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長年探していた場所を石垣の石の形で見つけました。 [話題]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事「熊本の叔父さんから大きな不知火(でこぽん)が届きました。」の中で学生時代のサイクリング部で1回生の春合宿を紹介しましたが、その中で撮った場所が分からない写真があり、気になっていました。それが上の写真です。私は一番右側です。上の写真の中の一番左の人はサイクリング部の部員ではなく偶然出会ったサイクリストで一緒に記念写真を撮りました。
クリックすると拡大我々の仲間は右の小さな写真の5人です。構成は私を含めて1回生が2人で2回生が3人です。サイクリング部は30人くらいいるのですが、この時の春合宿は4つの合宿(九州第一、九州第二、九州第三、四国)で我々は九州第三でした。サイクリング部はツアー班とレース班があり、レース班の合宿が九州第三ですが、この年はレース班のメンバーが少なく、私はツアー班でしたがレース班の合宿に誘われて参加したことから少人数の合宿でした。通常は10人程度の合宿なのです。私だけツーリング用の自転車で、他の人はロードレーサーなのが上の写真で分かってもらえると思います。私の自転車には泥除けがついていますが、ロードレーサーにはないので雨が降ると体の中心に泥水の跡が付きます。後ろを走るときはかなり離れて走ります。

その場所をGoogleのストリートビュー(SV)で見つけることが出来ました。その場所のSVが下の画面です。ただし石垣の形や雰囲気が似ているだけでは特定できませんが、完全に場所が特定できたのは右側の石垣の一つ一つの石の形でした。


少し位置を変えたSVです。上のSVよりも遠くに離れて拡大率を上げた画面です。


昔の写真(左)とSV(右)を並べると撮った角度は違いますが、一つ一つの石の形が同じであることが分かっていただけると思います。
       昔の写真             現在の状態(SV)
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後ろにあった趣のある家は新しくなったようです。
       昔の写真             現在の状態(SV)
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写真の撮影場所をGoogle地図に赤色マーク( )をプロットいたしました。大浦天主堂から徒歩で450mの距離の場所でした。


右の破線のルートをSV画面を見ながら400m移動して探し当てました。場所は大浦オランダ坂だったわけですが、冒頭の写真は趣のある場所ではありますが背景の建物は古い日本家屋であることから長崎のオランダ坂とは思いつかなかったのです。今回、写真を見直すと足元が石畳であることに、ふと気がつきました。石畳があるのは長崎だと思いキーワード「長崎 石畳」で画像検索してみると、97番目に下の写真がありました。→ Yahoo(リンク) Google(リンク)
この写真は長崎新聞の2018年3月13日の記事でした。記事の内容は「長崎市土木部が文化財課に相談せずにオランダ坂の石畳の一部を廃棄してしまった。」でした。確かに石畳の石がきれいな長方形になってしまったのは文化財の意味だけでなく、クリックすると拡大凸凹がなくなり昔の雰囲気が失われて観光面でも失態のようです。古いものを大切にするヨーロッパでは考えられないことです。私の写真には廃棄されてしまった昔の石畳が写っていることになります。
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前記事の中でサイクリング部の合宿に関して紹介した内容は次の通りです。合宿の地図に赤色マーク( )を追加いたしました。
クリックすると拡大不知火の物語が展開された地域は、学生時代のサイクリング部の春合宿で走った場所でもありました。赤色ライン(━━)が合宿で走ったコースです。青色ライン(━━)が往復で走ったルートです。ただし海の上はフェリーと橋とトンネルです。このころは不知火もデコポンも見かけることはありませんでした。


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