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聖ソフィア大聖堂とムィハイリフシキィ寺院 [キエフ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ウクライナの首都キエフにある聖ソフィア大聖堂とムィハイリフシキィ寺院(ミハイロフスキー大聖堂)は双子の教会と言われています。その双子ぷりとすばらしい建物を紹介いたします。
上の写真がキエフ最古の教会である聖ソフィア大聖堂です。聖ソフィア大聖堂(Собор святої Софії)はウクライナ最初の中央政権国家キエフ・ルーシ最大の聖堂として1037年に建立されました。現代において、11世紀から18世紀までのウクライナ建築史上最も名立たる教会であるとされ1990年に世界遺産に登録されました。

こちらがムィハイリフシキィ寺院(Mykhaylivs'ky Sobor)です。12世紀に建立され、17世紀に「ウクライナ・バロック」様式で改装。スターリン時代にいくつかのモザイク画及びフレスコ画以外はほとんど破壊され1998年に最終的に再建されたそうです。聖ソフィア大聖堂とは色合いも形がも違いますが、同じような構成になっていることがわかってもらえると思います。
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2つの教会が双子のような教会と言われているのは似ているだけではなく、その二つの教会の位置関係がもっと影響している思います。それは航空写真を見てもらうと感じてもらえると思います。この写真をクリックして出てくる拡大写真を見てもらうと、よりわかってもらえると思います。それぞれの教会から相手の教会が見渡せるような配置で作られているのです。この航空写真はGoogleマップを180度回転させたものです。
オリジナルは、こちらです。→ポチッ(クリック)
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次の2枚がそれぞれの教会の場所から相手の教会を見た景色です。こちらはムィハイリフシキー寺院の前の広場から聖ソフィア大聖堂を見た景色です。現在、聖ソフィア大聖堂は、ウクライナの複雑な宗教事情を反映して特定の教派が管理しない博物館となっており、ウクライナ正教会やウクライナ東方カトリック教会などが、日時をずらして使用する事となっているそうです。


そしてこちらが聖ソフィア大聖堂の前の広場からムィハイリフシキィ寺院を見た景色です。


双子のようだと言われるのは教会だけではありません。教会の前に大きな広場があることもそっくりなのです。こちらが聖ソフィア大聖堂の前のソフィイシカ広場です。
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そしてこちらがムィハイリフシキー寺院前のムィハイリフシカ広場です。


広場の真中に像が建てられているのも2つの教会の類似点です。
ソフィイシカ広場に建てられている像です。この像は17世紀に対ポーランド独立をかけてロシアと組んで蜂起したボグダン・フメリニツキィの像です。


こちらがムィハイリフシカ広場に建てられている像です。まだこの像の名前は調べ切れていませんが名のある像だと思います。


それぞれの教会の塔(鐘楼)の鐘を紹介いたします。こちらが聖ソフィア大聖堂の鐘です。


こちらがムィハイリフシキィ寺院の鐘です。沢山の鐘が並んでいます。
このように同じところを比較してみると面白いですね。


寺院の本体も比較してみます。こちらが聖ソフィア大聖堂です。存念ながら中には入れません。
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こちらがムィハイリフシキィ寺院です。こちらは無料で中に入れるそうですが、残念ながら早朝だったために門は開いていませんでした。上の説明でもムィハイリフシキィ寺院の日本語読みはいろいろありました。ムィハイリフシキィ寺院以外ではムィハイリフシキー寺院、ミハイロフスキー大聖堂、ミハイロフスキー寺院、ミハイロフスキィ大聖堂、ミハイロフスキィ寺院、ムィハイリフシキィ大聖堂、ムィハイリフシキー大聖堂といろんな使い方がされていました。聖ソフィア大聖堂に比べると日本人にはそれほど浸透していないのかもしれません。
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それぞれの教会を比較するのはここまです。実はムィハイリフシキィ寺院の写真を撮っている時に電池の残量が減ってきたことに気が付いて写真を撮る枚数を節約し始めました。ここから下の写真は全て聖ソフィア大聖堂の写真です。この写真は塔(鐘楼)の金色の屋根です。
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鐘楼の下にある入口です。


その鐘楼の入口の扉の表面は鉄で覆われていました。


ウクライナ語かロシア語ですが聖ソフィア大聖堂の説明だと思ったので撮っておきました。いつの日か、言葉のわかる方が読んでくれると思います。


聖ソフィア大聖堂の入口の門です。門も立派でした。
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