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ベトナムの三角笠 [ベトナム]



上の写真はサトウキビを自転車で運んでいるところだと思います。右の写真の巨大なトレーラーも避けて行く迫力でした。
農作業で使われている三角笠・ノンラー(Nón lá)を前記事で紹介いたように暑い夏の時期は、いつもより三角笠が目立っていたと思います。
三角笠が似合う風景は農作業以外では自転車に乗っている姿だと思います。

なぜか3人で自転車に乗っている姿をよく見かけました。


こちらも3人でした。


こちらは5人の女性が立ち話をしていますが、不思議と3人が三角笠でした。


後ろ姿ばかり紹介してきたので、前からのスタイルも紹介いたします。ノンラーのかぶり方が判ってもらえると思います。


町から離れと多く見かけました。すでにお気づきだと思いますが、みなさん長袖です。
暑さや太陽から体をまもっているのでしょうね。


ハノイの街中でも見かけました。バイクの三角笠はさすがに見かけませんでした。やっぱり自転車が似合いますね。


三角笠を使う人は女性が圧倒的に多かったけれども子牛を連れた男性も見かけました。


三角笠のもう一つの姿が天秤棒で荷物を運ぶ姿です。


天秤棒で荷物を運ぶ姿はハノイ市内でもよく見かけました。 外国人だけが半袖で肌を出していました。ちょっと不思議な光景でした。


ホーチミンは一年中暑いのに対してハノイは日本ほどではないけれども時期により気温が変化します。それでも東京よりもハノイは暑いです。ただし8月は雨が多いので雨の日は暑さが和らぐので8月は意外と東京とベトナムの気温は近いです。またハノイとホーチミンの気温の違いから、ベトナムが南北に細長い国であることを実感させられます。
最高気温は毎日の最高気温の一ヶ月の平均値です。最低気温も同様です。

タグ:ベトナム

椰子 [ベトナム]



ベトナムの国道1号線沿いでパイナップルを売っているお店を紹介いたしましたが、比較的に広範囲で売っていたのが椰子でした。

でも椰子だけを売っている専門の露店はパイナップルのお店と同様に数km範囲だけに集中していました。これはハノイなどの町の中でも見られました。帽子店が並んだ通り、電気店が並んだ通り、仏具だけが並んだ通り、と!
そうすることで、お客を集めているベトナム流の商売の方法のような気がしました。
食用および飲料のためのようなので種類はココヤシだと思います。
ココヤシ(学名:Cocos nucifera L.)は、単子葉植物ヤシ科の高木で、ヤシ科植物の中で最も有名だと思います。

ココヤシの樹高は大きいもので約30メートルにまで成長します。雌雄同株で大きな円錐花序を着け、その先端部は雄花で、基部に雌花をつけます。果実は熟すと30センチメートル程にもなり、やや先がとがった楕円形で、緑色。その外側は丈夫な繊維を含む厚い層からなり、その内側に非常に固い殻に包まれた種子があります。果実は海水によく浮かび、遠距離への種子の散布が可能だそうです。
ポリネシアから熱帯アジアが原産とされるが、現在では世界中の熱帯地方で栽培されているそうです。果実はココナッツと言われ、主として食用とします。固い殻の内部の周縁部には固形胚乳の層があり、中心近くには液状胚乳が入っている。液状胚乳はそのまま飲用されます。これは、熱帯では多くの場合に野外の生水は衛生的に危険なことから、非常に重宝されるそうです。1個の果実には約1リットルの液状胚乳が入っているそうです。
胚乳はそのまま食べられるほか、料理にもよく使われます。

パイナップルの名産地を通りました。 [ベトナム]



ハノイとホーチミンを結ぶ国道1号線沿いには場所場所により特徴的な露店があると、前記事で鳥を売っている露店を紹介いたしました。鳥を売っていた露店はハノイから200kmの距離でしたが、今度はハノイから110kmの場所で売っていたものを紹介いたします。ここではパイナップルでした。お店の人の呼び込みも盛んに行われていました。車を止めて買っている人も沢山おられました。

山のように積み上げられたパイナップルは少し小ぶりのようですが色合いから甘さが伝わってきます。実際に食べたことのある人に聞くと、すごく美味しいパイナップルだそうです。写真は2店しか掲載していませんが数kmの間に沢山のお店がありました。


道からは見ることは出来ませんでしたが、このB地点のあたりは少し峠になっており沢山のパイナップル畑があると説明されました。パイナップルは、ここと、ここ前後にあった町以外では売られていませんでした。
やはり同じ物を売っている露店が集まっていたのです。下の青字の>広範囲の地図を表示をクリックするとハノイ駅の前からのルートが表示された地図に切り替わります。


鳥を売る露店 [ベトナム]



ハノイから南に国道1号線を往復で560km走ったことをすでに紹介いたしました。ハノイから南に230km走り、翌日に、その場所から5時間半かけてハノイに戻ってきました。国道沿いには露店でいろんな物がいろんな物が売られていますが、不思議なことに近い場所で同じものが売れれいるのです。
ハノイから200km離れたところでは鳥が売られていました。比較的大きな鳥が1羽づつ鳥籠にはいって売られていました。中国で見たガビチョウ(画眉鳥)のように鳴き声を楽しむ鳥だと思います。どれくらいお店が集中しているのかを実感してもらうために撮影時間を紹介いたします。上の写真が14時04分20秒に撮ったお店です。以降の写真の括弧内の時間は最初(上の写真)の撮影してお店からの経過時間です。

こちらは14時04分56秒(36秒後)に撮影した露店です。こちらも沢山の鳥が売られていました。ガビチョウ(画眉鳥)と思われる鳥も居ましたが、それよりも大きな鳥も小さな鳥も売られていました。


14時05分01秒(41秒後)です。この写真だけはクリックすると拡大します。拡大写真は道路の雰囲気が伝わってくると思いますし、次の鳥の露店も写っていることが判ってもらえると思います。
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こちらは14時05分08秒(48秒後)です。まだ1分経っていませんが4店目です。こちらのバイクは上の写真で小さく写っていたバイクです。


少し距離があいて14時05分32秒(1分12秒後)に撮りました。これらの写真はハノイに戻る時に撮りました。戻る方向の方が鳥を売るお店が多かったです。お土産として買いやすいのかもしれません。


次は14時06分39秒(2分19秒)です。撮れなかったお店もあったので、かなり集中していたと実感してもらえつつあると思います。


これは14時08分20秒(4分後)に撮ったお店です。


最後は14時10分32秒(6分12秒後)でした。もちろん反対車線でも鳥が売られていました。撮れなかったお店や反対車線のお店を計算に入れると6分12秒間に15店以上はあったと思います。50km/hで走っていたとすると5.2kmの間に15店ほど鳥を売っているお店があったことになります。不思議なことに鳥以外のお店はこの間にはほとんどありませんでした。そして、このあたり以外では鳥は売られていませんでした。


油条の人気店の隣も、人気店でした。 [天津]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で紹介した中国天津の南市食品街の入口にあった油条の人気店园园满满(園園満満)の隣のお店も大行列で、ネットにも出てくる満天紅美食園 の揚げパン屋さんでした。こちらの揚げパンは我々もよく知っているタイプの揚げパンでした。時間は土曜日の8時57分でしたが奥はレストランになっており満員でした。皆さん、朝食を食べにこられているようでした。このお店の隣のお店の名前が紅紅火火でした。
ネットの説明
ここは天津で働く人たちの朝のエネルギー源
地元の味を知るには、朝ごはんから!
こちらのお店には、約60種類の豊富なメニューがずらり。朝早くから店内は大勢のお客さんで賑わっています。テイクアウトも出来るので、気軽に立ち寄ってみてはいかがですか?
満天紅美食園 のプロフィール
 店舗名   マンティエンホンメイシィユェン 満天紅美食園
 電話番号 022-2735- 3172
 営業時間 06:00 ~ 15:00
 住所   天津市南市食品街1区1階3号
 平均予算 3元(二名)


揚げパンを揚げているところです。いろんな種類がありました。我々も、お客さんにお皿を手渡している揚げパンを買いました。
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右上の薄い色の揚げパンが我々が買った、一番人気のあんこ入りのものです。しかし熱すぎて、袋に入れられないため、お皿の上において、すこし冷ましてもらっているときに撮った写真です。
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タグ:天津 パン

大人気の揚げパン店 油条(油條) [天津]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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天津で行列が出来てい揚げパン店を見つけました。人気のお店のようでお客が絶えることはありませんでした。お店の名前は园园满满(園園満満)のようです。

揚げパンは中国や台湾の朝食の粥の具として、よく見かけた、油条 (油條 ヨウティヤオ)でした。生地を捏ねて切ったあと細長く延ばして油に落とします。朝食を提供する食堂の直営店でのことでした。奥が食堂です。
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右から順に入れて行きます。右から左行くにしたがって色が濃くなっているのが、わかると思います。揚げての人は常に揚がり具合を監視しています。揚げ上がると左の籠に立てかけて冷ましていました。油条と言う呼び方もネットで調べて初めて知りました。
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揚がっていくところを拡大いたしました。
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小さくて短い生地を油の上で細長く延ばして落とし込んだ瞬間です。この手つきがすばらしいです。短い生地をスーと延ばしたかと思うと、一瞬で落とし込んでいました。目にも留まらない早業です。真っ直ぐな棒状にするのが、すごいテクニックのように感じました。天津の南市食品街の朝の風景でした。隣のお店も大繁盛でした。
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下の写真のように食堂の中から、お粥や椀物などの器を直接持って、買いに来るいる人も見かけました。油条を器に入れて食べます。
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 园园满满を検索→ポチッ

追伸
今日、2015年5月27日から6月5日まで中国に行って来ます。今回が98回目の中国訪問となります。その間は中国のネット事情により皆さんのところへの訪問が難しいことお許しください。
朝のフライトなので7時5分ごろに家を出ます。
17時30分(日本時間18時30分)にホテルに着きました。
タグ:天津 油条

桂林 漓江下り [広西チワン族自治区]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2つ前の記事で桃源郷(とうげんきょう)というテーマパークを紹介いたしました。その桃源郷は桂林で有名な「漓江下り」から桂林のホテルに帰る途中に寄りました。そこで、ここでは桂林観光の本命である「漓江下り」を紹介したいと思います。桂林に観光で来られた方のほとんどが「漓江下り(りこう・くだり)」が目的と言っても過言ではありません。その桂林下り(漓江下り)を時間を追って紹介したいと思います。
桂林のホテルを朝早く出発して9時ごろに「漓江下り」の船の出発地点である桂林市雁山区柘木鎮竹江村にある竹江客運港区に9時ごろに着きました。そこには上の写真のような漓江下りのための船が何十隻も係留されていました。我々は9時20分にその中の一隻に乗りました。我々の乗った船は、写真の船よりは、少し豪華で、客は外人ばかりでした。

地形図で漓江下りのルートを紹介します。緑のラインの上端( )が漓江下りの出発地点で、下端( )が到着地点です。Google地図で漓江下りの長さを見ると56kmでした。私は7回桂林に来て、5回ほど「漓江下り / 漓江上り」を楽しみました。残り2回は蘆笛岩・鍾乳洞町中漓江遊覧を楽しみました。
   漓江下り(56km 9時20分~14時10分)
   桂林市内の漓江遊覧
   09時20分 竹江村 漓江下り出発点 竹江客運港
   11時05分 楊堤郷 漓江下り中間地点
   14時10分 陽朔鎮 漓江下り終着点
   14時30分 桃源郷 (テーマパーク 世外桃源)




9時27分 「離江下り」は食事付きです。写真のようにボックス席になっており食事をしながらのんびり!と言うよりは、ビールを飲んで、ほろ酔い気分で景色を楽しみます。


10時19分 出発してしばらくすると桂林らしい景色が見えてきました。
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10時20分 漓江では鵜を使った漁である鵜飼が盛んなようで、沢山の飼われた鵜を見ることが出来ました。
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10時21分 少し船が進むだけで違った景色が見えてきます。
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10時22分 大きな山が迫ってくると迫力があります。
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10時23分 竹の筏(いかだ)も景色に溶け込んでいました。


10時24分 我々が乗った船の写真を紹介したくて友人を撮った記念写真の一部を利用させてもらいました。


10時26分 近くで見る岩肌は迫力がありました。
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10時26分 岩肌を撮った場所からの前方の景色です。川幅は広くなったり狭くなったりします。この場所の川幅は比較的広かったです。実は、漓江下りは365日は出来ないのです。乾季には水が少なくなって船が走れなくなるので、個人で観光に来られる場合は船が出ていることを確認して桂林に来られることをお薦めします。ラッキーなことに乾季で漓江下りが中止となる前日に船に乗ったことがありますが、頻繁に船底が川の砂利と擦る音を聞きながら漓江下りをしたことがありました。
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10時33分 ここは川幅が狭い場所です。船と桂林の景色がきれいでした。
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10時45分 船の横の景色です。沢山の尖った山が桂林の景色の特徴です。 
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10時46分 ここはひらけた場所ですが前方に山々が見えています。
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10時56分 この尖った山は見事でした。この桂林の独特の景色は海で作られた石灰岩が地上に隆起して、雨水などで侵食して造られましたものです。その石灰岩は3.2億~4億年前に海でサンゴなどが3000m以上堆積して、長い年月で岩になったものです。
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10時57分 見事な山の部分の拡大写真を掲載いたしました。 


11時05分 今回は8名+ガイドさんのツアーでした。その内、3名は当日の桂林→上海のフライトを予約しており時間的に漓江の全コースを下ることが出来ないため、途中の港で下りて、チャーターしてあった車で桂林空港に向かいました。我々は翌日のフライトだったので、ゆっくりと最後まで楽しむことが出来ました。
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11時06分 仲間を送り出した後に、ガイドさんが走って戻ってきます。ここは上の地図でオレンジのマーク( )で示した楊堤郷です。
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11時25分 まだまだ桂林独特の景色が続きました。
漓江の桂林付近の山・水・洞は「三絶」と呼ばれているそうです。中国の地形学では「岩溶峰林」と呼ばれる、石灰岩層が溶かされて形成された塔状の峰が多数みられ、特に漓江下りのコースの桂林から陽朔にかけては峰林が地表を覆っています。
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11時28分 川の中を水牛が歩いて知る景色に出会いました。
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11時29分 この景色の中にも水牛がいます。川の横に広がった草地の草を食べているのでしょう。
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11時44分 すばらしい景色が広がっていたので記念撮影もいたしました。真中が私です。大きな写真なので目隠しさせてもらいました。
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11時48分 こちらの景色も紹介したくて、記念撮影を掲載いたしました。
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12時07分 漓江下りの中では、一番気に入っている写真の一つです。
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試しに白黒にしてみました。こちらの写真もクリックすると拡大します。
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12時08分 上の写真と同じ場所から上流側を撮りました。
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12時09分 また、進んで行く方向の写真を撮りました。我々の船は他の船よりも速いので、2枚前の写真に写っていた船は追越しました。
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12時35分 浸食は進み具合もいろいろあるようです。不思議な形の山が沢山ありました。
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13時34分04秒 並走する船を追い抜いているところです。
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13時34分32秒 上の写真の28秒後です。沢山の船を、このように追い抜きました。
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13時40分 川の際まで山が迫ってくる景色は壮観でした。
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13時46分 こちらにも沢山の水牛がいました。漓江の景色に水牛は似合っていました。
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14時10分 漓江下りの終着地点に到着いたしました。4時間50分の楽しい船旅でした。この先にも船は出ているようですが、地形図や航空写真で見る限り、これより下流側は桂林的な景色は少なくなります。
 この場所の住所
  中国語 广西壮族自治区桂林市阳朔县阳朔镇
  日本語 広西チワン族自治区桂林市陽朔県陽朔鎮
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14時16分 漓江下りの終着地である陽朔県陽朔鎮の町の景色です。チャーター車が停めてある駐車場まで、移動カートで向かっているところです。沢山のホテルや宿泊せつびがあり、観光客のおかげで繁栄しているようでした。
この時は成田→香港→桂林→上海→青島→北京→成田と、6回飛行機で移動する旅でした。
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滑り台で降りる 木蘭天池 [湖北省]

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山の上にある池なので天池と名づけたようです。

天池への道はかなりの登りで寒い季節だけれど汗をかいてしまいました。


クリックすると拡大クリックすると拡大木蘭(ムーラン)は中国のジャンヌダルクといわれている有名な男装の美少女だそうで、ディズニーのアニメで有名になりました。
その「花 木蘭」が住んでいたと言われている場所だそうです。
伝説なので真意のほどは判りませんがいろんな観光施設がありここもそうです。
日本人でこの場所に来た人はいるのだろうかと思ってしまうような場所でした。
クリックすると場所が判ります。⇒

道は渓流沿いにあり景色は日本の山の中を思わせるような感じです。池よりも途中の景色が良かったです。


途中には滝も沢山あります。

これが最後の大きな滝でした。
         

山の上からは蝶が沢山いた木蘭湖が見えます。


石で出来た滑り台を滑って山を降りるのです。すごく長い滑り台です。


車の運転手さんもうれしそうでした。


お土産に乾燥した山草を売っていました。


駐車場の近くにあった旅館です。景色は独特できれいです。商店街ですがお客さんはほとんどいませんでした。
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桃源郷(とうげんきょう) [広西チワン族自治区]

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広西チワン族自治区は広州の北西です。
中国の広西チワン族自治区は有名な桂林の離江下りがあるところです。ここには桂林以外に観光スポットが沢山作られています。その中に意外に面白い場所があったので紹介いたします。

女性たちが迫力があったので拡大写真を紹介します。
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さらにもう一枚、写真を紹介します。
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ジャングルクルーズ(デズニーランド)の"桃源郷"版のテーマパークです。
ここは高田郷(こうでんきょう)と言う場所にある「世外桃源(せがいとうげん)」というテーマパークで「少数民族(ミャオ族・トン族など)の桃源郷」をテーマにして、桂林周辺に古くから住む少数民族の独特の建物や暮らしぶりが再現されて、その生活や文化に親しむことができる場所なのです。イメージは判ってもらえると思います。けっこう笑えるし、驚かされる、し楽しめます。ワニやカバは出てきません。
右の写真の洞窟も通ります。
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乗った小船の中からは、漓江下りのような景色にも出会えます。大きな湖でした。
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こちらは男性陣の踊りです。やってる人たちも楽しそう!
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原住民にふんした人たちが踊っていた建物の全景です。
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最後に原住民にふんした人たちが見送ってくれました。踊りの出演者たちだと思います。 
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ここ以外にもいろんな建物が建てられており原住民的な人たちだけではなくていろんな民族の人を紹介しているのです。


こちらも別の民族の人たちです。船が通りかかると踊ってくれます。通り過ぎると休憩です。桃源郷の初出は六朝時代の東晋末から南朝宋にかけて活躍した詩人・陶淵明(365年 - 427年)が著した詩『桃花源記 ならびに序』だそうです。
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出発地点に戻って陸に上がると、いろんなイベントがありました。左の写真のように一緒に踊ってくれました。
右の写真の一番右の人が船の中から陸に上がって最後まで案内してくれました。
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この人たちがお酒で歓迎してくれます。ここで右の写真のように、お酒を振舞ってくれるのです。
広西チワン族自治区(広西壮族自治区)は中国最大の少数民族チワン族の原住地で、約5万年前の旧石器時代は柳江人、白蓮洞人の活動地域だったそうです。中華人民共和国初期は広西省の名称が使用されましたが1958年3月5日に広西チワン族自治区に改編されました。


機織の作業もやっていました。こちらの有名な織物を作っているのだと思います。
広西チワン族自治区の少数民族は合計で1721万人で自治区の38%の人口にあたります。内訳はチワン族(1,520万人),ヤオ族(147万),ミャオ族(46万),トン族(30万),コーラオ族(17万),マオナン族(7.4万),回族(3.3万),プイ族(2.1万),キン族(2万),スイ族(1.5万),イ族(9712人),満族(9576人)だそうです。
最大のチワン族は中国南部やベトナム北部に住居するタイ系の民族だそうです。言語はタイ・カダイ語族に属するチワン語を話すそうです。


桂林の漓江下りの近くなので景色は桂林のようにきれいです。ここから小船が出発してクルージングをするのです。
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角度を変えて、景色が楽しめる写真をもう一枚、紹介します。
この場所の名前「世外桃源」は中国語ですが、日本語に訳すと「桃源郷」になります。桃源郷とは俗界を離れた他界・仙境で武陵桃源(ぶりょうとうげん)ともいうそうです。イメージ的にはユートピアに近いけれども正反対でもあるようです。
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Googleの航空写真は不鮮明な場所ですが、この自然の湖を利用して世外桃源が作られて1999年5月1日にオープンしたそうです。オープンして今年で16年目です。


地形図で桃源郷と桂林と漓江下りの場所を紹介します。
  桃源郷 (世外桃源)
  桂林市内の漓江遊覧
  漓江下り(56km)
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写真は漓江下り
世外桃源(桃源郷)の住所
广西壮族自治区桂林市阳朔县高田乡(または高田镇)
広西チワン族自治区桂林市陽朔県高田郷(または高田鎮)

飛行機のマークは桂林両江国際空港の場所です。
この時は成田→香港→桂林→上海→青島→北京→成田と6回飛行機で移動する旅でした。桂林では漓江下りをした後に桃源郷に行きました。

広西チワン族自治区の場所を地図で示します。赤色の部分が広西チワン族自治区です。緑色の部分が昆明のある雲南省です。広西チワン族自治区の少数民族で一番多いのはチワン族ですが雲南省ではイ族(11%)です。イ族以外ではペー族(3.6%),ハニ族(3.4%),チワン族(2.7%),タイ族(2.7%),ミャオ族(2.5%),回族(1.5%)で、雲南省だけにしか住んでいない少数民族だけで15あるそうです。

町の中の遊覧船 桂林 [広西チワン族自治区]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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この時、桂林を訪れるのは7回目になります。桂林の離江下りは有名です。最終の船の出発時刻は午前10時なのです。さらに離河下りの船着場は町から遠いので少なくとも桂林には8時半にはいないと離江下りには行けません。
我々が桂林に着いたは午後だったので離江下りに行くには、まったくの論外の時間だったために離江下りの遊覧船は断念しました。もちろんモーターボートをチャーターすれば時間は関係はないし3~4人であれば値段も安いくらいです。暖かい時期に時間のない人にはお薦めします。しかしこの寒さでは風邪を引くのが、せきのやまなので雰囲気だけ味わうために市内の遊覧船に乗ってみました。値段は離江下りの十分の一です。時間は五分の一の1時間です。上の写真は遊覧船の乗船場所です。この川も離江なのです。水はきれいでした。

 本格的な離江下りの記事はこちらをクリック ⇒ ポチッ

漁をしているところです。円錐形の網を使った漁です。この2枚の写真の景色が最も興味を引かれました。竹のイカダで昔ながらの漁の方法が受け継がれているんですね。近代的な橋やビルと漁の風景の落差が印象的です。
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上から網を川底までかぶせて小さな魚を網に引っ掛けるのでしょう。
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ほんとうに沢山の人が漁をしていました。
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船の後ろには炊事場が付いていて、簡単な料理ですが注文すると、ここで作って熱々の料理を出してくれます。日本で言えば屋形船のような感じです。
町の川でも竹のいかだが利用されています。この写真はクリックすると拡大します。
クリックすると炊事場の部分を拡大

船内で食べれる料理のメニューです。大ビンの冷えたビール(啤酒)が10元(130円)と飲み物の値段も離江下りの数分の一です。やっぱり外国人専用船の離江下りは外国人値段なのでしょうね。
左上に離江四宝と書かれているのが、つまみの4種類でいづれも10元なのはうれしいです。熱々の海老と蟹と小魚の、から揚げを食べました。いずれもビールのつまみに最高でした。巻貝は食べなかったけれどおいしそうでした。離江で採れる4つの宝(魚、海老、蟹、貝)なのでしょうね。蟹は小さな沢蟹でした。


テーブルが満席になるまでは船は出ませんでした。30分くらい待たされましたが、増えるときはあっという間に2隻分が埋まりました。観光バスが着いたのでしょう。出発までにビール2本を飲んでしまいました。さすがに大概の外国人は離江下りの方に行くので乗っていませんでした。すべて中国の人たちでした。


景色はこの程度なので、景色そのものは期待しないでください。でも町は町なりに楽しめます。
7回桂林を訪れて山水画の世界の離江は5回(離江下り4回 離江上り1回)ほど経験しました。行けなかったのが2回です。今回はその2回の経験の方にはいります。ある意味で貴重な経験でした。
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竹の遊覧イカダが沢山ありました。以前に乗ったことがあります。
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像のような岩が遠くに見えます。


目の前にも似たような岩があります。これが遊覧の目玉のようです。桂林の町の中の観光スポットである象山公園の中にある象鼻山です。桂林を訪れた中国の人が必ず訪れる観光地で、その姿が象が璃江に鼻を入れて水を飲んでいるように見えるところからそう呼ばれているようです。ほんとうは向こう側から見るともっと像らしく見えるのです。
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クリックすると拡大反対側から撮った象鼻山を紹介いたします。
このときは写真に写っている観光用の小船も実は右の写真のように竹のイカダで出来ています。沢山の座席がついています。竹のイカダもたいしたものです。この竹の小船(いかだ)に乗って象鼻山の回りを楽しみました。ただし、この写真は今回ではなくて13年前の2002年6月25日に撮ったものです。
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クリックすると拡大象鼻山の前に中州がありました。
遊覧船から中州に踏み板を渡して中州に降ろしてくれました。中州からは象鼻山がよく見えました。
一緒に乗っていた子供たちは大喜びで走り回っていました。
中州は結構広かったけれど、水が多い時期は中州はなくなってしまう感じでした。


竹のいがたが沢山あります。漁に使うのだと思います。


鵜飼も行われているようです。生活の雰囲気が漂っていました。観光用ではなく正式な漁の方法として行われているようでした。鵜飼は中国と日本ではどちらが先きなのか調べてみると、どうやら日本の方が起源である可能性が高そうです。その根拠は中国の史書「隋書」に開皇二十年(600年)の条に、日本を訪れた隋使が見た変わった漁法として「以小環挂項令入水捕魚日得百餘頭』(小さな輪を鳥にかけ日に100匹は魚を捕る」と記されていることです。その後、中国でも一般的な漁法として広まったようです。
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こちらは泊まったホテルの窓からの景色です。前を離江が流れており遠くの景観は桂林の雰囲気そのものでした。こちらの写真はクリックすると拡大します。桂林市(けいりん-し)は中華人民共和国広西チワン族自治区に位置する町で、カルスト地形でタワーカルストが林立し、絵のように美しい風景に恵まれ、世界的な観光地であることが有名ですが、最近は海外企業の誘致にも熱心な町でもあります。市全体の人口は約500万人ですが市の中心地は75万人程度のようです。
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今回ではなく13年前(2002年6月25日)に初めて桂林に来た時に、右の写真の蘆笛岩(ろてきがん)と呼ばれている鍾乳洞にも行きました。
その時のフライトです。
 6月23日(日) 成田→北京
 6月25日(火) 北京→桂林
 6月29日(土) 桂林→北京
 6月29日(土) 北京→成田
蘆笛岩は1959年に発見された全長2kmという桂林で公開されているものでは最大のもの一つで、その内の700mが観光洞として整備されているそうです。13年前でもライトアップがきれいにされていたので、今はもっとすごいと思います。残念ながら、今回は時間がなくて鍾乳洞には行けませんでした。

冒頭で桂林には7回ほど来たことがあると紹介しましたが、2回目から6回目は下の写真の漓江下りをいたしました。つまり漓江下りが出来なかったのは初めて桂林に来た時と、今回でした。今回は出来ませんでしたが5回も漓江下りをすることが出来たのでした。漓江下りと書きましたが、一度だけ漓江のぼりもありました。
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地形図で桂林市内の漓江遊覧と本格的な漓江下りの場所を紹介します。
   桂林市内の漓江遊覧(今回紹介)
   漓江下りのルート
   桃源郷(とうげんきょう)

親しい友人との上海料理 保羅酒楼 [上海]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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中国に訪問した時は帰りに上海に寄り、19年来の友人とその仲間の方々と食事をするのが恒例となりました。
その友人の方々のご厚意により、食事会が実現しているのです。
2015年4月6日から4月17日(97回目)に中国に訪問した時も4月16日に皆さんと楽しく食事をさせていただきました。
今回は最近の中では一番多い人数で、私を入れて6人(女性3人 男性3人)だったので、いろんな料理が食べれるように上海料理を選んでいただきました。
女性陣は先行してレストランに来られていて、料理を注文していただいていました。我々がレストランに着いた時は前菜(冷菜)が上の写真のように並べられて我々を迎えてくれる憎い演出でした。
3名の女性陣の中の1人は2006年12月12日~12月15日の桂林出張に同行していただいた方でした。その時は日本から2名で上海からは、その女性1名の計3名の旅でした。右は桂林の町を流れる漓江の船に乗った時の写真です。乗った船の背景に象鼻山が写っています。

食事をしたレストランは人気のお店だそうで、我々が到着(18:50)した時には、すでに満席で、帰宅(21:30)する時も満席でした。右の写真のように帰宅する時も満席なのは、相当人気がある証拠です。我々は個室が用意されていて、ゆっくりと食事を会話を楽しむことが出来ました。いいレストランを予約をしていただきありがとうございました。
料理も美味しく話が弾んなので2時間40分の楽しい食事会となりました。人気のお店なので紹介いたします。
  名前 保羅酒楼 (保罗酒楼)
  住所 上海市静安区富民路271号
  電話 021-6279-2827
  URL http://www.baoluojiulou.com/


前菜は8品ありましたが、いくつかを紹介します。実は、ついつい話に夢中で一部の前菜を撮り忘れたのでした。前菜と言えども見事な料理でした。これはビールが美味しい魚料理です。
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貝の料理も美味しかったです。二枚貝であるアサリと巻貝の珍しい料理でした。
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もやし料理も美味しかったです。上海料理は日本料理のように素材の味を活かした料理が多いのです。


ダック料理です。こちらも上海料理らしい美味しい料理でした。
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こちらも肉料理です。豚だと思います。


ここから、温かい料理が出されてきました。上海料理らしい上品な味わいの海老料理でした。前日まで辛い湖南料理が続いたので、上海料理の良さを実感いたしました。
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高級食材の鮑の料理もいただきました。比較的濃い味に仕上げられていましたが、やっぱりアワビは美味しかったです。
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こちらも濃い味の豚の角煮です。人気のレストランであるとこが徐々に判ってきました。
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スープも美味しかったです。
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メインデッシュは魚です。 ハムと生姜が乗った癖のない味わいでした。
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もう一品メインデッシュが出てきました。牛肉のステーキです。最近は中華料理でも柔らかな肉をステーキにしたものが出されるようになりました。いい肉でした。
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深い味わいのスープがもう一品出てきました。ビールも沢山飲みましたが、ビールの写真を撮り忘れるほど話が弾んでしましました。日本での中華料理の分類は「上海料理」、「広東料理」、「四川料理」、「北京料理」の4つですが、中国では「山東料理」、「四川料理」、「広東料理」、「福建料理」、「江蘇料理」、「浙江料理」、「湖南料理」、「安徽料理」の8つに分類されています。「山東料理」の中の一つとして「北京料理」があり、「江蘇料理」の中の一つとして「上海料理」が分類されています。
実は2015年5月27日~6月5日には98回目の中国訪問となります。
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さっそく粉末タイプの柚子胡椒を食べました。 [土産]



関西に帰省して伊丹空港で粉末タイプの柚子胡椒をお土産で買ってきたことを紹介しましたが、さっさく食べてみることにいたしました。

容器は塩や胡椒のように振り掛けるタイプでした。どんな料理にむいているのか考えた結果として焼き鳥にすることにしました。


近くの専門店でさっさく、焼き鳥を買ってきました。これらは塩味の焼き鳥です。


味を関してもらうために拡大写真を掲載いたしました。焼き鳥に柚子胡椒をつけて食べるのです。


柚子胡椒だけでなく山椒と七味も用意しました。


お皿に三種類の香辛料を出して好みでつけて食べるのです。


クリックすると拡大柚子胡椒はこのラベルにあるように柚子と唐辛子(黄金)だけです。柚子が先に書かれているのでクリックすると拡大唐辛子よりも柚子の方が多いのだと思います。練りタイプの柚子胡椒は我が家の常備品になってしまいましたが、これからは粉末もなかなか使い道がありそうです。販売しているのは京都の祇園味幸さんでした。値段は840円ですが航空会社系のお店のの10%割引が適用されました。小瓶は右のように黄緑色の紙で包まれていました。

焼き鳥は熱々を食べたかったので焼肉用のプレートで暖めながら食べました。焼き鳥以外にもいろんなものを食べました。


野菜もたっぷりと用意しました。この日は大きな椎茸がお店にあったので、さっそく買ってきました。焼き鳥と言えばネギとシシトウですが、この日はシシトウを、いくら探しても、見つからなかったのでピーマンで代用いたしました。


タレの焼き鳥も買いました。タレの焼き鳥にも柚子胡椒は合いました。


こちらも拡大写真を掲載します。


焼き鳥は一昨日の2012年1月15日に食べましたが、今日(2012年1月17日)はいろんなものに試してみました。先ずは自家製味噌を使った味噌汁に入れてみました。金粉を振り掛けたような感じです。柚子の香りが香ばしかったです。少しピリッとする味噌汁になりました。


炊き込みご飯にも振り掛けてみました。やはり金粉を振り掛けたようです。やはり香ばしさは抜群です。かけすぎるとピリピリ感が強いので好みかもしれませんが、かけすぎないのがいいかもしれません。


上の写真では柚子胡椒かわかりにくいと思うので拡大写真も掲載いたしました。


アジのムニエルにも使ってみました。手前のアジには普通の練り状の柚子胡椒と粉末の柚子胡椒で食べました。香りは粉末の柚子胡椒でした。辛味は練りの方でした。ちなみに奥の味にはバルサミコ酢をかけて食べました。


練り状の柚子胡椒はこの瓶に入ったものです。
柚子胡椒(ゆずこしょう)は、調味料の一種ですが、胡椒とは呼ぶものの、実際には柚子風味の唐辛子ペーストです。唐辛子を粗刻みにし、ユズの果皮と塩を入れて磨り潰し、軽く熟成させたものです。九州では一般的な調味料として知られているそうです。
最近は全国的になってきたことからいろんな料理に使われるようになりました。
粉末の柚子胡椒には塩が入っていないのが特徴です。気軽に振り掛けて香りとピリピリ感を楽しむ香辛料でした。


お菓子フェスティバル [天津]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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天津の観光名所の一つに南市食品街があります。饅頭屋さんや揚げパン屋さんや油条のお店があったところです。上の写真は南市食品街の入口ですが、入口に風船の赤いアーチがあります。中国では催しごとがあった場合に、よく赤い風船のアーチが飾られます。この日はお菓子のフェスティバルが行われていました。クリックすると別の入口が表示されます。

南市食品街の中のお店だけでなく外部からの出店も沢山ありました。南市食品街の屋内通路は出店店と沢山の人で埋まっていました。
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もともと南市食品街の中でお菓子のお店が多くありました。老舗のお菓子専門店だらけと言う感じです。


こちらの店には大行列が出来ていました。さすがに並ぶ時間はありませんでした。
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この大きなヤカンを看板にしているお店の飲み物も名物と教えてもらいました。常に行列の出来るお店でした。ネットで調べると売っているのは「茶湯」言うそうです。器にキビ粉やコウリャン粉を入れてお湯を注ぎ松の実などお好みのトッピングを加えて完成だそうです。


こちらの仮設の揚げパン屋さんも大人気でです。仮設で出店しているお店は安かったです。

タグ:天津 お菓子

日本への訪問者数の推移 [話題]

   最新情報はこちらです。→ ポチッ

前記事の「長沙黄花国際空港」で、ゲンママさんから「最近、中国からの観光客が増えている」とコメントがあったので調べてみました。コメントのあった中国からの日本への訪問数の推移です。2003年1月から2015年3月までの147ケ月をグラフにしました。他の上位6か国も一緒に掲載しました。人数は月あたりの人数です。2012年9月11日の尖閣諸島国有化により、一気に旅行者が落ち込みましたが、落ちこむ前をしのぐ勢いで増えています。 2011年3月に落ち込んでいるのは東日本大震災です。この時はすべての国の旅行者が減りました。
韓国からの旅行者は昔から多くて2003年からの累計は26万人になります。韓国の人口は48万人なので旅行者の数値(26万人)は驚異的だと思います。

合計が判るタイプのグラフも紹介します。2015年の1~3月は中国+韓国+台湾の訪問者が全体の64%にもなります。4位の香港まで入れると71.6%にもなります。1~3月の合計の順位は韓国 中国 台湾 香港 米国 タイ 豪州の順ですが、1位の韓国(947,893)と2位の中国(923,514)は僅差であることと、中国が急速に伸びていることから、2015年の1~12月の合計では逆転もあり得ます。日本を嫌っていると、我々が思い込んでいる2国の観光客が一番多くて、その2国の合計だけで、全体の45.3%(2015年1~3月)を占めていることを不思議に感じる人も多いでしょう。
2008年後半から2009年にかけて観光客が落ち込んでいるのは2008年9月のリーマン・ショックによる世界同時不況の影響によるものだと思われます。


年単位で集計したグラフです。ただし2015年は1~3月の数値からの類推値のため、大きくずれることもあり得ます。グラフ作成に使用した数値データーは日本政府観光局の「国籍/月別 訪日外客数(2003年~2015年)」です。昨年ごろから成田⇔上海の往復のJALのフライトでも中国人の観光客が多いのに驚かされていたのですが、実際の数字を見て納得いたしました。2015年の予想計算式は次の通りです。
 A国 = (A国2014年訪日・人数合計) x Ka
 合計= A国+B国+C国+D国+E国+F国+・・・・・・・
ただし Ka = (A国2015年1~3月訪問数) ÷ (A国2014年1~3月訪問数)
Kb = (B国2015年1~3月訪問数) ÷ (B国2014年1~3月訪問数)


2015年10月22日追伸 
2015年の海外からの訪問者数が1900万人に達すると予想される報道がありました。3月までのデーターで予想した数値が正しいことが証明されました。

2014年の各国からの日本への訪問者数の多い順位を紹介します。2015年は伸び率や1月~3月の訪問数から順位は 中国→韓国→台湾→香港→米国→タイ→豪州の順になる可能性が高いです。フィリピン、マレーシア、ベトナムも急上昇しています。
2014年の日本人が中国、韓国、台湾を訪れている数は次の通りですが、2015年は3国共に日本への訪問者数の方が上回りそうです。「人/万人」は人口1万人当たりの年間訪日人数を示しています。台湾は人口1万人当たり一年間に1207人が日本に来ているのには驚きました。8人に1人の比率です。香港(1150人/万人)、韓国(572人/万人)、シンガポール(448人/万人)も驚異的な訪問者数です。タイ、豪州、マレーシア、ニュージーランドの比率もすごいです。一方、2015年には一番の訪日人数になると予想される中国は、まだ人口当たり訪日数が少ないことと、地理的に日本に近いことと、経済発展が進み海外旅行が増えることを考えると、今後、驚異的に増えることも想像されます。
    日本→台湾 1,634,205人   台湾→日本 2,829,821人
    日本→韓国 2,280,434人   韓国→日本 2,755,313人
    日本→中国 2,717,600人   中国→日本 2,409,158人
 国名人口 (万人)20132014
 累計伸率 %累計伸率 %/万人
 台湾234422,210,82150.812,829,82128.01207
 韓国481812,456,16520.222,755,31312.2572
 中国13493431,314,437-7.832,409,15883.318
 香港8055745,88154.94925,97524.11150
 米国310384799,280 11.55891,66811.629
 タイ69126453,64274.06657,57045.095
 豪州22277244,56918.57302,65623.8136
 マレーシア284010176,52135.68249,52141.488
 シンガポール5099189,28033.19227,96220.4448
 英国62048191,79810.210220,06014.735
 フィリピン923415108,35127.411184,20470.020
 カナダ340212152,766 12.912182,86519.754
 フランス627911154,89218.813178,57015.328
 インドネシア2398713136,79734.814158,73916.07
 ドイツ823014121,77611.815140,25415.217
 ベトナム87851684,46953.116124,26647.114
 インド1224511775,0959.01787,96717.11
 イタリア60551867,22829.81880,53119.813
 ロシア142961960,50220.61964,0775.94
 スペイン46082044,46126.32060,54236.213
 ニュージーランド4372136,95416.02141,62212.695
 スウェーデン9382236,20618.92240,12510.843
 オランダ16612333,86111.92339,86617.724
 スイス7662428,32216.42433,15017.043
 ブラジル194952527,105 -15.62532,31019.22
 メキシコ113422623,33826.12630,43630.43
 フィンランド5362816,5236.42719,66119.037
 ベルギー10712716,55813.32818,93414.318
 イスラエル7423114,47839.02918,80829.925
 デンマーク5553015,06510.83017,90118.832
 ポーランド38282915,52545.53117,88315.25
 オーストリア8393313,01511.93215,39818.318
 ノルウェー4883214,08523.03315,2308.131
 トルコ72753412,46418.63414,76618.52
 ポルトガル10683511,60438.03514,43924.414
 アイルランド4473611,2588.73612,59611.928
 その他・無国籍243110 248,812  298,623 1
 総数69455710,363,90424.013,413,46729.419

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タグ:観光客 訪日

長沙黄花国際空港  長沙⇒上海で利用 [湖南省]

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2015年4月13日から湖南省の邵陽(邵阳)に行っており、4月16日に赤いラインで湖南省の省都である長沙から上海に飛び、4月17日に青いラインで帰国いたしました。
  2015年4月16日 長沙黄花国際空港→ 上海虹橋国際空港
  2015年4月17日 上海浦東国際空港→ 成田国際空港

フライトはFM9392で登場時刻は出発30分前の14時15分でした。本機はMU9392との共同運航便でした。  FM:上海航空  MU:中国東方航空
搭乗券に空港の搭乗口の場所が判る地図が書かれているのはいいアイデアです。これは今まで見たことが無かったので、長沙黄花国際空港のアイデアだと思います。クリックすると地図の部分を拡大します。
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こちらが長沙黄花国際空港の航空写真です。行きは安徽省の合肥から新幹線を利用したため長沙黄花国際空港は私にとっては初めての空港でしたので本記事で紹介したいと思います。空港の建物の外観の写真を撮りたかったのですが、一人だったことで荷物から離れることが出来なかったのと、遠くまで離れないと全景が撮れないために写真は断念いたしました。航空写真の中の沢山の白い部分は、拡大すると判りますが、池です。寒い時期に撮影されたようです。
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空港の全景は紹介出来ませんでしたが、大きな空港でした。中国は地方空港と言えども省都の空港はいずれも巨大なターミナルビルなのです。私が利用した空港は第2ターミナルで、搭乗口はNO.23~NO.50の28か所です。搭乗口と搭乗口の間隔は日本の空港よりはるかり広いことを考えると成田空港・第2ターミナルなみ、あるいはそれ以上と言えます。下の数は各空港の搭乗口の数です。
  成田空港・第1ターミナル 37か所
  成田空港・第2ターミナル 31か所
  長沙空港・第2ターミナル 28か所(NO.23~NO.50)
  長沙空港・第1ターミナル 22か所(予想)
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空港内には沢山のお店がありました。こちらのお店はディズニーのキャラクターのお店です。この新しい空港は2011年6月9日に完成したので4年経ったことになります。
 1986年6月25日 : 建設着工
 1989年8月29日 : 開港
 2011年6月09日 : 第2ターミナル完成


私が乗るフライトの33番搭乗口です。搭乗口の間隔が広いこともあり、搭乗口の前は広々としていました。国際線は香港、ソウル、台北、高雄、台中、バンコク、関空、中部に就航しています。国際線の搭乗口はNO.43~NO.46の4ヶ所でした。


搭乗口を正面から撮りました。最近は事前に並ぶようなことは無くなりました。時間が十分にとられているので、みんな、放送があってから、徐に搭乗口に進むようになりました。


建物が大きいので飛行機が小さく見えます。


上海のホテルの部屋からの景色です。
搭乗してから機内で長時間待たされました。出発前に飲み物と機内食が配られるほどの遅れだったので、心配しましたが無事に上海のホテルに着くことが出来ました。夕食の待ち合わせ時間はぎりぎりでしたが、そちらも間に合いました。
上海→成田の便では、東方向への飛行ルートが混みあうことから予定通りに登場しても機内で1時間以上待たされることが頻繁に発生するようになりました。それと同じ感じでした。

カサブランカ空港  カサブランカ⇒リヨンで利用 [モロッコ]



モロッコのカサブランカからフランスのリヨンへまフライトでロイヤル・エア・モロッコ(Royal Air Maroc)に乗ったことを報告させていただきましたが、その出発空港も紹介いたします。上の写真がモロッコのカサブランカ空港(モハンマド5世空港)です。なんとなく地中海に面した町の空港の雰囲気があります。AEROPORT MOHAMMED Vの文字が読み取れます。

晴れると本当にきれいな空の色になります。
女性の服装を見るとイスラムの国であることを思い出してしまいます。


結構、きれいな空港でした。
もともとはアメリカ空軍のヌアッサー空軍基地であった場所だそうです。フランスのモロッコ統治が不安定になり、1956年にモロッコが独立すると、当時の国王ムハンマド5世が米軍に撤退を要求して1959年12月に米軍が撤退に応じて1963年にはモロッコから完全撤退したそうです。ムハンマド5世(Mohammed V)はフランスからモロッコの独立を勝ちとったモロッコの国民的英雄です。


これからフランスのリヨンに向かうところです。搭乗口待合室の風景を見ているとアフリカとヨーロッパの接点の場所であると納得できます。
白い民族衣装の人を探してみてください。


小さくて探しにくいと思うので拡大写真を掲載したしました。

カサブランカでアジアン・アラカルト料理を堪能いたしました。 [モロッコ]

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クリックすると拡大パリからカサブランカに着いた日はモロッコに長く滞在していた方のお薦めで、モロッコ料理ではなく軽めの食事にすることにしました。そこで来たのが日本料理もあるアジア料理が中心のレストランでした。さっそくワインを頼みました。モロッコ(Maroc)はフランス語圏です。ワイングラスに書かれているのはどうやらワインの銘柄のようです。書かれている名前はLes Coteaux de L'Atlasで、ネットでも沢山出てきました。でも飲んだのは右の写真の別のモロッコ銘柄の2004年物でした。

いくつかの料理を紹介いたします。これはワンタンスープです。やっぱり中華が得意なようで中華中心になりました。海老がたっぷり入っていました。


海老の串焼きです。中華に焼き物はないまでこれは別の国の料理だと思います。串に刺してフライパンでシンプルに焼いているので、あえて言えば日本料理になるような気がします。


これは名前はわかりませんが、完璧に中華料理です。肉と野菜が沢山入った美味しい料理でした。


こちらはシーフードの中華料理です。シューマイも頼みました。


最後は幻想的なコーヒー(?)を頼みました。ブランデーを入れた後に火を付けると青白い炎がきれいでした。
カクテル風のお洒落なコーヒーで、クリームが泡立ててあるのでアイリッシュコーヒーの一種かもしれません。あえて命名するならばモロッコ風アイリッシュコーヒーかな。


コメント欄にjohncomebackさんが書かれているように、カサブランカで、日本だけでなく世界的に最も有名なのが、イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)とハンフリー・ボガート(Humphrey Bogart)が主演し、アカデミー賞作品賞、監督賞、脚色賞などを受賞した1942年制作され、同年11月26日に公開された 映画カサブランカ ではないでしょうか。カサブランカのカフェでのシーンの動画を掲載いたします。
ちなみに1942年は第二次世界大戦中(1939年~1945年)で、カサブランカでのロケはありませんでした。
イングリッド・バーグマンは映画カサブランカ以降にアカデミー賞での主演女優賞を6回ノミネートされて、歴代2位の2回受賞し、他のゴールデングローブ賞、エミリー賞などを含めると主演女優賞を16回も受賞しました。アカデミー賞の助演女優賞も受賞経験がある女優です。クリックすると拡大アメリカで成功する前から5カ国語を操る知性豊かなスウェーデンで名のある女優でしたが、映画「別離」の撮影のために1939年5月6日に23歳でアメリカに渡ったのが、アメリカ女優の頂点に立つ始まりでした。映画「別離」はバーグマンが主演をしたスウェーデン映画である「間奏曲」の英語版のリメイク作品であったことから、主演としてハリウッドに招かれたのでした。「別離」が大成功をおさめて一躍人気女優となり、スエーデンに戻りいくつかの映画に出て、アメリカにおいて1941年に「四人の息子」、「天国の怒り」、「ジキル博士とハイド氏」の3本の映画に出演した後に「カサブランカ」に出演したのでした。残念ながら病気のため67歳(1982年8月29日)で亡くなりましたが、亡くなった年にはエミリー賞の主演女優賞を受賞して、翌年1983年にはゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞したすばらしい女優さんでした。不思議な偶然ですが亡くなった8月29日は誕生日でもあります。


映画の中でのRick's Cafe Americain店内です。日本では終戦の翌年の1946年6月20日に上映されました。
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五大道 [天津]

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中国の天津の海鮮料理を紹介したので、ここでは天津の観光名所の一つを紹介したいと思います。天津には洋館が沢山集まった場所があります。
和平区の通称「五大道」と呼ばれる場所です。上の写真は五大道の最も南側を東西に通っている馬場道沿いの1800年代の住宅が沢山集まった場所で、実は天津の観光スポットです。
さっそく五大道をネットで調べてみました。
天津は建物を見て歩くのが面白い街。中国の伝統的な建物から、石造りの老舗ホテル、荘厳な教会、庭園のある洋館(小洋楼)も多く見られます。そんな洋館が多く建てられるきっかけとなったのが1858年の天津条約、1860年の北京条約でした。以降、イギリス、フランス、ロシア、日本などがそれぞれの国の建築様式を取り入れた租界地を作り上げたのです。日中戦争が始まった1937年頃から租界は長い歴史に終わりを迎え1946年の終戦と同時に租界自体は完全に消えましたが、建物や街並みは残りました。

ネットでの五大道 を見ると沢山の洋館が紹介されていますが、私が驚かされたのは上の写真のような立派な住宅が沢山並んでいたことでした。五大道はイギリスの人たちの居住区であったようです。外国人の居住区は中国の軍隊や警察の入れない治外法権と聞きました。もちろん住居以外の建物も沢山ありました。


五大道は南東から馬場道・睦南道・大理道・常徳道・重慶道・成都道の6本の大道と、南西から西康路・昆明路・雲南路・桂林路・河北路・新華路の6本の路で囲まれた地域のことです。6本の大道なのに五大道と呼ばれる由来は判りませんが、6本の道で区切られた5つの区画だからかもしれません。先ずは馬場道の写真を連続で紹介いたします。馬場道と書かれた看板の向こうには教会が建っています。


これは旧「天津工商学院」の主楼です。今も天津外国語学院として使われています。校内には、天津自然博物館の前身である北疆博物院も建てられています。朝の7時40分ころだったので体操をしている人も見受けました。


このときは夏休みが終わりに近づき地方から帰ってきた学生の人が沢山戻ってきているところでした。大きな荷物をみんな持っていました。


このような大きな個人の住宅が沢山立ち並んでいるのが、他の洋館が並んだ場所とは天津が違うところなのです。


こんな小さな建物も重要な文化財です。小さいけれど一戸建ちの住宅で外国の家族が住んでいたのだと思います。


集合住宅もありました。今は中国の人が住んでいましたが、昔は外国人が住んでいました。大きな住宅に住んでいた人ばかりではなく、いろんな外国人が住んでいたことをうかがわせます。馬場道と睦南道の間にあります。大道と直角に小さな路地があります。それを入っていくと出会える風景です。大通りだけでなくこんなところもあるので、訪問する機会があれば是非探してみてください。団体で入ると嫌がられる可能性がある上、外国人は不審に思われるかもしれないので、写真を撮るためには中国人の人と一緒に少人数で入っていくことをお薦めします。


こちらは別の通り睦南道です。この通りの4枚の写真を紹介いたします。
中国には外国人の建物が沢山残った場所があります。特に有名なのは上海の外難のような場所ですが、天津は、どちらかというと豪華な住宅が残っていて、今でも閑静な住宅街と言う感じです。古い住宅街にもかかわらず道の広さに驚かされました。
五大道を直訳すると「五つの大きな通り」ですが道の中には街の意味合いも含まれていると案内してくれた中国の人が教えてくれました。胡同(フートン)は路地のことですが「路地のある街」と言う感じに似ています。すなわち「五つの大きな通りのある街」と言う意味合いもあるようです。
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馬場道の住宅地は高い壁はないオープンな高級住宅街でしたがこちらは煉瓦の高い塀に囲まれた大きな建物が沢山ある高級住宅地でした。実は、ここは革命などで政府に追われた中国の高官たちが隠れ住んだ場所でもあるのだと、案内してくれた人に教えてもらいました。


緑に囲まれた静かな場所でした。


路地を奥に入った景色です。


天津の華やかな建築群は、英仏連合軍の侵攻の結果、1860年に結ばれた北京条約がきっかけになっているそうです。やがて天津は、当時の中国で最も富とセレブリティとが集まる街となり、資力に任せた華麗な建物が次々に建てられたそうです。


こちらも睦南道です。昔の建物はレストランに使われているところが多かったです。こちらもそうです。この建物は天津の海鮮料理で一番高級なお店に変身していました。粤唯鮮レストランです。


この地区では、このような看板が見る限り全ての建物に取り付けられていました。これは269番目の看板でしょうね。すごい数です。


有名な人が住んでいたところには、さらに大理石の看板が取り付けられています。この建物もレストランとして使われていました。ここは李勉之(1898~1976年)の住居です。「李勉之」が人の名前です。
  住所 天津市和平区睦南道74号
  敷地 1000㎡
  建物 984㎡
  完成 1937年
  設計 Rolf Geyling(オーストリア)


こちらは卞万年の住居でした。室内の写真はネットから転用させていただきました。この辺りに住んでいたのは外国人や著名人です。建物が完成した1937年は日中戦争の初期のころで、日本が太平洋戦争に突き進んでしまう起点の年でもあります。
  住所 天津市和平区云南路57号(天津市和平区雲南路57号)
  敷地 1200㎡
  建物 889㎡
  完成 1937年

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タグ:天津 租界 洋館

天津の海鮮料理 [天津]

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前記事で南京から天津へのフライトを記載したので、天津の記事を掲載いたします。何日間か天津に滞在した時の最後の夕食です。天津では海鮮料理が有名です。物価の高い天津の海鮮料理は結構高いのですが、ここでは庶民的な海鮮料理を紹介いたします。

このお店は天津の海鮮料理で一番高級なお店です。すでに紹介した外国人が住んでいた五大道の睦南道にある粤唯鮮レストランです。ただし、このお店では食べませんでした。なぜならば、今回の人数の8名だと10,000元(約190,000円)になる可能性があるためでした。安くて美味しいお店を探しました。お店は最後に紹介いたします。


鰒(アワビ)です。8人で8個を注文したので一つ丸々食べれました。
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アワビは、こんな料理になりました。小粒だけれど厚肉で食べ応えがありました。この料理は、すごく美味しかったです。
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シャコは1kg注文しました。日本でよく食べられているものよりも大型のシャコですが味はまったく同じです。元気のいいのを選びました。
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シンプルに茹でて食べます。酢と醤油の左のタレにつけて食べます。もちろん付けなくてもOKでした。
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活きた巨大な「舌びらめ」です。水槽から出した途端、暴れまわっていました。
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これほど大きな活きた舌びらめを食べたのは初めてでした。おそらく今回の料理の中で最も高価な素材と思います。
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舌びらめはプリプリで美味しかったので拡大写真を掲載させていただきました。ほんと感激もので、すばらしかったです。
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渡り蟹も8匹頼みました。これも1人一匹です。


これも大きな渡り蟹でこれだけで料理としては十分な量がありました。身も沢山入っており、無口になりましたが楽しめました。
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大きな海老の料理です。これも1人一匹です。
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大型の巻貝、刺身に出来るつぶ貝です。これも高級料理です。
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蛸とニラの料理です。
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海鮮以外の料理も沢山頼みました。
キャベツと玉子の料理で日本人に合う料理です。
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クリックすると拡大これだけの料理ですからビールを沢山飲みましたが、中国の焼酎にあたる白酒(パイチュー)も頼みました。銘柄は小糊涂仙です。初めて聞く名前ですが高級な茅台酒と同じ贵州省仁怀市茅台镇(貴州省仁懷市的茅台鎮)の白酒です。瓶の右上に52%(vol)と書かれています。アルコール濃度が52%のお酒なのです。
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シャキシャキした野菜の千切りの料理でこれは火を使っていない料理です。
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クラゲと白菜の料理です。
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ハムを固めた料理で、これも天津の名物です。料理が沢山あり、これだけは口をつけなかったのでコメントできませんが、中国の人に人気があり完食でした。


クルミの料理です。


最後の主食はトウモロコシのパンで、茶色いの海老のデンブとキュウリとネギを挟んで食べました。
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蟹や海老やシャコの殻を入れる器を出してもらえないので食べ終えた後はきれいではありませんが、あえて紹介いたします。これが庶民のための海鮮料理店です。
いろんな料理が出てきましたが、全部たいらげてしまいました。それだけ美味しかったことの証拠です。今まで中国で入った海鮮料理店で最も庶民的なお店でした。


今回入ったお店です。天津の街の中を車で走りながら、いろんな人に聞いて選んだお店です。お店は綺麗ではではないけれど新鮮ないい素材を置いていると教えてもらって選んだお店です。
お店の名前は小銅鑼湾海鮮家常菜館です。立っている人がお店のオーナで沢山注文したので喜んでもらえました。観光客や外人のお客ではなく地元の人が食事を楽しむところのようでした。探すのに時間が、かかったけれども、このような安くて美味しいお店が探せたのは良かったです。

初めての航空会社でした。 [機内]



南京から天津に飛行機で移動したときのことです。フライト番号はBK2858です。日本を出発するときから、このフライトに決まっていましたがBKは初めてです。BKに相当する記号は日本航空ならばJLで全日空ではNHです。BKは思い当たらないので乗って確認出来ることを楽しみにしていました。
航空会社の名前は奥凯航空で2文字目は日本語にはない文字です。
英文ではOKAIRですが、やっぱり知りませんでした。

調べてみると天津を中心に運行している航空会社で、これが飛行機の機体です。OKと大きく書かれていました。


機内誌に日本の桜の季節が取り上げられていました。何枚かの写真の中の1枚です。よく見ると4人の女性は日本のタレントさんのように思われます。タレントの人の名前は詳しくないので、自信はないのですが、一人は大食い番組で有名なギャル曽根 さんだと思います。あとの残り3名の名前もわかりました。「眞鍋かをり」さんと「菊川 怜 」さんと「にしおか すみこ 」さんでした。
IMG_7192-960.jpg
                            
天津を中心にした航空会社の機内誌に日本のタレントさんの写真が使われているのに驚きでした。中国語は判りませんが説明文を掲載しておきます。全部で4ページも使われていました。これ以外にも日本の話題が書かれており驚きでした。

天津のホテルに16時半(日本時間 17時半)ごろ着いてホッとしました。

タグ:飛行機

ロイヤル・エア・モロッコ(Royal Air Maroc) [機内 CY]




モロッコのカサブランカからはフランスのリヨンに飛びました。その時に上の写真の飛行機に乗りました。チケットはエア・フランスのAF4405でしたが共同運航便で機体はロイヤル・エア・モロッコ(Royal Air Maroc)だったおかげてモロッコの航空会社に乗ることが出来ました。ロイヤル・エア・モロッコ(الخطوط الملكية المغربية‎)は1957年に創業したモロッコの航空会社です。

カサブランカ・ムハンマド5世国際空港です。飛び立ってすぐの景色です。カサブランカの周りは緑に覆われていました。


飛び立ってすぐに雲のある場所を通りましたが、その時、ブロッケン現象(丸い虹)を見ることが出来ました。


モロッコの海岸線を眼下に見ながらジブラルタル海峡近くを通ってスペインに向かいました。


ヨーロッパの航空会社の近距離便および「パリ⇔カサブランカ」便ではフライトナビゲーションがついていませんがロイヤル・エア・モロッコにはフライトナビゲーションが付いていました。


これがカサブランカからリヨンへはおおむねの飛行ルートです。距離は1800kmです。

より大きな地図で カサブランカ→リヨン を表示
ジブラルタル海峡を通ってスペインに入りました。


これがロイヤル・エア・モロッコの機内食です。メインデッシュが後から出てくるところはヨーロッパの航空会社にはありませんでした。
座席もヨーロッパの飛行機会社のようにYクラスとCクラスが同じ椅子ということはなくCクラスはちゃんと広い椅子が使われていました。


これが後から出てきたメインデッシュです。


紙ナフキンのロイヤル・エア・モロッコのマークをつい撮ってしまいました。


スペイン領内の小さな町です。


パリからカサブランカに飛んだ時よりも地中海側を飛んでいるので地表は多少滑らかです。ここでも飛行機から飛行機を見ることが出来ました。


地中海に近いところにあるヒレネー山脈の一部だと思います。雪が山の上に積もっています。


リヨンの街です。世界遺産の旧市街も見ることが出来る位置を通って飛行場に向かいました。


リヨン空港です。クリックするとリヨン空港のGoogle航空写真を表示します。

巨大な民家 「王家大院」 [山西省]

写真の上のカーソルがの場合は写真をクリックすると拡大します。
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以前に山西商人の大豪邸として喬家大院(日本語:喬氏邸宅)を紹介しました。その喬家大院をネットで調べているときに、さらに大きな大院があることを知りました。それを見て、是非、行ってみたいと思っていましたが意外と早くその王家大院(日本語:王氏邸宅)に来る機会を得ました。実際に見て驚きの一言でした。 喬家大院とは桁違いといえるくらいの規模でした。上の写真が入口の門です。これが個人の家とは!

門の一番上に掲げられた扁額には「輝映綿翠」と書かれていました。こちらの意味を調べてみましたが判りません。
クリックすると拡大門の入口のすぐ上に書かれているのは、下の写真の「寅賔」の二文字です。この「寅賔」は「客人を迎える。」という意味と、東側に向いた門であることから、「日の出を迎える。」という意味に解釈されています。クリックすると拡大した門を表示します。住所は「山西省霊石県静升鎮」です。クリックすると判りますが門の左側には「山西霊石王家大院」と書かれていました。
記録によると、先祖にあたる王実という若者が、元の皇慶年間(1312~1314年)に溝営村から静昇に移って定住し、農業を営みながら、副業として豆腐売りしていたそうです。その子孫が農業から商業へ、商人から役人へと出世していったそうです。地位、名誉、財産を手にした王家の人々は、大掛かりな工事に取り掛かり、「華夏第一宅(中国一の屋敷)」と呼ばれる王家大院を築いたそうです。中国の人は屋敷にこだわるのです。
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入口の門をくぐったところです。門の途中まで登って撮りました。門からは少し登っていきます。ここでは、まだ全貌は判りませんが全体に斜面に建てられています。
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見取り図があったので撮りました。大きく2つに分かれています。2つの敷地は橋で結ばれています。敷地全体は25万㎡で部屋の数は1118もあるそうです。ほんとに大豪邸です。右端が冒頭の写真の入口の門です。
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王家大院の航空写真です。上の見取り図と比べて見てください。クリックするとGoogle航空写真を表示します。
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南側の城壁から正面を撮りました。あまりの広さに全体を撮ることが出来ませんが雰囲気は判ってもらえると思います。是非、写真はクリックしてみてください。
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こちらは正面より右側を撮ったものです。
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家は高い城壁で囲まれています。大富豪とは言え、一商人(個人)でこれだけの城壁を作るとは驚きでした。
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上の見取り図でわかるように敷地は2つに別れています。その2つの敷地を結んでいる橋です。


中庭を中心に四方向に家を建てる四合院方式の建物の組み合わせで出来ています。
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一つ一つの四合院は豪華に装飾されています。
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なん本も道が通っています。その一つです。


城壁に囲まれていることが判ります。屋根が芸術的です。
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屋根もいくつか紹介します。是非写真をクリックしてみてください。
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こちらの屋根の景色もすばらしいです。
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門の正面にはこのような建造物がありました。


通路の正面には必ずこのような彫り物がありました。
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ここが団体人たちが記念撮影をする場所です。
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これは井戸です。


部屋の中も紹介します。立派です。


窓の装飾もよく見ると鮮やかな色彩であることが判ります。


王家大院の場所を紹介します。が王家大院です。ここは麺で有名な太原から平遥古城よりさらに遠くて南西130kmにあります。地名は山西省霊石県静升鎮です。あの「町全体が結婚式会場」と「洞穴の住宅」があった場所です。 このあたりで有名な平遥古城まで来るのであれば喬家大院ではなく、この王家大院まで足を延ばすことをお薦めします。太原の中心から晋祠(15km)→喬家大院(50km)→平遥古城(80km)→王家大院(130km)の順番にほぼ同じ方向に離れて行くのが不思議です。
  太原市内→記事1 記事2 記事3 記事4 記事5
  晋祠  →記事1
  喬家大院→記事1 記事2 記事3
  平遥古城→記事1 記事2 記事3 記事4 記事5
  王家大院→記事1 記事2 記事3


昔、TBSの番組「世界ふしぎ発見!」で王家大院が紹介されたことがありました。その時の「世界ふしぎ発見!」での紹介内容です。
中国中で活躍した山西商人の中でも、一番の大商人・王一族のお屋敷が王家大院で、公開されている部分だけでも3万平方メートルの広さ!高台から見ると、映画の撮影も出来そうな広さでした。もちろんセットではなく全て本物だから装飾なども素晴らしいんです。決してゴテゴテしたものではなく、芸術的な価値を感じさせるものでした。ふとしたところに、凝った竜が彫られていたりするんです。だからとても趣があるし、しっとりとした雰囲気。お屋敷内を歩いていると、素敵だな~と思わせるものがたくさんありました。また王家大院は50年程かけて徐々につくられているので、ひとつの外壁に囲まれたところと、また別の外壁に囲まれたところでは少し雰囲気が変わって、「ああ、時代が違うんだな」と感じる面白さも。ただ…、桁外れに広いので、私一人で移動しようとすると大変!思った場所と全く違うところに出ては「あ、ここか…」ってことに(笑)。
でも実際、住んだら一体どうなるのか想像もつきませんね(笑)。お屋敷とはいえ日本では考えられない広さだし、まさに中国ならではというスケールでした。
TBS「世界ふしぎ発見!」 2007年6月30日


追伸 王家大院の写真を追加しました。
すでに巨大な民家「王家大院」を紹介いたしましたが、広い敷地内で沢山の写真を撮らせていただきました。前回、紹介しきれなかったところを、小さな写真45枚で紹介いたします。拡大希望の番号をコメントしていただければ、クリックすると拡大するように設定いたします。
現時点でクリックすると拡大する写真 1-A 1-B 5-B 11-A 13-C 15-A

先ずは芸術的な屋根たちです。すべての建物が違う形に出来ており屋根の形も違いました。王さんの財力に感服いたしました。
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路地の風景も魅力的です。こちらも似ているようで同じ風景はありませんでした。その路地の風景を、いくつか紹介いたします。
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家を囲む城壁です。巨大な城壁の上の景色を中心に撮りました。
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四合院の建物の中庭などを紹介いたします。いろんな風情に出会えました。
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家の中や周りの雰囲気も紹介いたします。中の調度品もすばらしいものがありました。
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王家の人たちが使っていた生活の道具です。これらも先進的な高級なものだったのでしょうね。
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子供からの母の日のプレゼント [日々]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大今日2015年5月10日は5月の第2日曜日、つまり母の日です。関西から北海道に転勤になった息子夫婦から、家内に母の日のプレゼントが届きました。昨年はカーネーションでしたが、今年は北海道にちなんでラベンダーを選択したようです。息子の妻は7月初旬に出産予定のため、5月8日に関西の彼女の実家に里帰りしたので、息子は2ケ月間は北海道で一人暮らしです。
鉢植えのラベンダーなので、室内で楽しんだ後は大きな鉢に植え替えて屋外の生育に適した場所に移動する予定です。地植えも考えています。次男と長女からは電話をもらいました。私と家内で、それぞれの母に贈った花も着いたと連絡がありました。

ラベンダーの種類は「花うさぎ」です。正式名は「ラベンダーシフォン 花うさぎ」で、白と紫が特徴のラベンダーです。名前の通り「うさぎ」のように可愛らしい花でした。
 名前   ラベンダーシフォン 花うさぎ 
 英名   Lavender stoechas
 タイプ  シソ科ラヴァンデュラ属の常緑性低木
 草丈   約30cm
 原産地 スペイン東南部
 開花期 早春~初夏
 日照   日向むき
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真上からの姿も紹介します。純白の花びらと濃い紫の花びらのコントラストが、すばらしく際立っていました。長く花が楽しめるようなので、咲き終わりそうな花茎は次の花茎の位置で切り取ると良いようです。また多湿は嫌うようなので、水のやり過ぎには注意が必要そうです。
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ラベンダーシフォンには、花うさぎ以外に下の写真のようにダークパープル、リトルピンク、パープルウィングなどがあり、上の部分は白とは限らないので、純白の種類を「花うさぎ」と呼ぶようです。3枚の写真はネットから転用させてもらいました。


クリックすると拡大壁を珪藻土に塗り替えて、長年使っていたカーテンをシェル・シェードに替えた出窓に、紫と白のラベンダーは似合っていました。採用したメーカーHunter Douglasの製品のブランド名はデュエット・シェード(DUETTE)です。上側と下側の両方が開けられるタイプを選びました。
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樹齢3000年の老柏 晋祠 [山西省]

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山西省の晋祠(Jinci Temple)という場所です。日本人には、ほとんど知られていないと思いましたがネットで見ると結構出てきたのに驚きでした。そして実際に行ってみると歴史のある立派な場所でした。
晋祠の創建ははっきりしていないそうですが、起源をたどれば紀元前(BC)11世紀からの歴史があるようです。本格的には北魏の時代に周の成王の弟周叔慮を祭る祠を建てたのがこれだけの施設になった始まりだそうです。したがって創建は北宋天聖年間(1023年~1032年)とするのが妥当なようです。その始まりが上の聖母殿のあたりの建物のようです。聖母殿の横の倒れかけた木は樹齢3000年と言われている老栢だそうです。つまり、この老栢は紀元前(BC)11世紀ごろからの晋祠(しんし)の歴史を見て来たことになります。ここには千年を超える老木が20本残っているそうです。

このあたりは雨が少ないので、ここでもレンガの建物がほとんどですが聖母殿は木が使われていました。柱には竜の彫り物がつけられていました。
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こちらが聖母像です。両脇の女性の像は色彩が鮮やかに残っておりパンフレットにも使われていました。
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クリックすると拡大聖母殿の前は人が多かったです。下の石橋「魚沼飛梁」も聖母殿と同様に北宋の遺構です。右の写真の献殿は金代の建築です。それ以外は明・清代および、それ以降の建物だそうです。聖母殿、魚沼飛梁、献殿が晋祠三大国宝建築です。残念ながら献殿の写真は撮ってなかったので右上の献殿の写真はネットから転用させてもらいました。
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聖母殿の裏の高いところに建てられている三台閣です。このあたりはもっとも古い歴史のある部分という印象を受けました。配置的にも聖母殿と三台閣は大事な場所に建てられている気がします。
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三台閣にも上がりましたので、三台閣の景観を紹介します。
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レンガで作られた三台閣のアーチも見事でした。
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上から見ると屋根がきれいでした。日本の寺院とは雰囲気が違います。
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ここの全貌が判りにくいと思いますのでパンフレットの地図を見てください。博物館と書かれていますが中国の博物館と日本の博物館と意味合いが違うようです。日本のように文化財を集めた場所ではなく、文化財の場所を有料にした場所も博物館と呼ぶようです。したがって日本の金閣寺なども中国流に言えば金閣寺博物館になります。
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こちらの場所の航空写真(衛星写真)も紹介しておきます。

広大な敷地の中には沢山のお寺がありました。古い樹齢の木が多く植わっており長い歴史の中で建てられたようです。
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樹齢1000年を超える木の一つです。この木は約1400年前の隋の時代に植えられたそうです。和名はエンジュです。このあたりは大きな古い木が沢山あるので時代的には古建物だと思います。
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塔もありました。
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趣のある建物です。今回はガイドさんを頼まなかったので建物の目的はわかりません。


このような建物が沢山ありました。
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敷地内には、いろんな寺院がありました。クリックすると左右対称を実感できると思います。晋祠の雰囲気を例えるのは難しいのですが、テーマパークに、お寺のパビリオンが沢山あるような感じでした。昔の人は驚いたと思います。
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中国の人が中心の観光客の団体が沢山来られていました。


撮影も行なわれていました。このあたりはあまり知られていないけれど「平遥古城」や「喬家大院」など名勝が沢山ある所でした。


航空写真で晋祠の場所を紹介します。
山西省の省都である太原市内中心部から車で24km(30分)の距離です。
  太原市内     晋祠
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箱根火山情報 テレビのニュースはブログのアクセス数に敏感に反映されます。 大涌谷噴火 [箱根]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

初めてSo-netに記事を掲載したのは2009年5月5日でした。今回のGWで6年目に入りました。そんな中で2015年5月4日から突然3つの記事のアクセス数が跳ね上がりました。これは2015年4月26日から大涌谷付近からの火山性地震が増加に伴い、気象庁が5月3日午後に臨時の火山情報を発表したことを受けて、箱根町は2015年5月4日早朝から大涌谷周辺のハイキングコースの立ち入りを禁止することを決定したのが切っ掛けのようです。着色の記事名をクリックすると記事を表示します。
記事4/305/15/25/35/45/55/6
大涌谷で黒玉子を食べました。2734387411351084719
箱根火山 早雲地獄498236860194
箱根火山 大涌谷00235550
その他合計3555384040693940402540943836
総アクセス数3586388341174040523352434799

2015年5月7日時点の累計アクセス数や累計nice!数です。
掲載記事数1,488記事別累計アクセス数 2015年5月7日
累計nice!数224,675大涌谷で黒玉子を食べました。13,326
累計アクセス数6,615,363箱根火山 早雲地獄4,588
niceをくれた人7,956箱根火山 大涌谷 1,337


過去記事の平均アクセス数は2.5件/日です。そんな中で、一つの記事が一日に1000を超えるアクセス数になることは珍しいことです。今回、沢山のアクセスのあった「大涌谷で黒玉子を食べました。」の記事は2013年9月25日に掲載した過去記事なのです。つまり平均の454倍だったわけです。


このグラフから5月4日以降のアクセス数の増加は特にスマホからのアクセスの影響が大きいことが読み取れます。突然の大涌谷への立ち入り規制により、旅行先から検索したのかもしれません。So-netによるアクセス解析で分かるのは、ブログのアクセスに使用されているOSなので、使われているOSを次のように分類してグラフを作成いたしました。
 スマホ   iPhone Android iPod BlackBerry Windows_Phone
 PC     Win7 Win8.1 Mac_OS_X WinVista WinXP Linux 
        Unix Win8 Win2k Win2k3 Win98 WinNT
 iPad    iPad
 携帯    DoCoMo Ezweb SoftBank
 不明 他  不明  Playstation_Portable 


大涌谷がらみの検索ワードが5月4日から急上昇していることからYahooやGoogleからの検索が増えたことでアクセス数も増えたものと思われます。その他の検索ワードの中にも大涌谷がらみのキーワードが入っています。
検索ワード4/264/274/284/294/305/15/25/35/45/55/6
黒たまご4942651011243342169
箱根231546312665749
大涌谷233549463524
黒卵119484912
早雲地獄11223132236
噴火10121412215
黒玉子16810
その他847768707828763804782976122612291293
合計8677857188357808207971024167017441608


箱根関連の5月の合計の検索ワードランキングです。
ちなみに検索ワード総数は7032種類/26425件です。その中で「黒たまご1217」は2位の「日光東照宮754」を押さえて、堂々の1位でした。箱根が5位、早雲地獄が11位、大涌谷が12位、黒卵が16位、噴火が20位、黒玉子が36位と7032個の検索ワードの中で50位以内に箱根関連検索ワードが7個も入ったわけです。


検索数自体も通常の2倍近くまで跳ね上がりました。Yahooでの検索数は4月23日~5月12日間の平均で92%(9484/10358)です。検索することを「ググる」といいますが、これでは「ググる」ではなくて「ヤフる」です。


5月4日に掲載された箱根火山の記事です。
すでに2015年3月27日には大涌谷に限定した避難マニュアルが作成されて発表されていました。大涌谷の黒玉子の製造場所の温泉池が立ち入り禁止区域内にあり、黒玉子が作れなくなったことから規制区域外の観光センターの売店でも黒玉子は販売中止それたそうです。
箱根山の火山性地震増加 大涌谷の遊歩道を初規制
カナロコ by 神奈川新聞 5月4日(月)7時3分配信
気象庁は3日、箱根山(箱根町)の大涌谷付近の浅い場所を震源とする火山性地震が増えていると発表した。突発的な蒸気噴出現象が発生する可能性があり、箱根町は、大涌谷の半径約3キロの範囲で遊歩道とハイキングコースを4日から立ち入り禁止にする。同町によると、火山性地震による規制は初めて。
気象庁は「直ちに噴火する兆しはみられない」として、噴火予報は「平常」を維持。立ち入り禁止区域以外の温泉地などには影響ないという。
気象庁によると、4月1日以降の火山性地震は約150回で、特に4月26日から急増。そのうち、体に感じる揺れ(震度1相当)は4回だった。5月3日朝には、大涌谷近くの温泉施設で蒸気が勢いよく噴出しているのが確認された。
箱根山では2013年にも5カ月間に約500回の火山性地震を観測するなど、活動が活発になることがあった。気象庁は4日に現地に職員を派遣して詳しい状況を調査する方針。
◇GWに痛手
箱根町は3日、緊急会見を開き、大涌谷周辺の自然研究路(遊歩道)とハイキングコースを4日から閉鎖すると発表した。観光客が特に多い大型連休中の規制について、町は「観光面では痛手だが、万が一に備えた」と安全を優先する姿勢を強調した。
閉鎖するのは、自然研究路の入り口から「玉子茶屋」付近までの約300メートルのほか、駒ケ岳や早雲山などにつながる半径約3キロにわたる四つのハイキングコース(全長計約12キロ)。
周辺では火山性地震だけでなく、通常は高さ10メートル程度の噴気が20メートルを超えているほか、火山性ガスや地殻変動も同時に観測している。規制は活発な活動が終息するまで続くが、県温泉地学研究所は「今回のような群発地震は数年に一度起きており、通常1~2カ月、長いときは半年で終息する」と分析している。

5月6日には噴火警戒レベルもレベル1(平常)からレベル2(火口周辺規制)に引き上げられました。噴火警戒レベルは火口周辺規制ですが、大涌谷以外の箱根全体の観光客が減ってしまう被害は、一部の派手な報道の影響も無縁ではないようです。箱根町は真面目に安全を最優先に対応しているので過剰な反応は気の毒です。
対象範囲は次の通りです。レベル1と2の違いは火口内と火口周辺です。
  レベル1 火口内等
  レベル2 火口周辺
  レベル3 居住地域の近くまで
  レベル4 居住地域を含む
  レベル5 居住地域を含む


クリックすると拡大2003年の気象庁報告書によると活火山とは過去一万年以内に噴火したことのある火山のことで、世界の活火山の数は1548で、日本の活火山の数は108でしたが2011年6月に2火山が追加され現在は110となっています。つまり世界の7%の火山が日本にあることになります。日本の陸地は世界の0.25%なので火山が格段に多いと言えます。右の地図は2009年に内閣府で作られた地図です。110の活火山の中で火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山は37(=13+24)あるようです。110活火山の内訳は次の通りです。
  ランクA 13火山 100年 or 1万年活動度が特に高い活火山
  ランクB 36火山 100年 or 1万年活動度が高い活火山
  ランクC 38火山 100年 and 1万年活動度が低い活火山
  その他  23火山 データー不足等
日本全国の110の活火山の中で、噴火警戒レベルが設定されているのは30火山/31ケ所です。①~⑤が警戒レベルを表しています。クリックすると現在発表されている警戒レベルを表示します。その後の変化は次の通りです。
  2015年5月29日 口永良部島 レベル3→レベル5
  2015年6月11日 浅間山    レベル1→レベル2
  2015年6月30日 箱根山    レベル2→レベル3


こちらが箱根ロープウェーから見た大涌谷です。写真は2013年8月24日~25日に家族6人で行った時に撮ったものです。大涌谷は二回の過程を経て形成されたそうです。約3100年前、箱根火山で水蒸気爆発による山崩れが発生し、堆積物が貯まりクリックすると記事を表示さらに約2900年前に小規模な火砕流が発生、冠ヶ岳ができ、また火山砕屑物が積もったそうです。この火山砕屑物と山崩れによる堆積物の間が現在の大涌谷となっています。 かつては「地獄谷」と呼ばれていましたが、明治天皇・皇后の行幸啓に際し、1876年(明治9年)9月5日に「大涌谷」と改称されたそうです。
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左がネットから拝借させてもらった2015年5月5日の蒸気噴出口の写真です。確かに2013年8月24日にロープウェーから同じ蒸気噴出口を撮った右の写真の数倍の量の水蒸気です。5月6日からロープウェーは運行停止いたしました。
クリックすると拡大クリックすると拡大

最近のの大涌谷の蒸気噴出状態の写真を転用させてもらいました。
左から2015年5月8日、10日、11日です。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

大涌谷の動画も紹介いたします。本動画は時事通信社/JIJIPRESS が2015年5月11日に掲載した動画です。枠内に時事通信社の記事の内容を紹介します。
神奈川県の箱根山では11日も活発な火山活動が続き、箱根町湯本では午後2時15分ご­ろ、体に感じる震度1の揺れを観測した。大涌谷では引き続き蒸気が勢いよく噴出してお­り、気象庁は火口周辺警報(噴火警戒レベル2)を維持して大涌谷周辺の小規模噴火に警­戒を呼び掛けている。
同庁によると、火山性地震は10日に266回発生し、活動が高まった4月26日以降で­最も多かった。湯本では体に感じる揺れが5日ぶりにあり、震度1を5回、同2を1回観­測。この震度2の地震の規模(マグニチュード)は3.0(修正値)と推定され、一連の­地震で最大規模だった。
11日の火山性地震は午後3時までに36回起きた。傾斜計などで山が若干膨らむ地殻変­動が観測されているが、大きな噴火の兆候は見られない。


動画が撮影された場所と同じ位置から撮られた写真をネットから転用させていただきました。こちらは2015年5月11日に撮影されたそうです。
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大涌谷の航空写真です。細い橙色の線が、上で紹介の動画を撮影したラインです。 神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1292-22あたりから撮られたと思われます。
   大涌谷 地獄沢 蒸気噴出口
   大涌谷駅
   延命地蔵尊
   黒たまご売店の一つ(大涌谷観光センター)
   黒たまご茶屋
   黒たまご温泉池
   閻魔台(えんまだい)
   大涌谷散策路
   玉子専用のロープウェイ 
   箱根ロープウェイ
   動画撮影ライン(細い橙色ライン)


大涌谷の閻魔台のあたりの2013年8月24日の写真です。写真の右下の建物が黒玉子を製造販売している黒玉子茶屋です。地熱と火山ガスの化学反応を利用した「黒たまご」は、生卵を温泉池でゆでると、気孔の多い殻に鉄分(温泉池の成分)が付着し、これに硫化水素が反応して硫化鉄(黒色)となり、黒い殻のゆで玉子ができあがるのです。
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こちらの早雲地獄の写真は強羅公園から2013年8月24日に撮りました。
早雲地獄は1953年7月26日にて地滑りが発生し、土石流となって2 km下流の強羅橋(彫刻の森駅付近)まで流下し、約80万立方メートルの土砂を堆積させたそうです。土砂の流下速度は秒速約7 mだったとされており、埋没面積7 ha、死傷者28名を出す惨事となりました。
この災害以降、砂防工事が行われていますが、源頭部の早雲地獄では新たな火山性の地滑りや崩壊地の拡大が確認されており、再度の土砂災害が危惧されているそうです。このことから、早雲地獄では新たな土砂供給を減少させるために、すべり面より下の層にアンカーを打ち込むアンカー工事が1996年から2000年にかけて行われたそうです。今でも火山として活動していることが感じられました。


箱根カルデラの範囲の地形図です。
   強羅公園
   早雲地獄
   大涌谷
   箱根山最高峰の神山


国土地理院の「箱根山の火山活動に伴う地殻変動の検出について」→ポチッ
④5月07日~5月21日の観測データの解析結果を追加 最大20cm
                  2015年05月07日からだと 最大15cm
③4月17日~5月15日の観測データの解析結果を追加 最大12cm
②3月01日~5月10日の観測データの解析結果を追加 最大8cm
①2015年5月8日に火山活動の地殻変動を大涌谷で検出 最大6cm
陸域観測技術衛星2号「だいち2号」の観測データを利用して、箱根山の火山活動に伴う地殻変動を大涌谷で検出
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定期的に大涌谷の火山情報関連の記事を追加いたします。
2015年5月17日
有感地震100回超える 箱根・大涌谷
カナロコ by 神奈川新聞 5月17日(日)7時3分配信
大涌谷周辺の火山活動は16日も活発で、火山性地震が増加した4月26日以降に県温泉地学研究所が観測した震度1~3相当の有感地震の総数は100回を超えた。
温地研によると、15日は最終的に54回の有感地震があり、震度3相当の揺れを4回観測するなど、地震活動はこれまでで最も激しくなった。16日も引き続き地震が多く、揺れを体に感じない微小な地震も含め午後9時までで241回を数えた。有感地震も繰り返し観測されている。
気象庁が観測した火山性地震の回数も15日が最多で471回に達した。
5段階の噴火警戒レベルは2(火口周辺規制)が続いており、同庁は引き続き小規模な噴火の恐れがあるとみて警戒を呼び掛けている。

20015年5月23 2週間で15cm隆起 2014年10月9日から20cm隆起
大涌谷、地面15センチ隆起 火山ガスの影響か
2015年5月23日(土)5時0分配信 カナロコ by 神奈川新聞
活発な火山活動が続く箱根山(箱根町)の大涌谷で、地面の一部がこの2週間に最大15センチ隆起していたことが22日、国土地理院の解析で分かった。噴出する火山ガスなどの影響で地下の浅い部分が膨張しているとみて、気象庁や県温泉地学研究所も警戒している。
国土地理院は宇宙航空研究開発機構(JAXA)の衛星が捉えたデータから大涌谷の地殻変動を調べており、今回が4回目の解析。初回の7日に5センチほどの隆起が確認された地点が局所的に20センチに隆起したことが、21日の観測データから分かったという。
地形の膨らみがみられるのは、激しい噴気が続く温泉供給施設付近の半径100メートルの範囲内。火山活動が活発化した当初に隆起が目立った地点より南西側の変動が顕著になってきているという。
また、気象庁は22日から、大涌谷のカメラ画像をホームページで公開。立ち入り規制区域内の箱根ロープウェイ大涌谷駅に急きょ設置した高感度カメラで、夜でも噴気の状況を確認できる。
温地研によると、同日の火山性地震の回数は午後7時までで59回だった。
◇地震減少傾向も「沈静化はまだ」/温地研
大涌谷周辺の火山活動について、県温泉地学研究所の竹中潤研究課長は22日、箱根町が実施している定例会見で「火山性地震の回数は15日をピークに減少傾向にあるが、地殻変動などは続いており、火山活動が沈静化したとはいえない」と説明した。
また同会見で町は、大涌谷で配管メンテナンス作業を行う温泉供給業者が立ち入り禁止エリアの縮小を求めて提出していた上申書について、「活動がまだ沈静化していない中では狭めるのは難しい」との見解を示した。業者には、電話などで伝えたという。
町は噴火警戒レベルが3(入山規制)に引き上げられた場合に、避難指示が出される大涌谷周辺の半径1キロ以内の旅館や住宅など約30軒に対して回覧板を通じて近く説明する方針。ただ、対象の住宅の世帯数などは把握していないという。

2015年5月24日 箱根山の火山活動活発化のメカニズム
箱根山の活動、ガス目詰まりが原因か 東海大分析
2015/5/24 2:00 日本経済新聞
箱根山(神奈川県箱根町)の活発な火山活動は、地下のマグマから発生するガスが一時的に周辺の岩にブロックされ、その後一気に解放されたことで起きたとする分析結果を東海大の大場武教授(火山化学)らが23日までにまとめた。
マグマ周辺の岩には通常、ガスが通り抜けできる穴があいているが、地下水などで運ばれた鉱物が大きく成長して穴をふさぐ「目詰まり」が起きたとみられる。
大場教授は「蓄積されたガスが出尽くせば、火山性地震は終息するだろう。マグマに変化は起きておらず、マグマ噴火の可能性は低い」と話している。引き続き水蒸気噴火の恐れはあるという。
大涌谷周辺から出る水蒸気にはマグマで発生するガスと、マグマの近くを通る地下水が熱せられてできる水蒸気が混ざっている。長期にわたりこの水蒸気の成分を調べている大場教授によると、今年2月~4月24日にかけ、マグマから来るガスの比率が下がっていた。この比率は5月8日になって急上昇した。
マグマを取り囲むように、ガスを通さない岩の層が形成されたと考えられる。ガスが閉じ込められ内部の圧力が上昇、その後この層に穴があき、4月26日以降の火山性地震や激しい蒸気の噴出につながったらしい。
箱根山では2013年8~10月にも同様の変動があり、その後に地震が増加した。成果は千葉市で開かれる日本地球惑星科学連合大会で25日に発表する。
箱根山は、5月3日に火山活動が活発になってきたことを示す「解説情報」が出され、6日には噴火警戒レベルが1から2に引き上げられた。〔共同〕
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2015年6月30日 警戒レベル2 → 警戒レベル3
【速報】初の警戒レベル3 小規模噴火発生を確認
2015年6月30日(火)13時17分配信カナロコ by 神奈川新聞
気象庁は30日、箱根山(箱根町)の噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引き上げたと発表した。これに伴い、避難指示エリアが火口から半径約1キロに拡大される。同庁によると、ロープウエー大涌谷駅付近で降灰を確認、大涌谷でごく小規模な噴火が発生したとみられる。箱根山のレベル3への引き上げは初めて。

2015年7月21日 大涌谷で火山灰の噴出確認
【速報】大涌谷で火山灰の噴出確認
2015年7月21日(火)18時1分配信カナロコ by 神奈川新聞
活発な火山活動が続く箱根山(箱根町)の大涌谷で21日正午ごろ、噴煙とともにごく微量の火山灰が噴出したことを気象庁の機動観測班が確認した。時間は10秒程度。噴煙の高さは50メートルで、噴火に関する記録基準に満たなかったとして同庁は噴火とは判断していない。
また、地下のマグマや熱水の移動を示す火山性微動も発生していない。噴火警戒レベルは3(入山規制)が継続しており、引き続き小規模な噴火に警戒するよう呼び掛けている。

パリからカサブランカ [機内 CY]



クリックすると記事を表示パリからモロッコのカサブランカへの飛行機からの風力発電の風車の写真を紹介いたしましたが、10000mの上空からでもクリヤーに見ることが出来ました。もちろん他の景色もきれいに見えたので、それらの景色を紹介いたします。上の写真はスペインとフランスの国境近くのビレネー山脈です。ここからスペインの領空です。
ピレネー山脈はフランスとスペインの国境が走る褶曲山脈で、ヨーロッパ大陸とイベリア半島を分ける山脈でもあります。山脈はほぼ東西方向に延び、長さ430km、幅は定義にもよるが100km程度です。最高峰は3404mのアネト山で3000m級の峰が10峰以上散在します。
地質学的にはアルプス山脈より古く、古生代~中生代に浅海の地層が堆積し、その後、古第三紀始新世を頂点として大陸移動による圧縮力で山地が形成されました。現在の山体は花崗岩で構成され、西部では周りに石灰岩が見られるそうです。

いつも通り機内食を紹介いたします。やっぱりビールですね。


月と飛行機もきれいに見えました。ヨーロッパは飛行機から飛行機が見れる機会が多いです。


スペインから地中海に出るところです。この辺りから少し霞んできました。


アフリカ大陸です。この辺りは緑が少なかったけれどもカサブランカに近づくと緑のジュータンに変わりました。


空港についてモロッコの飛行機を見るとモロッコに着いたことを実感いたしました。カサブランカからフランスのリヨンに飛んだときに、このroyal air marocに乗ったので、そのうちに掲載いたします。


太いオレイジ色のラインがパリからモロッコのカサブランカへのコースです。スペインを縦断するコースです。

より大きな地図で パリ→カサブランカ を表示

サンダーソニアからジュリー(沢田研二さん)のカサブランカ・ダンディーのコメントを頂いたので動画をネットから転用させていただきました。この動画は35.4年前の1979年12月31日のNHK紅白歌合戦の時のものです。


上の動画は見れなくなったので別の動画を掲載します。


町全体が結婚式会場 [山西省]

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クリックすると新郎新婦の名前を読み取ることが出来ます。
山西省の省都・太原から130km離れた洞穴の住宅のあった町「山西省霊石県静升鎮」で結婚式がありました。ここは王家大院の町でもあり洞穴の住宅の町でもあります。町のあちらこちらの通りには写真のような風船アーチが沢山ありました。

町全体でお祝いしているようで風船アーチには新婚快乐(新婚快楽)の文字や新郎新婦の名前を読み取ることが出来ます。張さんと孫さんおめでとうございます。それぞれのアーチに送った人と思われる名前も書かれていたので、風船アーチは日本流に言えば花束のようなものかもしれません。結婚式会場からは結構離れた場所でした。
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別の通りにも同じように風船アーチが建てられていました。周りの景色や風船アーチの配置の違いから冒頭の風船アーチとは違うことが判ってもらえると思います。
これらのアーチが設置されているのは、それぞれの結婚する人の家の近くかも知れません。
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爆竹も何度も鳴らされていました。すごい爆竹でした。
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結婚式会場と思われるレストランにも風船アーチが飾られていました。レストランの前には赤い布で飾った車が沢山止まっていました。


この町(村)の出来事でした。王家大院から撮りました。

パイナップルの季節です。 [山西省]

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中国の世界遺産の一つ平遥古城の入口です。季節感覚はよく判りませんが、4月はパイナップルの美味しい季節なのです。いろんなところで売っていました。

日本に帰ってきて最初の飲み会はお寿司屋さん 宇多美寿司 [東京]

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上海から2015年4月17日に帰国して、初めての食事会が4月22日にありました。6名での食事会でしたが、その中には19年前に中国の安徽省で飲んで以来、初めて飲む人と、一週間前の4月16日に上海で上海料理を食べた19年以来の中国の友人も入っていました。実は今回の食事会は、一週間前に食事をした、その友人が日本を訪問したことの食事会だったのです。日本に来られた食事会なので、今回は幹事の人がお寿司屋さんを選んでくれました。
上海での食事会(上海料理)は後日報告させていただきます。中国には4月6日から行っていました。

お通しはモズクとホタルイカとシラスでした。
今回の写真は買ったばかりのカメラで撮りました。
デビュー写真です。今後の料理の写真は本カメラが多くなると思います。同等機種のSONYのDSC-RX100M3ではなくG7Xを選んだ理由は、実際にお店で何度も比べてみて、接写でのAF時間が短かったからです。
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最初は玉子焼きが出されました。お寿司屋さんの玉子焼きはやっぱりいいですね。お寿司屋さんですが、飲み放題が出来るのがうれしいです。おかげでビールと日本酒を沢山飲んでしまいました。
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刺身の盛り合わせです。6名ですが、これが2皿ほど出てきました。
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さらに大きな「鮪のかま」も2皿でてきました。「鮪のかま」と「刺身の盛り合わせ」は大皿ですが、それ以外は1人1品づつ出されました。
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やっぱり煮物が出てくるとホッといたします。
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お寿司が出てきました。
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お寿司に醤油を塗ってみました。醤油を塗ると、さらに美味しそうに見えませんか。是非、クリックしてみてください。
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味噌汁も出てきました。
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今回の食事会のお寿司屋さんです。
  店名 宇多美寿司 (うたみずし)
  住所 東京都港区浜松町2-2-3
  電話 03-3433-3636
  定休 土曜 日曜 祝日
  営業 11:00~14:00 16:30~23:00
  最寄 JR・浜松町 地下鉄・大門

喬家大院でランチ [山西省]

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世界遺産の平遥古城を見た後に行った山西商人の豪邸である喬家大院をすでに紹介いたしましたが、そこで昼食(ランチ)の時間となりました。ガイドさんに案内された喬家大院で一番人気のレストランです。
山西省名物の21種類の料理がセットになって1テーブルが日本円で約2640円相当でした。料理は10名で食べても十分な量があるのです。我々はガイドさんも入れて8名でしたが、10名で食べれば一人当たり264円となります。16種類の料理が並んだところで写真を撮りました。

そのメニューです。16種類(8椀+8碟)の料理以外にご飯類や麺類が5種類付いています。碟は日本語では小皿のことです。ただし実際の皿は、決して小皿ではありませんでした。喬氏特色菜と書かれています。喬氏のスペシャル料理という意味です。


御飯代わりにソバガキのような食べ物が出てきました。珍しい食べ物でした。麺の一種だと思います。山西省はすでに紹介したように、麺のルーツのような場所で、いろんな麺がある場所でした。
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変わった形ですが、こちらも麺料理です。
トマト味なのでパスタと思えばいいかもしれません。
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ガイドさんです。なぜ3人?
実は右側の人が平遥古城を案内してくれたガイドさんです。このガイドさんの説明が良かったので、交渉して喬家大院にも一緒に来てもらうことにしました。平遥古城から喬家大院までの道案内も頼みました。その時に、この若い2名の勉強中のガイトさんも一緒に行かせてほしいと頼まれたのです。もちろん2名のガイド料金はなしです。丁度車の席が3人分ほど空いていました。
一緒に食事もしてビールも飲みました。年齢は20才と21才と25才なのでアルコールは大丈夫でした。おかげで、ビールも沢山飲んで、楽しく食事をいたしました。


平遥古城から喬家大院は37kmです。車で45分くらいで行けます。ガイドさんたちは、平遥古城までバスかタクシーで帰ったのだと思います。別れた後、我々は太原のホテルに向かいました。
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