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洛陽 龍門石窟 [河南省]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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鄭州に昼ごろ着きました。着いたのが日曜日の昼ごろで時間があったので、日帰りで洛陽(らくよう)に行ってみることにしました。泊まった Hotel Sofitel の前でタクシーを止めて交渉した結果、高速道路代、駐車料金をすべて込みで400元(7880円)で契約成立です。高いように思われがちですが110元の高速代や320kmのガソリン代(150元)等を引くと手元に残るのは130元くらいですから夜の7時まで6時間も付き合ってもらったことを考えると安いかな。この写真は一番大きい奉先寺洞の廬舎那大仏像(るしゃな・だいぶつ)です。昔は建物で覆われていたそうです。川の対岸から撮りました。
川から見て西側の石窟なので我々が着いた午後3時過ぎでは、逆光の上に石窟が影でかなり暗くなってしまいました。これは、下の写真を撮った200m離れた位置からのズーム写真で、且つ暗くなりかけた時間帯の写真なので解像度はこれが精一杯です。朝ならば日が当たり解像度のあるきれいな写真が撮影出来ると思います。ここに行くときは朝をお薦めします。

龍門石窟(りゅうもんせっくつ)は中国の中で山西省大同にある雲崗石窟(うんこうせっくつ)と並び称される石窟で、河南省洛陽市の南方13キロにある伊河の両岸にある石窟寺院で「龍門石窟」の名で世界遺産(文化遺産)に登録されています。龍門石窟、雲崗石窟に敦煌石窟を加えたのが中国三大石窟で、いずれも世界遺産となっています。
洛陽は紀元前770年に周の都が置かれて以来、北魏、隋、唐など9王朝の都が置かれたそうです。そして龍門石窟が造られ始めたのは西暦494年と言われており、絶頂期の石窟が675年に完成した後も作られ続けたそうです。ここは1500年前の古代先人が築いた素晴らしい仏教芸術の場所でした。
下の写真は奉先寺洞の廬舎那大仏を中心に川の対岸から撮ったものです。川の名前は伊川(伊河)で、その両岸に石窟があります。写真を撮っている側に東山石窟があります。迫力がある写真を沢山掲載しているのが西山石窟です。
この写真は是非クリックしてほしいですね。大部分が写っています。
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廬舎那大仏像を近くから撮った写真です。世界遺産の龍門石窟は、同じく世界遺産の雲崗石窟(460年-494年)より後に作られました。龍門石窟の特徴は、その硬さ、すなわち雲岡石窟の粗い砂岩質と比較して、緻密な橄欖岩質であることから北魏においては雲岡のような巨大な石窟を開削することが技術的にできなかったそうです。絶頂期の上元2年(675年)に完成した石窟がこの奉先寺洞で、龍門最大の石窟です。
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奉先寺洞の本尊が、この廬舎那大仏です。高さ17.14mで、ふくよかな顔つきで、眉と目が細く、口の端がそり上り、すずしげな微笑をして、あたたかく、やさしく、叡智を秘めた表情です。かつては全身に金箔が貼られていて、燦然と光り輝いてたと言われています。
その顔は当時既に実権を掌握していた中国史上唯一の女帝となった武則天の容貌を写し取ったものと言う伝説があリましたが、文献に書かれている寄進などの時期と合わないため今では否定されています。
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廬舎那大仏像前の広場の風景です。岩山の山腹に幅33.5m、奥行38.7m、高さ40mという空間を切り開き、高さ17.14mの盧舎那仏を中心として、三方の壁に、迦葉・阿難の二大弟子、二菩薩、二天王、二力士の合わせて9尊の大像を彫り出しています。この大きな空間が当時は建物に覆われていました。


近くからの写真です。奈良の東大寺の大仏は遣唐使達がこの仏像を模写して造営されたと言われています。東大寺盧舎那仏像が完成したのは、奉先寺の大仏完成(675年)から77年後の752年ことでした。仁王像らしいものもあります。
廬舎那大仏の両側に謹厳荘厳な迦葉、温順敬虔な阿難、端正矜持の菩薩、蹙眉怒目の天王、威武剛健な力士などの弟子わ配しいずれも円熟した彫りで、唐代彫刻の代表作です。


龍門石窟は494年から唐代にかけ約400年にわたって造営された仏教遺跡で、石窟群は古い順に古陽洞 賓陽洞 蓮華洞 薬方洞 敬善寺洞 恵簡洞 万仏洞 奉先寺洞 浄土洞 看経寺洞があります。石窟や石がんは2100以上あり、大小約10万体の仏像が安置されていました。奉先寺洞の廬舎那大仏も魅力的ですが、沢山の石窟、石がん、仏像があるのも龍門石窟の魅力です。そのうち約3割が北魏、約7割が唐時代に造営されたものだそうです。下記の写真は薬方洞の一部部分です。
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これが全体のパノラマです。この右側(北側)にも少しあります。3枚の写真をつないでみました。クリックして拡大すると、つなぎ目は判ってしまいます。
パノラマ写真の中の① ② ③あたりの写真を下に掲載しています。
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小さな石窟が無数に集まっています。この写真はパノラマ写真のあたりので蓮華洞および万仏洞の近くです。


ここにはパノラマ写真のあたりので仏像が残っていますが、なくなってしまったものも多いです。それは文化大革命時の仏教否定によって破壊されたものですが、文化財を大切にする気持ちを持っている人によってまもられた仏像のおかげで廬舎那大仏像やこの仏像のように今も見ることが出来るのです。


そしてここがのあたりで龍門石窟のもっとも南に位置するところです。ここにも仏像がいくつか見れます。
すごい数の石窟群であることが感じてもらえたでしょうか?


これがパノラマ写真に写っていない北側にあった石窟群です。下の地図のです。中心にある大きな三つ石窟が賓陽洞で、中に仏像がありました。この石窟は龍門石窟の中でも最初期の古陽洞の次に作られた賓陽洞です。三つ石窟は左から賓陽南洞、賓陽中洞、賓陽北洞です。景明2年(500年)に、宣武帝が勅願し、写真のものよりも、もっと巨大な三窟を造営しようとししましたが果たせずに規模を縮小して24年を費やし、延べ80万2366人を動員して、賓陽中洞が完成したそうです。その後、唐代に賓陽南洞と賓陽北洞が完成しました。
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賓陽洞を近くから見た写真です。二つの入口は賓陽中洞と賓陽北洞です。
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上の北側の三つの石窟の中にあった仏像の2体を紹介いたします。壁や天井には装飾された痕跡が残されており造られた当時の極彩色の絵を、うかがわせてくれました。三つ石窟は賓陽南洞、賓陽中洞、賓陽北洞で左の写真が賓陽中洞のお釈迦さまで、右の写真が賓陽南洞の阿弥陀さまです。賓陽北洞も阿弥陀さまだそうです。いずれも北魏の時代に彫られたとのことです。
クリックすると拡大クリックすると拡大

クリックすると拡大2枚上の写真の大きな三つの石窟の右側のお寺が潜渓寺です。場所は下の地図のです。唐代の開窄で洞内を泉水が流れているので潜渓寺と言うそうです。写真の主佛の阿彌陀佛は須弥壇に端坐し、バランスが良い豊満な顔つきで、英知と慈悲に溢れる表情をしていると書かれていました。写真をクリックすると中の石仏を拡大します。
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この地図の左上の部分が廬舎那大仏像で右の方が北側にあった大きな三つ石窟があった石窟群です。


対岸にも石窟とお寺があります。お寺は香山寺です。
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対岸の石窟です。上の写真のお寺の下の石窟群を近くから撮りました。
奥にも石窟がありますが遅くなり時間がなかったので東山石窟の方には入りませんでした。


航空写真も紹介しておきます。
下の写真で伊川(伊河)に架かる2つの橋の間の両岸に沢山の石窟があります。
右の写真は龍門石窟で最大の大仏である廬舎那大仏像がある奉先寺洞の広場です。この広場の部分に建物が建てられていたと思われます。この大きさから見て東大寺の大仏殿のような雰囲気があったのではないでしょうか。

よく映画に出てくる少林寺も近い場所にあります。黄河も近くを流れています。古都の開封も近いです。ここは河南省です。