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世界遺産 アーグラ城塞 [インド]

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日帰ツアーで世界遺産のタージマハールに行ったことを報告いたしましたが、タージマハールがあるアーグラの町の城も世界遺産に登録されています。この442年前の世界遺産の登録名は「アーグラ城塞」ですが、そのアーグラ城塞にも行き、何枚か写真を撮ったので紹介いたします。
この写真はアーグラ城の入口であるアマル・シング門です。アーグラ城塞はムガル帝国時代の城塞で、赤砂岩で築かれた城壁の色から「赤い城」(ラール・キラー, Lal Qila)の別名があります。外側から見ると赤砂岩主体の「赤い城」であるが、城内の宮殿には白大理石も多用されています。
ムガル帝国の皇帝アクバルが1565年に着工して1573年に完成しました。
その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となったそうです。
ムガル帝国は1526年4月21日~1858年5月10日までインド地域を支配したトルコ系イスラーム王朝です。皇帝は17代続きました。その内、アーグラ城塞に皇帝が住んだのは3代(肖像画 : 左から第3代~第5代)です。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大  1. 1526年 バーブル
  2. 1530年 フマーユーン
  3. 1556年 アクバル
  4. 1605年 ジャハーンギール
  5. 1628年 シャー・ジャハーン
  6. 1658年 アウラングゼーブ
クリックすると拡大  7. 1707年 バハードゥル・シャー1世
  8. 1712年 ジャハーンダール・シャー
  9. 1713年 ファッルフシヤル
 10. 1719年 ラフィー・ウッダラジャート
 11. 1719年 ラフィー・ウッダウラ
 12. 1719年 ムハンマド・シャー
 13. 1748年 アフマド・シャー
 14. 1754年 アーラムギール2世
 15. 1759年 シャー・アーラム2世
 16. 1806年 アクバル2世
 17. 1837年 バハードゥル・シャー2世
    1858年 滅亡  イギリスに降伏  イギリスがインド全土を直接支配

アーグラ城塞を平面図で紹介いたします。見所は沢山ありました。Google航空写真でアーグラ城塞の大きさを確認すると東西670mで南北810mでした。
1. デリー門、 2. アマル・シング門 と アクバル門、 3. ジャハーンギル宮殿、
4. 寝殿とアングリー庭園、 5. 内謁殿、 6. 公謁殿、 7. 真珠モスク、 
8. バーザール街          北←810m→南

航空写真を掲載します。 上の図を90度右回転させると航空写真と一致します。
画面上の+をクリックすると拡大します。 -をクリックしていくとタジマハールとの位置関係がわかるはずです。

これはアマル・シング門の内側のアクバル門です。立派な門でよくネットにも写真が掲載されていました。
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こちらがジャハ-ンギル宮殿です。アーグラ城の中で最も大きな建物です。
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内謁殿から見たタージマハールです。川の名前はヤムナ川です。クリックすると拡大この内謁殿で右の記念写真を撮りました。クリックするとタージマハールが確認できると思うので是非ともクリックしてみてください。
タージマハールを建てたムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンもここから妻ムムターズ・マハルの墓であるタージマハールを眺めたのでしょうね。
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クリックすると拡大タージマハールの辺りを拡大いたしました。舌の写真の真ん中あたり(川の右側)に見える建物がタージマハールです。クリックするとさらに拡大いたします。
シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸(左側/北側)に対となる自分自身の黒大理石の廟の建設を構想していたと言われています。これは、タージ・マハルがイスラーム建築の原則である対称性に則していないことから発したもので、北岸に同じ形の黒い墓廟があれば南北の対称性は果たされるそうです。北岸の胸壁と望楼はその基礎工事の名残とも言われています。
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航空写真で見ると、アーグラ城塞とタージマハールと黒大理石の霊廟(幻の黒タジマハール)の建設予定の位置関係が判りやすいと思います。
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アグラ城の中にお猿さんが沢山いることが有名です。これもなかなか近づけないですね。場所はアングリー庭園だったような気がします。
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アーグラ城は高い城壁で囲まれていました。この景色は壮観さを感じさせてくれました。妻の霊廟としてタージマハールを建設したシャージャハン皇帝は、その晩年、息子達の権力争いに巻き込まれ、実権を握った三男のアウラングゼーブによってタージマハールの見えるアグラ城塞内のムサンマン・ブルジ(Musamman Burj 別名:囚われの塔)に幽閉されたそうです。その後、アウラングゼーブはデリーに移って第6代皇帝となったために、アグラ城塞の最後に住んだ皇帝はシャージャハンとなったわけです。こちらの城壁の写真はムサンマン・ブルジ(囚われの塔)から撮りました。
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クリックすると拡大長い間、この写真もアーグラ城の一部だと思っていましたが、今回、ネットで調べていると、これはアーグラ城ではないことが判りました。さらに調べた結果、アーグラの近郊のシカンドラにあるアーグラ城を建設したムガル帝国の第3代皇帝であるアクバルの霊廟でした。
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世界遺産 タージマハール [インド]

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今までにインドには13回ほど行きましたが、その中で一度だけ世界資産のタージマハール(TAJ MAHAL)に行くチャンスが出来ました。その時の写真を紹介いたします。
デリーから日帰りツアーで行きました。広い庭園の中に大理石の真っ白なタージマハールが目の前に現れました。

中央の池に沿って庭園をタージマハールに近づいていきます。緑の中に沢山のリス達がいました。今でも沢山いるようです。タージマハールはデリーにあるフマユーン廟をモデルに下とも言われています。形や色は違いますが全体的なアレンジは確かに参考にしているようです。
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近づいて正面から撮りました。この写真は是非ともクリックしてみてください。
クリックすると拡大タージマハールはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年6月17日に36歳で亡くなった妻・ムムターズ・マハルのためにペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集めて、22年の歳月をかけて建造させたと言われている総大理石の墓廟(霊廟)です。
インド文化を代表する建築物と言えると思います。
36歳で妻・ムムターズ・マハルが亡くなった時、皇帝シャー・ジャハーンは39歳でした。
タージマハールはインドのウッタル・プラデーシュ州最大の都市であるアーグラ(Agra)にあります。アーグラの人口は約157万5千人(2011年)で、アグラとも表記されます。世界遺産に登録されているアーグラ城も近くにあります。デリーからは南南東に約180キロで、すでに紹介したジャイプルからは東に約220キロの位置にあります。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
ヒンドゥー教徒は墓を持たず、遺体は火葬され遺骨や灰は川に流されます。一方、霊魂は永遠と考えるイスラーム教徒は簡素な墓を建てます。ムガル王朝はイスラーム教国家建設を目指しており、専制君主の権勢を示す目的があって皇帝の大きな霊廟を建設しました。ただし、タージマハールのように権力を握っていない王妃に対し壮大な墓廟が建設された例は、ほとんど無いそうです。
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画像は悪くなりますが、さらに拡大いたしました。真白の大理石に宝石が模様のように埋め込まれているのが判ってもらえると思います。今、建設したら、いくらぐらいかかるのでしょうね。想像できないくらいの金額だと思います。


クリックすると拡大このときはアーグラ城にも行きました。
アーグラ城からヤムナ川越しに望むタージマハールです。晩年に幽閉されたシャー・ジャハーンが見た景色です。
右下の水牛、絵になっています。
インドらしい風景かもしれません。
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航空写真で見ると、アーグラ城塞とタージマハールと黒大理石の霊廟の建設予定の位置関係が判りやすいと思います。黒大理石の霊廟は、幻の黒タージマハールで、シャー・ジャハーン皇帝自身の霊廟の予定と言われています。
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これはどこだったかな!ブログに載せる以上は知らないわけにもいかないし。でも観光地は2ケ所しか行かなかった記憶! 省略するにはリッパ過ぎる!と頭を悩まししていました。
最近は便利ですね。インターネットでいろいろ調べた結果 ⇒ タージマハールの入口(玄関)でした。2ケ所しか行かなかった記憶は正しかった。この門を通った瞬間、壮大なタージマハールが目の前に出現します。庭や池の感じからタジマハールから門を撮った写真であることがわかりました。
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門をあらためて近くで見てみました。この門は外側から2番目になります。この門をくぐるとタージマハールが見えます。でもみんないろんな言い方をします。 
タージ・マハル タージ・マハール タージマハール タジ・マハル タジマハール などなど
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門には沢山の装飾が行われていました。この門は大理石と赤砂岩が使われています。タージマハールの大理石はラージャスターン地方産であるといわれています。
碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラピス・ラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから持ち寄られ、全体で28種類もの宝石・鉱石がはめ込まれていたそうです。
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こちらが上の門の外側にある1番目の門です。このときも沢山歩いた記憶がありますが、ネットによると排ガスによる大理石の腐食を防止するために車の近くへの進入は禁止されて、遠くから歩かされると書かれていました。電気自動車は用意されているそうです。
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航空写真を掲載します。

別画面で 航空写真 を表示
Googlのストリートビューで360度を紹介します。上から北→東→南→西の順番です。今は世界中の景色をGoogleのストリートビューで見ることが出来ますが、やはり実際にそばに行って見た時の感動にはおよびません。
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23年前のデリーの写真 [インド]

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クリックすると拡大インドの記事をいくつか掲載したので懐かしくなり昔の写真を探してみました。その結果1992年7月17日に撮影した写真が出てきたので掲載いたします。今までも何枚かインドの写真を掲載いたしましたがこれらが最も、23年前のインドの雰囲気を表しています。商店街です。みんなゴムゾーリなのが印象的でした。

クリックすると拡大右の写真が23年前の私です。下の写真は、食べ物屋さんですね。カラスが目の前を飛んでいるのがわかりますか。写真の中央です。
前の記事できれいな空港を紹介しましたが、23年前のデリーの空港に着いたときの衝撃的な印象は今でも記憶に残っています。残念ながら空港の写真は残っていません。真夜中に着いて、荷物が出てくるまでに1時間は待たされました。全数X線検査をしたものがターンテーブルに乗って出てきますがチョークでチェックをつけられたスーツケースは荷物チェックを受ける必要がありました。一番衝撃的だったのは空港を出た瞬間でした。たくさんの人たちが客になりそうな人を待ち受けているのでした。
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道路が交差する場所です。ほとんどロータリーになっていますが珍しく信号機のあるロータリーです。
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私がはじめてインドに行ったのが、これらの写真を撮った時でした。
クリックすると拡大下記の日程でアメリカ→ドイツ→インドと移動した中で、1992年7月16日にフランクフルトからデリーに入り、7月21日にボンベイ(今はムンバイと呼びます。)から成田に帰ってきました。このときを含めてインドには13回行きました。今回紹介の写真は9枚すべて、その時のデリーの写真です。
下の写真はデリーの露店です。右の写真はデリーで泊まったホテルの写真で、右下の写真はホテルでの記念撮写真です。ホテルの中だけは別の世界だったのがインドでした。
クリックすると拡大 7月11日 成田 → シカゴ
 7月11日 シカゴ → ルイビル
 7月14日 ルイビル → シカゴ
 7月14日 シカゴ → フランクフルト
 7月16日 フランクフルト → デリー
 7月20日 デリー → ムンバイ
 7月21日 ムンバイ → 成田
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クリックすると拡大泊まったホテルの部屋から駅が見えました。ホテルの名前は変わりましたが、今はインターコンチネンタル ザ グランド( INTERCONTINENTAL THE GRAND )です。偶然にも21年後に同じホテルに泊まって同じ構図の写真を撮りました。→ポチッ
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23年間に担当および責任者として世界の54ケ所に発電プラントを納めてきましたが、インドでは下の3つの発電プラントのプロジェクトを行いました。仕事はプラントの設計および完成・引渡までのプロジェクトの遂行です。最近ではGoogleで空から、そのプラントを鮮明に見ることが出来るようになりました。今では当たり前ですが、23年前には考えられないことでした。すごいです。
真中のプラントの件では何度もデリーに行き、サイトには最終段階に行きました。その時は急にサイトの近くまで飛行機が飛ばなくて世界で最も交通事故の多いと言われた「死の8号線」と呼ばれる国道をインドの車アンバサダーで長時間走ったことを思い出しました。ほんとうに事故の光景を沢山見て怖い思いをいたしました。
8,000KW        700,000KW       1,500,000KW


こちらは23年間で訪問したインドの町です。

インドでもスピード違反の取締 [インド]



スピード違反の取締りです。少し手前の中央分離帯にスピードガンを持った人がいました。俗に言う鼠取りです。個人の車の場合は罰金900ルピーですが営業車の場合は罰金3000ルピー+一週間の免停だそうです。
我々が乗っていた車は営業車になるため、もし違反すると後者の方です。今回の運転手さんの給料は3400ルピーなので、月給に相当する罰金を払った上に一週間の免停となるため、かなりの痛手です。
もちろん罰金を会社は払ってくれことはありえないので個人で払うことになるそうです。支払いは後日、裁判所に行って支払うそうです。

捕まえる場所は2段構えなのです。冒頭の写真から300m先でも一台の車が捕まっていました。後ろの車がパトカーで、前のスズキのマルチが捕まった車です。すり抜けたと思って安心しているときに止められるとショックでしょうね。


冒頭の写真よりは少し手前で撮った写真です。この場所はすでに計測場所を過ぎた後なので気がついてもダメですね。黄色と緑の三輪タクシーの位置で時間差がわかってもらえると思います。
インドは交通ルールに対して厳格なことを、初めて認識させてもらいました。
現在1ルピー = 約2円なので換算するとイメージがつくと思います。
上の罰金の数値は通常のスピード違反でオーバースピードの値によってはさらに罰金の金額は上がるそうです。
今回の運転手さんは、かなり手前から察してゆっくり走っていました。なぜ判るのか聞くと第6感と答えてくれました。


制限スピードの表示です。車種によってスピード制限値が違うのがインドです。この場所では乗用車が60km/hでトラックが40km/hでバイクが50km/hでした。

竹林鎮の洞穴住宅 窰洞(やおとん) [河南省]


泊まっていた鄭州のホテルから洛陽の世界遺産である龍門石窟を見に行くためにタクシーをチャーターして高速道路を往復いたしました。その高速道路沿いに洞穴が沢山あることに気が付きました。120km/hで走る車の中からなので写真ではなかなか撮れませんでしたがこのあたり一帯の崖は穴だらでした。
石窟ではなく土の洞穴でした。運転手さんに聞くと昔からの住居だそうです。洞穴の住居のことを窰洞(やおとん)と言います。

このあたり一帯は硬い粘土層で掘りやすく崩れないそうです。近くに少林寺がある登封の近くの村で看板には竹林鎮と書かれていました。


今でも人が住んでいる立派な扉が付いた洞穴の写真は残念ながらここでは撮れませんでした。
山西省でも見つけました。⇒ポチッ
いろんな場所に洞穴住宅があり、世界にはいろんなタイプの住宅があることを知りました。


写真の撮影場所を紹介します。
   写真撮影場所 洞穴住宅
   少林寺
   龍門石窟 世界遺産
   高速道路 鄭州~洛陽

デリーの大統領官邸 [インド]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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予定には入っていなかったけれど昼食の後、ホテルへ帰る途中に、昔に行ったことのある大統領官邸の前まで車で行ってもらいました。下のフィルムカメラ時代の写真と比べてみてください。インド門は人が多かったけれどこちらは広いせいか静かな場所でした。クリックすると拡大します。

気になっていた大砲も撮ってきました。今は大砲には近づけませんでしたが、きれいに花で飾られていました。


正面から撮ると大統領官邸と一緒に撮れます。
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横から撮りました。警備の人がいるのがわかると思います。
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大統領官邸側から官庁関係の建物を撮りました。大変、広くて部屋は約1000もあり掃除をする人は3000人いるという噂だそうです。
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走っている車の種類も昔とは大違いです。小型ですが新しい車が増えました。



ここから下の写真がデジカメのない時代の写真です。下にも書いていますが、是非とも下の写真たちをクリックしてみてください。デジタルとは違うアナログ的な写真を実感してもらえるかもしれません。

インドの大統領官邸です。写真をクリックしてみてください。空気のきれいなこととフィルムの味わいがわかってもらえると思います。
両側に大砲が置かれているのが印象的!
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大統領官邸を遠くから見た景色
車や人がいないのが不思議ではありませんか。
拡大すると少し見えます。門のところに守衛所がありますがさらに中に入れてもらって撮ったのが上の写真です。パキスタンと違い自由に入れるのがいいですね。
朝早くホテルから歩いて行ってみました。
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大砲の拡大写真   誰でも近寄れるところに置いてあります。持って帰ろうかな!

インド門と大統領官邸の位置関係は下記の地図を見てください。ネットから地図を拝借いたしました

27年ぶりの懐かしい味 「夫婦ぎょうざ」で鍋貼児餃子を食べました。 [神戸]



私が入社した会社での最初の勤務地は神戸でした。その時によく行った餃子屋さんが、今回紹介するお店です。お店の名前は夫婦ぎょうざ(みょうとぎょうざ)です。毎週のように「夫婦ぎょうざ」で餃子を食べていましたが、1988年11月3日に組織ごと東京に転勤となりました。数百人になる大掛かりな転勤でした。その後、仕事で神戸に来ることも多かったのですが、時間が無くて食べることが出来なかったため、ずーと食べたいと思っていました。そして、ついに思いを2015年6月19日に実現させました。つまり27年ぶりに食べることが出来たのでした。
1988年に転勤になった時は、結婚して神戸の須磨区に住んでいました。最寄駅は神戸市営地下鉄の妙法寺駅で、家族そろって千葉県の船橋市に引越しました。

実は27年前のお店の場所は、今の場所と違う場所なのです。それは、今から20年前、1995年1月17日の阪神淡路大震災でお店がなくなってしまい、今の場所でお店を再開したという経緯があったのです。元の場所に何度か行ってお店が見当たらなかったので気になっていたのです。今のお店は新開地商店街()の東側ですが、震災前は西側にあったのです。お店を紹介します。店名の「夫婦ぎょうざ」は「みょうとぎょうざ」あるいは「めおとぎょうざ」と発音します。
クリックすると拡大  店名 夫婦ぎょうざ / 夫婦餃子(みょうとぎょうざ)
  電話 078-575-0660
  営業 15:30~21:30
  定休 日曜日    ただし臨時休業あり
  料理 餃子のみ  ただしライス(150円)あり
  値段 10個:460円  15個:690円
  創業 昭和29年(1954年)
  住所 神戸市兵庫区新開地2-5-5 ライオンズプラザ神戸112 


店内はカウンター席のみです。目の前で生地を作って具を包んで焼きます。作りたての餃子が食べれます。写真は、ご主人が生地を機械で伸ばしているところです。
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今回は3人で来ました。その中の1人は、同期入社で、且つ、同じ課に配属になり、東京にも一緒に転勤になった友人です。今回の3人は翌日6月20日に明石ゴルフ倶楽部で、一緒に芝刈りをする仲間でもあったのです。


こちらのお店は昭和29年創業の餃子専門店です。昭和29年は1954年なので創業61年になるわけです。


さっそく3人共に、2人前(20個)づつ頼みました。見ていると、ほとんどの人が2人前を注文していました。1人前や1.5人前を頼むことも出来ます。
クリックすると拡大壁に「鍋貼児餃子」の古びた張紙がありました。調べてみると鍋貼(あるいは鍋貼児)は焼餃子のことです。ただし厳密には焼餃子と鍋貼児は違うそうです。鍋貼児(锅贴儿)は大きくて四角い感じだそうです。確かにこちらの餃子は普通の焼餃子とは雰囲気が違いました。大きくはありませんが、確かに少し四角い感じでした。日本では、鍋貼児とだけ書くと、餃子だとわからないので、「鍋貼児餃子」と書いたのだと感じました。日本流に訳すならば「中国焼餃子」ということになるのだと思いますが、「鍋貼児餃子」の方が判りやすいです。日本の焼餃子を中国流に言えば「日式鍋貼児」になると思います。
鍋貼児はグォティアル(guotier)と発音します。調べてみると、先代が満州で覚えてきた鍋貼児だそうです。きっと夫婦二人だけでお店をやったので、店名を「夫婦餃子」としたのだと思います。現在は2代目が伝統の味を守っているそうです。
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こちらが拡大写真です。我々が知っている餃子の羽はないのですが抜群に美味しいのです。確かに表面の感じは中国の焼餃子に似ていました。でも、中国に今まで98回行きましたが、こんなに美味しい焼餃子を食べたことはないので、日本で研究して完成した究極の鍋貼児のような気がします。もちろん日本でも、これだけ美味しい餃子には滅多にお目にかかれませんでした。
さらに追加で計3人前頼みました。3人前の内、私が2人前食べてしまったので、最初の2人前と合わせて4人前(40個)を食べたことになります。ビールは7本頼んで私は2.5本飲みました。
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こちらの餃子(鍋貼児 / 鍋貼)の特徴はタレにもあります。ニンニク醤油と味噌です。一番右の器に入っているのが味噌です。私は酢+ニンニク醤油+味噌のタレでいただきました。ラー油と普通の醤油も置かれています。左から酢、醤油、にんにく醤油、ラー油、味噌です。
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これがタレにつけた餃子(鍋貼児 / 鍋貼)です。
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こちらの餃子が美味しいのは具にも秘密がありそうです。肉汁もたっぷりと出てくるのも美味しさの秘密なのかもしれません。
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こちらが新開地商店街です。懐かしくなって餃子店を出た後に歩いてみました。一番公園よりの右側のお店で、さらに生ビールを飲んで帰りました。
新開地には今回紹介の1954年創業の「夫婦ぎょうざ」以外に1925年創業の豚まん一筋の「春陽軒」や1941年創業の洋食屋「グリル金プラ」や1952年創業の「グリル一平」など、60年を超える老舗が沢山あります。春陽軒の豚まんも味噌だれで食べると書かれていたので、次は是非とも、それらも食べてみたいと思っています。
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タグ:餃子 神戸

この煙は? 火事? [エジプト]


場所はエジプトの首都カイロの高級住宅地です。時間は午前7時7分です。
実は車で殺虫剤を散布しているのです。対象の虫は判りませんが蚊や蝿ではないでしょうか。見たことはありませんが日本もDDT(ディーディーティー、Dichloro-diphenyl-trichloroethane)を散布していた時代がありました。

DDTは第二次世界大戦によって日本の除虫菊の供給が途絶えたアメリカによって実用化されたそうです。戦争直後の衛生状況の悪い時代にアメリカ軍が持ち込んだDDTによるシラミなどの防疫対策として初めて用いられたそうです。外地からの引揚者や、一般の児童の頭髪に薬剤(粉状)を浴びせる防除風景は、ニュース映像として配信されたため世間一般の知名度が高くなったようです。日本では化学物質としての危険性が高いことから1971年5月に農薬登録が失効したそうです。
しかし発展途上国ではDDTを止めることでマラリアでの死者が急増したたことと発癌性の危険度も下がりったため発展途上国では見直されてきています。→DDT 

いろいろ調べてみるとDDTに代わる安価な殺虫剤がないようなので、あの煙はDDTの可能性が高いことになります。

禁煙 By Law [インド]

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インドの一流ホテルのロビーのテーブルに禁煙マーク  そして By Law の文字が!
これは「法律により禁煙」ですね。 奥が深い、なかなかのアイデアです。


デリーの馬車 [インド]

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デリーの馬車も趣きがあります。悪くはないのですが、下の馬車と、つい比べてしまいます。この中でルイビルの馬車に乗りました。
デリーの馬車は観光というよりは乗り物かな!
でも難点が! インドは暑いのです。

ルイビルの馬車


シカゴの馬車
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タグ: 馬車

竹ぼうき清掃車 [天津]

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天津の近くを車で走っているときに珍しい物を見ました。北京に住んでいる中国の人が4人一緒でしたが彼らも始めて見たそうです。ネットでは見たことがあるそうなので中国の人にとっても珍しいものと言えそうです。
上の写真を是非クリックしてみて欲しいです。雰囲気がわかると思います。

トラクターで竹ぼうきが回転する車を引いているのです。


道の掃除に大きな竹箒が使われていたのがアイデアの元でしょう。
この機械は、道に出て掃除するような危険な作業を減らすのが目的のようです。道端の掃除だけなら危険は少ないと思います。

タグ:清掃車

懐かしい人と懐かしい神戸で鉄板焼 朱藏 SHUKRAN [神戸]

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2015年6月17日に初孫に会って、奈良から直通電車で三宮に来たのはこちらのお店での飲み会だったのです。知り合いの人が関東から関西に転勤になり神戸に引越した人と2年半ぶりの飲み会だったのです。タイトルで懐かしい神戸と書かしていただいたのは、私が小学校4年から1988年11月3日まで神戸および神戸近郊に住んでいて、入社した時の会社の勤務先が神戸だったからで、27年前の1988年11月3日に神戸から関東に転勤で引っ越しましたので懐かしい場所なのです。知り合いの人が選んでくれたのが神戸らしいセンスの素敵なお店だったので紹介させていただきます。
  店名 朱藏 SHUKRAN シュクラン
  料理 ビストロ 創作鉄板焼 
  住所 兵庫県神戸市中央区中山手通3-10-12
  電話 078-251-9800
  営業 18:00~23:00
  定休 火曜日
  URL http://r.gnavi.co.jp/kbvw800/    Facebook

朱藏は、ご主人がシェフで、素敵な若いご夫婦の2人でやられていました。関係は判りませんでしたが、 朱藏 のお隣がNICKという名の精肉店(MEAT SHOP)でした。
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ずわい蟹とアボガドと新鮮な野菜とトビッコ(飛子)のサラダでした。ドレッングに特徴がありました。こんな素敵なお店をどうして短期間で見つけたのかを聞くと、ご夫婦で引越し前に社宅を見に来た時に偶然に歩いていて見つけて入ったお店だそうです。確かに夫婦で行くのにピッタリのお店でした。
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先ずはビールを一杯、頼みました。その後はワインにいたしました。


次は新鮮な烏賊の前菜です。
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料理を写真を拡大いたしました。
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ビールの後に最初に頼んだのは白ワインでした。19時5分
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前菜の次は冷製スープでした。いろんな国に行った時の話で盛り上がってきました。
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ウニの手巻き寿司です。
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料理を拡大すると手巻き寿司であることが判ってもらえると思います。
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春巻きののような皮を巻いて揚げた料理です。お洒落な料理でした。
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2本目のワインは赤ワインにいたしました。20時12分
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カウンターの前には鉄板があり、その鉄板で次の料理であるスズキを焼いてもらいました。左はお好み焼きだと思います。お好み焼きは別のお客さんのものだと思います。
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すすぎのソテーが出来上がりました。香ばしく出来上がっていました。
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香ばしさを感じていただくために料理を拡大いたしました。
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もう一本、別の赤ワインを追加しました。結局、ワインを3本飲んでしまいました。20時34分
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ここで肉が登場です。鹿児島牛です。
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鹿児島牛のステーキです。お皿の上に散らされた塩でいただきました。
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こちらの料理も拡大いたしました。
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最後はアイスクリーム系のデザートでした。私のお皿にthank you !! と書かれていました。
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デザートも拡大いたしました。こちらのお店の特徴を一言で言えば雰囲気だと思いました。神戸が満喫できるお店でした。18時40分にお店に入って、この時、閉店前の22時47分だったことを、撮った写真で気が付きました。懐かしい話で盛り上がって、ワインを3本も飲んでしまったわけです。その我々の話に合わせて料理を出してくださったわけで、ほんとうれしいことです。
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お店の中の雰囲気をお伝えしたかったので、お店のFacebookの写真を転用させていただきました。
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お店も素敵ですが、素敵な場所にあるので周辺も紹介したくなりました。
レストランの前の中山手通りです。
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中山手通りに交差する道からは山を見ることが出来ます。間近に海と山があるのが神戸の素敵なところだと思います。ここは高校生や学生たちの通学路でした。是非とも写真をクリックしてみてください。坂道の雰囲気を感じてもらえるかもしれません。
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素敵な坂道に溢れた場所でした。近くには北野異人館街もある場所なのです。
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近くの有名な場所を紹介します。
こちらが生田神社です。三宮駅からお店に行く途中にありました。関西には6月16日から6月21日まで行っていました。
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お店には約束の時間より早く着いてしまったので周辺を散策した見ました。日本風の門がありました。こちらは相楽園(そうらくえん)です。元神戸市長の小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎氏の本邸に営まれた日本庭園ですが、敷地内には移築された旧ハッサム住宅や馬車を入れる旧小寺家厩舎が残されています。
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歴史のありそうな名前が「ひらがな」の小学校がもありました。
神戸市立こうべ小学校です。
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神戸市立こうべ小学校の沿革です。
 1884年12月12日 神戸市立神戸小学校    4校が統合して開校
 1990年04月01日 神戸市立神戸諏訪山小学校 合併して名前が変わる。
 1996年04月01日 神戸市立こうべ小学校   合併して名前が変わる。


航空写真で場所を紹介します。阪急の三宮駅は神戸高速鉄道の接続駅なので三宮には6つの鉄道会社の三宮(三ノ宮)駅がある神戸の商業の中心場所です。
  朱藏 SHUKRAN シュクラン
  生田神社
  相楽園(そうらくえん)
  神戸市立こうべ小学校
  阪神三宮駅       JR三ノ宮駅
  阪急三宮駅       地下鉄三宮駅
  ポートライナー三宮駅
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タグ: 神戸 鉄板焼

昔は日本人 今はロシア人 [エジプト]

が表示された写真はクリックすると拡大します。

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ガイドさんによるとエジプトの観光客は去年は900万人で今年はそれをはるかに越える人数になると予想されているそうです。
少し前の統計ですが2003年にエジプトを訪れたロシア人は60万人でイタリア、ドイツに次いで第3位にランクされていましたが、今は急激に伸びてロシア人は年間100万人がエジプトを訪れるそうです。かつては観光客の1or2位は日本人だったそうですが今は2%未満のようです。あと目立っていたのが中国の人たちです。明らかに日本人より多かったです。
上の写真はツタンカーメンの秘宝のほとんどが展示されている市内で人気のエジプト考古学博物館です。

欧米人とロシア人の違いは難しいのですが、ガイドさんの話を聞くと、みんなロシア人に見えてきます。(笑) 足の長さかな?


ムハンメド・アリ・モスクのあるシタデル城砦(城塞)の駐車場です。11時10分です。
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シタデル城砦内の「ヨセフの井戸」の前で休憩中のようです。


団体で歩いてきます。先頭はたぶんガイドさんですね。


スフィンクスの前です。
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ピラミッドの前でも欧米人ばかりです。なんとなくロシア人系の人が多い気がします。
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なかなか日本が見つかりません。やはり13年前(1997年11月17日)に多くの日本人が巻き込まれたルクソーでのテロの影響が今でもあるのかも知れませんが、それよりも観光客があろころに比べると数倍に延びていて相対的に日本人の率が減っているのだと思います。今の警備は凄いです。

インドに来てみて! [インド]

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今年の初めにインドに入りましが、今までネットの不具合で記事のアップが出来ませんでした。夜のフライトで帰国するのでインドに居る間に1つだけでもアップしたいため成田からデリーのフライトを紹介いたしました。

さほど天気はよくなかったけれど富士山だけはクリヤーに見ることが出来ました。何度も富士山の空から写真は紹介させていただいておりますが、何度見ても富士山の姿はきれいです。
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インドに入るにはビザが必要です。これが、インドのビザで一年間有効なタイプです。ぎりぎり使えたので有効に使わしてもらいました。ビザには名前やパスポート番号が書かれているので白抜きで消さしてもらっています。


飛行機は上海あたりから中国の上を飛び、ミヤンマーとバングラデッシュの上空を通ってインドに入ります。そろそろ右手にヒマラヤ見える位置まで飛んできたところです。インドは近いようですが成田からデリーは10時間20分かかります。長フライトでした。


遠く(300km~400km)にヒマラヤが見えてきました。飛行機より上の空気は澄んで昼間でも濃い青色です。


上の景色を精一杯拡大してみました。飛行機の位置から判断して、この写真の中に世界最高峰(標高8844.43m)のエベレスト/Everest(チョモランマ/Chomolungma)が写っていると思います。
普通のオートフォーカスだけのコンパクトカメラだとピントは合わないと思います。一眼レフではないけれど、手動フォーカスの機能がついたカメラを持ってきたので何とか撮れました。
飛行機の振動などのため写真はクリヤーではありませんが雰囲気は判ってもらえると思います。
帰りのフライトは夜になるので、この景色が見れるのは行きだけになります。インドに行くときに、見たい方は右側の窓側の席を予約することをお薦めします。
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一年前にもインドに来ました。今の時期は涼しいためインドの最高の季節でホテルも満席だし飛行機も満席なのが例年のことでしたが飛行機は見ての通りでした。
ムンバイのテロの影響が明らかに出ていました。景色が見やすいであろうと2階席を予約しましたが私も含めて2階席には4名しか乗られていませんでした。
航空会社のダメージは相当なものだと思います。


ホテルも例年ならば高級ホテルは満席で予約を取るのも大変なことでしたが、今回は簡単に取れたし宿泊代も25%安かったです。
信じられないことにバスタブに入れるお湯も最初は茶色いお湯が出てきました。お客さんもかなり減っていることを実感させられました。
ホテルのセキュリティーもインドネシアなみになっていました。車が入る門には鉄格子の扉が取り付けられて厳重な検査を受けてホテルの敷地に入ります。


もちろん人間や荷物も空港の安全検査と同じことが行われて建物の中に入ることが出来るのです。一年前は、まったくありませんでした。ただし、安心感はあるので不便を感じることはありませんでした。
ホテルの選択も気を使いました。アメリカ系とインド系は避けてホテルを選択させてもらいました。ということでホテルから外出を控えたのでインドの報告は料理が中心の掲載になってしまうと思います。

タグ:インド

奈良から神戸三宮への直通電車に乗りました。 [奈良]

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昨日6月21日に、関西から帰宅いたしました。2015年6月12日に生まれた初孫に6月17日に会って、その夕方は、神戸の三宮(三ノ宮)で、東京から関西に転勤になった人との飲み会があったので三宮に行くために近鉄奈良駅に、息子のお嫁さんのお父さんに車で送っていただきました。上の写真が近鉄奈良駅のホームで地下2階にありました。

改札は地下1階で、同じブロアーには沢山のお土産屋さんがありました。お土産を買いたかったけれども、飲み会があるので、身軽な方がいいと思いお土産は買いませんでした。後で写真を見て、買っとけばよかったかなと思ってしまいました。
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実は阪神の「なんば線」が完成したことで近鉄と阪神が2009年3月20日から相互乗り入れをして、奈良から三宮への直通運転が実現していたのでした。私は27年前の1988年11月3日に関西から関東に転勤で引っ越していて関西の情報は少なかったことから奈良から三宮に直通で行けることはこの日まで知らなかったので、早速に利用させてもらいました。乗ったのは16時17分発の快速急行・三宮行でした。


こちらが乗った快速急行です。もちろん最初から最後まで座って行けました。右上に9725と書かれていることから近鉄の9820系9725Fという車両と思われます。
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奈良からはJRを利用して行くことが出来ますが大阪駅で乗り換えとなります。新快速があるので時間的には11分ほど早いのですが、混雑する大阪で乗換がある上に、大阪からは座れないことも多いと思います。
さらに料金が近鉄+阪神を利用する方がJRより270円も安いのです。
ルート時間乗換料金距離
近鉄奈良阪神神戸三宮96分0回970円65.2km
JR奈良JR三ノ宮85分1回1240円79.1km
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途中の大阪環状線との乗換駅である鶴橋駅には16時56分に着きました。奈良から鶴橋までは39分で走るのでした。写真は電車の中から撮りました。


17時53分に阪神神戸三宮駅に着きました。
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乗ってきた電車は表示がすぐに奈良になっていました。


駅を降りて生田神社の境内を通って飲み会場所に向かいました。神戸は私が会社に入った時の、最初の勤務地なのです。関西からは組織ごと数百人が関東に転勤になったのでした。
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参考に電車のルート図を掲載します。ただし、時間によってルートが変わるのでいつも直通電車のルートが表示されているとは限りませ。

ハノイから南に下ると桂林の景色に出会えます。 [ベトナム]


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石灰岩の景観で有名なのが中国の桂林で、ベトナムでは「海の桂林」とたとえられているハーロンが有名です。桂林からハーロンそしてハノイのすこし南まで石灰岩が連なっていることから、ハノイから国道1号線を南下すると写真のような景観に出会えます。特に観光案内にはないので有名ではないけれども、じっくりと見る価値がありそうです。写真をクリックするとパノラマ写真を表示します。

近くに見える山並みも石灰岩が風化して桂林的な形になっていました。クリックするとこちらもパノラマを表示するので是非とも見てください。
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こちらの写真はクリックすると広範囲のパノラマ写真を表示します。3枚の写真ともパノラマのでかたが違います。
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追伸
2015年6月16日から関西に来ていました。17日に初孫に会って、17日と19日の夕刻に友人と神戸で飲んで20日にゴルフをして、今日6月21日に家に帰ります。伊丹空港が8時のフライトに乗ります。今は空港にいます。

ケルンからの帰りにぶらっと Bonn [ドイツ]

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一人でマンハイムから電車でケルン大聖堂に、日帰で行った帰りに、ボン(Bonn)で降りた時のことを紹介いたします。その時は偶然にも、お祭をやっていました。東西ドイツ統一前の西ドイツの首都がボンでした。歴史のある街なのです。

有名なケルン大聖堂 これだけを見ての帰り道にボンで途中下車いました。

ケルン大聖堂は大き過ぎる(高さが157m)ので上部と地上だけを掲載 下の写真で人間と比較していかに大きいかが判ると思います。


マルクト広場の東の端にある1738年にバロック様式で建てられた市庁舎の前に来ると沢山の人が集まっていました。丁度お祭りとはラッキーでした。日本人が歩いていてもお祭りに熱中していて誰も気にする様子もなかったですね。
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近づくと小さな女の子たちが民族衣装で踊っていました。
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5本の塔と東西の二つの祭室を持つライン・ロマネスク様式の堂々たる姿を見せるボンの大聖堂です。


大聖堂の中ではソーセージをおいしそうに焼いていました。やっぱりドイツのお祭りですね。 毎年の楽しみかもしれません。


きれいな景観もありました。
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街の中に遺跡の跡も! クリックすると拡大します。
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電車は乗るのも降りるのも改札はなし でもチャント切符は買って乗りました。


Bonn駅のホームです。


Bonn駅の外観です。町の中はお祭りでにぎやかでしたが駅の廻りは静かでした。


有名そうな建物もありました。 本当のぶらり旅でした。
ボンの外部Web ⇒ ここ
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初孫に会ってきました。 [日々]



2015年6月12日の早朝に私の長男夫婦に子供が生まれました。女の子です。 初孫になります。家内は6月15日に会って来て、私は6月17日に会ってきました。この日は13時に退院で、上の写真は退院のために病室に連れてこられた時の写真です。

退院前に父親がおむつの取り換えを練習するのです。母親は心配そうに見守っています。


退院してお嫁さんの実家に着くまでを連続写真で紹介します。右上から順番に写真を説明します。
 ①おむつを替える練習をしている写真です。
 ②荷物をまとめているところです。
 ③病院の人にあいさつして病室を離れるところです。
 ④病院内の廊下を歩いているところです。
 ⑤お嫁さんが精算中に待っているところです。
 ⑥お嫁さんの実家に着きました。



右の写真が誕生した2015年6月12日の写真です。午前3時50分に生まれたそうです。写真は18時50分に撮られたものなので生まれて15時間後です。翌日にメールで送られてきました。
体が冷えないように帽子をかぶっています。

私も一緒にお嫁さんの実家に行きました。その時、目を開けてくれたので写真を撮りました。


こちらは息子の赤ちゃんだった時の写真です。何となく似ていると思い掲載いたしました。
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実家で初めて赤ちゃんを抱っこさせてもらいました。2時間半ほどお邪魔をしてビールも沢山いただいてしまいました。お嫁さんのお父さんは我々を駅まで送るために車の運転あるので残念ながら一緒には飲めませんでしたが、息子と二人で飲みました。
そのあと奈良駅まで送ってもらって神戸市の三宮まで行きました。
近鉄奈良駅から阪神三宮まで乗り換えなしで直通で行けるので16時17分発の快速急行に乗りました。快速急行は近鉄奈良線→阪神なんば線→阪神本線と走りました。
この日は三宮で知り合いとの飲み会があったのでした。息子も一緒に奈良駅まで送ってもらい伊丹空港から北海道に飛行機で戻りました。私は6月21日まで関西にいてから家に帰ります。

タグ:退院 初孫

ハウプト通りの風景 [ドイツ]

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ハイデルベルグにきたらメインストリートの散策も欠かせません。この通りには沢山の人が歩いていて、色んな風景に出会えます。 あたりまえだけど!
通りの名前は「ハウプト通り」

似顔絵を描いている人もいました。みんなに注目されながら描いてもらうのもいいですね。雰囲気あります。
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果物も売っていました。この季節はイチゴとチェリーかな! 拡大して果物を見てみてください。売り手の人が居ないですね。もしかして食べ放題! 値段が付いているから違うかか!残念でした。
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よく見ると売り手の人が写っていました。判りますか? 失礼しました。


これは? 何だろ


さらに通りの風景を2枚追加しました。


ビスマルク広場からのハウプト通りの景色です。リカンベント自転車の記事で紹介した写真です。
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メインストリートに交差した路地です。メイン通りに比べて人が少ないです。

ぶどう畑のある景色 [ドイツ]

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ドイツで丸いソーセージを紹介したホテルのあった町です。
朝の7時ごろ散歩していると山の裾野にはぶどう畑が広がっていました。で山の上まで登ってみました。

ぶどう畑の周りは住宅地なのです。ぶどう畑に近いところはちょっと高級な感じの住宅街広がっていました。漂ってくる焼きたてのパンのかおりも印象的でした。


住宅街から降りてくるとこの道路に出ます。ここは路面電車が走っています。普通の路面電車のように見えますが実はこのあたりだけ単線運転をしているのです。ここはあのリカンベント自転車が走っていた道路です。


上の車両は新型で下のが旧型かな? 幅が違うように見えるけれど同じ線路なんです。
通りの反対側から見ました。線路がよく見えます。単線なのが判ってもらえると思います。この線路を向こうから来たりこっちから行ったりしているのです。結構頻繁に走っていました。
ハイデルベルグから車で20分弱の距離ですがこの路面電車もハイデルベルグまでつながっています。その間はもちろん複線です。


単線の路面電車でネット検索すると日本では豊橋にあると出てきました。


住宅街から降りてくる道です。朝早かったので通学時間帯でした。リョックが大きいですね。出ようとしている道は上で紹介した路面電車が走っていた道路です。

カール・テオドール橋からの景色 [ドイツ]

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カール・テオドール橋はネッカー川にかかる橋ですがハイデルベルグ城が最もきれいに見える場所といえます。
前にも報告したようにネッカー川は沢山の船が行き来しています。この写真は橋の下流側です。ここから川を上っていくとすばらしい景色に出会えます。この船の位置からの景色は最高です。
ハイデルベルグには3回来ましたが、この橋の記事では、その3回訪問時の写真を使わさせてもらっています。上から1枚目2枚目3枚目5枚目の写真が、この回の写真です。4枚目の写真がネッカー川を紹介した時の写真(4月26日)で、最後の2枚(6枚目7枚目)の写真が冬のハイデルベルグ城を紹介したときの写真です。6枚目と7枚目の間の小さな写真も今回の写真です。

こちらの写真のその上流側を撮った写真です。船に乗っている人が羨ましいですね。川の右の方が船が通れる水門になっています。クリックすると船を拡大しますが昔と変っていないですね。
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これも橋の上流側の景色です。左岸を撮ったものです。
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この写真は橋の上からでは船の上から撮ったものです。でも、ネッカー川の記事で紹介したとおり、カール・テオドール橋の近くの景色です。
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これが景色を撮ったカール・テオドール橋です。ハイデルベルグ城から見た橋の景色です。この写真は是非ともクリックしてもらいたいです。
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橋の写真も紹介いたします。カール・テオドールにより、1786~88年にかけて造られたそうです。その前身は木製の橋だったそうです。
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クリックすると拡大橋の上から橋のシンボルである門塔を撮りました。
この門塔はすばらしいです。
下の写真の中の右のピンクの建物はホテルですが、冬のクリスマスの時期に来たときに泊まりました。
下の写真はその時の写真です。
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酸味のあるトマト味の中華料理 [寧夏回族自治区]

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寧夏回族自治区の中衛市(中卫市)に2015年5月31日~6月3日まで滞在いたしました。3泊4日なので3回ほど夕食を食べました。最初の2回はすでに紹介したリゾートホテルで食事をしましたが、最後の6月2日の夕食は町に出て、屋外で食べれるレストラン街に仲間7人で行きました。その内、日本人は2名でした。屋外と言ったも屋台ではなく通りの両側がレストランになっており店内でも食べれるのですが、今の季節はヨーロッパのように屋外で食べるのが人気でした。上の写真は通りの入口から撮りました。
横断幕には 热烈庆祝商城美食一乗隆重开业 (熱烈慶祝商城美食一乗隆重開業)と書かれています。

選んだレストランはこちらです。名前の通り酸味のある料理が食べれるレストランでした。その酸味は酢などを使うのではなく、驚いたことにトマトの酸味なのです。
店の名前は「酸菜肚?馆」と一文字判りません。菜は料理で、肚は腹で胃腸のことです。?部分は「丝」のようでもありますが確証はありません。4文字目が判る方がおられたら教えいただけると嬉しいです。
丝が正しいとすれはお店の名前は「酸菜肚丝馆」となります。km45さんがコメントで店名は「酸菜肚丝馆(酸菜肚絲館)」で正しいと教えていただきました。ありがとうございます。料理として「羊杂碎」麻辣馿肉「素杂烩」「各种炒菜」などが書かれています。地方风味や中卫名店や王杰老字号の文字も見受けられます。老字号は老舗のことのようです。
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こちらは座った席からの写真です。
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先ずはビールです。この日の昼食までは中国の焼酎である白酒(ぱいちゅう)だったので、全員がビール、大歓迎でした。冷えたビールが無かったので、すぐに氷水で瓶ごと冷してもらいました。最初のビールは冷えが甘かったけれども途中から冷えたビールとなりました。この時の時間は19時24分でした。この季節は遅くまで明るいのです。


ビールと言えばピーナッツです。中華鍋で温めて塩が振られていてビールにピッタリで、ビールを飲みながら料理を待ちました。料理は出てきた順番に紹介いたします。
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寧夏では必ず注文する「砂漠の葱(ネギ)」です。この辺りの名物なので何度も食べましたが、今回の「砂漠の葱」が一番おいしかったのです。その理由はトマトの酸味です。皿の底の汁が赤いのが判ってもらえると思いますが、これがトマトの味付けだったのです。「砂漠のネギ」の正式名は砂葱(沙葱/シャーツォン)で、砂漠という過酷な環境で育つ野草でしたが、今では栽培されて手軽に食べることが出来るようです。栽培されている為いつでも食べれますが、春から夏にかけてが旬のようなので、今の時期が一番おいしいということになります。
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こちらの料理は粉皮と野菜とスライスしたジャガイモのが入った料理です。りっかりとトマトが入っていました。スライスしたジャガイモは油で揚げてあり食感が良かったです。
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こちらは青い野菜と椎茸の料理です。こちらにはトマトは使われていませんでした。
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こちらもトマトは使われていませんが、ピリ辛の細く切ったジャガイモが美味しかったです。
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揚げたインゲンの料理ですが、唐辛子でピリ辛に仕上がっており、ビールにピッタリでした。これは家で試してみる価値がありそうです。
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ここから後の料理はすべてトマト味です。辛くない料理あり、辛い料理ありで結構楽しめました。こちらはロバ肉の料理です。
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豆腐とトマトとピーナンの料理です。これも美味しかったです。
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8皿が出たところで写真を撮りました。トマト味が4皿です。
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次は瓜のような野菜の料理です。
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最後の2皿は似ていますが別の料理です。豚肉のようにも見えますが、ここはイスラム圏なので豚肉は使われていないとすると、いずれも羊肉か、あるいは1皿はロバ肉と思われます。
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ピーマンと長ネギと肉です。少しピリ辛に仕上げたトマト味です。ロバ肉と羊肉とすると、最後に掲載したメニューの中で、似た名前の料理は「馿肉小炒」と「羊肉小炒」です。
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全ての料理が出てきたところで写真を撮りました。食べた料理は11皿ですが1皿は片づけてしまったようで10皿しかありません。片づけられたのはインゲンの唐揚げでした。やはり中国の人にも人気があったようです。一緒に並べてみるとトマトがよく使われていることが判ってもらえると思います。11皿中、7皿がトマトを使った料理でした。
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最後の締めは麺です。平たい面でトクト味のスープです。パスタのような感じでもありました。これは一人一皿なので7皿頼みました。みんな完食でした。麺には意外とトマトが合います。
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こちらがメニューです。値段は42元が1品ありますが、その他は1皿が14元~40元です。中国語が判る方は、上の料理の名前を予想してみてください。
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寧夏回族自治区の中衛市( )の場所を紹介します。
なんと「上海~寧夏」は「成田~上海」と同じ程度の距離です。
ベトナムと同じ経度でありながら日本との時差は1時間なので遅くまで明るいことが理解していただけると思います。

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ささやかな退院祝い ビールで乾杯 [むさし]

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クリックすると拡大我家のワンコ(名前:むさし)が手術のために2015年6月8日に入院して6月10日に退院いたしました。6日10日はささやかな退院祝いをいたしました。退院祝と言っても、いつもよりビールを一本余分に飲んだ程度ですが、美味しくいただけました。

ムサシは退院してすぐでしたが、前記事で紹介した特別食を美味しそうに食べました。
  特別食 = ゆでササミ + ブロッコリー + マグロ缶 + パン
  ムサシの手術に関する記事はこちらです。 → ポチッ
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手術後の経過が良くて突然に退院が早まったので、料理は特別に用意したものではなく予定していた天婦羅でした。こちらはナスビとオクラです。
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ただし、この日の天麩羅にはキスの天婦羅が入っていました。キスの天婦羅の後ろはシメジの天麩羅です。
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このキスは厚肉で新鮮なものでした。東武百貨店に行く機会が偶々あったので買った来たものでした。揚げたての熱々は美味しかったです。この大きなキスが10匹ありました。
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やはりデパートの食材はよかったです。味わいを感じていただくために拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
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追伸
クリックすると記事を表示2015年6月12日の早朝3時50分に私の長男夫婦に子供が生まれました。女の子です。
私の初孫になります。
今日6月12日の夕食は、またお祝いです。
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2015月6月13日追記
初孫が生まれた6月12日の夕食は、すき焼きで初孫誕生祝をいたしました。長男は北海道でお嫁さんは出産のため関西に里帰りをしているので、ささやかなお祝いではありますが美味しくいただきました。
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もちろんビールで乾杯です。
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やっぱりすき焼きは美味しかったです。
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2015年6月13日追記 朗報です。
ムサシの手術で切除した病理組織を専門機関で検査してもらった結果、精巣および脾臓ともに悪性腫瘍ではないことが判明いたしました。いずれも自律性増殖ならびに転移性はないとのことで安心いたしました。後は体力回復と、肝臓および胆嚢の内科治療に専念できます。6月13日の血液検査の数値でも改善されてきています。ただし白血球が増加しているように傷口が炎症を起こしていることから、当分は通院して必要に応じて消毒を行うことになると思います。ステロイド剤の使用で肝臓の数値は若干悪くなりましたが、5月26日にCRP(犬反応性蛋白)が危機的状況の21mg/dl以上であったものが6月1日には4.5mg/dlまで下がり、手術の当日の6月8日には0.9mg/dl以下まで下がりました。諸刃の剣(ものはのつるぎ)であるステロイド剤が、絶妙の使い方だったのだと感じました。


ドイツ料理と言えばソーセージだけど! [ドイツ]

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ドイツと言えば前回も食べた「ソーセージとジャガイモと酢漬キャベツにビール」ですね。
その棒状のソーセージを期待してメニューの中でソーセージの文字が含まれている料理を頼んで出てきたのが写真の丸いソーセージ! 
それもきのこソース!
ホテルだから仕方がないか!でもソーセージもソースも美味しいかった。形が違ってもソーセージだけのことはあり、やっぱりビールと良く合いました。

前菜に変わった飲み物が出てきました。 
たまねぎとスープとお酒を混せたような飲み物
いや、タマネギとお酒だけだったかもしれません。


デザートは苺とアイスクリーム


最後はカプチーノ

ここでも屋外で食事でした。ハイデルベルグから少し離れた小さな町の住宅街のホテルでした。


こんな雰囲気のホテルでした。
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サッカーゲーム機 [ドイツ]

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日本ではサッカーゲームと言えばテレビゲームになってしまいます。ヨーロッパではこれです。電気を使わない完全な機械式!
ちょっとしたスペースがあるとこのサッカーゲームの機械が置いてありいつも誰かが楽しんでします。これはフランクフルトの飛行場においてあった航空会社のデザインのサッカーゲーム機! 

飛行機からの景色も紹介しておきます。ミラノまではフライトはアルプス越えになります。リヨンからチューリッヒの時はプロペラ機だったので低い高度からの景色でした。今回はジェット機なので高い高度からの景色です。比べてみてください。→ポチッ
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空港からミラノ市内まではこの列車に乗って行きました。
マルペンサ・エクスプレス(MALPENSA EXPRESS)です

地方都市のリゾートホテル 寧夏中衛秀水大酒店 [寧夏回族自治区]



先ずはプレーボタン( )をクリックしてみてください。
紹介ホテルから始まって周囲360度撮影してまたホテルに戻ってくる動画です。場所は中国寧夏回族自治区中衛市にある、この辺りで屈指のリゾートホテルです。本ホテルには2015年5月31日から2泊3日で泊まりました。
中国の州や自治区の首都や観光として有名な場所には立派なホテルがありますが、2番目以降の都市のホテルはランクが落ちてしまうのです。今回の中衛市は寧夏回族自治区では4番目の都市です。そのような中衛市で、驚くようなリゾートホテルだったので紹介いたします。

こちらがホテル全景です。建物は3階建ててです。ホテルの名前は寧夏中衛秀水大酒店です。
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ホテルは湖のほとりにあります。北西方向には中国で4番目の大きさのトングリ砂漠が広がっています。
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ホテル前の船着場からの景色です。
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ホテルの内部を紹介いたします。こちらのホテルは豪華なのと広さが特徴のようです。
ロビーも広かったです。
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ロビーに併設された喫茶室も広かったです。
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玄関前からの景色です。この場所に車がつきます。
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湖の方から玄関の方向を見た景観です。大きさを実感していただけると思います。偶然に写った走っている小さな男の子が判っていただけるでしょうか。
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こちらは廊下です。天井が高くて広くて長いです。3階建で沢山の部屋があるので迷ってしまうほどでした。
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クリックすると拡大朝食風景です。一泊目は沢山の人が泊まっていたので、レストランでのバイキングでしたが、2泊目は宿泊客が少なかったので、それぞれのグループが個室で朝食をとりました。写真は3日目(6月2日)の朝食の写真です。
私は飲み物として牛乳とお茶を頼んで目玉焼きとハムとパンをいただきました。
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写真は2日目(6月1日)の夕食です。最初に、これだけの料理が並びました。
ここから外に食事に行くのは難しいため、ホテルで夕食は2回、昼食は1回、朝食は2回食べました。
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寧夏回族自治区は、中国で一番、羊の肉が美味しいと言われています。シンプルに茹でた肉が柔らかくて美味しかったです。夕食2回と昼食1回の計3回共に、美味しい羊の肉をいただきました。3回食べても飽きなかったです。
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最初に9種類のお茶の中から、好きなお茶が選べるのも、こちらのホテルのレストランの特徴でした。夕食の2回と昼食は1回の計3回で3種類を飲みました。赤いのはクコの実です。寧夏回族自治区はクコの実の名産地なのです。
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こちらが3回目に飲んだお茶です。1回目に飲んだのは花茶でした。


航空写真で見たホテルの全景です。
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こちらが私が泊まったスタンダードの部屋です。スタンダードとは思えない立派な部屋でした。
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地方都市では4星ホテルでもシャワーだけのところが多いのですが、こちらはバスタブがついていました。別途、シャワー室もありました。
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私の部屋からの景色です。
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橋から見たホテルです。
中衛市には以前に紹介した、砂漠が主役のテーマパークである砂坡頭(沙坡头)があり、観光にも力を入れているのです。先に大きな設備を作って、その驚くほどの大きさで人を集めるのが中国式で、いろんなところで成功しています。このリゾートホテルも、おそらく、その中国式の集客を狙って建てられたリゾートホテルなのだと、感じました。我々から見ても、驚くほど巨大で、豪華なホテルでした。
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橋の上からの湖の景色です。
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月曜日にはのんびりと釣りをしている人もいました。この湖には2m近い巨大な魚もいるそうです。


寧夏回族自治区の中衛市( )の場所を紹介します。
なんと「上海~寧夏」は「成田~上海」と同じ程度の距離です。結構、中衛市は遠いことが判って頂けると思います。

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タグ:寧夏 ホテル

ドイツの朝食 [ドイツ]


クリックするとスモークサーモン
朝食です。バイキング方式でおいしそうなものを選んでみました。スモークサーモン!これは絶品!

ヨーロッパはチーズが充実しています。チーズも全部食べてみたかった。ここのチーズは切ってありました。スイスでは自分で切りました。
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ハムとソーセージ


こんな四角いパンもありました。
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食べたパンだけ拡大しました。右側はかぼちゃの種だと思います。めずらしい


やっぱ屋外で朝食はいいですね。ホテル自体は郊外の住宅地です。


シンプルできれいな部屋でした。

帰国便は、ビーフシチューにシャンパーニュ [機内 CY]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大2015年6月5日に上海から帰国いたしました。
  5月27日 成田→上海 JL 873
  5月31日 南京→銀川 MU 2789
  6月03日 銀川→南京 CZ 6963
  6月05日 上海→成田 JL 876
前記事で行きの5月27日の機内では鶴齢(かくれい)と獺祭(だっさい)の純米大吟醸を飲んだことを紹介いたしました。帰りの便も和食で純米大吟醸にするつもりでしたが、メニューの洋食のビーフシチューを見て、気持ちが変わり、洋食にすることにいたしました。洋食だと、やっぱりワインやシャンパーニュ(シャンパン)です。

さっそく食前酒でシャンパーニュをいただきました。純米大吟醸の場合は、ミニボトルで出されますが、シャンパーニュは大きなボトルから入れてもらえます。


シャンパーニュはドゥラモット ブリュット N.V.(Delamotte Brut N.V.)です。
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食前に2杯いただきました。


洋食の機内食が出てきました。アペタイザーとサラダとビーフシチューとパンです。
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ビーフシチューを拡大いたしました。肉がたっぷりなので、ビーフシチューというよりはステーキの煮込みと言った方がいいかもしれません。上から底まで肉でした。是非ともクリックしてみてください。
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さっそく食べてみました。想像していた通り、柔らかくて、美味しいビーフシチューでした。これはお薦めの一品です。洋食の選択は正しかったと実感いたしました。
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日本酒の場合はミニボトルで十分なのですが、ワインは大きなボトルから入れてもらいたいのですが、近距離便の場合はビジネスクラスでも、ワインはミニボトルで出されるのです。そこで食事中もシャンパーニュにいたしました。ワインとして用意されているのはフランス・ブルゴーニュ (Bourgogne)産の次の二つです。
 白ワイン
    ルイ・マックス マコン・ヴィラージュ 2013
    Louis Max Mâcon Villages 2013
 赤ワイン
    ルイ・マックス ブルゴーニュ・オート・ コート・ド・ボーヌ 2013
    Louis Max Bourgogne Hautes Côtes de Beaune 2013
ビール、ワイン、シャンパーニュ、純米大吟醸以外では、梅酒、マティーニ、ブラディーメアリー、シーバス・リーガル、ボンベイサファイア・ジン、アブソルート・ウォッカ、芋焼酎・富乃宝山などがありました。
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アペタイザー(前菜)は次の3品が出てきました。
  帆立のズッキーニ巻き
  トマトのファルシ
  ミックス野菜とトマトソースのローストサーロイン巻き
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最後はデザートとしてアイスクリームが出されました。


この時の窓の外の景色です。


成田空港への着陸寸前の動画も紹介します。着陸すると雨でした。


上海空港のラウンジではビールを飲みました。最近では珍しく電源としてトランスが接続されていました。もしかしたら中国では、このビールサーバーが売られていないため日本から持ち込んだのかもしれません。確かにありうることです。


上海のラウンジは日本と比べるといろんな意味で差が歴然としています。ただし熱々の焼売は美味しいのでビールのつまみとしてよく食べます。でも皆に一番人気があるのが、ポークカレーのようです。普通のポークカレーの味ですが、それでも人気があるのは、不味くは無く、馴染み深い味わいだからだと思います。ホテルでしっかり朝食を食べて来ているし、飛行機では、今回のような機内食が出るので、食べ過ぎを避けるために、ラウンジでは、ほとんど食べませんが、今回はチャーハン・カレーを試してみました。小さなな器に炒飯を入れてカレーをかけました。カレーライスでは物足りない方は、試してみてはいかがですか。次に行った時はラウンジの食事を紹介したいと思います。


前記事で上海浦東国際空港の着陸後の移動ルートを紹介したので、ここでは離陸時の移動ルートを紹介します。29番スポット(ボーディングブリッジ)から4000m滑走路から離陸するまでのルートです。
   2015年6月5日 JL876離陸移動ルート
   滑走路 3400m 4000m 3800m 3800m
   ターミナル1
   ターミナル2


こちらは成田空港です。今回は着陸後の移動ルートを把握できなかったので、この次に離陸ルートと着陸ルートを記載したいと思います。記載ルートは2015年7月27日~7月31日の99回目の中国訪問の時に確認したいと思います。
   ターミナル1 1978年05月20日に開港
   ターミナル2 1992年12月06日に営業開始
   ターミナル3 2015年04月08日に営業開始 LCC専用
   滑走路 2500m 4000m  細い線は昔計画されていた滑走路

今回は純米大吟醸にいたしました。 鶴齢 と 獺祭 [機内 CY]

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2015年5月27日から6月5日まで中国の上海と安徽省と寧夏回族自治区に行っていました。飛行機の中では色んなお酒が飲めます。長距離便ではシャンパン、ビール、ワインといろんなものを飲みます。近距離便ではビール一辺倒でしたが、最近はシャンパンがほとんどになりました。前回の時に近くの席の人が、良さそうな大吟醸を飲まれていたので、今回の行きのフライトでは、大吟醸を飲むことを出発前から決めていました。

行きの2015年5月27日のフライトは成田9時40分発で上海浦東12時00分着のJL873便でした。搭乗券に書かれている9時20分は搭乗時間です。


食事前の飲み物を聞かれたので、すぐに大吟醸を頼みました。大吟醸は次の2種類あるとのことなので、まずは鶴齢(かくれい)を頼みました。そして食事の時に、もう一つの獺祭(だっさい)を出してほしいことも一緒にお願いいたしました。
  鶴齢 純米大吟醸    青木酒造株式会社 / 新潟県
  獺祭 純米大吟醸 50  旭酒造株式会社 / 山口県
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もちろん原料は国産で、精米歩合が40%です。これは、お米の外側を60%を削りとって米の中心部の40%だけを使ったお酒なのです。つまり精米歩合の数値が小さいほど贅沢なお酒ということになります。原料米の銘柄は越淡麓です。
大吟醸の定義は精米歩合50%以下の白米を原料とする日本酒のことです。吟醸の定義は精米歩合60%以下です。ちなみに本醸造の精米歩合は70%以下です。
純米とつくと醸造アルコールが入っていなくて米と米麹と水だけで作られていることを表しています。
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最初に頼んだ通り、食事と一緒に獺祭(だっさい)が出てきました。もちろん食事は和食を頼みました。
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メインは煮ものでした。長距離便ではコース料理のようにメイン料理は後から出されますが、近距離便では料理が同時に出てきます。私はいつもゆっくりと時間をかけてお酒を楽しみたいので、温かい料理は温かいうちに食べたいので、メイン料理からいただきます。つまり前菜などは、後から食べるのです。
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味比べをしてみたかったので鶴齢(かくれい)は全部飲んでしまわないで、残しておきました。右側が鶴齢で、左側が獺祭です。やはり同時に飲んでみると、味が違うことがはっきりと判りました。どちらが美味しいというのではなく、それぞれに特徴があって美味しいということが判りました。味の傾向は近い感じがしました。獺祭の瓶には「50」と書かれているように精米度合いは50%のお酒でした。獺祭にはさらに精米度の高い39%と23%の精米歩合のお酒も出されていることも有名です。精米歩合23%だと、お米の外側を77%も削り取った原料を使うことを意味しています。
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こちらの料理はお酒を最後まで楽しむためにメインの他と二ゆっくりといただきました。もう一本、大吟醸を薦められましたが、飛行機を下りてから、車で400km走るので、飲み過ぎにならないように、我慢をいたしました。
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最後はアイスクリームと紅茶です。


いつも飛行機の中ではシャンパンを飲むようになったのですが、この日は飛行機の中では大吟醸を飲むことを最初から決めていたので、飛行機に乗る前の空港のラウンジではシャンパンにいたしました。
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食事の初期の段階で、南アルプスがきれいに見えました。
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後半は、雲が多くなってきましたが、雲が流れる景色もきれいなので動画に撮りました。是非ともクリックして、飛行機に乗っている雰囲気を感じてください。動画は2分22秒です。


上海浦東空港への着陸の動画も撮りましたので、是非とも見てください。
高い飛行高度から28番ボーディングブリッジ (boarding bridge) に飛行機が着くまでの14分間の動画です。機内放送も聞き取れると思います。


この日のJL873便の着陸から28番ボーディングブリッジまでの移動ルートです。上の動画を見てルートを記入しました。
   2015年5月27日 JL873移動ルート
   滑走路 3400m 4000m 3800m 3800m
   ターミナル1
   ターミナル2

ドイツのワンちゃん [ドイツ]

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大きなワンちゃんを散歩させている人がいたので写真を撮らせてもらいました。ここは住宅地です。

ワンちゃんが散歩している場所は素敵な住宅地でした。


こちらはハイデルベルグ城を見渡せる有名なカール・テオドール橋の上を歩いているワンちゃんです。カメラを構えると近づいてくる。日本語で止まれといってもだめで、とりあえずシャッターを押しました。本当は橋の全景と一緒に撮りたかったけれど、やり直しはきかないので!
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この下の景観と一緒にワンちゃんを撮りたかったのです。