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納豆を比較してみました。 [話題]

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最近よく食べている次の2つの国産大豆100%の中粒の納豆を比較してみました。食べ物の好みは個人によって差があるので優劣は控えさせていただきます。でも他の沢山の納豆に比べると美味しいと思っている納豆なのです。
 A タカノフーズ おかめ納豆 国産大豆納豆 
 B 水戸フーズ  納豆職人  国産大豆納豆

さっそく比較開始です。2つの納豆の蓋を開けると同じようにタレとからしが入っていました。以前にメカブのタレを納豆に入れて食べてみましたが、それぞれに合うたれがあることを知り、タレの味も大切な気がしました。私の定番朝食はこちらです。→ポッチ
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かき混ぜる前です。両方ともに中粒です。見た目は若干違いました。でも一番の違いは片方は納豆独特の匂いが強いことでした。人によって匂いの強弱で好みが変わるのかもしれません。昔はタレがからみやすい小粒納豆を好んで食べましたが、こちらの中粒を食べたときに大豆の味を感じてからは中粒納豆のファンになってしまいました。
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両方ともに掻き混ぜてみました。泡立ちは似ていました。ここでタレを入れないで食べてみると両者の違いが一番よくわかりました。片方は少し硬めですが噛むと大豆の香りと味が感じられました。もう一方は柔らかく仕上げてありました。
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よく掻き混ぜると粘りがクリーミーになります。まだタレを入れていません。この状態であればタレを入れなくても食べれます。いつもの順番は「掻き混ぜる→トッピングを入れる→掻き混ぜる→タレを入れる→掻き混ぜる」と、3回掻き混ぜています。
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タレを入れてさらに掻き混ぜました。タレをすべて入れると味が濃すぎて、納豆の味というよりはタレの味になってしまうので、いつも半分程度(50%~60%)にしています。今回も50%といたしました。両者を食べ比べるとタレの味は少し違いますが、両方ともによく研究されていることが判りました。いつもはトッピングを入れて混ぜてからタレを入れて混ぜるのですが、今回はタレだけで食べるために先にタレを入れました。
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トッピングにいつも通りに小ネギとチリメンジャコを入れました。
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トッピングを入れてさらにかき混ぜた状態です。トッピングを入れると両者の味の差は少なくなりました。今回の比較で、意外にもトッピングを入れない方が納豆だけの味が楽しめることが判りました。今回はカラシを入れませんでしたが、納豆だけの場合はカラシが合うことも発見いたしました。今回の比較で、違いが判ったのは、「匂いの差」と「納豆本来の味の差」と「硬さの差」でした。当然タレの味は違いますが、タレをほとんど入れなくても美味しく食べれるのが私の好みの納豆なのです。皆様もいろいろ試してみてください。
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パッケージの表示での違いで大きいのは、一方は米粉が僅かに入っていることです。米粉を入れるのは納豆のねばりを安定させるためで特許製法だそうです。タレでは、かつお味であるところはおなじですが、片方は昆布味と煮干味を加えているところです。ただし味わったタレの美味しさには差が無かった気がします。いずれにしてもタレにはいろんなものが混合されているのに驚かされました。片方が丸大豆でもう一方が大豆の表現になっていますが、納豆に限って言えば、大豆=丸大豆です。
 おかめ納豆 タカノフーズ納豆職人 水戸フーズ
納豆丸大豆、米粉、納豆菌大豆、納豆菌
たれ砂糖、しょうゆ、果糖ぶどう糖液糖、食塩、かつお節エキス、醸造酢、昆布エキス、煮干エキス、たん白加水分解物、アミノ酸糖、アルコール、ビタミンB1たん白加水分解物、しょうゆ、砂糖混合異性化液糖、醸造酢、食塩、かつおエキス、みりん、アミノ酸等、アルコール、ビタミンB1
からしマスタード、醸造酢、食塩、植物油脂、酸味料、うこん、ビタミンC、増粘多糖類、アミノ酸糖、香辛料からし、食塩、酸味料、酒精、ウコン、ビタミンC、増粘多糖類
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追伸
今日、2015年9月30日から10月7日まで関西に行きます。成田空港が16時55分発のフライトです。今回はお袋や叔父さんたちと武田尾温泉に一泊いたしますので、帰宅後に報告いたします。また関西に行っている間はネット環境の都合で皆様のところに訪問できなくなると思いますのでご理解のほどお願いいたします。
タグ:納豆 比較

水門橋も豪華でした。 都江堰 [四川省]

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紹介した四川省都江堰の豪華な橋の下流側にも豪華な橋らしきものがあったので歩いていってみました。

近づいてみると水門であることがわかりました。
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南橋ほどではないけれども、こちらの水門も豪華でした。この水門は橋も兼用していました。
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水門が沢山ありました。


水門の上流側の映像を撮りました。プレイボタン( )をクリックすると動画になります。


YouTubeが見れない方のためにSo-netにも動画を登録いたしました。

今回紹介の水門橋の航空写真です。この水門橋から川は2つに分かれます。水を分配するために、この水門があるようです。この写真で左から水が流れてきて水門橋で水流が2つに別れているのが判ると思います。
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水門橋から下流を見た両方の川の写真を紹介します。2つの写真は似ていますが背景の建物が違うので別の川だとわかってもらえると思います。川のカーブの具合も違います。それぞれの川の下流にはさらに水門橋が見えます。両方とも写真をクリックすると拡大します。二つの川を仕切っている石垣の一部は2000年前のものだそうです。
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南橋と水門橋の位置を紹介します。
  南橋
  水門橋    世界遺産となった治水設備です。

涼を楽しむ豪華な橋 都江堰 [四川省]

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豪華な橋の下を豪快に水が流れています。蒜苗(ソンミョウ)を紹介した四川省都江堰市内(シセンショウ・トコウエン・シナイ)を流れる川ですが、特に雨が降ったわけではないのに多量の水が流れています。普段でもこれだけの水が流れていいますが、大雨の後でも洪水になったとはないそうです。川の名前は岷江で長江に流れていきます。その理由は、上流に2200年前に作られた治水設備があり、町の中を流れる水量を一定に保っているのです。その設備は世界遺産となっており後日紹介したいと思います。今回の写真は全て拡大するので気に入った写真はクリックしてみてください。

大雨の後でもないのに町の中を多量の水が流れる光景は初めて見ました。それにしても、この橋は豪華です。橋が洪水で流されないので、豪華な橋を作ることが出来たのかもしれません。
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橋の一つ下流側の水門橋で映した川の流れの動画映像です。きっと川の流れの勢いを実感できると思いますので、是非ともプレイボタン( )をクリックして見て下さい。水の音もすごいです。写っている石垣の一部は2000年前のものだと中国の人が話してくれました。


YouTubeが見れない方(中国国内や一部の企業の社内LAN)のためにSo-netにも動画を登録いたしました。

これが下流側の水門橋から撮った橋の全景です。


下流側から見て橋の右端です。 こちら側から見ると橋とはわからないですね。
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こちらが下流側から見て橋の左端の部分です。 橋の名前は南橋です。
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近づいて撮ってみました。クリックすると橋の装飾が豪華なことがわかってもらえると思います。建物上に取り付けられている扁額には「南橋」と書かれています。
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橋の中は涼を楽しむ人でいっぱいでした。
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橋の上流側を撮りました。暑い日でしたが、橋の下を流れる水のおかげで涼しかったです。2009年7月25日のことでした。
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鮮明ではありませんが衛星写真の南橋です。航空写真上のアイコンマイナスを数回クリックすると、こちらの場所が判ると思います。
都江堰市(とこうえん・し)は四川省の省都である成都から北西に50kmの場所にあります。本来は成都を水害から護る為に2200年前に治水設備が作られたのです。そのおかげで都江堰市も水害にあわないのです。

四川省都江堰市の南橋の場所を広い範囲の地図で紹介します。

飲み会 [東京]

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2015年9月23日の飲み会を紹介します。場所は東京駅の近くの八重洲辺りでした。飲み会が決まったのは9月18日のゴルフの後の二次会でした。
集合は茅場町近くのビジネス街でしたが9月23日は連休の最終日だったためにビジネス街の飲食店のめぼしいところはお休みだったことから東京駅に向かって歩きながら飲み会の場所を探しました。入ったのは6階の「銀の月」でしたが、驚いたことに5つのお店はすべて系列店だったのです。それぞれのお店の予算を聞いてみた感じでは「のど黒屋」が一番の高級店はのようでした。
  1階 八吉    天地旬鮮
  4階 のど黒屋
  5階 鶏彩    鶏料理
  6階 銀の月   和食タ゜イニング
  7階 otanto   料理人・W

9月18日に7名でやったゴルフの7人の内の5名と、その知り合いの方2名の計8名の楽しい飲み会でした。初対面の1名の方を除くと1度は飲んだことのある方たちとの飲み会でした。料理をすべて紹介しますがすべて2皿づつ頼みました。最初は「お造り三品盛り」です。お造りの刺身は平政(ひらまさ)と鱸(すずき)と(平目(ひらめ)でした。いずれも私の好きな刺身でした。お造りの皿の奥にある小鉢がお通しです。お造りには次のような説明書きが添えられていました。
当店のお刺身は、島根・山口などの漁港の買参権を頂いて漁港直送で仕入れております。最高鮮度のお造りをお楽しみください。
銀の月八重洲店 店長 富川
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シーザーサラダも頼みました。カリカリに焼いたベーコンが多いのですが、こちらのお店では生ハムが使われていました。
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ざる豆腐も頼みました。
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こちらは「ゴボウの唐揚げ」です。
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やっぱりビールですね。
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焼き鳥も頼みました。
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こちらは鶏の唐揚げで唐揚げ
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焼肉も頼んでしまいました。レタスに包んで食べます。
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ピザも頼みました。
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祝日ですいていたので店内の写真が撮れました。お店の雰囲気が判ってもらえると思います。飲み会中に急遽、10月23日にゴルフをすることが決まったので11月27日と12月22日と合わせて同じ仲間と年内に3回ゴルフすることになりました。
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久しぶりの二次会はカラオケでした。ここでもビールをいただきました。場所はカラオケ館・日本橋店でした。私だけ翌日の9月24日は早朝からゴルフに行くので、このロングサイズのビールを飲んで一曲歌って退散いたしました。9月18日のゴルフは、最近仲間に入れてもらった人たちで、会社もほとんどが違うのですが、不思議と仕事で会った懐かしい人が5人もいる不思議な会なのです。


場所を地図で紹介します。東京駅の目の前です。


今までに食事した東京のレストランで気に入ったところをプロットいたしました。皆様も食べたことがあるお店があるかもしれないのでプラスのアイコン( プラス)を数回クリックしてみてください。マークをクリックするとレストラン名を表示します。
   東京駅周辺のレストラン
   東方面のレストラン
   西および南方面のレストラン
   気になるがまだ未経験のレストラン

より大きな地図で 東京駅近くのレストラン を表示

タグ:東京

ホイコーローに欠かせない蒜苗(ソンミョウ) [四川省]

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日本の回鍋肉(ホイコーロー)はキャベツなどの野菜が使われることが多いのですが、四川省ではネギのようなニラのような独特の野菜が使われていました。野菜の名前は蒜苗(ソンミョウ / ソアンミャオ)です。本場の回鍋肉(ホイコーロー)に使われている蒜苗(ソンミョウ)が、どのような野菜なのか気になっていました。料理の中では見た目はネギで味や食感はニラでした。こちらの記事のなかのすべての写真はクリックすると拡大するので試して見て下さい。

成都から50km離れた町、都江堰市(とこうえん-し)のレストラン街を朝早く歩いていると野菜の下ごしらえをしている風景に出会えました。その中で最も量が多い野菜が大型のニラのような植物でした。これが蒜苗(ソンミョウ)ではないかと中国の人に聞くと「蒜苗です。」との答えでした。
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これが蒜苗(ソンミョウ)です。写真をクリックすると拡大するのでじっくりと見てください。日本で似たものを探すとすればニンニクの葉、つまり「葉ニンニク / 青蒜 / 青蒜苗 / グリーン・ガーリック」だそうです。その葉ニンニクで作ったものを、日本では蒜苗回鍋肉と呼ばれています。
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こちらも四川省の都江堰市で出会った回鍋肉(ホイコーロー)です。ただし燻製にした肉である腊肉が使われていました。もちろん野菜には蒜苗(ソンミョウ)が使われていました。
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タグ:中華料理

初ペヤング [日々]

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きっと、ペヤングを今まで食べていなかったことに、驚かれた方も多いと思います。ペヤング焼きそばの2015年6月8日(自主回収から6ケ月4日目)の販売再開はマスコミも含んで大変な話題だったことは記憶に新しいことです。実はこの時の報道で初めてペヤング焼きそばが印象付けられたのです。それまでは名前を聞いたことはありましたが、食べたことが無かったのです。カップ麺ヤキソバをよく食べていた若いころは関西に住んでおり、関西で人気のUFO焼きそばは食べたことはありましたが、関東中心のペヤンク焼きそばを食べる機会がなかった上、関東に引越してからは、どちらかと言えば生麺焼きそば派だったことが、ペヤングを食べたことがなかった理由だと思います。
話題になったものを食べたことが無いとなると、食べてみたくなるのが人情です。最近では話題になることは無く、静かではありますが、発売開始以来人気が続いているようで、よく行くディスカウント・スーパーの棚はいつも空で今まで食べる機会がありませんでした。偶々入ったスーパーでペヤング焼きそばが売られていたので、迷わずに、左の「ペヤング激辛やきそば」と右の「ペヤングソースやきそば」の2種類を買いました。

さっそく家内と二人で食べてみることにいたしました。説明書通りに開き線まで開けました。左が「ペヤング 激辛やきそば」で、右が「ペヤング ソースやきそば」です。1食当たり主要栄養成分は次の通りです。
  エネルギー  544kcal
  ナトリウム    1.4g (食塩3.6g相当)
  たん白質    8.9g
  脂質      27.6g
  炭水化物   64.9g
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ケースの中には「かやく」と「ソース」と「ふりかけ」が入っていました。ただし激辛やきそばの方には「ふりかけ」は付いていませんでした。沢山の種類の材料が使われているのに驚かされました。
 麺   : 小麦粉、植物油脂、ラード、しょうゆ、食塩、香辛料
 かやく : キャベツ、味付け鶏ひき肉、ごま、香辛料、アオサ、紅生姜
 ソース : ウスターソース、糖類、たん白加水分解物、食塩、香味油、
       牛肉エキス、香辛料
 その他: カラメル色素、アミノ酸等、酸味料、グァーガム、かんすい、
       香辛料抽出物、ビタミンE、ローズマリー抽出物、
       重曹、ビタミンB₂、カンゾウ
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さっそく「かやく」を入れてお湯を規定ラインまで入れました。ケースには「激辛やきそば」などの種類を示す文字が無いことから色だけで違いで区別する必要がありました。ただし、きっと麺はどちらも同じなので気にする必要はないのかもしれません。
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開いた蓋を締めて、開かないようにソースを重しのために上に置いて3分待ちました。ソースを上に置くと、ソースも温まるので、ソースを混ぜた時に冷えることがなく具合がよかったです。
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こちらが湯切り口です。


お湯を切ってソースを入れました。
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こちらがソースやきそばです。よく混ぜて「ふりかけ」をかけました。
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こちらが激辛やきそばです。ソースやきそばより少し赤みがありました。四川省の成都で食べた汁なし坦々麺に見た目が近いです。
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トッピングが無かったので、青のりと紅ショウガを乗せました。これは大正解でした。激辛やきそばは、見た目はソースやきそばとあまり変わらないのですが、かなりの辛さでした。さすが激辛でした。でも激辛のすごさを知ったのは食べてから数時間後でした。偶々、目を手で擦ったら。めちゃくちゃ目が痛かったのです。手にソースが付いた覚えがないので驚きました。すぐに石鹸で丁寧に手を洗いましたが、その後、また目をこすることがありましたが、やはり目の痛みを感じたことで、さらに激辛のすごさを知ってしまいました。PL法上、パッケージに「食べた後は目をこすらないように注意して下さい。」の注意書きが必要かもしれません。
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食感を感じていただくために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。ちなみにカップ焼きそばが世界で初めて発売されたのは、今から41年前の1974年7月発売の恵比寿産業の「エビスカップ焼そば」でした。全国的なシェアトップは日清食品のUFOですが、関東地区においてはペヤングが、東北・信越地区においては「マルちゃん 焼そばバゴォーン」が、北海道においては「マルちゃん やきそば弁当」が、それぞれ抜群の人気を誇っています。
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フランスはレンタルサイクルが大ブーム [フランス]



フランスのリヨンには行った時にレンタルサイクルが発達しているのに驚かされました。それから1年半後にリヨンを訪れた時に、更にレンタルサイクルが発達していました。そして沢山の人が利用していました。
リヨンだけではなく訪問したパリやマルセーユでも沢山の人がレンタルサイクルを利用していました。

利用者は事前に登録してあるICカードを機械に当ててCRTの画面を手で触って操作していました。画面の地図にタッチしていたので返却する場所を入力していたのだと思われます。それにしても並ぶほどとはすごい人気です。


操作方法の説明画面です。プレーボタンを押すと動画になります。


洒落たデザインの自転車です。


駅前には沢山のレンタルサイクルが設置されていました。同じ駅で少なくとも2ケ所に来採れ同じくらいの数の設置されたところを見かけました。駅前だけでなく町のいたるところに台数は少ないけれども設置されていました。市民の足として定着しているようでした。


Googleの航空写真にもレンタルサイクルが写っていました。真中あたりの沢山の点がレンタルサイクルです。航空写真でみれるとは思ってもいませんでした。上の写真の場所がこちらです。冒頭のレンタルサククル群は航空写真では左下にあるはずなのですが、写っていないので航空写真は少し古いのだと思います。

航空写真では1っ箇所だけしか写っていませんでしたがストリートビューでは2ケ所とも写っていました。右上のアイコンをクリックすると全画面で表示するのでわかりやすいと思います。CO2削減に貢献していますね。


パリは灰色のレンタルサイクルでした。自転車は少し違いますが駐輪のしかたは同じなのでシステムも同じだと思います。 本当によくレンタルサイクルが利用されていました。パリの町の中では走っているところもよく見かけました。一年半前は気が付かなかったので急速に発達しているのかもしれません。


こちらはマルセーユのレンタルサイクルです。色は青色です。マルセーユらしい色です。やはり同じシステムです。訪問した町全てで同じレンタルサイクルシステムが使われていたことから全国的にレンタルサイクルが導入されていることがわかりました。オーストリアのウィーンでも類似のレンタルサイクルを見かけました。→ポチッ


マルセイユのレンタルサイクルは航空写真では写っていませんでしたがストリートビューでは確認できました。

ウィーン名物カツレツ [オーストリア]

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前記事でウィーンからドイツ高速鉄道(ICE)でミュンヘンに行ったことを報告いたしました。そのICEに乗るためにウィーン駅に着いたのは11時50分で、さっそくキップを買いました。ミュンヘンへの直通列車は14時25分でした。乗り換えると早い列車はあるのですが、間違えるのが心配なので、直通の14時25分に乗ることにしました。そのおかげで昼食を食べる時間が、たっぷりと出来ました。昼食は有名なウィーン風カツレツと決めており、駅の近くでウィーン風・カツレツを食べされてくれるレストランを探して入りました。これがウィーン風・子牛のカツレツのWiener Schnitzel(ヴィーナー・シュニッツェル)です。

カツレツを拡大いたしました。お店の人にソースはないのかと聞くと、レモンをかけて、テーブルの上の塩と胡椒で食べるように説明されました。日本のトンカツソースがあると美味しいのにと思いましたが、意外と塩が美味しかったです。
この食べ方はビールに合いました。
Wienerはドイツ語読みでヴィーナーなのです。標準ドイツ語でのWの発音は [v] であり、ヴィーナーとなります。
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お店に入ると、窓際の一番景色のいいテーブルに案内されました。
列車の発車時間まで2時間近くあったので、ビールを4杯いただきました。たっぷりの時間のおかげでウィーン名物カツレツと美味しいビールを堪能いたしました。


ウィーンでは特大カツレツで最も有名なお店はフィグルミュラー(Figlmiller)です。もともとは、そちらに行く予定のようでしたが、時間はなくなったためウィーン駅の近くでカツレツ(Wiener Schnitzel)の食べれるお店を探しました。
お店の前に、クリックすると拡大Original Wiener Schnitzel(オリジナル・ヴィーナー・シュニッツェル)と書かれた右のメニューの看板を見つけて、すぐに入りました。
Wiener Schnitzel(ヴィーナー・シュニッツェル)は北イタリアを起源として、15-16世紀ごろにウィーンに伝わったとされたそうです。他の説によると、1857年にヨーゼフ・ラデツキー元帥により伝えられたもいわれています。一般には「子牛のカツレツ」のこととです。薄く切った肉をさらにステーキハンマーで叩き、小麦粉をたっぷりつけ、溶き卵に潜らせパン粉をつけて、やや多めのバターかラードで炒め揚げしたものです。レモンスライスとポテトサラダなどを添えて食べるそうです。
Original Wiener SchnitzelのOriginalには意味があります。本来はWiener Schnitzelには子牛を使っていましたが、最近では豚肉を使っているところが多いそうです。超人気のフィグルミュラー(Figlmiller)店のWiener Schnitzelも豚肉だそうです。Originalは本来の子牛であることを示してくれているのだと思います。価格は13.9ユーロでした。超人気のフィグルミュラー店に行けなかったおかげで、歴史ある子牛のカツレツが食べれたわけです。

店内の様子です。我々だけではなく皆さんも結構、長居をされていました。


レストランの前には、このような趣のある路面電車が走っていました。写真をクリックすると近づいた路面電車を表示します。
クリックすると別角度

ウィーン駅(Wien Westbahnhof 駅)の方から景色です。中央のクリーム色の建物の中に、レストランがありました。
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今回のレストラン Le Backo( )の場所を紹介します。右の小さな写真はお店のホームページから拝借させていただきました。
クリックすると拡大 店名 Le Backo
 住所 Mariahilfer Straße, 126
 電話 +43-1-523-1291
 HP  http://www.backo.at/
 最寄 Wien Westbahnhof 駅


今までに紹介したレストランやカフェの場所を紹介します。着色文字をクリックすると記事を表示します。この時はTechnische Universität Wien(ウィーン工科大学)を訪問し教授と話をするのが目的でした。
クリックすると拡大   Le Backo ウィーン名物カツレツ
   Café Sperl ウィンナーコーヒー
   Palmenhaus 温室レストラン
   Hotel Beethoven 宿泊したホテル  朝食

ウィーンからミュンヘンへのICE [オーストリア]

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ミュンヘンからウィーンは車で移動しましたが、運転してくれたドイツ人とはウィーンで別れたために列車でミュンヘンまで行くことにしました。ここはドイツの高速鉄道ICEが走っているので日本から時刻表を見ることもできます。→ ポチッ
駅に着いたのは12時ごろでした。先ずは昼食の前に切符売場に行きチケットを確保して、食べたかったウィーンカツレツのお店を探しました。たっぷり時間があったので切符売場を探すのにもチケット購入にもウィーンカツレツ専門店を探すのにも余裕がありました。カツレツを食べながらビールもゆっくり楽しめました。
上の14:40発の列車は、我々が乗った列車ではありません。我々の列車は機関車が引くタイプでした。

乗ったのは14時20分発のミュンヘン(München)行きです。有名な観光都市であるザルツブルク(Salzburg)経由と書かれているようです。


出発前に駅を散策してみました。ホームの端まで行ってみました。線路が芸術的でした。5倍ズームで撮っているので近くに見えますが、少し霞んでいるのは、写っている電車まで遠いためです。
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これが同じ位置からズームを使わないで撮った写真です。
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こちらは同じ位置から駅舎の方も撮りました。ホームがすごく長かったです。この写真でウィーン駅の全体が判ってもらえると思います。
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ホームの端に行くまでに職員の人とすれ違ったので写真を撮らせていただきました。


このような貨車も置いてありました。
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列車内からの景色は車の時と同様にヨーロッパらしい風景でした。
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高速道路の時は少し違う風景でした。建物が多かったような気がします。
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しかし不思議なのが200km/hのスピードが出せるのに4時間13分もかかるのか不思議でしたが、200km/hはわずかで、ほとんどが100km/h前後で走っていました。到着駅の時刻表の時間と実際の予定到着時間が表示されているのは便利でした。ミュンヘンには7分遅れの18時40分に着くとのことでした。
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さほど急ぐ旅でもないので、日本から持ってきた裂きイカをつまみに社内販売で買ったビールを飲みながら車窓を楽しむことにしました。


まだまたきれいな景色が続きました。是非とも写真をクリックしてみてください。
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ミュンヘンに着くまでの間で、見かけた列車を紹介します。




ザルツブルグまでは各座席には満席に近い状態でしたが、観光地として有名なザルツブルグで、ほとんどの人が降りたため、そのあとはこのような状態となりました。


こちらが切符です。2等車です。座席指定はしていないため自由席ですが、実は座席指定も出来ることがわかりました。実際にザルツブルグから乗ってきた3人連れの女性の方に「ここは私たちの席です。」と言われて、移動しました。しかたなく通路を挟んだ横の席に移りました。上のようにガラガラだから、そちらに座ってもらっても、いい気もしましたが気にせずに残りの旅を楽しみました。


地図も表示してくれました。もうすぐミュンヘンです。
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画面の一部を拡大しました。
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ミュンヘンからパリへのフライト [機内]

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ミュンヘンからパリを経由して帰国しました。これがミュンヘンからパリへの飛行機です。パリのシャルルドゴール空港ではバスでターミナルに移動するためその時に撮りました。この時の時間は18時2分で青空がきれいでした。機体はエアバス社のA319またはA318です。

ターミナルビルへ移動のためにランプバスに乗り込むところです。日本人は我々だけでした。
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乗継時間は長くなかったけれども興味があったのでエアフランスのラウンジを探して入りました。
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以前にエアフランスで荷物トラブルがあったので、パリでの荷物のトランジット少し心配していましたが、エアフランスのAF2023(JL5304 16:20→18:00)からJL406(19:25→14:15)に無事にトランジット出来て成田空港に届きました。幸いにもパリから成田はファーストクラス(Fクラス)で帰国できました。
この時の旅のルートは次の通りです。
クリックすると拡大  JL 407  成田→フランクフルト
  LH982  フランクフルト→ミュンヘン
       ミュンヘン→ウィーン
  列車    ウィーン→ミュンヘン
  車     ミュンヘン→ローアドルフ
  車     ローアドルフ→ミュンヘン
  AF2023 ミュンヘン→パリ
  JL406  パリ→成田

大きなこけし [日々]

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家に大きなこけしがあります。
ひらがなの「こけし」の名前が使われ始めたのは、それほど古くないそうです。
「こけし」は、江戸時代末期(化政文化期)頃から、東北地方の温泉地において湯治客に土産物として売られるようになった轆轤(ろくろ)引きの木製の人形玩具で、一般的には、球形の頭部と円柱の胴だけのシンプルな形態をしています。戦前には多くの当て字による漢字表記(木牌子・木形子・木芥子・木削子など)があったそうですが、1939年(昭和14年)8月に鳴子温泉で開催された全国こけし大会で、仮名書きの「こけし」に統一すべきと決議した経緯があり、現在ではもっぱら「こけし」という用語がもちいられているそうです。大きさを実感してもらうために腕時計と一緒に撮りました。

大きい方の作者は佐藤俊雄さんで鳴子の人のようです。高さ 55cmあります。
1990年に、なにかの記念に親父がもらったものを、譲り受けました。
佐藤俊雄さんはネットに出てくる方で昭和10年1月29日生まれです。師匠は大沼新兵衛さんだそうです。筆跡からみて「セイコー電子部品株式会社」の文字は佐藤俊雄さんの直筆だと思います。セイコー電子部品株式会社はセイコーインスツル株式会社の水晶事業部の前身です。セイコー電子部品株式会社はの沿革は次の通りです。
・1985年 「栃木硬石株式会社」と「株式会社仙台精密材料研究所」が合併
      し、「セイコー電子部品株式会社」が発足
・1994年 「セイコー電子部品株式会社」が解散して「セイコー電子工業株
      式会社」に吸収合併
・2004年 「セイコー電子工業株式会社」から「セイコーインスツル株式会
      社」に社名変更
小さい方の作者は佐原正広さんです。こちらは私が関西に住んでいたころ初めての飛行機での出張で仙台に行ったときに気に入って買ってきました。こちらはネット検索しても詳しい内容は出てきませんでした。
  伝統こけし作家の一覧表→ポチッ


昆野誠吾さんのアイデアで、2リットルのペットボトルと比べて見ました。重さは3.9kgです。

タグ:こけし 仙台

外国人シェフによる本格イタリアン [インド]

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クリックすると拡大インドのムンバイで泊まっていたホテルのイタリアンレストランが良さそうだったので、インドに来て2日目はイタリア料理にしました。イタリア料理と言えば、やはりワインですね。こちらのワインはインドワインのSULA Vineyards dindori Reserveで、価格は3500ルピー(6370円)でした。

早い時間のレストランです。ワインが飾られているのがわかると思います。我々は早めに食べ始めましたが食べ終わる頃には満席になりました。すごい人気でした。
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沢山のワインが置かれていました。
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もちろんイタリアワインはメニューを一ページ埋め尽くしていました。フランスワインだけでもこの程度でした。これ以外にスペイン、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、チリ、アルゼンチン、南アフリカ、インドのワインがありました。


インドはワイン用の葡萄にむいた場所もあり美味しいワインが出来る上に、外国産のワインは関税が高いので同じ値段のものであればインドワイン(Wine of India)がおすすめです。我々もインドワインにいたしました。こちらのワインはGrover Vineyards La Réserveで、価格は3000ルピー(5460円)でした。
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お客さんも、ほとんどが外国人でした。
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こんなパンが出されてきました。少しピリ辛のソースがついており、これだけでワインが飲めるほどでした。


前菜の盛り合わせです。いろんなものが食べれました。
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上の前菜にもモッツァレラチーズがありましたが、やはりイタリアレストランに来たら、このモッツァレラチーズとトマトとルッコラを注文したくなりますね。
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やっぱりビールが飲みたくなったので注文いたしました。


シーフードのピザも頼みました。
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ラザリアも頼みました。


トマトソースのシーフードのスパゲッティーを頼みました。


シンプルナ味のスパゲッティーを頼みました。結局、これで十分な量になってしまったのでメインデッシュは頼みませんでした。
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一番手前の少し太めの外国人シェフが料理長のようです。さすが本場の味でした。

風土記の丘の古民家 [風習・歴史]

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前回、自転車で行った時は朝早いために開館前で内部が見れなかったためにもう一度行ってきました。今回は内部の4枚の写真を追加したしました。
龍角寺古墳群がある場所を「風土記の丘」と呼ばれています。その風土記の丘の中に古い民家が2軒あります。「旧御子神家住宅」と「旧平野家住宅」です。自転車との記念撮影は「旧御子神家住宅」でした。

こちらが「旧御子神家住宅」を正面から撮りました。
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居間の部分です。囲炉裏が印象的ですが内部は想像以上に広かったです。
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土間には竈がありました。こちらが煮炊きを行ったのでしょう。
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こちらが「旧平野家住宅」です。大きな庭があるのですが正面からだとファインダー内に入りませんでした。
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旧平野家住宅は旧御子神家住宅よりさらに大きかったです。
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昔の道具類が並べられていました。
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古民家の航空写真を紹介します。2つの古民家は114の古墳で構成された龍角寺古墳群の中にあり、近くには旧学習院初等科聖堂や、岩屋古墳もあります。このあたりで有料の施設は昔の村を再現した房総の村と房総風土記の丘資料館だけで、後は古民家も含めて全て無料なのがうれしいです。航空写真上のアイコンマイナスを数回クリックすると周辺地域が判ってくると思います。
  旧御子神家住宅    旧平野家住宅


気持ちがいい橋があったので撮られてもらいました。 散策マップを見てもらえれば、この辺りの雰囲気が判ると思います。
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房総の「八つの井戸」伝説 [風習・歴史]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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龍角寺地区および酒直地区には、きれいな水が湧く八つの井戸があり、民話にもなっているそうです。龍角寺でもらった散策マップを頼りに自転車で探し当てました。

その一つを訪ねてみました。説明には平安時代より伝わる古井戸とありました。
このあたりには7っの民話が残っているそうです。その中の一つが「八つの井戸」です。写真をクリックすると文字が読める大きさになります。
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ネットで調べた7つの民話です。
その一三ヶの岩屋」…岩屋古墳のあたりに妖怪が住んでいて、人々がそのすみかの前で膳や椀などを借りたいと願い事をすると翌朝その願いが叶えられました。
その二八つの井戸」…人々は清水の湧く八つの井戸を使っていましたが、不便さからほかの場所に井戸を掘ると、その家に必ず不幸が起こりました。
その三親は古酒、子は清水」…岩屋古墳そばの湧き水は親が飲むときには古酒で、子どもが飲むとただの清水でした。
その四坂田ヶ池の片歯梅」…坂田ヶ池で度々水害が起こるので母子を人柱としたところ、子どもがかじっていた梅の実から木が生え、その梅の実にはかじったような歯の跡がありました。
その五龍燈腰掛の松」…雨請いの祈祷をしていたとき三つに割れた龍の頭部が現れ、松の老木に掛かりました。
その六村雨返しの松」…村のはずれの松の老木を境にして一方では雨が降り、他方では降らなかったりしました。
その七不増・不減の石」…龍角寺境内の塔跡の石のくぼみに溜まった水は天気にかかわらず増減しませんでした。

この散策マップを探してもらってください。便利です。民話のことも書かれています。散策マップをクリックすると地図が出るので「八つの井戸」を探してみてください。
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八つの井戸は龍角寺から徒歩で3分の距離です。
ナビで行く人のために住所を紹介します。
  龍角寺    千葉県印旛郡栄町龍角寺239
  八つの井戸 千葉県印旛郡栄町龍角寺671付近


8ケ所の「八つの井戸」の全ての場所を紹介します。いつかはすべて見に行きたいと思います。
   八つの井戸
   龍角寺
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インドの会社の昼食 [インド]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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インドの三大財閥の一つの会社の会議室で、その会社の人たちと昼休みにランチをいただきました。焼き飯に焼きソバにビザです。この日はピリ辛の肉団子もついてきました。いろんな料理が無造作に盛り付けられていますが、なかなか美味しいくて完食でした。インドらしからぬ昼食だったので掲載させてもらいました。写真はクリックすると拡大します。

ピザと肉団子を拡大いたしました。
インドの三大財閥とはタタ財閥、ビルラ財閥、リライアンス財閥です。
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焼き飯に焼きそばも拡大いたしました。ソースが置かれており焼きそばに、かけると日本のソース焼きそばの味になりました。不思議な気がして聞くとすべてテイクアウトのお店に頼んで配達してもらったそうです。どうやら日本人を意識してランチを選んでくれたようでした。
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ランチの後も会議が続きました。


驚きのイタリアンレストラン [インド]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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なぜ驚きなのでしょう。 → これがインドのイタリアレストランだからです。驚きと言うとインドの人に失礼かもしれませんがイメージが変わりました。
実はインドの人の希望で気軽にこの日の昼食はイタリアンにするつもりでした。せっかくなのでムンバイで高級なことで評判のお店に来てみて驚きました。驚いたのは、その雰囲気と料理の綺麗さと値段の高さです。
高いといっても日本の高級店程度ですがインドの物価を知っているので異常に高いと思ってしまうのでした。
上の写真も入れて前菜の3種類を紹介いたします。上の前菜はサラダと鶏肉です。真中の丸く丸めたパンに入っているのがサラダです。

1つ目の前菜を拡大いたしました。これは量が少ないので2皿頼みました。トリュフなどが乗っています。インドは高級品やお酒の関税が高いので、輸入食材を使っている場合は海外で食べるよりも高いケースが多いです。


2っ目の前菜です。魚料理のフリッターがおいしいソースの上に乗っています。これも2皿頼みました。
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上の写真はクリックすると拡大しますがクリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
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3っ目の前菜です。これはスモークサーモンです。これは数が沢山あるので2皿の必要がありませんでした。


3っ目の前菜を拡大いたします。こちらのシェフが丁寧な仕事をしていることがわかってもらえると思います。キャビアとハーブが乗っています。


上の3つの前菜は、それぞれ個人のプレートに取分けてもえました。


オリーブオイルは3種類が選べます。インドでは珍しく女性の給仕の人がオイルを持ってきてくれました。


オイルを2種類選びました。 辛味のある黒いタバスコのようなものも入れてくれました。パンやステックを付けて食べました。


ここでの輸入ワインの値段の高さには驚きでした。最低でも数万円なのです。迷わずインドワインを頼みました。比較的高級なシーフード店では2700円程度でしたが、ここでは一番安いインドのワインが9000円でした。ちょっと痛手でしたが結構おいしいのに驚きでした。実はインドは高地でワインに適した地域があって、おいしいワインが作られているのでした。ちなみに街で売られている一般的なインドの高級ワインは1500円程度だそうです。


ワイングラスの大きさには度肝を抜かれました。30cm以上の高さはあったと思います。飲んだときにワインの香りが非常に感じられるので大きいワイングラスも意味があることを実感しました。家では大きすぎて入れるところがありません。
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こちらのお店ではパスタが2000円くらいです。メイン料理で4000~5000円です。前菜で1800~2500円でした。
ランチで一品5000円もするメイン料理を頼むのには抵抗があったのでパスタ(スパゲッティー)にいたしました。でもスパゲッティーにはも大きな海老がついていたので大満足でした。前菜はシェアーいたしましたが、パスタは一人一皿です。しばしインドであることを忘れてしまう空間でした。
ただしメニューにはインドらしい、例のベジとノンベジのマークがありました。
  ベジタリアン用マーク    ノン・ベジタリアン(肉OK)用マーク
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スパゲッティーの拡大写真を掲載いたします。


大きな海老なので海老の写真も掲載いたしました。クリックすると、さらに拡大いたしました。
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龍角寺 [風習・歴史]

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以前の9月5日に1300年前に開かれた龍角寺に行きましたが、後でネットで見ると見損ねたところがありました。先週は車で行きましたが、家からは往復60km程度で比較的気楽に自転車で行ける距離なので9月13日は自転車で行ってみました。前回の冒頭の写真につかわさせていただいた入口の階段です。今回、掲載した写真はクリックすると全て拡大します。気になる写真があればクリックしてみてください。

手前の建物が土蔵で出来た薬師如の収蔵庫です。向こう側の拝殿とつながっており間の扉を開けると拝殿側から薬師如を見ることが出来ます。この日は、7時半と朝早かったので、まだ扉が開いていませんでした。
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これが、前回の時に見なかった1933年(昭和8年)4月13日に国が指定した塔の史跡です。龍角寺境内の塔址 - 建立当初は33メートル程の三重の塔が建っていたと推考されています。現存する花崗岩は、塔の中心を通る柱の基礎です。またこの中心礎は"不増・不滅の石"といわれ、柱が収まる穴に溜まった水は、大雨でも日照りでも増減しなかったと言い伝えられています。
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寺の一番奥に当たる校倉作り資料庫の裏には趣きのある石碑が沢山ありました。『佐倉風土記』等の伝えるところによれば、和銅2年(709年)竜女が現れ、金の薬師如来像を祀ったのが創建とされ、天平2年(730年)釈命が寺として整備し「龍閣寺」と号したそうです。伝承によれば、翌天平3年(731年)この地域が干ばつに見舞われたとき、釈命が祈祷したところ、印旛沼の龍が天に昇って雨を降らせたが、その龍の体は3つに分かれて地上に落ちてしまい、その3つに分かれて死んでしまった龍の頭の部分をこの寺に祀り「龍角寺」と改称したといわれています。伝承では龍の腹が落ちた地の寺が龍腹寺(千葉県本埜村)、尾が落ちた地の寺は龍尾寺(千葉県匝瑳市大寺)という名前になったといわれています。
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少し趣の違う石碑もありました。当地には古代から仏教寺院が存在したことは間違いないそうです。発掘調査によって、金堂が西、塔が東に建つ「法起寺式伽藍配置」の遺構が検出され、出土する瓦の様式編年から、この地には7世紀後半には伽藍が存在したことが明らかとなっているそうです。これは上記『佐倉風土記』の伝える草創伝承よりもさらに古い年代でだそうです。
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クリックすると拡大現存する114基の古墳で構成された龍角寺古墳群のリストを作ってみました。栄町教育委員会ホームページのデーターを元にしています。全長の数値は円墳の場合は直径で、方形の方墳は1辺の長さです。右の写真は101号の円墳です。この古墳だけ発掘調査に基づき、古墳がつくられた当時の様子を復元しています。
龍角寺古墳 クリックするとオリジナルの新資料を表示します。

龍角寺( )の場所を紹介いたします。



2009年9月6日掲載 タイトル:2009年は龍角寺開基1300年

千葉に前方後円墳、円墳および方墳が判っているだけで114基もある全国最大規模の龍角寺古墳群があることはあまり知られていないと思います。そのすぐそばに龍角寺がありますが、その龍角寺も知られていないと思います。新聞に紹介されていた御蕎麦屋さんに2009年9月5日に昼食を食べに行っき、帰りに、久しぶりだったので龍角寺古墳群に行って見ました。そして、そこから龍角寺まで700mと書かれていたので散歩がてらに龍角寺まで歩いてみました。行くまでは龍角寺がどんなお寺かも知りませんでした。来てみて知ったのが、寺と言っても金堂や門はありませんが建物の跡が当初のかたちに残っている歴史的に価値のある史跡のようなお寺でした。この階段が寺への入口です。関東で最も古い寺の一つであることも知りました。
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階段を上がると地面に石の基礎らしいものがありました。これは仁王門跡です。奥の小さな建物が拝殿でその奥の収蔵庫に薬師如来坐像が安置されています。実は薬師如来坐像の頭部は1300年前のもので、歴史的に価値があると知りました。拝殿の前に立っていると住職さんらしい方から声を掛けられて拝殿の中に入ることが許されて薬師如来坐像を拝観させてもらいました。


これが薬師如来坐像です。大きさは人間とほぼ同じ大きさでした。実際に拝殿の中に入れていただき拝観させていただきました。龍角寺開基1300年記念事業として特別拝観が行われており、偶然ですが、訪れた日(2009年9月5日)がその初日だったのです。あの高野山が2015年に開創1200年を迎えることから、それより長い1300年は歴史を感じさせてくれます。
薬師如来坐像は写真撮影禁止なので拝殿の横の説明書きの写真を撮らせていただきました。薬師如来坐像は709年ごろの作と言われています。ただし火災にあい胴体は溶けてしまいましたが頭部だけが残り元禄正徳ごろに全体が修復されたそうです。すなわち胴体と頭は年代が違うそうです。と説明をしてもらいました。
薬師如来坐像は国重要文化財で千葉県内最古の白鳳仏でもあることも知りました。

建物の手前の広場が金堂跡です。建物は校倉作り資料庫です。高さ33mの塔もあったようで、その跡も史跡ととして残されています。塔跡のことは後で知りました。
 所在地  千葉県印旛郡栄町龍角寺239
 山号   天竺山
 宗派   天台宗
 本尊   薬師如来
 創建年 伝・和銅2年(709年)
 中興年 承久2年(1220年)
 中興  上総介平常秀
 正式名 天竺山 寂光院 龍角寺
 文化財 銅造薬師如来坐像(国重要文化財)
       龍角寺境内の塔址(国史跡)
       龍角寺出土遺物(県文化財)


校倉作り資料庫は茅葺ですが上をトタンで保護しています。 校倉作り資料庫は明治初期建造の物で、当初、宮内庁下総御料牧場にあった物ですが、空港建設に伴い境内に移築されたそうです。


拝殿と金堂跡の間には左右に石塔が並んでいました。こちらが右側で

こちらが左側です。龍角寺が開かれたのが709年とのことなので今年(2009年)が丁度1300年目になり、の丁度1300年目に訪れたのも偶然でした。


奥の二荒神社の近くにあった石碑です。これの年代は江戸時代のようです。薬師如来坐像の特別拝観は9月5日、9月6日、10月3日、10月4日、10月11日、10月18日、10月25日、11月3日、11月8日、11月15日と限られた日です。
詳しいイベントはこちら→ポチッ


航空写真で龍角寺を紹介します。

サンクトペテルブルグからフランクフルト ルフトハンザドイツ航空 [機内]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
エストニア国境近くの小さな村を7月1日9時に車で出発してロシアのサンクトペトロブルグ空港を14時45分発のフライトでフランクフルト経由で帰りました。時間的にはモスクワ経由が早いのですが成田へのモスクワ線は安いキップがなく結果的にかなり高くなってしまうことから来るときと同じフランクフルと便にしました。
サンクトペテルブルグからフランクフルトへのフライトは、通路側を希望した予約をしていたことから1D(通路側)の席になりました。
下の写真の通路の一番前の席が私の席でした。あとから登場してきた御夫婦らしい人の席が1Fと4Fだったのですが、なにやらキャビンアテンダント(CA)の人に相談をしていました。おそらく私の席(1D)と4F(窓側)の席交換してもらえないかの相談と思えました。予想通りCAの人がこられて、4Fの席に移ってほしいとお願されました。
滅多にないことだし、お願いされたら、気持ちよく移るしかないですね。(笑)
そして下の写真を撮っている場所が4Fの席です。バルト3国の上を飛ぶ今回のコースは、きれいな景色が見れると思われたので、窓側に魅力を感じて、通路側にしたことを少し後悔していたので丁度よかったです。


一般的には1Cと1Dが、到着した場合は早く降りれるし気兼ねなくトイレに行けるので一番人気があるので、CAの人も私に席移動、依頼することには気兼ねがあったと思います。
ちょっと驚いたことがありました。飛び立ってすぐに男性のCAの人が、私のところだけに来て「料理は魚にしますか。ビーフにしますか。」と日本語で聞きに来られました。迷わず「魚にしてください。」と日本語で答えました。事前に料理の選択を聞いたのは私だけでした。そして「飲み物は何になりますか。」とまた日本語で聞かれました。クリックすると拡大日本便でもないのに日本語が出来るCAの人が乗っているのに驚いたわけです。今までに、一度だけありました。それもルフトハンザでデュッセルドルフからシカゴに行くフライトでした。
聞かれた飲み物は、もちろんビールを頼みました。ドイツのルフトハンザは飛行機に乗せているビールは瓶ビールで美味しいのです。
魚はキャベツで巻いたサーモンでした。サーモンの皿に乗っていたのは豆のような形をしたパスタのような食べ物でした。チキンが乗ったお皿の黄色いものはモロッコ料理でよく出てくるクスクス(CousCous)に似たものでした。
フランクフルトからは日本便に乗ることが判っていたので味見する程度にしましたが、ビールのツマミとして、楽しませてもらいました。デザートは紅茶を出してもらい食べましたが意外と美味しかったです。
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せっかく窓側に乗ったので窓の景色を紹介いたします。サンクトペテルブルグを飛び立ってすぐの景色です。サンクトペテルブルグ空港が見えます。空港の向こう側がサンクトペテルブルグの町です。ここから下の写真はすべてクリックすると拡大します。
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この景色はサンクトペテルブルグからバルト三国の一つであるエストニアとの国境までのロシア領の景色です。
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ここはラトビアからリトアニアの地域に入るあたりだと思います。
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着陸1時間前なのでバルト海からポーランドに入るあたりだと思います。海岸線がきれいです。
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フランクフルトです。ヨーロッパは町の中心辺りは高層ビルの建設規制をしているため、高層ビルは見ることは滅多にありませんがフランクフルトは高層ビルが林立していました。ヨーロッパの他の町とは違う景観です。
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サンクトペテルブルグ( )からフランクフルト( )までのルート()です。
細い青色のライン()はフランクフルトから成田への帰国便のルートです。
この時の飛行機での移動は成田→フランクフルト→ベルリン→サンクトペテルブルグ→フランクフルト→成田でした。

成田⇔モスクワのフライト [機内 CY]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

こちらでは成田⇔モスクワの往復のフライトを紹介します。先ずは4月25日の成田からの出発便の写真を掲載いたします。この日の食前のお酒は写真のシャンパンにいたしました。銘柄はシャンパーニュ・ドゥラモット・ブリュットでした。

これが成田→モスクワの機内食です。驚いたことにネットの写真②と違いました。箱の部分がネットでは9つに分割されカラフルな箱ですが、実際には6つに分割され色はシンプルなものでした。ただし一つの枡に2つが入ったりして料理の内容は、ネットと同じものでした。
名称は「ふる里山海御膳 ~徳島~」で箱の中は
カワハギと鳴門若布磯巻玉子 芽キャベツ 寄せ地餡掛け 湯葉と大根の黄身酒盗掛け 春野菜 辛子酢味噌添え 豚ロース照り煮 ぜんまい信田巻 筍旨煮 赤蕪漬けと壬生菜漬け
で台の物は鯛の渦潮焼でした。お米は新潟県魚沼産コシヒカリを使用し、機内で炊きあげたものがだされました。
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最初はシャンパンでしたが途中と食事の後もビールをいただきました。た。すると沢山のおつまみをいただきました。


チーズでもビールをいただきました。


デザートはこちらのケーキです。


日本海を抜けるころに珍しい雲が見えたので紹介いたします。写真はクリックすると拡大します。
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4月28日発 4月29日着の帰国便での機内食も紹介いたします。この日は最初からビールにしました。


こちらが料理です。いろんな料理に味噌汁にご飯です。
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飯蛸旨煮 菜の花山葵醤油漬け エシャレット諸味噌添え チーズしんじょ 牛肉葱巻 鱈子昆布巻 杏子紫蘇漬けと盛りだくさんです。飯蛸とエシャロットがビールにあいました。
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左が「うるいと桜海老のお浸し」で右が「烏賊と海老の酢味噌掛け」です。


これは黒米入り豆腐と蕗蒟蒻煮です。


台物は鰆・若布蒸しです。
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デザートはいろんなものの中から選びます。ケーキだけで5種類あったと思います。フルーツも頼みました。


飛行機はシベリアの上を飛んできて、真北から日本に帰ってきます。ロシア語の表示の時に画面を撮りました。


到着20分前です。栃木県あたりの山だと思います。



4月25日掲載 タイトル:今日からロシアに行ってきます。

4月25日の10時55分発のフライトでロシアに行ってきます。
ただし1泊5日の旅となりました。上の予定のように4月25日に成田から直行便の10時間15分のフライトでモスクワに行き到着した日はホテルに泊まります。ところが、その後がスケジュールがなかなかのものなのです。
ロシアでは4月26日の夕方(19時29分)のモスクワ発の夜行列車に11時間31分乗り、4月27日の7時00分に目的の町に着きます。
そして、その日(4月27日)も夕刻(18時00分発)の夜行列車に乗り12時間かけて翌日(4月28日)の6時00分にモスクワへ戻ってきます。
そして4月28日の18時05分のモスクワ発のフライトで9時間20分かけて成田に戻ってきます。成田に着くのは4月29日の8時25分の予定です。
ホテルに泊まるのが1泊だけなので1泊5日の旅と申し上げました。列車の中で2泊なので、正確には3泊5日なのかもしれません。このような予定なので1日目のホテル以外ではインターネットが出来ないため nice や コメント や 記事のUP が出来ないことが長く続くことをお許しください。

成田発のフライトの機内食は行き先の距離によって内容が違います。その違いをネットから調べたので掲載いたします。比較はCクラスの日本食で行いました。ちなみにモスクワ行きは上から2番目のランクでした。10時間以上も乗るので一番上のランクにしてほしい気もします。

① ロサンゼルス、シカゴ、ニューヨーク、パリ、フランクフルト、ロンドン線の機内食です。


② バンクーバー、シドニー、クアラルンプール、ハノイ、ホーチミンシティ、モスクワ、デリー線の機内食です。つまりこれが今回のフライトの日本食の機内食です。デザートは右の写真です。帰国後、生の写真を追加掲載させてもらうつもりです。


③ ジャカルタ、シンガポール、バンコク線の機内食です。


④ ホノルル線の機内食です。


⑤ グアム、マニラ、上海、北京、香港、広州、大連、台北、高雄線の機内食です。


⑥ ソウル、プサン線の機内食は「華いろ創作寿司御前シリーズ」ですがネットでの写真掲載はありませんでした。


成田発のモスクワ線の洋食も紹介いたします。下記の2種類があります。
こちらが洋食Aです。


こちらが洋食Bです。



参考に欧米線のFクラスの食事も紹介いたします。
こちらが日本食です。食事を検索するサイトです。→ポチッ


そしてこちらが洋食です。飲み物メニューはこちらです。→ポチッ

キエフからヘルシンキ ウクライナ国際航空 [機内 CY]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

6月30日~7月14日にカザフスタンとウクライナに行った時の最後の記事です。上の写真はウクライナのキエフ空港で、乗る飛行機を撮ったものです。
ウクライナでは3つの航空会社の飛行機に乗りました。カザフスタンのアルマトイからウクライナのキエフに乗ったのが下記リストの6番目のアエロスヴィット航空(VV)でウクライナ国内移動に使ったのが下記リストの38番目のドニプロアヴィア(Z6)でした。ウクライナの航空会社で最後に乗ったのが帰国のために、キエフからヘルシンキのフライトで使った下記リストの18番目のウクライナ国際航空(PS)でした。ヘルシンキからはフィンエアで成田に向かいました。
下記がウクライナの航空会社ですが、ウクライナは本当に航空会社が多い国でした。多い理由は地域ごとにその中心都市に本拠を構える中小の航空会社が重要な位置を占めている状態だからだそうです。沢山の航空会社があるように見えますが実態は、我々が国際線で乗ったアエロスヴィート航空とウクライナ国際航空が大部分を占めているようです。
  1. AAR航空
  2. アエロチャールテル・エーイルラーインズ
  3. アエロミースト・ハルキウ
  4. アエロセールヴィス・カールゴ
  5. アエロスタール
  6. アエロスヴィット航空
  7. アエロヴィス航空
  8. AGO
  9 エーイル・ボヨーマ
 10. チャイカ
 11. IREN航空
クリックすると拡大 12. ハルキウ航空
 13. キロヴォフラード航空
 14. ARP 410航空
 15. ターヴリヤ
 16. ウクライナ航空
 17. ウクライナ航空貨物
 18. ウクライナ国際航空
 19. ウルハ国際航空株式会社
 20. ANTAU
 21. アントノフ航空
 22. アントノフ貨物
 23. アルテム・アヴィア
 24. AS航空会社
 25. エア・トランス・インテリジェンス
 26. アトラントSV航空
 27. アヴィアーント
 28. アゾフ・アヴィア
 29. アヴィア・タクシー
 30. ブコヴィーナ
 31. ブーソル航空
 32. CABI航空
 33. チャレンジ・アエロ
 34. コルムブス・アヴィア
 35. コンスタンタ・ステイト・エーイルレーインズ
 36. クルィーム国際航空会社
 37. DM国際航空
 38. ドニプロアヴィア
 39. ドネーツィク航空
 40. ドンバスアエロ
 41. ホールリツァ
 42. ホセバSIC
 43. イリイチ・アヴィア
 44. ISDアヴィア
 45. ハルキウ航空会社
 46. ホリウ・アヴィア
 47. ホルス航空会社
 48. インデペンデント・カリエル
 49. KROCN
 50. ルハンスク航空
 51. リヴィウ航空
 52. エーイル・ピーヴァ
 53. モトール・シーチ
 54. オデッサ航空
 55. ポジーリャ・アヴィア
 56. リーヴネ・ウニヴェルサール・アヴィア
 57. セヴァストーポリ・アヴィア
 58. ショウコーヴィイ・シュリャーフ
 59. シリウス航空
 60. 南方航空
 61. UESアヴィア
 62. ウクライナ航空同盟
 63. ウクライナ航空会社
 64. ウクライナ航空安全アカデミー
 65. ウクライナ国立航空
 66. ウクライナ貨物航空
 67. ウクライナ飛行士学校
 68. ウクライナ地中海航空
 69. ヴォラーレ
 70. ヴェテラン航空会社
 71. ユジュマシャヴィア
 72. 国立航空交通サーヴィス会社
 73. トランス・キエフ
 74. ウェスト・ハリコフ

旧ソ連圏で飛行機に乗る場合は機種が気になりますね。今回、報告のウクライナ国際航空(PS ウクライナ)の保有機の内訳です。
  アントノフAn-24    1機 航空会社側では保有機に含めていない。
  ボーイング737-300 4機
  ボーイング737-400 5機
  ボーイング737-500 6機
座席はヨーロッパ内を移動する飛行機と同じでYクラスでもCクラスでも同じ座席が使われています。ただし、Cクラスの場合はヨーロッパ内と同様に真中の席が空いています。


空の景色です。日本に帰ってしまうと思うとなごりおしい気持ちになります。


ここでもビールは全て500mmlのロング缶でした。カザフスタンとウクライナで沢山乗りましたがすべてロング缶でした。


機内食も紹介しておきます。リンゴの皿に乗っているサンドイッチです。
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こちらがサラダです。バジルがふんだんに使われていました。
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緑のドレッシングもバジルがふんだんに使われていました。
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こちらがメインのポークステーキです。ロシア圏では、ごはんがよく食べられていました。ウクライナの航空会社の機内食でも出てきたので、ごはんがよく食べられていることを確信いたしました。


デザートは紅茶です。紅茶のパックもウクライナ色でした。


アエロスヴィット航空では機体がきれいな黄色と青のウクライナ国旗の色でしたが、ウクライナ国際航空は備品やキャビンアテンダント(CA)の方の制服がウクライナ国旗と同じ黄色と青のウクライナ色でした。ウクライナは国旗の色を大切にすることが判りました。
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ヘルシンの着陸寸前の景色は必見です。ヘルシンキに下りる機械があれば是非とも窓の外の景色を見て欲しいです。ヘルシンキからは初めてフィンエア(フィンランド航空)に乗って、帰国いたしました。→ポチッ


今回の旅は9回飛行機に乗り、次の6社の航空会社の飛行機に乗りました。KCには3回、Z6に2回、乗りました。搭乗券が8枚なのはカザフスタンでチケットレス(Webチェックイン)で1便乗ったからです。
  アシアナ航空(OZ)  韓国
  エアーアスタナ(KC)  カザフスタン
  アエロスヴィット航空(VV)  ウクライナ
  ドニプロアヴィア(Z6)  ウクライナ
  ウクライナ国際航空(PS)  ウクライナ
  フィンランド航空(AY)  フィンランド
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インドの子供たち [インド]

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インドのアーンドラ・プラデーシュ州 (アンドラプラディシュ州)の小さな村で行われた、ある小さな式典で集まったインドの子供たちとお母さんたちです。カメラを向けるだけで楽しそう。こちらも楽しくなってしまいます。
最近掲載した記事の中に同じタイトル「インドの子供たち」がありました。

こちらは子供たちとお父さんたちです。でもいずこも同じかな! 小さな式典と言っても集まった人たちは数千人で動員された警察官は500人でした。
警察官が500人? なぜならばAndhra Pradesh州のイェドゥグリ・サンディンティ・ラージャシェーカル・レッディ首相(Yeduguri Sandinti Rajasekhara Reddy首相)も参加したからです。Andhra Pradesh州は75,727,000人で23の県があります。州都はハイデラバード
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子供たちはほんとうにうれしそうでした。
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こちらは前記事で紹介したハイデラバードにあるゴールコンダ城塞で出会った子供たちです。カメラを向けるとみんなが集まってきてくれました。


ムンバイのマリンドライブ沿いのビーチです。
インドで海水浴の風景は珍しいので自然な感じを写真に撮としたら全員上がってきてしまいました。
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ゴールコンダ城塞(Golconda Fort) ハイデラバード [インド]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大ハイデラバード(Hyderabad)には見事な城があります。ハイデラバードの訪問時に見にいきました。正式名はゴールコンダ城塞(Golconda Fort)で、巨大な要塞です。ネットではゴールコンダ砦やゴールコンダ要塞の呼び方がおおいけれど、実際に見ると、ゴールコンダ城あるいはゴールコンダ城塞と呼ぶ方がイメージが合います。ゴールコンダ城塞はカーカティヤ朝の1143年にゴールコンダの岩山に砦を建設したのが始まりだそうです。その時は泥の砦だったそうです。その後、バフマニー朝を経てクトゥブ・シャーヒー王国(ゴールコンダ王国 1518 ~1687年)を建国した初代君主スルターン・クリー・クトゥブル・ムルクがゴールコンダを首都と定めるとともに古ぼけた泥の砦を強固な石造りのゴールコンダ要塞都市として再造営したそうです。さらに4代国王イブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャーおよびその息子の5代国王ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーの治世62年間に要塞都市は強固な城塞となったそうです。
広い場内には、通路が突然狭くなったり、高い城壁の間に敵を招き入れて城壁の上から攻撃で殲滅する仕掛けなどが見られます。ゴールコンダ王国の歴代君主は次の通りです。年数は戴冠(即位)年を表しています。第3代君主スブハーン・クリー・クトゥブ・シャーは6歳で戴冠して在位期間は7ヵ月でした。
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 2.1543年 ジャムシード・クリー・クトゥブ・シャー
 3.1550年 スブハーン・クリー・クトゥブ・シャー
 4 1550年 イブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャー
 5 1580年 ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャー
 6 1612年 スルターン・ムハンマド・クトゥブ・シャー
 7 1626年 アブドゥッラー・クトゥブ・シャー
 8 1672年 アブル・ハサン・クトゥブ・シャー

1687年にゴールコンダ王国はムガル帝国(1526年~1858年)のアウラングゼーブ皇帝指揮の第三次遠征軍の大攻撃を難攻不落のゴルコンダ城塞に篭城(ろうじょう)して、長期にわたる包囲攻城戦を持ちこたえたそうです。しかしながら城内のアフガニスタン戦士アブドゥッラー・カーンの裏切りにより、1687年9月21日早朝、キールキー城門からムガル帝国軍が侵攻し、ゴールコンダ王国守備軍はアウラングゼーブ帝遠征軍に陥落したそうです。同時にゴールコンダ王国の滅亡となりました。

上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
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広さを実感してもらいたいのでGoogle地図での航空写真で、ゴールコンダ城塞(Golconda Fort)を紹介します。ゴールコンダ城塞の東側(右側)の方向がハイデラバード(Hyderabad)の町になります。航空写真上のマイナスのアイコンを数回クリックするとハイデラバードの町の中心との位置関係がわかってくると思います。


こちらが城塞(城、砦、要塞)の入口です。インドの人の入場料は我々外人より圧倒的に安く設定されており沢山の人が見に来ています。みんな楽しそうだったですね。クリックして拡大すると多少表情が判ります。城にはユニークな通信システムがあったそうです。正面玄関のアーチの下で手を打つと、アーチの反響効果により30-40m以上離れたバーラー・ヒサールや、別の地点へその音が明瞭に伝わるそうです。この通信システムは現在も機能するため、正面玄関は観光客が立ち止まり、手を打つ格好の場所となっています。
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入口を入ると岩山に作られた城だとわかります。ゴールコンダ城塞は、巨大な花崗岩の3重壁で取り囲まれています。最外壁は小砦を一つ持ち、小丘上を取り囲む設計だそうです。2番目の壁は丘の麓に沿って、3番目は巨石群を取りこんで、丘の斜面に建設されています。外壁の厚さは5~10mで、巨大な花崗岩ブロック製です。北東の角には、城の一角から突き出ていて、その両側の長大な外壁を一望できる「大腹稜堡(ペトラ・ブルジ)」があり、そこにファテヒー・ラーフバル砲が据え付けられていました。
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さらに城の頂上を目指しました。険しい道が続きます。
ムガル帝国王子だったアウラングゼーブ率いる1656年のムガル帝国第二次遠征軍を防ぐために9つの丸突起の稜堡がつくられたそうです。この稜堡は、当時、アブドゥッラー・クトゥブ・シャーの将軍だったムーサー・ハーンによって設計され、建築家のダーマチャールによって増設されたものだそうです。
頂上には宮殿の一つBaradariが建っています。


急勾配の階段の部分で記念写真を撮りました。


城の頂上が見えてきました。城は、高さは122mの孤立した花崗岩の丘の上に、壮麗にそびえ建っていました。
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城の頂上から下を見ると万里の長城のような景色を見ることができて、この城郭の大きさを感じられます。城の上から見ると城壁が永遠と続いているのが判ります。城外郭は丘に沿うように、そして城を囲む外壁は、いびつな菱形状に設計されているそうです。頑丈な銃眼を持つ最外壁は、外周囲7km近くにも及び、さらに周囲に深い堀を持ち、高さが15-18mもある87の半円形稜堡(ブルジ)、8つの巨大な門がありました。
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沢山の部屋があり城の規模が判ります。この景色からもゴールコンダ城塞が屈指の要塞都市であったことが伺えました。驚いたことに城内には陶器製パイプを利用した給水システムが、存在したことが明らかになっているそうです。このシステムにより飲料水は勿論のこと、いくつかの噴水も城内に作られていたそうです。王の謁見バルコニーには、特殊な視覚効果が施されていたと伝えられています。この仕掛けにより、別の場所にいる王の幻影を謁見バルコニー上に映し出し、万が一の刺客の攻撃から王を守ったと言われています。


城の上からはハイデラバードの町を望むことが出来ます。
ハイデラバードの町の中に大きな湖があります。この湖岸の一部が特に近代化されていました。街並み、近代的な電車など 特に驚いたのが普通の部屋に大型の薄型テレビが壁に掛けられていたことですね。この町はデジタル産業で裕福になりつつあるところなんです。ちなみに薄型テレビは日本製でした。
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ここでも子供たちに会いました。子供たちは写真が大好きですぐに寄ってきてくれます。撮った写真を見せてあげると喜んでいました。ゴールコンダはGolkondaあるいはGolkondaで、「羊飼いの丘(Golla konda)」が語源になっているようです。ゴールコンダ地区はダイアモンドを含む宝石の世界的な鉱山があることでもでも知られています。ゴールコンダ城塞の城壁内ではダイヤモンド取引が行われていて、ダイヤモンドのための金庫室があったことでも知られています。


1906年に描かれたゴールコンダ城塞の絵と、撮った位置は違いますが類似の構図の現在の写真ををWikipediaから拝借いたしました。 
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城から降りてお土産を買いに行きました。
インドと言えば紅茶なので、街の紅茶屋さんで、お土産として紅茶を購入しました。店の奥には大きな袋が沢山積み上げられているのに驚かされました。それを見て、インドの人は紅茶をよく飲むことを実感させられました。新しいと香りがいいので、地元の人たちは少しずつ小まめに買いに来るそうです。確かに、我々が買っている間も、次から次へと買いに来ていました。 
我々が多量に買ったのに驚かれましたが、お土産に持って帰るとわかって納得でした。同時にホクホク顔でした。 おじさんが手に持っているパッケージを全員で40個ほど買いました。たぶん数日分の売り上げになったと思います。
地方の町だし土産物屋でないので、べらぼうに安かったです。同じ値段で、デリーの土産店の10倍は買えたと思います。
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街の紅茶屋さん前の通りの写真です。雰囲気が判ってもらえると思います。
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ゴールコンダ城のあるハイデラバードの場所を紹介します。

巨大ニンニク [話題]

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近くの野菜直売所「樫の木」には珍しいものや規格外の物が時々並びます。直売所で目に入ったのが大きなニンニク(大蒜)でした。ニンニクは焼いて食べるのが好きなのでさっそく買って帰りました。大きさを実感してもらうために外国産の市販のニンニクと卵を並べて写真を撮りました。巨大さが判ってもらえたでしょうか。

先日、紹介したシソを買った直売所と同じところです。
この大きさで250円(税込)は安いと思いませんか。六輪と呼ばれるニンニクと同じく、中の一粒一粒も大きそうでした。609は生産者を表しています。生産者がこちらの直売所に持ち込むシステムになっており、その登録番号が609なのだと思います。シソの生産者番号も609だったので同じところで作られたものでした。


さっそくオーブンで鶏肉一緒に焼きました。
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ニンニクはかなり大きくて肉を焼く時間ででは足らないようなので、電子レンジで3分追加で加熱しました。
   目 : キジカクシ目  Asparagales
   科 : ヒガンバナ科  Amaryllidaceae
   属 : ネギ属      Allium
   種 : ニンニク     A. sativum
 学名 : Allium sativum
 漢字 : 蒜、大蒜、葫、忍辱
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鶏のもも肉は塩コウジで味を付て焼きました。
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やはりビールです。サラダなども用意いたしました。


クリックすると拡大こちらが野菜を盛り付けた皿です。
同じネギ科でニンニクに似た右の写真のジャンボニンニク(エレファントガーリック)といものがあります。そちらは無臭ニンニクとして販売されておりニンニクに近いけれども今回のニンニクとは別種です。
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野菜には塩とドレッシングを用意しましたが、ニンニクはそのまま食べれます。芋のように柔らかくてホクホクでした。
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脾臓摘出手術 手術跡はすっかりなくなりました。 [むさし]

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2015年6月11日掲載 タイトル: 脾臓摘出手術 退院しました。
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我家のワンコ(名前:ムサシ)が2015年6月8日に脾臓(ひぞう)の摘出手術を受けて、6月10日の16時に退院して、我が家に帰ってきた時の写真です。病気が発見されて、手術をして、退院するまでには、大変な経緯があったので紹介したいと思います。ワンコは2000年4月4日生まれなので15歳2ケ月での手術となりました。首につけているのは手術痕をなめることを防止のためのエリザベスカラーです。

病院の診察台の上のムサシの写真です。5月11日にフィラリアの検査で近所の動物病院に来た時から説明する必要があるのです。こちらの動物病院は現在は7名のお医者さんがおられて、当時は6名のお医者さんがおられて数年前から指定して、その中の一人のお医者さんにお願いしています。
フィラリアの検査は無事に陰性で薬をもらいましたが、年齢も高くなってきており精巣の摘出を薦められて、手術をを受けることにしたのです。


そこで翌日の5月12日に全身麻酔や手術に耐えられるかどうかを調べるために、血液検査やX線CTスキャンを行いました。肝臓の数値は少し悪いけれども、血液検査では手術は可能との結論でした。ところがX線CTスキャンで見ると、脾臓(ひぞう)が、いつ破裂してもおかしくないほど、腫れていたのです。そこで脾臓を緊急に摘出することになりました。写真は5月12日12時58分24秒に撮った、大きく脾臓が腫れている部分の映像です。5月12日の時点で腫れの大きさは直径5cmでした。
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下の図の赤枠の部分が脾臓(ひぞう)です。幸いにも脾臓の機能は脊髄などが代行出来ることから摘出しても命にかかわることはないのです。元気そうに見えても大きな病気を持っていたわけです。手術は急ぐのですが、こちらの動物病院では、毎日手術が行われていて、すぐに空きがなく1週間後の5月20日に手術を行うことに決めたのでした。実は、手術までの一週間に異変が起こったのでした。
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手術のために5月20日の12時にワンコを病院に預けました。家に帰って手術が終わるのを待っていると、13時40分に電話がかかってきてGTP / GOTなどの数値が正常値の10倍以上に高くなり、全身麻酔や手術に耐えられないので、手術を中止すると連絡が来て、すぐに病院に行きました。そこで数値の高さに驚かされました。確かに手術予定前から元気度はかなり落ちていました。
肝臓の薬を毎日、家で飲まして様子を見ることにしました。5月26日に再検査した結果、肝臓の状態を示す数値が下がっていましたが、5月26日の時点での脾臓の腫れの大きさは直径6cmになっており手術の緊急度はさらに高まっていました。ところがCRP(犬反応性蛋白)が21mg/dlと、異常に高くなっており、今回の経過の中で一番元気のない様子なので手術は無理な状況でした。緊急に元気にするためにステロイドを毎日あたえることになりました。ステロイドは副作用があり肝臓にはよくないのですが、手術が出来るチヤンスを作るために元気にする方を優先して飲ますことにいたしました。
6月1日から6月8日まで肝臓の数値が悪化しているのはステロイド剤の可能性があり、やめてから数値が下がっています。
私は5月27日~6月5日は中国に行っていたので、実はかなり心配していたわけです。6月1日に再検査したところ数値が手術出来るまでよくなったので、すぐに脾臓の摘出手術を6月8日に決めたわけです。


真中と右が肝臓の薬で、左がステロイド剤(プリドニン)です。薬の名前をクリックすると人間に対する薬の効用を表示します。
  スパカール 40mg
  ウルソデオキシコール酸 100mg
  プリドニン 5mg     手術後は中止


ピンク色がステロイド剤です。白い薬が肝臓の薬です。


赤血球と白血球の変化も参考に掲載します。手術の影響で白血球が一時的に上がりましたが正常値に戻ってきています。赤血球は少ない目ですが、現在の状況から見て心配のない範囲だそうです。6月8日は手術前の検査値です。6月17日の検査で赤血球は正常値まで上がったことから、摘出された脾臓の造血機能を脊髄が代わって行ってくれていること示してくれました。


5月29日は娘が、5月31日には息子が心配してお見舞いに来てくれました。
実は5月26日にはCRP(犬反応性蛋白)が21mg/dl以上と深刻な状況だったのです。この数値は突然死してもおかしくないほどの高い数値だそうです。写真は娘が持ってきてくれた御守りです。そのおかげかCPRは6月1日には4.5mg/dlまで下がり、手術の当日の6月8日には0.9mg/dl以下まで下がりました。御守りには鵜戸神宮御守護と書かれています。


CRP(犬反応性蛋白)の変化をグラフ化いたしました。ステロイド剤の服用との因果関係は私には判りませんが、いつ突然死してもおかしくないほどの高い数値を示していたCRP(犬反応性蛋白)が手術の当日までに劇的に下がったことが判りました。娘が5月29日にくれた御守りの願いが叶いました。実はムサシが一番好きなのが次男なのです。次男の6月31日の見舞いもムサシを元気づけてくれたのだと思います。
調べてみるとCRPの検査は炎症や組織破壊が起こると増加するために炎症の程度を把握するために行うそうです。ステロイド剤や免疫抑制剤が有効と書かれていました。
  1.0mg/dl未満  正常
  1.0~5mg/dl   軽度の「炎症・組織破壊」
  5~10mg/dl   中程度の「炎症・組織破壊」
  10mg/dl以上   重度の「炎症・組織破壊」


市販のドックフード(ドライ/缶詰)を残すなど、食欲も落ちていたので特別食を作りました。先ずは生のササミを茹でてほぐします。この時、ササミに包んで3種類の薬を飲ませるのです。
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マグロが体ににいいとのことなので先生に勧められて猫用マグロ缶を買ってきました。メーカーは「いばな」です。
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それに大好きな茹でたブロッコリーと、前から好きだったパンを軽く焼いたものを入れて特別食の出来上がりです。一番下にドッグフードが入っています。
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この特別食は喜んでくれました。毎日が誕生日のごちそうと言う感じでした。
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毎日、全て完食だったそうです。


私が6月5日に中国から帰国した時には、出発前と比べると、驚くほど元気になっていました。私が中国に出る前は短い散歩でもすぐに疲れてしまう状態でしたが、長く歩いても疲れなくなっていました。
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手術の予定日である6月8日は12時に病院に行き、今度は血液検査が終わるまで病院で待ちました。血液検査を行った結果、手術は可能とのことなので病院にワンコを預けて家で待機いたしました。13時から手術を始めて16時までかかる難しい手術になったそうです。手術では脾臓と精巣を摘出いたしました。
16時過ぎに手術が無事に終わったとの電話連絡が入りました。まだ眠っているので、面会は17時ごろが良いとのことなので17時に病院に行きました。よく頑張ってくれました。もちろん先生もムサシもです。
写真は手術後1時間後(17時10分)の写真です。まだ麻酔は完全に解けていないけれども我々が来ると立ち上がりました。


扉を開け面会させてもらいました。すぐに気がついて外に出ようとしました。仕方がないので扉を締めました。実は上の写真が扉を締めた時の写真なのです。
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こちらが手術の翌日の6月9日の朝のムサシの様子です。顔つきは元気そうでした。上で紹介した特別食を別々の容器に入れて持ってきました。その場では食べませんでしたが、夕食では食べたそうです。手術後17時間です。
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病院に6月10日の朝に行くと普通のドライのドックフードもバクバク食べたそうで、回復が早い上に家も近いこともあり6月10日の夕方に退院することになりました。普通ならはあと2日くらいは入院とのことでした。まだウンチが出ていないとのことなので、病院の近くを少し散歩をさせるとウンチもしてくれました。下の写真は、一旦、病院に預けて、家に戻って、16時前に迎えに来て、連れて帰るところの写真です。時間は16時6分です。


参考に脾臓の摘出手術の費用を紹介します。ただし精巣摘出手術も同時に行っているので単独の脾臓摘出手術費用ではありません。事前のCT・X線検査や血液検査費用や体力回復のための投薬代は含んでいません。術後の通院費や投薬代や内用薬代も含んでいません。ただし大きな費用ではないので合計で20万円前後だと思います。金額は消費税込みです。
内   訳適用金額
手術料90,000
麻酔料30,000
皮下注射抗生剤34,500
鎮痛剤34,500
止血剤11,200
点滴注射3日間12,000
内用薬料7日分1,400
7日分1,400
検査料血管36,000
生化学136,500
CRP12,000
入院料28,000
血管確保1,000
病理検査2臓器20,000
投薬2400
合計188,900

家に帰って、いつもの定位置に座りました。写真は6月10日16時48分です。長年使っていたソファーなので、新しいものに買え代えたのですが、ムサシ用に一つだけ残したのが、このソファーです。
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夕方の散歩にも出かけました。ただし、無理させてはいけないので100m程度にいたしました。それでもウンチとオシッコはしてくれました。1週間程度は感染症予防のための点滴が毎日必要なので通院する予定です。こちらの写真は6月10日16時58分です。つまり手術後49時間目の写真です。この後、上で説明の特別食を出すと完食でした。食欲があるのでひとまず安心です。
6月11日朝も150m散歩してウンチもオシッコもして朝食も元気な時と同じ量を完食しました。一時期に比べると散歩の歩く速度はまだゆっくりです。
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追伸
 2015年6月12日早朝に私の長男夫婦に子供が生まれました。
 女の子です。 私の初孫になります。
  初孫の記事 → ポチッ

2015年6月13日追記 タイトル: 朗報です。
切除した病理組織を専門機関で検査してもらった結果、精巣および脾臓ともに悪性腫瘍ではないことが判明いたしました。いずれも自律性増殖ならびに転移性はないとのことで安心いたしました。後は体力回復と、肝臓および胆嚢の内科治療に専念できます。脾臓の病理部分の正式名は過形成性結節で、腫瘍ではないとのことです。精巣の病理部分の正式名は間細胞腫で、良性の腫瘍で、転移性はないため、切除したことで、治療は終了だそうです。
実は摘出した脾臓にはX線CTスキャンで見えていた大きな腫れ以外に、新たに3cm程度の腫れが発見されたことから、転移性の腫瘍の疑いが濃いと先生も我々も感じていただけに、大きい方も小さい方も両方ともに腫瘍でないことが判って喜びました。
X線CTスキャンで見えていた腫れも、さらに大きくなっていて、破裂してもおかしくないほどの大きさだったので、手術が出来て本当に幸運でした。
6月13日の血液検査の数値でも改善されてきています。ただし白血球が増加しているように傷口が炎症を起こしていることから、当分は通院して必要に応じて消毒を行うことになると思います。6月11日までは感染症防止のための抗生剤は注射でしたが、6月12日からは経口剤となりました。薬の名前はパセトシン250mgです。ペニシリン系抗生物質で、一日に2回ほど食事と一緒に飲ませています。



2015年6月14日追記 タイトル: いつもの散歩コースを歩きました。
手術後、初めていつもの散歩コースを歩きました。ムサシは体調が良いようで、私が引き返そうとしても、戻ろうとしないので、ショートコース(1150m)の方ですが、全て歩いてしまいました。幸いにも最後まで、疲れた様子はなかったです。予想外の行動で、カメラを持って行かなかったため、散歩中の姿の写真は撮れませんでした。今日は散歩の時と食事の時はエリザベスカラーを外しました。数値は聞き忘れましたが、病院で測った体重も増えました。



2015年6月15日追記 タイトル: 抜糸の予定が決まりました。
2015年6月8日に手術をして6月10日に退院して、毎日通院してきました。そして、ついに6月15日の12時半に、精巣部分の手術の抜糸を行いました。同時に、大手術だった脾臓の摘出の手術の傷口部分が多少化膿したので、3回目の消毒&洗浄を行いました。化膿は、洗浄と抗生剤で問題のない状態まで改善されたので早ければ6月17日に抜糸を行うとのことでした。6月16日の通院も必要ないとのことでした。
私は6月16日から関西に帰省して初孫の顔を見てくるので、交代で帰って来る家内が抜糸のために病院に連れて行きます。
体力の方も改善されてきて下の動画で紹介の通り、散歩での勢いも増してきました。今回も1150mのコースの散歩でしたが、不満そうな顔をして、別の道に行こうとしましたが、疲れさせてはいけないと思い強引に帰ってきました。
是非ともプレーボタン( )をクリックしてムサシの脾臓摘出手術から7日目の散歩の姿を見てあげてください。


2015年4月4日の15歳の誕生日の時ほどの勢ではありませんが、元気のバロメーターのシッポも少しずつ上がってきています。下は6月15日の散歩の中でシッポが一番上がった写真です。
 2015年4月4日の動画→ポチッ
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2015年6月16日追記 タイトル: 今朝の散歩
6月16日の朝の散歩の写真です。この日も前日と同じコースを散歩いたしました。家に近づいてくると渋々の歩きになってきます。もう少し散歩したいのだと思います。
今日6月16日から6月23日まで関西に行きます。目的は、初孫の顔を見るのと、宝塚のお袋に会うのと、関西に転勤した人たちとの飲み会が2回と、6月20日の明石でのゴルフです。その間はムサシの様子は判らないので帰宅して追記させてもらいます。またネットの事情もあり、皆様のところへの訪問も思い通りならないことがあろうかと思いますが、お許しください。
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2015年6月17日追記 タイトル: ステップを設置しました。
クリックすると拡大庭への降り口にステップを設置しました。今はステップが無くても飛び降りて這い上がることが出来るのですが、足を痛めるのが心配なので、6月16日に写真のステップ買ってきて設置いたしました。
さっそく庭に降りて右の写真のようにオシッコをしてくれました。



2015年6月24日追記 
タイトル: 脾臓摘出手術 14日目に完全抜糸となりました。
我家のワンコ(名前:ムサシ 15歳2ケ月)が2015年6月8日に脾臓(ひぞう)の摘出手術を受けて、6月10日の16時に退院して、6月17日に半分ほど抜糸していましたが、6月22日の12時20分に、残りの部分の抜糸が完了しました。エリザベスカラーもとれて、すっきりとした顔をしています。写真で手術のために毛を剃られてしまったのが判ってもらえると思います。こちらの写真は、病院から帰って、すぐ(6月22日12時42分)に撮りました。つまり抜糸の22分後の写真です。
すでに、ご報告の通り摘出部分の病理組織を専門機関で検査してもらった結果、いずれも悪性腫瘍ではなく、自律性増殖や転移性はないため、切除することで治療は完了したことになると言われました。抜糸で脾臓および精巣の治療は、完全に完了したことになります。手術を決定した5月11日から42日目のことでした。抗生剤を飲むのも6月22日の朝が最後でした。残った5粒は病院で引き取ってもらえました。
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こちらが手術痕です。剃られた毛も少し伸びてきました。こちらの写真も抜糸した6月22日の12時42分に撮りました。一時は肝臓の数値が悪化して手術が出来ない深刻な病状になりましたが、それを乗り越えるてここまで来ました。肝臓などに関しては飲み薬のおかげで数値が改善されてきましたが、引き続き内科治療を続けます。今、飲んでいる薬をつづけて、2週間後に病院に行くことになりました。とは言えムサシは元気になって散歩も気分次第で1~3kmほど散歩するまでに回復してきましたので、ひとまず報告を終了させていただきます。
毛が完全に延びたら、写真を追加させていただきます。


2015年6月24日の夕方の散歩の写真です。写真は撮れませんでしたが、この日は得意技の扉開けを何度も成功させていました。エリザベスカラーがとれて自由に動き回れるようになったのだと思います。
 扉開けの記事 → ポチッ
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2015年6月24日の散歩の動画も紹介します。



2015年7月5日追記 タイトル: ムサシのおやつはカスピ海ヨーグルト
健康維持になるかどうかわかりませんがにヨーグルトをおやつにあげています。種菌を買ってきて自家製で作っているカスピ海ヨーグルトです。すごく喜んで食べるので毎日続けています。この日のトッピングはチキンジャーキーです。
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2015年7月6日追記 タイトル: 2週間ぶりに病院に行きました。
6月22日に抜糸して、この日が2週間後です。肝臓の状況などを確認するために病院に行きました。病院は苦手なので車の中に待っているところです。


白血球は正常値に下がったことで手術の傷跡も順調に回復していることを示しています。造血機能のある脾臓を摘出しましたが赤血球も基準値内で安定しており脊髄などで脾臓の造血機能の代替えが出来ていることを示しているようです。手術の経緯に関しては心配はいらないようです。


肝障害を見極める数値も下がってきました。GPTは少し高めですが以前の数値に比べると低い値を示してくれています。GOTに関しては基準値に入り、今まで高い数値を示していたALPも基準値に近づいたことから肝臓の薬の服用量を一日2回から一日1回に減らして様子を見ることになりました。次回の検診は3~4週間後です。7月27日から7月31日は私が海外に行っているので8月3日ごろに検診に来ようかと思ったら、薬が無くなるのが7月30日なので、その前に家内に一人で来てもらう必要がありそうです。その時の血液検査の数値を見て、薬の量の見極めも出来るのかもしれません。体重は手術直後13.8kgだったものが14.2kgになっていました。薬を飲ますために1日2回の食事にしていましたが、これからは従来通り1日1回の食事にするつもりなので体重も安定するのではないかと思います。7月9日の夕方の散歩では40分歩いた後でも家に近づくと、初めて走って帰ってきたそうです。食事を早く食べたかったのかもしれません。



2015年7月14日追記 タイトル: 引く側の扉開けも出来るまで回復しました。
得意技の扉開けの押す側は抜糸してすぐに出来るようになりましたが、引く側は立ちあがっている時間も長いことからすぐにはやりませんでしたが、7月11日から何度も出来るようになりました。2015年7月13日にカメラを構えているときにやってくれたので得意技を撮ることが出来ました。退院から約1ケ月目になります。
動画は9秒なので、是非ともプレーボタン( )をクリックしみてください。



2015年9月8日追記 タイトル: 手術跡はすっかりなくなりました。
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我家のムサシが寝ている時におなかを撮りました。脾臓の摘出手術を2013年6月8日に受けて3ケ月が経過しました。現在は肝臓のための薬を飲んでおります。
治療というのではなく肝臓の健康度を示すGOT/GPT/ALPなどの数値の悪化を予防するために飲んでいるので、手術を含めた一連の治療は7月の時点で終わりました。ただし、手術の痛々しい傷跡は残っていたので、なんとなく治療が終了した実感はありませんでした。9月に入って手術のために剃った毛も、すっかり伸びて手術前と変わらない状態になり、傷跡も見れなくなりました。やっと手術や治療が終わったのだと実感させられました。

手術痕の部分を拡大いたしました。毛で覆われていて手術痕はまったく判りません。


比較のために手術して14日目の6月22日の、おなかと手術痕の写真を掲載します。抜糸した日の写真で少しだけ毛が伸びてきていました。
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2015年10月25日追記 タイトル: 散歩は走って帰るようになりました。

2015年10月25日(日曜日)の朝の散歩の動画です。出発時は同じような感じですが、立ち止まっても、また走りを続けてくれました。後半は動画には入っていませんが、家に近づくと猛然と走ってくれたので、私が息切れするほどの走りとなりました。
特別に記事にいたしました。→ポチッ

10月21日と25日の散歩を一つの動画にいたしました。
  00分00秒~04分50秒 2015年10月21日 朝の散歩
  04分50秒~07分23秒 2015年10月25日 朝の散歩
  07分23秒~07分38秒 2015年10月25日 夕の散歩



2016年4月6日追記 タイトル: 16歳になりました。
2016年4月6日の朝の散歩でムサシの走っている姿の動画が撮れたので追加掲載いたします。最初は歩いていましたが、曲がり角に近づくと小走りになり、曲がったとたんに、猛然と走り始めました。道路を渡ったところで残念ながらカメラの電池が切れてしまいました。道路を渡るときはスピードを落として左右を確認しているようでした。この後は、またスピードを上げて、家まで走って帰りました。走り始めたのは早くおやつが食べたかったのだと思います。
道路には桜の花びらも沢山落ちており、一瞬ですが桜の木も写っています。桜の季節の記念の動画となりました。


16歳での扉開けの動画も追加しました。詳しい記事はこちらです。→ポチッ



2016年8月7日追記 タイトル: 朝の散歩 16歳4ケ月
2016年8月7日の朝の散歩の動画を追加いたしました。最近では走る頻度は1週間に1~2度ほどに減ってきていましたが、この日は不思議と歩くスピードも軽やかで角を曲がったとたんに家まで50秒間ほど猛然と走って帰ってきました。
出発の時も含めた動画はこちらです。→ポチッ
この時の詳しい記事はこちらです。 →ポチッ



2016年10月18日追記 タイトル: 朝の散歩 16歳6ケ月
こちらの動画は2016年10月18日の朝の散歩です。いつも帰りに、ほぼ同じ場所から走り始めますが途中で寄り道で止まって、また走り始めました。
この動画を掲載した記事→ポチッ



2017年4月4日追記 タイトル: 17歳になりました。
こちらの動画は2017年4月4日の17歳の誕生日の朝の散歩です。2016年11月から右の前足が少し不自由になりましたが、途中から軽く走って散歩をしてくれました。
この動画を掲載した記事→ポチッ



2017年12月4日追記 17歳8ケ月になりました。
我家には生後1ケ月24日目の2000年5月28日に来ました。これが最初のムサシの写真です。予防注射前で免疫がないのでお出かけ禁止でした。ムサシが乗っかっているのはテッシュケースにかぶせる犬のぬいぐるみカバーです。小さかったです。2000年5月28日で家に来てから17年6ケ月と6日が経ちました。
ビーグル犬で他にも、むさしの名のワンちゃんがいました。→ポチッ


2017年12月5日追記 ムサシが永遠(とわ)の眠りにつきました。
ムサシが2017年12月5日20時に、とわの眠りにつきました。
家内が抱っこしていてベッドで寝かせたところで、ウンチとオシッコをしてすぐに、永久(とわ)の眠りにつきました。17歳8ケ月と1日でした。→ポチッ
手術してから2年5ケ月と27日目なので、人間で言えば手術後15~18年生きたことになり、手術のおかげでここまで長生きできたと思います。


インドのレイ [インド]



インドのチェンナイ(人口468万人のインド第4の都市 昔のマドラス)で式典で調印が行なわれたときに首にかけてもらったレイ(首飾り)です。レイという名前でいいのかどうか判りませんがとりあえずレイと呼ばせていただきます。
右の写真でサインをしているのが私です。海外ではプロジェクトの担当および責任者として世界の59ケ所に発電プラントを納めた中で、インドでは下の3つの発電プラントのプロジェクトを行いました。その中で、このようなレイは初めの経験でした。
8,000KW        700,000KW       1,500,000KW


これは初めての経験なので、このレイがどのようなものかはわかりません。知見がある方がおられたら、教えてください。ハワイのレイとは雰囲気違います。記念に持ち帰りました。私以外も全ての日本人にレイが用意されていました。下の写真がレイの全体です。

翌日、ハイデラバード(Hyderabad)まで飛行機で飛んだあと、写真の5台の車で3時間かけてサイトに行きました。


サイトでは屋外パーティーで歓迎してもらいました。下の大きな写真で、私だけがネクタイ姿でした。隣の太目の人が工場の社長です。
右の写真のように夜のパーティーも屋外で、しでもらいました。この地域のパーティーではチョット違った食習慣があるのに驚きました。最初に乾燥した米菓子のようなツマミで永遠と話を楽しみながらビールを飲みます。それがすんでから料理が順番にフルコースで出てくるのですが、その時はビールがないのです。聞くとこれが正式の食べ方とのことでした。とは言えおいしい食事を前にビールは捨てがたいので、日本人の食生活を説明して、ビールを出してもらいました。食事もインド料理と少し違いました。定番のカレーではなくて焼き鳥というような感じの料理でした。


日本に来られた時には、青森県の薬研温泉に招待いたしました。1名がベジタリアンということで純和風の旅館や途中の料亭では食事に苦労いたしました。料亭での昼食は我々は雲丹がたっぷりと乗った海鮮丼ですが、刺身は無理なので天ぷらなど野菜中心の料理を頼みました。料亭の名前は「楠こう」であることが2020年12月12日に分かりました。→ポチッ


モロッコでの中華料理は、日本でなじみの中華料理でした。 [モロッコ]

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モロッコのカサブランカには2度行きました。
カサブランカでは、すでに紹介した通りモロッコ料理シーフード料理多国籍料理をいただきました。多国籍料理の中にも中華料理が含まれていましたが、本格的なカサブランカの中華料理店を紹介していなかったので、今回紹介します。こちらのレストランは泊まっていたホテルで紹介してもらいました。モロッコの中華料理でお酒と言えば、やっぱりワインです。いきなり赤ワインをオーダーいたしました。赤ワインはモロックのワインであるBEAUVALLON(ボー・バロン) BENI M'TIR ROUGEでした。

日本人ですね。やっぱり春巻きを頼みました。
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サラダはモロッコらしく豪快でした。
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焼売も頼みたくなります。どうしても日本でおなじみの中華料理になってしまいます。
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冒頭のワインの写真の右端に写っていたニンジン、ダイコン、キューリ、ピーマンのピクルスです。本場の中華料理では見たことはありませんが、ヨーロッパに近いので、食べれるのだと思います。これがなかなかワインに合いました。


青椒肉絲(チンジャオロース)も頼んでしまいました。
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さらに硬焼きそばも頼みました。サラダとピクルス以外は、完璧に日本でおなじみの中華料理になってしまいました。
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モロッコ・カサブランカ( )の場所を紹介します。黄色の薄い線()は東京からの最短ルート(直線ルート)です。地図上ではルートが大きく曲がっているのは地球が丸い証拠だと思います。

ヨーロッパ内の飛行機の座席 [機内 CY]

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以前に、パリの記事をいくつか掲載しましたが、パリにはトルコのイスタンブールからパリに入ったこともありました。実はヨーロッパ内を移動する飛行機は、どの飛行機会社も椅子はビジネス(Cクラス)席とエコノミー(Yクラス)席は同じなのです。ただし3人席の真ん中の席を空けているのがビジネス席です。エアフランスでは、写真のように真ん中の席にテーブルが取り付けています。今まで乗った他の飛行機会社ではテーブルはあったのはエアフランスだけでした。このテーブルは上に起こすと椅子にすっぽりと入って3人席に変身します。
背もたれは、ほとんど倒れないし前のスペースも狭いので長距離線とは大違いです。だからエコノミー席が、すいている飛行機に乗ると、ちょっと損した気分に!

イスタンブールからパリは直線距離で2238kmと、かなりの距離を飛ぶので座席に関しては、長距離線のゆったりした席を期待していました。でも期待は裏切られました。
トルコはヨーロッパではないはずなのに(疑)
トルコはEU加盟を希望していますが、まだEU加盟に至っていないためトルコがヨーロッパの中に入るかどうかは微妙ですが、飛行機に関してだけはヨーロッパ内と同じだったわけです。(笑)
この時は成田→パリ→イスタンブール→パリ→カサブランカ→リヨン→マルセーユ→リヨン→パリ→成田と旅をいたしました。ただし、リヨン→マルセーユ→リヨン→パリの部分は列車でした。
   成田→パリ
   パリ→イスタンブール
   イスタンブール→パリ
   パリ→カサブランカ
   カサブランカ→リヨン
   パリ→成田

より大きな地図で イスタンブール→パリ を表示
ただし料理に関してはCクラスの料理でした。ヨーロッパなのでチーズやスモークサーモンが充実しています。メインは鶏肉にパイ生地の料理でした。この写真はクリックすると拡大するように設定いたしました。
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上の写真は拡大しますが、クリックするのが面倒な方のためら拡大写真を掲載します。こちらがチーズです。


サラダとスモークサーモンです。


こちらがメイン料理です。こちらをクリックするとさらに拡大します。
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デザートのチョコレートケーキです。


窓の外はアルプスの景色を楽しむことが出来ました。


偶然ですが、アルプスの上で、すれ違う飛行機が写真に写っていました。この写真もクリックすると拡大するように設定いたしました。
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タグ:飛行機 機内

初めて! 飛行機で後ろ向きに座りました。 [機内 CY]

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成田からロンドンへの飛行機の機内です。この写真は飛行機の後ろ側から前を撮ったものです。
目の前の座席は後ろ向きですがよく見てもらえるとわかりますが前向きと後ろ向きに互い違いに座席が配置されていました。このような配置の座席は初めてでした。
この時においては、British Airways(イギリスの航空会社 ブリティッシュエアウェイズ BA)の最新タイプの座席と聞きました。足の方を狭くする代わりに体の部分の幅を広くゆったりとさせています。スペースと効率を追求した結果のようです。
前々からスチュワーデスの人が後ろ向きの座席に座っているのを見て一度は経験してみたいと思っていました。日本の航空会社のチケットはすごく高いため格安のチケットにしたおかげで初めて念願の後ろ向きの座席に座ることが出来ました。

この写真は飛行機の前から後ろ側を撮ったものです。
後ろ向きの人と前向きの人が常に見合うことがないように電動の仕切りが付いています。ここでは仕切りは下ろされています。


大きなテレビ画面も付いていました。奥に椅子のように見えるのは足置きです。


足置きはこのように前に倒して使います。座席をフラットにしたときには水平状態でつながります。テレビとテーブルは左側の壁に収納されていました。


テーブルを出したところです。テーブルは前後に大きくスライド出来るのが便利でした。シートはCクラス(ビジネスクラス)で、JALの長距離便の新型機のように個室感はありました。見た目よりも合理性を追求した感じがしました。料理はサラダとサーモンです。クリックすると拡大します。
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メインのステーキとごはんです。
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デザートのケーキです。
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成田を飛び立って2時間半後です。上からの雲の景色はいつもきれいです。


ロンドンを経由してカイロに向かうBritish Airwaysの機内です。ロンドンからは少し古いタイプですがこれも形式は同じです。ここでも後ろ向きの座席に座りました。後ろ向きに座っても意外と違和感がありませんが飛び立つ時だけはいつもと違うと感じます。体が前に引っ張られるのと急角度に機体が傾いている実感があります。スキー場でゲレンデの下を覗き込んでいるような感じでした。


ロンドンのヒースロー空港です。成田からのフライトは第1ターミナルに到着します。カイロへのフライトは第4ターミナルからなのでバスで移動いますが、トランジットの安全検査は時間をかけて入念に行うのですごい行列でした。写真撮影は禁止で写真で紹介できないのは残念ですがロンドン経由は乗継時間を十分に取っておく必要がありそうです。

タグ:飛行機 機内

ロシアの土産はチョコレート [土産]

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6月27日から7月2日までドイツ・ベルリンロシアに行っていたことは以前に報告いたしましたが、サンクトペテルブルグからエストニア国境近くの小さな村との往復に付き合っていただいたサンクトペテルブルグ出身の方に空港でお土産を買うとしたら何が良いか聞くとチョコレートを薦められました。空港の免税店にはいろんな国のチュコレートが売られていますが、パッケージにロシア語の書かれたロシアのチョコレートを買いました。こちらは板チョコです。一枚1.5ユーロと安かったので4枚買いました。

板チョコを割ってみて驚きでした。ポーラス(多孔質)になっていました。食べてみて、なるほど薦められただけのことはありました。美味しかったです。
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粒チョコも買いました。やっぱりロシア語が箱に書かれているとロシアで土産を買った気になりました。
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中に何も入っていない純粋なブラックチョコレートでした。チョコレートの原点のようなチョコレートでした。


自家製夏野菜をいただきました。 [日々]

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近所の人から野菜をいただきました。見た目はお店に並んでいる野菜と違い、形も不揃いで傷もありますが、採れたてです。野菜の表面から美味しさが伝わってくるようです。写真をクリックすると、みずみずしさが伝わるかもしれません。

早速にトマトをいただきました。いろんな味わいがあって美味しかったです。細長いトマトは料理用とのことですが生で食べても美味しいかったし、黄色いトマトはフルーツトマトのように甘いトマトでした。写真をクリックすると新鮮さが伝わるかもしれません
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他の夏野菜も食べたかったけれど、いただいたのがすでに夕食の料理中だったので昨晩はトマトだけになってしまいました。ついでに夕食を紹介しておきます。青椒肉絲のピーマンはいただいたものでなく買ってあったピーマンです。せっかくの新鮮な野菜、残りは今晩でしょう。今晩の自家製夏野菜料理が楽しみです。


実は今日のメインは米ナスでした。焼肉用に買ってきましたが、すでに長なすが冷蔵庫に買ってあったので別の料理に変身です。


茄子の味噌田楽が今日のメイン料理でした。
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もろセロリも、なかなかいけました。今日は野菜中心村でした。

タグ:野菜