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ロバさんも暑い 気温は52℃ [パキスタン]


連日、日本では35℃を越える猛暑日が続いていますが、海外で52℃の気温を経験したことがあります。場所はパキスタンでした。こちらの記事の写真を見てもらえれば、少しは日本が涼しく感じてもらえるかもしれません。
時期は6月でしたが、実はパキスタンは6月が一年中で最も暑い時期なのです。これ以降は雨季になるため気温はさがっていきます。実際にパキスタンを離れる頃には暑さが少しづつ和らいできました。

これらのロバさんの写真はパキスタンの首都イスラマバードから140kmの場所です。このあたりは走っているとよくこんな風景によく出会います。ロバちゃんはまったく車のことを気にしていない様子で、車が路肩の部分を走って避けて通ります。
どこに行ってもロバさんが多かったです。土漠のような土地に合っているのか沢山見かけました。


街の近くでは働いてるロバさんたちを沢山見ます。このときは連日、最高気温が49℃~52℃でした。ロバさんも大変ですが人も毎日、熱波で20人が亡くなられており、問題になっていました。 


イスラマバードに滞在している時に最も気温が上がった日が52℃で、その時の写真です。太陽が当たって52℃ではなく、日陰で52℃なのです。この日はホテルにいたのですが、52℃を体験したくて外に写真を撮りに出てみました。快晴の状態であったことから太陽の当たる場所での体感気温は相当なものだったと思います。下の写真は道端にある大きな給水タンクの底から水を出して体を冷やしているおじさんです。タンクに入れたばかりの水を出してもったいないけれど命には代えられない。という感じでした。 さすがに日陰に入っても熱かったです。こんな経験のおかげで多少の気温には驚かなくなりました。さすがに52℃は暑かったです。いや熱かったです。ホテルを出てすぐに持っているカメラが触れられないくらいに熱くなってきました。
IMG_5797-1440.jpgこの下の写真と右のタクシーに乗る人の写真を撮ると暑さに耐え切れずに、すぐにホテルに戻りました。
パキスタンはこのときは特に猛暑でイスラマバードに着いた日は最高気温は49℃で、ついには52℃を越える日が2日間もあり、今回の52℃の体験となったわけです。パキスタンは初めてなので「パキスタンは、こんなものなのかな~メチャメチャ暑いところだな!」程度に思って、こちらにいる人に「パキスタンはすごく暑いところですね。」と言うと「と、とんでもない!今年は特別です。」と言われちゃいました。


イスラマバードからラホールに移動しても気温は高かったです。連日、最高気温が49℃~52℃でした。夜中の3時30分なのに31℃でした。
下の画面はmsnの天気予報の気温です。Yahooなどいろんな予報がありますが、この時はmsnがもっとも現地の気温を正確にあらわしているようでした。この日の午前8時の気温は33℃で、前日に比べるとこの日の朝はかなり冷え込んだようです。でも予報によると気温が徐々に上がって14時には52℃に上がるようです。20時には44℃、23時には40℃で最高気温は52℃で最低気温は36℃でした。

12時30分の時点で42℃まで上がっていました。前日までだったら12時30分には48℃には上がっていました。20時と23時の予想気温は、若干、低めに修正されましたが、最高気温予報は52℃のままでした。この日を過ぎると雨季に入り始めるので、日ごとに気温が下がってくるみたいです。一安心かな
パキスタン・ラホール現在の気温はこちらです。→ポチッ(クリック)

こんなに暑いことから日本よりかなり南に位置しいいるし思われるかもしれませんが、実はイスラマバード(赤マーク)もラホール(緑マーク)も日本と同じ程度の緯度なのです。緑のラインは鹿児島(鹿児島駅)と同じ緯度です。
つまりイスラマバードは博多とラホールは鹿児島と同じ緯度なのです。

より大きな地図で ラホールとイスラマバード を表示

自分のホテルが火事 [パキスタン]

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パキスタンのイスラマバードに来て最大の事件がこれです。私にとって海外経験で最大の危機だったかも知れません。
ホテルの部屋で寝ている時に、煙たいのに気がつきました。目を開けると天井が霞んでいました。もしかしたら火事と直感! 時間は午後11時(日本時間 午前3時)ごろで、すぐに廊下を確認すると、ものすごい煙なので火事と判りました。有毒ガスのような煙がすごすぎる上に、熱すぎて廊下からは逃げられる状態ではありませんでした。いざとなったら窓から逃げる覚悟で部屋に戻りました。 しかし一番危険な煙が相当に部屋に入ってきたので、身の危険を感じて部屋にもいられないために、ついに窓の外の小さなスペース(人が行く場所ではないけれど以降はベランダと呼びます。)への窓をこじ開けて窓を乗り越えて避難しました。開けるときに煙で見えないので窓の取っ手を無理やり壊して開けました。火事がおさまってから冷静に見ると壊さなくても開けられる構造でした。
私は4階のRoom No.411 でベランダから見ると火事は同じ4階でした。上の写真はベランダから撮った写真です。良く見ると飛び降りなくてもコンクリートの格子をつたって降りれる構造でした。この状態になって、とりあえず火事が大きくなっても逃げられると感じて、初めて冷静になれました。それで息を止めて部屋に入ってカメラを取ってきてベランダに再度避難しました。

火もかなり出ていました。このときは消防自動車はまだ来ていませんでしたが15分位してから放水が開始されなんとか沈火することが出来ました。それから30分くらい経ってからすごい数の消防自動車が来ましたが、おそらく出火から一時間以上経っていました。火が消えてから初めて非難誘導で一階に降りたわけです。


避難した時に状況をお客さんの一人が以下のように話してくれました。
火事はRoom No. 404だったそうです。 隣の部屋Room No.402に日本人の新婚さんが泊まっており窓から飛び降り(つたって降りる時に落ちたのか動転して飛び降りてしまったのか)て女性が怪我をしたと話してくれました。
これが事実であれば日本人が怪我をしたことから日本でもニュースになるかもしれません。ネットで調べたけれどまったくありませんでした。 
2時間経ってから部屋に戻してもらいましたがススだらけでした。紙を置いていた部分は真っ白なのですごい煤だこと判ってもらえると思います。
とても寝れる状況でないので別の部屋へ変更してもらいました。


ホテル名はPearl Continental Hotel Rawalpindi Pakistanです。防火設備(スプリンクラーや火災報知機)を強化することを期待します。→ポチッ

火事のときの地上です。こちらを見ている人も沢山いました。


4階の人はやっと鎮火してから避難誘導されて1階に下りました。1階は避難した人たちや外から帰ってきた人たちでいっぱいでした。やっと別の部屋は入れたのは3時過ぎでした。一旦自分の部屋に戻って荷物をまとめて別の階の部屋に移動しました。


火事になる前に撮ってあった部屋の写真を紹介いたします。火事のあとは白い部分は全て真黒になったことを想像してください。