SSブログ

ホーチミン廟 [ハノイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大4月28日に訪れた右の写真のモスクワのレーニン廟を前記事で紹介いたしましたが、こんどは6月11日にホーチミン廟を訪れました。帰国の飛行機が23時30分だったため、こちらに来る時間が出来ました。
ホーチミン廟(ホーチミンびょう)はハノイにあるホー・チ・ミンの霊廟です。

ホーチミン廟(ホーチミンびょう)は、広い広場の中にありました。ホーチミン廟の左右にはレーニン廟と同じように観客席が設けられていました。


現存している霊廟は次の4つで、撤去された霊廟は2つです。
上の段の左側の写真のモンゴルのスフバートル廟は2004年遺体撤去され2005年に解体され、右側のブルガリアのディミトロフ廟は1990年遺体撤去され1999年に解体されました。下の段の左側が毛主席紀念堂で、右側が錦繍山太陽宮殿です。年数は建立された年を示しています。ここの4枚の写真はネットから拝借いたしました。
  撤去 1921年 モンゴル   スフバートル廟
  現存 1930年 ロシア     レーニン廟
  撤去 1949年 ブルガリア  ディミトロフ廟
  現存 1975年 ベトナム   ホー・チ・ミン廟
  現存 1977年 中国      毛主席紀念堂
  現存 1995年 北朝鮮    錦繍山太陽宮殿
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

ホーチミン廟の正面です。
このホーチミン廟は2年の歳月をかけて1975年9月2日に完成したそうです。兵士によって厳重に警備されていて、一年中冷房の効いた内部の部屋にホー・チ・ミンの遺体がガラスケース中に安置されています。廟の中は軍人により警護されており、クリックすると拡大私語厳禁で立ち止まることは許されないそうです。また、事前にカメラなどを預けておく必要もあるそうです。
初代の主席であるホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh / 胡志明)は1890年5月19日に生まて植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導し、1969年9月2日に亡くなりました。ホー自身は存命中に自己顕示的行動におよぶことは殆どなく、その死に際しても本人は火葬および北部(トンキン)、中部(安南)、南部(コーチシナ)に分骨を望んでいたそうです。
クリックすると拡大

全体がわかるようにパノラマ写真を掲載します。この写真もクリックすると拡大します。2010年はハノイに遷都して1000年になることを記念する行事の一環として、公式発表で約4万人が参加の最大規模な軍事パレードが、このホーチミン廟の前で行われました。共産党幹部らはホーチミン廟の上に設けられた席から、行進する兵士や警察官らに手を振っていたそうです。そんな点で赤の広場に似ています。
クリックすると拡大

広場の前には道路があり沢山のバイクと車がひっきりなしに通っています。上の写真はバイクが途切れる瞬間に撮ったもので、気にせずに撮るとほとんどの写真にバイクや車が写るはずです。
クリックすると拡大pg

レーニン廟と決定的に違うのが訪れる人の数です。
クリックすると行列を表示霊廟を中心に左側(南側)に長い行列が出来ていました。この写真をクリックしてもらうと、そのすごさがわかってもらえると思います。
ホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh 胡 志明)は1890年5月19日に生まれて1969年9月2日に突然の心臓発作によって死去し79年の生涯を閉じたベトナムの革命家であり政治家です。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導して、初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席となり、多くの人に、したわれた人です。
クリックすると行列を表示

航空写真でホーチミン廟を紹介します。クリックするとオリジナルの航空写真を表示します。
Iクリックすると行列を表示

バスの数も圧倒されました。一つの場所でこれだけ沢山のバスを見たのは初めてでした。この写真に写っているバスは、ほんの一部です。


子供たちも沢山見に来ているようでした。
クリックすると拡大

巨大な駐車場の奥からホーチミン廟を望んでいます。
クリックすると拡大

ちなみにベトナム戦争は1960年12月~1975年4月30日(サイゴン陥落)でした。