夏越大祓の「茅の輪くぐり」 伊和志津神社 [宝塚]
以前に宝塚の逆瀬川駅の近くの宝塚聖天さんを紹介させていただきました。逆瀬川駅の近くには宝塚聖天さん以外にも寺院や神社がいくつかあるので写真を撮りに行ってみることにいたしました。この日に廻ったのは順に平林寺と宝塚神社と伊和志津神社(いわしづじんじゃ)です。その中で本記事では伊和志津神社を紹介したいと思います。実家に住んでいたころにはしらなかったのですが、平林寺は以前の記事「塩尾寺(えんぺいじ)」の中で、聖徳太子の時代につくられた摂津国武庫七大寺の一つであると記載されていただいたように、意外にも由緒ある寺院や神社が身近なところにあったことを知りました。上の写真が逆瀬川駅から歩いて5分のところにある入口の鳥居です。
鳥居の右側の柱の近くの木の幹にピンクのしめ縄が巻かれているのが印象的でした。
鳥居から真っ直ぐに伸びる参道です。この参道を進むと左に曲がります。そこに2つ目の鳥居があります。周辺は住宅ですが、神社の境内だけは緑豊かな環境になっています。
これが2つ目の鳥居です。真っ直ぐに進むと本殿正面に出ます。突き当りまで行くと左に本殿が見えます。
上の写真の参道を真っ直ぐに来ると左正面に本殿が見えます。驚いたことに本殿正面に「茅の輪(ちのわ)くぐり」が設置されていました。訪れた日は夏越大祓(なごし・おおはらえ)だったのです。Wikipediaによれば主祭神の須佐之男命は摂津国武庫郡伊孑志村(いそしむら)の産土神で、もとは伊蘇志臣の祖神が祀られていたと考えられているそうです。
所在地 兵庫県宝塚市伊孑志1-4-3
主祭神 須佐之男命
社格等 式内社(大)論社 旧村社
創建 9世紀以前
創建者 不明であるが伊蘇志臣の可能性あり
本殿様式 一間社春日造、?葺 江戸時代中期の建築
別名 伊和志豆神社
実は平林寺と宝塚神社の後は宝塚南口駅の近くにある宝塚市立文化芸術センターに行き、その後に伊和志津神社に来ました。つまり冒頭の逆瀬川駅近くの鳥居は最後に撮った写真で、最初に撮ったのはこちらです。背中側が宝塚南口駅方向で、左の道を真っ直ぐ進むと仁川駅の近くを通ります。
真っ直ぐに進むと車道も歩道もトンネルになっていました。我々が宝塚に住み始めた時には、この車道も歩道も無かったことから、道路をつくるにあたり、盛り土をして境内の下に道路を通したのだと思います。トンネルの入口まで来ましたが、境内に入る入口が見つからなかったことから、道路の向かいある駐車場の入口から入ることにいたしました。後でわかったことですが、歩道のトンネルの中に境内への入口がありました。
こちらが道路の向かいにあった駐車場の入口です。ここから入ってトンネルの上を行けば本殿まで行けるはずです。伊和志津神社の境内の広さを実感いたしました。
駐車場側の境内にも鳥居から始まる参道がありました。本殿から見ると東側になります。駐車場は写真の右奥の方にあります。つまり一旦、外に出て本写真を撮りました。
鳥居をくぐって撮った参道の写真です。本記事の最後に掲載した航空写真の説明で書いているように伊和志津神社の表参道です。つまり上の写真の鳥居が表参道の入口の鳥居なのです。
後から作られた道路のトンネルの部分です。階段を上がると道路の上の境内を進むと本殿側に同じような階段がありました。
上の写真の階段の左側に歩道のトンネルからも境内に入れることが出来る入口があることを知りました。
歩道のトンネル内の写真です。車道のトンネルの両側にある歩道のトンネルはどちらからも境内に入れました。
道路を越える高い部分に上がると本殿が見えました。右側の一番手前にあるのが手水舎(てみずや or ちょうずや)です。真新しい夏詣の幟が目を引きました。
こちらが正面から撮った手水舎です。水盤舎(すいばんしゃ)とも言われています。よく見ると水盤の部分に花が浮かべられていました。花手水(はなちょうず)と呼ばれています。
花手水(はなちょうず)の写真を紹介いたします。
花の部分を拡大いたしました。
斜めから花手水を撮った写真です。
こちらも拡大いたしました。
後ろ側からも撮りました。写真を撮られている方が多かったです。
屋根の部分も飾られていました。ガラスの風鈴と小さな笠です。
折り紙で作られた風車も飾られていました。これにはLEDと思われる照明がつけられていました。
上のLEDからは太陽光蓄電池と思われるものに配線されていたので暗くなるときれいに光るのだと思います。
女性の方が沢山来られていました。男性は私以外に1人見ただけでした。
本殿と「茅の輪くぐり」です。極力、人が写らない角度でタイミングで撮りました。写真の印象よりは沢山の女性の方が訪れていたのです。
「茅の輪くぐり」を正面から撮りました。
横の「茅の輪くぐり」の説明板です。写真をクリックすると説明分が読める大きさに拡大いたします。
クリックが面倒な方のために内容を枠内に記載いたします。
さっそく茅の輪くぐりを潜って本殿を正面から撮りました。伊和志津神社の祭事は次の通りです。この中の大祓の日に偶然にも訪れることが出来たのです。右の小さな写真はネットから転用させていただいた春祭と秋季大祭と大祓です。
春祭 4月23日24日
大祓 6月30日
夏祭 7月27日28日
愛宕祭 8月24日
秋季大祭 10月23日24日
御火焚祭 12月15日
本殿の扁額です。
車椅子でもお参りできるようにもなっていました。江戸時代の中期の建物ですが、きれいに手入れされていました。
少し離れて撮った本殿です。ここにも花で飾られた手水が写っています。
上の写真の中の手水です。
5つの石碑が納められた遥拝所がありました。
上の写真の右側のお堂の中にも沢山の石碑が納められていました。
その石碑です。
境内の遠い場所から本殿方向を撮った写真です。右側の東屋で休んでいる人が、私以外の唯一の男性だった人です。灯篭が並んだ参道を左方向に行くと冒頭の写真の逆瀬川駅に近い鳥居のある入口に行けます。加藤清正が文禄・慶長の役で朝鮮から持ち帰った虎を境内で飼育したと伝えられているそうです。
右上の緑色マークが伊和志津神社で左下の橙色マークが逆瀬川駅です。臙脂色マークは以前に紹介した塩尾寺の方向を示す道標があった場所です。逆瀬川駅と宝塚南口を結ぶ古い街道(良元街道)沿いにありました。
伊和志津神社の境内の範囲を表示します。道路が境内の下を走っていることが判ると思います。このトンネルによって県道16号線と県道337号線が短い距離でつながりました。紫色ライン(━━)が冒頭の逆瀬川駅近くの西側の鳥居からの参道で、赤色ライン(━━)が東側の鳥居からの参道です。東側の鳥居からの参道が表参道となっています。阪急電車が通って逆瀬川駅が出来たことで人の流れが変わったのかもしれません。
鳥居の右側の柱の近くの木の幹にピンクのしめ縄が巻かれているのが印象的でした。
鳥居から真っ直ぐに伸びる参道です。この参道を進むと左に曲がります。そこに2つ目の鳥居があります。周辺は住宅ですが、神社の境内だけは緑豊かな環境になっています。
これが2つ目の鳥居です。真っ直ぐに進むと本殿正面に出ます。突き当りまで行くと左に本殿が見えます。
上の写真の参道を真っ直ぐに来ると左正面に本殿が見えます。驚いたことに本殿正面に「茅の輪(ちのわ)くぐり」が設置されていました。訪れた日は夏越大祓(なごし・おおはらえ)だったのです。Wikipediaによれば主祭神の須佐之男命は摂津国武庫郡伊孑志村(いそしむら)の産土神で、もとは伊蘇志臣の祖神が祀られていたと考えられているそうです。
所在地 兵庫県宝塚市伊孑志1-4-3
主祭神 須佐之男命
社格等 式内社(大)論社 旧村社
創建 9世紀以前
創建者 不明であるが伊蘇志臣の可能性あり
本殿様式 一間社春日造、?葺 江戸時代中期の建築
別名 伊和志豆神社
実は平林寺と宝塚神社の後は宝塚南口駅の近くにある宝塚市立文化芸術センターに行き、その後に伊和志津神社に来ました。つまり冒頭の逆瀬川駅近くの鳥居は最後に撮った写真で、最初に撮ったのはこちらです。背中側が宝塚南口駅方向で、左の道を真っ直ぐ進むと仁川駅の近くを通ります。
真っ直ぐに進むと車道も歩道もトンネルになっていました。我々が宝塚に住み始めた時には、この車道も歩道も無かったことから、道路をつくるにあたり、盛り土をして境内の下に道路を通したのだと思います。トンネルの入口まで来ましたが、境内に入る入口が見つからなかったことから、道路の向かいある駐車場の入口から入ることにいたしました。後でわかったことですが、歩道のトンネルの中に境内への入口がありました。
こちらが道路の向かいにあった駐車場の入口です。ここから入ってトンネルの上を行けば本殿まで行けるはずです。伊和志津神社の境内の広さを実感いたしました。
駐車場側の境内にも鳥居から始まる参道がありました。本殿から見ると東側になります。駐車場は写真の右奥の方にあります。つまり一旦、外に出て本写真を撮りました。
鳥居をくぐって撮った参道の写真です。本記事の最後に掲載した航空写真の説明で書いているように伊和志津神社の表参道です。つまり上の写真の鳥居が表参道の入口の鳥居なのです。
後から作られた道路のトンネルの部分です。階段を上がると道路の上の境内を進むと本殿側に同じような階段がありました。
上の写真の階段の左側に歩道のトンネルからも境内に入れることが出来る入口があることを知りました。
歩道のトンネル内の写真です。車道のトンネルの両側にある歩道のトンネルはどちらからも境内に入れました。
道路を越える高い部分に上がると本殿が見えました。右側の一番手前にあるのが手水舎(てみずや or ちょうずや)です。真新しい夏詣の幟が目を引きました。
こちらが正面から撮った手水舎です。水盤舎(すいばんしゃ)とも言われています。よく見ると水盤の部分に花が浮かべられていました。花手水(はなちょうず)と呼ばれています。
花手水(はなちょうず)の写真を紹介いたします。
花の部分を拡大いたしました。
斜めから花手水を撮った写真です。
こちらも拡大いたしました。
後ろ側からも撮りました。写真を撮られている方が多かったです。
屋根の部分も飾られていました。ガラスの風鈴と小さな笠です。
折り紙で作られた風車も飾られていました。これにはLEDと思われる照明がつけられていました。
上のLEDからは太陽光蓄電池と思われるものに配線されていたので暗くなるときれいに光るのだと思います。
女性の方が沢山来られていました。男性は私以外に1人見ただけでした。
本殿と「茅の輪くぐり」です。極力、人が写らない角度でタイミングで撮りました。写真の印象よりは沢山の女性の方が訪れていたのです。
「茅の輪くぐり」を正面から撮りました。
横の「茅の輪くぐり」の説明板です。写真をクリックすると説明分が読める大きさに拡大いたします。
クリックが面倒な方のために内容を枠内に記載いたします。
夏越大祓(6月30日)
茅の輪くぐり
①正面から茅の輪を左回りにくぐり正面に戻ります。
②右回りにくぐり、正面に戻りもう一度くぐって、神前に進み御参拝下さい。
大祓とは古来らり人々が、日々生活の中で知らず知らずのうちに、犯した過ちや罪・穢れを祓い清める日本古来よりの伝統的な神事です。茅の輪くぐり、清らかな心身に返り、この夏を健康で無事に過ごせるよう願いましょう。
さっそく茅の輪くぐりを潜って本殿を正面から撮りました。伊和志津神社の祭事は次の通りです。この中の大祓の日に偶然にも訪れることが出来たのです。右の小さな写真はネットから転用させていただいた春祭と秋季大祭と大祓です。
春祭 4月23日24日
大祓 6月30日
夏祭 7月27日28日
愛宕祭 8月24日
秋季大祭 10月23日24日
御火焚祭 12月15日
本殿の扁額です。
車椅子でもお参りできるようにもなっていました。江戸時代の中期の建物ですが、きれいに手入れされていました。
少し離れて撮った本殿です。ここにも花で飾られた手水が写っています。
上の写真の中の手水です。
5つの石碑が納められた遥拝所がありました。
上の写真の右側のお堂の中にも沢山の石碑が納められていました。
その石碑です。
境内の遠い場所から本殿方向を撮った写真です。右側の東屋で休んでいる人が、私以外の唯一の男性だった人です。灯篭が並んだ参道を左方向に行くと冒頭の写真の逆瀬川駅に近い鳥居のある入口に行けます。加藤清正が文禄・慶長の役で朝鮮から持ち帰った虎を境内で飼育したと伝えられているそうです。
右上の緑色マークが伊和志津神社で左下の橙色マークが逆瀬川駅です。臙脂色マークは以前に紹介した塩尾寺の方向を示す道標があった場所です。逆瀬川駅と宝塚南口を結ぶ古い街道(良元街道)沿いにありました。
伊和志津神社の境内の範囲を表示します。道路が境内の下を走っていることが判ると思います。このトンネルによって県道16号線と県道337号線が短い距離でつながりました。紫色ライン(━━)が冒頭の逆瀬川駅近くの西側の鳥居からの参道で、赤色ライン(━━)が東側の鳥居からの参道です。東側の鳥居からの参道が表参道となっています。阪急電車が通って逆瀬川駅が出来たことで人の流れが変わったのかもしれません。