16:13 17:52 19:13 20:26 21:42です。一方、新幹線の新岩国との乗換駅の清流新岩国駅の川西(岩国))方面への出発時刻は 6:33 7:48 9:21 10:43 13:25 15:12 16:57 18:35 19:53 21:09です。清流新岩国から川西までの所要時間は7分で、清流新岩国から岩国までの所要時間は17分です。周防久保方面からの岩徳線から新幹線の新岩国駅に錦川清流線で行く方法もありますが、両方共に本数が少ないことから川西駅の一つ手前の柱野駅からバスか徒歩で行く方法があります。ただし徒歩の場合は約3.0kmを歩く必要があるので右のタイムテーブルのバスがお勧めです。
川西駅から錦帯橋まで1.4kmなので、錦帯橋に行ったことが無い人にお薦めなのが川西駅から徒歩で錦帯橋まで歩き周辺で観光をしてバスかタクシーで新岩国駅に行く方法です。今までに紹介したことのある100種類のソフトクリーム専門店や白へび館があります。時間があれば岩国城にも行けると思います。調べてみるといわくにバス(350円)が本数が沢山出ています。本数は少ないけれども防長バス(350円)も走っています。距離は5.3㎞なのでタクシーで行っても料金は2170円程度のようです。
錦帯橋および新岩国周辺をGoogle地図の航空写真で紹介します。青色ラインは記事の中で紹介した川西駅→錦帯橋と柱野駅→新岩国駅の2つの徒歩ルートを示しています。
川西駅 岩徳線
錦帯橋
白へび館
岩国城
柱野駅 岩徳線
清流新岩国駅 錦川清流線
新岩国 新幹線
森ヶ原信号場 岩徳線と錦川清流線の分岐点
広島の井口に住んでいたころに聖モニカ幼稚園の遠足で錦帯橋に来た時の写真を紹介します。黄色の丸印(○)が私です。クリックして出てくる拡大写真には丸印は付けていませんが右から4番目で判ると思います。
川西からは山の上の岩国城が見えます。岩国城の下には有名な錦帯橋がありますが、低い位置にあるので建物のために錦帯橋自体を見ることは出来ませんでした。錦帯橋までの距離は徒歩で行ける1.5kmです。岩国城は隣の西岩国駅からも見ることが出来ますが、若干ですが川西駅の方が近いです。岩国城が建っている山の尾根の左端に建物が見えますが、この建物はロープウェイの山上駅です。
錦川を渡りました。この川の先に錦帯橋が錦川に架かっています。
川西駅の次の西岩国駅に近づくと岩国城が再度見やすい角度になりました。
上の写真の岩国城の辺りを拡大いたしました。肉眼ではここまでは見えませんが、写真を拡大すると石垣もよく分かりました。
岩国駅の一つ手前の西岩国駅です。昔の木造の駅舎の雰囲気が残った駅でした。
岩国駅に着かづくと都会の雰囲気になってきました。
岩国駅到着寸前の時の車内の写真です。周防久保から乗ってから一番多い人数でした。
岩国駅に到着した乗ってきた列車です。
Google地図での周防久保→岩国のルート図を掲載します。見る時刻によって最適ルートが変わるために、岩徳線で周防久保から岩国に直接行くルート以外が表示されている場合もあります。地図内のPlus d'optionsをクリックすると現時点でのタイムスケジュールを表示します。
跨線橋からここから進む広島方向を撮りました。
乗り継ぎ時間は27分あったので昼食用の駅弁を買うために改札の外に出ました。駅構内では駅弁の販売所は見つからなかったのです。
岩国駅の前から撮った景色です。ここから10分くらいの場所に母の実家がありました。今は弟夫婦が住んでいます。
少し駅から離れて岩国駅を撮りました。私が知っている岩国駅と違い新しい建物になっていました。
これが広島駅まで乗った電車です。
車内を紹介します。出発した時は空いていましたが、広島に近づくと通学の学生の人も乗ってきて席は70%程度埋まり、立っている人も出るほどでした。
岩国駅では昼食用の駅弁が見つけられなかったので、宮島名産の竹輪と瀬戸内名産の鯛竹輪とビールを買って旅の雰囲気を楽しむことにいたしました。大きな竹輪だったので、広島駅でお弁当を追加で買う必要もなくなりました。
宮島は大きな島なので、かなりの間、海を挟んで宮島が見えていました。
宮島口駅です。宮島口は宮島の最も北東部分(広島に近い方向)の対岸にあります。厳島神社も宮島の最も北東部分にあります。子供の頃によく行った宮島に行ってみたいです。ルートを工夫すると墓参りの時に行けるかもしれません。
ここでも幼稚園の遠足で宮島に行った時の写真を紹介します。黄色い丸印(○)が私です。クリックすると特別に大きく拡大いたします。手前から2列目の左から3番目です。
八幡川を渡りました。私が近くの井口に3歳から10歳まで住んでいたころのこの場所は目の前が海で引き潮の時は砂浜が広がっていてハマグリを獲りに来ました。私の住んでいた家の前も海で砂地を掘れば沢山のアサリが採れましたが、ハマグリは採れなかったので、ここまで採りに来たことを覚えています。
ここが私が住んでいた井口です。写っている駅は広島電鉄宮島線の井口駅です。こげ茶色のマンションのところに私の住んでいた家がありました。当時は木造の建物でした。その家の前で撮ったのが右の写真で小学校の入学式の時に記念に撮りました。現在の住所は広島市西区井口ですが、私が住んでいたころは広島市井口町でした。それ以前は広島県佐伯郡井口村でした。小学4年(10歳)の時に神戸に引越しました。私は兵庫県伊丹市に生まれて1歳の時に兵庫県伊丹市に引越して2歳の時に広島市平野町に引越し、3歳の時に広島市井口町に引越しました。私の記憶は3歳の時の平野町から井口町に引越すトラックの助手席に座っていたところから始まっています。つまり井口が住んだ中で最も懐かしい場所なのです。家の門は踏切から39mくらいの距離のところだったと思います。
その井口から、おじいちゃんおばあちゃんが住んでいた周防久保に行く場合のルートです。ルートは今も昔も同じなので私が小さい時もこのルートで周防久保に行ったのだと思います。ただし時刻は今の時刻表です。広電からJR(昔は国鉄)への乗換場所は五日市駅になっていますが、乗り換えが出来る駅は五日市駅以外に八日市駅と宮島口駅があるので、その中の3つのどこかで乗り換えたのだと思います。
私の住んでいた家の庭の南側は海に接していました。その正面の景色の写真です。夏には私や姉の同級生が庭に入ってきて写真のコンクリートの堤防の上から網に飛び込んでいましたがも海面までの高さはかなりある上に、私と姉が写った右の写真のように海面までの堤防のコンクリートの壁の途中に人が歩ける幅の段差があったので海までの距離もあるので、かなりスリルのある飛び込みでした。もちろん我々には出来るはずもありませんでした。堤防には階段が作られていて引き潮の時には下に降りてアサリや釣りのためのゴカイを採りました。砂と岩が半々ぐらいの海底でした。ゴカイは我々の親父がチヌ(黒だい)を釣るために夜釣りに使うのです。写真の中の右端の富士山のようなきれいな形をした山は似島の安芸小富士だと思います。海に建てられている沢山の竹竿は海苔の養殖用だと思います。周辺では牡蠣の養殖もおこなわれていて、岩場には沢山の牡蠣の殻がついていてよく怪我をしました。
私の住んでいたころは庭が海に接していましたが、埋め立てられて今の海岸は昔の海岸から直線距離で1.09kmの位置になっています。写真は庭から見た景色で、岩山は男明神と言われていて、今でも公園の中に残されています。右の小さな写真は現在の写真で、水が写っていますが海ではなく池です。クリックすると海側からの写真を表示します。
私の小学校4年の夏まで住んでいた井口の位置関係を現在の地図に書き込みました。赤色ライン(━━)が私が住んでいたころの海岸線です。通っていた広島市立井口小学校と聖モニカ幼稚園などの近所の場所も記載いたしました。
私の住んでいたころには男明神の横は漁港でした。上の写真でも小舟が沢山停泊しているのがわかってもらえると思います。オリジナルのGoogle地図→ポチッ
広島駅で新幹線への乗り換え時間が24分あったのでお土産に広島流お好み焼きと宮島口の名物の穴子飯ともみじ饅頭と広島菜の漬物を買いました。写真は広島を出発して13分後の景色です。周防久保駅→広島駅の現在時間でのタイムテーブルとルート図はこちらです。→ポチッ
夕食用に買ってきた広島流お好み焼きと宮島口の名物の穴子飯です。2つ買ったお好み焼き(900円x2 税込)は母とそれぞれ食べて、1つだけ買った穴子飯(1400円 税込)は2つに分けていただきました。食事をしながら墓参りの報告をいたしました。翌日には整理した写真を見てもらいました。
2020-10-04 23:59
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コメント(36)
おはようございます。写真を数えると70数枚あります(一番下のを3枚と数えて)。私の故郷の四国の海岸線、山の中の線路が懐かしく思い出されます。人口減がどれだけ進んでいるかが心配です。若い頃は車で帰りましたが、もうそんな元気はなくなりました。
by とりのさとZ (2020-10-02 06:33)
いや~いいですね
ディ-ゼルのキハ40系と
硬券にひなびた駅舎
鉄道旅はいいですね
乗ったつもりで楽しませて
頂きました
by kazu-kun2626 (2020-10-02 07:03)
オレンジ色のディーゼルカーはキハ40ですね、
爺も担当してた車両んおで懐かしいです。
田舎を走るローカルの旅は楽しいですね,それに安い!”。
車窓からもいろんな景色が楽しめたでしょう。
by 旅爺さん (2020-10-02 07:34)
ほっとするような風景が広がっていますね~(^。^)
最後の広島風お好み焼き、いいですね~♪♪
by Rinko (2020-10-02 08:13)
とりのさとZさん おはようございます。
写真枚数を数えていただいてうれしいです。ありがとうございます。
沢山掲載したくなる懐かしい景色が沢山あったので省略できませんでした。
by SORI (2020-10-02 08:47)
kazu-kun2626さん おはようございます。
ディーゼルカーはキハ40なのですね。本文に追加したいと思います。
出来る限り雰囲気を出すために撮った順に掲載いたしました。久しぶりに新幹線とは違う鉄道の旅が出来ました。
by SORI (2020-10-02 08:51)
旅爺さんさん おはようございます。
キハ40との関りが深いのにのですね。紹介出来て良かったです。田舎は雰囲気があるので沢山写真を掲載させていただきました。
by SORI (2020-10-02 08:56)
Rinkoさん おはようございます。
やはりこのルートで行ったのは正解でした。私が乗った周防久保11時33分発の次は14時08分で、その次は16時05分のため関西から日帰りするためには、岩徳線で岩国経由で帰るためには11時33分に乘るのが必須でした。岩国行の路線バスを使うとすれば12時37分発になり岩国に着く時間は13時54分となることから、今回よりは1時間23分遅くなるので宮島に寄るのは厳しくなります。
by SORI (2020-10-02 09:21)
こんにちは。切符もみるのは久しぶりです。のどかな景色が似合う電車ですね!
by みぃにゃん (2020-10-02 15:17)
みぃにゃんさん こんにちは
のどかな場所で駅とお墓の間では出会うのは通る車だけで人に会うことはありませんでした。
by SORI (2020-10-02 15:42)
緑の中にほっこりする家がありますね。
学生時代、この路線かせ堤君というのが来ていて、。寮で一緒でしたが、どうしているだろう。
by 夏炉冬扇 (2020-10-02 17:29)
夏炉冬扇さん こんばんは
この路線に住んでいる方とお知り合いとは驚きました。偶然はあるのですね。会社関係でも近くの人に何人も会いました。住んでいた場所の話をしないと判らないのでもっと沢山の人に会っていたのかもしれません。
by SORI (2020-10-02 18:14)
私は新規開拓営業で大阪から岩国まで行きました。思ったのは学生たちの顔がみな面長で吉田松陰か高杉晋作を思い出させることです。長州人というのはみんな面長なんでしょうか?
(でも安倍ちゃんはネコ顔だしカニ助先生はタヌキ顔やな)
by リス太郎 (2020-10-02 18:59)
可愛い電車ですね。
のんびりした旅もいいですね。
岩徳線の時刻表、うちの最寄りのバス停の時刻表みたいです。
昼間は2時間に1本^^
by リンさん (2020-10-02 19:34)
リス太郎さん こんばんは
人の往来が多くなってきており古来の長州人の特徴と言われる面長はこの先どうなるのでしょうね。私は昔から地域の差があると思ったことも意識したこともなかったので気がつきませんでした。
by SORI (2020-10-02 20:47)
リンさんさん こんばんは
時刻表に合わせた生活になってくるのでしょうね。それものんびりとしていいのかもしれません。周防久保の時刻表をベースにして全体の旅の計画をいたしました。新型コロナのワクチンが普及しては母が一緒に行くことになった場合は、徳山駅からタクシーで大服することになると思うのでそれませ芭いろんなルートを考えてみたいと思います。それまでの最初は錦帯橋に行って新岩国から帰る計画をしたいと思います。その次は宮島に寄る計画となりそうです。
by SORI (2020-10-02 20:58)
こういう景色の中をゆっくりローカル線で巡る旅良いですねぇ=(^.^)=
のんびりしててストレスも感じずに心が癒されるようです( ^ω^ )
by ニッキー (2020-10-02 22:21)
ニッキーさん こんばんは
ほんと、のんびりと田舎の雰囲気を満喫させていただきました。墓参りの後、時間があったので見て回りました。
by SORI (2020-10-02 22:47)
こんばんは。
周防久保、とてもいい所ですね。田舎の風景を見ていると、なぜだが心が癒されます。コロナでギュッと縮んだ気持ちが、ホッとするのかもしれません。
最後のあなご飯と広島風お好み焼き、すごくおいしそうで食べたいです。私は鰻よりもあなご派です。(安あがり?)
by coco030705 (2020-10-03 00:03)
新聞を止め、郵便物も局で預かりにして、その辺をマイカーで廻りました。
写真を見て懐かしい思い出です。
by せつこ (2020-10-03 05:54)
coco030705さん おはようございます。
たしかに田舎に行くとホッとします。
広島に住んでいた幼稚園や小学校低学年の頃は、おじいちゃんおばあちゃんの住んでいる周防久保へ行くことは、ちょっとした旅行でした。蒸気機関車や土間や五右衛門風呂が印象深く記憶に残っています。
by SORI (2020-10-03 07:09)
せつこさん おはようございます。
車での旅行に行かれたのですね。私の方は長く来るまでの旅行はしていないので、行ってみたくなります。
by SORI (2020-10-03 07:12)
錦帯橋付近は行ってみたいところの一つです。
緑あふれる沿線で素敵ですね。
by サンダーソニア (2020-10-03 10:21)
☆ SORI さま、
おはようございます。
広島にもおられたんですね。
私事恐縮です。前職(広島創業)で、広島(地方)出身の新人が東京にきて、彼らの新人教育をした時のことを思い出します。漁師言葉なのか広島弁なのか、言葉が非常にきつかったです。君は喧嘩を売っているのか?と聞くと、そうではないというんですね(笑)。
瀬戸内、本当にいいところです。新幹線でしたらあっという間に通過してしまうところでしょうが、スローな旅のほうが味があって好きです。
いつになるかわかませんが、尾道あたりから四国側にわたるサイクリングをやってみたいと思っております。
by Azumino_Kaku (2020-10-03 11:19)
いいですねぇ、一両編成(笑)!
宮島のアナゴ飯は、去年の春頃現地でいただきました。
by トモミ (2020-10-03 16:39)
サンダーソニアさん こんにちは
錦帯橋はこどものころから何度も行きましたが、見事な橋です。橋を作る匠に感心させられます。
by SORI (2020-10-03 17:21)
Azumino_Kakuさん こんにちは
ほんと、ローカル線の旅の良さを感じることが出来ました。これからも墓参りで山口県に来る時は工夫をしてみたいと思います。広島に関係した会社で仕事をされていたと聞いて不思議と嬉しくなります。子供の頃に広島にいたのに広島弁は使えませんでした。地域によって違うのかもしれません。神戸に引越した時も神戸の人達(神戸弁)よりも)よりも標準語に近かったと思います。 結局、神戸弁も覚えないで関東に来てしまいました。瀬戸内海を自転車で渡るのは気持ちがいいでしようね。関西にいるときに行ってみたかったけれども実現できませんでした。
by SORI (2020-10-03 17:32)
トモミさん こんにちは
現地で食べる穴子飯は美味しかったことでしょう。今回は岩徳線の一両編成も楽しむことが出来たし、いろんなルートがあることも判ったので、大収穫の旅となりました。
by SORI (2020-10-03 17:36)
SORIさん こんばんは、旭滝にコメントを
有難うございました。
車でないと不便なところに有りますが、
最近はレンタサイクルで立ち寄られる方が
おられます。これからは紅葉狩りに最高の
場所です。
山口県は、ドライブで何度か回りました、
可愛い一両電車で、車窓を眺めながら
ちくわに・缶ビールを楽しんでみたいものです。
by tarou (2020-10-03 21:44)
あなご飯美味しそうです(^_^)v 我が地元のJR気仙沼線は鉄路が引きはがされました(>_<)
by yokomi (2020-10-04 00:25)
tarouさん おはようございます。
実は岩国の冷えた地ビールが2種類も売られていたのですが瓶ビールだったので、お店で栓を開けてほしいと頼むと、栓抜きを置いていないということで諦めました。栓抜きを買うことも考えたのですがそこまでしなくても次の機会があると考えて缶ビールにいたしました。つまり次からは栓抜き持参ということになります。
by SORI (2020-10-04 08:27)
yokomiさん おはようございます。
時代の流れとは言え鉄道が廃線になるのは寂しいです。いろんな工夫をしてお客を呼び込んで人気が出ているところも多いですね。
by SORI (2020-10-04 08:45)
活あなご飯
美味そうに見えましたが
お好み焼きも捨てがたいです。
by tommy88 (2020-10-04 12:01)
tommy88さん こんにちは
両方買ってきたのは正解でした。お好み焼きを買ってくることを考えていたのですが、母からは宮島口の穴子飯を買ってきてほしいと頼まれたので、両方を買うことを思いつきました。
by SORI (2020-10-04 15:03)
のどかで良い景色ですね。
一緒に旅をしたような気分になります。
しかし、岩徳線の本数は少ないですね。
乗り遅れたら。。。ゾッとします。。
by 横 濱男 (2020-10-04 21:32)
横 濱男さん こんばんは
昼間は特に本数が少ないです。余裕を持って計画する必要がありますね。朝夕はお客が少ないのでしょう。
戦前・戦中の1934年~1944年は山陽本線だったそうです。
by SORI (2020-10-04 22:28)