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岩国高校記念館 [山口県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大前記事で紹介した香川家長屋門の次に来たのは岩国高校記念館(岩国高等学校記念館)です。上の写真は岩国高校記念館が建っている広場の入口で二本の石の門柱は昔の岩国高等学校や岩国高等女学校に使われていた門柱と似たものです。右の写真をクリックすると大きな写真を表示するので比較しやすいと思います。下向きの黄色の矢印が私の母です。

下側の赤色マーク( )が香川家長屋門で、上側の赤色マーク( )が岩国高校記念館です。
錦帯橋→佐々木屋小次郎商店(ソフトクリーム)→香川家長屋門→岩国高校記念館→吉香鵜の里(鵜飼育施設)→岩国シロヘビ館→白山比咩神社→旧目加田家住宅→吉香公園の噴水→吉川家(岩国藩主)墓所→永興寺→錦帯橋と紫色ライン(━━)を反時計回りに歩きました。
広場に入ってすぐに右側を向くと正面に緑の中に岩国高校記念館が見えました。
岩国高校記念館は山口縣立岩國高等女學校の校舎の一部を基にして1916年に旧制岩国中学校(現在名:山口県立岩国高等学校)に建てられた御大典記念武道場です。当時の岩国高等学校及び岩国高等女学校のの雰囲気を今に伝えている唯一の建物のようです。御大典記念武道場には岩国高等女学校の建物の一部が使われて建てられたとの記載もありました。
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クリックすると拡大こちらが岩国高校記念館です。建物の中が知りたくてネットで確認すると右の写真が掲載されたサイトがありました。卒業生から講演「岩国高等学校の歴史を学ぶ」を在校生が聞く場面の右の写真が掲載されていました。想像していた以上に立派できれいに整備されていると感じました。
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こちらが正面の入口です。右側にかけられている看板には横山自治会館と書かれていることから、自治会館としても使われているようです。
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入口の屋根の部分を拡大いたしました。
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斜めから撮った岩国高校記念館です。
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宇野千代さんの石碑が建てられていました。母の出身校である山口懸立岩國高等女學校の跡地の記事の中で紹介したように宇野千代さんは山口懸立岩國高等女學校出身で最も有名な人は右下の写真の宇野千代(1897年11月28日~1996年6月10日)さんだと母が話してくれました。クリックすると拡大多才な小説家で4度結婚(藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫)するなど多くの著名人との恋愛・結婚遍歴も有名で一度は卒業名簿から除名されましたが、世の中の価値観が変わってくるとともに積極的に宇野千代の出身校であることを宣伝されるようになったそうです。小説家だけでなく随筆家、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていました。
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花水木(ハナミズキ)も有名なようです。1912年(明治45年)に日本からアメリカに3000本の桜の苗木が送られてワシントンのボトマック湖畔で見事に花を咲かせたことは有名な話ですが、その桜の苗木の返礼として1915年に花水木が送られたことはあまり知られていない話です。そのことの75周年を記念して植樹されたことを記載した説明版でした。
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こちらの出口から次の目的の吉香 鵜の里(鵜飼育施設)に向かいました。
現在の広大な吉香公園は旧山口県立岩国高等学校の跡地に造られた大公園で、日本歴史公園百選にも選ばれたそうです。岩国中学校は藩校「養老館」の流れをくみ、明治13(1880)年に養老館の跡地に創立され、明治18(188))年に現在の岩国徴古館の位置に移された後、明治34(1901)年に吉香公園の地に移転したとネットに書かれていました。岩国高校記念館は岩国中学校〜岩国高等女学校〜山口県立岩国西高等学校(後の岩国高等学校)で使われてきた由緒ある建物とも書かれていました。
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私が3歳の時の錦帯橋の前で撮った記念写真です。真ん中が岩国高等女学校に通っていた母で、1番右が岩国高等学校に通っていた叔父さんです。1番左が母方の祖母です。手前の子供が私と姉です。母も叔父さんも岩国駅近くの家から学校までの通学のために毎日約10km(往復)を歩いて通っていました。
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山口県立岩国高等学校の沿革を紹介します。2021年は創立141年になり、藩校の養老館からだと174年目になります。クリックすると拡大
一番下の写真はネットから転用させていただいた山口県立岩国高等学校・川西校舎の写真です。撮影は1963年なので5年後の1968年に岩徳線の向山の新校舎に移転いたことになります。この航空写真の場所には、元々は右の写真の母の通っていた山口県立岩国高等女学校がありました。右上の小さな写真をクリックすると9枚の写真を表示します。
青色:男子校 赤色:女子校 黒色:共通 黄緑色:参考
 1847年       前身となる藩校「養老館」が設立
 1868年10月23日 明治元年
 1880年08月15日 横山上口の養老館に山口県立岩国中学校が創立
 1884年03月01日 統合により山口県立山口中学校岩国分校となる
 1885年04月    校舎が完成(現在の徴古館の場所)
 1885年~      吉香公園(横山公園)の前身となる吉香神社の庭園整備
 1887年03月    山口中学校岩国分校が廃止、岩国高等小学校別科が設置
 1887年12月    岩国学校に改称
 1888年01月    山口県玖珂郡岩国学校に改称
 1890年04月01日 防長教育会の管理のもと私立岩国学校に改称
 1897年09月01日 私立岩国学校が県立移管 山口県尋常中学校岩国分校
 1899年04月01日 中学校令の改正により山口県山口中学校岩国分校に改称
 1900年04月01日 山口県山口中学校より分離し山口県岩国中学校に独立
 1901年05月15日 山口県立岩国中学校に改称
 1902年04月01日 山口県玖珂郡立実業補修女学校が創立(明治35年)
 1903年04月01日 横山の元・岩国中学校舎に移転
 1907年04月01日 山口県玖珂郡立岩国女学校と改称
 1909年04月01日 山口県玖珂郡立岩国高等女学校と改称
 1914年03月    宇野千代が岩国高等女学校を卒業
 1915年01月13日 岩国町大字川西の新校舎に移転 現:川西第一街区公園
 1916年06月    御大典記念武道場(現在の岩国高校記念館)が完成
 1918年10月31日 校旗を制定 八稜鏡の絵を背景に「高女」の文字を置く
 1923年04月01日 県立移管 山口県立岩国高等女学校に改称(大正12年)
 1929年04月05日 岩徳線が開業
 1940年04月01日 岩国市発足 岩国町 麻里布町 川下村 愛宕村 灘村が合併
 1941年12月08日 太平洋戦争の開戦
 1944年       光海軍工廠などへ学徒動員が開始
 1945年04月    学校での授業を停止。ただし学徒動員は継続
 1945年08月15日 太平洋戦争の終結
 1945年09月    学校での授業を開始
 1947年04月01日 学制改革 六・三制の実施
 1948年04月01日 新制高等学校 山口県立岩国高等学校(男子校)が発足
 1948年04月01日 新制高等学校 山口県立岩国第一女子高等学校が発足
 1949年03月31日 併設中学校を廃止
 1949年04月01日 統合により山口県立岩国西高等学校・川西校舎となる
 1950年04月01日 統合により山口県立岩国高等学校に改称
 1960年04月16日 川西駅が開業
 1960年11月01日 岩日線(現:錦川清流線)が開業
 1968年04月18日 岩国中学校敷地跡の吉香公園が都市計画総合公園となる
 1968年06月01日 全学年を向山の新校舎に移して川西校舎を廃止
 1999年04年01年 川西校舎跡地に川西第一街区公園を開設


昔の岩国高等学校の写真を紹介したくてネットから山口県立岩国中学校(男子校)とクリックすると拡大山口県立岩国高等女学校の写真を転用させていただきました。こちらが門の表札の通り山口県立岩国中学校です。今でも存在している吉香公園と紅葉谷公園への右の案内板が写っています。右方向が吉香公園で左方向が紅葉谷公園です。背景にある山の形状は吉香公園の岩国高校記念館あたりから岩国城天守方向の形に似ています。→ポチッ
そのことからこちらの建物は現在の広くなった吉香公園の中に建っていたと想像されます。つまり、この時代にも吉香公園があったけれども、山口県立岩国中学校の敷地外に広くなる前の吉香公園が山口県立岩国中学校の敷地外にあったように感じます。調べてみると吉香公園は1885年に旧岩国藩主であった吉川家の氏神社である吉香神社が現在の所在地(吉川氏の居館跡)へ移設されたのに合わせ、同神社の境内および付属地が庭園として整えられたのが始まりで、その時のを公園が右上の案内板で示している公園で、その後、山口県立岩国中学校が川西地区に移転して1968年4月18日に都市計画公園の総合公園の指定を受けて今に至るとのことです。
山口県立岩国中学校の名前が使われていたのは1880年08月15日~1884年02月29日と1901年05月15日~1948年03月31日です。
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こちらが山口県立岩国高等女学校の写真です。山口県立岩国高等女学校の名前が使われていたのは1923年04月01日~1948年03月31日です。門の石柱が、冒頭の写真の広場の入口の石柱と同じ形のなのが判っていただけると思います。
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今は宝塚の実家に住んでいる母の岩国女学校時代の写真を紹介します。黄色の矢印(↓)が母です。クリックすると2倍(面積で4倍)に拡大するので矢印が判りやすいと思います。表示された写真が小さい場合は、その写真をもう一度クリックしてみてください。
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タグ:岩国 錦帯橋
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