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名峰「黄山」の水墨画 [黄山]

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この絵は名峰「黄山」の水墨画です。黄山には今までに6回来ていますが、お土産を買ったのは1回だけでした。それがこの水墨画です。
20年前の1995年9月8日に初めて黄山に行ったときに水墨画を2枚買いました。その中の一枚が上の水墨画です。こちらは黒の墨だけの水墨画でした。

絵だけを持ち帰って下のように2枚共に日本で額に入れました。
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もう一枚の水墨画がこちらです。こちらは、少しだけ青い色がつけられています。少し青みがかかった水墨画に目が行き最初に、こちらの青みがかかった水墨画を買いました。そして水墨画らしい水墨画と言うことで上の絵を買いました。


額に入れた状態も紹介します。写真は少し斜めからになってしまいました。正面だと表面にカメラが反射してうまく撮れなかったのです。


どちらの画にも名前のところに嘉福寫と書かれています。「嘉福寫」は「嘉福が書いた」という意味なので嘉福という名の人の作品です。2枚は同じ作者のようです。この水墨画は黄山の麓のホテルで購入しました。有名な人の画には偽物が多いので気になっていました。もちろん偽物がでるような有名な作者なのかどうかも、まったく判りませんでしたが、雰囲気が2枚とも気に入っていました。
クリックすると拡大最近、この作家の方を黄山でガイドしてもらったサイさん(右の写真の方)に調べてもらいました。 驚いたことに、この作家の方は元は男優で、今は画家だそうです。そのような経歴なので、画家としては有名ではなかったことから、偽物はほとんどないとのことなので安心しました。
名前:劉嘉福(刘嘉福) 北京の人 落款の字は「嘉 福」
ネットで調べてみると1988年の日本の映画「敦煌」に、この人の名前がありました。サイさんにも映画「敦煌」に出演している劉嘉福であることを確認いたしました。

敦煌では敵軍の将軍の役 範將軍
中国映画芸術家学会会員 1943年4月1日うまれ
北京電影制片廠の俳優。1943年4月1日うまれ、北京市の人、回族
1966年に北京電影學院を卒業し、北京映画撮影所俳優劇団に配属し以来20部以上の映画に出演
出演した主要な作品                            
《南征北戰》(團長)、《牛角石》(拖拉機手)、《年輕的朋友》(團長)、《紅雨》(玉柱)、《海上明珠》(大海)、《海囚》(唐金德)、《雙雄會》(劉學敏)、《蘇祿國王與中國皇帝》(紀剛)、《敦煌》(範將軍)、《蘭天劍》(工程師)、《山鄉驕子》(四旺)、《泉水默默地流》(方蘇)、《嶽臨城下》、《雷雨》など 現在、中國電影表演藝術家學會會員。
右の写真(劉嘉福さん)はネット から拝借しました。 

敦煌のキャスト
西田敏行、佐藤浩市、中川安奈、新藤栄作、原田大二郎、三田佳子、柄本明、綿引勝彦、蜷川幸雄、鈴木瑞穂、田村高廣、渡瀬恒彦、辻萬長、頭師孝雄、頭師佳孝、伊藤敏八、竹村晴彦、松村冬風、加藤和夫、洪学敏、劉嘉福、趙汝平、高?、李澤泉、旺堆、熱依木、鳥木絢人、天田益男 、重水直人、高橋成悟、池上尚吾、澤山雄次、矢山治、佐々木文夫、山田明郷、森岡隆見、木村栄、長沢遼、鞆森祥悟、宮坂ひろし 、夏坂祐輝、山田博行、竹之内啓嘉、大木戸真治、小林清志、峰恵研、勝生真沙子、阿南美佳 、木原清久、内田大貴、久世七曜会、丹波道場、

映画「敦煌 」のあらすじ(ネットより)
北宋のころ主人公、趙行徳(佐藤浩市 )は科挙の最終試験を受けるため首都開封にやってきた。行徳に出された問題は「西夏対策を述べよ」であったが、西夏が単なる辺境だと思っていた行徳はまともに答えることが出来ず、受験に失敗する。 敦煌DVD
失望感のあまり自暴自棄になっていた行徳は、ひょんなことから西夏の傭兵、朱王礼(西田敏行 )に拾われて、漢人部隊の書記となった。辺境だとばかり思っていた西夏はシルクロードの拠点として仏教文化の華開く砂漠のオアシスだった。こうして月日は流れた。やがてその才能を認められた行徳は、恋人であるウイグルの王女・ツルピア(中川安奈 )の庇護を朱王礼に託し2年間留学することとなった。しかし留学期間が延び、ようやく西夏に戻ったときには、ツルピアは既に西夏の皇帝李元昊によって見出され、力ずくで取り決められた妻としての輿入れの日だった。婚礼の席上、ツルピアは隠し持っていた剣で謀反を企てようとするが李元昊に見破られ失敗、そのまま城壁から身投げしてしまう。失意の行徳をよそに、朱王礼は皇帝への反乱を決行し、戦死する。行徳は敦煌の文化遺産を戦乱から守ることを決意する。

                              
写真と比べてどうでしょうか。水墨画はタイトル世界遺産 4分間だけの景色で紹介した下の写真の表黄山を山の下から描いた感じです。
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こちらは裏黄山の早朝の景色です。記事世界遺産 幻想的な朝の景色に出会えました。でも黄山の景色を紹介いたしました。
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それ以外の黄山の景色です。写真をクリックすると拡大します。
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1990年には中国芸術学会から劉嘉福山水画集が出版されており画家としても有名になってきたと思われます。
日本のネットサイトで劉嘉福の水墨画の写真を見つけました。押されている印はそっくりです。この水墨画は(株)縁のホームページの商品紹介の中にありました。絵は掛軸で掛軸の寸法は縦155cm x 横53cmから山水画自体の寸法を類推すると65x43cmになります。我家の山水画の寸法は額に入っているので正確には判りませんが、こちらも類推ですが2枚共に64x42cmなので、ほぼ同じ寸法と言えます。我家の画の方が繊細で柔らかな感じがします。
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中国のネットサイトでも劉嘉福の水墨画も出ていました。一番左の水墨画は私の2枚目のように色が使われいる上に画風も似ています。黄山松云と名付けられた掛軸で2008年春の競売会に出品され2008年4月29日に競売が成立した作品です。作品は掛軸に貼られている画で、130×64.5cmと比較的大きいです。作品の種別は国画とのことです。
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世界遺産 4分間だけの景色 [黄山]

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早朝の黄山を紹介させてもらったので、こちらも紹介させていただきます。
霧に覆われ始め次の瞬間には景色は霧で覆われ見えなくなってしまいました。ここは黄山の南側で南側一帯は表黄山と呼ばれています。北側の裏黄山も魅力的でしたが表黄山の、この景色も息を呑んでしました。今回まで黄山は桂林と同じ石灰岩と思っていましたが実は花崗岩なのです。花崗岩が風化してこんな景色が!!! 自然現象とは言え関心してしまいます。黄山は松と雲と山の世界でした。
写真の記録から見ると上の写真は9時6分30秒に撮影したものです。

この下の写真は9時7分29秒(59秒後)でした。上の写真に比べると雲が増えているのがわかると思います。ほんの1分間で景色が変わっていきました。
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この写真は9時9分16秒(2分46秒後)でした。これも冒頭の写真とは僅かな時間差です。この後すぐに山の景色が見えなくなりました。これらの景色を見ることが出来たのは4分間でした。まさに4分間だけの景色でした。
ここは白鵝峰(峰は正確には山へんに令)という場所です。
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私の写真が次のホームページに使っていただいたので紹介いたします。You Tubeのメール機能で写真利用希望の連絡はいただき承諾させていただいた結果ホームページ完成の連絡をいただいたわけです。そのホームページを紹介いたします。お父様のために息子さんが作られたそうです。
 名前 平岡整体院
 URL http://seitai-hiraoka.com/index.html

日本のTVでも頻繁に黄山が取り上げられるようになりました。
TBS THE世界遺産~黄山  「雲海わき立つ天下の名景」
安徽省南部の大小72の峰々からなる「黄山」。美しい景色の黄山は、中国随一の名山と称えられ、李白を初めとして、この地を訪れ魅了された詩人や画家は数知れず、多くの優れた詩や芸術作品が生み出された。1990年、自然と文化の複合遺産として世界遺産に登録された。現在、中国十大風景名勝の1つに数えられ、年間約200万人の観光客が内外から訪れる。雲海 「瀑布雲」と呼ばれ、巨大な雲の滝が山々の間を流れ落ちるように見える絶景は圧巻。
水墨画 地元で水墨画を描き続ける画家を取り上げ、いかにして雲海が描き出されるかをカメラが捉えた。