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芸術的 ( ? ) な送電線 [北京]

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高速道路を走っていると沢山の送電線が続いていました。日本では見かけないタイプの鉄塔もあります。ここは中国の北京と天津を結ぶ高速道路です。

ほんとうに沢山の送電線の鉄塔が建っていました。これだけの景観は滅多に見れないと思ったので掲載いたしました。
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解像度はありませんが動画にすると雰囲気が、伝えられると思い撮りました。

ガラタ橋は勝鬨橋でした。 [トルコ]



あのアジ釣りや魚市場やガラタ塔や鯖サンドで紹介したガラタ橋は1836年 に完成したそうです。今から177年前になります。驚いたことに、この橋は橋の中央部分が跳開橋(跳ね橋)つまり勝鬨橋(かちどきばし)なのです。勝鬨橋(かちどきばし)は固有名詞ではありますが、日本では跳開橋(跳ね橋)の代名詞になるほど有名です。金角湾は大きな造船所があり大型船が通る必要があったために金角湾の入口にかかるガラタ橋は跳開橋(跳ね橋)になったようです。
上の写真で橋の中央部分が切れているのが判ると思います。日本の勝鬨橋 は1940年に完成しましたが、それよりも100年も前の1836年にトルコで跳開橋(跳ね橋)が出来ていたとは驚きです。
跳開橋(跳ね橋)と言えばアメリカのシカゴの橋はほとんどが跳開橋(跳ね橋)です。

クリックすると拝借して記事を表示します。ガラタ橋が跳ね上がったところの写真をネットで探したけれど今のところ見つからないので日本の勝鬨橋の跳ね上がったところをネットから紹介します。
ネット拝借→
勝鬨橋(日本)

地図で紹介します。
船の航路が沢山通っているところが跳ね橋(跳開橋)です。クリックするとGoogle地図を表示するので廻りも確認できると思います。
クリックするとオリジナルの地図を表示

毎日が師走のアメ横? イスタンブールの市場 [トルコ]

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いつの間にかトルコも3回目の訪問となりました。遠くに4本の塔が見えるのがイスタンブールで最も大きいモスクであるスレイマニエ・モスクです。このあたりは世界遺産にも登録されています。その近くにエジプシャンバザール(市場)があります。地元の人たちがよく利用する市場です。ここにお土産を買いに行きました。

市場の広場の前にも大きなモスク(ジャミィ)がありました。モスクの名前はイェニ・ジャミィです。場所はトルコのイスタンブールです。
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広場から見た市場の入口です。昔、記事を掲載したオリーブの専門店もこのあたりにありました。
クリックするとオリーブの記事を表示

お土産を買え終えたころには暗くなっていました。
こちらで買ったお土産の記事です。写真やタイトルをクリックすると記事を表示します。クリックするとオリーブの記事を表示
 クリックすると記事を表示 トルコ石
 クリックすると記事を表示 カラスミ
 クリックすると記事を表示 キャビア
 クリックすると記事を表示 トルコの陶器

クリックすると潮騒のメモリー・3バージョン
そしてモスクもライトアップ
クリックすると天野春子
「あまちゃん」で益々、有名になった右の写真(ネットから拝借)のアメ横の大晦日みたいです。いや、「あまちゃん」のおかげで、アメ横も、いつも大晦日のように賑わっているのかもしれません。
大阪だと大晦日の黒門市場かな。右上のアメ横の写真をクリックすると潮騒のメモリーを聞くことが出来ます。
それにしてもエジプシャンバザールは、すごい人です。 
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どこまで行ってもすごい人です。


市場は屋外だけではなくアーケードのある部分もあります。


魚屋さんです。小あじ(イスタヴリットİstavrit)が1kgあたり約300円です。鰹(パラムットPalamut)もあります。
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別の角度から見てみました。一番手前はたぶんカタクチイワシのハムシHamsiですね。
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近くに金角湾とガラタ橋があり、その前の広場で鯖サンドが売られていました。丘の上には冒頭の写真に写っていたイスタンブール最大のスレイマニエ・モスクがありました。緑色マークが鯖サンドが沢山売られている場所で、その下のマークが今回の紹介のエジプシャンバザールです。一番左側のマークがスレイマニエ・モスクです。

より大きな地図で イスタンブール を表示
庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」の歌を追加させてもらいました。是非とも中央のプレーボタン( )をクリックしてみてください。

箱根登山鉄道を堪能いたしました。 [箱根]

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2013年8月24日~25日に家族で箱根に行きました。箱根登山鉄道、ケーブルカー、ロープウェイ、観光船、箱根登山バスを利用しましたが。最もよく利用したのが箱根登山鉄道でした。利用したのは次の4回でした。
紫色のラインが今回紹介の箱根登山鉄道です。
  ① 8月24日10:50発 箱根湯本 → 強羅
  ② 8月25日10:11発 箱根湯本 → 彫刻の森
  ③ 8月25日14:43発 小涌谷 → 宮ノ下
  ④ 8月25日16:38発 宮ノ下 → 箱根湯本


8月24日10:50発 箱根湯本 → 強羅
8月24日は箱根湯本→強羅→早雲山→大涌谷→桃源台(芦ノ湖)→箱根町→箱根湯本→塔ノ沢温泉と移動しましたが紫色のところで登山鉄道を利用いたしました。こちらが我々が乗った電車で満員となりました。古い車両です。古い車両として残っているのはモハ1形(旧名:チキ1形)、モハ2形(旧名:チキ2形)、モハ3形(旧名:チキ3形)ですが、先頭に110と書かれていることからモハ2形(チキ2形)と思われます。チは地方を意味しキは客車を意味しています。屋根の上に乗っているものは発電ブレーキ用の大容量抵抗器です。冷房機をつけるスペースはなさそうです。
  チキ1形 1919年 車体:日本車両 台車:アメリカ製 101~107
  チキ2形 1927年 車体:日本車両 台車:スイス製  108~112
  チキ3形 1935年 川崎車両(現 川崎重工)      113~115
  1000形 1981年 川崎重工            1001~1004
  2000形 1989年 川崎重工            2001~2006
  3000形 2014年 川崎重工 11月運行 車両紹介記事→ポチッ
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箱根湯本駅を出発いたしました。我々が乗った電車は冷房車ではありませんでした。走っているときは風が入ってきていいのですが停車しているときは、さすがに暑かったです。椅子に座れると、もっといい写真が撮れたと思いますが、窓枠のある写真も趣がありました。
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鉄橋を渡っているときの景色です。吊り橋が印象的でした。この鉄橋の正式名は早川橋梁で早川に架かる鉄道橋です。一般には「出山の鉄橋」あるいは「出山鉄橋」として知られており、有形登録文化財でクリックすると拡大箱根観光名所の1つとして多くの観光客に親しまれているそうです。橋の形式は単純下路ダブルワーレントラス式鉄道橋で、橋長61m、河床からの高さは43mです。
鉄橋の工事は1915年に始まり、開業2年前の1917年5月31日に完成しました。深さ43m・幅61mという深い谷に架橋するため、Wikipediaから拝借した右の写真のような丸太は約1万本が使われた大規模な総木製の足場を組んで作業を行な割れたそうです。完成した翌日からは足場の解体にかかるというその夜、暴風雨により早川が氾濫し足場は全て流失してしまったことも有名な話です。ただし鉄橋本体には全く影響がなかったそうです。
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最初のスイッチバックのところから先ほど渡った鉄橋が見えます。鉄橋からの写真で写っていた吊り橋が右下に見えます。クリックすると拡大上の写真と下の写真は同じ方向の窓から撮ったものです。見えている鉄橋を右から左に渡った後に登りながら大きくカーブしてこの場所に着いたのでした。鉄橋を渡っているときの写真は10時57分34秒に撮ったもので、下の写真は10時59分28秒に撮ったものなので1分54秒の短時間の間に、これだけの高低差を登り大きくカーブしていることが判ってもらえると思います。
登山電車が出山鉄橋を渡っている右の写真はWikimediaから拝借したものです。
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出山鉄橋から見えた吊り橋を塔ノ沢温泉と箱根湯本を循環するバスが通った時に出山鉄橋を撮った写真です。登山電車が通っていたら最高の写真になったと思います。目の前に写っているのは吊り橋のロープです。
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こちらは最初のスイッチバックの場所と鉄橋の位置が判る地図です。大きくカーブをしていることと、急激に登っていることが等高線から判ってもらえると思います。さすが登山鉄道です。緑色マークが出山鉄橋で赤色マークが吊り橋で黄色マークがスイッチバックの場所です。

より大きな地図で 出山鉄橋 を表示
登山電車の終点駅の強羅に着きました。


こちらが外から見た強羅駅です。ここ℃昼食を撮った後に強羅公園に行きました。



8月25日10:11発 箱根湯本 → 彫刻の森
8月25日は箱根湯本→彫刻の森→(バス)→小涌園→(バス)→小涌谷 → 宮ノ下→富士屋ホテル→宮ノ下 → 箱根湯本→新宿→自宅 へ移動しましたが紫色の部分で箱根登山鉄道を3回利用いたしました。
箱根湯本→彫刻の森は3両連結の冷房車でした。前日の経験からスイッチバックがよく見える先頭車両になりました。先頭車両に乗るとスイッチバックごとに先頭→最後尾→先頭→最後尾と変わります。この日は朝から、あいにくの雨だったので窓からの鮮明な写真は撮れませんでした。先頭に1004と書かれています。こちらは1000形です。
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先頭に乗って箱根湯本を出発しました。


出発してすぐにトンネルの連続でした。トンネルは13ケ所ありトンネルの延べ長さは2kmになるそうです。鉄橋も26ケ所になるそうです。カーブは66ケ所だそうです。


1回目のスイッチバックの場所です。前日の8月24日でも見えた早川橋梁(出山の鉄橋)が見えましたが、雨のため霞んでいました。スイッチバックで先頭車が最後尾に代わります。スイッチバックの場所では運転手さんと車掌さんが移動するためホームがあり、そこを歩いて交代します。交代する車掌さんが窓の外に少しだけ写りました。
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ここで運転室が車掌室に変わります。社内放送で名口調の案内をされていた車掌さんに、この時初めて出会えました。


客席室の方に出てこられたので車掌さんの写真を撮らせていただきました。車内放送も登山鉄道の魅力の一つでした。客席側に出られるときは、きちっと手袋を外されることが判りました。


客席側に出てこられた車掌さんに乗車記念カードをいただきました。子供さん中心に配られていましたが記事に掲載するつもりで思い切って一枚いただきました。


こちらが乗車記念カードの裏側です。限定版というのがうれしいですね。最近、はやりの、ゆるキャラの登山鉄道くん(のぼりやま てつみち くん)が描かれていました。落合さん、ありがとうございました。名口調の感じから、落合さんは、きっと有名な方だと思いネットで調べた結果、やはりYouTubにも沢山登場されている話題の方でした。頂いた乗車記念カードの値打ちが上がりました。知らないとは言え失礼しました。


落合さんのおしゃべりはテレビにも紹介されていましたので追加いたします。これは是非とも真中のプレーボタン( )をクリックしてもらいたいです。
  追伸 現在は非公開になっています。 見れないのが残念です。


上の動画が見れなくなったのでWebから神奈川新聞・カナロコ(kanaloco)さんの動画を引用させていただきました。こちらで堪能願います。(最初に少しだけCMが入っています。)


ここが2回目のスイッチバックの場所です。こちらは大平台駅という駅になっています。左側の線路から登ってきて、運転手さんと車掌さんがホームを歩いて交代した後に右側の線路を登っていきます。


こちらが3回目のスイッチバックの場所です。車掌さんと運転手さんが移動するホームが判ってもらえると思います。ホームはありますが、お客さんが降りる駅ではありません。ここではすれ違いなしで出発いたしました。前の2つのスイッチバックの場所では対向電車とすれ違いました。


スイッバックの場所から登り始めました。最後尾からの写真です。
登山電車で最も大切なのがブレーキシステムです。急勾配の登山鉄道にとって安全が、クリックすると拡大もっとも重要だからです。箱根登山鉄道は4つのブレーキが使われています。車輪の回転を止める電気ブレーキと空気ブレーキと手動ブレーキに加えて空気の圧力で特殊な石をレールに押しつけて電車を止める右の写真のレール圧着ブレーキが使われています。車輪とレールの摩擦力が失われても直接レールにブレーキをかけて止めることが出来るのでリスク回避された安全なシステムだと思います。


3ケ所のスイッチバックの場所が入った地図を紹介いたします。黄色マークがスイッチバックの場所です。下から順番に出山信号場、大平台駅、上大平台信号場です。

より大きな地図で スイッチバック を表示
登山電車には下の黄銅製の銘板が取り付けられていたので調べてみると1979年6月1日にレーティッシュ鉄道と姉妹鉄道提携を結んだそうです。これは鉄道線の開業時にスイスのベルニナ鉄道(今のレーティッシュ鉄道ベルニナ線)を参考にした事が縁になったものだそうです。1981年に45年ぶりの新型車両として1000形電車が導入され、スイス側の協力を得て「ベルニナ号」と命名されました。つまりこの電車がベルニ号(Bernina号)だったのです。
クリックすると拡大また1989年に箱根登山鉄道で初の冷房付電車となる2000形には「サン・モリッツ号」と命名されました。これにもスイス側の協力がありました。
右の写真はWikimediaから拝借したもので1982年に姉妹鉄道提携3周年記念にレーティッシュ鉄道から贈られた2つのカウベル(牛につけるベル)です。


下の写真の銘板に書かれている昭和59年(1984年)製造であることからも、クリックすると拡大この車両がBernina号であることが伺えました。右の写真のように2014年11月から運用されている最新の3000形も同じ製造メーカーでした。上にも記載している通り、全国産車両であるチキ3形(1935年)からすべて同じメーカーということになります。不思議と世界遺産である黄山の最初のロープウェイの車体も、バイクと新幹線で有名な同じ製造メーカーでした。


箱根登山鉄道の醍醐味は日本一の急な登りとスイッチバックですが、もう一つが急カーブです。この道路に沿って線路が引かれていると想像していただければカーブが急なことが判ってもらえると思います。


急カーブでは内側と外側の距離が違うことから片方の車輪をレールとの間で滑らせる必要があります。平地の車両では油が塗られていますが勾配の急な登山電車では油を出来る限り排除する必要があることから、散水装置が登山電車には備わっています。クリックすると拡大車両の先頭の床下にに右の写真の350リットルのタンクが付いており片道一回に50~80リットルを使うそうです。この日は雨のため散水装置は使う必要が無かったそうです。
開業当時はレールと車輪の粘着力を増すために撒砂装置がありましたが、撒水したところに砂を撒くことによってレールの磨耗が激しくなったために撒砂装置は後年すべて撤去されたそうです。


車両の真中あたりに立っていたも3両編成の先頭が見えるほどのカーブです。そして急カーブを回るために車両も一般の車両よりは短いそうです。最も急なカ一ブはR30(曲線半径30メートル)だそうです。


箱根登山電車はラック(歯車)などを使わない鉄輪とレールの粘着式で走る普通鉄道では日本一の急勾配(80/1000)です。世界でも2番目の急勾配だそうです。ちなみに世界一は勾配105/1000のオーストリアのペストリングベルク鉄道だそうです。その急勾配を実感してもらうためにWikimediaから写真を拝借いたしました。この写真の勾配日本一の急勾配の80/1000です。つまり1000m進む間に80m登る傾斜のことなのです。
推測ですが下の写真の位置と思われる場所の地図を右に紹介します。さらにストリートビューでも確認できます。箱根湯本駅から数十mの距離なので是非とも見に行ってください。
クリックするとストリートビューを表示

箱根登山鉄道は電車は車輪とレールの摩擦だけで登り降りが出来る普通鉄道です。摩擦だけで走ることから粘着式と呼ばれていますが、さらに急勾配の登山電車クリックすると大きくなります。には右の動画のようなラック(歯車)が使われています。クリックすると大きくなります。このラック式で有名なのが、自走式では世界一の急勾配を登る左の写真のピラトゥス鉄道です。その勾配は480/1000です。日本では大井川鐡道井川線(90/1000)や能勢電鉄のシグナス森林鉄道(138/1000)がありますが珍しい方で、日本では地形の関係からかケーブルカーが使われるのがほとんどのようです。実際、箱根登山鉄道でも強羅と早雲山を結んでいるのはケーブルカーでした。箱根登山鉄道株式会社が所有してしるのは箱根登山鉄道と説明してきた普通鉄道と箱根登山ケーブルカーなのです。
箱根登山鉄道の醍醐味である「80/1000の急勾配」と「半径30mの急カーブ」と「スイッチバック」の場所を一緒に記載した地図です。80/1000の急勾配は箱根湯本を出てから小涌谷までの各所にあり半径30mの急カーブは仙人台信号場から彫刻の森までの間に酋長しています。つまり前半はスイッチバックと急勾配を楽しむことが出来て後半は急カーブと急勾配を楽しむことが出来るのです。
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彫刻の森駅に到着いたしました。ここで落合さん(落合くん)とお別れです。この後、この日のメインイベントの彫刻の森を見に行きました。その後に登山バスで小涌園まで行き椿山荘で昼食の手打ち蕎麦をいただきました。


クリックすると拡大箱根登山鉄道でもう一つ紹介しておきたいことがあります。下の写真は小田原~箱根湯本の間でロマンスカーの最後尾の展望席から撮りました。線路が3本あることが判ってもらえると思います。小田急はJR在来線と同じ軌間(レール間隔)の1067mm(狭軌)に対して箱根登山鉄道の軌間は1435mm(標準軌)まため相互乗り入れしている小田原~箱根湯本の間は片側のレールを共用する三線軌条が使われているためです。
 小田急電鉄   1067mm(3 ft 6 in)  狭軌
 箱根登山鉄道 1435mm(4 ft 8.5 in) 標準軌
右図が小田急と箱根登山鉄道の断面のイメージ図です。箱根登山鉄道は車体はチて際にも関わらず軌間は新幹線と同じ標準軌なのです。これは箱根登山鉄道の前身の小田原馬車鉄道は馬車軌間である1372 mm(4 ft 6 in)が使われていましたが、1435mmの路面電車との直通運転を視野に入れていたといわれています。また海外製の台車を視野に入れていたことも標準軌になった理由の一つかもしれません。いずれにしても80/1000の急勾配を上る能力のある電動機は当時の技術では1067mmの規格では収まらなかったことも事実です。



8月25日14:43発 小涌谷 → 宮ノ下
昼食の後に小涌園から宮ノ下に行くために箱根登山バスに乗りましたが小涌谷より先は渋滞するのでお急ぎの方は登山鉄道に乗り換えた方がよいとのアドバイスから小涌谷で降りました。小涌谷バス停あたりから登山鉄道の小涌谷駅を見た景色です。
  

小涌谷駅内の踏切から宮ノ下方向(箱根湯本方向)を撮った写真です。
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箱根湯本から登ってきた電車です。単線なのでここで我々が乗る電車とすれ違います。なんと103と書かれています。最も古いモハ1形(チキ1形)です。
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こちらが強羅方向です。
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すぐに我々が乗る電車が到着いたしました。先頭に2004と書かれています。こちらは2000形なのですでに説明させていただいたサン・モリッツ号です。この電車で一駅ですが小涌谷 → 宮ノ下に乗りました。
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8月25日16:38発 宮ノ下 → 箱根湯本
こちらが最後に乗った箱根登山鉄道です。番号は110です。偶然ですが8月24日に乗った電車です。つまり最初と最後に同じ電車に乗ったわけです。。
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宮ノ下駅の写真を紹介いたします。箱根登山鉄道と箱根ロープウェイの沿革を記載します。 94年前の大正8年に、現姿の登山鉄道が出来たことになります。
 1888年10月01日 馬車鉄道として国府津~小田原~湯本 が開業
 1900年03月21日 電化 馬車鉄道→電車 
 1919年06月01日 箱根湯本~強羅 が開業 現姿の登山鉄道が開業 大正8年
 1921年12月01日 強羅~早雲山 のケーブルカーが開業
 1923年09月01日 関東大震災(11時58分32秒)で大きな被害を受ける
 1959年12月06日 早雲山~大涌谷のロープウェイが開業
 1960年09月07日 大涌谷~桃源台のロープウェイが開業
 2002年06月01日 早雲山~大涌谷の新型ロープウェイが開業
 2006年06月01日 大涌谷~桃源台の新型ロープウェイが開業
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Wikimediaから拝借した昔の写真を紹介します。
1900年から1927年ごろの写真です。クリックするといずれの写真もオリジナルのサイズで表示します。
馬車鉄道時代の湯本駅 1900年ごろ   建設中の箱根湯本駅 1916年ごろ     
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開業(1919年)当時の箱根登山鉄道    開業(1919年)当時の小涌谷駅
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関東大震災(1923年)で脱線した車両 関東震災(1923年)により崩壊した線路
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左の写真のチキ1形3号の車体は木製でした。チキ1形3号は今の呼び名は103と思われるため小涌谷駅ですれ違った103の車両でした。車体は木製から鋼製には変わっていますがロマンを感じます。右の写真のチキ2形10号は驚いたことに今回2回乗った車体番号110と同じ車両ということになります。この時は車体番号は10と書かれていました。
チキ1形3号と強羅駅 1919年ごろ  チキ2形10号と箱根湯本駅 1927年ごろ
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