古都「開封」の街並み [河南省]
ここは古都「開封」の昔の雰囲気を残している場所です。通りの名前(住所)は開封市南書店街(开封市南书店街)です。この通りでは名前のように書籍にかかわるものが沢山売られていました。
町全体ではこのような街並みは取り壊されてほとんど残っていないとのことなので残念です。でもところどころに残っているそうです。
上の写真はこの写真の左側の部分で書店街の入口です。
おじさんがリヤカーを引いていますが荷物は練炭です。まだまだ練炭が主役の世界のようです。
その練炭を運んでいるところです。
練炭を降ろしているところです。
もう少し奥に入っていったところです。
赤いちょうちんがあるお店はレストランのようです。
反対向きでも撮ってみました。
眼鏡屋さんてすぐに判りますね。でも開封市人民第一医院とも書いています。眼科かも知れないですね。
少し形の違った所もありました。建てられた時代によって形が違うのでしょうか。
開封の生活道路 [河南省]
北宋の首都であった開封(当時の呼び名は東京)は、いろんな時代を経験した歴史のある町です。しかしながら京都と違い、古い町並みは復元されたものを除いて、残っているのは少ないと言われました。そこで昔ながらの街並みを見たいと三輪自転車の人に頼んだ結果ここに連れてきてくれました。目的とした古い町並みではないけれど小さな路地ですが両側に沢山のお店が並んでいます。まさに昔からの生活道路でした。この後に、その三輪自転車に乗って復元された古い町並みの場所に行きました。
野菜屋さんです。上の写真の右側のお店です。
細い道が続きます。
さらに奥に進みました。両側でビーフンを売っています。
生の大きな唐辛子を見つけました。
広い道路に出ました。ここもお店が沢山あります。
お好み焼きのようなものを焼いています。
こんなパンの焼き方をしていました。上の蓋を閉めるとオーブンになるとともに上の鉄板で焼くことが出来るんですね。
すごい火力です。沢山の鍋があります。
唐辛子屋さんです。
その唐辛子屋さんに立っていた趣のある旗(幟)です。
書いてある文字は読めませんが、なんとなく伝わってきます。
書いてある文字を並べてみました。「王记」は日本語では「王記」で、店名などに良く使われていました。「老店」は「老舗」で、「批发」は「卸売」を意味しています。
王记
瓜子老店
大量批发
保証質量
加工花生
唐辛子屋さんの名前は「王记」ではないので隣りのお店の幟かもしれません。確かに隣りのお店には落花生らしいものが沢山売られていました。
唐辛子屋さんの名前を別の写真で確認すると「順天干??零商店」でした。??は複雑な文字なので読み切れませんでした。クリックすると拡大するので、どなたかが読んでいただければ幸いです。
開封の道教のお寺 延慶観 [河南省]
ここは古都「開封」の唯一の道教のお寺である延慶観(延庆观 イアンチングアン)です。この写真はその中の最も有名な建物である玉皇閣です。創建当初の元時代の建物だそうです。延慶観は全真教(道教の一つの派)を開いた王重陽(1112年~1170年)を記念して1233年(元太宗5年)に建てられた道教の建物で、当初の名前は重陽観でしたが1373年(明洪武6年)に延慶観に改名されました。
玉皇閣(玉皇阁)の中です。
祀られている像は、道教の全真教を開いた王重陽だと思います。王重陽を王詰 と記載している記事もありました。
玉皇閣の裏側の建物です。
その建物の中です。こちらは全真教を広めるつくした弟子で七真人と呼ばれる馬丹陽、譚長真、劉長生、丘長春、王玉陽、郝広寧、孫不二の7人の中の人の可能性があると考えています。
玉皇閣の前で線香をあげていました。道教は中国三大宗教の一つです。中国三大宗教とは儒教、仏教、道教です。道教は「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老氏」「老氏の教」「老氏の学」「老教」「玄門」などとも呼ぶことがあります。道教の派閥を大きく分けると正一教と全真教になります。
こちらが入場券です。
開封の町の位置を紹介いたします。河南省の省都である鄭州の東にある中国でも最も歴史が古い都市の一つであり、北宋の首都でもありました。
右のマークが入口の門にありました。
道教の陰陽魚太極図→
大極図は白い部分と黒い部分を魚に見立てて「陰陽魚」とも呼ばれています。また、もともと「陰陽儀」だったのが、発音が近いため「陰陽魚」になったとの説もあります。作られた当初は「天地自然河図」と呼ばれていたそうです。白い部分は、「陽の気」を表し、黒い部分は「陰の気」を表しているそうです。大きな白い部分の中の黒い点は「陽」の中に「陰」があることを表し、同様に、大きな黒い部分の中の白い点は「陰」の中に「陽」があることを表します。「陰」と「陽」の基本的内容は次の通りだそうです。
陰・陽は互いに対立・制約する
陰・陽は互いに依存し,単独では存在しえない。
陰・陽の消長と平衡
陰・陽の相互転化
内モンゴルの馬 [内蒙古]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
前記事で内モンゴルの大草原の景色を紹介しました。その草原の広さに驚きますが、それ以上に空の広さに感動いたしました。 上の写真は呼和浩特近くの内モンゴルの大草原の馬とパオのある景色です。右の写真のように別の方向はきれいな青空と白い雲が広がっていました。右の写真の中の馬の部分を拡大したのが下の横長の写真です。クリックするとさらに拡大いたします。
冒頭の写真の馬たちだけを拡大いたしました。
写真をクリックすると右側の隠れた部分も表示します。
上の写真は放牧されている馬たちですが、パオの近くにも馬たちがつながれていました。コツらは住民の足なのだと思います。
沢山の馬たちがいました。
白い馬が印象的でした。
確証はありませんが、こちらは観光客の人を乗せて草原を歩く馬たちではないかと感じました。
パオがあれば馬がいました。大切な移動手段なのでしょうね。
上の写真のパオの村の航空写真です。
パオとバイクは不釣り合いのような気がしますが、バイクも大切な移動の手段になっているようです。
6月は火炎樹の季節でした。 [ベトナム]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ベトナムに6月8日から6月11日まで行っていましたが、真赤な花が沢山咲いていました。調べてみると火炎樹(フランボワイヤン Fire Tree )でベトナム語ではHoa Phượng(ホアフォン)です。日本語の正式名は鳳凰木とネットに書かれていました。
花の形が判るように上の写真を拡大いたしました。右の花の写真はWikipediaから拝借しました。似た感じで赤い花をつけるシソ目ノウゼンカズラ科の火焔木(カエンボク)とは別の種類です。葉っぱの形で違いがわかります。今回の木は明らかにマメ科と判る葉っぱでした。
目 : マメ目 Fabales
科 : マメ科 Fabaceae
亜科 : ジャケツイバラ亜科 Caesalpinioideae
属 : ホウオウボク属 Delonix
種 : ホウオウボク D. regia
俗名 : 火炎樹
英名 : Royal poinciana
学名 : Delonix regia
火炎樹の花の季節は5~7月で6月が最もきれいになる時期です。ベトナムでは6月が卒業式で7月が入学式で、ちょうど、その時期に咲くことから日本の桜にも例えられます。それほどベトナムでは沢山咲いているし有名な花でした。車の中から走りながら写真です。
上の写真の一部を拡大いたしました。このように街路樹としてよく見かけました。
この写真より、もっと沢山の木で道の両側が見事に真赤になっているところもありました。
ネットで調べてみると鳳凰木(ホウオウボク、学名:Delonix regia)は、ジャケツイバラ科の落葉高木で、原産はマダガスカル島でした。やはり熱帯地方では街路樹としてよく植えられているそうです。日本では沖縄県でよく見られて、台湾でも1896年に種子が入れられ、台南市や廈門市では市樹となっているそうです。
樹高は10~15mで樹形は樹冠が傘状に広がり、葉は細かい羽状複葉。直径10cmほどの5弁で緋紅色の蝶形な花が、総状花序につくそうです。
MUKUさんの火炎樹と火炎木にトラックバックしています。
追伸
今日、2015年8月1日に上海から帰国します。家に着くのは19時頃となります。日本を出発した7月27日から皆様のところに訪問できていませんでしたが、明日からは今まで通りに訪問できると思います。
先ほど帰国したので、搭乗券を掲載いたしました。