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自転車での観光が流行っているみたい ベルリン [ベルリン]

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ベルリンの町は自転車道路が整備されていて、どこに行くにも自転車道路で行ける事を紹介しました。有名なブランデンブルク門がある大通りウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)に地下鉄を乗り継いで来てみて驚く光景に出会いました。その大通りであるウンター・デン・リンデンは真ん中に広い遊歩道がありその両側に3車線づつ車道があるのですが、さの1車線が自転車で埋め尽くされていたのです。そこをどれだけの自転車が通っているか実感してもらうために何枚かの写真を紹介いたします。

上の写真と同じ場所です。次から次へと自転車が通りました。自転車のほとんどがカーキ色か青色です。観光客の人たちがレンタルサイクルに乗っているのです。自転車にやさしい町だからこそ成り立つ観光であることを実感させてもらいました。
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これも同じ場所の写真です。見ている間、自転車が途切れることがありませんでした。それにしてもすごい数です。マウンテンバイクのような自転車に乗っている人もいます。自分の自転車を列車で持ってきた人もいるようです。拡大するとわかります。
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少し先の交差点を渡っているところです。
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自転車にやさしい町 ベルリン [ベルリン]

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ドイツのベルリンに来て感心したことがあります。ベルリンは私が訪問した町の中での比較ではありますが、車が沢山通る町の中で最も安全に自転車が走れる街でした。上の写真のように車道と歩道がと自転車専用道が完全に分かれて設置されているのです。

車が沢山通る主要の道路のほとんどで歩道と自転車道路が完備していたのです。その割合の多さに驚かされました。つまり街の中のどの場所に行くにも自転車の専用道路を走って行けるのです。これはそう簡単には出来ることではないと思います。日本では歩道や車道が狭いために作ろうとしても難しいところが多いです。


同じような写真ですが実感してもらうために、いろんな場所の写真掲載いたします。


これほどまで徹底しているのには驚きました。自転車を置く場所も町中のいたるところにありました。


広い歩道があったので作れたのかもしれません。


交差点の色分けも徹底しています。レンガ色の部分が自転車専用です。この写真はクリックすると拡大するので細部もわかると思います。朝早い写真なので自転車は少ないけれど昼間は沢山の自転車が通ります。
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住宅街の方の道も自転車道路がありました。歩道は右の大きな木のさらに右に作られていました。歩道も歩くと気持ちがいい場所にありました。
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淡水のクラゲ 「マミズクラゲ(真水水母)」 [思いで]

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写真のネガを整理しているとこの珍しい写真のネガが残っていました。さっそくデジタル化しました。淡水のクラゲをご存知ですか?
これは「まみずくらげ」と言うそうです。
昔に一度だけ見たことがあります。その時の写真です。
丸い入れ物は直径15cmのシャーレーなのでクラゲ自体は大きくても2cmほどです。クラゲの4つの模様は生殖腺ですが右の写真のように生殖腺が3つのものもいました。

上の写真はクリックすると拡大しますがクリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。これらの写真は私が撮りのしたが、撮った経緯は後半に記載させていただいております。


さらに拡大してみました。


横向きのクラゲが入った写真も紹介します。
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台風の後に突然、学校の中の、この小さな池にマミズクラゲが現れました。通っていた学校は兵庫県立芦屋高等学校です。マミズクラゲがどこから学校の池に入ってきたのか知りたくて、学校の山側にある池を隈なく調べてみましたがマミズクラゲは発見できなかったために発生の謎を解くことは出来ませんでした。
クリックすると広範囲を表示

池を反対側(運動場の方向)から見た写真です。
顧問であった生物の先生も長く学校におられましたがマミズクラゲが出現したのは初めてだと言われました。この池からはいつのまにかクラゲ(水母)が消えてしまいました。


マミズクラゲは珍しい上に、突然に出現して、いつの間にかいなくなってしまうことから地方の新聞によく取り上げられます。
ただし全国どこにでもいるクラゲらしいのですが、珍しい理由は「親クラゲの姿」になることが稀なためだそうです。いつもは別の姿をしている生物なのです。つまり下記の図のポリプやフラスチュールの姿で無性繁殖で増えて生き続けているのです。おそらく環境が変わるなどの何かのきっかけで有性生殖の必要が発生することで親クラゲが出現する気がします。あの時は台風がきっかけだったのかもしれません。


マミズクラゲのいろんな姿を、ネットから拝借した写真で紹介いたします。プラヌラとフラスチュールは動画になっています。
            受精卵と卵割
            プラヌラ
   ポリプ
            ポリプのコロニー
       フラスチュール
            クラゲの出芽(水母 芽)
      稚クラゲ(幼 水母)
            親クラゲ(成体 水母)

マミズクラゲに関してネットで書かれている説明を転記する形で紹介いたします。
マミズクラゲ(真水水母)はヒドロ虫綱淡水クラゲ目のクラゲの一種。
 界  : 動物界        Animalia
 門  : 刺胞動物門     Cnidaria
 綱  : ヒドロ虫綱      Hydrozoa
 目  : 淡水水母目     Limnomedusae
 科  : ハナガサクラゲ科 Olindiasidae
 属  : マミズクラゲ属   Craspedacusta
 種  : マミズクラゲ    C. sowerbyi
 学名 : Craspedacusta sowerbyi
 英名 : Freshwater Jellyfish
世界各地の温帯熱帯域の淡水産で、原産は中国大陸の長江周辺と考えられる。13世紀以降の文献には桃花魚や桃花扇の名で現れる(現代中国語では「桃花水母」と呼ばれる)。「桃花」はモモの花が咲く頃にクラゲが出現する事に由来する。
西洋にて知られたのは1880年にロンドンのリージェントパーク内の王立植物協会植物園のスイレンの水槽に現れたことから。学名はレイ・ランケスターが発見者サワービーの名をとったもの。
クラゲはヒドロクラゲであり、真性クラゲ類と異なり傘の下部に被膜を持つ。環状水管の周辺から触手が延びる。 最大成長時の直径は2.0 - 2.5cm。平らな性腺を除き体色は緑・白みがかった半透明。触手には何百もの刺胞を持つ。 
貯水池、湖、砂利坑または採石場といった穏やかな淡水域にて見られる。また、アレガニー川、オハイオ川、テネシー川などの河川域にも見つかる。止水域を好み、通常は河川や急流などの流水域には現れない。年中干上がる事のない淡水で弱アルカリ性の硬水を好むが、塩素には弱い。 高温から気温が下がり始めるとクラゲの形成が進むので、夏の終わりから秋にかけて発生する例が多い。
出現する場合は大発生になることがよくあり、人目を引くことから地方新聞などをにぎわすこともしばしばである。ただしそのつぎの年からはさっぱり出現しない例も多い。
ポリプ
有性生殖によって受精卵がプラヌラと呼ばれる繊毛幼生となり、ポリプへと成長し水底の枯れ葉や切り株、小石などに付着してコロニーを作る。 一種類の貫通刺胞のみを持ち、水棲貧毛類(イトミミズ類)、棒腸類(プラナリアなど)、若齢のユスリカ幼虫を捕食する(橋本1987)。飼育下においては自分と同サイズのブラインシュリンプが餌になる。 通常は出芽によってコロニーの個体数を増やしていくがフラスチュール(frustule)という全長0.5 - 1.0mmの蠕虫状の幼生を作り出し、時速約1mmで離れた場所へ数日間かけて移動し新たなコロニーを増やす。 雌雄異体で、一つのコロニーから別れた個体は同じ遺伝子を持つため全て同じ性別となる。 自然の状態で同じ場所からマミズクラゲが雄と雌両方とも見つかる事はほぼなく、これらは無性生殖によって増えたものと考えられる。
被嚢体
マミズクラゲは寒い冬の間は被嚢体(podocyst)という形になり越冬する。そして再び生活に適した環境となるとポリプの姿に戻る。これが動物や水生植物について行くことで、この種の突発的な発生を引き起こし、人類の営みの全地球化に伴って現在の世界的な分布を生んでいると考えられる。
クラゲ
真性クラゲ類とは違いストロビラの段階を経ずにポリプの脇よりクラゲが出芽する。稚クラゲは2週間から1ヶ月で成熟して、その後1週間程すると放精・産卵し死亡してしまう。 クラゲはミジンコやケンミジンコを含む動物性プランクトンを触手の刺胞で麻痺させて捕食する。刺胞毒は弱く人が刺されても感じない程である。
一般的なヒドロクラゲの模式図


クリックすると女子部員下の写真は3年生の時の卒業記念写真です。〇を付けたのが私です。当時、この学校のクラブ活動である生物部に所属し、阪神生物研究会の会長をやっておりました。右の写真は生物部のクラブ活動の写真です。クラブ活動の中でも学校の池にマミズクラゲが出現したのは私にとって懐かしい思い出なのです。
後ろに見える景色は芦屋浜(打出浜)で芦屋川が流れ込む場所で卒業記念写真を撮りました。校歌の中に出てくる打出浜(芦屋浜)は埋め立てられて住宅地に変わっています。芦屋川には清流にしか生きられないプラナリアが住んでいました。プラナリアは再生能力が優れており、どんなに小さく切っても成体に再生する生命体であることで有名です。
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この航空写真の緑色マーク( )の場所に並んで西側(左側)方向から卒業記念写真を撮りました。上の写真の背景の芦屋浜(打出浜)が埋められたのが判ってもらえると思います。赤色ライン()が、私が高校生時代の海岸線の打出浜(芦屋浜)でした。空色マーク( )がマミズクラゲが発生した県立芦屋高等学校(芦屋高校 / 芦高 / 県芦)の池の場所です。

2016年9月25日にホテル竹園芦屋の飛鳥の間で高校の同窓会がありました。卒業生494名の内、115名が参加いたしました。黄色の丸印(〇)が私です。
      卒業生   参加者   クラス参加
 男子   300名    90名    14名
 女子   194名    25名     1名
 合計   494名   115名    15名

これが本物のバスの駅 トランスジャカルタ [インドネシア]



以前に電車のようなバスを紹介いたします。電車のようなと言うのは電車の用な駅があるバスだからです。今回泊まったホテルの近くに、そのバスの駅があるので言ってみました。駅に渡る歩道橋の上から撮りました。この角度の写真だとバスの専用レーンとバスの駅がわかってもらえると思います。このバスはトランスジャカルタだそうです。右端に写っている緑ぽい十数階のビルが私が泊まったケンピンスキー(Kempinski 旧:ホテル インドネシア)です。

駅に渡る歩道橋です。自転車を紹介したときの写真は、この写真から自転車が沢山写っている部分を切り取りました。


歩道橋の上からロータリーの反対方向のバスの専用レーンを撮りました。トランスジャカルタはインドネシア語ではTransjakarta(愛称:TJ)でボゴタのトランスミレニオをモデルに設置されたジャカルタ市内のバス交通機関で2004年2月1日から運行開始されたそうです。


歩道橋から駅に降りていくスロープ(連絡通路)です。道路の歩道から歩道橋の上へは階段以外にエレベーターがあるので車椅子を意識したスロープなのだと思います。


これが駅の入口です。改札口があるのが電車の駅と一緒です。


バスが駅に着きました。赤いバスは「ブロックM・バスターミナル(ジャカルタ南部)~コタ駅(ジャカルタ北部)」で青いバスは「プロ・ガドゥン・バスターミナル(ジャカルタ東部)~ハルモニ(ジャカルタ中部)」で黄色いバスは「カリデレス ・バスターミナル(ジャカルタ西部)~パサールバル(ジャカルタ中部)」・・・・・・・・と7路線あるそうです。


皆さんが降りてくるところです。


反対車線にもバスが着きました。


歩道橋に戻って出発するところを撮りました。


次の駅まで歩いて行ってバスの専用レーンを撮りました。バスの専用レーンが中央分離帯を挟んで2車線あることがわかってもらえると思います。道路には普通のバスも走っていました。



2010年1月27日掲載 タイトル:バス専用レーン

ジャカルタでは渋滞の解決策としてバス専用レーンを作ったそうです。みんながバスを乗るようになり自家用車が減るだろうとのもくろみでしたが車線が減っただけで一般車は余計に渋滞しているそうです。それにしても車とバイクが混在して走っているのがジャカルタの特徴でした。

ものすごく立派なバス乗り場です。帰宅時間なのですごい人です。バリ猫さんにバスの名前をコメントで教えてもらいました。「トランスジャカルタ」と言うそうです。詳しく解説していただいているのでコメントを読んでください。


電車のような乗り場なのでバスのドアも高いところに付いています。すごく力を入れていること判る気がします。


これは日本流に言えば御神木です。切り倒すとタタリにあうということで誰も取り除かないそうです。ここだけバス専用レーンがなくなり渋滞の原因の一つになっていると説明を受けました。御神木といっても枯れた大きな木でした。


ジャカルタ3日目の夕食 [インドネシア]

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この日は韓国焼肉を食べに行く予定で車に乗って向かっている途中でインドネシア料理を食べることに変更いたしました。このままだと一度もインドネシア料理を食べずにジャカルタを離れてしまいそうな雰囲気だったのです。無理を言ってお願いしました。
躊躇なくこの「Oasis」がいいと案内してくれた人がこのお店を選択してくれました。
三日目にして初めてのインドネシア料理を食べることが出来ました。
もちろん、車で走っている最中で、いまさら予約しても同じなので予約なしで行ってみました。まだ、早かったおかげで、席は空いており全体が見渡せる良い席に案内してもらいました。
ネットでこのお店を調べると「最高のインドネシア料理との評判。1928年建築。植民地時代のオランダ政府関係の建物であったものを利用している。 」と書かれていました。今から182年前の建物でした。
この日はジャカルタで一番のインドネシア料理で、2日目はジャカルタで一番の日本料理だったことも考えると1日目は、やはりジャカルタで一番の中華料理だったのかも知れません。もしかしたら、この日、予約までして行く予定だった韓国焼肉も、その分野ではジャカルタで一番のお店であった可能性が高いです。

インドネシア料理のコース料理を頼みました。これがメニューです。


メニュー部分を拡大したのがこれです。赤い文字は料理の地域です。すごい種類が出て来ますが心配いりません。上から4番目から19番目までの料理は沢山女性達が一度に持ってきて、好きな量だけお皿に乗せるのです。一番上の写真はその時のものです。取る量が遠慮して少なかったので、特に美味しいと思った料理を後から追加で持ってきてもらいました。

料理を持ってきてくれる10名以上の女性たちには圧倒されました。お店の人も沢山写真をとってくれました。


このタレをつけて食べます。どれをつけても美味しいです。焼きバナナもあり、酸味があって美味しかったです。
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やっぱりビールです。おいしくいただきました。
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ジャカルタの日本食店 [インドネシア]

今回、タイトルが帰国の日はトロの記事でジャカルタの日本食を紹介したので、前回来たときに食べたジャカルタの日本料理を再掲載いたします。お店は「なだ万」ですが、残念ながらジャカルタの「なだ万」は2011年1月末に無くなりました。それだけ、高級な日本食店が増えてきたためでしょうね。
なだ万はシャングリラホテル(Shangri-La Hotel)にありました。今は日本食店として一階に西村が入っています。ジャカルタの西村には行ったことはないと思いますが、ベトナム・ホーチミンでよく西村を利用しました。
現在の、なだ万の海外店は「シンガホール店」「クアラルンプール店」「北京店」「上海店」「広州店」「九龍半島店」「香港島店」の7店舗です。IMG_1454-50.jpg


2010年1月23日掲載 タイトル:ジャカルタ2日目の夕食
インドネシア料理を食べたかったけれど、1日目の夕食は中華料理で、2日目の夕食は日本料理になってしまいました。これは前菜です。
ジャカルタは沢山の日本人の人が住んでいらっしゃるので日本料理も有名なんです。順番に紹介します。ジャカルタのレポートなのに日本と変わらないけれど、これもジャカルタの一つの顔なんです。
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お造りです。懐石料理なので一人一人に料理が出てきます。


フォアグラの茶碗蒸し 意外とフォアグラが茶碗蒸しに合うので驚きでした。
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海藻サラダです。


季節の天ぷらでした。この日はソラマメが入ったかき揚とフキノトウの天婦羅でした。
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ミニステーキも出てきました。


ミニステーキの後は「にぎり寿司5種」と「そば」と「デザート」を食べて終了でした。それらも一流の味で、日本と変わらない味なのには驚きでした。さすが「なだ万」でした。

やっと念願がかないました。 七輪で秋刀魚の炭火焼き [日々]

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七輪を買って炭火で焼いたサンマを食べることが、長年の夢でしたが、ついつい七輪を買いそびれて時間がたってしまっていました。そんな時、家内の誕生日に子供たちが七輪をプレゼントしてくれたのでした。

これがプレゼントしてくれた七輪で、珪藻土で作られた蓋付の本格的な七輪でした。実は蓋が大切な役目があることが、使い終わった時にわかりました。それは使い終わった後に蓋をすると炭火を消火出来ることでした。七輪(しちりん)は「七厘」とも書くそうです。
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火床が2つに分かれた長方形の七輪でした。七輪は珪藻土層を切削整形し、焼結して制作します。珪藻土は植物性プランクトンの藻類の一種で二酸化ケイ素(SiO2)の殻を持つ珪藻の死骸が海底や湖底に堆積し長い年月の間に二酸化ケイ素を主成分とする殻のみの化石となった岩石のことで非常に柔らかく軽いことが特徴です。珪藻土の多くは白亜紀(1億4550万年前~6550万年前)以降の地層から産出されているそうです。
珪藻土を使った七輪は江戸時代の初期に能登地方で使われ始めたようです。
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実家からもらってきた炭火起こし器を使って炭に火を着けることから始めました。この炭火起こし器は右側に写っている受けが付いているので、室内でも火の着いた炭を容易に移動できるので助かりました。長年、茶道に使っていた茶道具の一つなのです。


このようにガスコンロで炭に火を付けます。火が着くまでは結構時間かかります。


火の着いた炭を七輪に並べました。初めて使うので表面の水性塗料を焼くために20分間空焚きをいたしました。蓋の裏側も空焼きする必要があるために隙間が空くように蓋も置きました。少し煙が出てきて10分程度で煙が止まりましたが、念のため説明書通りに20分間ほど、空焼きをつづけました。
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七輪の空焼きが終わったところで金網をおいて秋刀魚を焼き始めました。ここで失敗が一つありました。金網に油を塗っていなかったので秋刀魚の皮が金網に、くっ付いてしまったのでした。それが、今回の秋刀魚の塩焼きの見た目が悪くなった最大の要因でした。
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秋刀魚はすごい脂でした。落ちた脂の炎も食欲を増してくれました。
金網に油を塗っていなかったために皮が剥がれていますが、見るからに美味しそうに焼けはじめました。七輪は壁の保温性が高いことから赤外線の発生量が多いため焼き物料理が特に美味しく出来るそうです。
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これが出来上がりです。これを取り分けていただきました。今回は見かけは悪かったけれど、さすが炭火焼きと判る風味で美味しくいただきました。もちろんビールも、いつもより美味しく感じました。
七輪で焼肉と焼き鳥も焼いてみたいです。特に焼き鳥を焼くのには、今回の七輪は丁度よい幅のようです。煙が出るので、当分は焼くのは屋外で食べるのは屋内になりそうです。
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七輪の材料の珪藻土の元の珪藻の写真を紹介いたします。
植物性プランクトンである珪藻の顕微鏡写真を紹介します。高校時代の生物部に所属していたころに撮った写真です。近いうちに紹介します。数千万年前のこのような珪藻の化石が七輪の材料になっているわけです。珪藻はガラスの殻をもった植物プランクトンなのです。芸術的な文様を見せてくれます。
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6年前はサクランボが2kgで160円でした。 [北京]

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2007年に北京の町の中を歩くと道端でサクランボを売っている人を沢山見かけました。驚くほどの数でした。値段を聞くと2kgが10元(160円)とのことでした。
産地は山東省だそうです。食事の帰り道で撮ったものです。北京一のビジネス街の近くの歩道です。中国で一番物価の高い場所です。売り子の人にとっては、ここが一番高く売れる場所なのかもしれません。
6年前も北京は物価は高かったので、驚きの価格でしたが地方の物価とは大きく格差があり安いところから売りに来ていたのだと思います。今は地方の方も物価が上がってきており、今では考えられない値段です。6年で地方の物価も大きく変わってしまいました。

暗くて良く判らなかったので最初はブドウを売っているのかなと思いました。良くみるとサクランボでした。10元につられて買ってしまいました。傷がついたものや形が悪い物も混ざっていますが味は甘ずっぱいサクランボの味でした。大粒のしっかりしたサクランボでした。日本に売るために良い品種を栽培し始めて、それが出回り始めたのかもしれません。

結婚式の花輪  少し事情がわかりました。 [インドネシア]

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我々の泊まっていたジャカルタのホテルの敷地内に四角い看板が沢山並んでいました。小さいけれどわかりますか。これが結婚式のお祝いの花輪なんです。たまたま前日に撮った検問の場所の写真を見てもらえれば判りますが前日の午前には花輪はまったくありませんでしたが前日の夜に突然置かれました。
この写真は当日の17時の写真です。
残念ながらこの後食事に行きホテルに帰ってきたときは結婚式はすでに終わっていたため当人たちを見ることは出来ませんでした。ただし着飾った沢山の出席者の人たちは見かけました。
この日は財界の有力者関係の結婚式だったのです。すごい人たちが出席されたそうです。失礼かと思いましたが思い切ってバリ猫さんに花輪に関してお聞きしました。ありがとうございました。さすがバリ猫さんです。
花輪(花看板)の上側に書いてあるのは結婚した御2人の名前で下側に書いてあるのが送り主の方だそうです。 結婚されたのは「CharlesくんとKataleneさん」のようです。あらためて花輪の数を数えてみました建物に隠れていて正確には判りませんが140以上の花輪が送られているようです。

解像度はよくありませんが、拡大してみました。
クリックすると右側の方も表示します。すごい数に驚きますが1枚1枚デザインが違うのにはもっと驚きました。送る人の心がこもっているような気がします。
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同じ時間帯のホテルの裏側の庭です。何事もないかのようにプールでみんな楽しんでいます。
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ジャカルタの漁船 [インドネシア]

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南国の海を期待してジャカルタの海を見に海岸まで車で行ってみました。そこは南国の海ではなく大型の漁船が並んでいる漁港でした。その大きさと数に驚きでした。さらに驚くことに、お土産を買わないかと日本で話しかける人が近づいてきました。どうして日本語を喋る人がこんなところに居るのだろうと疑問でした。ネットで調べるとジャカルタは大きな漁港があるようです。 日本の船員さんも訪れるのかもしれないと疑問が解けたような気になっています。

船の形も独得な感じがします。大きい船です。マグロを取るのかな?
バリ猫さんから詳しいコメントをいただきました。それを紹介すると!
この漁船は、オランダ統治時代に商用で用いられていた船を模した伝統的な帆船スタイルで、ピニシ(Pinisi)と呼ばれています。このスタイルの船はマグロ漁船にはならず、一般的な南海の魚の漁に使われています。2枚目の一艘だけ形の違う船、こちらが遠洋漁業用やマグロ漁に使われている船です。
タンジュンプリオク港には、日本の海洋実習船や世界各国の客船も来航しているんですよ。
ただし漁船ではなくてクルーズ船なんです。クルーズ船にも使える雰囲気の船を漁船に使っていたんですね。
半分くらいは想像が当たってたかな?
新たなコメントによると、今は観光クルーズ船としてはバリ島の方が多いそうです。是非ともコメントを読んでみてください。
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一隻だけ違う形の船がありました。そのほかは微妙に違いますが基本的に同じ形です。ここは町の中心から見るとあの有名なレストランCafe Bataviaがある方向なんです。
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クリックするとGoogle航空写真Googleの衛星写真からこの場所を拝借いたしました。

場所の名前はSunda Kelapaです。

紹介したシーフードレストランがあった場所です。
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近くのCafe Bataviaの写真です。
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あらためて船の大きさを実感いたしました。この後に別の海岸にも行って見ました。

左の写真をクリックするとオリジナルのGoogle航空写真を表示します。

朝食 ジャカルタ [インドネシア]

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日本からジャカルタに着いて最初の朝食です。まったく知識がないので判らないけれどもインドネシア風のものを選んだつもりです。? 焼き飯と焼きそばです。
昨日の夕食の時に焼き飯と焼きそばは美味しいとの話があったので、これかなと選んで見ました。
ネットで調べてみました。
  焼きそば ⇒ ミゴレン
  焼き飯  ⇒ ナシゴレン

こちらがミゴレン(焼きそば)です。


そして、こちらがナシゴレン(焼き飯 / 炒飯)です。


変わったせんべいが三種 これはまったくわからないけれど美味しかったです。これに関してクリックすると拡大するので見てコメントで教えてほしいです。→バリ猫さんから変わったせんべいはクルプック(揚げ煎餅)とコメントで教えていただきました。
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バリ猫さんのコメント紹介させていただきます。
おせんべいのようなものは、クルプックの一種です。
日本ではクルプック=海老せんべいというイメージで紹介されていますが、本当は「揚げ煎餅」です。
こちらでは、写真のように豆や香草の入ったものや、サカナを使ったものなど、いろいろな種類のクルプックがあります。ちなみに、写真の赤い豆入りのクルプックは、クルプック・ウンピンと言います。
by バリ猫

朝食の前にホテルの中の庭を散歩してみました。なかなか立派な庭だったので少し紹介いたします。


庭の中にプールもありました。


赤道直下の場所です。花も見たことのないものばかりでした。


朝早かったのでフラッシュを使ってみました。

リブロース煮込み [インドネシア]



インドネシアのジャカルタは、ある分野において世界でも有数な町です。それは世界の一流な料理が食べれる町なのです。もちろんその分野では東京が世界で一番であると思いますが、アジアの地域においてはジャカルタも飛びぬけた存在です。上海や香港も沢山の美味しいレストランがありますが、中華料理のお店が圧倒的に多いことから世界の料理となると霞んでしまっている気がします。
ジャカルタは料理の種類が偏ることがないのことが現在のジャカルタの料理の美味しい世界を作っているのだと思います。
この日は上の写真のリブロースの煮込みを食べるために、我々が泊まっていたケンピンスキー(Kempinski)の隣のホテルGrand Hyatt内のレストランC'sにやってきました。

こちらのレストランはいろんな国の料理が食べれます。これは最初に無料で出してもらったナンのような食べ物です。大きく膨らんでいますが、中は中空な食べ物です。


このナンのようなパンのような食べ物は一緒に出てきた辛味のあるソースをつけて食べました。


こちらは頼んだサラダです。イタリア風のチーズが沢山乗ったサラダでした。


やっぱり最初はビールですね。


パイ生地の中に具が入った料理です。これはビールに合いました。


こちらのお店の北京ダックも美味しいとのことなので半羽頼みました。確かに一流の味でした。


レストランの雰囲気も紹介したいので店内の写真を掲載いたしました。


これが、この日の最大の目的であったリブロースの煮込みです。


柔らかく煮込んでありました。シチューともステーキとも違う味わいの料理でした。


少しでも味わいを感じてもらうために、さらに拡大いたしました。この肉料理は絶品に言うにふさわしい料理でした。


インドネシアは輸入のお酒が高い国ですが、こちらのお店は左のように沢山のワインが用意されていました。
このワインが並べられた入口がレストランを探す目印となります。肉料理となると赤ワインが欲しくなります。さっそくいただきました。もちろん右上の白ワインも頼みました。

サーロインステーキも頼みました。牛肉はアメリカかオーストラリアからの輸入牛です。アメリカ牛が5400円でオーストラリア牛が8600円でした。煮込みとステーキの肉料理は大満足でした。オーストラリア牛のリブロースのステーキだと10500円になります。輸入ものはお酒も含めて高いのがインドネシアです。


肉料理を食べるとシーフードが食べたくなりますね。さっそくシーフードの盛り合わせを頼みました。


牡蠣に貝、伊勢海老に蟹に少し小型の海老が沢山乗っていました。


シーフードは全て生簀で生きていた新鮮なものばかりでした。


料理は全てオープンキッチンで作られます。大きな厨房がレストランの真中に陣取っていました。

レストランの名前は「C's Steak and Seafood Restaurant 」です。ホームページの記載内容です。
Grand Hyatt Jakarta’s favorite restaurant, serving the freshest selection of seafood, the finest choice of Australian and US Prime Beef. C’s is also a haven for wine connoisseurs with a 3,000-bottle walk-through cellar providing a great escape from even the toughest day. This casually chic restaurant features a fully open kitchen, four private rooms and a sweeping view of the lobby. Located on Level 4, C’s is a collage of sights, sounds and smells that will guarantee an unforgettable experience.

最後はデザートですが、マンゴープリンに


フレッシュマンゴーを頼みました。
冒頭で東京は世界一の美食の町と書きましたが、これは私の少ない海外経験の個人的な感想ではあります。
ただしミシュランの星の数も都市では東京(東京・横浜・鎌倉)が世界一なのです。
2010年11月において東京は星の総数が348個(266店舗)と世界一ですが最高峰の三ツ星レストランの数も14店(2013年は15店)と世界一です。ちなみに2013年の星の総数は373個(286店舗)です。
大坂(京都・大坂・神戸)の総数は313個(243店舗 三ッ星12店)です。
つまり東京および大坂が都市においては三位のパリ(総数97個 64店舗 三ッ星10店)を圧倒していることになります。ただし国ではフランス(総数687個 558店舗 三ッ星26店)が一位ですが日本は東京と大坂以外はリストされていないためで東京+大坂の合計数値(総数661個 509店舗 三ッ星26店)がフランス全体に匹敵していることを考えると日本は実質的に世界一と言えるかもしれません。星の数の定義を書いておきます。
  1つ星 : その分野で特に美味しい料理
  2つ星 : 極めて美味であり遠回りをしてでも訪れる価値がある料理
  3つ星 : それを味わう為に旅行する価値がある卓越した料理
ちなみにジャカルタは調査されていないようでミシュランレストランは無いようです。アジアでミシュランレストランがあるのは日本、マカオ、香港です。


大涌谷で黒玉子を食べました。 [箱根]

2016年5月1日 大涌谷の黒玉子が一年ぶりに復活した記事を追記しました。
2015年5月6日 火山情報および黒玉子販売中止の記事を追記しました。

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いつの頃からか箱根の大涌谷と言えば黒玉子が有名となり、最近ではテレビでもよく取り上げられて、すごい人気です。そのために、大涌谷で黒たまご(黒玉子)を食べることが観光の一つのイベントなっているようです。我々も黒玉子を買っていただきました。

黒玉子が作られているのは、散策路の終点にある閻魔台の中の温泉池です。この写真はロープウエーの大涌谷駅から閻魔台の方向を撮った写真で建物の奥の蒸気(噴煙)が上がっているところが閻魔台です。
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閻魔台のあたりを拡大しました。写真の右下の建物が黒玉子を製造販売している黒玉子茶屋です。地熱と火山ガスの化学反応を利用した「黒たまご」は、生卵を温泉池でゆでると、気孔の多い殻に鉄分(温泉池の成分)が付着し、これに硫化水素が反応して硫化鉄(黒色)となり、黒い殻のゆで玉子ができあがるのです。
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クリックすると拡大こちらの約80度の温泉池で籠に入れた生卵を60分ほどじっくりと茹でます。生卵を温泉池でゆでると、気孔の多い殻に鉄分(温泉池の成分)が付着するそうです。これに硫化水素が反応して硫化鉄(黒色)となり、黒い殻のゆで玉子ができあがります。この黒くなった卵を蒸し釜に移動して約100度の蒸気で15分ほど蒸せば出来上がります。


温泉池と黒玉子茶屋の前の広場には黒玉子を食べるテーブル「玉子スタンド」があり、みんな、そこで黒玉子を食べていました。
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こちらが閻魔台の黒玉子茶屋です。我々も、ここで黒玉子を買いました。


クリックすると拡大クリックすると拡大黒玉子と呼ばれるようになった時期を検索しましたが、残念ながらわかりませんでした。現在の袋は3代目だそうです。右の2枚の写真はネットから拝借した2代目の袋(2008年 左)と初代と思われる袋(2004年5月 右)の写真です。そのことからの推測ですが、黒玉子に延命祈願が使われるようになったのは、そんなに古いことではなさそうです。袋の中には5個の黒玉子が入っていました。値段は500円なので1個あたりの値段は100円ということになります。初代袋から二代目袋の2008年8月6日のブログまでは6個500円でした。6個500円から5個500円に値上げなったのは2008年8月~9月の間と思われます。2008年9月27日の時点では5個500円でした。袋に関してブログを確認した結果2008年12月28日は2代目袋で2009年1月11日は3代目袋でした。つまり3代目袋に替わったのは2009年1月初めのようでした。
3代目袋(2013年8月24日撮影)


すぐにテーブル「玉子スタンド」で食べました。みなさん、黒玉子を食べているところです。


こちらの玉子スタンドで殻を割って食べます。この玉子は1個食べると7年寿命が延びるといわれる延命祈願の玉子です。本気で栄養価値的に寿命が7年延びると信じている人は少ないと思いますが、話題として食べるだけでなくいろんなところを歩いて栄養がつくものを食べたくなっているのも確かな気がしました。


ほんとうに真黒の玉子でした。これが茹でたてのようで、触れないほどの熱さでした。


殻を剥くと普通の真白の玉子でした。玉子が熱いために、きれいに薄皮を剥くことが出来ませんでした。新しい卵の場合も薄皮が剥きにくいのですが、剥くときに熱くて触れなかったことが、きれいに剥けなかったことへの影響が多い気がしました。


さっそく頂きました。玉子の匂いなのか殻から手に付いた匂いなのかわかりませんが微かな硫黄の匂いが美味しさを増してくれている気がしました。黄身の表面が薄黄緑なのは硫化水素の影響です。ただし温泉の硫化水素ではなくて白身からでた硫化水素だと思われます。卵の白身には硫黄を含んだアミノ酸であるシスチンやメチオニンが含まれており、加熱するとこれらのアミノ酸が分解して硫化水素が発生します。その硫化水素と黄身の中の鉄分と反応して黒色になることから薄黄緑色となります。特に黒玉子は長時間茹でる上に冷やさないで熱いままなので変色の色が濃いのだと思います。これも黒玉子の特徴と言えるかもしれません。


黒玉子に延命祈願が込められたのは、この延命地蔵尊に由来して考えられたようです。鎌倉時代に作られたと言われる、延命地蔵尊は延命・子育ての、お地蔵様です。このお地蔵様にあやかり「黒たまご」を食べることを、寿命を延ばす延命祈願としたようです。かつては、このお地蔵様の近くに黒たまごの温泉池があったと、書かれていました。「7年寿命が延びる」は7という数字が七福神など縁起の良い数字として使われるため、いつの間にか言われ始めたものです。
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閻魔台で作られた「黒たまご」は大涌谷駅の近くの売店でも販売しているため、黒玉子茶屋から大涌谷観光センターに黒玉子専用のロープウェイで運んでいました。


黒玉子を運ぶためのゴンドラです。


大涌谷駅の方から見た玉子専用ロープウェイです。登りで生卵を運び、降りで黒玉子を運んでいるのだと思います。手前の建物が大涌谷観光センターです。


黒玉子が作られている黒玉子茶屋の方向から延命地蔵尊の方向を見た景色です。


大涌谷観光センター近くの、いろんな場所で黒玉子が売られていました。でも熱々を食べたい時はやはり閻魔台まで登ることをお勧めします。


赤色マーク( )が黒玉子が作られている80℃の温泉池で、緑色マーク( )が黒玉子茶屋で、臙脂色マーク( )が湯気が上がっている閻魔台です。
赤色ライン( )が玉子専用のロープウェイです。紫色マーク( )が大涌谷観光センターの中の閻魔台に近い売店の建物で、この建物に玉子専用のロープウェイがつながっています。黄色マーク( )が黒玉子の延命効用の由来となった延命地蔵尊です。青色ライン( )が散策路で青色マーク( )は大涌谷駅です。
   大涌谷 蒸気噴出口
   大涌谷駅
   延命地蔵尊
   黒たまご売店の一つ(大涌谷観光センター)
   黒たまご茶屋
   黒たまご温泉池
   閻魔台
   大涌谷散策路
   玉子専用のロープウェイ 
   箱根ロープウェイ

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追伸 2015年5月6日 黒玉子販売中止
2015年4月26日から大涌谷付近からの火山性地震が増加に伴い、気象庁が5月3日午後に臨時の火山情報を発表したことを受けて、箱根町は2015年5月4日早朝から大涌谷周辺のハイキングコースの立ち入りを禁止することを決定したそうです。すでに2015年3月27日には大涌谷に限定した避難マニュアルが作成されて発表されていました。黒玉子の製造場所の温泉池が立ち入り禁止区域内にあり、黒玉子が作れなくなったことから規制区域外の観光センターの売店でも黒玉子は販売中止されたそうです。
箱根山の火山性地震増加 大涌谷の遊歩道を初規制
カナロコ by 神奈川新聞 5月4日(月)7時3分配信
気象庁は3日、箱根山(箱根町)の大涌谷付近の浅い場所を震源とする火山性地震が増えていると発表した。突発的な蒸気噴出現象が発生する可能性があり、箱根町は、大涌谷の半径約3キロの範囲で遊歩道とハイキングコースを4日から立ち入り禁止にする。同町によると、火山性地震による規制は初めて。
気象庁は「直ちに噴火する兆しはみられない」として、噴火予報は「平常」を維持。立ち入り禁止区域以外の温泉地などには影響ないという。
気象庁によると、4月1日以降の火山性地震は約150回で、特に4月26日から急増。そのうち、体に感じる揺れ(震度1相当)は4回だった。5月3日朝には、大涌谷近くの温泉施設で蒸気が勢いよく噴出しているのが確認された。
箱根山では2013年にも5カ月間に約500回の火山性地震を観測するなど、活動が活発になることがあった。気象庁は4日に現地に職員を派遣して詳しい状況を調査する方針。
◇GWに痛手
箱根町は3日、緊急会見を開き、大涌谷周辺の自然研究路(遊歩道)とハイキングコースを4日から閉鎖すると発表した。観光客が特に多い大型連休中の規制について、町は「観光面では痛手だが、万が一に備えた」と安全を優先する姿勢を強調した。
閉鎖するのは、自然研究路の入り口から「玉子茶屋」付近までの約300メートルのほか、駒ケ岳や早雲山などにつながる半径約3キロにわたる四つのハイキングコース(全長計約12キロ)。
周辺では火山性地震だけでなく、通常は高さ10メートル程度の噴気が20メートルを超えているほか、火山性ガスや地殻変動も同時に観測している。規制は活発な活動が終息するまで続くが、県温泉地学研究所は「今回のような群発地震は数年に一度起きており、通常1~2カ月、長いときは半年で終息する」と分析している。

5月6日には噴火警戒レベルもレベル1(正常)からレベル2(火口周辺規制)に引き上げられました。噴火警戒レベルは火口周辺規制ですが、大涌谷以外の箱根全体の観光客が減ってしまう被害は、一部の派手な報道の影響も無縁ではないようです。箱根町は真面目に安全を最優先に対応しているので過剰な反応は気の毒です。
対象範囲は次の通りです。レベル1と2の違いは火口内と火口周辺です。
  レベル1 火口内等
  レベル2 火口周辺
  レベル3 居住地域の近くまで
  レベル4 居住地域を含む
  レベル5 居住地域を含む


2015年5月6日時点の日本全国で噴火警戒レベルが設定された火山です。
①~⑤が警戒レベルを表しています。クリックすると現在発表されている警戒レベルを表示します。その後の変化は次の通りです。
  2015年5月29日 口永良部島 レベル3→レベル5
  2015年6月11日 浅間山   レベル1→レベル2
  2015年6月30日 箱根山   レベル2→レベル3


追伸 2016年5月1日 黒玉子販売再開
大涌谷の黒玉子が一年ぶりに復活しました。
2016年4月28日から突然に本記事へのアクセスが増えたことで気がつきました。数値は、訪問者数(人) / アクセス数(件)です。
      SORI全体アクセス  本記事アクセス
 4月25日 1242人 / 5618件   12人 /  12件
 4月26日 1265人 / 5511件   10人 /  10件 
 4月27日 1321人 / 6251件   11人 /  12件
 4月28日 1920人 / 8648件  442人 / 492件 販売再開日
 4月29日 1527人 / 6195件  163人 / 181件
 4月30日 1581人 / 5496件   82人 /  95件
 5月01日 1623人 / 6328件   52人 /  67件
 5月02日 1446人 / 4585件   42人 /  46件
 5月03日 1719人 / 5346件   45人 /  49件
 5月04日 1630人 / 5970件   91人 / 108件
 5月05日 1586人 / 5236件   26人 /  30件
ネットの記事を枠内に転記いたします。
箱根名物復活 黒たまごの販売 1年ぶりに再開
カナロコ by 神奈川新聞 4月28日(木)14時8分配信
クリックすると拡大箱根名物「黒たまご」を製造・販売する奥箱根観光は箱根山・大涌谷周辺の火山活動活発化の影響で中止していた製造・販売を28日、再開した。昨年5月3日の大涌谷の売店での販売を最後に中止しており、約1年ぶりの再開となった。
新たな売り場となった箱根町仙石原の「くろたまご館4」では、復活かなった名物を求める観光客らで午前中からにぎわった。

大涌谷のライブ映像を掲載いたします。 → ボチッ
2016年3月9日から公開されています。
下記の埋込画面では動画は表示出来ません。ボチッをクリックしてください。

帰国の日はトロ [インドネシア]



ジャカルタからの帰国便は夜行になるために帰国の日は最後のディナーをジャカルタで食べることができます。ジャカルタ最後の夕食は日本食にいたしました。リブロースの煮込みを紹介したC's Steak and Seafood RestaurantがあるGrand Hyatt内の日本食店すみれ(Sumire Japanese Restaurant)にいきました。インドネシアと言えば、やっぱり海老ですね。海老の天ぷらを頼みたくなります。

この日帰国するのは私だけだったので私だけ食事ができる時間が短かいため最初からお寿司を頼んでしまいました。でも1時間45分ほどは楽しみました。18時開店でしたが17時半に入れてもらい19時15分にホテルに戻って空港に向かいました。


焼きタラバもありました。やっぱりおいしいですね。


海外では焼肉も日本食になってきつつあります。


野菜のおひたしも食べたくなりました。


刺身はブリとイカとトロを頼みました。なかなかのものでした。


このトロの霜降り具合を見てほしいです。インドネシアはマグロも有名ですね。ただし、いいものは日本に行ってしまうので、これだけの質のものなので、近くで獲れたとしても、日本からの輸入になってしまうのでしょうね。

Sumire Japanese Restaurantのネットでの説明を紹介しておきます。
The finest culinary traditions of Japan are presented in a wonderfully rustic setting in Sumire. The atmosphere resembles a delightful traditional Japanese country house, combining tones of wood, bamboo, stone and paper. Watch the chefs expertly prepare your dishes at the Sushi Bar, Teppanyaki Tables, Tempura or Kushiyaki Counter. Four private tatami rooms and four private dining rooms are available for high-powered lunch meetings or business dinners. Located on Level 4, it is highly recommended that advance reservations be made.
  Lunch – 12:00 pm to 3:00 pm daily
  Dinner – 6:00 pm to 11:00 pm daily

昼にはランチも食べに来ました。Lunch Boxesは2種類ありました。松花堂弁当と寿司弁当です。私は写真の寿司弁当を頼みました。内容は「海鮮サラダ(クラゲとキュウリの酢の物)」「寿司盛り合わせ3種」「カリフォルニアロールと玉子焼き」「稲荷寿司」「鳥から揚げ(チキンカツ)」「野菜と豆腐の煮物」「お味噌汁」でした。価格は225000ルピア(2250円)と高級ホテルの日本食店としてはリーズナブルな値段だと思います。

街に天然記念物 [ベルリン]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

ドイツのベルリンです。6月27日の夜にベルリンに着き、翌日の朝の散歩で梟(ふくろう)の絵が描かれた不思議な標識を見つけました。街中の泊まったホテルのすぐ側の木の横に立てられていました。標識の梟の絵の上にはNaturdenkmalと書かれていました。Naturdenkmalはドイツ語だと思うのでネット翻訳で調べてみました。→ポチッ
翻訳した結果、Naturdenkmalは天然記念物でした。このあたりは天然記念物のフクロウが生息しているとの表示だったのです。もしかしたら、この木に梟の巣があるのかもしれません。右の切手はベルリンのものです。ただし、この切手はフクロウに似たいますがオオタカ(Goshawk、Accipiter gentilis)と説明されていたので別のもののようです。
そのためネットでEule Berlin Naturdenkmalを検索すると沢山の標識が出てきました。その中に今回と同じ標識もありました。→ポチッ

標識は道路脇クリックすると拡大の右側の木の側に立てられていました。
標識があったのは下の写真の一番道路に近い大きな木のところです。検索したネットでの記事の多さからベルリンはフクロウの保護に取り組んでいることが伝わってきました。
すでに亡くなられたと書かれていましたが、左のご夫婦がフクロウ保護などの自然保護運動に、特に尽力したことが沢山のネットに出ていました。
名前は Kurt Kretschmannさん(左) と Erna Kretschmannさん(右) です。
なんと1914年3月2日に生まれて2007年1月20日に亡くなったKurt Kretschmannさん はWikipedia にまで掲載されていました。ベルリン生まれのKretschmannさんはそれほど有名な人だったようです。遠くに写っている高架は今は使われなくなったSバーンの駅です。
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上空からも紹介しておきます。写真の中央の木です。左の建物は泊まったホテルです。


ジャカルタ1日目の夕食 [インドネシア]

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日本を出発してホテルに着いたのが午後の8時半でした。7時には食事が出来ると思っていましたが車が渋滞で2時間半かかっていまいました。雨が降ると渋滞するそうです。遅いのでホテルの隣のビルのレストランに行きました。インドネシアに初めて来たので、これがジャカルタの夜の最初の料理でした。

上の写真の海老は目の前で、お酒でボイルしてくれるのです。もちろん活きた海老さんで新鮮なんです。インドネシアと言えば海老ですね。


スープです。フカヒレ系のスープですがいろんな美味しい具が入っていました。


野菜も取らないといけませんね。今日はこの料理です。歯ごたえのある野菜でした。


牛肉です。これも美味しく料理されていました。


北京ダックなんです。これも目の前で切ってくれます。ここまでくればお判りですね。この日は中華料理でした。


ご存知のように皮だけを食べるのです。取り分けてくれます。
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気になっていた北京ダックの身はレタス包みで出てきました。
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最後は焼きそばでしめました。日本人の口に合う中華料理でした。写真をクリックしてみてください。
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断崖の上の長城 司馬台 [長城]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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みんこさんの記事「恐るべしっ!!ゲルメルバーン!!」を拝見してこの記事を掲載することにしました。小規模ですが「恐るべしっ!!ゲルメルバーン!!」のなかで話題になっていたケーブルカーと同じタイプのものが中国にもあったからです。
         みんこさんの記事はこちらをクリック→ポチッ
万里の長城と言えば八達嶺が有名です。高速道路が出来たおかげで北京から1時間ほどで行ける場所となり沢山の人が訪れています。北京に観光に行かれた方はほとんど八達嶺に行かれたと思います。八達嶺は整備されており、中国を感じさせられる迫力のあるすばらしい場所です。八達嶺には今までに2回(3回かも)行く機会がありました。今回は少し遠いけれど初めて司馬台と呼ばれる場所に行って見ました。北京から北東に120kmの場所にあります。霧で全貌が見えませんが断崖の上にありました。八達嶺ほど改築整備されていませんが、残されているままに近いのも魅力の一つだと思います。長城の両側が崩れたままなのが迫力を増しています。(ちょっと危険だけど)

朝、7時にホテルを出で長城の上に立てたのが10時31分でした。途中で事故渋滞のために30分くらいロスしたことを考えても3時間はかかります。ゴンドラに乗ってから長城の上に立てるまでは40分でした。八達嶺の場合は要領よく行けば北京を出てから1時間後には長城の上に立てるのとは大きく違います。

この写真で断崖の上に長城が建っていることが実感してもらえると思います。山の稜線の四角い建物が、のろし台です。いつもは写真をクリックすると拡大するように設定しているのですが、今回は雨と霧で、いずれの写真も解像度が低いためクリックしても拡大しませんが、雰囲気を味わってもらうため沢山の写真を掲載させてもらいました。この写真は、ゴンドラから撮りました。


長城の上から下を覗いた景色です。この程度、覗き込むのが精一杯でした。霞んで見える建物が、あとで紹介するゴンドラの降り場とケールカーの乗り場です。ここでゴンドラからケーブルカーに乗り継ぐのです。ケーブルカーを降りても長城まではかなり歩かされます。いい運動になります。


ここは最初にゴンドラに乗ります。ここのゴンドラは昔の遊園地の乗り物のようです。私が最初のお客でした。前に乗っているのはここで働いている人たちなのです。約30名くらいだったと思いますが我々が来るのを待っていました。客が来ると初めてゴンドラ動かして従業員の人が一緒に登るのです。霧で霞んでいますが山の上に長城が見えます。オープンで上のひさしは風て役にたたないため傘をさしてこのゴンドラに乗りました。
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さらにゴンドラの写真を紹介いたします。
クリックすると拡大クリックすると拡大

これがゴンドラです。かーかさんからの質問に答えるためにゴンドラの写真を掲載いたします。前後に椅子があるので二人が乗れますが、狭いので現実的には一人乗りと考えてもらった方がよさそうです。


長城の上から見たゴンドラです。写真の真中に連なった点々がゴンドラです。ジェットコースターとは少し違う迫力がありました。是非、乗ってみてください。クリックするとゴンドラがよく見えると思います。
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ゴンドラの次はケーブルカーです。椅子に座ると下向きになるので立って上を見ていることをお薦めします。このケーブルカーに乗った人は全員、そうしました。


ケーブルカーから下向きに撮った写真です。ここは欧米の人が多かったです。下の建物が乗り場兼レストランです。


登っているケーブルカーから撮りました。ケーブルカーと言っても一本のロープを巻き上げるタイプなんです。なんとなく怖いです。ロープは意外と細いです。


上に着いて巻き上げ機を見て、さらに恐ろしくなりました。細いロープの上に、もしブレーキが壊れたときのことを想像してしまいました。この機械に命を預けていたのです。下りは歩くことにしました。
運転員の人は上にいるのです。運転員の人は歩いて登るのです。だから運転開始までかなり待たされました。ここでもケーブルカーに一番で乗りました。日本のケーブルカーのロープの安全係数は8倍ですが、これはどの程度か気になりました。


橙色ラインが司馬台長城~金山嶺長城です。黄色マークが司馬台長城の、のろし台の一つです。尾根伝いに長城と、のろし台が点在しているのが判ると思います。紫色ラインがケーブルカーで緑色ラインがゴンドラです。

より大きな地図で 司馬台 を表示
末端付近は霧で霞んでいました。


その先まで登って一番先まで行って見ました。この先にももちろん長城は続いているのですが危険なため、これ以上は行けません。この場所にたどり着いたのが10時52分でした。


ここは八達嶺と違い、無人の景色が撮れるのが魅力です。


少しだけ霧が晴れてきました。 人が写っています。


霧がなかったらすごい迫力だったと思います。でもいつもいつも晴れるというわけには行かないですね。
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ここが一番急坂でした。覗きこんでも階段が見えません。
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下から見た一番の急坂です。これで坂の急なことが判ってもらえると思います。
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遠くまで長城がつながっているのが判ります。


ここを歩くとかなり迫力がありますよ。北京周辺では、今回の司馬台長城(しばだい)以外に訪問できる場所は金山嶺長城(きんざんれい) 、蟠龍山長城 、古北口長城(こほくこう) 、大榛峪長城(だいしんよく) 、黄花城長城(こうかじょう) 、慕田峪長城(ぼでんよく)、箭扣長城(せんこう) 、八達嶺長城(はったつれい)、水関長城(すいかん)、居庸関 ・居庸関長城(きょようかん) 、挿箭嶺長城(そうせんれい) と沢山の見学場所があることを知りました。


両側は崩れたままで低いので真中を歩くようにしないと危険です。高所恐怖性の人は歩けない場所が沢山あると思います。その前にあのゴンドラは無理ですね。(笑)ケーブルカーも!


城壁の向こうに長城が続いています。万里の長城の公式の長さは現在、8,851.8kmです。2009年4月18日、中華人民共和国国家文物局は総延長は6,352kmから8,851.8kmであると修正発表したそうです。毎日新聞によるとのろし台5723カ所も確認され、れんがなどでできた人工壁6259.6kmに加えくぼみや塹壕部分の359.7km、がけなどの険しい地形2232.5kmが含まれたことから延びたとみられるとしています。


ここでも場所を紹介するために衛星写真を拝借いたしました。写真の右上に司馬台があります。北京の水がめ密雲水庫(密雲貯水湖)の少し先です。有名な八達嶺が北西に対して司馬台は北東にあります。
クリックするとGoogle航空写真

密雲水庫の魚料理 [北京]



紹介すると約束していた「看板赤ちゃん」のいるレストランの夕食の魚料理です。貴重な魚のようです。川魚は普通は臭みがあるけれどこの魚はないと言われていました。
実はカメラの露出の設定が、知らない間にずれてしまっていて、全ての写真が露出過多になってしまいました。今回紹介の写真は、すべてパソコンで露出調整して掲載しましたが、残念ながら本当の色合いが表現出来ていません。でも是非とも紹介したかったので掲載いたしました。

確かに美味しい魚でした。尻尾の方の身は煮付けで出てきました。大きさを判ってもらうために湯のみを横に置きました。


ご馳走は頭なのです。スープも絶品でした。


これも珍しいものです。湖の畔に生えている野草です。味噌につけて食べましたが少し苦味があってすごく美味しかったです。


ここの料理の種類は農民料理だそうです。ただしこんなに豪華なのはお祝いの時だそうです。中華料理と言えば油を使った料理が多いのにここは汁物が多いので聞くと昔は油が貴重品で農村では汁物料理が多かったとのことでした。初めて知りました。


ワカサギのような魚です。これも汁物でした。頼めばから揚げもしてくれます。今回の写真はすべて露質オーバーになってしまいました。天気が悪いので外では感度を高くしてとっていたのですが、そのままでフラッシュを使ったためにちょっと残念な写真になってしまいました。


この鳥料理も汁物でした。


どれほど露出過多になっていたのかを知ってもらうためにオリジナルの写真を紹介します。左がオリジナルで右が露出調整した写真です。露出を間違えていなければもっと美味しさを伝えられたと思います。


湯葉料理です。日本だと高級食材ですが多量に出てきました。


肉料理です。


玉子料理です。


最後はトウモロコシの饅頭(パン)でした。


お店です。


お店の名前は紫玉鑫园・民俗饭庄です。この看板は右から読みますが、左上に写っている看板は左から読みます。右からと左からが混在しているのが面白いです。


密雲水庫は北京の中心から北東方向に100kmの位置にあります。緑色マークがレストランの場所です。空色マークが密雲水庫で黄色マークがこの日の目的地である万里の長城の一つの司馬台です。赤色マークが万里の長城で最も有名な八達嶺です。

より大きな地図で 密雲水庫 を表示

レストランの看板赤ちゃん [北京]


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レストランの若い女将さんと、その赤ちゃんです。あまりにも可愛いので掲載させていただきました。
お母さんの仕事の間、このレストランのおじいちゃん、おばあちゃん、さらにはお客さんに次から次へと抱っこしてもらっていました。レストランは家族みんなでやっているようで赤ちゃんはみんなで面倒見ているようでした。
クリックすると拡大右の写真のようにお客さんも次から次へと抱っこしていました。ここは北京の北東100kmの位置にある密雲水庫のすぐそばです。「密雲水庫」は日本流に言えば「密雲貯水湖」となります。北京の水がめです。朝から雨が降っており事故で大渋滞でした。偶々渋滞していた横に食堂(レストラン)がありました。朝食も食べずに出発した人のために、事故処理の時間を利用してこの食堂で朝食を食べることにしました。事故渋滞がなければ通りすぎて、この赤ちゃんにも若女将にも会えませんでした。すごい偶然ですね。

渋滞は事故渋滞です。この写真の車が事故を起こしたのではなくともっと先の方でした。この車は事故渋滞の車に当たりそうになり急ハンドルを切ったのだと思います。これは一台のトレーラー車で運転席がくの字に曲がっているのです。もちろんかなりのダメージを受けていました。


こちらの事故が最初だと思われます。事故車が移動するまでレストランでゆっくりと休みました。


朝食はジャージャー麺です。女将さんからの情報によると、昨日、密雲水庫で貴重な魚が捕れたとのことでした。さっそくその魚を万里の長城からの帰りの昼食に予約しました。その魚料理も掲載予定です。
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密雲水庫は北京の中心から北東方向に100kmの位置にあります。お店の名前は紫玉鑫园です。クリックするとGoogle地図を表示します。
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ジャカルタの紀ノ川 [インドネシア]

が表示された写真はクリックすると拡大します。
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「紀ノ川」てなんだろと思われたと思いますがジャカルタのお寿司屋さんなんです。日本食のジャカルタNO.1が「なだ万」とすればジャカルタNO.1のお寿司屋が「紀ノ川」と長い間ジャカルタに住んでいた人が話してくれました。ただし夕食ではなくて昼食で行きました。
散らし寿司を絶対に食べるべきだとのアドバイスで散らし寿司を注文しました。確かにお寿司の味は最高でした。

コースではないのだけれどお寿司以外に刺身も出てきました。最初に「刺身のづけ」が出てきました。氷の上に乗っています。


       
ツミレの煮物も付いていました。


お蕎麦もちょこっと出てきます。この辺になると店員さんが必要かどうかを確認に来ます。食べきれない人も出てくるのでしょう


コーヒーとデザートでした。これも確認に来ます。一人はアイスクリームはパスしました。


散らし寿司は大盛りも頼めるんです。値段は同じなので具の量は一緒だと思います。一番関心したのは酢飯の味と暖かさです。日本でもなかなか、ないかもしれません。これで120,000ルピア(1200円)は一流すし屋のランチとしても安いです。壁一面にたぶん「美味しい」とのみんなの寄せ書きであふれていました。

箱根火山 大涌谷 [箱根]

2015年5月6日 火山情報を最後に追記いたしました。

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大早雲山から大涌谷までの箱根ロープウェイを紹介いたしましたが、ロープウェイの眼下に見える大涌谷は圧巻で、驚きの光景でした。

大涌谷に近づいてきました。大涌谷は二回の過程を経て形成されたそうです。約3100年前、箱根火山で水蒸気爆発による山崩れが発生し、堆積物が貯まりクリックすると記事を表示さらに約2900年前に小規模な火砕流が発生、冠ヶ岳ができ、また火山砕屑物が積もったそうです。この火山砕屑物と山崩れによる堆積物の間が現在の大涌谷となっています。 かつては「地獄谷」と呼ばれていましたが、明治天皇・皇后の行幸啓に際し、1876年(明治9年)9月5日に「大涌谷」と改称されたそうです。
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上の写真を拡大いたしました。大涌谷は箱根火山最後の爆発によってできた神山火口の爆裂跡です。硫黄の黄色の色が印象的でした。硫化水素が噴出しているため健康上の注意が必要なためか硫黄の採取は禁止されています。
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さらに拡大いたしました。いろんな場所から蒸気が噴出していました。沢山のパイプが下に導かれていました。地獄沢の熱気の噴出点には石室(いしむろ)が設けられて、そこに水を注いで自然加熱されて含緑礬硫化水素泉とされ、仙石原温泉や強羅温泉へ送られているそうです。
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谷を通り過ぎで撮った写真です。かなりの距離を渡っていることが判ってもらえると思います。
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大涌谷駅から撮った写真です。
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崩れた谷の上側の写真です。蒸気が出ている部分に散策路が続いていました。
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散策路で行ける大涌谷です。大涌谷駅から撮った写真です。この辺りは閻魔台と呼ばれています。
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散策路です。沢山の人が登られていました。
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散策路で着いた大涌谷です。
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ここで記念写真を撮りました。ここで有名な黒玉子が作られており、我々も食べました。ここの標高は1050mです。間近で蒸気の噴出を見ることが出来る場所で、箱根に来たら、みんなが見てみたい場所だと思います。ここを見た後は、さらにロープウェイに乗って芦ノ湖に出ました。


大涌谷の航空写真です。右の方がすでに紹介した早雲地獄です。

箱根カルデラの範囲の地形図です。大涌谷の位置を黄色マークで示します。緑色マークが早雲地獄で空色マークが強羅公園です。
大涌谷は箱根山最高峰の神山(1,438 m 赤色マーク)の北に広がる馬蹄型の爆裂火口で、活発な噴気活動が見られる場所です。

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追伸 2015年5月6日
2015年4月26日から大涌谷付近からの火山性地震が増加に伴い、気象庁が5月3日午後に臨時の火山情報を発表したことを受けて、箱根町は2015年5月4日早朝から大涌谷周辺のハイキングコースの立ち入りを禁止することを決定したそうです。すでに2015年3月27日には大涌谷に限定した避難マニュアルが作成されて発表されていました。大涌谷の黒玉子の製造場所の温泉池が立ち入り禁止区域内にあり、黒玉子が作れなくなったことから規制区域外の観光センターの売店でも黒玉子は販売中止それたそうです。
箱根山の火山性地震増加 大涌谷の遊歩道を初規制
カナロコ by 神奈川新聞 5月4日(月)7時3分配信
気象庁は3日、箱根山(箱根町)の大涌谷付近の浅い場所を震源とする火山性地震が増えていると発表した。突発的な蒸気噴出現象が発生する可能性があり、箱根町は、大涌谷の半径約3キロの範囲で遊歩道とハイキングコースを4日から立ち入り禁止にする。同町によると、火山性地震による規制は初めて。
気象庁は「直ちに噴火する兆しはみられない」として、噴火予報は「平常」を維持。立ち入り禁止区域以外の温泉地などには影響ないという。
気象庁によると、4月1日以降の火山性地震は約150回で、特に4月26日から急増。そのうち、体に感じる揺れ(震度1相当)は4回だった。5月3日朝には、大涌谷近くの温泉施設で蒸気が勢いよく噴出しているのが確認された。
箱根山では2013年にも5カ月間に約500回の火山性地震を観測するなど、活動が活発になることがあった。気象庁は4日に現地に職員を派遣して詳しい状況を調査する方針。
◇GWに痛手
箱根町は3日、緊急会見を開き、大涌谷周辺の自然研究路(遊歩道)とハイキングコースを4日から閉鎖すると発表した。観光客が特に多い大型連休中の規制について、町は「観光面では痛手だが、万が一に備えた」と安全を優先する姿勢を強調した。
閉鎖するのは、自然研究路の入り口から「玉子茶屋」付近までの約300メートルのほか、駒ケ岳や早雲山などにつながる半径約3キロにわたる四つのハイキングコース(全長計約12キロ)。
周辺では火山性地震だけでなく、通常は高さ10メートル程度の噴気が20メートルを超えているほか、火山性ガスや地殻変動も同時に観測している。規制は活発な活動が終息するまで続くが、県温泉地学研究所は「今回のような群発地震は数年に一度起きており、通常1~2カ月、長いときは半年で終息する」と分析している。

5月6日には噴火警戒レベルもレベル1(正常)からレベル2(火口周辺規制)に引き上げられました。噴火警戒レベルは火口周辺規制ですが、大涌谷以外の箱根全体の観光客が減ってしまう被害は、一部の派手な報道の影響も無縁ではないようです。箱根町は真面目に安全を最優先に対応しているので過剰な反応は気の毒です。
対象範囲は次の通りです。レベル1と2の違いは火口内と火口周辺です。
  レベル1 火口内等
  レベル2 火口周辺
  レベル3 居住地域の近くまで
  レベル4 居住地域を含む
  レベル5 居住地域を含む


2015年5月6日時点の日本全国で噴火警戒レベルが設定された火山です。
①~⑤が警戒レベルを表しています。クリックすると現在発表されている警戒レベルを表示します。その後の変化は次の通りです。
  2015年5月29日 口永良部島 レベル3→レベル5
  2015年6月11日 浅間山    レベル1→レベル2
  2015年6月30日 箱根山    レベル2→レベル3

独立記念塔 モナス [インドネシア]


2010年の1月の記事に追記いたしました。
ジャカルタの象徴である独立記念塔・モナスにも訪れました。前回と違っていたのは駐車場から無料の連絡バスが出ていたことです。左の3連結の乗り物が連絡バスです。

我々は、よく事情が分からなかったので歩きました。かなりの距離がありました。
モナス (Tugu Monas トゥグ・モナス)はインドネシアの首都ジャカルタの中央ジャカルタ地区にある公園「ムルデカ広場」の中心部にある国家独立記念塔です。モナスとは「Monumen Nasional (英語でNationnal Monument)」を略した造語だそうです。


前回と違うことがもう一つありました。前回はモナスの周りが工事中でしたが、今回はその工事中の部分に広い庭園が出来ていたことです。


ここがモナスへの入口です。モナスが写っていませんが、実はモナスは私の背中側にあるのです。この入口から入って地下道を通ってモナスに行くのです。この日も沢山の小学生たちが来ていました。


入場料(CAWAN DEWASA / UMUM)は2500ルピア(22円)でした、ただし塔の上まで行くには中に入ってから、さらに7500ルピア(66円)の入場券(PUNCAK DEWASA / UMUM)を買う必要がありました。DEWASAは大人でUMUMは一般の意味です。CAWANはカップでPUNCAKはトップです。 


塔の上に登るつもりで来たのですがエレベーターには長蛇の列が出来ていたので塔に登ることは断念いたしました。この日は日本に帰る日のため、あまり時間がなかったのです。料金が2種類に分かれていたために無駄な入場料を払わなくてすみました。


モナスの地下の歴史展示場です。前回も書いたのですがこの歴史博物館の中には48個のジオラマパネルがあり、古代から現代までのインドネシア史の主な出来事が描かれています。ここは22円の入場券で入れるエリアです。


48個のジオラマパネルの2つを紹介します。
こんな感じのジオラマが部屋の周囲にありました。


このモナスにはスカルノ元大統領の直筆サインの独立宣言文が左の扉の中に展示されいるのですが、右の時間にしか開ないのです。ていました。タイミングが悪く40分待つ必要があったために独立宣言文も見ることを断念しました。興味のある方は下の前回の報告で掲載させてもらっていますので見てください。ここも22円の入場券で入れるエリアです。前回と扉のデザインが違います。時間によって違うのでしょうか。
クリックすると前回の扉を表示します。


入口と同じところに地下道を通って出て来ました。そこでは下の大きな写真のようにインドネシアらしいイスラムの服装の女性たちが記念撮影をしていました。髪をスカーフで覆うだけと思われがちですが他にも普通の女性の服装と違うことがあります。赤道直下にも関わらず長袖の服を着ていることと、厚手の黒いレギンスあるいはスパッツをはいていることです。肌を出さないための服装だと思います。しぐさは普通の人たちと変わることはありませんでした。右のような写真の女性はジャカルタでは一度だけしか見ることはありませんでした。その一度というは実は、このモナスだったのです。つまりジャカルタの一般的なイスラムの女性のほとんどが下のような服装なのです。
これがイスラムの若い女性のファッションなのでしょうね。


駐車場に戻るのは無料の連絡バスを使いました。


バスの中からの景色です。遊園地のバスのようで昔を思い出しました。


駐車場に戻ってくると、こちらでも小学生たちがこれからモナスに向かうところに出会いました。



2010年1月24日掲載 タイトル:ジャカルタの景色
が表示された写真はクリックすると拡大します。
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ジャカルタの中心街です。高層ビルが立ち並ぶ人口は1100万人の巨大都市です。写真は南の方向です。
車の保有台数は400万台とのことで渋滞は慢性化していました。

北の方に海が見えます。


上の2枚の写真は独立記念塔モナスからの景色です。
Monas(Monument National) 中央ジャカルタ、ムルデカ広場中央にあります。1945年にスカルノ初代大統領が独立宣言したのを記念して1975年に建てた高さ137mの塔だそうです。


エレベーターで展望台に上がれます。頂上部には高さ14メートル、直径6メートル、重さ14.5トンの青銅製のレリーフがあり、レリーフは77のパーツから構成された炎の形で、重さ35キロ分の純金めっきがされています。


クリックすると拡大塔の台座部分の地下に大きな部屋がありました。その部屋の中に右の写真の金ピカの扉がありました。最初はエレベーターの入口かと思いました。すごく豪華な入口だなと思いましたが、なにか雰囲気が違うためエレベーターの入口ではないことは、すぐにわかりました。
実はその中に下の写真のようにガラスケースがあり、その中にスカルノ元大統領の直筆サインの独立宣言文が展示されていました。金ピカの扉が開いて、下の独立宣言文が出てきます。
モナスの地下の大きな部屋は歴史博物館(Museum Sejarah Nasional)だったのです。部屋の壁と床は大理石で出来ており、広さは80メートルx80メートル、天井の高さは8メートル。歴史博物館の中には48個のジオラマパネルがあり、古代から現代までのインドネシア史の主な出来事が描かれています。その中の一番のエポックが独立だったのでしょうね。


独立宣言文です。クリックすると拡大するので読めると思います。
ただしインドネシア語が解ればですが!
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独立記念塔モナスから西の方向の写真です。


南北西とくれば東方向ですね。こちらにはガンビル駅(Gambir Station)が見れます。


東西南北だけでなく、ここからはゆ8方向に放射状に道が伸びています。これは南西方向です。


塔のてっぺんは子供たちであふれていました。遠足か課外授業なんでしょう。


小学生も沢山来ていました。遠くに見える凧揚げは結構人気だそうです。遠くに有名な東南アジアで最大のイスラム寺院であるイスティクラル大寺院の塔(ミナレット)が見れます。
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入場券は7500ルピア(約75円)です。


これはホテルからの景色ですが建設中のビルも沢山見れます。夜は建設中のビルも照明されておりきれいです。この2枚は同じ場所です。
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衛星写真を拝借しました。中央が独立記念塔です。

エゾ富士 [北海道]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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羊蹄山です。北海道ではエゾ富士と呼ばれているそうです。
車だとどこでも駐車できるので好きなところに停まって写真を撮れますが観光バスはなんらなのモラルか規則で駐車場にしか停まれないそうです。ゆっくり走ってもらって撮りました。2003年に活火山に指定されたそうです。
  名前 羊蹄山
  標高 1898m
  山系 独立峰
  種類 成層火山・活火山(ランクC)   
  火口 直径700m、深さ200m
  名山 日本百名山
  別名 蝦夷富士

中山峠からの羊蹄山です。中山峠ではスキー場がまだやっていました。川も雪解けの水がすごい勢いで流れていました。
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早朝の洞爺湖で見ることが出来た景色です。
約10万年前から5万年前にかけて古羊蹄火山が活動し、現在の羊蹄山の活動は約5~6万年前から始まり火砕流や山体崩壊も起きたそうです。約1万年前以降は側火山の活動が中心となり、約6千年前以降は活動していないとのことです。
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こちらは1979年に北海道旅行に行ったときの羊蹄山(エゾ富士)の写真です。初めて北海道に行ってから34年が、経ったわけです。
左の写真が家内で右の写真が私です。


クリックすると拡大1979年の北海道旅で、道内の移動で乗った飛行機です。懐かしいと思われる方もおられると思い掲載いたしました。その東亜国内航空の搭乗券も記念に残しています。1979年12月2日の帯広→札幌のフライトです。右の搭乗券はクリックすると拡大します。
かつては東亜国内航空は日本航空 と全日空とともに日本の三大航空の一翼を担っていた航空会社で1988年に日本エアシステム(JAS)に社名変更し2006年に日本航空に吸収合併されました。機体に描かれている「りくちゅう」の名前で調べると機体はYS-11A-222(JA8768)でした。名前には「とかち」、「だいせつ」、「ひだか」、「みやじま」などがありました。


クリックすると拡大こちらは札幌→大阪のフライトで乗った飛行機です。
こちらのフライトの搭乗券も紹介します。同じく1979年12月2日のフライトです。クリックすると拡大帯広から札幌でトランジットしたわけです。小さな方の搭乗券は大阪→札幌の搭乗券です。1979年11月26日に出発しました。搭乗券に28600円と価格が書かれていました。どちらの搭乗券もクリックすると拡大いたします。

洞爺湖の花火 [洞爺湖]


クリックすると拡大
洞爺湖温泉では湖の上の船から花火を打ち上げます。大きなホテルの前に移動して来て打ち上げてくれました。一ヶ所で10分くらいで3ケ所で打ち上げます。
上の写真は2007年5月12日の写真です。ホテルの正面まで移動してきて打ち上げているところです。ホテルの部屋から撮りました。

なかなか写真を撮るタイミングが難しかったです。


ここから下の写真は別のホテルの前で打ち上げている花火なのでかなり離れています。


写真の一番したが水面あたりです。水面から打ち上げているところがわかると思います。結構沢山打ち上げていました。20時45分から、いつも始めるそうです。


変わった花火も結構上げていました。

タグ:洞爺湖 花火

ジャカルタのモスク [インドネシア]



これがインドネシアを代表するモスクです。 名前はイスティクラル またはイスティクラル・モスクでインドネシア国立モスク(インドネシア語:Masjid Istiqlal)です。
クリックすると拡大全景がわかりにくいと思うので空から写真(右)をネットから拝借して掲載いたしました。右側の塔がモスクのミナレット(尖塔)です。

インドネシアはイスラムの国です。インドネシアの首都・ジャカルタの最重要部・モナス(独立記念塔)のある広場に面した国立のインドネシアの国教であるイスラム教の寺院であるモスクです。


インドネシアは世界最大のムスリム人口を抱えています。
白亜の直径45mのドーム型の建物は、1984年建設当初は世界最大のモスクだったようです。今は東南アジア最大級との言い方がされていました。世界で大きなモスクがあるのはメッカ、マシュハド、メディナ、ジャカルタ、カサブランカです。


その直径45mのドームを内側から見ました。


これが正面です。イスラム経でない外国人のために案内してくれる人がいます。建物に入ったときに靴を脱ぎますが、案内された部屋に靴箱が置かれていました。女性の人はそこで肌を見せないための服を貸してくれます。日本の着物をラフにしたような服でした。階段を登って撮って場所まで案内してもらいました。その時、日本人の女性の観光客の人も一人おられました。建前は無料ですがチップの箱が置いてあり女性の方についているガイドの方が気持ちだけ入れてほしいと言われたので1ドル相当の現地通貨を入れさせていただきました。
つい、警戒しがちですが日本人の女性の方についておられたガイドさんのおかげで心配が要らないことが判りました。


こちらが向かって右側です。確かに12万人以上が収容できことが納得できる広さでした。国会議事堂とも至近距離であるからして、このモスク、ひいてはイスラム教がインドネシアにとってどれほど重要かがわかる建物です。


こちらが左側です。精一杯の広角で撮りましたが正面、右側、左側と3枚の写真でやっと内部全体が紹介出来る広さでした。
建物の名称になっている「イスティクラル」とは、アラビア語で「イスティクラール」 استقلال istiqlāl といい、「独立」を意味するそうです。


女性の人達はこのあたりに集まっていました。


正面を拡大いたしました。


動画も紹介いたします。


Google地図の航空写真です。青いラインは車で移動したルートです。

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ジャカルタの大型クルーザー [インドネシア]

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が表示された写真はクリックすると拡大します。

ジャカルタの海に行ったときすごい数の大型のクルーザーが沢山係留されているのを見かけました。ここは、お金持ちが多い場所なんだなと感じました。

写真をクリックするとクルーザーが係留されている雰囲気が判ってもらえると思います。
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画期的な扇風機 ?? [インドネシア]

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大型の扇風機ですが! 気がつかれましたか? 水が噴霧されているんです。これによって少し冷たい風が来ます。場所は赤道直下のジャカルタでした。
ノズルが6っ付いていますが1っだけしか機能していないみたいです。それでも効果絶大でした。この扇風機はちゃんと首も振るんです。こちらに向くのが待ち遠しかったです。

とあるテーマパークの屋外で空中ゴンドラを待っている人のための扇風機でした。

ジャカルタの高層ビル群 [インドネシア]



帰国する日の早朝に泊まっていたホテルの前にあるロータリーを散歩を兼ねて廻ってみることにしました。ロータリーと言っても大きなロータリーです。さらに太い道は陸橋があるところまで歩かねばならないためロータリーを廻るだけで2km歩くことになりました。すでにこのあたりを走っていた自転車は紹介いたしましたが、その自転車がこの高層ビル群の中を走っていたと想像願います。自転車の記事→ポチッ
上の写真の高層ビルは2007年に完成した高さ230mのMenara BCAです。56階でエレベーターの数は22本だそうです。建築家はRKTLで DeveloperはPT Grand Indonesiaだそうです。
左端のビルはMandarin OrientalでMenara BCAの手前の大きなビルが私の泊まったケンピンスキー(元:ホテル・インドネシア)です。Mandarin OrientalとMenara BCAの間で遠くに見えるビル氏The City Towerです。

ロータリから大通り沿い南側に500mの場所にあった斬新な高層ビルです。空港に着いて高速道路を町に向かうといくつもの高層ビル群がありました。その中の一つが私が泊まった地域でした。


ロータリーの中心のモニュメントがよく判ってもらえると思います。ホテル側から撮りました。


南の方からロータリーの方向を撮っています。沢山の高層ビルがあることがわかってもらえると思います。


すでに紹介したケンピンスキー・ビル群です。


動画も紹介します。ロータリーをはさんで泊まったホテルの反対側から撮りました。白い建物はGrand Hyattです。カメラが左に廻ってくるとケンピンスキーが出てきます。


すべて、この航空写真の中のビルです。赤いラインが写真を撮りながら散歩したルートです。

ジャカルタの教会で素敵な時間に出会えました。 [インドネシア]



上の写真はジャカルタで最も有名な教会、カテドラル(インドネシア語:Gereja Katedral Jakarta)です。KatedralはCathedralとも書かれます。
この写真はインドネシア最大のモスク(イスラム教の寺院)であるイスティクラル・モスクの敷地の中から撮ったものです。つまりモスクと教会が隣り合わせであることがインドネシアのイスラム教を象徴しているのです。
ブリタニカ国際年鑑2007年版によるとインドネシアの宗教人口の割合はイスラム教が76.5%、キリスト教が13.1%、ヒンドゥー教が3.4%、伝統信仰が2.5%、無宗教が1.9%、その他が2.6%となっています。つまりインドネシアはイスラム教徒が1億7000万人を超える世界最大のイスラム教徒(ムスリム)の国なのです。
そのような国でもキリスト教も対等に存在できるのは憲法29条で信教の自由を保障しているためです。ちなみにキリスト教13.1%の内訳はプロテスタント5.7%、独立教会4.0%、カトリック2.7%、他0.7%です。

イスティクラル・モスクに行った後に、さっそくこちらの教会に来て見ました。すると正面入口に、この車が停まっていました。結婚式をやっているのだとすぐにわかりました。

余談ですが、直近のタイトルで検索すると自分の記事が沢山出て来ます。→ポチッ

期待して教会に入ると、やはり結婚式が行われていました。グッドタイミングで幸せな光景に出会えることが出来ました。この時、2011年10月15日(土) 12時29分でした。


室内は暗いのでシャッタースピードがかなり長くなったために鮮明な写真は撮れませんでしたが雰囲気はわかってもらえると思います。


前の方まで行き、あつかましく撮らせていただきました。


少し拡大いたしました。さらに幸せの雰囲気が伝わってくると思います。


歌が歌われ始めたので動画も撮りました。是非とも見てください。


結婚式のために素敵な飾りも置かれていました。


正面の入口の上の部分の飾りです。カテドラルは教会の名前のように使われていますが司教座聖堂・主教座聖堂のことです。大聖堂と訳されることが多いです。イタリアのミラノのドゥオーモに近い使い方かもしれません。ドゥオーモはイタリア語では大聖堂のことですが単にドゥオーモと呼べば町を代表する大聖堂のことになります。
こちらでの呼び方は単に「Cathedral」あるいは「Gereja Katedral Jakarta」や「Jakarta Cathedral」となります。KatedralとCathedralは同じ意味です。


正面から塔の部分を見上げたところです。このジャカルタ大聖堂(Jakarta Cathedral)は1901年に完成しました。


こちらの教会の特徴は白い塔の部分です。透かしの塔を持った教会は初めて見ました。


塔の部分を拡大しました。写真をクリックするとさらに拡大するので是非とも見てください。
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阿蘇のお土産 [阿蘇山]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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これが阿蘇で買ってきたお土産です。
阿蘇の噴火口を見た後に阿蘇パノラマラインを走っているとハチミツのお店があったので、つい入ってしまいました。
買ったのは、国産のハチミツ「菜の花クローバー蜜」が1500円、果汁とブレンドした「ゆず蜜」が2300円、話題のはちみつ「マヌカ蜜」が2900円、「蜜蜂よもぎ石けん」が500円、「はちみつ・ごま・かりん糖」が2つで500円、プラス消費税385円でした。合計は8085円になりましたが、5000円以上買うと宅急便が無料なので、つい買ってしまいました。

こちらの「杉養蜂園」は全国展開しており、本拠地である熊本でなくても、買えるのですが、やっぱり地元なので、思いきってお土産として買うことにしました。こちらは杉養蜂園・阿蘇みつばち牧場と名前が付けられており、ここの巣箱を全国に持っていってハチミツを集めるそうです。


ここでしか食べれないものがありました。それがこれです。ハチミツが入ったミツバチの巣です。右上の部分を食べさせてもらいました。
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食べさせてもらったところを拡大させてもらいました。初めて食べました。貴重なものですね。お土産を沢山買ったので食べさせてもらえたのかな。
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お土産で買った中の目玉商品がこれです。
話題のマヌカ蜜の中でも、ニュージーランド産のユニークマヌカファクター(UMF)13+という貴重なマヌカハニーだそうです。
右の写真はネットから拝借したマヌカの花です。
マヌカハニーはニュージーランドに自生しているマヌカの木の花の蜜の蜂蜜です。
ニュージーランドの先住民であるマオリ族は長年薬変わりとして用いてきそうです。UMFは数値でランクが分けられています。 
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こんな感じでいただいています。
UMF13+と言うのは13%以上のフェノール濃度に相当する殺菌力を備えている意味だそうです。もちろんフェノールは入っていません。ちょっと高いけれども健康に良いそうです。
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阿蘇の蜂蜜屋さん以外で買った九州のお土産を紹介いたします。
熊本の本場の辛子蓮根(からしレンコン)です。鼻につ~~~ん とくる辛らさでした。
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大分空港で買ったのがこちらです。さっそく帰って夕食でいただきました。
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そして大分の「ちりめんじゃこ」も空港で1kg買いました。安かったです。
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