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登録有形文化財 佐倉市 [千葉]



上の地図は6軒の佐倉市登録有形文化財の場所を示したものです。ピンクの境界線で囲まれている範囲が佐倉市です。
従来、建物など有形の重要な文化財を保護するために文化財保護法や地方公共団体の条例で文化財を指定する制度があり指定されたものを指定文化財です。
しかし急激に消滅しつつある近代の建造物の保護にあたっては、重要なものを厳選する文化財指定制度のみでは不十分であり、より緩やかな規制のもとで、幅広く保護の網をかけることの必要性が議論されて文化財指定制度を補うものとして1996年に文化財保護法が改正されて創設されたのが、文化財登録制度であり、登録された物件を登録有形文化財といいます。
佐倉市指定文化財は66件ありますが、そのうち建物は「鷲神社本殿附宮殿」と「密蔵院薬師堂」と「旧但馬家住宅」の3軒だけです。それに対して佐倉市登録有形文化財は6件ですがすべて建物です。そのことからも建物の保存が目的であることが分かってもらえると思います。余談ですが、すでに紹介した伝統的な風習である「青菅のどんどれえ」も佐倉市指定の文化財でした。

それでは佐倉市が登録している有形文化財の6軒を紹介いたします。緑色の文字は佐倉市ホームページ記載内容です。
山口家 山口家住宅(新町) 袖蔵及び店蔵   
山口家は裏新町通りの北側に位置し、道路に面して東側の店蔵と、西側の袖蔵と二つの蔵が接続して並んでいます。袖蔵の創建は棟札により明治29年(1896)10月と判明し、店蔵は後の増築と考えられています。袖蔵は意匠に優れており、敷居の傾斜により自動的にしまるくぐり戸があるなど、当時の大工の創意工夫がかいま見られます。
〔2000年2月16日市登録〕 内部の見学はできません。

三谷家 三谷家住宅(弥勒町) 主屋・袖蔵・座敷屋   
三谷家は旧成田街道に面し、江戸時代からの呉服太物を扱う老舗として佐倉に唯一残っている商家です。袖蔵の創建は棟札により明治17年(1884)と判明し、主屋もその頃には建っていたと考えられます。また、座敷屋は昭和10年(1935)位頃に建てられています。いずれの建物も近代の佐倉における有力商家にふさわしく造形的に優れた建物であり、出桁造の主屋と並んで袖蔵が建つ当時の商家の構えが残されています。
〔2001年5月16日市登録〕 内部の見学はできません。

石渡家 石渡家住宅(弥勒町)  主屋及び蔵   
石渡家は旧成田街道に面した明治時代から続く商家です。主屋は「みせ」と「すまい」からなり、「みせ」は大正5年(1916)、「すまい」は明治40年(1907)に建てられたことが判明しています。蔵は明治38年(1905)以前に建てられたと推定されますが、詳しくは不明です。出桁造の「みせ」(外観は一部改装)の東西の壁を漆喰塗にするなど、佐倉の町屋の特徴が残されています。また、蔵は屋根のつうじ棟や軒先に優れた意匠が見られます。
〔2001年5月16日市登録〕 内部の見学はできません。

藤嵜家 藤嵜家住宅(大佐倉) 主屋・洋館・文庫蔵・味噌蔵・表門・米蔵・馬小屋   
藤嵜家は江戸時代には名主を務めていた旧家です。主屋は大規模な直屋(すごや)で、建築年代は明らかではありませんが、江戸時代から明治の初め頃と推定されています。また、この住宅は上層農家の屋敷構えをよく残していて、中庭を囲むように主屋と蔵や門が建てられ、優れた一群の景観を示しています。伝統的な和風の環境に近代的な洋館が点描となり、趣のある調和を生み出しています。
〔2005年7月1日市登録〕 見学はできません。
こちらも含めて3軒には説明書きの看板はありません。いずれも、高い生垣で敷地が囲まれているので、生活されているプライバシーの問題もあり敷地の中の建物を見ることはできません。ただし、この辺りは古い建物があるので周りの散策は価値があると思います。

蕨家 蕨家住宅(先崎) 長屋門  
蕨家は江戸時代に代々名主を務めていたと伝えられる旧家です。長屋門は江戸時代末期に建築され、明治期に改造されたと考えられますが、佐倉の農村部の旧観がよく残されています。また、桁行8間半、梁間2間半と長屋門としては比較的規模が大きく、丁寧な工作が施された見ごたえのある建物です。
〔2005年7月1日市登録〕 内部の見学はできません。
こちらも周りには古い建物がたくさんありました。この辺りでは長屋門も多くみることが出来ます。こちらの長屋門が最も大きかったです。

齋藤家 齋藤家住宅(太田) 主屋及び蔵  
齋藤家が所在する太田地区は根郷地域の西端に位置しています。江戸時代には太田村と呼ばれ、根郷地域においても最も早い機会に水田が開けたと考えられています。齋藤家は、太田地区の有力地主の一つで、農業の他、蚕業もおこなっていた豪農でした。 この住宅は大正末から昭和初期に建てられ、間取りは下総地方における近世以来の形式を引き継いでいますが、新しい要素(狭い土間、側回りが開放的で間仕切にガラス入り板戸を建てる)も加えられていて、近代から現代に移行する時期における農家の変化を示しています。
〔2009年2月23日市登録〕 見学はできません。
ここは同じような古い立派な建物が沢山ある地域でした。これだけすばらしい建物が沢山残っているのには驚かされました。

時々、香取市の佐原(緑マーク)や佐野市(黄マーク)と混同されることがあるので佐倉市の場所を紹介いたします。赤マークが佐倉市です。
近年ではプロ野球巨人軍元監督の長嶋茂雄さんの出身地で有名です。幕末のころは全国的に見ても蘭学が盛んな町でした。


商家の古い建物を訪ねて 佐倉城下町 [千葉]



江戸時代の佐倉は城下町ですでに紹介した通り、武家屋敷が沢山ある町でしたが今は少なくなってしましました。商人の家も沢山ありました。今は古い家が少なくなってしまいましたが、町の中を散策してみると昔の面影を残した家もいくつかありました。こちの屋敷の袖蔵は1884年(明治17年)に建てられた記録が残っており主屋も同時期ごろに建てられたと考えられています。建物は近代の佐倉における有力商家にふさわしく造形的に優れた建物であり、出桁造の主屋と並んで袖蔵が建つ当時の商家の構えが残されています。こちらは三宅家住宅で今も使われており、今回紹介の商家の写真の中で佐倉市の有形文化財に登録されている建物は2軒です。

佐倉市の登録有形文化財は6軒です。その中で町の中にあるのは先日のルパン三世展の記事の中で紹介した山口家と、今回の三谷家と近くにある石渡家の3軒です。残りの3軒は周辺地域にあります。私の住んでいる場所に近いところにも1軒あります。この航空写真の中の黄色の枠の部分が下の江戸時代の模式図の範囲です。 
 佐倉市の登録有形文化財 いずれも見学はできません。→佐倉市Web
  山口家住宅 新町   1896年 袖蔵及び店蔵 
  三谷家住宅 弥勒町  1884年 主屋・袖蔵・座敷屋
  石渡家住宅 弥勒町  1905年 主屋及び蔵
  藤嵜家住宅 大佐倉  江戸末  主屋・洋館・文庫蔵・味噌蔵・表門・米蔵・馬小屋
  蕨家住宅   先崎   江戸末  長屋門 
  齋藤家住宅 太田   大正末  主屋及び蔵


江戸時代の佐倉の城下町の模式図です。その時代は武士の住む町と商人に住む町に分けられていました。赤い部分が商人の家があったところで明治以降も商家が集まっていたと思われます。今回紹介する商家も図の左下の赤い部分あるいは、その左の先(東)の方で撮ったものです。


有形文化財に登録はされていませんが古い面影の商家と思われる家が沢山ありました。こちらも板と土壁で出来ているので、結構古いものだと思います。
佐倉市内の文化財の指定や登録の数は次の通りです。→市web
   国指定  3件 元藩主 堀田邸など
   県指定 18件 武家 河原家など
   市指定 66件 武家 但馬家など
   国登録  1件 県立佐倉高校 旧校舎
   市登録  6件 商家 三谷家など


上の2軒以外を紹介いたします。沢山の古い商家を同時に見てもらいたいので小さな写真で掲載いたしました。。観光化されていなくても、どの家も今でも大切に使われていました。2枚目の建物はルバン展が行われていた佐倉市立美術館のすくそばにありました。3枚目が佐倉市登録有形文化財の石渡家です。市Webでは住所が太田となっていますが弥勒町と思われます。市Webの齋藤家は先崎ではなく太田です。4枚目の薬屋さんは道路に面した面は改築が行われていますが大切に古い建物を使われていました。13枚目に佐倉市登録有形文化財の山口家を追加しました。
大きな写真を見たい方のために写真をYouTubeに登録いたしました。この写真群をクリックするとYouTubeが表示されます。下に記事内にも埋め込みました


上の商家の写真です。プレーボタンをクリックすると表示します。別画面で出したい場合は形式1あるいは形式2をクリックしてください。
  YouTube → 形式1(素早く見たい方) 形式2(ゆっくり見たい方)


上で紹介していない商家以外の3つの佐倉市の登録有形文化財です。 いずれも江戸時代は農家地域の名主クラスの家だったようです。
 藤嵜家住宅/大佐倉      蕨家住宅/先崎        齋藤家住宅/太田


佐倉の武家屋敷 [千葉]



佐倉市立美術館でルパン三世展を見た後に武家屋敷に行きました。佐倉市には立派な武家屋敷が保存されていることは知っていましたが、今まで見に行くことがありませんでしたが、佐倉市立美術館から歩いていける距離であることから行ってみることにいたしました。こんな場所があるのだと驚くと同時に、もっと早く来ればよかったと思いました。時代劇に出てくるすごい門構えの武家屋敷ではなくて山田洋次監督の時代劇に出てくる「たそがれ清兵衛(井口清兵衛)」が住んでいたような平侍(ひらざむらい)や、あるいはそれより少し上の侍(武士)の武家屋敷が河原家(かわらけ)と但馬家(たじまけ)と武居家(たけいけ)の3軒がありました。石高(こくだか)で言えば100石未満の小屋敷から300石程度の大屋敷でした。こちらは河原家の門です。

古い屋敷は少なくなっているために当時もこのような門だったかどうかは判りませんが、新しい家になっても下の写真のように似たような門が使われている家が多かったことから、おそらく当時に近かったのではないかと想像されます。


こちらが通称武家屋敷通りです。
江戸時代の名前は鏑木小路(かぶらぎこうじ)でした。今は宮小路でしょうか。
道は狭いことから大きな門は不釣り合いなため、門は冒頭の写真のように比較的質素のものであったと想像されます。
ここ武家屋敷通りの景観の特徴は道路の両脇に土手を築き、その上に生垣を巡らせていることです。これは馬上から屋敷内を覗かれないようにするためだと伝えられています。
武家屋敷通りの左側(北側)に手前から武居家、但馬家、河原家と並んでいます。武居家と河原家は同じ鏑木小路ですが別の場所に建っていたものを但馬家の両隣に移築されました。それぞれの家の家禄である石高(こくだか)や家の格式や建坪などから次のように分類されています。
      分類  家禄  分類目安家禄 敷地    文化財指定
  河原家 大屋敷 300石 300石以上  759坪 千葉県指定有形文化財
  但馬家 中屋敷 150石 100~299石  340坪 佐倉市指定有形文化財 
  武居家 小屋敷  90石 100石未満  290坪
家禄に使われている一石は大人一人が一年に食べる米の量に相当する単位で、田畑や屋敷などの土地の価値にそれぞれの計数をかけて米の生産力に換算して石単位で表示しのが石高(こくだか)です。


江戸時代の佐倉の城下町の模式図です。
城下町は武士の住む町と商人に住む町に分けられていました。武家屋敷は城の東側に広く配置されておりその中の赤枠で囲った鏑木小路に今回の武家屋敷がありました。道が行き止まりになったり複雑な道になっているのは敵の侵入を防ぐものだったそうです。この町並みは1610年から佐倉藩主であった土井利勝が築いたものと考えられています。


ほぼ同じ場所のGooglの航空写真を紹介いたします。航空写真でなく地図が表示されている場合は、地図の中のアイコン「写真」をクリックしてください。木の生えている空堀の部分が江戸時代の模式図とそっくりです。マークAが武家屋敷の場所です。

航空写真で見た3軒の武家屋敷です。左から武居家、但馬家、河原家です。上からだと家の形がよくわかります。この辺りには趣のある古径(こみち)が沢山残されていのす。この航空写真の中にも佐倉サムライの古径「くらやみ坂」があります。


それでは3つの武家屋敷を紹介いたします。
  住所 千葉県佐倉市宮小路57番地
  電話 043-486-2947
  時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
  休館 月曜日(祝日の場合は翌日) 12月28日~1月4日
  駐車 無料専用駐車場あり
  料金 大人 210円 学生・児童 100円 土曜日:小中学生無料

こちらが旧河原家住宅です。   冒頭の写真と同じです。
河原家と上では記載していましたが現在の正式の呼名は「旧河原家住宅」です。


こちらの写真は門の位置から撮ったものです。
河原家が鏑木小路に写ってきたのは1835年12月とされています。ただし現在の建物の建築年代は正確にはわかっていませんが古文書から少なくとも1845年には存在していたことがわかっています。建築様式や構造部材の古さから、佐倉で残されている武家屋敷の中で最も古いものとお考えられています。
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建物の周りを回ってみます。こちらの建物は長い縁側のような廊下が特徴です。目安の石高は300石以上と上で記載しましたがネットで調べていると家禄300石と記載されていました。300石は上級武士となります。


その廊下の部分です。河原家の建物の中には年3回の特別公開日を除いて入ることが出来ません。ただし武居家と但馬家に関しては自由に内部に入ることが出来ます。今年最初の特別公開日は2月11日でした。残りの特別公開日は過去の事例から4月29日と11月23日が予想されます。ただし確定ではないので事前に確認願います。


廊下の突き当たりには厠(かわや)がありました。現代風に言えばトイレあるいは化粧室ですね。


違う方向からの写真です。手前に湯殿(ふろ場)が見えます。建坪は数十坪程度で大きくはありませんが敷地は759坪(当時)ありました。そのバランスからの当時の武士の生活が伝わってくるような気がします。当時、鏑木小路には武家屋敷が27軒があり敷地の平均が665坪でした。もっとも広かったのが3869坪で、最も狭かったのが268坪ということで、河原家は鏑木小路では広い方から4番目の武家屋敷でした。


その湯殿です。


襖(ふすま)で仕切られた空間はきれいでした。


10畳の座敷の床の間には甲冑が置かれていました。


居間です。180年舞うの生活の実感が伝わってきます。


こちらは板の間です。下の図面で納戸と書かれているところです。室内には当時の調度品が置かれていたことから江戸時代の武士の生活を垣間見ることが出来ました。


台所は土間になっており窯が中央にありました。土間の部分に関して内部に入れます。


土間には、いろんな桶が並べられていました。


佐々木すみ江さんと三浦貴大がの写真が飾られていました。こちらで映画も撮られたようです。


こちらが旧河原家住宅の配置図です。

こちらが旧但馬家住宅です。
こちらは当時のままの所在地です。そのために建物だけでなく、屋敷地の形状や植栽にも武家屋敷の特徴をよく残しています。


こちらの建物も正確な建築年は判りませんが文献や絵図から1821年から1837年の間に建てられたと推定されています。最初にこの住宅に住んだのは誠心流槍術の師範であった井口氏で明治になって岡田氏に移り、その後に但馬氏に代わりました。井口家の家禄は150石と佐倉藩の中では代表的な中級家臣だったようです。


正面が玄関で左側が一番大きな座敷です。但馬家には自由に室内に上がって内部を見ることが出来ます。玄関から上がってください。


こちらが裏側で一番手前が土間になっているので台所だと思います。


こちらが居間で奥の部屋が仲のまで、さらに奥が座敷です。


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こちらの座敷には甲冑が飾られていました。さすが武家屋敷です。


こちらが旧但馬家住宅の配置図です。

こちらが旧武居家住宅です。
こちらの建物は茅葺が傷まないようにカバーがされていました。


武居家は「天保の御制」と呼ばれる居住の制における百石未満(小知)の藩士が住む小屋敷の規定と家屋の規模が一致しています。幕末にこの家に住んでいた田島伝左衛門は90石の禄高であることも「天保の御制」と一致します。右側の入口が玄関でその横の入口が台所(土間)への入口です。こちらの建物も靴を脱いで内部に上がることが出来ます。


建物の裏側の写真も紹介いたします。90石と言えども敷地は当時290坪の武家屋敷でした。武居家は1996年に250m東の当時の場所からから保存のために移築されました。
参考ですが、たそがれ清兵衛こと井口清兵衛は50石でした。確かに映画の中でも建物は大きくなかったけれども敷地は広かったです。武士の一分の三村新之丞は30石で、隠し剣鬼の爪の片桐宗蔵の家は100石もらっていましたが父親の切腹で30石に減らされました。


土間の台所から奥を見たところです。武居家の内部には武家屋敷の敷地から出土した昔の陶磁器や藩士の生活に関する資料などが展示されています。


こちらが床の間のある6畳の座敷です。藩士の写真が飾られています。名前は読み損ねましたが、もしかしたら田島伝左衛門かもしれません。機会があれば確認いたします。


こちらが旧武居家住宅の配置図です。

こちらが映画の世界ですが、たそがれ清兵衛こと井口清兵衛の屋敷です。同じくらいの大きさの屋敷です。「天保の御制」で百石未満の藩士の規定が関係しているのかもしれません。この模型は寅さんで有名な葛飾柴又の山田洋次ミュージアムに展示してありました。


武家屋敷通り(鏑木小路)辺りの判りやすい地図があったので紹介いたします。但馬家と河原家の移築前と移築後の位置がわかりやすく書かれていました。破線で書かれているのが当時の敷地の区割りをしめしています。この地図は左が北方向なので上で紹介した地図と比較するときは半時計回りに90度回転してイメージしてください。ひよどり坂の方向に、お城があります。
くらやみ坂が真ん中辺りの旧但馬家住宅と旧河原家住宅の間にあります。 くらやみ坂は大手門への近道のため、侍が登城時にはこの道を利用したとも言われているそうです。


これが「ひよどり坂」です。下から武家屋敷の方向を撮っています。背中側がお城の方向ですが一旦下がった後にまた登ります。このような判りにくい道で敵から城を守ったのだと思います。急な長い坂道なので休憩場所が設けられていました。


今も使われている昔の武家屋敷もありました。茅葺は傷まないようにカバーがされていました。現在でも生活出来るようにサッシをつけたりと改築されされています。このような建物を昔通りに復元整備したのが今回紹介した3軒の武家屋敷だと思います。今から30年前の1983年(昭和58年)の説明付の地図が武家屋敷通りに建てられていましたが、そのころは沢山の古い建物があることが、その地図からわかりました。仕方がないことだとは思いますが30年でずいぶんと減ってしまいました。佐倉市でも武家屋敷が残っているのは紹介の場所と中尾余町だけとなったそうです。


帰りは但馬家と河原家の間の佐倉の古径(こみち)である「くらやみ坂」を通って駐車場まで750mの道を歩いて帰りました。先ほど紹介した「ひよどり坂」も佐倉のサムライの古径(こみち)と呼ばれています。佐倉の町には、このような小径が沢山ありそうです。


緑のラインが、くらやみ坂を通って帰った道です。青いラインが佐倉市立美術館から歩いてきた道です。車の場合も青いラインとなります。

より大きな地図で 佐倉市立美術館⇔武家屋敷 を表示

地たまごプリンとチェア 佐倉市立美術館 [千葉]


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今、佐倉市立美術館でルパン三世展が行われています。
前記事で、美術館の一階ロビーにあるCafe Buona Giornataのサンドイッチと飲み物を紹介いたしました。こちらのお店ではサンドイッチと飲み物に加えてデザートのお店でもあるのです。今回は上の写真のデザートを紹介いたします。

このプリンは2012年12月1日(土)9:30~10:30に放送された「ぶらり途中下車の旅」で紹介されもので佐倉市上志津原長谷川養鶏園さんの評判の玉子で作られているそうです。こちらの卵は千葉県知事賞を受けたそうです。卵の種類はボリスブラウン卵という種類だそうです。ちょっと拡大してみます。これで350円はお得だと思います。
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いただきました。 少し食べたところでさらに拡大しました。
卵の味がしっかりとでているクリーミーなタイプのプリンでした。添えられている生クリームと一緒に食べました。


ほかのデザートを紹介いたします。フレンチトースト、チーズスフレケーキ、チョコケーキ、アフォガード、季節のアイスクリームです。いずれも400円でした。


こちらは、すでに掲載した記事「ルパン三世展に行ってきました。」で紹介した写真ですが、こちらが、Cafe Buona Giornataのエリアです。実はこちらで使われている椅子が美術館が売りにしている10種類の椅子の一つなのです。こちらのカラフルないろんな色の椅子はアルネ・ヤコブセン(1902~1971年)が1955年にデザインしたダイニング・チェアです。ヤコブセンはスカンジナビアの家具デザインの近代化に重要な役割を果たした人です。


せっかく椅子を紹介したので10種類の椅子を全て紹介いたします。こちらは塗り絵のコーナーで使われていたチェアーです。こちらの作者は1922 年生まれで現在も活躍しているジャンドメニコ・メベロッティで、椅子の名前はスパゲッティ(101/V)です。ベロッティーはイタリアで生まれて16歳で彫刻を学んだ後に建築の仕事を始めたそうです。建築やインダストリアルデザインの分野でも活躍している人です。こちらの椅子の写真も実は前記事で紹介していました。こちらの椅子がデザインされた年は1967年なので、こちらの美術館で展示されている椅子の中では最も新しいデザインのものです。


こちらの椅子の写真も前記事で紹介していました。
左側がヘーリット・トーマス・リートフェルト(1888~1964年)が1918年に設計したレッド・アンド・ブルーです。彼はオランダの代表的なデザイナー・建築家で赤・青・黄の三原色を活用していることでも有名です。こちらの椅子にも赤と青と黄が使われていました。右側の椅子もヘーリット・トーマス・リートフェルトのもので1934年に設計された名前がジグ・ザグというイスです。両方ともに座ってみましたが座り心地はよかったです。見た目だけではないことに関心いたしました。


こちらのベッドのように大きなソファーはハリー・ベルトイア(1915~1978年)が1931年に設計したものです。これは彼がバウハウスの校長を務めていたころの作品です。作品の名前はカウチ(258-M)です。取り外し可能な肘(ひじ)当てが特徴でです。こちらの椅子も沢山置かれていましたが肘当てが取り付けられていたのは一つだけでした。


こちらの椅子もいろんな場所に置かれていました。ミ-ス・ファン・デル・ローエ(1886~1969年)が1929年に設計したバルセロナ・チェア(251)です。。ミ-ス・ファン・デル・ローエはドイツ生まれの建築家です。この椅子は1929年にスペインのバルセロナ世界博覧会のドイツ館で発表されたものです。その経緯からついた名前だと思います。


こちらの左はハリー・ベルトイア(1915~1978年)に1957年に設計したスモールダイヤモンド・チェアです。ハリー・ベルトイアはイタリア生まれの彫刻家で、代表作であるこの椅子はスチール・ワイヤーを網状に溶接して有機的なシェル型に作られています。
右はスリング・チェア(LC-1)という作品でル・コルビュジエ(1887~1965年)とピエール・ジャンヌレ(1896~1967年)とシャルロット・ペリアン(1903~1999年)の3名の共同設計です。椅子はスチール・パイプと子牛の毛皮張りで出来ています。沢山の方が座ったのだと思います。毛皮の毛は擦り切れて半分程度しか残っていませんでした。沢山の椅子の中で木やスチールや皮張りのものは、きれいなままですが布や毛皮張りのものは擦り切れている部分が見受けられました。


こちらはアルネ・ヤコブセン(1902~1971年)が1958~1959年にデザインしたエッグチェアです。アルネ・ヤコブセンはデンマーク建築家・家具デザイナーで、椅子だけでなくあらゆるものをデザインしました。この椅子は体をすっぽりと包み込むような卵を思わせる形態から「エッグ」と名付けられました。


最後に紹介する椅子も、すでに紹介したル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレとシャルロット・ペリアンの3名の共同設計です。ル・コルビュジエはスイス生まれの建築家です。その彼と従弟(いとこ)なのがピエール・ジャンヌレで、やはり建築家です。シャルロット・ペリアンはインテリアデザイナーで、この3人が1928年に設計したグランコンフォール(LC-3)です。グランコンフォールは大いなる快適という意味で、この言葉の意味を体感できる椅子でボリューム感のあるクッションが特徴です。


今回の椅子に関する説明は1階ロビーにあった紹介パネルから転記させていただきました。この中にあった椅子(チェア)を全て紹介させていただきました。


今回紹介の地卵プリンと、それに使われている卵を紹介した「ぶらり途中下車の旅」の動画を見つけたので紹介いたします。


佐倉市立美術館の全景です。
スパロウさんのオランダデザイン展にトラックバックしています。
BT2designさんの佐倉市立美術館までにトラックバックしています。
そーすけさんさんのルパン三世展にトラックバックしています。

ルパン三世展に行ってきました。 佐倉市立美術館 [千葉]


展示内容を紹介したくてパンフレットの一部を追加させてもらいました。
緑色の部分が2013年2月21日に追加したところです。


私の住む町にある佐倉市立美術館でルパン三世展が行われていることを知り、行ってきました。アニメ化40周年を記念して行われているようですが2月2月から3月24日まで行われるそうです。上の写真が観覧券(入場券)の表と裏です。
This is the world of Lupin the 3rd がキャッチフレーズのようです。Lupin the 3rd はルパン三世なので「これがルパン三世の世界だ。」というところでしょうか。

電車の中吊り広告が出ているので、この広告を見られた方もおられると思います。


こちらが佐倉市立美術館で、比較的新しい美術館で出来たのが1994年11月です。ここには浅井忠、都鳥英喜、荒谷直之介、香取秀真、津田信夫、堀柳女など佐倉市と房総ゆかりの作家の作品を中心に収蔵されており入館料は無料で見ることが出来ます。この美術館の特徴は熱心に特別企画展示(有料)を行っていることです。美術関係者には東京に来たときには、ここ佐倉まで足を運ぶ人がいるくらいです。特別企画展示が行われている時は展示会場が使われるために常設展示物は見ることはできません。常設展示を見たい場合は事前に確認してください。


こちらの美術館のもう一つの特徴が正面入り口のエントランスホールに1918年(大正7年)に建てられた建物が利用されていることです。


この建物は1918年に旧川崎銀行佐倉支店として建設されたもので、設計者は矢部又吉、施工者は神谷平吉です。現在は千葉県指定文化財(有形文化財)でもあります。1927年には川崎銀行と第百銀行が合併して第百銀行佐倉支店となりました。1937年に第百銀行から佐倉町へ売却されて佐倉町役場となり、そのあと佐倉市役所として使われました。
その後も、市役所→公民館→図書館→一時閉鎖→資料館→の変遷を経て美術館のエントランスホールとして生まれ変わりました。正面からだけでは判りにくいと思い、斜めからの写真も掲載します。本館とは右の写真のようにガラスのトンネルでつながっています。建物を大切にする配慮だと思います。


ルパン三世展は美術館の企画展示としては珍しいと思います。エントランスホールに飾られていたので、展示物の中で唯一写真撮影が許可されたものでした。
観覧料は一般800円、大高生600円、中小生400円でした。
この写真を見て気がついたことですが、この2つ人形の間に人が立って記念撮影が出来るようになっていました。少し間が広いので気にはなっていました。この場所は無料のエリアなので近くを通った時に記念撮影だけでも寄ってみては、いかがでしょうか。男性であれば石川五ェ門に、女性であれば峰不二子になりきってみるのもいいかもしれません。


こちらが入口です。第一会場は3階で第二会場は2階にありました。主催は佐倉市立美術館、読売新聞社、トムス・エンタテインメント、日本テレビです。
展示場では写真撮影は出来ないので残念ながら紹介出来ないのですが、ルパンや次元大介や石川五ェ門や峰不二子や銭形警部などの登場人物の構図を計画した鉛筆書きなどがありました。沢山の案があったことを知りました。特に峯富士子に関しては驚くほどの数の案がアッたことを知りました。アニメの設定図やセル画や元画や原稿など貴重で興味深いものが沢山ありました。沢山の過去のフィギアやポスターなどもありました。


展示会場内では写真だけでなく模写や筆記道具の使用も禁止されているので展示会場内以外でのルパン三世に関係した部分の写真を紹介します。こちらは「ルパン de つぶやき」と題し一言掲示板です。沢山の一言が貼られていました。


一階のホールです。ここには喫茶コーナーCafe Buona Giornataや売店がありました。売店では土産物が売られていました。


屋外には寺田栄の作品「風景」という1992年の作品がありました。


階段には子供たちの塗り絵が沢山張られていました。一階ロビーには塗り絵コーナーがあり塗って持ち帰ることが出来ました。


こちらが塗り絵コーナーです。奥のテーブルが先ほど紹介した「ルパン de つぶやき」のつぶやきを書くところです。


Cafe Buona Giornataはサンドイッチが人気です。我々も、ここでランチを食べるのも目的の一つでした。


広いロビーの一角にCafe Buona Giornataがありました。日当たりの良いロビーの半分くらいのスペースにテーブルと椅子が並べられていました。食べるものが決まると、奥の窓口で注文をすると、テーブルまで持ってきてもらえます。


ルパン三世展を観に来たのだから、この限定メニューを食べなくては [exclamation]
クリックすると拡大写真を表示今回は紹介しませんでしたが「ぶらり途中下車の旅」で紹介された「地たまごプリン 350円」をいただいてみました。
佐倉市上志津原長谷川養鶏園さんの評判の玉子で作られているそうです。次の記事で「地たまごプリン」を紹介したいと思います。


こちらが家内が注文した「生ハムと帆立のパニーニ」です。珍しいサツマイモのピクルスが添えられていました。これ以外に「クロックムッシュ」と「スモークサーモンのパニーニ」と「カポナータのパニーニ」の3種のサンドイッチがありました。ちなみにパニーニとはイタリアのサンドイッチのことです。クロックムッシュはフランスを発祥の地としたハムとチーズをパンにはさんで軽くトーストしたものです。カポナータは一般的に揚げナスの甘酢煮です。


こちらが「生ハムと帆立のパニーニ」と一緒に頼んだマサラチャイ(Masala Chaie)です。飲んだ瞬間、すぐに紅茶だと判りました。


そしてこれが私が頼んだ80gのソーセージを使った「スパイシーHOTドッグ」です。独特のソースのホットドッグでした。本写真はクリックすると拡大いたします。
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私の頼んだ飲み物はヘーゼルナッツミルクでした。このように模様を描いてくれる飲み物はカプチーノ、抹茶ミルク、キャラメルラテがありました。


こちらの美術館では芸術的な椅子が沢山置かれていることでも有名です。一つ一つに説明が書かれていました。美術館の中を椅子を探して散策するのもいいかもしれません。


椅子には自由に座ることが出来ます。
探し出した椅子に座ってみるのもいいかもしれません。


美術館の近くには古い建物があります。こちらは1896年(明治29年)に建てられた袖蔵です。隣には店蔵があり佐倉市の有形文化財に登録されています。無縁だとは思いますが明治29年は本州における当時の観測史上最高の海抜38.2mを記録する津波が発生した明治三陸沖地震があった年でもあります。


是非とも展示内容の雰囲気を感じてもらうためにパンフレットの一部を拝借いたしました。こちらは「ルパン三世 カリオストロの城」の一場面の鉛筆書きのレイアウト図です。時計塔の中の場面ですね。大きな歯車でわかりました。
このような企画図が沢山展示されていました。その企画図とセル画を比較したものも沢山ありました。



こちらは搭乗人物の特徴です。水平に引かれている線は身長です。上から200cm 175cm 150cmなのでそれぞれの身長が比較できて面白いです。銭形警部が大柄の人であることも初めて気が付きました。
カラーの展示物より鉛筆書きの展示物の方が多いというイメージのがルパン三世展の特徴だとおもいます。(実際にはカラーのほうが多いかもしれません。)



下は佐倉市立美術館の航空写真です。
クリックすると拡大マークをクリックすると説明文が表示されます。
ここから歩いて15分(700m)くらいのところでは1835年前後に建てられた武家屋敷(旧河原家、旧但馬家、旧武居家)を昔のままに見ることが出来ます。(右の写真)
我々も青いラインを歩いて見に行きました。

より大きな地図で佐倉市立美術館→武家屋敷を表示

今日は雪です。 [千葉]



昨日に上海から帰ってきたばかりですが、今日(2013年1月28日)はワンコの散歩のために玄関の扉を開けて、初めて雪が積もっていることを知りました。我が家のワンコは雨は嫌いですが、雪は大好きです。まだまだ雪が降っていました。

フラッシュを使うと雪が降っていることがよくわかってもらえると思います。
ワンコの足跡も雪が深いので個別の足跡にならずに2本の溝になっているのがわかってもらえると思います。


ワンコは、この奥に行きたがっていましたが、さすがに雪がひどいのでワンコには諦めてもらいました。写真はワンコが、さびしそうに戻ってくるところです。こちらの道には足跡やタイヤの跡がありませんでした。


近くの小学校も雪で覆われていました。場所は千葉県佐倉市です。こちらの小学校には古墳の跡と思われる小山が3つあります。その中で一番小さな塚(小山)が運動場にあり子供たちの遊び場になっています。この写真の中に、その小山が写っています。


2週間で !  すっかり!  [千葉]


季節の移り変わりとともに変化する木の変化を紹介いたします。
こちらは新緑の季節5月6日の近くの空き地の写真です。緑がきれいです。

                 
10月にはドングリが実って葉っぱも青々と、していましたが12月2日には色が変わりました。

                 ↓ 2週間
それから2週間後の12月15日には、すっかり葉っぱが落ちてしまいました。早いものです。今の景色も、この景色ですが4月の20日ごろになると新芽が出てくるはずです。


別の場所のイチョウの木の変化も紹介いたします。こちらも5月6日の写真です。緑がきれいです。

                 
12月2日にはきれいな黄色の色をしていました。

                 ↓ 2週間
こちらも12月15日には、すっかり葉っぱが落ちてしまいました。